緩やかな風の中に、
煙をくゆらせる先端に、男は溜息を吹き付けた。
「……ったく、ふざけてやがる」
先程までの真面目な口調を捨て――否、切り替えて、ボリボリと頭を掻いているのは、トールと名乗った大男だ。
彼はどこか苦々しげな表情で、ぶつぶつと誰かへの恨み言を呟いた。
「三文芝居に付き合わせるつもりが、どっちも見え透いた化かし合いをするハメになるとはな。なんつー茶番だ」
その前方、正確には
荒い呼吸に上下する肩、そして右腕は身体を守るように掲げられていた。刺々しく厳めしい黄金の手甲には、真新しい傷が点となって穿たれていた。
バイクを立てる余裕もなく放たれたのは、トールが隠し持っていた右腕の武器から。
それは、彼の体躯に比べれば小さ過ぎるように見えた。
「意外と、いや見かけ通り頑丈なんだなソレ。五〇口径の早撃ちなんて曲芸じゃあ通用しねえか」
「いやいや、お前さんも充分大概だぜ。鹿とか撃つための銃だろ」
くすんだシルバーの塗装、大仰なリボルバー機構、野太い銃身。大柄なトールが持てばそれほど違和感はないが、日本人の体格では手に余るだろう。データベースで暇潰しがてら見たことがある程度の知識しかないが、それは旧時代の狩猟用拳銃だった。現在の神機モデルに原型として採用された、世界に数ある武器の一つだ。
振り向きざまの不意打ち、わずか数メートルの間合いで音速を超える弾丸を撃たれた訳だが、回避できたのは神機使いであるからこその反射神経と運動性能の賜物だ。しかし予測していなければ対処し切れなかったであろう焦りが、リンドウの息を乱していた。
それを隠すことには特に意識せず、リンドウは言葉を続けた。
「お前さんの図体なら『バガラリー』の真似事も難しくはないだろうさ。多分、俺がやったら手首が折れる。曲芸なんて卑下することはないと思うぜ」
「よせよ、恥ずかしくって穴掘っちまう。一発きりのサプライズクラッカーが見事に外されたんだぜ。これがパーティーだったら大スベりだ」
「二度は通じないと思ってくれてんのか。光栄なこったね……しかしまあ、こっちも人のことは言えんが、大昔のガラクタを後生大事に抱えてるとはな。護身用ってのはそれか?」
「まさか。こんな鉄クズがバケモンどもに通じるワケねえことぐらい知ってるだろうよ、ミスター・アマミヤ?」
トリガーガードに通した人差し指を軸に、それこそ西部劇のガンマンよろしく大型の銃をくるくると回し、また手にすっぽりと収めたところで、トールは躊躇いなくその銃を握り潰した。
片手の握力のみで、鉄の塊がまるで紙細工のようにひしゃげてしまう。そうしてトールは、何の未練もなくそれを放り捨てた。
「極東最強の神機使い、奇跡の生還者、伝説の男。オレらの間じゃあんたは超の付く有名人だ。最初に
「
「見りゃ判んだろ。この通りさ」
言いつつ、トールは纏っていた
見かけ通りの屈強な肉体が露わになる。背には巨大な鉄製のケース。そして右腕には――赤い、腕輪。
紛れもなく、神機使いだ。
であれば、ここまでの道すがらを無事で済んだ理由も納得できる。
「何が家宝だ。背中のソレ、神機だろ」
「いかにも。だが嘘ばっかりじゃないぜ。実際、通り名はトールで認識されてるからな」
よっこらせ、とトールは背中のケースを地面に下ろした。上面に刻印された意匠は紅の狼。神機を持ち運ぶための簡易格納庫とでも言えるもので、遠征などによく用いられる。今し方バイクに積んでいるリンドウの神機も、全く同じ仕様のケースに仕舞われている。トールのそれはハーネスを追加して、背負えるように改造されていた。
