”ヴィーザル”と名乗る集団の声明から二時間後。
極東支部のエグゼクティブフロア、最奥の支部長室に、エリナは立っていた。
代々受け継がれる立派な
近隣哨戒から戻った部隊、ミッション出動まで待機していた部隊の主要メンバーの顔触れに加えて、フランやウララなど数名のオペレーター。
皆が沈痛な面持ちで集まっている中――それらを見渡す位置、
ペイラー・
『
「皆、よく集まってくれた。まだ揃っていない者もいるが、何せ事情が事情だ。現時点でここに有る各チームの指揮官、及び遠征中の部隊には無線通信を用いて、緊急の作戦会議を執り行うよ」
来賓を迎える応接間でもある立派な部屋の中央には、彼が急ぎ用意した大型の無線機や大画面モニターの塔が堂々と聳えていた。機材に押されるように窮屈そうな室内の隊員達を差し置いて、部屋を見渡すよう四面に張り付けられた複数枚のモニターには、極東支部が保有する最大戦力の部隊――今は各地方に分散されているベテランの顔が映し出されていた。
その中の一つに映る、年甲斐もなく無造作に伸ばしっぱなしの黒髪を揺らす男が話し始めた。
『博士。こちら”クレイドル”隊長、
「見えているし聞こえているよ、リンドウ君。”クレイドル”、全員そこにいるね」
『おう。とりあえず現場の報告だが、こっちは毎度お馴染みのサテライト拠点建設で遠征中。今は旧モスクワ辺りってとこだ。さっきのふざけた映像は民間のテレビにもばっちり映ってたんで覗かせてもらった。
「そのようだね。発信地点は映像の中にもあった拠点ということは割り出しているが、先行部隊が駆けつけたときには誰も残っていなかった。恐らく長距離移動用のトレーラーに大きな送信機でも積んでいたのだろう。それこそ、いつかの『歌姫』のようにね」
『ンなこともあったなぁ。で、その映像の発信源? は特定できてるのか? あんたのことだから言われなくても追っかけてんだろ?』
「全幅の信頼を寄せてもらって非常に痛み入るが、三十二分前から彼らの痕跡を辿れなくなってしまった。そのための周辺機器や情報源が根こそぎ潰されてしまったからね。そう、それを含めて、皆にも改めて通達しよう。よく聞いてくれたまえ」
改めて、榊博士は室内にいる全員、通信の先にいる仲間へと、いつもの調子で報告した。
あの映像が流されてから、まだ三時間も経っていなかった。
「彼らの痕跡を辿れなくなったのが三十二分前。その一方、我々が最後に掴めた足取りは、彼らがフィンランドの旧国境線、最終防衛ラインに接近したという三十五分前の情報だ。耳の早い者は、既に聞き及んでいるかもしれない。だからこそ、事実を再確認するために、報告しよう」
「フェンリル北欧本部は陥落。繰り返す。フェンリル北欧本部は、謎の武装勢力によって制圧されたと、先ほど確認した」
世界の統率者。
人類最後の砦。
アラガミによって狂ってしまった世界を、綱渡りのような危うさでも何とか均衡を保っていた巨大組織”フェンリル”。
その総本山が、ものの数十分で、落とされた。
初耳の者は表情を強ばらせ、薄々察していた者は苦々しく顔を伏せた。
エリナは前者の内の一人だった。その上で、声を震わさないように発言する。
「事実確認は、どのように?」
「全支部から北欧本部への通信が繋がらないという情報共有、そして先行部隊の偵察の結果だ。最大規模を誇る北欧本部、その居住区以外が全て炎上していたと、報告を受けている。事実、私から北欧本部長室へのホットラインにも応答が無い。内部の状態がどうなっているかは調査中だが、本部が機能しなくなっていることは確実と見ていいだろう」
淡々とした榊の説明を、皆が静かに聴いていた。エリナはその様子に、落ち着いている、という感想を思う。
実際のところ、前代未聞の非常事態だ。フェンリルの運営母体である本部が機能停止したとなれば、今まで連綿と繋いできた悪足掻きの歴史が無に帰する。世界は今以上に混乱し、全てが崩壊してしまうだろう――と想像するのは、素人のすることだ。
アーコロジーというものは、その土地と施設によって生産・流通・消費が賄われる自己完結型都市のことを指す。この極東支部にある『アナグラ』を含めた全世界のフェンリル支部が、それぞれ独立して運用される想定の上で建設されている。
それは、互いの存在に依存することなく、いずれかの支部が機能停止しても日常生活に影響が出ないよう力強く生存するための設計だ。
