Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
―――――それでも、引き金を引き続ける。
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ブリーフィングルームに大の大人がひしめき合っている。
沈痛な面持ち。歯を食いしばりながら、少佐の言葉を聞いている。
「―――で、あるからして………」
少佐の声は作戦前と同じだ。暗くもない、明るくもない、ただ事実だけを淡々と告げている。
違うのは、彼の頬がこけているせいか。そこで少佐が言葉をかんだ。しかし、指摘する者は誰もいない。いつものように、茶化す声は聞こえてこない。
嗚咽さえも聞こえてくる。誰かが誰かを失って、泣いているのだろう。
(………違う。泣いてる)
全員が悲しんでいる。彼、あるいは彼女らはじっと耐えている。歯をくいしばって、叫びたい気持ちを抑え。手が軋むほどに握り締め、暴れたい、当たり散らしたい気持ちを抑えている。
暗い部屋の中、大の大人が背中を丸め続けている。
(取り繕うにも、時間がいるのか)
面の皮が厚いから、と武はいつかの誰かが言っていた言葉を思い出していた。
でも今のみなの様子は違っていた。しかし、このまま落ち込んでいるのも違和感がある。
(ああ……そうか。きっと、面の皮を用意するのにも、時間がいるんだ)
でも今は、喧騒の声さえ遠い。それはクラッカー中隊でさえも例外ではなく。
そうしたまま、小一時間が経過してようやく、通夜のようなデブリーフィングは終わった。
解散の声がかけられ、誰もが無言で退室した後。武はクラッカー中隊の皆に声をかけることなく、ハンガーに来ていた。自分の戦術機の前で、じっと機体を見つめている。
辺りは誰もいない。本格的な整備は明日から行われるようで、今はその準備中であるから、整備員の姿は少ないのだ。武の耳に声が届く。整備班長の声だろうか、しゃがれた大きな声。
遠くから指示を出す時の声が少し聞こえるだけで、いつものような喧騒はない。
活気がなくなっているのだ。ブリーフィングルームと同じ沈んだ空気が、ハンガーの中に満ちている。
そして聞こえるのは先程と同じ、誰かの嗚咽する声。今回死んだのは主に衛士だった。
ならばきっと、泣いている整備員は自分が担当した機体の―――あるいは、個人的に親しかった衛士を亡くしたのだろう。心中を察した武は、目を閉じて顔を伏せた。
耳には嗚咽の声と共に、ごうんごうんという、地鳴りのような空調の音が鳴り響いている。
(今回も………俺は、生きて帰れた。でも………)
目を閉じながら先の戦闘のことを思い出す。最後までへばることなく、前衛の役割をこなせた。
そうなのだ、自分は一般の衛士並にはうまくやれて――――それでも、作戦は失敗した。
間引きという目的は達成できたが、反応炉を破壊することはできなかった。
表面上の戦力を削れただけ。反応炉さえ健在なら、BETAはいくらでも湧いてくる。
つまりは、あれだけの犠牲と物資を消費して――――達成できたのは、時間稼ぎだけ。
(そう遠くないうちに、また元の数になるんだろうな)
半年に満たない、数カ月の時間を稼ぐために、いったいどれだけの物資が消費されたのか。
―――人間が、戦友が死んでいったのか。
(二度と戻らないものが多すぎる………)
呟き、武は考えた。"白銀武"は考える。
――――自分はもっと、何か、"うまく"やれたのではないかと。
虎の子の精鋭部隊は全滅してしまった。他の衛士を引っ張れる存在であるエースは穴蔵の中で果ててしまった。自信満々だったあのエリート部隊の顔を見ることはない。あの、全般的に明るかった―――他の隊に不安を与えないよう、模範となるべく明るく振舞っていたのだろうが―――――衛士達はいなくなった。
その存在の明るさに反して、いなくなった今は言いようのない影がそこかしこに現れている。
地上に展開していた衛士もやられてしまった。全滅した突入部隊ほどではないが、10数%程度はハイヴ前のBETAに、主に光線種によるレーザーで蒸発させられたという。
そして、武は考える。彼らの死に意味はあったのかと。
時間は稼げただろう。決して意味がないことはない。猶予ができて―――だが、それだけだ。
根本的な解決にはなっていない、ただ滅びるまでの時間が増えただけ。
もしも今日の作戦が成功していれば、反応炉の破壊に成功していれば、あるいは軍としてもまた違った戦略が取れたはずなのに。
(もっと………オレには、何か出来るんじゃないか?)
