ヴィーザルの復讐   作:あるばさむ

6 / 6
其は善意か、悪意なりや

 

 

「神機と通信機の類は全て没収だ。それと、まあ、捕虜らしくこれもな」

 黒肌の青年が兵士に持ってこさせたのは、一抱えほどもある手枷だった。

 黒光りする鉄の塊は雷管を抜いた砲弾のような丸みがあり、ちょうど人の手がすっぽりと包まれるぐらいの穴が空いている。穴の口径はご丁寧にも、神機使いの腕輪を収められるだけの大きさがあった。

 銃の射線に囲まれている状況では嫌がるわけにもいかず、エリナとシエルは大人しく両手を差し出した。兵士が手枷を差し込むと、穴の入り口がガチンと腕輪を噛む。

 ずしりと重い鉄塊が、否応なく両手を下げさせた。

「うちの専属技師の特注品でな。壊そうと思えば出来なくもないが、あまり勧めはしない」

「というと?」

「その重さの七割は火薬と起爆装置で占められている。無理矢理に外せばセンサーが反応してたちまちドカン、だ。少なくとも装着している人間の上半身は跡形もなく吹き飛ぶ」

 例えでも何でもなく砲弾に手を突っ込んでいるというわけだ。空恐ろしい製品説明がされてから、一行は砂の街を進み始めた。

 旧前線基地の正体は、砂に埋没した大規模シェルターだった。

 元は大型アラガミが巣にしていた大穴を偶然発見し、そこにトンネル建設と似た要領で周囲を固めて出来上がった、大きな鉄の箱だ。施工に当たった人員は日中平均気温四〇度と夜間平均気温マイナス二〇度という地獄に晒され、粉塵による呼吸器系などへの労働災害に見舞われたという。今もその遺骸は、静かな砂の丘に埋葬されている。

 ともすれば見落としてしまいそうなところにぽっかりと空いた横穴から階段が伸び、エリナ達は黙々と地下へ向かった。明かりに乏しく、踏み外しそうになる足下を、何とか一段ずつ降りていった。

 気の遠くなるような階段が終わると、広い吹き抜けの空間に出た。

 作戦基地の核だとエリナは見る。

 大きなデスクの上、広げられた砂漠の地図には無数の書き込みが這い回り、それらを覆い被すように雑多な書類がぶちまけられている。呆れる量の無線装置や、蹴り倒されたままのパイプ椅子などがあちこちに散っている。空間を照らす明かりは、それらの足下に転々と置かれたLEDランプだけだった。

 全員の靴音が固く反響する。集団の先頭を歩いていた”ヴィーザル”の青年は、地図を広げたデスクに近寄っていく。

 よく見ると、そのデスクに足を乗せている一人の大男がいた。

「トール、目標を連れてきた。ボスはどこだ?」

「…………」

「トール? ……おいコラ起きろ、寝てんじゃねぇデブ」

 見かけによらず静かな寝息を立てていた男は、青年の容赦ない鉄拳を脳天に食らって飛び起きた。

 唖然としながら見守る他にないエリナの目の前で、大男は寝ぼけながら周囲を見回した。

「ぅおお? お、おおぅ、”ヘズ”。敵襲か?」

「侵入者を連れてくると五分前に言ったばかりのはずだが? いよいよ役に立たなくなってきたか、その粗末な脳味噌は」

「寝起きの人間に対するテンションじゃねぇなあ、お前。起き抜けに拳骨ってどうなのよ。モーニングコールってのはもっとこう、トーストとコーヒーを両手に恋人が優しく起こすようにだな……」

「今すぐそのフザケたツラを胴体から切り離してやろうか。そうか、随分長く待ちわびたが、ようやくお前をこの手に掛けることが出来るわけだ」

「まあ待て。それはもうちょい後のお楽しみだ。――で?」

「ボスは、どこだって、言ってんだよ」

 こちらには背を向けているが、青年の一言一句全てに青筋が立っているのが感じられる。同じ”ヴィーザル”の仲間ではないのだろうか。気に入らない隊員への当たりの強さはエリナ自身にも覚えがあるが、この二人はよほど反りが合わないらしい。

 ……というか、とエリナは思い返す。

「トール……? あなた、まさか」

「あん? なんだいお嬢ちゃん、このハンサムフェイスに見覚えが? どこで会ったか知らないが、まだ俺の対象年齢ではないなぁ。もっと胸とか尻とか成長しないと俺のお相手は務まらないぜ。そう、そっちの姉ちゃんぐらいでやっとだ」

「その減らず口を閉じろ。お前を先に始末してしまいそうだ」

”ヘズ”と呼ばれた青年の堪忍袋は今にも爆発四散してしまいそうで、仲が良いのか悪いのか、どういう部隊なんだと思わなくもない。

 話を逸らされそうになるが、エリナもシエルも、トールという名前には反応せざるを得なかった。

 雷神の名を(かた)る”ヴィーザル”の尖兵。ロシアにて雨宮リンドウと神薙ユウを伏せったという、数少ない手がかり。

 その張本人だというのか。

「はン、その様子だとオレはもう指名手配っぽいな。だが素性までは明かせていないってところか?」

「……何故、そう思うのですか?」

「知っているなら、その程度のリアクションじゃ済まないだろうからよ。こりゃ本部潰したのが想像以上に効いてるな。うちのボスはそこまで考えてると思うかい、ええ? ヘズよ?」

「さあ。考えていてもおかしくはないと思う。なにせ千里眼とか言われていたからね」

「違いねぇ。――こないだ片付けた部屋があるだろ。あいつはそっちだ」

「とっとと言えってんだデブ」

 止めとばかりに椅子を思い切り蹴り倒し、トールがひっくり返って沈黙した。

 さて、と振り返ったヘズは、

「そういうことだ。槍持ちは隊長の部屋へ。短剣持ちはこっちだ。早くしろ」

「なっ……」

 合図と同時に軍人達が分割して動き始め、エリナとシエルを引き剥がした。それぞれ別方向に強制連行されそうになることへ異議を唱えようとしたが、後頭部にゴリッと固い銃口を当てられ、噛み殺す他になかった。

 支給された無線機の類は残らず没収され、アラビア支部へSOSを送ることもできない。定時連絡がない時点で異常を察知してくれるだろうが、応援が来るまでどれほどの時間がかかることか。