神機使いは常に最前線でアラガミと戦っている。もちろん勝利し、人類最後の砦を守り切ることが至上命題だが、必ず生還出来るとは限らない。対処の仕様がない強大なアラガミの前では、最終防衛ラインを突破されて支部ごと潰されるかもしれない。神機使いやオラクル技術が現在ほどに発展していなかった頃の名残だ。
万に一つの可能性だが、北欧本部が陥落することも無いわけではないだろう。
皆はその覚悟を決めて戦線に立っている。例えそうなったとしても、自分達に出来ることを全うするためだ。
本部陥落の一報にはエリナもそれなりにショックを受けたが、しかし後ろ向きになっていても事態は好転しないと解っている。非常事態だからこそ我々に出来る対策は何か。この場に列席している誰もが、不安を押し殺して考え続けている。
とはいえ、今回の件は少し話が違う。
「博士。ちょっといいですか」
「いいよ、コウタ君」
冷静に発言したのは、エリナの隣に立つ上官、藤木コウタだった。
「北欧本部の防御は鉄壁だって話でしょ。生半可なアラガミの群れは簡単に蹴散らすような精鋭の神機使いばかりが守りを固めてる。おまけに正規軍もあそこの所属だ。世界で最も安全な拠点ってのが売りなのに、そんな要塞が簡単に墜ちたのは、何でですか?」
「簡単だとも。敵がアラガミではなく、自分達と同じ人間だったからさ」
榊は事も無げに、実に科学者らしく、ただ起こった事実と補足を述べる。
「北欧本部を襲撃したのは、あの映像の中にあった”ヴィーザル”という集団で間違いない。映像中の拠点は本部に程近いところにあった。映像そのものは前もって録画されていた。車両での移動が可能だとすれば、多少の誤差はあれど犯行自体は不可能ではない」
「人数はどうなんですか。映像に映っていたのは五人。たったそれだけの頭数で攻略できるようなもんじゃないでしょう」
「恐らく五人、というだけの話さ。襲撃された拠点の規模は、いくら神機使いといっても容易に制圧できる広さではない。画面外にはもっと仲間がいると見ていい。神機使いがあと何人いるかは判らないがね――そう、それと、本部が落とされたのは頭数だけの問題ではない。我々フェンリルは、これまでアラガミの脅威にばかり備えてきた。一方で、それ以外のことにはからっきしなのさ」
そう言いながら、榊は改めて居住まいを正した。眼鏡の位置を指先で直し、
「そもそも神機使いというのはアラガミを討伐するために作られた部隊だ。未知の怪物を抑え、倒し、何となれば研究素材を持ち帰り、バックに控えている我々が活用するためにね。誤解を招くかもしれないが、神機使いをある種の兵器と考えるならば、それが根本的な設計思想であり、その他の運用は現場での創意工夫となる。実際、多くの犠牲を払ってきたが、それでも何とか人々の生活を最低限守ることが出来るようになった。だが、想定していない……いや、目を逸らしてきたことがある。いや、これは私も盲点だった。面白いところを突くよ、彼らは」
『感心してねーで話進めろオッサン』
第二班の通信から、若い男の声が出しゃばってきた。極東支部では馴染み深い生意気な響きに、榊は表情に苦笑の色を強めた。
「そう、我々が想定していなかったこと――それは、人と人との戦闘だ。もっと言えば、
「……神機使い同士の、戦闘」
反芻するようにぽつりと呟いたのは、第三部隊所属の砲兵、台場カノン。壁際に立つ彼女の横にはその上官、平時の彼からは想像できないほど険しい顔つきの真壁ハルオミが付いていた。
「神機の構造は旧時代の銃火器や刀剣の技術を応用していて、対アラガミ効果を最大限に高めた性能を持つ。それが訓練された個人に一機ずつ配備される。先にも言ったように、神機使いはフェンリルが所有する兵器であり、それぞれが一騎当千の戦力に成り得る。裏を返せば、銃刀法などというものが現行していた頃とは比べものにならないリスクを個人に持たせるというわけだ。無論、運用や保管は母体組織が徹底して担うのが大前提だけどね」
そこまでで言葉を区切り、リンドウの映る画面から別の人物が補足した。同”クレイドル”所属、ソーマ・シックザールの深い声だ。
『爆弾を持ち歩いてるのと大差ないってことだ。滅多なことではドカンといかねぇが、扱い方を間違えればそいつの持ち主も、同行している仲間も危険に晒される。大量の安全装置を付けていても、どうしようもない時ってのはあるからな』
懸念すべきは、その矛先がどこに向くか。
設計思想の通りにアラガミへ振り下ろされるならばまだ良い。そのために開発されたのが神機であり、そのように運用されるのが神機使いだからだ。
だが、もしその刃や銃口が、人間へ向けられたなら?
