Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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短編その6 : 斯衛の衛士

僕の名前は相模雄一郎という。帝国斯衛軍の精鋭と名高い第十六大隊の第一中隊に所属する衛士だ。階級は中尉で、家の格は白。譜代でさえない、ごく一般的な武家になる。

 

先月までは別の大隊に所属していた。だけど京都の防衛戦で僕が所属していた中隊は半壊状態になってしまったため、部隊を移ることになった。

 

当時の僕は呆然としていたと思う。それもこれも、先の京都壊滅のせいで僕が持っていた何もかもがBETAに潰されてしまったからだ。

 

僕も、山吹や真紅を身に纏った方々には及ばないが、武家の当主である。一家の芯であり家名を受け継いでいく者としての自負はあった。なのに打ち負かされ、守りきれなかった。全てをあの異形で品の無い化け物どもに奪われてしまったのだ。

 

家族は事前に避難を済ませていたので、生きてはいる。だが、僕と同じように途方にくれていた事だろう。僕もそうだが、まさか京都が落ちるなんて思ってもいなかった。武家として努めていたのが、急に寄る辺を失ってしまった僕は、だけど腑抜けてばかりもいられなかった。

 

何より、悔しかったからだ。故郷で、日本を象徴するあの都市の中で、燃え盛る炎の中で芥のように潰されていった仲間たちが頭から離れなかった。その中で僕が生き残ったのは、ただ運が良かったから。第十六大隊に近いポイントで戦っていたから、そして上官が、先任が僕を庇うように動いてくれたからだ。

 

呆然として、でも悔しく、何かをしなければと、そう思っていた時だった。

当時は撤退戦が終わった直後だった。稀に見る敗戦の最中、しかし斯衛の衛士の方々も被害は免れず。上官を含めた多数の人たちが戦死し、各隊は元の形のままではいられない事は聞いていた。だから関東に撤退してから再編されるということも話に聞いていた、その頃だった。

 

日課であるランニングとイメージトレーニングをしていた僕の前に現れたのは、子供の頃よりよく知るお姉さんの姿だった。名前を、吉倉藍乃という。譜代武家たる山吹の家、吉倉家の当主であり、吉倉流の宗家だ。藍乃姉さんの父は吉倉流の師範、僕の父は吉倉流の師範代だった。僕も吉倉流の門下生で、今では師範級の腕を持っている藍乃姉さんとは深い交流があった。

 

まずは互いの無事を喜び合い。そして、お姉さんは言った。

相模"中尉"。貴官は十六大隊に転属が決まった、と。

 

第十六大隊とは、斑鳩公――――斑鳩崇継様が大隊長を務める、斯衛の最強部隊の一角だ。かの部隊の活躍は語り草であり、実際に京都防衛戦での戦果は目を見張るものがあった。その戦闘力を買われ、撤退戦において最重要と言える役割の"殿"を命じられた程だ。

 

そして、斯衛の名に恥じぬ戦いを見せたと言われている。日本侵攻が始まる前はその実力の程を疑問視されていた斯衛が、今では士気昂揚の象徴たる存在として扱われていることがその証拠だ。噂では五摂家筆頭たる煌武院家の傍役を務めている月詠家の者も臨時に編成されて奮闘し、嘘のような戦果を出したらしい。

 

だから、最初は信じられなかった。でも僕は藍乃姉さんが嘘をつくような人でないと知っている。努力の人ではあるが、冗談や洒落といった方面には酷く疎いのだ。

 

それでも、事が事である。僕は表向きは喜び、内心では半信半疑でついていく事にした。道中の会話は奇妙だったが。

 

世間話に紛れさせ、聞いてみた時のことだ。五摂家に一機づつ配備されたという、試製98型《武御雷》のこと。斑鳩に配備されたものも当然存在し、それを駆る衛士のことをだ。

 

僕は戦闘に夢中で気付かなかったが、通信から聞こえきた単語があった。

 

―――"天才"、"化物"、"鬼神"。状況から十六大隊の誰かを指している言葉で、それも武御雷に乗る衛士の事だと推測できた。

 

特に最後の言葉は印象に残っていたのだ。戦場で鬼神とも呼ばれる人物とは、いったいどういった傑物であるのか。なので、赤の武御雷に乗っていた鬼神――――とは言わず、迂遠に聞いた。

 

「姉さん………姉さんは、"赤の鬼"という人物について知っていますか」

 

「………もう、斯衛の中でも噂に? 雄一郎、朱莉の前ではその名前は言わないであげてね」

 

意味が分からなかった。でも、朱莉という人が武御雷に乗っているらしい。そして姉さんが呼び捨てにするとは、よほど親しい人物に違いない。

 

そして、呼ばれた先である。

 

崇継様は所用で出払っているらしく、対応したのは真紅を纏う二人の衛士と、山吹を纏う女性と男性だった。赤の1人はあの真壁家の人間であり、斑鳩の懐刀とまで呼ばれている真壁介六郎少佐だろう。

 

もう1人の――――信じがたいことに僕よりも年下の少年――――衛士は風守家の者だろう。問題が多い家、と聞いたことがある。

 

武家とはいえ下々である僕達に大名格とも言える風守家の詳細な情報が降りてくるはずもないのだが、それでも嫌な噂はつきまとうものがある。僕でも名前を知っている風守光ではないのが気にかかるし、いかにも武家らしくない空気を纏っているのが違和感らしきものを助長させる。山吹を纏った女性は、藍乃姉さんが言った朱莉という人だろう。親しげに視線を交わすのが見て取れた。

 

もう一人の山吹の男性は、筋骨たくましく背も高い、いかにも武人といった雰囲気を持つ人だ。

 