 孤立無援。まんまと敵の術中にハマっているような気分だ。こんな窮地はいつぶりだろう。

 大の男に囲まれつつ歩いていくと、程なくして無骨な扉が目の前に現れた。先頭の男がノックを数回、間を置かずに内側から返答。

「入れ」

 建て付けが悪いのか油を差していないのか、蝶番が不快な軋みを立てつつドアが開かれる。先に中へ入った男が、室内の人物へ最敬礼を示し、その後にエリナの背が乱暴に押された。

 広くはないが、何もない部屋だった。天井から吊り下げられた粗末な電球、中央には向かい合った椅子が二脚。その片方に、これもまた若い男が一人、座っている。

 顔立ちは北欧系だ。その割に珍しい黒髪には何本かの若白髪が見え隠れしている。年頃は離れていないと思うが、細められた三白眼からはそう思わせない落ち着きがある。

 とても静かな男だと、そう思う。

 ここまで連行してきた軍人連中はそそくさと部屋を後にし、外側から施錠した。この男の指示なのだろう。小さな覗き窓の向こうから、何人かが興味深そうにこちらを見てくる。

 二人きりとなった室内で、初めに男が声を発した。

「座ってくれ。楽にしていい」

 男は静かに笑い、向かいの椅子を指し示した。

 何の変哲もないパイプ椅子だ。座面の裏に爆弾でも仕掛けられているかと思ったが、そんなこともない。どのみち、武装の何もかもを奪われたエリナにはどうすることもできない。大人しく従うことにした。

 ぎし、と椅子の関節が軋む。対等の目線で向かい合って、エリナはようやくその男が神機使いであると知った。

 腕輪を填められた手を組み、男は語りかける。

「初めまして、極東の神機使い。日の昇る最果てから遙々ようこそ。手荒な歓迎で済まなかった。

 改めて自己紹介をしよう。俺達は”ヴィーザル”。俺は一応トップということになっている。”オーディン”とでも呼んでくれ。君の名は?」

 

    ●

 

 逃げ場のない密室の中で、エリナは目前の男こそが首魁(しゅかい)だと理解した。

 外の隊員達の態度が明らかに違うこと、”ヘズ”がボスと呼んでいたこと、予測していた中で最も大仰なコードネーム、そして何よりも、この特有の静けさがそう思わせた。

 幾多の戦場を潜り抜け、生き延びた者にしか発することの出来ない、静かな重圧。

 嫌な汗が伝う中、エリナは嗄れた喉から精一杯に絞り出した。

「……エリナ。エリナ・デア=フォーゲルヴァイデ」

「フォーゲルヴァイデ? あの財閥のご令嬢か。これは重ね重ね不躾な真似をした。なにぶんむさ苦しい男所帯なものでね。女性の隊員もいないことはないんだが、手段を選んでいる暇がなかった」

 しかし、とオーディンは言った。

「そんなお嬢様が何故こんな戦場に? フェンリルに対して指折りの貢献者であるフォーゲルヴァイデが、今更その名に箔を付けるためでもないだろう」

「…………」

「だんまりでは面白くない。ヘズが言っていなかったか? 俺は君達と話をしたくて、ここに連れてきたんだ。それとも、アラビア支部のへっぴり腰どもが救援に来るのを待っているのか?」

 薄々解っていたことをはっきり言われた。

 エリナは歯咬みを強め、必死にこの場を切り抜ける方法を考え続けていた。

 アラビア支部からの助勢は確かに期待できない。経緯は不明だが、”ヴィーザル”は訓練された軍人を抱えており、その実力は申し分ない練度にある。所属の異なる軍人同士がぶつかればそれこそ戦争状態だ。敵の規模が正確に計れていない段階での武力衝突は、藪から蛇を出すことになる。だからこそ、本来は外賓であるエリナ達が拘束されても、迂闊に手は出せない。支部の指揮官が短絡的でないことを願うばかりだ。

 フェンリルが慎重にならざるを得ないと、この男もそう理解しているということだろう。

 救援を望めないならば、自分で何とかするしかない。しかしどうすればいい。相棒のシエルと分断されたのは痛手だ。枷は身動きを制限するだけの重量があり、爆弾であるということも方便ではないのだろう。

 焦って暴れることだけは禁物だ。それは今までの現場でよく痛感している。

 であれば、自分に出来ることは何か。

 ……今すぐに手を下される気配は無い。そのつもりがあるならば、地上で囲まれた時点で蜂の巣にされていただろう。

 嘆息して、エリナは椅子の背もたれに身を預けた。安っぽい骨組みが軋む音を立て、オーディンの笑みが深くなる。その様子に腹が立つ。

 今はこいつのお喋りに付き合うしかない。いつになるかは解らないが、隙を窺う他に無い。

 そうしてエリナも口を開いた。先の質問は概ね無視することにする。

「……何が目的で、私達を生かすの? こんな大袈裟な道具まで出して、する事がお喋りだけ?」

「うむ、まさにその通り。俺は君達と話をしたかった、ただそれだけさ。情報交換会とでも思ってくれればいい。こんな殺風景なサロンで申し訳ないがね」

「は?」

「君は極東の代表としてこの中東にまで飛ばされたのだろう? 君だけではない、東側の各支部はユーラシア大陸を縦断するように監視の網を広げている。俺達”ヴィーザル”の尻尾を掴むために。であれば、これは千載一遇のチャンスではないか?」

 こちら側の動きが漏れている。そのことにも驚いたが、何よりエリナは、自分の両肩が急に重くなるような圧力を感じた。

 極東の代表。そして目の前の男は、”ヴィーザル”の首魁。この部屋で誰が対峙しているのか、その意味をようやく悟ったようだった。

 こちらからは手が出せず、しかし敵に害意は無いのなら、せめて多くの情報を持ち帰らなければならない。

 事実、北欧本部が陥落したことで、極東支部も少なからぬ負担を受けている。通常任務ですら手が足りないというのに、各支部との平時よりも綿密な連携を余儀なくされた今、指令塔である榊も思うように動けないのが現状だ。

 無様に捕まっただけでは終われない。これからの対策を練るに有用な何かを掴めるかもしれない。それを持ち帰るのが自分の仕事だ。

 この手の空中戦はそれこそシエルの方が得意だろうが、この場にいるのは自分だ。

 腹を括るしかない。これも任務だ。

 だが、それを承知したところで、それを促す目的が解らない。

「ふざけてるの? あんた達はこの数日でいくつものハイヴを潰し、その場に居合わせた神機使いを殺した。極東支部だけでなく、フェンリルは”ヴィーザル”とかいうテロリスト集団を討つべき敵と捉えている。そんな連中を相手に情報交換ですって?」