「勿論、思考実験がこれまでに無いわけではなかった」
「そうなんですか?」
コウタが言うと、榊は支部長の権威を主張する立派な机に肘を突き、口元で手を組んだ。彼に興が乗り始めた合図だ。
「フェンリルから初期に支給される通常兵装を仮定して、同程度の戦績を持つ神機使いが相対した場合。または、地理的な有利不利を設定して、白兵戦用と狙撃戦用で武装した神機使いが相対した場合。組み合わせを色々と考えてみると面白いんだが、しかし全てが机上の空論で終わっていてね。理由の最たるものとしては、世界がこんな状態である以上、反乱を起こす理由は考えられないということだ」
別の画面から、年若いながらも重厚な責任感を湛えるような声が発言した。極致化技術開発局”ブラッド”の
『フェンリルに真っ向から刃向かい、仮に勝利したところで、後が続かない。世界の統率者を失った世界はどうなるか? 混乱に陥った世界の中、反逆者はどのように生き延びるのか? そもそも身体の造りからして『P-56因子』を定期接種しなければならない神機使いが、帰る場所を失えばどうなるか? 考えるだにリスクは多い。そういうことですね』
「その通り。アラガミ化の現象は長く秘匿されてきたことだが、現在はもはや周知の事実だ。――いや、リンドウ君、気を悪くしないでくれたまえ」
『お気遣いなく。支部長殿』
『ともあれ、あらゆる観点から想定して、学会に持ち出すまでもなく現実的ではないと烙印を押されて決着したのが、神機使いの反乱、神機使い同士の戦闘という思考実験だった。だったんだが……最悪なことに、あの連中はそれを実行しやがった』
ソーマの結論に、榊博士は苦々しく呟いた。
「こんな大胆な行動に踏み切ったのは、充分な勝算が用意できたからこそだろう。諸処の問題をクリアできる何らかの手段を見つけたんだ」
『そこにつけ込まれた結果、アラガミに対しては鉄壁の戦力を誇っていた北欧本部は泡を食った、と』
「そういうことだね。
そこで、ジュリウスと同じ通信先から、彼と同世代ほどの女性の声が上がった。
『……所感ですが、慣れてますよ、あの人達。少なくとも実際に手を下した二人は』
「そう思うかね? シエル君」
画面の向こうではジュリウスが気を利かせて席を空け、そのスペースに銀髪の少女が映り込む。”ブラッド”所属、シエル・アランソンが発言する。
エリナが知るところでは、彼女は正式な神機使いとなる以前、養護施設で対人格闘や集団戦術、暗殺などについてよく学んでいたという経緯がある。豊富な知識量から来る彼女の戦術的所見は、敵戦力を冷静に分析する一助として大いに重視されていた。
『送信されたアーカイブ映像を拝見しました。支部長が仰ったとおり、あの人達は本当に何の躊躇いもなかった。人を殺すことに慣れている。それも死なない程度に痛めつけて、虫の息のところに
『技、ね。このご時世には無用の長物だったはずなんだけどな。おまけに周りにいた連中も、真ん中で喋ってた奴も、ちっとも動じてねぇときた』
『命を
『するってぇと、真っ先に容疑者として挙がるのは――』
「犯人探しは今は止めておこう、皆」
豪奢な椅子の背もたれに身を預け、榊はゆっくりと言った。
「そう、誰もがそう思うだろうね。だが慌ててはいけない。責任の在処を探すのは余計な
『手回しの良いことで。じゃあ博士、いやさ支部長殿。現場の俺達がやるべきことは?』
「無論、こんな惨劇が二度と起きないよう備えることだ。まずは民間が混乱しないように情報を制限するが、既にあんなものが全国放送された以上、どこまで落ち着かせられるかは解らない。各班は暴動などが起きないよう気を付けてくれたまえ。それから、主犯の彼らを追うことだが……とはいえ、どこから手を着けたものか」
『おいおい頼むぜオッサン、あんたがしっかりしてくれなきゃよ』
「解っているとも。しかしアラガミ対策ならともかく、神機使いの謀反となると、マニュアルも何も無いものでね」
そこでようやく、壁の花になりきっていたフランが、支給品のタブレット端末を操作しつつ発言した。
「微力ではありますが、こちらで例の映像を解析し、彼らの予測戦力を割り出しておきました。彼らがどの程度の規模で動いているのかが判らない以上、確実性には欠けますが、何かのお役に立てればと」