今日の作戦で、もっと自分は何かできたのではないか。役に立てたのではないか。
武は今、そんなことを考えていた。実戦に耐えうる体力を身につけたとはいっても、それだけ。前衛としての役割をこなせてはいるが、それだけ。一人で状況を変えうるほどの"なにか"は持っていない。
――――それは武自身も分かっていることだ。
それでも、悲しむ衛士や整備員達を前にそう思ってしまっていた。
(俺の特別は、俺だけの力は………あの記憶だよな)
恐らくは未来のものであるだろう、あの光景。あれが何処から来たのか、何を意味するのかは武自身分からなかったが、他人にはない特別なもの。どうにかすれば役に立つかもしれないじゃないか。有用なものであれば役立てた方がいいじゃないか―――と。
だが、そこまで思いついた所で、武は父である影行の言葉を思い出していた。
苦い顔で、影行は武に告げたのだった。
『夢のことについては、絶対に他人には言うな。教官にもだ。今の軍は………必要とあれば、何をするのか分からん。いよいよ追い詰められていることもある。まっとうな倫理を期待するな』と。
いつにない真剣な顔、そして遊びのない口調で告げられたその言葉はいつもの説教よりも強く、武の心に刻み込まれていた。
武自身も理解していることもあった。今日のあのデブリーフィングの空気を感じれば尚更だ。
張り詰めた空気。声ならぬ嘆きの咆哮を抑える衛士達。
きっと彼らは、勝つためなら多少以上の善悪や、倫理ならば捨てるだろうと。
あるいは、街を守れないのではないかと、その時の事を考えて焦燥しているのかもしれない。ここはナグプールの外れにある基地だが、ナグプールの街の部分には、人と、また守るべき何かが残っていると聞く。
(それでも、今の俺にやれることは………ない。それに………知識のことも。BETAについては座学で学んだしな。今はもう、知ってて当たり前の知識にすぎないんだ)
基礎訓練前、BETAの生態を学んでいない時期であればまた話は違っただろう。
だけど今ではその意味もない。
のっぺらぼうのBETAについてもそうだ。知ったからとて、どうにかできることもない。
所詮は小型種だし、戦術機で踏みつぶすなりなんなりすれば十分な対処は可能だ。
そこでまた思考の袋小路にはまる。考えが止まったせいか、自分が汗臭いことに気づいた。
「………くっせえな」
得も知れぬ芳しい―――ぶっちゃけくさい――――体臭に、武は顔をしかめる。
シャワーも浴びずに来たからか、と舌打ちをして。
そこで、背後から突然声がかかった。
「―――そのために呼びに来た」
「ほアッ!?」
驚いた武が、その場で飛び上がる。そしてズダン、と両足で着地した。そのあまりにもなオーバーリアクションに、しかしサーシャは動じない。
「変な声だね………何かあった?」
「お、お前に驚かされたんだよ!」
武は怒るが、声をかけたサーシャは首を傾げた。
「普通に近づいた、けど………何か考え事でも?」
「へ? あ、まあ………考え事っつーか………反省というか」
「そう。でも………今日は休んだ方がいい。明日からはほんとに久しぶりの自由時間がもらえるから」
サーシャの少し柔らかい口調。
武はその言葉が冗談ではないか、と頷いた。
(時間は稼げたもんな………そういえば訓練始まってから今まで………こいつと落ち着いてしゃべる時間も無かったか)
早朝に訓練をして、日中も訓練をして、日が落ちても訓練をして。
合間の食事時間でも、途中からは声を出す余裕もなかったせいか、あまり話もできていない。
隊員と交わした言葉は、訓練中にいくらか交わした軽口の言葉だけ。プライベートを語る程の余裕もなかった。
サーシャに対しても同じ。とくにこういった、二人で面と向かって話したことは初日のあの競争だけだった。訓練時にちょっとからかいあうのがせいぜい。
そんな――――あまり話したことのない彼女だが。普段見慣れているということもないサーシャだが、武は気づいた。
今の彼女は辛そうにしていることを。何かに耐えると、我慢をしていることを。
思った瞬間、武は口に出していた。
「お前………お前も、誰かを亡くしたのか?」
あの部屋で泣いていた衛士のように。
このハンガーで泣いている整備員のように。だが、サーシャはゆっくりと首を横に振った。