「物怖じしない若さは大変結構だが、まあ、どう捉えるも君の勝手だ。だがな、いいか? 話の展開次第では、俺達の情報と目的を聞かせてやってもいいと言っているのさ」

「もう一度聞くわ。何のために?」

「遅過ぎるからだ。フェンリル、お前達は昔から何もかもが遅い」

 言葉を切り、オーディンもパイプ椅子に深く座り直した。

「たかが矮小なテロリストでしかない俺達の身元を割り、居場所を特定して攻勢に出るまでに一体どれだけ時間をかけている? その様子ではこちらが何を目的に動いているのかも分かっていないのだろう。本部のサーバーを壊したのは確かに俺達だが、たかがサルベージにすら手間取っているのか? そんなことだから現場に不満が溜まるんだ」

「……どういうこと? それじゃあ、まるで……」

 彼らは自称にしろ他称にしろ、一貫してコードネームを使っていた。名前そのものに秘匿性があるのかは謎だが――否、それにしても、北欧神話の主要な神の名を騙るのは安直に過ぎる。あんな大仰な名前を、冗談ならともかく真面目に自身の代名詞として使うなど、面の皮が厚いにも程がある。

 コードネームというよりは、通り名なのか。

 そうであれば、まるで。

「まるで、見つけてもらいたがっているようだ。そうは思わないか?」

 見透かしたように男が言った。エリナの様子を見て、意を得たりとばかりにニヤニヤと笑う。この”ヴィーザル”という集団は、どうも他人を虚仮にして面白がっているきらいがあるようにしか思えない。先のトールという男からもそんな気配がした。

 オーディンは居住まいを正し、

「意味のある時間にしよう。俺は俺達の話をする。そして記録を仲間の元に持ち帰るんだ。それこそ俺達には望むところだと、話が終わる頃には君にも納得してくれていることだろう」

 

 だから、彼は言った。

 

「世界が終わると、考えたことはあるか?」

 

    ●

 

「……世界が、終わる?」

「そうだ。徒に世論を掻き乱そうとする妄言ではない、現実の問題として、それを捉えたことはあるか?」

 唐突に始まったスケールの大きさに面を食らったが、付き合うしかないと決めた以上、その意味をエリナも考える。

 それは、この時代に生きる人間にとって、常に隣り合わせにある題目と言える。何せ自分は神機使いであり、その神機を使う目的は、

「アラガミのことを言っているの?」

 人類の天敵、秩序の破壊者、滅びをもたらす荒ぶる神。色々な呼び方はあるが、あの存在こそまさに世も末といった体現であろう。

 しかし、オーディンは首を振った。

「それは問題の一部に過ぎない。問題は、そもそも何故そのアラガミ、オラクル細胞などというものが表に出てきたのか、だ。太古から存在していたのか、それとも宇宙から飛来したのか。それらを考えたことはあるか?」

「無いわよ。座学では一通り履修したけど、私は考古学者になりたいわけじゃなかったから」

「そうだな。俺も一緒だ。倒すべき敵の方が多かった。そんなことを考える暇など無かった」

 オーディンは、無意識にか、右腕の赤い腕輪をさすった。

「順を立てて話すとしよう。フォーゲルヴァイデ、君も、そして俺も、共通点は”神機使い”であるということだ。そうだな?」

「……それが?」

「では、神機使いの定義は何だ?」

 それは、とエリナは答えた。

「神機を扱える者。アラガミと戦える者。そうして、人々を守る者」

「フェンリルの広告を鵜呑みにして育ってきたな。だがそれも間違いではない。では、俺達がその神機を扱える、そのように成り立つ要因は何か? ヒントは俺と君の右腕にある」

「……腕輪? いや、そうじゃなくて……偏食因子のこと?」

「そうだ。それこそが、俺達を人でなしにしている因縁だ」

 人でなし。彼は吐き捨てるようにそう言った。

 神機使いになるには、まず適合検査を受け、偏食因子と適合率の高い者としてピックアップされる必要がある。ここで用いられる偏食因子とは、アラガミの『好き嫌い』を誘導する物質――本来人間の体内には含まれていないゲノムだ。

 薬物の投与に副作用があるように、この偏食因子も相応のリスクがある。適合さえすれば人知を越えた身体能力を得るが、そうでなければ、逆に喰われる。

 神機とは、人間の技術によって抑えられたアラガミだ。それを振るう人間もまた、尋常のままでは身体が耐えられない。それを克服するために、身体の内側から徐々に改造を施していく。そのために偏食因子投与という実施されている。

 数々の失敗と尊い犠牲を経た上で、現在では安全性も高まっているものの、これが最初の難関と言えるだろう。なにしろヒトではないものを身体に受け入れるのだから。

 その点では、神機使いは常人ではない。戦闘のために改造されているのだから。

 だが、

「望まずに神機使いになる人なんていないわ。適合検査のピックアップは無差別だけど、最終的にフェンリルへ加入するかは本人の意思が尊重される。誰もが望んで神機使いになった」

「君は望んでこの道を選んだようだな。しかし今の時代、フェンリルの軍門へ下る以外に選べる仕事などたかが知れている。せいぜいが技術系の裏方仕事か。おまけに、慢性的な人員不足と言えども管理できる人員にも報酬のリソースにも限りがある。あぶれた連中は僻地送りだ。それを知らないわけではないだろう?」

「そのためのサテライト拠点よ。支部直下の居住域に入れない人々のために”クレイドル”は頑張ってる。それをあんた達は、リンドウさんを、ユウさんを……!!」

 ロシアで意識不明の重体となった彼らを知らないエリナではない。どちらも尊敬する先輩であり、極東にその者有りとされた比類無き実力者だ。何よりも、あの独立支援部隊設立を唱えたのは彼らに端を発するという。

 誰もが安心して眠れる揺りかごをつくるために。

 そのために先陣を切って行動する彼らは、後輩であるエリナにとっても誉れだ。

 それを、この連中は、よく解らない目的のために。

 椅子を蹴り飛ばし、エリナは激昂した。

「そっちがその気なら遠慮なく聞かせてもらうわ。同じように望んで神機使いになったあんた達が、どんな大義があって同士を殺すってのよ!」

「これからの時代に神機使いは不要になる。そのためだ」

 対して、オーディンは落ち着き払ったまま言い切った。

「その通り、俺も、他の隊員も、望んで神機使いとなった。ただの軍人もいるがね。だが誰もが俺の思想に賛同して、この作戦に臨んでくれている。俺達は、これからの時代を憂うからこそ、神機使いを殺す」