「おおっ素晴らしい。我が支部のオペレーターは本当に優秀だねぇ」
柔和に笑いながら榊は端末を受け取り、同時に手元の専用PCと無線リンクして各通信先の隊長格へ同様の情報を送った。
映像では炎に包まれた町が映されていた。逆光が強烈で傍目には何が映っているのか判ったものではないが、解像度や光源の調整による映像解析が行われ、その場に何人いたのか、どのような装備だったのかはすぐに判明した。
「見たところ、声明を読み上げていたのが彼らのアタマということになるだろう。そしてアラガミと人間を真っ二つにした二人の神機使い。使用しているのは
「解析を進めるよう指示しておきます。それから、炎の向こうで解り難いのですが、人影が……」
「二、三……見えるだけでも四人。神機を持ってるのが二人、持っていないのが二人いる。たぶん掃討のための別動隊ってやつだな」
『ムカつくぜ。計画通りに殺して場所確保したからヨユーシャクシャクってか? でなきゃ殺しの現場を手ぶらでウロつけるわけねーもんな』
「落ち着け、シュン。……ああいや、そう考えると……」
『わざわざカメラに映り込む場所に武器も持たず……非戦闘員が現場に出る理由は、なんだ?』
「単に見せしめか、それとも映っていることに気付かないお馬鹿さんか……うぅむ、やはり逆光で人相までは見えないな。中心にいる彼の顔は読み取れそうだが」
『解析の結果待ちってことだな。じゃあ次だ。奴らの次の移動予測ルートは?』
「話が早いねぇ、リンドウ君」
「こちらです。ロードマップと照らし合わせて、複数の予測を立てました」
室内中央のモニター群に、世界地図と複数の色分けされた線が表示された。
欧州から中東近辺までを切り取った状態で、フィンランドに位置するフェンリル北欧本部の所在地を起点とした三色の線が、波を打ちながら東西に伸びている。
「優先度順に、赤、青、緑としています。最有力候補は赤の線です」
「犯行声明の中に、各支部や拠点を襲撃するという内容が含まれている以上、北欧本部にそのまま留まってはいないだろう。声明を出してから小一時間で本部を落とすフットワークの軽さだ、必要物資を奪ってすぐに出発すると見ていい。仲間が残っている可能性はあるがね」
「襲撃された拠点は、北欧本部から約六十キロ離れた場所に位置していました。移動手段はほぼ確実に陸路。所要時間と経路を計算しましたが、十中八九、舗装された旧道を通過しています。それも相当に飛ばしているものと」
『大胆なこった。つまりは爆走してるトレーラーなりワゴンなりを片っ端から検閲していけば、そのうち当たるってわけか』
「大型車とは限らないがね。電波塔をジャックする機材だけなら軽自動車でも積み込める。後は人数次第だ」
『このご時世に民間の車両がホイホイ手に入るもんかね?』
『リース品の中古車であれば、ジャンク屋で卸されていたりするそうです。そもそも彼らは神機使いで、フェンリル所有のものを勝手に使い回している可能性も無くはないかと』
『盗品か。余罪を重ねていくねぇ』
「ともあれ、北欧支部から車で移動できる範囲のポイントは……三ヵ所。リンドウ君」
『ああ、把握している。まったくGPSってのは便利だが、胃の痛くなる現実も教えてくれるもんなんだな』
予測されたルートは東西へ延び、その内の東側へ抜ける候補の先には、モスクワがあった。
『可能性の話だが、近付いてきてるわけだ。俺達が居る、ここに』
同時にそこは、”クレイドル”が依頼を受けて護衛任務に就いていたサテライト拠点の、目と鼻の先だった。
●
「てなわけで各員、第一種戦闘配置だ。各員目ぇ光らせとけー」
「……結構な非常事態だと思うんですけど、何でリンドウさんはいつもの調子でブレないんでしょう……」
「今更気に病むなよ、アリサ。こいつは昔っからこうだ」
白の制服に狼の
黒髪を無造作に伸ばし、右手を
透き通るような白髪に、
こちらは色の抜けたような白髪と、対照的に地黒の肌を持つ男。
代表的かつ中心人物である三人は、冗談めかした会話を交えつつ、周囲に固まっていた人員をそれぞれの配置へと誘導し始める。
部下二人がテキパキと仕事をし始めるのを横目に、リンドウは懐から煙草を取り出して火を着けた。部隊で使っているトレーラーに背中を預け、空を見上げて紫煙を吐く。