「私は………誰も。誰かを、亡くしてなんかいない」
「そうか………でも、なんかお前辛そうだ」
「疲れているだけ。私だって軍人としての最低限の体力はあるけど………それを自信としているタイプじゃないから」
あれだけの作戦をやれば、誰だって疲れる。サーシャはそう言って、武を見た。
「貴方も同じ。さっきもいったけど、今は休息を優先するのが最善。今回のような作戦は、また行われるだろうけど………それも戦力が整ってから。それまでは、最低でも二ヶ月ぐらいは開く」
「その時にはBETAも……元に戻っているかな」
「データから見ると。でも、完全に元通りとはいかないと思われる」
「それでも増える………こっちもあっちも力を整える時間がやってくる、か………まあ、ちょうどよかったのかも」
ちょっと限界だと思ってたんだ、と武は自分の身体を感じながら、呟く。
まるで鉛だ。筋肉痛のせいか、痛みも酷い。
サーシャは、そんな武の眼を覗き込んでいる。
「な、何見てるんだよ………オレの顔に何かついてるか?」
「………これ以上ないというぐらい、疲れた顔が満面に」
はっきりとサーシャは告げる。
「疲労は思考を鈍らせる。普段考えないようなことも……どこからか湧いてくるのかしらないけど、黒い感情が生まれてくるから」
「あー、まあ………そう、かもな」
武は同意しながら、自分の状態を思い出していた。
父を追って前線の哨戒基地に到着してからこの数ヶ月の間のことを。
まずは地獄のような基礎訓練。その後にシミュレーターで猛特訓。
実機訓練を数回に、実戦が短期間で2度。
まだ10歳で青年にも届いていない武からすれば、生まれてこのかた経験したことのないぐらい、濃密にすぎる時間だ。しかしその分、疲労という人をも殺せる病苦は、確実に武の身体を蝕んでいた。
「素人の私から見ても、貴方は無理をしすぎているように感じられる。だから、今は休むのが得策。ちなみに隊長と副隊長は了承済みだから」
「へ、あの二人も………って、休暇?」
「さっき隊長と副隊長の会話を聞いた。でも、聞かなくても分かった。あの二人は貴方を使い潰すつもりはないから」
「使い潰すって………そんなのターラー教官とラーマ隊長がするはずないだろ。っていうかお前は大丈夫なのか?」
「私は大丈夫。普通でもないし………使い潰されるのも本望だから」
「はあ? だから、あの二人はそんなことしないって!」
怒りながら言う武。
「それより普通じゃないってどういうことだよ………まさか!?」
「っ!?」
武が後ずさり、サーシャの顔が青くなる。
その一瞬だけ、『もや』が外れ―――――
「子供の頃から秘密訓練を受けていたのか!? あれだ、スーパーエリートソルジャー計画だったっけか!」
顔を輝かせる武。サーシャは予想外の返答に、ずっこけそうになった。
「うわ、すげーなお前! もしかしてこう、戦術機も使わず空に飛べるとか!? あと、眼からビームは出せるよな!」
こう、足元からロケット噴射で空を自在に飛べんのか、と。
テレビで見た内容そのままを言う武に、サーシャは引きつった笑いを返すことしかできなかった。
「それは………無理。ってそれもう人間じゃないから。あと、何で眼からビームが出せて当然の扱い?」
「えー、ビームは基本じゃん」
「何の基本なのか分からない。そもそも私はスーパーエリートなんとかとは違う………その、ちょっと訓練を受けていただけだから」
「えー、普通だなあ。何か、つまんねーの」
「………つまんねーって………何?」
面白くなさそうにする武。サーシャはそんな武をジト目で見た後、力を込めて腕を握った。
「ちょ、痛いって!」
「……子供の貴方が一人でここに居るのは非常に不味い。いいからさっさと来ること。そして、年上の言うことは聞くこと」
「あ、ちょ、分かっ、行くから、って握力強いなお前!? さすがはスーパーエリートソルジャー!」
「………次同じこと言ったら、眼を潰す」
「ひぃ!?」
サーシャはちょっと怒りの表情を顔に出しながら、武をひきずっていった。
――――道中、少し顔をしかめながら。
そして作戦が終わった翌日。武は軍医に身体を診てもらっていた。
「………最低でも三日間は休むこと。絶対安静とまでは言いませんが、訓練は禁止します。言っときますが、これは最低条件ですから」