「答えになってない! その理由が何なんだって聞いてんのよ!」

「神機使いも、アラガミも、大差ない怪物だからだよ」

 まあ座れ、とオーディンは促した。

 エリナはそのまま立っていた。

「俺達が神機使いで在り続けるために必要なことは何だ? 神機使いにおける日常的なメンテナンスにおいて必要なことは何か、解るか?」

「……偏食因子の定期的な投与」

「それを怠ると、どうなる?」

「…………」

 フェンリルという組織が長く秘匿してきたことだが、最近になってからは誰でも小耳に挟むぐらいはしていることだ。当然ながら、エリナも知らないわけではない。そうなった人物が身近にいるからだ。

 アラガミ化。

 文字通り、神機使いがアラガミに化けるという現象。

 神機使いの人体に組み込まれた偏食因子は、定期的に繰り返し投与を受けなければならないとされている。接種量は厳密な定義を確立されており、多くても少なくてもいけない。腕輪はそのための役目も果たしている。これを失った神機使いは、そう時を待たずに”崩壊”する。

 雨宮リンドウは、とある作戦中にその危機に瀕した。いくつもの幸運と奇跡が重なって現在に至るものの、大抵は悲惨な末路を辿るという。

 だが、

「現行の神機使いには何重もセーフティが組み込まれてる。一昔前ならともかく、今は安全と言える水準にまで技術は達してるわ」

「そうか。君はまだ地獄を見ていないのだな」

「…………」

「青二才はまだ知らなくても良い。だが、いずれは見せつけられる地獄だ。情報管理局の連中は毎日のように見ている地獄だ。戦場では必ずしも満足な補給を受けられるとは限らない。俺達は神機ばかりか、身体の中にまで怪物を飼っている。腹を空かせれば持ち主ごと喰らうような怪物を。まずはそれを自覚しなければならない」

「だから殺すって言うの? 定期的に投与を受けてさえいればその心配は無いってことは、引退した神機使いが生存していることが証明してる!」

「そう。あらゆる物資は有限だが、あれはアラガミから千切り取れば済むものだからな。半永久的な供給は可能だろう」

 しかし、とオーディンは言った。

「それはアラガミが野放しになっている現状を是とする理屈だ。いつ、どこで悲劇が起こるかも解らない理不尽な世界を、そのままで良いと目を逸らす行為だ。アラガミがいなければ神機使いは死ぬ。滅ぼすべき敵を無くして、我々は生き永らえることすらできない。そんな依存をいつまで続ける?」

「……それは……」

「俺はそんなものは御免だ。だから俺達は、この血を受け入れた同士すらも救う。作戦通りに事が進めば、神機使いは必要ではなくなる」

 言っていることは解る。大義として筋は通っているのだろう。だが、解らないのはその方法だ。

「どうやって。神機使いがいなくなれば、それこそアラガミに対抗する手段が無くなる。既存の兵器ではアレを殺し切れない。それこそ人類は今度こそ滅亡する」

 どんな筋道を見出して、彼らは行動しているのか。

 エリナの問いに、オーディンは答えるでもなく、また語り始めた。

「神機使いという存在そのものにリスクがあり、しかし無くてはならない武器であるからこそ、神機使いは廃業しない。そこまでは理解したな? では話を初めに戻すとしよう。――世界が終わる原因に何がある?」

「……アラガミ化が直接の原因になるってこと?」

「いいや、それは一端に過ぎない。世界終焉へ至るシナリオというもの自体が多岐に分かれる。もっともどんな道を辿ろうが最終的にはオラクルに滅ぼされるがね」

「終末捕喰……」

「そう。世界の再生プログラム、生物進化の袋小路に用意されたやり直し。オラクル細胞が発見されたのは二十一世紀も末に迫った頃だという。――つまるところアラガミとは、この終末捕喰へと段階的に事を運ぶためのシステムの一環だと、多くの有識者が公表している」

 そもそもが与太話として一蹴された終末思想だ。天変地異が長く続くとこのような話が市井に流布するのはよくあることである。だが、近年中に発生した諸々の事件から、決して酔狂ではないと重要視されるようになった。

 実のところ、極東では少なくとも二回、その危機に瀕している。それも人為的に、だ。

 アラガミは惑星上の既存物質を分け隔てなく捕喰するが、その性質はアラガミ同士にも及ぶ。アラガミ同士が共食いする現象は、昔から幾度も観測されてきた。

 共食いを繰り返したアラガミは細胞ごと組み替えるような変質を遂げ、より強力な個体に進化する。昨今は特に変異体の目撃情報が急増しており、ベテランの神機使いでも手を焼く任務が多い。

 そして、終末思想の概要とは、その変質を最終段階まで高めた上位個体――”ノヴァ”と呼ばれる完成系が引き起こすものだと言われている。

 これを人為的に創造しようと企んだ者達がいた。

 極東支部近海の人工浮遊島”エイジス”では、前支部長ヨハネス・フォン・シックザールが。

 極致化技術開発局の移動要塞”フライア”では、あの”ブラッド”を創設したラケル・クラウディウスが。

 前者の時分のエリナはまだ幼かったが、後者の事件はつい一年ほど前にようやく収束の兆しを見せたばかりだ。副次的に発生した”螺旋の樹”の一件以来、しばらくは本部の査問委員会が極東支部関係者を残らず掴まえては事情聴取を繰り返し、エリナもそれに巻き込まれた身である。

「……それがどう繋がるの? まさか自分達で起こしてやろうとでも言うつもり?」

「だとしたら?」

「あれはただの神機使いが数人集まって頑張ったところで起こせるものじゃない。組織単位のリソースと長い時間をかけて、ようやく人為的に引き起こしたの。それも全て失敗に終わっている」

「ある程度の事情は知っているようだな。それは結構。――その通り。どれだけ古巣でもてはやされていようとも、結局やれることは限られている。神機使いは駒でしかなく、アラガミを討つことが仕事だ」