それを見つけた部下の男が、呆れたような目をして近付いてきた。
「あんたが前に立って働かなきゃ示しがつかねぇだろうがよ」
「俺の威厳なんかあってないようなもんだろー。気負ったところで解決策が浮かぶわけじゃなし。大仕事の前の一服だ、堪忍してくれ」
「大仕事って自覚はあるのか」
溜息を吐く部下、ソーマ・シックザールは、リンドウと同じようにトレーラーに凭れ掛かった。
「どう思うよ? お前の所見を聞きたい、ソーマ博士」
「主語を定めろ。あと博士はやめろ。何が聞きたいんだ」
「これは失敬。そうさな、連中……これから来るかもしれない敵を、どう見る?」
「とはいえ、俺も昔ほど前線には出ていない。情報もほとんど無い上に憶測だ。分析官でもないんだから適当だぞ」
「勘は鈍っちゃいるめぇよ」
「厄介だ。少なくとも、アラガミ以上に手こずる」
表情の薄いソーマの言葉を、リンドウは静かに聴いた。
「録画した映像を後になって流す時間稼ぎがあったとしても、走破距離や所要時間を考えればとんでもない手際の良さだ。目標へたどり着くまでの道順や、本部そのものの内部構造にも精通している。加えて倫理面においては殺害行為への躊躇いが一切見られない。シエルも言っていたが、あのやり方は殺しに慣れている奴のすることだ。見せしめなんていう政治的な方法も、素人が簡単に出来ることじゃない。良心の呵責が邪魔をする。恐らくは情報管理局か、それとももっと暗部で働く組織か……いずれにしろ、本部に近しい管轄の出だろう」
「神機を持っている以上、フェンリルからの流れ者ってのは間違いない。しかもそっち方面の出身だとすると、まあ相当の手練れだわな」
「ああ。アラガミだけではなく、対人戦闘にも通用する実力者達。……リンドウ、あんた、神機使いとやり合ったことはあるか?」
「ムカつく上官に殴りかかって姉上に張り飛ばされたことはあるがな。それでもせいぜい喧嘩程度のもんよ。お前は?」
「あんたほど面白いエピソードは持ってねえ」
「あっそ。……俺もお前も、それなりに戦歴は長い方だとは思うが……ふん、超兵器を持ち出した暴徒の鎮圧に関しては未経験者しかいないってワケだ。なるほど苦戦するだろうなぁ」
深く煙草を吸い、色濃い煙を宙に吐く。
緩やかな風に流されて、軽口と共に消えていく。
「のんびり構えてるわけにもいかないだろう。榊のオッサンとオペレーターが出した予測では……」
「道中に障害が無ければ一両日中には来るらしい、な。ここは旧国道とは離れてるから立ち寄ってくるかは解らんが、何にせよしばらくは夜も眠れん」
「見張りはどうする」
「俺とお前、アリサとユウ。いつものメンツで交代制だ。民間人は見張り程度ならともかく、矢面には立たせられん。これもいつも通りだ」
「了解だ。外出は控えるように周知しておく」
そう言って、ソーマはリンドウの元を離れていった。
独立支援部隊”クレイドル”も、発足して暫らく経つが、部隊全体の動きがしっかりしてきたとリンドウは思う。
その名の通り、誰もが安心して眠れる”揺り籠”を世界に作るため数年前にリンドウとその部下が率先して作った部隊だ。主たる目的は、世界各地に観測されている「アラガミとの遭遇率が低い土地」を探すこと、条件が整っていれば民間人の居住施設『サテライト拠点』を建設すること。情報の少ないアラガミを追跡したり、場合によっては遊撃部隊として関わることもある。メインとなるメンバーは、かつて己の命を救われたこともあり、リンドウが最も信頼を置く極東支部の面々だ。
現在は旧ロシア、モスクワと呼ばれた地の片隅に位置する拠点でサテライト拠点の建設に着手している。とはいえ土木作業は専門の業者に任せきりで、”クレイドル”はそのボディガード役だった。拠点への供給ラインがある程度安定するまでは、こうして護衛役を買って出ている。
三方に広大な乾燥地帯、背後に細い河川を有する地形は、土壌は痩せているものの比較的アラガミとの遭遇率が低く、充分な防備を施せば人の生活も可能な場所と見られている。少し移動すれば、部下の一人であるアリサ・イリーニチナ・アミエーラが元々所属していたロシア支部までも遠くない。今回のクライアントもロシア支部だ。
周囲を見渡す