「いい加減、自己紹介してくれてもいいんじゃないか? トールなんてコードネームじゃなくて、お前さんの名前をよ」
「ところがそいつはうちのボスに口止めされてるんだ。調べりゃすぐに解ることなんだけどな。”
こちらの小細工もバレていた。拠点を出発してから、リンドウはずっと無線のチャンネルを開いていた。彼との会話も全て、ソーマやアリサ達に筒抜けになっている。万が一、こうなるかもしれないと見越しての策だが、まさか予測通りに事が運ぶとは思わなかった。
今もまた、ひっきりなしに部下からの通信が入っている。
『だから言ったじゃないですか一人で行くのは危ないって! なんですか今までの無駄な緊張感! ドン引きです!』
『アリサ、いいから、あまり喚くと向こうの話が聞こえねえだろ。それより極東に連絡だ、あいつは間違いなく……』
「うるせえぞお前らー。つうか、援軍は?」
『ユウが真っ先に飛び出していきましたよ。到着まで十五分程度!』
「そうかい。じゃ、一旦切るぞ」
まだ賑やかな無線機のスイッチを切り、リンドウは気を取り直してトールに向き直った。
「ほぉ、スペシャルゲストは”極東無双”か。こいつは嬉しくてションベン漏らしちまいそうだ」
「勘弁してくれ、誰も世話しねえぞ。それとも、”ヴィーザル”の看板はどいつもこいつも小便垂れって評判になるが、いいのか?」
解り切った核心だが、だからこそリンドウははっきりと口にした。
トールも満足げに、かつ獰猛な笑みを浮かべる。よくよく見れば、その図体は例の映像にあった大男のシルエットとほぼ一致していた。
確定だ。
神機使い殺しの”ヴィーザル”、尖兵の”トール”……かつての神話における雷神を
にわかに逆立つ闘志を押さえつけながら、リンドウはあくまで任務として口を開く。
「ヨーロッパの隣とはいえ、たったこれだけの時間でよくここまで来れたもんだ。車か?」
「そこはそれ、コードネームが”トール”ってのの由来でな。
「……お前さんには聞きたいことが山ほどある。大人しく捕まってくれれば悪いようにはしない。固いベッドの営倉暮らしとウンザリする量の尋問があるだけだ」
「聞いてるだけで吐きそうになるね。抵抗した場合は?」
「言うこと聞くようになるまで叩きのめすさ。お前さん方に対してはまだ具体的な方針も固まっていないが、多少の暴力は始末書で解決できる」
「ふん、だったらそっちの方がまだ望みはあるな」
なあ、とトールは言った。両手の指を組み、枝を折るような音で関節を鳴らす。あからさまな威嚇だが、それは生半可な意思表示ではない。
「あんたも見たんだろ? 俺達は”ヴィーザル”、同胞を殺す殺人鬼。そう豪語するだけの覚悟はある。覚悟ってのは実力があってこそ伴う。――オレはテメエらを本気で殺すために、ここに来たんだぜ」
喧嘩のような小競り合いではなく、同じ人間を相手にした本気の殺し合い。
嫌な予感を確信に変えるだけの殺気が、トールの全身から噴き出している。
反射的に身構えるが、久々に胃の痛くなるような不安がリンドウを包む。
神機が遠い。薙ぎ倒されたバイクに積みっぱなしだ。約一メートルほどがこんなにも遠い。
一歩でも動けば、始まってしまう。
ちらり、とバイクの方を盗み見て、
「おいおい」
呆れたような一言だけを残し、敵が動いた。
足裏をにじらせて擦り寄る軽いステップインだが、まるで巨人の歩幅のような移動距離で一気に詰められた。
速い。
霞むほどの速度でリンドウの懐に入り込む。
大きな体躯が、こちらの目線が下がるほどの低姿勢で踏み込んでくる。
防ぐ間もなく、タックルが入った。
「ぬぐッ……!」