 膝の上に乗った腕輪をさすりながら、オーディンは言う。

「俺に限っては十代の頃に適性検査を通って以来だから、かれこれ戦歴は十年以上になる。これまでに色々な戦場を渡り歩いた。うんざりするほどに。だが、最近になって一息を着けたからこそ、その意味を考えられるようになった。殺しても殺してもどこからか湧いてくるアラガミどもを、数えるのも面倒になるほどに殺してきた意味は何なのか」

 単刀直入に言えば、と、溜息のような息継ぎを挟み、

「まったく無意味だった」

「…………」

「一個体のアラガミを行動不能に追い込んだところで、時間が経過すれば霧散したオラクルが再結集し新たなアラガミとなる、そのサイクルのことではない。オウガテイルだろうとハンニバルだろうと、個体の討伐難易度など些末な問題に過ぎなかった。それらを討伐することは、人類の生存を長引かせる以上の意味は無い。もっと大きな視点が必要だった」

 接触禁忌種と呼ばれる危険なアラガミすらも些事であると、目の前の男は言った。

 例え小型であろうともアラガミである以上、その脅威に変わりは無い。人が死ぬ可能性があるのなら、それは危険だ。制御はできず、問答無用で襲いかかってくる。侮った人間から先に死ぬ。エリナは少なからずその惨状を見てきた。

 力及ばず命を落とした人達を愚弄されたようで、ふつふつと沸き上がる怒りを抑えながら、しかしエリナは、このオーディンという男は決してアラガミを侮っているわけではないと感じる。十年以上も生きながらえているベテランの言であれば、それはその人なりの哲学なのだろう。

 戦うことに疲れた、という様子でもない。無駄だと悟っていて、それでもなお諦めたという様子でもない。

 オーディンはそのまま語り続けた。

「いつか言ったな。俺達には時間が無い、俺達は気の長い性分ではないと。本当ならこんな風にだらだらと喋っていることすら勿体無いぐらいに、状況は逼迫している」

「その割りには随分面白そうに話してるように見えるけど?」

「あまりこの手の話に付き合ってくれる奴がいないもんでね。ヘズが選んで寄越したのが君なら、多少は楽しめると思っている」

 無作為に引き剥がしたわけではないらしい。自分が選ばれた理由がよく解らないが、ともあれエリナは「あっそ」と話の続きを促した。

「本気で、そのつもりなの?」

「誤解しているようだがな、俺達は破壊者ではあるが、ただ滅ぼすだけで手放すつもりではない。シックザールもクラウディウスも、ただそれだけで事を起こしたのではない。己の理想を遂げるために必要だから、それに着手しただけだ」

「同じよ。己の理想のために犠牲を肯定する奴なんか、みんな悪党だわ。どんな大義名分があろうと関係ない」

「そう、俺達は畜生にも劣る極悪人だ。そうでなければ成し得ない理想もある。生命を根絶やしにすることなく、人類を救済する。この怪物が蔓延る地獄を、元の在るべき形に戻す。この道筋は、ただ善人であるままでは成し得ない」

 例の映像でも言っていたことだ。

 終末捕喰の引き起こすこと自体は否定しない。だが、それだけではない。

 絶対的な滅亡を引き起こす最終手段すら途中経過でしかない。

 ならば、その先には何がある?

「そもそも終末捕喰のトリガーたる”ノヴァ”の発生は人為的とは限らない。あれは世界のエコシステムで、どこででも起こり得ることだ。では世界が滅ぶのはいつだ? 数百年後かもしれないし、明日になるかもしれない。次の瞬間にも滅びは起きるかもしれない。まるで導火線に火を点けた爆弾だ。いつ吹っ飛ぶかも解らない爆弾の上で俺達は暮らしている」

「だから、時間が無い、と?」

「そうだ。では、最悪の結末を避ける方法は何だ? 無論、起爆しないよう努めること。または起爆したとしても、その余波を可能な限り外に漏らさないこと」

「臭いモノには蓋ってわけ?」

「――ふ、ふ」

 たまらず、といった様子でオーディンが吹き出した。

「……何がおかしいの?」

「いや、なかなか話が早い。ここまで想定通りに受け答えしてくれると気持ちがいい」

「馬鹿にしてるわね」

「まさか。将来有望だよ。ほんの少し縁があれば、君もこちら側にいただろうに」

「冗談じゃない。誰が人殺しに荷担するもんですか」

「そう言うな。君はもう答えに辿り着いたぞ。それこそが我々の最終目標だ」

 口元を押さえ、肩を小刻みに震わせながら、オーディンは続けた。

「蓋をする。まったくその通りだ。そしてその希望は既に見えている。君の方がよく知っているんじゃないか? 極東で毎日戦っている君であれば、その方法が」

 その言葉に、エリナはほんの僅かに逡巡する。

 オラクルを止める希望。極東の所属である自分が知る希望。

 すぐに思い至る。

 それは、

「…………”聖域”」

「そうだ」

 オーディンも短く首肯した。

”終末捕喰”という世界を滅亡させる最終フェーズが、多くの精鋭によって止められた成果。

 因果が絡み合って出来上がった”螺旋の樹”が崩壊し、その跡地には信じられないほどの草花が息吹いていた。

 普段から鉄と油にまみれ荒廃し切った世界に慣れている身としては、まさに世界を作り直した夢のような光景が広がっている。情報管理局の声明では、あれこそがアラガミの出現する前の時代を再現したものであるらしい。

 その土地が聖域と呼ばれる所以は他にもある。あの一帯においては、アラガミを含めたオラクル細胞の機能が完全停止する。

 一部のアラガミが発する特殊な偏食場と類似した効果と予測はされているが、詳細なメカニズムまでは現在調査中だ。何であれ解っていることは、この世界で唯一アラガミが入り込めず、オラクル技術の塊である神機も例外なく使えなくなるということ。

 現在は管轄を”ブラッド”に任されており、生態系の観察や環境整備を行なっている。苦労して建てたログハウスや、土から作った畑などは、立ち入りを許された人間の心を癒すスポットとして大事にされている。

 外敵を寄せ付けない絶対不可侵。怪物のいない穏やかな世界。誰もが夢見た楽園。

 それを今、引き合いに出す意味は。

「……馬鹿馬鹿しい。そんなことのために人を殺したっての!?」

 何が目的かなど、話の流れで大方は察している。問題なのは、その方法だ。

 対して、オーディンは幾度も話してきたような慣れた口調で言った。

「全世界に聖域を拡散(・・)する。世界の在るべき姿を取り戻すには、これしかない」

 