「えっと……負かりませんか、軍医殿?」
「一切負からんよ。というより何故君が交渉するのかね白銀少尉」
本来ならば隊を預かる上官の役目だろうに、と変な顔をする軍医さん。
無理だという医者に判を押させるのも、上官の役目だ。普通、本人は休みたいと言う。
そんな武の後ろでは、ラーマが苦笑しているだけ。もう一人、ターラーはため息をついていたが。
「いいから、子供らしく休みたまえ………お大事に」
退室をうながす軍医。しかし彼は一瞬後、自分で出した言葉に苦笑する。
「ああ……もう軍人である君には言えない言葉なのかもしれないがね」
地獄に一番近い突撃前衛に"お大事に"と言うのは皮肉にすぎない。
いつ死んでもおかしくないポジションだからだ。
武は、そんな軍医に頭を下げた。
「いえ、心配してくれてありがとうございます」
礼をいい、頭を上げて武は立ち上がった。そしてそのまま、付き添いのラーマとターラーと一緒に部屋を出ていった。残された部屋には、軍医の声が残るだけ。
「………人の業、だな」
苦悶の色をするそれに、答えるものは誰もいなかった。
部屋を出た後。3人は歩きながら、基地内部にある武の部屋へと向かっていた。
廊下の途中、すれ違う軍人達が通路に並んでいる
「それで、ターラー教官?」
「中尉だと言っただろう。お前は軍医殿に言われた通りにしろ。これ以上無茶をすればどうなるか分からん」
苦い顔でターラーは言う。
「今は身体を休めるのを優先するべきだ。今日から4日間は休暇とする。3日は自室で安静にしていろ。残りの一日は何もなし、自由時間とする」
「………それよりも、今は訓練をすべきじゃないんですか? 次の作戦だって―――」
「次の作戦のために、だ。この一ヶ月の訓練でお前の体力はすでに一般の水準には達している。本当にぎりぎりだが、な」
「それは………わかりますけど」
「後は休めばいい。身体の回復を待つんだ。休息し、身体の傷を癒すというのも立派な訓練のひとつだぞ?」
「はあ………」
「今はゆっくりと休め。あと、何か希望があるなら聞く」
「希望、ですか」
考えこむ武。だけど、答えるのは一瞬だった。
「あー………それなら基地の外に出てもいいですか?」
「ふむ、外に………街か。構わんが、ここから下りられるような街はひとつだけだ。あそこも住民の避難はほとんど済んでいるし、開いている店の数も少ない………まあお前が見たいというのなら構わないが」
「えっと、一人はまずいですよね?」
「お世辞にも治安が良いとは言えないからな………よし、街に出る時は私にいえ。ちょうど用事もあったことだ」
ぽん、と頭に手を置いてターラーは笑う。
「まあ、最初の3日は覚悟しろよ? これを機会に、頭の中を徹底的に鍛えてやるからな」
「や、やっぱりそう来ますか!?」
「なにミスター影行も手伝ってくれるそうだ。最低限、整備長に顔をしかめられない程度の知識は身につけておけよ」
笑顔での宣告に、武は頭を抱えてしゃがみこむ。
(だから嫌だったんだよ絶対に完全休息とかありえないって教官がそんなことするなんて槍が降る。
でも座学なんてうそさおばけなんてないさ、っていうよりやっぱりシミュレーターや実機訓練の方が面白いよな………っていうかよくも引き受けやがって裏切ったなオヤジ」
「………声に出てるぞ白銀」
「はっ!? いや、これは違うんです教官!?」
「くく、まるで浮気が見つかった時の男のような言い訳だな白銀」
「ラーマ隊長――――何か実感のこもったお言葉で。同じ経験がお有りのようですが、それは何時何処でどうやって?」
「い、いや部下が前に言っていたのをな!」
「………それは結構。白銀も言い訳はよせ。それに………痛むんだろう?」
ターラーの諭すような口調になる。武はすこしだけ迷った後、小さく頷いた。
「頑張った証拠だ。いいから今は身体を休めろ………いえば、マッサージもしてやる。ああ、基地を移るも後方に避難しろとも言わん。だからそんな顔をするな」
ぽんとターラーは武の頭をたたく。
武は頭をうつむかせたあと、沈黙したまま、また頷いた。
武自身、もう限界だと分かっていた。今も全身には針で刺されたかのような筋肉痛が走っていて、額からは脂汗が出ている。もし今、自分が弱音を吐けば、衛士失格としてもしかしたら前線から外されるかもしれない。それは、嫌だと。