中型アラガミの突貫とさえ思わせる重さ。なけなしの構えはあっさりと崩され、防御の姿勢を開かれる。
だが――ぞっとした。
近い。吹っ飛ばされてなお、男の顔が鼻先まで迫る。こちらの右腕が相手の左に掴まれる。
ただの当て身だ。
本命は、次の踏み込み、その奥――。
「――余所見してんなよ極東最強ッ!!」
裂帛の喝が耳朶を叩く間に、莫大の衝撃がリンドウの腹部にぶち込まれる。
●
神機使いとしての身体改造は、運動能力の向上のみならず、単純な耐久性にも及んでいる。人知を越えた怪物と戦う以上、そして高速での立ち回りを要求されることの多い現場では、元来の人間の身体では耐えきれない。まして神機の盾で防げる攻撃ばかりではない。時にはモロに被弾するというのも、ままあることだ。
だからこそ、神機使いへの身体改造――より具体的に”偏食因子投与による内側からの変化”は、更なる効果をもたらすように研究されてきた。おかげで昔に比べれば随分とやりやすくなったと思う。新種を除いた従来のアラガミ相手ならば、新人でもそう簡単に死にはしない。先人の犠牲を積み上げた末に得られた恩恵だ。
だが、同じ条件で改造された神機使い同士であれば、マージンは全て取り払われると考えていいだろう。
身体能力も耐久性も、基本となるステータスは全て対等。ならばそこに差を付けるには、個々人が修めた鍛錬や経験がモノを言う。
それは単純な体術などに限らず、神機を用いない肉弾戦においても言えることだ。
防御を崩してからのボディブロー――ただそれだけの型だが、まるで岩塊のような拳は、リンドウの鳩尾から肋骨にまで痛撃を広げた。
みし、と嫌な音がする。内臓がまとめて押し潰される。インパクトの瞬間に手を離されたおかげで、リンドウの身体は数メートルも吹っ飛ばされた。
着地してなお勢いは収まらずに転がり続け、荒れた地表に剥き出しの皮膚を削られていく。
腹を潰された圧迫感に嗚咽が止まらず、しかし痛覚の余りに意識が薄らいでいく。殺意の塊が悠然と近付いてくるにもかかわらず、指一本動かすことすら億劫になる。軋む全身を守ろうとする本能が脱力させ、自身に諦めを促してくる。
――それら全てを、叩き出す。
「……ほお」
立つ。立ち上がる。久々のとんでもない痛覚は無視できないが、それでも寝転がっているだけでは死が待つだけだ。
そうだ、この程度は現場で何度となく食らっている。無傷での帰還など珍しいぐらいだ。遙か昔の新人時代からベテランと呼ばれるようになった今まで、アラガミの突貫などうんざりするほど経験している。
「結構本気のつもりだったんだがな。受け身もガードも崩した。アバラの何本かはイってる。息を吸うのも辛いはずだぜ」
「……頑丈なのが、取り柄なんでな。しかしまあ……」
震える膝を必死に抑えて、見栄を張るように、立ち続ける。実際に呼吸する度に悲鳴を上げる肋骨を無視して、リンドウは赤の混じった胆を吐き捨てた。
「神機使いの訓練課程には無いな、その動き。まるっきり対人戦闘を想定した型だ。どこで習った?」
「無駄口叩く余裕まであるか。こりゃオレも修行不足だな。なに、アメリカじゃあ昔からカラテやジュードーは人気のスポーツさ。一番好きなのはラグビーボールだ」
「太極拳も修めたクチか?」
「噛じってはみたが、どうもソリが合わなかった。そもそも神機使いになってからは役立つ機会もなかったからな」
まったく、とトールは大げさに嘆息してみせた。
「どいつもこいつも弱っちい。脆すぎる。いい加減アラガミどもだって狩り尽くして飽き飽きしてきたってのに、それより弱い人間なんか歯ごたえもありゃしねえ。同じ神機使いならと期待してみたが、噂の極東最強だってこの有様だ。たかが当て身で怯まれてちゃガン萎えってもんだ」