放送された声明の中で、邪魔をする民間人にも容赦はしない、と彼らは言っていた。実際、神機使いを一人殺してみせている。であれば、前線にはやはり神機使いが立つべきだろう。
神機使いとなって早十数年。今度こそ死ぬかもしれないという修羅場ばかりだったが、今回の騒ぎは、リンドウにとってまた別の緊張感を思わせていた。
ソーマとも話した通り、自分達には対人戦の経験が無い。アリサなど以ての外だろう。アラガミを討伐するのに精一杯で、同じ神機使い同士が戦うなど、これまで想像したこともなかったのだ。
性分としてデスクワークや作戦立案などは苦手なのだが、これからしばらくはその対策に頭を捻らなければならない。
そもそも、”ヴィーザル”とは何者なのか。
映像からも見て取れるほどの威圧と雰囲気からして、自分とほぼ同程度の戦歴を持つベテランなのだろう。そして単独ではなく、複数の仲間を従えるほどのカリスマ性もある。人道倫理に背くことを厭わないほど、共鳴してくれる仲間が。
人殺しに興味がある狂人か、それとも日頃の任務からそういうことに麻痺してしまった者か。
後者であれば、母体組織であるフェンリルに刃向かおうとする心持ちも察せないわけではない。自分も色々と無理難題を押しつけられ、理不尽な目に遭ってきた。命令を出してきた人物は今や故人扱いだが、しかし、リンドウは彼を恨むことはなかった。間違っても許せる訳ではないが、自分とて一時期は柄にもなくダブルスパイだったわけで、一概には否定しきれないというのが大人の事情というところだ。彼には彼なりの思想があり、彼なりに世界の救済方法を模索していた。
元を正せば、最も理不尽なのは、この世界だ。それに対応するためにフェンリルがあり、神機使いがいる。思惑通りに行かないのは当たり前。だが、それを通すために”クレイドル”は動いている。
誰もが揺りかごの中で眠れるほど、穏やかな世界をつくるために。
あの”ヴィーザル”も言っていた。アラガミのない世界を取り戻すために、と。
……何かが引っかかる。嫌な予感とでも言おうか。
言語化できない程度の、しかし確信に近い、最悪の予想図。
神機使いを殺すということ。アラガミのいない世界を取り戻すということ――、
「リンドウさん」
深入りしかけた思考を断ち切って、リンドウは声の方向に振り向いた。小走りで近付いてくるのは、もはや見慣れつつあるほど際どい格好の部下、アリサ・イリーニチナ・アミエーラという女性だった。
「おう、どうした」
「北北西から接近してくる反応をセンサーが検知しました。ただ、例の集団ではなさそうです」
「何だそりゃ?」
「遠目で確認した程度ですが、民間人のようでして。単独でこちらへ向かって歩いてきています。難民移送からはぐれたんじゃないか、とは思うんですが……」
「……んむ」
報告を受け、短くなった煙草を揉み消し、リンドウはアリサと連れだって拠点の外周へ向かった。
建設途中の作業員達を横切り、北西側の出口から外へ。手渡された双眼鏡で彼方へと目を凝らす。
確かに、人影が見える。神機使いとして補正された視力をもってしてようやく捉えられる程度ではあるが、小さく、ゆっくりとこちらへ向かってくる影がある。
「どうします?」
「そりゃ決まってるだろ。俺が行く」
双眼鏡を下ろし、それをアリサにひょいと渡す。
「バイク借りてきてくれないか、爺さんのガレージにある奴。すぐに迎えに行く」
●
この時代において、二輪駆動のバイクというものはあまりポピュラーではない。そもそも全身を外気に晒して走行する性質からして事故率が高く、さらにはアラガミの闊歩する屋外では、不測の事態に対応しきれない場合が多い。単純な移動手段として鑑みれば、燃費を差し置いても大型トレーラーやヘリに頼る方がまだマシと言える。
だが、どんな時代にも嗜好品を愛するマニアは生き残っているものだ。排気量一五〇〇ccの巨大なバイクは、見た目からして随分と手入れが行き届いていた。拠点の住人であるご老体のコレクションだ。奇跡的にアラガミの難を逃れたところを発見し、以来少ない物資で細々と手入れしてきたという。
念のための護身用として神機をケースに格納し、リンドウは広い大地にバイクを走らせる。きちんとメンテナンスが施されたエンジンは頼もしく駆動し、心地よい振動が乗り手を揺らしてくれる。
