遮音性の高いヘッドセット越しにも、ヘリの激しいローター音が鼓膜に伝わってくる。鉄の床に着地していながらも全身を浮遊感が包んでいる。
高度二百メートルの上空を、エリナ・デア=フォーゲルヴァイデは輸送ヘリで運ばれていた。
飛行型に進化したアラガミの探知範囲に引っかからないよう細心の注意を払いつつ、エリナはゆっくりと流れていくように見える遠景を眺めていた。最寄りの支部からここへ至るまで、眼下には砂漠の海が広がっている。天気は眩しいほどの晴天で、湿気がない代わりに照りつける太陽が気温を高めている。カーゴドアを開け放ち、そこそこの強風が吹き込んでいるにも関わらず、背中にじっとりと汗が浮かんでくる。
『まもなく
ヘリパイロットの声がヘッドセットから響いてくる。エリナは外へ向けた視線を戻し、目の前で同じように着座している相手を見る。
今回の作戦の相棒と頷き合い、傍らに備えていた神機ケースを二人同時に手に取った。
中東、旧アラビア地区の一角。
全てが砂に呑み込まれた国が、今回の遠征地だった。
●
北欧本部陥落から五日が経ち、残されたフェンリル各支部は早々に対処へ追われることとなった。
榊支部長の指示通りに、一般人には”ヴィーザル”に関する情報開示はほとんど行われなかったものの、既に公共放送をジャックされた以上、例の映像は
何よりも、アラガミと併せて人間を殺した猟奇的な映像に不安を掻き立てられた者の方が多いのだろう。結成されたデモ隊に対してフェンリルは普段以上に口を閉ざし、ただひたすら「詳細確認中である」とお役所らしい返答をするばかりだった。この有様では、暴動が起こるのも時間の問題だろう。
また、北欧本部が敵の手に落ちたことについて、こちらは一切報道されていない。少なくとも極東支部近辺の火種は、上述のデモ隊のみとなっている。
混乱している外部とは裏腹に、神機使い達は次々と発注されるミッションをひたすらこなしていく生活を続けていた。ただ、その内容にも多少のアレンジが加えられていった。
例えば、極東における守りの要である第二、第三部隊には、通常の
他の支部も同様だ。遠征任務は控えるように調整され、自らの所属支部に駐屯するよう計られている。
一方で、抜けた遠征任務の穴については各支部の主力部隊が埋めるよう指示された。とはいえ限られた人数をさらに裂くことを考慮し、極東支部第一部隊は帰投した”ブラッド”と合流し人員を再編成。小規模な遊撃隊として分かれ、各遠征地へ出向することとなった。
本来であれば主力の部隊こそ支部に屯するべきところだが、あの声明以降”ヴィーザル”と思しき犯行が連日増加傾向にあり、対応するための人手が足りないという事態が浮かび上がった。主に神機使いを害すると公言して憚らないテロリストに備えるとなれば、嫌でも危機感を覚えるというものだ。
世界に現存する神機使いの中でも特に有能な者が集っていたのが北欧本部だった。その総本山があっさりと落とされた事実に、誰もが恐れている。自分を殺す死神が今にも襲ってくるのではないかと。
さらにその恐怖を後押しする報が、五日前に全支部へ伝えられた。
極東支部独立支援部隊”クレイドル”雨宮リンドウ隊長、及び神薙ユウ副隊長が”ヴィーザル”の尖兵と接触し交戦。
両名とも意識不明の重体。
現在はロシア支部にて集中治療を施されている。
●
砂の丘に、二人の少女が立つ。
遠ざかるヘリが巻き起こす風を受けながら、長槍型の神機を携えるのがエリナ。もう一人は、涼しげな淡水色の短剣型神機を展開する、銀髪の女性だった。
シエル・アランソン。”ブラッド”における頭脳と
どちらとも神機の調子を確かめ、問題無しと判断。通信機のスイッチを入れ、シエルが短い報告を入れる。
「
『CP了解。モニタリング感度良好。承前の通り、まずは旧市街地へ向かってください。御安全に願います。オーバー』
アラビア支部のオペレーターからの返答を最後に、通信が一旦切れる。エリナはシエルと視線を合わせ、ぺこりと頭を下げた。
「改めてよろしくお願いします、シエルさん。貴方とご一緒できるなら、とても心強いです」
「こちらこそ。ここから先は一蓮托生です。頑張りましょう」
「はい!」
気合いの入ったエリナの声に、シエルは柔和な微笑を浮かべた。