「こいつは手厳しい……。そうか、お前が”ヴィーザル”にいる理由は……」
「アラガミを殺すのは飽きた。だから人間を殺す。論理的だろ? ボスの意向で一般人は殺れねえが、同じ神機使いなら許可してくれるとさ。まったく”軍神”サマサマだぜ」
総毛立つとはこのことだ。嫌な予感が的中した。
いつか、こういう手合いが出てくるのではないかと危惧していた。アラガミ相手にしても一切油断はできないというのに、神機使いとしての自分に酔った大馬鹿者がどこかに現れるのではないかと。人類の天敵がばっこする世の中も長く続けば日常と感じ、退屈する者が出てくるのではないかと。
神機とは、兵器の一つだ。フェンリルが管理するものではあるものの、戦場においては一個人に委ねられる。例え名目としてはアラガミ討伐が第一だとしても、最終的にそれをどう扱うかは使用者の一存に依る。
身の丈に合わない力を得て、なおも自覚の足りない人間は、力に酔う。アラガミという天敵がいる状況が目の前にあるからこそ、単純な盲点に誰も気付かないようになっていた。
”ヴィーザル”の宣言の一節。「殺したいから殺す」。
その言葉に何の裏も無いというのなら。
「本気で殺すつもりか。そこらの神機使い、全員を?」
「そうだ」
トールは当然のように答えた。
「まだ甘く見てるようだがな、
「何のために。てめえの喧嘩がしたいだけなら身内で食い合ってればいいだろ」
「身内が相手してくれねえから外に出たんだよ。それに、大局的な目線でモノを見るのはオレの仕事じゃねえ。オレはただの駒。あまねく戦場をひっかき回す捨て駒さ。オレは指示された場所で好き放題暴れていればいい。軍規だの何だの下らねえもんからやっと解放されたんだ」
だったら、とリンドウは言った。
「お前さんは、ここで俺は殺せない。そうだな?」
「…………」
「組織の法やルールが融通利かねえ頭でっかちなのはまあ俺も解る。だが、代わりにお前さんはボスに義理立てている。飼い慣らされてるのに変わりはない。リードの先を誰が握っているかってだけだ。大局的にものを見るボスに従うのが駒の役割だろ?」
「ほぉ、断言するか。言っとくがオレは単独行動の多い問題児って評判だ。何故そんな期待が出来る?」
「お前さんの力量なら難しくはないだろうに、わざわざ難民のフリなんかしなくてもよかっただろう。大根役者っぷりに正直寒気がして仕方なかったぜ」
「そりゃお互い様だと思うがな。それで?」
「暴れ回るだけが能の駒だと解ってるなら、ただ暴れさせるだけじゃ面白くない。お楽しみは後に、ってことだろ。その方がお前さんみたいな奴もノリやすい」
「はは」
トールの笑みが深くなる。
「さすがは現役の隊長殿。てっきり同類かと思ったが、しっかり考える頭もあるわけだ。これは後々面倒臭い手合いになるなぁ」
「一緒にすんじゃねぇよ戦闘狂。こっちはもうちっと理性的だ」
「いいや、オレとテメェは同類さ。取り繕うこたねぇよ」
厭らしい笑みが、リンドウの眼をまっすぐに射止めた。
確信に満ちたという声が、耳朶を叩く。
「いくら喰っても満たされない欲が根深いところに植え付けられてる。否定するこたねぇ。それが神機使いの本性なのさ、ミスター・アマミヤ」
――ここだ。
不愉快な声とは別の音を察知し、瞬間、リンドウは左手を閃かせた。
早業でピンを抜かれたフラッシュバン。アラガミ用ではなく、暴徒鎮圧のための対人護身装備が、無防備な両者の間に放り込まれた。
昼にあって尚も眩むような閃光、耳をつんざく高周波がぶち撒けられ、視覚と聴覚が塗り潰される。