    ●

 

「出来るわけない」

 オーディンの言葉を聞いて、エリナは一蹴した。

 しかしその返しは彼の方も予測していたようで、即座に二の句が継がれる。

「”螺旋の樹”が崩壊した跡地、その”聖域”。あれこそまさに人類の希望だ。君達が成し得た奇跡こそが鍵となる。我々”ヴィーザル”は、あの聖域を敷き詰める。一部の隙間も残さず、世界中に新たな土壌を上書きする」

「出来るわけがない! あれは奇跡の産物よ、そう簡単に複製できるものならとっくにやってる! なんで極東が慎重にやってるか解ってないの!?」

「解らんね。極東の(ことわざ)でも”善は急げ”と言うだろう。今すぐにも為すべきだというのに、なんとも役人どもに保守派の多いことか。実地調査の必要性は認めるが、せめて拡張の可能性追求も同時進行するべきだとは思わないか?」

「やってるわよ! だけど迂闊に触れるべきではないと現場が判断して、榊博士もその指針で承認している! そもそも成立のプロセスすらはっきりと解明できてるわけじゃないのに、そこらの神機使いが数人集まってどうこうできる代物じゃないのよ、それも解らないの!?」

「複数の終末捕喰が同時に起こり、それらを共食いさせることで自らを停止させる。然る後に特異点そのものを破壊する。簡単なことだ」

 エリナの激昂もそこで止まった。

 それは最上級の機密事項だ。そこまで知っているのか。

 自身を落ち着けるように、オーディンは嘆息して言った。

「支部外秘とはいえ、本部にまで隠し立てるわけにもいかないだろう。ある程度の権限があれば閲覧できる記録だ。これでも北欧ではちょっとしたものだったのでね」

「……そこまで知ってるなら、解るでしょ。聖域の発生には終末捕喰のプロセスが外せない」

「そうだな。楽園を生み出すためには、まず世界を滅ぼす危機に瀕しなければならない。皮肉なものだ」

 目の前の男は、何とも感じていないように言う。

「それがどうした。虎穴に入らずんば虎児を得ず。リスクに怯えていては勝利することも出来ない。我々神機使いは、戦場において常々直面していると思うが?」

 実力が上がるほどに無茶な作戦や難題を突きつけられる。まさに生死を行き来するような理不尽が当たり前のように存在する。

 だが神機使いとは、困難を打ち破る仕事だ。そうでなければならないからだ。怖じ気づいて退けば、多くの命が奪われる。だからこそ、かかる困難には自ら進んでいかなければならない。

 そうでなければ、勝利はないからだ。

 ――それとこれとは話が別だ。

 皮肉ではない。その二つは天秤に乗せるべきものでもない。

 この時代において、ハイリスク・ハイリターンなど、端から破滅しか用意されていない。 

 何より怖気を誘うのは、最悪のケースを想定していないかのような口振りだ。

 ややあってからオーディンは立ち上がり、部屋の隅へと歩いていく。明かりの届かない場所で何やらごそごそとまさぐり、卓上灯をぽつと点けた。そこにちょっとしたサイドテーブルがあったのだと、エリナは初めて見た。

 丈夫な作りの電気ケトルと、カップがいくつか。インスタントコーヒーの瓶を開けて、カップの一つに雑に粉末を落としていく。

「さて、思いの外盛り上がったな。喉は渇かないか? 思えば砂漠を行軍してからここまで水分補給もしていないだろう。この通りコーヒーしか用意していないが」

「……誰が飲むか」

「毒など盛ってないんだがね。では気分転換にラジオでも聴こう。気が利くDJが少ないのが難点だが、たまに掘り出し物があったりもする」

 同じく卓上に置かれていたプレーヤーとスピーカーにスイッチを入れる。ここは砂に埋もれた地下で電波など届くはずもないが、よく見ると長いケーブルが部屋の隅を伝っている。有線で受信できる仕組みなのだろう。

 とてもそんな気分ではない。聞かねばならないことは山のように残っている。

「ふざけないで。聞かせなさいよ、そんなリスクに賭けようなんて何考えてんのよ! あんたが言ってるのはただのテロリズムよ!」

 リスクを背負ってまで実現しなければならないリターンはあるのだろう。

 聖域の拡散とは、つまり事実上、世界中からアラガミの脅威が無くなるということ。それそのものは賞賛すべき思想だ。

 だが、そのために支払う代償が大きすぎる。

 成功すれば御の字だろう。だがその失敗は、即ち世界の滅びだ。

 先人達が積み重ねてきた偉業と奇跡によって幾度となく救われては辛くも繋がれてきた未来までもが、今度こそ喰い尽くされる。

「世界を救うために、全人類が喰い殺されてもいいってわけ!?」

「静かに」

 オーディンは答えず、エリナを黙らせた。丸いツマミを慎重に動かしていく。

「ラジオが聞こえない。この時間はちょうどニュース番組なんだ」

 音量が上がり、耳障りな砂嵐が部屋中に満ちていく。チューナーを徐々に回していきながら、目当てのチャンネルに寄せていく。雑音の中から、人の声が明瞭に浮かび出てくる。

 丁度良いタイミングだったのだろう。その第一声に、エリナは否応なしに黙らされた。

『臨時ニュースです』

 FBCでも馴染みのある女性キャスターの声だ。テレビ放送と同じ音声をラジオの電波にも乗せているのだろう。普段の落ち着き払った様子が耳心地良いというのに、彼女は酷く焦っているようだった。

 

『――世界各地で暴動が巻き起こっています。情報によりますと、イギリス、イタリア、ロシア、パキスタン、中国、台湾、以下多数のフェンリル支部周辺にて同時テロが発生。死傷者は多数にのぼると見られ、フェンリルは一連の事件を、先日公共放送をジャックしたテロ集団”ヴィーザル”の首謀によるものと判断しています。市民の皆さんは近隣の支部、または避難用シェルターへ逃げてください。現地のフェンリル職員または神機使いが誘導しています。繰り返します、世界各地で暴動が発生しています。これは訓練ではありません。市民の皆さんは一刻も早く安全な場所へ避難を――』

 