両隊の再編成にあたって重視されたのは、かかる危難への対応能力のバランスだった。激戦区で日々腕を磨く第一部隊の経験、特異な状況にあっても発揮される『血の力』を備えた”ブラッド”の突破力、この二つを程良い塩梅にする必要があった。
極東支部の判断としては、太平洋側から海路で侵攻される可能性については見切り、大陸側からの侵攻を危惧した。そのため、ユーラシア大陸の南北を両断するような偵察網を敷くこととし、各支部との連携のもと、非常事態時には近隣の地区に駐屯しているメンバーと部隊が急行できるよう配備された。
ロシアから身動きできない戦友への見舞いもかねて、北方へはコウタ隊長とジュリウス・ヴィスコンティが出向。エリナの同期であるエミールは、ギルバート・マクレーンと香月ナナと共にモンゴル方面。”ブラッド”隊長とロミオ・レオーニ、リヴィ・コレットはインド洋方面。そしてこの中東方面には、エリナとシエルの両名が担当することとなった。
少し前まで”ブラッド”の任務にヘルプとして駆り出されていたこともあるエリナからすれば、シエル・アランソンという神機使いの能力は非常に頼もしくあった。
幼少期から叩き込まれたという戦術理論に基づく鋭い状況判断は勿論のこと、特筆すべきは彼女の『血の力』だ。
能力は『知覚』と呼ばれる。いわば空間把握能力の拡張で、レーダーなどを用いずとも彼女自身が広範囲のアラガミを探知することが出来るというものだ。専用機材に接続すれば、作戦地域一帯に
彼女がいれば、大抵の敵影接近には対処できる。不測の事態が起こり難く、ある程度の余裕を持つことが出来るのは大きなアドバンテージだ。何より彼女の『血の力』はアラガミだけでなく神機使いにも及ぶため、”ヴィーザル”の所在にも鋭く感知してくれることだろう。遊撃としてこれ以上に適した人材は望むべくもない。
「北北東四十度、哨戒スポットまで徒歩約二十分ほどの距離ですね。行きましょうか」
「……車で行くのはダメだったんでしょうか。いくらなんでも熱中症で倒れそうなんですけど……」
「この辺りは砂の積載が深く、タイヤが埋まって身動きが取れなくなるそうです。そうでなくても走行音で敵に気付かれやすいというのがありますね。対空兵器を所持している可能性も無視出来ず、射程のギリギリ外まで、というのがアラビア支部の判断です」
「了解です……」
「目的地は最近まで前線基地でもあったので、補給設備は多少の用意があるとのことでしたから、そこまで頑張りましょう」
道中に日陰やオアシスは望めそうにない。ただでさえここへ着くまでに空路と陸路をそれぞれ一両日かけて移動しており、どれも快適な旅とは言い難かった。既に疲れを感じながら、エリナは一歩を踏み出した。
中東、旧サウジアラビア方面。
目的地はかつてイラクと呼ばれた首都近辺となっていた。被害報告の多いヨーロッパに隣接する地域であり、”ヴィーザル”の行動予測範囲にも入っている。依頼主であるアラビア支部は襲撃候補の上位に挙がっており、エリナとシエルがここに飛ばされたのもそれが理由だった。
先日の”クレイドル”が襲撃されたのは旧ロシアのモスクワ支部に程近い位置だった。にもかかわらず、”ヴィーザル”はロシアへ立ち入ることはなく
北欧本部を落とした本隊はその後、ロシアを回り込むような経路――地中海と黒海の間を南下するようなルートで、これまでにルーマニア、トルコに点在するハイヴが被害を受けていた。
例の宣言に
欧州の支部は後手に回らざるを得ず、被害状況の調査と収束に追われている。
次に現れるとすれば、カスピ海にぶつかってから再び北上するか、もしくは大陸の東へ向かうか。いずれにしろ、中継地点としてどこかのハイヴ、もしくは支部が襲われる可能性が高い。
エリナ達が向かう旧イラク首都は、数ヶ月前にアラガミの大群を討伐するための前線基地として整備されていた。物資の引き上げが充分にされておらず、人手が不足していることもあって無人の観測拠点として現在も放置されている。彼らのとんでもないフットワークの軽さを考えれば、この近辺に出没する可能性は高いと言えた。
額に滲む汗を拭いながら、エリナは呟いた。