それが反撃の合図となった。
さしもの戦闘狂も目を守るように片手で覆い、顔を苦悶の表情にしかめる。真正面のリンドウもただでは済まないが、構わない。その一瞬の隙で充分だった。
リンドウの真後ろ、背中側から誰かが躍り出る。
約十五キロメートルの直線距離を全力疾走していながら、こちらに最接近するまでの数十メートルは幅跳びのような跳躍で距離を稼ぎ、なおかつ足音は殺していた。そんな芸当が出来る者はそう多くはない。
狼の記章を刻まれた白い隊服、赤い腕輪、静謐な青に縁取られる長大な神機を、リンドウは閃光に焼かれる視界の中で辛うじて見て取った。
神薙ユウ。
その頼もしい背中が、そこにある。
落下地点は怯んでいる敵の真上、迷いなく刃の切っ先は獲物へ飛びかかり、
「ンの野郎……!」
しかしトールも反応してみせる。
気配を感じ取る、などと曖昧な勘と経験は、五感が正常に働いて初めて機能するものだ。にもかかわらず、目と耳を潰されてもトールは動いた。
振り下ろされる刃はトールの右肩を削ぎ落とす軌道にあり、その上で彼は左へよろめくように避けた。青い刀身は獲物を捉えられず、力の余波は乾いた地面に深々と裂傷を穿つ。
だが、ユウは驚いていない様子だった。避けられることは見越しているとでも言うように、剣を振り抜くと同時に右転、真横で姿勢を崩す敵に二撃目を叩き込む。
その時点で、トールは目を確と開いていた。
標的を両断せんと迫る剣は速く、長剣であるゆえに多少距離を取る程度では間に合わない。だからこそ、剣が届かない位置に逃げ込む判断をした。
脱力。膝を撓め、背中を反らし、反らしていきーー倒れる。
剛と唸る剣が鼻先スレスレを掠めた頃、トールは背中から完全に寝転んでいた。
それでは終わらない。足を丸め、反動をつけて起き上がる。獰猛な笑みと共に、凶器と化したヘッドバッドが迫る。
ユウも空振りと確信した瞬間に更なる回転を加える。勢いを止めず、肉薄の間合いで躊躇いなく元の位置へ直り、迫る横っ面に神機の石突きを叩き込む。
ドシッ!! と鉄が肉にめり込む衝突。
「……ユウ……!」
名を呼ばれた青年は、リンドウに会釈を送る余裕も無いようだった。
嵐のような一合を経て、ようやく両者は止まった。
石突きの先端を、トールはそのまま顔面に貰うことはせず、すかさず掲げた左の掌で受け止めていた。鉄塊がめり込んだ分厚い左手は、それでも多少は変形していた。
「…………」
拮抗した姿勢のまま、睨み合いが続く。
極東支部に入隊して僅かな間で目覚ましい成長を遂げ、今もなお留まることのない屈指の神機使い。その功績は極東支部を幾度となく救うほどで、”クレイドル”発足からこれまでにも数々の功績を挙げている。
拠点からここまで、乗り物も使わずにただ突っ走り、絶好のタイミングで助太刀に来てくれた。背後に迫る気配を感じたからこそ、リンドウも仕掛ける機会を計ることが出来た。
しかし、この均衡はマズい、と思う。
トールの左手は使い物にならなくなっただろうが、他の腕と足は健在だ。鍛えられた筋肉に基づく速度があれば、もう一撃を入れることも可能だろう。
一方でユウはと言えば、敵の左を潰すのと引き替えに、神機を捕まれている。掌に密集した骨は砕けているはずだが、もはや火事場の何とやらなのだろう。得物を確保されている以上は身動きも取れず、無防備ですらある。
神機を手放せば対応も出来るかもしれない。だが、ほとんど密着している距離でアドリブが効くかどうか。