 ぶつん、とオーディンがスイッチを切った。それきり、狭い部屋の中を静寂が包んだ。

 部屋の中を、安っぽいコーヒーの香りが満たしていた。

 一口、二口とそれを飲んで、オーディンはようやく口を開いた。

「これが答えだ。意味が分かるか? 俺が、遅いと、そう言った意味が」

「……なに、今の」

「全世界で息を潜めていた同志達が動き出したのさ。この日、この時間、世界に火を放てと。先導しているのは神機使いだが、戦力のほとんどは民間人だ。アラガミの相手にはならずとも、人間相手であれば事足りる戦力だ」

 片手をズボンのポケットに突っ込み、その中から艶消しの鉄塊を取り出した。片手に収まるサイズのそれは、フェンリルに属する正規軍がよく身につけている拳銃だった。

「こんなものでも命を殺せる。むしろ前時代においてはこれが主流だった。ただの人間はもとより、神機使いでも撃たれれば死ぬほど痛い。いくらなんでも蜂の巣になれば死ぬ。そのために与えた、力無き者のための武器だ」

 テロリストを主導とした、民間人の武装蜂起。

 その字面だけでも、エリナの思考は最悪なイメージを思い描いた。

 まさか拳銃が主武装とは言わないだろう。自分達に奇襲をかけた兵士の装備を思い出す。同程度の武器が支給されていると考えていい。

 ニュースで報じられた地域だけでも範囲が広すぎる。各支部は己の拠点防備を固めることを優先したために、地方のハイヴへ割く人員が普段よりも手薄になっている。最低限の警備しか付いていない状態だ。それでも有事の際には迅速に展開できるよう、むしろ監視の目は強めている。

 だが、とエリナは想像する。

 間に合わない。

 最初に被害に遭ったハイヴの時と同じだ。各拠点から現場へ向かうまでにどれほどの時間がかかる? それまでにどれだけの被害が出る? その間にゲリラは用事を済ませてとっとと退散することだろう。

 守り切れず、また、悪人に縄を掛けることも出来ない。

 最悪だ。

 その首謀者であるオーディンは、黙りこくったエリナに構わず喋り続けた。

「俺の友人曰く、世界とは、神の創りたもうた箱庭なんだそうだ」

「…………」

「全知全能の創造神が片手間に、暇潰しがてら創った世界。ほんの少しの神秘や奇跡を残して、神は世界を手放した。箱庭の中の群像劇を、遙かな視点で楽しむために。俺達は知性を与えられた人形に過ぎず、全てが大いなる意志に仕組まれているとも知らず、滑稽に踊るしか能のないピエロなのだと」

「…………」

「そしてアラガミは、いい加減に飽きた神が箱庭を造り直すために投入したレジストリのようなものだと。いいや、或いは人知を越えた困難を敢えて与え、醜く抵抗する人間どもの景色を楽しむためのテコ入れではないか。娯楽には新鮮さが欠かせないから、と」

「…………」

「ならば、この非情な世界も神の設計通りなのか? 幾度ともしれないリセットが神の定めたものなのか? 人間の創造、破壊、そうして紡がれてきた歴史の全てを”無かったことにされる”のが前提の演目プログラムだというのか? ――そんな不条理を一体いつまで甘受し続けるつもりなんだ? ここに生きているのは間違いなく俺達だというのに」

「だったらどうしてこんなことを起こすの」

 自分でも驚くほどに、ひび割れた声が出た。

 もはや聴くに堪えない。この男の言うことは全て戯言だ。矛盾の塊だ。こんなものに追従する部隊も理解できない。

 崇高な目的なのだろう。これは人類の存亡を真に憂えているからこその革命なのだろう。思惑通りに事が進めば、きっと今とは違う現実に変わるのだろう。

 だが。

「そもそも聖域を広めることが目的なら、神機使いを殺す必要はない。聖域の効果圏内では神機使いも力を発揮できない。……私達が常人離れしていることは認めるわ。だけど、聖域にいればただの人間になれる。あんた達の目的がアラガミのない世界だというなら、わざわざコストを割いて神機使いを殺す必要はない。違う?」

「言ったろう、神機使いは恒常的な偏食因子投与がなければアラガミ化を引き起こす。その発作が聖域内でも抑制される保障はない。試す価値はあると思うが、どうせ主導には上層部の承認が要る。それこそコスト無駄だ。全滅させる方が手っとり早い」

「民間人を殺す大義は? あんたにどれだけの統率力があるか解らないけど、武器を持った人間ってのは基本的に手が付けられないものよ。管理する側の人間から離れれば、なおさら」

「重々承知しているとも。だから、適度な教育を施してある。彼らの矛先は常にフェンリルそのものだ。関係のない人間まで殺すことはないように言い聞かせている。我々も不要な犠牲は厭う。神機使いは別だがね」

「訓練されしていれば民間人を戦場に放り込んでもいいってわけ!? ふざけんじゃないわよ、あんた歴史に何を学んでるのよ! 新兵ですらないド素人がどれだけ武装したって戦場じゃ役に立ちゃしないわ!!」

 重い枷の存在も忘れて立ち上がり、勢い余って椅子を弾き飛ばす。もはやそれすら構わずに、掴みかかるように食らいつく。

「何が不要な犠牲は出したくないよ、同志なら見殺しにしてもいいなんて理屈のどこに正義があるのよ! そんな口車に乗せられる奴の気が知れないわ!」

「民兵、義勇軍とはそういうものだよ。プロパガンダの旗を掲げて、己の正義を成し遂げるために突き進む。その為に武力が必要であり、命のやり取りでしか解決できないことがある。それだけだ」

「あんたらの正義とやらがどれだけご立派なのかは知ったことじゃないわ。そんなものは関係ない。今どき紛争なんかで解決できることなんか無いって言ってんの! それもフェンリルに歯向かったところで後が続かない! 例えアラガミが消えたとしても、統率を失った民衆は混乱するだけだわ。結局あんたは未来を潰してるのよ!」

「さて、世界は幾度となく治世を欠いた時代に晒されて今に至るが、それでも人類の歴史が途切れることはなかった。いいか、未来を語るためにはまず世界という土台があることこそ大前提だ。アラガミが居る現状では滅亡の一択しかない。だが土台さえあれば人類はいくらでも再起できる。そのために必要なのが、神機使いの滅びだ」

 何故そこまで争うことに固執するのか。

 目的と手段がどうにも繋がらないように思う。交渉による解決ができないから強硬手段に出ること自体は疑問ではない。だが、それであれば人質を取るなどの賢明な方法もあったはずだ。何故神機使いが、同じ神機使いを殺すことに拘るのか。