「それにしても、本当に砂ばっかり……。ところどころに建物の名残らしいものはありますけど、アラビア支部の周りも砂漠だったし、とても人が住める環境じゃないですね」
「元々気候が穏やかではない地理ではありますが、やはりアラガミ……というより、オラクルの影響が大きいのでしょう。そうでなくとも、中東方面と言えば二十一世紀中も戦乱が絶えなかった歴史がありますから」
シエルの説明に、エリナは道中の暇潰しがてら読み漁った文献を思い出した。
湾岸戦争やイラク戦争。宗教観やプロパガンダのために度重なるテロリズム、鎮圧と銘打った政府主導の空爆作戦。こんなものが近代以降、ずっと続いていたという。
一日に何度も爆発が起こり、
その歴史に止めを刺したのが、オラクル細胞とアラガミだ。
戦争によって荒れた土地は、天候の変質によって大量の砂が呑み込むことで更地と化した。何もかもを砂の下に埋め、生き残った僅かな人間も、アラガミに喰い散らかされた。雲が発生せず、一帯の降水率は年間を通して二桁を切っている。草木どころか地下水すらも枯れ果て、
「BC兵器の類は使用されていなかったという話ではありますが、アラガミの生態に変異を及ぼす物質は多かったでしょうね。クアドリガ神種が初めて観測されたのが地中海沿岸という説もありますし、無関係ではないでしょう」
「連中、
エリナの疑問に、この猛暑にも鉄面皮の
「確かに、物資補給のみを考えれば欧州に留まる方が遙かに上策でしょう。しかしあの基地の魅力は、今も無人で運用されている点です。警報装置などを黙らせてしまえば、
「ああ、そこに先回りして潰してしまおう、ってことですか」
「そういうことです。或いは既に先行されているかもしれませんが、その様子を伺うのが今回の任務というわけです。
「……戦闘の必要はない、ですよね?」
「ええ。あくまで偵察、そして情報を持ち帰ることが目的ですから。……事と次第によっては、その限りではありませんが」
皮肉なもので、人類は壊滅が目に見えた時点で戦争を止めた。否、それは結局、牙を剥くべき敵がアラガミに変わっただけなのだ。人は今も戦い続け、命を散らす者は後を絶たない。
そうだとしても、人間同士が殺し合う必要は無くなった。
だが、”ヴィーザル”はその世相に真っ向から刃向かっている。既に複数のハイヴが襲撃され、少なからぬ神機使いが殺された。何よりエリナも無関係ではない、雨宮リンドウと神薙ユウの戦闘不能は手痛い損失だった。
欧州各地の支部やハイヴは厳戒態勢を敷いているが、それでも網目をすり抜けて、彼らはどこからともなく現れる。そこに神機使いがいるのなら、容赦なく殺しにかかってくる。
もし、
自分は、応戦することが出来るのだろうか。
「もし基地内に潜伏していると判断された場合、もしくは近隣に敵影を確認した場合は、アラビア支部に駐屯している正規軍分隊がすぐに出動してくれるそうです」
「神機使いに通用すると思いますか? シエルさんから見て」
「……どうでしょう。”ヴィーザル”の現有戦力がどういったものなのか、情報が少ない以上は分析しようがありません。ただ……」
「ただ?」
「北欧本部には有能な神機使いの他に、正規軍本隊も所属していました。数日前に挙がった報告によれば、警備隊等も全滅していたとのこと。それに加えて、モスクワの拠点を襲撃した神機使い。シックザール博士とアミエーラ陸曹の報告では、雨宮大尉らが敵と接触して数十分後、大規模な停電と電子機材の故障が相次いだということです。これまでに襲撃された拠点の被害状況、それに掛かった所要時間を考えると、殲滅力の高い部隊員が多く属していると、――月並みですが、現状ではこの程度の推測しか出来ません」
「リンドウさんとユウさんの経過って、聞きました?」
「酷いものだと、ジュリウスから連絡がありました。……失礼ですが、コウタ隊長からは?」
「何度か連絡しているんですが、詳しいところまでは教えてくれないんです。……ユウさんは、コウタ隊長の同期で一番の戦友ですから、気持ちの整理が着いてないんだと思います」
高圧電流を浴びたようだと、そういうことすらも伝え聞いただけだ。
敵情については今も詳細が判明していない。神機使いである以上、直近まではどこかの支部に所属していたはずなのだが、出奔した名簿に該当するものがなく、経歴も