奇襲のキレは見事なものだったが、彼もまたアラガミ以外に神機を向けたことのない人間だ。今までの動きも、いつでも止められるように手を抜いていた。出来ればこの時点で相手を無力化しておきたかったところだ。
膠着したまま、仕掛けるタイミングを見計らっている。
どちらが動くか。
冷や汗が伝う中、トールが口を開いた。
「……いいだろう」
そのまま動き始める。ゆっくり、ゆっくりと立ち上がり、左手の固定は全く緩めないまま、動くに動けないユウを巨漢が見下ろす。
表情に殺気は無く、むしろ清々しいような風情の、満足げな顔だった。
「”極東最強”、若けぇのに大したもんだ。よほど覚悟は出来ているな。うちのボスと仕合わせてみてえもんだが、ま、嫌でもいずれカチ合うだろう。その時を楽しみにするかね」
言いながら、石付きを鷲掴む手に力を込め、神機の持ち主ごと悠々と持ち上げてみせる。甲の骨がひしゃげているにも関わらず、総重量百キロ近くのそれを荷物のように掲げ、ひょいと振り払うように放り投げる。
姿勢は危うかったが、ユウはどうにか着地した。ただそれだけで、数メートルの距離を簡単に空けられる。
さて、とトールは言った。
「見たいものは見させてもらった。帰るわ」
遊びに来た友達が席を立つかのように、気軽に言ってみせた。
「……逃げる気か。いや、逃げられると思ってるのか」
「オレ達は最初から逃げも隠れもしてねえよ。ここらが潮時ってやつだ。ここでテメエらをブチ殺すのは簡単だが、テメエの言った通りさ。お楽しみは後に取っておけ、ってな。……それとも、片手潰した程度で勝てるとでも思ってんのか?」
誰も答えなかった。
それが本音だと、トールも察したらしい。
「なに、残念がることはねえ。次は本気の殺し合いだ。しっかり
「何を始める気だ。戦争でもやろうってのか?」
「おっ、勘が鋭いな」
「……おい?」
に、と巨漢は犬歯を剥き出しに、実に楽しそうに笑った。
「ヒントはサービスしまくってるぜ。見え透いた作戦だが、テメエらはどうする? 人類の守護者なんて下らない看板掲げてるテメエらは、人殺しにどう対応する? 同じ神機使いを殺せるか? それとも、うちのボスの台本通りに事を進めるか?」
言いながら、トールは自分の神機ケースに歩み寄っていった。適当に放っておかれていたそれを立て直し、ケースのロックを外す。
口を開けたケースの中身が空気に触れ、この間隔でも耳をまさぐられるような嫌な音が溢れ出した。
ぐじゃり、ぐじゃりと、虫が這うような音を立てて、見慣れた柄が突き出された。トールはそれを掴み、引き出していく。長く、長く引いていき、ようやくそれの先端が露わになった。
種別はポール型神機だが、一般に普及しているモデルよりも一回り長大だった。巨漢のトールが携行して初めて丁度良いサイズ感になる。先端部に集中する神機パーツはそれぞれハンマー、ブラスト、バックラー。黄金とまでは言わないまでも、目に明るい彩色が特徴的なパーツで揃えられていた。
「……雷鎚ミョルニル、ってわけか。そんなに神話好きか?」
「どっちかっていうとボスの趣味だな。元々はバスター派なんだが、古巣でテスター依頼されてからはずっとこいつだ。昔のアレよりはマシな使い勝手になったろ」
現在ではポール型として区別されるようになったが、槍やハンマーをモチーフとした刀身パーツは昔から存在していた。剣として扱うことを想定していた神機の短い柄に無理矢理重いハンマーなどをくっつけて運用していたものだ。ユウの後輩にもベルリン支部へ異動したハンマー使いがいるが、彼女はいい加減に換装したのだろうか。
ともあれ、リンドウはその神機を見て納得する。ハンマータイプの最大の特徴は、ジェット機のエンジンじみたブースト機構と、それを用いた高速戦闘だ。神機に乗ってきた、というのはあながち冗談でもないのだろう。