だから武は気丈に振舞っていたが、ターラーはそれを一目で看破していた。その歳相応でない覚悟は痛快ささえ感じる。だが、似合わない面もあって。言い様のない痛ましさに眼を伏せる。
「白銀………お前は、なぜそこまで………」
「教官?」
「いや、いい―――っと、白銀。どうやらお出迎えをしてくれる者が居るようだぞ」
「へ?」
指を指された先は自室の前。そこには、サーシャ・クズネツォワの姿があった。
「シフ少尉でさえ相部屋なのに、個室………いい身分なんだね、タケルは」
「なるべくストレスを感じさせないように、だって」
アルなんとか大佐が配慮してくれたらしいけど、と武が答える。実際の所は裏の事情などが多々あるのだが、それは当然のごとく語られていない。そもそもが徴兵年齢違反で、おおっぴらに広報できることではない。
規律も何もかも徐々に緩くなっていっているような今の状況においても、武は特別すぎるのだ。
二段ベッドしかない部屋の中で、武はふとサーシャの言葉に違和感を感じた。
「って、お前はそうじゃないのか?」
「私はラーマ大尉と同室」
「へえ」
武の脳裏になぜか『男女7歳にして同衾せず』という言葉が浮かぶ。
だが同衾の意味をまだ知らないので、その言葉はすぐに消えた。
「あ、言っとくけどベッドは別だから」
「そうなのか。まあ、確かにあの大尉と一緒とか………暑苦しそうだもんな」
「うん。いびきがうるさいのも困る」
「ああ、隊長ってそれっぽいよな」
ヒゲオヤジだし、と武はひとり納得する。実際のところヒゲとオヤジとイビキにはなんら関連性のない所なのだが、武は等号で結びつけて一人で納得した。
「眠っている間のことだから気をつけてとも言えないし………最近、寝不足ぎみ」
「それなら素直に言ったほうが………っていうか俺の時みたくずけずけ直球で言えよ。隊長なら怒らないだろうし」
「それは、その………大尉だと、可哀想だから?」
「何で疑問形? ………というか、俺の場合はいいのか?」
半眼で睨む武。だがサーシャはしれっと武の視線を無視した。
ポケットからメモ書きを取り出し、そのまま伝言を読み上げる。
「伝令!『明日、0900より戦術機に関する特別講習を開始。各自筆記用具を用意しておくこと。
講習を受けるのは白銀武少尉、サーシャ・クズネツォワ少尉の二名とする』………復唱」
「了解!『明日、0900―――はあ!?」
「あ、復唱キャンセルした。ターラー中尉に報告の必要が」
「ちょ、ちょっと待てって! それよりもお前も一緒に講習うけんのか!? あと教官には言わないでくれ頼みます!」
「了解。講習に関しては、隊長に言われたから。私も戦術機に関しては隊のみんなほど詳しくないし、休息の意味も兼ねてって」
「そ、そうなのか」
ため息をつく武。それを聞いたサーシャは視線を下に落とす。
「………いや?」
そして小さい声で、武にたずねる。言葉を向けられた武は、サーシャの顔を見た後驚き、焦る。
慌てて手を振り、嫌じゃないと否定する。
焦ったのは―――彼女がいつになく、暗い表情を浮かべていたからだ。寂しい、といったような。儚く、今にも泣きそうな表情を。
自分がさせたそれに、勘違いするなと言い訳をする。
「い、嫌じゃねえんだ。でもお前頭いいだろ? オヤジが講師だし、お前と比べられんのがなあ………」
「………ああ。確かに、タケルは座学に関しては少し………可哀想なレベルだからね」
「か、かわいそうって………お前」
「無惨、の方がいい?」
「………可哀想でお願い致します」
がっくりと肩を落とす武。疲れているせいか覇気がない。
「それに何をするにも勉強は必要。今の私達が出来ることはそれ以外にない」
「でも、戦術機の訓練をした方がいいと思うんだけどよ」
「『正しい知識が無いと道具は使いこなせない』――――あなたのパパが講習の最初に言っていた言葉だけど、覚えてない?」
「覚えてる………でも、習うより慣れっていうし」
反論する武に、サーシャはため息をついた。しかしこの場で説明はしなかった。明日カゲユキにまた叱ってもらおうと、意味ありげに笑うだけで。
「勉強嫌いなんだよなあ…………ん、ちょっと待てよサーシャ。0900って言ったよな? ラーマ大尉はたしか0800から部屋出るって聞いたんだけど」