”ヴィーザル”の尖兵と接触したリンドウ達も昏睡状態で、しばらくは口が利けないという。
ただ一つ、その尖兵は自らを”
「トール、北欧神話の雷神。……シエルさん、何か思い当たりませんか」
「解りやすいコードネームですが、未だに身元が割れていないというのが釈然としませんね。先日の録画映像と言い、こうまであからさまだと……」
言いかけた途中で、シエルが足を止めた。
否、固まったのは一瞬で、すぐに歩を再開する。しかし言葉は続かず、黙々といつもの歩調になっている。
怪訝に思ったエリナは、
「シエルさん?」
「静かに。あと五歩です、そこで屈んでください」
そんな指示と同時に、身体の内側に隠すようなハンドサインを見せてくる。
『二時方向』
『見るな』
ちょうどシエルが顔を背けている辺りだ。方角を示しておいて目視確認するなとは矛盾している気もするが、それでエリナも察した。
一歩、何の気も無いように、奇を
二歩、風の音が吹きすさぶ中で少しでも気配を
三歩、盛り上がった砂丘の向こうから、小さな瞬きが目に刺さり、
四歩、そこから射止めるような殺気を感じた途端に片手を掴まれ、
五歩、えっ、と思う間にしっかりとシエルに握られた手の感触を思う間もなく、
屈むというよりは飛び出すような姿勢で、二人は砂の海にダイブした。
その一瞬の後、空気を高速で切り裂き飛翔するものと、遅れて弾かれ爆ぜたようなもの、二つの音を聞いた。遠い砂丘のほんの一部を、小さな何かがささやかに抉った。
狙撃だ。
一方、ひとまず難を逃れたエリナは、顔中砂まみれで涙目になっていた。
「ぺっぺっ! うう、おいでなすりましたか!」
「その語形変化はどうかと思いますが……すみません、直前でいきなり。大丈夫ですか?」
伏せたままシエルが聞いてくるのを、エリナは片手で制した。恐らくチラッと光が反射したのは狙撃銃のスコープだろう。いち早く危険を察知した彼女が緊急回避として選んだのであれば、その判断に文句を挟む余地はないと理解している。彼女が手を引いてくれなければ、今頃自分の脳髄は貫かれていたかもしれないのだ。
トレードマークのベレー帽を被り直して、二人はその場から速やかに移動した。だだっ広い砂漠に障害物など期待できない――と思いきや、この辺りは堆積した砂の隆起が大きく、位置取りを工夫すれば目隠し程度にはなってくれる。敵の銃がどれほどの性能を持つのか解らない以上、まずは自分達の居場所を眩ませるのが先決だ。
「距離三〇〇と見ましたが、どうですか?」
「より正確には三二〇ぐらいです。それと、狙撃手は神機使いではありません。探知するのが遅れた言い訳にはなりませんが」
「……それって」
「教本通りであれば、狙撃手と観測手の二人組というのがセオリーです。我々は既に敵陣の中と考えるべきでしょう」
「いや、それもそうですけど、……一般人が、私達を攻撃してきたってことですか!?」
今の狙撃は牽制ではなく、確実にこちらを害する目的で放たれた。その意志を感じるだけの殺気があった。
エリナ達の敵は”ヴィーザル”で、あくまで反逆する神機使いというのが事前の覚悟だった。
だが、シエルの『知覚』はアラガミや神機使い――つまりオラクル細胞を使用する
シエルがそう言うのであれば、それは事実なのだろう。エリナにとってまずそれが衝撃だった。
フェンリルに属する神機使いの、絶対的な庇護対象。それこそが存在意義であると言っても過言ではない、守るべき一般人から牙を剥かれていると。
「……私にも信じ難いですが、モニターリンクしている支部からも
「……そんな。じゃあ、どうすれば」
「無論、出来ることをするだけです。――FE-04よりCP。攻撃を受けました。我々の位置座標を正確に報告してください」
『了解……えぇっ? い、いえ、であれば駐屯軍にすぐ出撃の指示を――』
「それには及びません。あまり敵方の神経を逆撫でする行為は早計と判断します。それよりまずは、我々の位置情報を」
『りょ、了解しました』
至極真っ当に驚いている管制官には全面的に同情するが、しかしシエルは淡々と情報を要求するのみだった。この冷静な判断力には感服する他にない。どんな修羅場を潜ればこうも落ち着いていられるのだろう。