拠点からの目視で確認した地点まではおよそ三キロほど。あの遭難者もこちらへ向けて歩いていることを考えれば、十分とかからず接触できるだろう。暴れ馬のようなハンドルをしっかり握り、バランスを崩さないように気を付けながら、貴重な石油燃料の排気をバラ撒いていく。
実のところ、リンドウがバイクに乗った経験というのは片手で数えられるほどしかない。遠征の度に交代制で輸送車両を運転することはあるものの、少なくともフェンリルに入隊してからはまったく接する機会がなかった。やはり効率が悪いというのが理由だろう。単身で行動するならばまだしも、燃費、貨物積載量、乗員制限、安全性を考えれば四駆が採用されるのは当たり前でもある。そうと解っていながらも、今回の拠点にいたご老体のコレクションに出会ってから密かに練習しているのは、前時代的な男のロマンとしか言い様がない。
風を斬って疾走する鉄の馬、洗練されたフォルムと荒々しい排気音。断言してもいいが、これに惹かれない男子はいない。あの堅物なソーマですらいつになく目を光らせていたのをこの上司は見逃さない。
せっかくなら自分も一台手に入れて極東支部に持ち帰りたい。部下達に見せびらかして悦に入りたい。愛する妻とタンデムするも良し、幼い我が子に触れさせるも良し。こんな時代には無用の長物だが、見方を変えれば貴重な郷土資料である。こんな時代だからこそ、無駄な嗜好品というものも必要だと思う。任務終わりの支給ビールだけが楽しみというのではあまりに味気ない。
「……おっと」
自分に言い訳を重ねて、後は妻をどう説得するか算段を付け始めたところで、リンドウは目標にずいぶん接近したことに気付いた。視力補正された肉眼でもそのディティールが解る距離だ。
だが、
「……なんだありゃあ」
人影、いや、まあ人影なのだろう。
見えるそれの大きさに、リンドウは思わずハンドルから手を離して目を擦りそうになる。慌てて自分を律し正面へ向き直るが、それだけ人影は近付き、大きくなっていく。
走り始めてから、まだ五分程度しか経っていない。
遠近法で言えばそれは正しいのだが、それにしても、あれは――デカい。
頭の先から全身をボロボロに煤けた
人間にしてはあまりに大きい。ではアラガミか、とも思うが、地面に接している足先は長距離用のズックを履いている。数も二つ。少し信じがたいが、恐らく人間なのだろうと思うしかない。
あの有様でどれほどの距離を歩いてきたのか。リンドウはアクセルを更かし、喧しさを増して加速していく。
程なくして、彼我の距離は十メートル程度までに迫った。声を張れば何とか聞こえるぐらいの間隔だ。これほど接近しても特に敵意を表さないのであれば、捕喰本能の塊であるアラガミが
改めてリンドウは、目標の体躯がおよそ二メートルに迫るほどの巨体であると再認識した。もはや巨人だ。巨人が荷を運んでいる。妙な気分になりながら、リンドウはバイクのクラクションを鳴らす。濁ったラッパのような音が広い野原に響き渡り、それに反応して巨体が動きを止める。
「おぉーい、そこの人――。大丈夫かぁ――」
張り上げた声に、頭と思しき部分がのっそりと持ち上がり、フードを被った虚がこちらに向いた。それと合わせて、裾から出てきた左腕がフードを取り払う。ようやく人間の顔が表に出てきた。
男のようだ。少し伸びた金髪に差し色として緋のメッシュがされている。表情には疲労が見て取れるが、
確信を得て、リンドウは歩いてそちらへ向かっていった。
「随分歩いてきたみたいだが、よくここが解ったな。怪我とかしてねえか?」
「……途中で、生きているセンサーを、みつけた。あんたは……」
掠れ声は明確な意識を思わせるもので、アラガミの擬態ではないと最後の警戒心を解く。その上で、相手の知識に構わず名乗り上げた。
「フェンリル極東支部独立支援部隊”クレイドル”所属、雨宮リンドウだ。兄さん、よく生きていてくれた」
その図体に見合う太い腕を気さくに叩き、まずはそんな励ましの言葉を贈った。
「ここから先、もうちっと距離はあるが、俺達のサテライト拠点がある。どこまで行くかは知らないが、ちょっと休んでいくのはどうだ? この辺はあまりアラガミも来ないが、それでも全く遭遇しないってわけじゃない。見たところ丸腰だしな」