「そう。私もその時一緒に部屋から出る」
「でもこの三日間は、お前も講習に参加するんだろ? 一時間ほど一人になるけど、大丈夫なのか」
「大丈夫、問題ない………と言いたい所だけど、不安はある」
基地内の治安も、完全とは言えないし。サーシャは不安げに呟いた。
「ふうん……なら、ここに泊まるか? いくら基地内でも子供の俺たちが一人になるのは危ないっていうし」
純夏もたまにそうしてたしなー、と。武少年は、特に考ることもなく、思いつきを提案する。
サーシャは驚いた表情を見せながら、首を傾げる。
「ん、それは………私は助かるけど、タケルはいいの?」
「おう。それに一人部屋だと逆になあ」
寝る時も起きる時も一人だとなんか寂しいし、と呟く。そして一緒ならいいじゃん、と笑った。
サーシャはその顔に何の他意も含まれていないことを察し、頷きを返す。
―――そして。
「ありがとう、っていえばいいかな」
礼を言いながら、サーシャは笑った。
「うん。なんだ、お前笑えんじゃん」
武もつられ、うれしそうに笑みを返していた。
サーシャもまた、自然な笑みを返していた。
そして日が明けて。
「あー………よく寝た」
いつもより2時間遅く起床した武は、寝ぼけながら二段ベッドの一段目から出た。柵もない横からはい出て、靴をはく。ちなみに武が寝ているのは下の段で、上の段はサーシャが寝ている。
(あ、そういえばサーシャをこの部屋に………)
泊めたんだ、と呟くと同時―――武は、その理由をサーシャがラーマ隊長に告げた時の、隊長の顔を思い出した。影行いわく、まるで娘に"パンツは別の洗濯機で"と言われた時の顔だったらしい。
出典はアメリカに居た時に出来た友人の1人だったとか。
武はその時の父の顔を思い出して笑い―――時計を見て、笑みが止まった。
(っていい加減起きないとまずいか)
訓練している時よりも遅いが、もうすぐに食堂に行かなければならない時間になっている。
なのに、武の耳にはサーシャの寝息が聞こえていた。これはまずいとした武は、二段ベッドのはしごをよじ登る。
とん、とん、とん、と登って声をかける。
「おーい、いい加減起きてる、か―――――?!」
起こそうと覗き込んだ瞬間、武の顔が驚愕に固まった。
だって、白かったのだ。
サーシャは、梯子に背を向けて寝ていた。ただ――――服がなかった。身にまとっているのはパンツだけで。シーツが白くて、めくれた隙間から見える背中が白くて。あとついでに、パンツも白かった。
「ちょ――――!?」
白の3連鎖が武の視界をジャックした。
10歳でまだ子供である武でも、これはまずいと分かることもあった。
武はすかさず眼を逸らし、はしごから床に向けて飛び降りる。
したっ、と着地する。だが着地の衝撃は思いの外大きく、武の全身に響き渡り――――衝撃が、筋肉痛を誘発させた。
「ぐおっ!?」
びきりという激痛が走り、武の悲鳴が部屋に鳴り響く。そしてそれは、思いの外大きく。
サーシャが眼を覚ますには十分な音量で――――
「ん………っと、きしょうじかん………?」
寝ぼけた声がベッドの上からする。
―――そして、その後に起きた出来事は同時だった。
数えて、3つ。
「おーい、もう起きた、か…………?」
朝飯から訓練の間として。様子を見に来た、リーサが部屋に入ってくるのと。
「へ………?」
武が、痛みに悶絶しながらもベッドの上を見上げるのと。
「ん………おはよう」
わずかに――――小さな双丘がこぼれる。サーシャが、パンツ一枚とわずかにかかったシーツを服に、寝ぼけ眼で武を見下ろしたのは。
硬直する空間。
次の行動は、三者三様だった。
「………じゃあな」
「ちょ、シフ少尉、親指上げないで、背中向けないで、幸運を祈ったまま出て行かないで――――!?」
「ふあ、あと5分もある…………」
騒動が終わって、朝食後。
『いいから寝る時はシャツも着ろ、むしろ着てくれ着て下さい』と武が懇願し。
サーシャが、『わけがわからない』とばかりに首を傾げた後。影行が部屋にやってきて、戦術機の講習が始まった。
開始早々に昨日のサーシャが言った知識云々について、サーシャが影行に
というハプニングのような――――講習における恒例の行事があったが、その後はいつもどおりだ。