それに、この場の座標を特定することが、何に繋がるのだろうか。
「エリナさん、広域マップを出してください。あまり悠長にもしていられません」
「は、はいっ」
数秒と待たず、管制官から細かい数字の経緯が報告される。広げた地図に指を這わせ、シエルはぴたりと一点を指した。
「我々がこの位置。銃声からして敵はこの辺り。……ちょうど目的地の辺りですね。エリナさん」
「はい」
「先程の言を訂正します。狙撃手は単独です。その点を踏まえて、この状況を打破しましょう」
●
そうして、狙撃手は見た。
右目でスコープを、左目で全景を。目に負担を掛けず、かつ戦場の全体を把握する――
と言うよりは、単に砂丘の一角が派手に巻き上げられたのだ。ジェットエンジンのようなとんでもない推進力を持つ何かが飛び出し、その暴風に
敵が動いた。スコープで拡大するまでもない。太陽の熱線に晒されてきらびやかに反射するのは――青の
こちらの射線を嫌うように、槍使いは半円状にを回り込む軌道でこちらへ接近してきている。直線的には狙わせてくれず、おまけに連射に適さない狙撃銃では如何ともしがたい動き方をする。
一方で、槍使いの方も高速移動を継続出来るわけではないようだった。変形した槍の内部に組み込まれた推進機構は確かに爆発的なスピードと移動距離を生むようだが、長続きしない。飛翔よりも跳躍と言うべきだろう。つまり、どこかで必ず、一瞬とはいえ足が止まる。
それは向こうも理解しているようで、半円を描く途中でジグザグに軌道修正を繰り返している。
見極めれば、その瞬間を狙い撃つことはできそうだ。
――まどろっこしい。そう思いつつ、狙撃手はバレていると直感した。
派手に動き回っているのは一人だ。もう一人がいない。そう考えれば、あれは囮だとすぐに解る。
だが、本命の姿が見えない。支給されたモニター機器からも、存在するはずのもう一つの反応がすっかり消えている。
背筋に悪寒が走る。死神が音もなく近付いてきているようだ。しかしその間にも、囮役は迂回しつつ着実にこちらへ向かってきている。
どちらも無視することはできない。
ならば、と狙撃手は、己の武器を持ち替えた。
銃弾は音速を超えるが、小さく細い。その特性を単発で一点に絞り込むのではなく、無数の弾幕として叩き込むための銃。被せていた幌を剥がし、帯状に繋がれた弾倉を叩き込む。ボルトを引いて初弾を装填。
地に固定された短機関銃を、槍使いの方へ向けた。
トリガーを引く。引きっぱなしにしていれば、銃は弾を吐き出し続ける。鼓膜を絶えず突き刺すような破裂音と、身体ごと持ち上げるような反動を、ひたすらに押し殺す。
流石に面食らったのか、槍使いの軌道が接近よりも回避を重視するような動きになる。それを追いかけるように、先んじるように、狙撃手は連射をひたすらに続ける。
役目を終えた空薬夾が大量に吐き出される中、狙撃手は慣れない音と反動の奔流に揉まれながらも、必死に機を伺った。
死神に足音は無い。だが、相手は本物の死神ではない。人間離れしているとはいえ神機使いも元は人間だ。仕掛けてくるタイミングは必ずある。
――そうして、狙撃手は見た。
もはや反復横飛びと化している槍使いに数百発の弾を撃ち続け、掠りもしないやり取りは一分と経たずに終わる。
莫大な装弾数の大型マガジンが空になると同時に、手元の小型レーダーが反応した。
打ち付ける
位置はよく見なかった。ただ、仕掛けてくるとしたら、と勘で判断した方向に目を向ける。
いた。
どんなカラクリで消えていたのかは謎だが、確かにそこにあった。
死神と言うには可憐に過ぎる少女が、こちらへ武器を掲げて飛びかかってくる。
抑え込まれる。抵抗できない。力の差は歴然。
事前に教え込まれた情報から、神機使いは恐るべき敵だと本能的に理解している。ここまで接近を許した時点で詰みだ。
だが、だからこそ、一矢報いることが自分の役目だった。
機関銃を抑え込んでいた左手に、あらかじめ握り締めていた物。掌にすっぽりと収まる、鉄製の卵のようなそれを見て、敵の少女は目を丸くした。
破片手榴弾。ピンはとっくに抜いてある。後はレバーから手を離せば、いくら神機使いといえども無傷では済まない爆破が襲いかかるだろう。もちろん自分も効果圏内だが、厭っている暇は無い。それが自分の役割だからだ。