 血の昇った脳裏を、何かが掠める。

 それは気付きと言えるほどのことではない。単にキーワードを繋げただけの、ただの問いかけだ。

「……聖域の拡散に神機使いが必要となる理由があるってこと?」

「……ほう、一足飛びにそこへ行き着くか」

 だが、オーディンは僅かに目を瞠った。

 そうしてあっさりとエリナを見限るように身を翻し、部屋の出口へ向かう。

 数度のノックを聴いて、外に待機していた兵士が扉を開けた。何やら耳打ちをして、一人は廊下を駆け出し、一人はエリナに近付いてきた。

「……なによ?」

「時間だ。問答は熟した。君達には一刻も早く帰還し、支部へこの件を話してもらうとしよう」

「はぁ!?」

 また沸騰しかけたエリナを、兵士が後ろから羽交い締めにした。抵抗する術もなくはなかったが、両手を爆発物に突っ込んでいる現実が掠め、昇った血を冷ましながらオーディンの言葉を聴く。

「もう次のフェーズに進むということだ。君こそ、いつまでもここで呑気に構えている場合ではないぞ」

 ずるずると引きずられながら、エリナは相手の顔を精一杯に睨む。一方で、オーディンは薄い微笑を口元に張り付け、

「急げ、フェンリルの手先達。ここから先は本物の戦争だ。敵は怪物のみならず、同じ人間もまた敵になる。その備えを始めろ。ヒントは充分くれてやった」

「……何を、する気」

「戦争だよ。人類史上、実に一世紀ぶりの全面戦争だ。我々がこのクソッタレな世界に報いるための、最大にして最後の抵抗だ」

 間もなく施設全体に耳をつんざくアラートが響き渡った。緊急事態を告げる、嫌な警報だ。廊下に転々と回るパトランプが視界を刺激する。

「楽しい時間だった。どうも隠し事が出来ない性分のようでね、自分の目論見を誰かに話すというのは、何度やっても愉快なものだ。それが事の顛末をほのめかすようなものであれば尚のこと」

「詐欺野郎が」

 これ見よがしに唾を吐き捨て、エリナは吠えた。

「あんたが言ってるのは夢物語よ。失敗の可能性には触れずに都合のいい言葉で目を眩ませる。それで民間人を戦場に出す大義が整うってわけ? 暴徒鎮圧の目的で正規軍には発砲が許可されるのよ。やむを得ないなんて馬鹿げた理由で、あんたに誑かされた罪のない人間が死ぬ。あんたに何の権利があってそんなことが許されるってのよ!」

「君が言っただろう? 神機使いがそうであるように、我々もまた志を同じくした者ばかりだ。そうだろう」

 問いかけられ、エリナを羽交い締めにしている兵士が、恭しく答える。

「は。我らヴィーザルの旗に集う同志に、死を畏れる者はおりません」

「そうだ。我々は死すら厭うことなくこの作戦を成し遂げる覚悟がある。曲がりなりにも指導者としてたっている以上、人身を鼓舞するのも俺の仕事なんでね」

「止めてやる。そのクールぶった鼻を開かしてやるわ、絶対に。関わった連中全員残らず営倉にぶち込んでやる。二度と陽の目を拝めるとは思わないことね」

「いい捨て台詞だ。その意気のまま萎むなよ青二才。戦場に立つという意味をしっかり感じるがいい。そう何度も体験できる事じゃない」

 そうして兵士の肩を叩き、気楽に言った。

「見送りは丁重にな」

 

    ●

 

「行きましたか」

「ああ、ヘズ。お前もご苦労。そっちに行ったお嬢さん……シエル・アランソンだったか。どうだ?」

「静かに話を聞いていましたよ。拍子抜けするぐらいに大人しいもんです。そちらは随分賑やかでしたが」

「はは、若い頃の自分を思い出したよ。上役だろうと誰にでも噛みついていた。血の気で言えばトールとそう変わらなかったな」

「あれは年食ってもあのままじゃないですか。ボスとは別枠です。……よかったんですか?」

「何がだ?」

「彼女達を生かして帰して。どちらも未熟ではありますが、いずれも脅威になりますよ。何しろ極東の屋台骨、その傘下で直々に鍛えられているんですから」

「そうだな。延び白はあるのだろう。そうでなくては俺達が困る。お前達に交わした約束を違えるわけにはいかない。奴等には本気でかかってきてくれなければ」

「貴方の悲願を阻むことにもなりかねません。万に一つも無いとは思います。しかし、もしも、その不運が起きてしまったら……」

「弱気なことを言うな、ヘズ。俺達には昔から困難ばかりが降り懸かってきた。それらに比べれば現状は呆れるほどに(ぬる)い。これをひっくり返すほどでなければ身が入らんというものだ。そうでなければ焚きつけるような真似はしないさ」

「しかし」

「安心しろ。俺は誰にとっても幸福である結末を望む。俺達ならば万願を果たせる。何も手放す気はない。強欲だからこその俺達だ」

「……トールと同じような事を言うんですね」

「あいつに言わせるところの本能だな。では聞くが、俺のところに彼女を移してきた理由は何だ? 俺は別に銀髪のお嬢さんでも構わなかった。どのみち明かす内容は変わらないからな」

「……あの少女が、一番声が大きかったので。そちらの方がお好みかと」

「俺と彼女が似た者同士だと直感したのではないか?」

「…………」

「まあいい。時に、(バルドル)から連絡はあったか?」

「上々、と。予定通り、すぐに帰還します」

「ゲリラの動きは?」

「各隊とも既に退いています。次の放送までには退くようにと。こちらもコンボイの1号車から3号車まで荷積みは完了、残存する兵達への誘導も恙無(つつがな)く」

「よし、急ごう。いよいよ忙しくなるぞ」

「ええ、……ボス」

「ん?」

「貴方を死なせはしません。無頼の僕を使ってくださった御恩、必ず報いてみせます。僕の望みは、その途上でこそ果たせるものでしょう」

「あまり気負うなよ。トールを見習えとは言わんが、もっと余裕を構えておけ。……感謝しているよ、アーロン・ベラスケス。もう一度この眼で”空刃”を見られるのが楽しみだ」

「はい。――我が剣に誓って、必ずや貴方の悲願成就を」

「そうだ」

 

「我々は戦士、なればこそ、その死は有為でなければならん」

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。