平時の基本的知識から緊急時に必要となる知識、また整備班長とのコミュニケーションを取るための様々なものを影行は二人に教えていった。
戦術機の各部パーツの説明や、どんな動作を行った時に消耗するか。
最優先にするべき部位はどこか、またその部位が損傷した場合はどうするのか。
整備の品質が下がった時に、どの部位を特に優先的にチェックすべきなのか。
また、戦術機の開発経緯や、その種類についても。
「武。1970年に対BETA兵器開発計画の最初の成果として生み出されたものが何か、覚えているか?」
「えっと………FP(Feedback Protector)兵器だったっけ。名前は確か………"ハーディマン"。月面での対BETA兵器として運用されたんだとか?」
「そうだ。歩兵には扱えない重火器の運用が可能であり、装甲車両には到底不可能であった三次元………前後左右に上を加えた機動を可能とする強化スーツ。後の強化外骨格の元となった兵器だな。これにより、崩壊寸前だった月面戦線の寿命が3年は伸びたと言われる」
「さ、3年も!?」
「ああ。それほどに有用な兵器で――――だから当然、研究と開発が進められた。月面という宇宙空間で運用が可能な兵器や、奴らが地球に降り立った場合を想定した兵器が」
そして、1973年だった。中国新疆ウイグル自治区喀什市にBETAの着陸ユニットが落着したのは。最初は優勢だった中国軍だが、2週間後に突如現れた光線種を前に航空戦力を無力化された。
「そうしてまもなく、国連軍は月面の放棄を決定した。地球に降り立ったBETAを駆逐することを優先させたんだな」
そうして、1967年のサクロボスコ事件より始まった月面戦争は終結した。
人類側の大敗北という形で。
「………月の上で、6年。宇宙空間という、過酷な死の世界で6年間も戦い続けた人達が居る。そのことを、俺たちは忘れてはいけない」
「オヤジ………」
「理由は分かるだろう、クズネ………いや、サーシャちゃん」
呼ばれたサーシャは頷き、返答する。ちなみにサーシャと呼んで欲しいと言ったのは本人で、最初の講習の時に影行に告げたのだ。呼び捨てもなんなので、ということでちゃん付けになっている。
武も、『オヤジに白銀少尉と呼ばれるのはちょっと』という理由で、呼び捨てかつ敬語もなしになっている。
「はい。米国で初の戦術機、F-4――――人類の後退を押し止めた戦術機が配属されたのは、1974年。だから………」
もし―――例えば1年早く、BETAが地球に来ていたら、切り札の一つでもあったファントムも配備が間に合わなかっただろう。ともすれば、今の比ではないぐらいの範囲をBETAに侵略されていたのかもしれないのだ。
「その通りだ。月で生産可能なセメントから、臼砲という中世じみた武器まで使い。地獄のような世界でも諦めず、戦い抜いてくれた人達のおかげで………F-4は"間に合った"」
そうして、人類初の
新概念兵器は、航空戦力の変わりとして―――あるいはそれ以上に、BETAとの戦闘で有用だったのだ。そして、度重なる実戦を経て――――その経験を元に、戦術機に関してのあらゆる研究と開発が進められた。
「えっと、F-5もその一つ?」
「あれはちょっと違ってな。元は空軍パイロットの衛士転換訓練用機体として採用されていた
装甲の厚さがあまり意味をなさない対BETA戦闘では、F-5の"軽さ"というのは逆に利点となった。
ファントムのように重くなく、転換訓練用機体だから経験の浅い衛士でも扱い易く、コストも安い。
「電子兵装がしょぼいなどの欠点はあるが、F-4より優れている点も多い。今でも欧州各国ではライセンス生産が行われている。特に、欧州での評価が高くてな………現在進められているだろう、欧州独自の次世代機への影響も相当なものになるだろう。まあ、ファントムに並ぶ戦術機の始祖って機体だ」
「次世代機………そういえば第2世代の機体って話には聞くけど、今はどこで何が配備されてるんだ?」
「代表的なのは米国が開発したF-15C、イーグルだな。各国でライセンス生産が行われている機体だ。日本でいえば89式戦術歩行戦闘機="陽炎"がそれにあたる。その他の国、例えばソ連でも第2世代機は開発されている。実戦データの経験が正しく活かされ、その他の面でも次世代と言えうる機体だ」