「ああ、有り難い……。そうさせてくれ」
安堵したような表情を見て、決まりだ、とリンドウは懐から無線機を取り出す。
スイッチを入れ、応答を待つ部下へ報告を飛ばす。
「こちらリンドウ。予想通り、要救助者一名だ。これから護送して送り届ける。水と食べ物を用意しといてくれ」
『了解。ご安全に。オーバー』
「うっし。――しかし悪いな兄さん、もう少し歩けるか? 俺はバイクだが、残念ながら……その、お前さんと2ケツ出来るほどの馬力は多分ないと思うんだ、アレ。もちろん俺だけかっ飛ばすようなことはしないからよ」
「いや、大丈夫だ。ここまで耐えたのだから、後少しぐらいは踏ん張ってみせるさ。案内してくれ」
「すまねえな」
男の一歩は大きく、重かった。疲労はあるが確かな歩調に合わせて、リンドウは自身のバイクへ近付いていく。
周辺警戒を怠らず、そのままリンドウは会話を続けた。
「しかしよく無事だったな。どこから来たんだ? 旅の人か? ああ、喋るのが辛かったら無理しなくていい」
「いや。……東の方の難民でね。本当なら、今頃はトレーラーで護送されているはずだった。だが、突然アラガミの群れに襲われて、しかも物凄い砂嵐にまで遭って……命辛々ここまできたが、皆とははぐれてしまった。丸二日飲まず食わずだ。ここまでアラガミに遭遇しなかったのは、まさしく奇跡だ。神様のお導きに感謝しなくては」
「へえ。となると随分遠かったんだろうな。この近辺に難民護送のキャラバンが来てるなんて報告はなかった。いや、騒ぎに紛れてうやむやになったかな」
「騒ぎ?」
「なんでもねえ。そういうことなら、どうにか合流できるように取り次いでみよう。兄さん、名前は?」
「トール。そう呼ばれていた。この見た目だから」
「ハハ、外見を皮肉られるのはキツいよなぁ。そう呼んでいいのなら、俺もそうさせてもらうが」
「構わないよ。もう慣れたものさ」
朗らかに語るトールという男、その背に膨らんだ何かを見ながら、リンドウは問うた。
「じゃあトール。差し支えなければ、その大荷物のことは聞いてもいいか?」
「……ああ、これは家宝だ。我が家に伝わる、大事なものだ。中身は明かせないんだが、これだけは死んでも守らなければならん」
「アラガミに襲われても守るべきものか。丸腰になってまで運ぶようなもんかね」
「護身用の装備は持っているよ。気休めでしかないがね。これは私の一族がこれまで血を継いできた証だ。あんたのバイクと同じようなものさ。いずれ朽ちることとなるだろうが、それまでは次代に伝えていかなければならない。先祖の存在が、生きる活力になることもある。実際、私は幾度となく救われてきた。ここまで諦めずにいられたのも、これのおかげだ」
「そうかい。じゃあ、他人が土足で踏み込むもんじゃねえな。気が向いたら紹介してくれよ」
「ああ。ありがとう」
意外としっかり会話ができていることに内心で驚きつつ、リンドウとトールはバイクの元までたどり着いた。初めて見た時はとてつもなく大きいと感じた車体が、トールの身長と比較すると自転車のように見えてくる。彼に合わせるとなると、アメリカ大陸横断を想定したモンスターマシーンでようやく適正と言えるだろう。ハンドルがカマキリの腕のようになっているタイプだ。
「荷物ぐらいは載せてやれるぜ、トール。それとも背負っていくかい?」
「問題ない。助けてもらっておいて厚かましいとは思うが、他人に預けられるようなものではないのでね」
「だろうなぁ。おし、んじゃもうちっと頑張るか」
両のハンドルに手をかけ、スタンドを蹴り上げる。ここから先は手押しで何とかするしかない。八十キロぐらいの重量だが、その程度は苦でもない。どちらかと言えば、拠点に着くまでの道中で他の話題を探す方が悩ましい。
車輪がゆっくり回り始めるのと同時に、リンドウは聞いた。
「いいバイクだ。せっかくアシがあるのなら、私が乗せてもらってもいいかね?」
「んー、いやいや、さすがにお前さんにはちっと小さすぎると思……」
呆れつつ半身で後ろを振り返った先、トールが外套を翻した布の音。
その懐の鈍い煌めきと、瞬きのような閃光と同時に破裂した音。
トールの口端が奇妙に吊り上がり、笑みの隙間から漏れ出る呼気の音。
聴き慣れない音の飛翔が、無防備な姿勢のリンドウに突き刺さる。