不安定な姿勢で、それでも敵の方に放る。抑えを解かれた手榴弾のレバーが弾け飛び、空気中の酸素を吸い込むことで内部の火薬が反応し――、
その直前に、死神が空中で身を捻り、手榴弾を思い切り蹴り飛ばした。
一流サッカー選手のハットトリックのように、爪先から掬い上げ、身体強化された脚力によって、あらぬ方向へ放物線を描く。一秒後、視界の遙か外側で、それが爆発する音がした。
神機使いはなおも止まらず、蹴り抜いた姿勢をさらに転じて、落下の勢いを伴ってこちらの顔面を鷲掴む。
鼻っ柱を平らに潰され、脳を激しく揺さぶられ、狙撃手は意識を失った。
薄れていく意識の最中、音無き死神の声を聞いた。
「……終わりました。お疲れさまです、エリナさん。結果は上々ですよ」
●
結局、当初の目的地まで全力で突っ走ることになってしまった。
エリナの
本体の制御機構そのものが重いことを差し引いても、武器を振るう速度や手数への連携は、戦場において大きな強みになる。手数に勝れば戦略は柔軟かつ多彩になる。一撃は軽くとも、立ち回りの選択肢こそが生還率を上げる。
それゆえに、軽さに突出したのがエリナ達の神機だ。パーツそのものの軽量化を重ね、速度を
それをよく理解しているシエルだからこその指示だった。
無線機から出されるコース通りに、ただ突っ走ること。ただそれだけのオーダー。
敵の位置を大まかに割り出せたものの、確実ではない。ただし敵は単独で潜伏しているものとする。そう判断した材料は、地図上から見て取れた。雑談しながら歩いているうちに、いつのまにか目的地が程近くなっていたのだ。狙撃手の潜伏場所はちょうどその真上だった。
”ヴィーザル”は脅威ではあるものの、人足については不充分であるという予測が各支部で挙がっている。人手不足はどこも同じだ。
敵は前線基地へ既に先行している。この酷暑を考えれば、見張りに割く人員は少なく抑え、まめに交代を繰り返して消耗を防ぐのがベストだろう。二人一組などと言ってはいられない。
そんな条件から、シエルはほとんど即興で作戦を練った。
狙撃というものが二人一組で運用するのが常識である中、単独でこちらに奇襲を掛けたということは、狙撃手は一人二役を担わなければならない。遠距離への確実なスナイプは大前提として、もしも、いちいち狙いを付けていては仕返されてしまうほど接近を許した時は、どうするか。
失敗したと悟った時点で逃げることが正解だが、戦場では常に正論が罷り通るわけではない。万が一のために、必ずサブウェポンの用意はあるはずだ。そして自分に地の利があるとすれば、制圧力に長けた武器を選ぶだろう。
固定機関銃。そのうんざりするほど長続きする連射音と弾丸の雨を目撃した時、エリナは自分の役目を察した。時間がないからと無理矢理叩き出されたようなものだが、これで理解した。
こちらに目を奪わせていなければならない。射撃地点に接近するシエルの存在を気取らせてはいけない。
シエルの神機において銃身を担うパーツは、対アラガミ用に設計された狙撃タイプだった。そして彼女は、その特性もよく理解していた。
『隠密』。
アラガミの鼻や感覚器すらも
もちろん、アンブッシュに使うだけが能ではない。隠密効果が持続するのは銃形態のままで十数秒で、剣形態に変更するとすぐに解けてしまう。これを利用し、姿を消したまま敵に最接近して、何もないはずのところから飛びかかるという戦法も実に有効である。第二世代以降の神機を扱う者にとっては、この使い所の見極めが作戦の正否を分けることもある。
特にシエル・アランソンという神機使いは指折りの優秀な隊員だ。彼女が忍べば、もはや誰にも見つけられない。
結果として、シエルは敵の無力化に成功。自爆目的のグレネードはアドリブで蹴り飛ばし、無血での事態収束が叶った。
「……お、お疲れさまです、シエルさん。うまくいってよかった」
「エリナさんがよく動いてくれたおかげです。この人もこちらの狙いには感づいていたようですが、何とかなりました」
狙撃手は市街地の中、今にも崩れそうな建物の屋上に潜んでいた。