対BETA戦闘で思い知ったこと。それは、BETAの攻撃能力の高さだった。
ゆえに開発側としても、設計思想を転換せざるをえなくなったのだ。
"耐える"機体から、"避ける"機体へ。
装甲よりも運動性を重視した方向性で、戦術機は進化していった。
「コンピューターの進化や跳躍ユニットの進化など、詳しい事はまた後で教えるがな。対BETA戦において機動性が重要となるのは、俺よりも衛士であるお前たちの方が理解しているとは思うが?」
「まあ、確かに………初めての実戦のあの時だって、もうちょっと当り所が悪ければ跳躍ユニットも制御系もイカレてたって整備班長に言われたし」
「それに戦術機は精密機器と同じ。F-4でも、当り所が悪ければ一発で制御不能になりかねないと聞いた」
そして実戦での静止は死と同義だ。それを実地で理解するに至った武とサーシャは、大きく頷いた。
影行は子供二人が実戦を語っている光景を見ながら何ともいえない顔を浮かべる。
だが一瞬後には表情を戻し、また講習を続ける。
「その通り、"当たればほぼ死ぬ"。だから衛士は高機動を優先し、当たらないように動きまわるんだが………そこで、新たに注意すべき点も出てくる。武、それが何か分かるか?」
「新しい注意点………んー、1パスで」
早々に諦める武。拳骨が振り下ろされた。その横で、サーシャが答える。
「ちょっと考えれば分かること………静止するより、動きまわる。つまりはジャンプを繰り返す。すなわち関節部への負担が増えたり、すぐにへばると言うこと―――武みたいに」
「サーシャちゃん正解。つーか武よ、パスじゃない。分からなくてもちょっとは考える癖をつけろと言ったろ。馬鹿じゃ生き残れんとターラー教官にも教えられたはずだが………もう忘れたのか? それほど可哀想な頭なのか? ―――叩けば直るか?」
「お、覚えてますです、はい………って叩けば直るって俺はテレビかよ糞親父!?」
「いやいやそんな、お前はテレビほど物知りじゃないだろうに」
「あんなカラフルな知識は一切無いと思われる。というか話が進まないから、座ってて」
「ちょ、なんか二人とも俺に対して酷くない!?」
「あー………酷くない。でもさっき言ったことは正しい。それとも教官に言ったほうがいいって?」
「座りますです、ハイ!」
サーシャの一言に、勢い良く座る武。まるでパブロフの犬のようだ。
しかし座る時の勢いが良すぎたせいか、また筋肉痛が全身に走る。
「ひぐっ!?」
あまりの激痛に悶絶する少年。しかしそれは無視され、講義は続けられた。
「続けるが、サーシャちゃんの言う通りだな。派手に動きまわるのは必要だが、それだとどうしても機体に負担がかかってしまうし、噴射跳躍に必要な燃料の減りも早くなる。推力変換効率なども次世代機ではいくらか改善されてるけど、やっぱり総消費量も高くなる。総じて、整備に手間がかかり消費燃料も高くなり………つまりは、維持コストも高くなる。だから衛士は機体に負担のかからない、簡単にいうと"長もちする"操縦が求められるわけだが――――」
無言で蹲る武。無表情に笑うサーシャ。
そんな何ともいえない二人に対し、だが影行も動じず容赦のない講習、というか講義、というか口撃を浴びせていった。
そして、初日の講義が終わった後。
武は自室で寝転びながら、椅子に座るサーシャと今日受けた講習について話していた。
「あー、もう、頭に綿が詰め込まれた感じ。頭痛いし、身体も痛いし………散々だな~」
「でも眠り続けると身体にも頭にも悪い。筋肉も固まるし、思考も鈍ると聞いた。24時間じっとしているよりはずっと良い………精神的にも」
「あー、そりゃあなあ。また体力落ちるのは本当に勘弁だし…………そういや、ターラー教官がマッサージしてくれるって言ってたけど。あ、でも忙しいから無理だよなあ」
残念そうにため息をつく武。サーシャはグラスの水に口をつけながら、そんな様子をじっと見つめていた。そして、すっと立ち上がると部屋の外へと出ていった。
「ん、どこ行くんだ?」
「ターラー中尉の所」
「なにしに?」
「秘密」
と、出ていくサーシャ。1時間して戻ってきた時には、無表情ながらも唇は不敵な笑みの形を残していた。