そして、それを取り出した意味は。
「……ユウ」
掠れる声で後輩へ呼びかける。青年もまた、小さく頷いて応えた。
逃げる気だ。ならば、とユウは携えた神機を構える。いつでも飛び出せるよう、踏み込みの足を整える。
だが、意に介していないかのように、トールは喋り続ける。
「止める、などと簡単に言ってくれるなよ? 同類諸君」
柱のような神機を手に馴染ませるために振り回す。その度に空気が薙ぎ払われ、結構な強風としてこちらに流れてくる。
「まずは己の在り様をよく反省することだ。そうして悔い、改める頃には、うちのボスの心情も多少は解ってくる。神機使いってのがどういうものなのか、テメエが一体どういうものを受け入れたのか。異常なのはどっちなのかってのをな。その上で追ってくるなら好きにしな。オレ達は逃げも隠れもしない。ただし――」
言いつつ、トールは腰に提げたバックパックから、手に収まる大きさのカプセルケースを取り出した。指先で口を捻り、シャカシャカと良い音を立てて中身を降ると、小粒の丸薬が転がり出てくる。
赤錆のような色をしたそれを口に放り込み、奥歯で一息に噛み砕いた。
――――変わる。
「……おい、どういうことだ」
肌に感じる圧が変わる。乾いた空気に混じる質が変わる。それはよく見知ったもののようでいて、しかし記憶しているそれによりも遙かに凶悪で禍々しかった。
神機使いとしての機能解放、限界突破の現象。
《バースト》。
本来であれば生体活動中のアラガミを捕喰し、神機を通して摂取することでしか発揮されない励起状態。
それを、薬一粒で解放した。
唖然とする二人を目に、トールは溜飲が下がったような、ひどく厭らしい笑みを浮かべた。
「戦場に身を投じる以上、誰もが殺し殺される因果にあり、いずれは死ぬ。だから、敵を恐れろ。オレ達を恐れろ。テメエらが感じたそれをしっかり持ち帰れ。どんな隠し玉を持ってるのか解らない連中を相手にしてるんだ、ってな」
持ち主に合わせて、神機の様子も変わる。ハンマー部分の表面に、目に見えるほどのスパークが迸る。気付けば周囲の空気もまたピリピリと刺すように変質していた。まるで帯電する雲の中にいるようだ。
磁気を帯びて、地面の塵や砂埃が舞い上がる。稲妻の音が、誰の耳にも大きく響く。
「さあ、さあ、さあ! ”雷神トール”のお出ましだ! これが『黄昏』の先触れパート2だぜ! 遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よってなァ!」
天高く、まっすぐに、雷鎚が片腕で掲げられる。
晴天に幾条もの霹靂が奔り、それら全てが避雷針へ収斂する。
閃光は目映く、そして、
「燃えよ、敗れよ、
ユウが咄嗟に盾を展開し、リンドウの目前へ立つが、無駄だった。
神機のみの出力では有り得ない莫大量の放電は全方位へ及び、効果範囲に存在する全ての物体へ、盾の後ろに回り込んでまで、その先端を触れさせた。
全身の神経系に無数の針を突き刺されているようだった。
眼球が破裂したように、視界が白く塗り潰された。
高圧電流は単純な痛覚のみならず、外皮と内臓にも差別無く爪を立てる。頭から足の先端まで、内臓の奥まで、あらゆる部位に致死量の電流が叩き込まれる。電気信号を用いる思考はシナプスの許容量を遙かに超える電圧に悲鳴を上げ、あっさりと機能を停止した。
逃げる間もなく、防ぎようがなく、今度こそ立てなかった。
そこから先に何が起こったかを、とうとうリンドウは覚えていなかった。