立派な街だったのだろうが、多分に漏れずアラガミの食欲に呑み込まれ、追い打ちのように砂漠化の波濤が押し寄せた。現在は街のほとんどが砂の下に埋まってしまっている。本来の地表は分厚く積み固まった砂の遙か下だ。
建物自体はかつての宗教に由来するものらしく、ドームの天頂には時告げの鐘を鳴らすための空間があった。狙撃手が選んだのはちょうど日陰になるポイントだ。元はそれなりの高さを誇る建築物だったろうに、もはやドーム状の天蓋部分しか露出していない。外の空気に触れている部分も、長い時間経過によって脆く風化しつつある。
エリナは相手の装備を改める。初手に用いられた大口径の
そして、先頃にシエルが言った通りの事実が目に入る。
狙撃手はアンブッシュ用にデザートカラーの野戦服を着ていた。その右腕をシエルが持ち上げる。
当然のように、そこに赤い腕輪は無かった。代わりに右肩に刻まれたパッチと胸元のドッグタグは、”フェンリル”の正規軍所属を表すものだった。
神機使いではない、ただの軍人、ただの人間だ。
ぎり、と奥歯が軋む音を立てる。
「……どういうことですか。どうしてここに軍人が」
「……気休めにもなりませんが、この人の所属はアラビア支部ではありませんね。北欧本部直轄、ドイツのものです」
「そういうことを言っているんじゃないです! だとしても、どうして! 正規軍の人間が、どうして私達を狙うんです!」
激昂するエリナに、シエルは何も答えなかった。
不意を突く狙撃、エリナの接近を抑える制圧射撃、シエルもろとも巻き込もうとした自爆攻撃……思い返せば、それらは確かによく訓練された習熟に基づく手際だった。特に最後の手榴弾は、己の命を捨てることに一切の躊躇がないように見えた。
任務に全てを捧げる軍人としては
この時代において軍人とは、神機使いに次ぐ重要戦力だ。その銃口が向けられる先はアラガミでなくてはならない。それが人間に、ましてや同業の神機使いに向けられて良いものでは、決して有り得ない。
つまり、神機使いの他にも、正規軍内部にまで裏切り者がいるということだ。
さらには、最悪なことに、この狙撃手は捨て身の攻勢を見せた。神機使い二人を相手に、己の命を懸けた。
その捨て身が、エリナには最も痛々しかった。
戦場においてそれは最も愚かな下策だと、大切な人達に教わったからだ。
何故そんなことを。何故、そこまでのことを。
暗い感情が脳髄を滴っていく。それは酷暑の環境にあっても氷のように冷たい汗となって、背筋を伝った。
「それも充分懸念すべきことですが――」
青ざめるエリナに対して、シエルは努めて静かに言った。
「エリナさん、気付いていますか」
「何がですか!?」
「落ち着きましょう。彼の目的は我々の排除や
同時に、聞き慣れない音が二人の四方を囲んだ。
ハッとなって振り返ると、いつの間にか周囲を十名ばかりの人間が立っていた。
腰に溜めるような持ち方をしているのは、これもやはり銃だった。黒光りする
死角や逃げ場はどこにも無い。統一された戦闘服の集団が、年端もいかない少女に銃を向けている。目深に被られた軍帽が
ただ間違いないのは、彼らもまた、偽りの無い殺意をエリナ達に向けていること。
狙撃手の最初の一発。砂漠に広く響き渡った銃声は、味方にも隈なく届いていたことだろう。それが呼び水となった。
さすがに身動きが取れなかった。
「そう、それでいい。様式美としては、両手を頭の後ろで組むところまでがワンセットだと思うがね」
どこからか、若い男の声が響いた。
軍人の輪を
他の軍人とは明らかに雰囲気が違う。ぴりぴりと周囲の空気が切り刻まれるような、次元の違う敵意と殺気。腰元に提げられている棒状の何かが、たまらなく嫌な存在感を放っていた。
「君達をこの状況に追い込むことが、そいつの役目だった。何のために
「…………」
「まあいい。よく聞け、僕らは君達を今すぐ殺しはしない。代わりに抵抗は考えるな。その場合は死なない程度に痛めつけることも許可されている。五体満足で済ませたければ大人しくしていることだ」
適度な距離を保ち、その人間はフードを取り払った。黒肌の
「解ったら、ついてこい。――僕らのボスがお待ちだ」
袖から覗く右腕には、赤い腕輪。
既に二人は、”ヴィーザル”の掌の上にいる。