配属後の説明が始まる。転属の経緯については僕のような者が問えるはずもない。ただ、与えられた機会に喜ぶばかりだった。しかし、どうしても気になることがあった。

 

それは、鬼神のこと。今は病院で静養している先任から聞かされた。生き残った僕達も、あの鬼神がいなければ間違いなく死んでいた。敗戦の混乱でうやむやになったが、どうしても直接お礼を言いたかった。だから僕は朱莉という女性衛士の前に出た。そして、開口一番に告げた。

 

「ありがとうございます、あ――――」

 

その時に、僕は言葉につまった。そういえば、名前だけしか知らない。このままでは初対面の女性に名前を呼びつけるという破廉恥な男になってしまう。そう考えた僕は、とっさに出た名前を口にしてしまった。

 

「あ、赤鬼さん!」

 

――――その後の事は、よく覚えていない。

 

はっきりと覚えているのは、何がしかの衝撃を受けて気を失う直前に見た光景。武人らしい大柄の人が盛大に吹き出したのと、真壁様が諦めの表情になったのと、女性二人から殺気が出てきたこと。

 

そして殺気渦巻く空間の中に在っても小揺るぎもせず、あちゃーと言いながらぽりぽりと頭をかく少年だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「勘違いって怖いよなあ、雄一郎」

 

「そうですね、痛感させられます。この身に味わった文字通りに。ですからそのニヤニヤした顔をやめて頂けませんか、大尉」

 

当時の事を思い出し笑うのは陸奥武蔵という、あの時に盛大に吹き出した当人である。

 

「それは無理だ。傑作だったからな。お前にとっては災難だったろうが」

 

あの後の事は思い出したくもない。というか、現在進行形で若干の敵意を持たれている。藍乃姉さんのとりなしがなかったらと思うと、怖くて夜も眠れない。そう呟くと、陸奥大尉も大いに同意してくれた。

 

彼は十六大隊の第一中隊の1人だ。十六大隊は特殊な部隊構成をしており、崇継様を頂点にして後は2つの隊に分かれている。

 

真壁少佐率いる、陸奥大尉達や僕がいるのが第一分隊。

風守大尉率いる、藍乃姉さん、磐田中尉がいるのが第二分隊だ。

 

全体で言えば青が1、赤が2、山吹が6、白が5だ。これは大変珍しいことである。

普通、五摂家の方々が直接指揮を取ろうという部隊に、白の武家の者が入れるはずがない。山吹の家格を持つ者が最低ラインなのだ。斯衛軍も衛士としての歴史は長くないが、そうした空気がたしかにあった。その慣習を壊したのが崇継様であり、風守大尉だという。

 

「………最初はどうか、と思いましたけどね」

 

機会を与えられたことが嬉しくないか、と問われれば否である。だが、場違い的なものを感じることもあり、戸惑いが優先する印象を今でも持っている。

今までに決まっていたものを、五摂家の方々や赤の大名家の人間とはいえ壊してもいいものか。

 

斯衛の色は何のためにあるのか、それを覆してなにか問題が起きないのか。

そうした事は、常に頭の中から離れないでいる。

 

「だが、必要なことだ」

 

答えたのは、背後から現れた真壁少佐だった。僕と陸奥大尉が急いで敬礼をすると、真壁少佐は敬礼に苦笑を混じえて返してきた。

 

「さて、相模中尉。貴様の言うことは尤もであろう。慣習は、意味もなく存在するものではない」

 

あるいは文化、あるいは効率。組織と国に関してはその成り立ち、歴史があるもので、何も意味なくできたものではない。

例えば武家には、男児女児問わず、幼少の頃より剣術を学ばせるべしとある。

 

これは肉体的鍛錬という意味もあるが、何より精神を鍛えるためだ。

そして、武家に産まれた者であれば、成人してからは多少なりとも荒事に関わることがほとんどである。

 

才能が無いため、指揮に回らざるを得ない者がいるとしよう。その時に剣を振るうものとしての心、矜持が分からなければ齟齬が生じてしまう。すれ違いは軋轢を、余計な争いを産む。それを防ぐために、といった裏の意味もあるのだ。

 

色に関しても、それまでの各家の功績が重んじられていることを示すためにつけられている。また、我の強い武家の人間には現在のような色を基準とした明確な差、視覚でも分かるような分かりやすい立場の違いがないと、指揮の問題で色々と揉めることが出てくる。

 

「その通りで、至極尤もなことだ。だが、相模中尉。自分たちはどういった存在か」

 

「はっ! 自分たちは、斯衛であり、衛士であります!」

 

「それ以前に、だ。陸奥大尉ならば分かるな」

 

「はっ! 武家であり、戦うもの――――勝利を求められる者であります!」

 

そうして、陸奥大尉は軍神・朝倉宗滴の言葉を口にした。

 

"武者は犬とも言え、畜生とも言え、勝つ事が本である"と。

 

「………犬と呼べば呼べ、畜生と蔑むならば蔑め。何と言われようが、武者は勝つことが全てなのだ、ですか」

 

「不満そうな顔だな。武家らしからぬ、とでも思うか?」

 

同意する。それを、否定されはしなかった。だけど、と更に重ねられた。

なら、現在の我々はなんであるのか。

 

「負けて、京都を追い出された。自分の家も守れず、それどころか多くの民間人を死なせてしまった。例え万を超えるBETAが相手であろうともだ」

 

「あ………」

 

そうだ。武家が、軍が負けた結果、守るべき存在である筈の民間人に多すぎる死者を出してしまった。

 

「矜持を持つこと、それは良いだろう。だが、我々は負けたのだ。武家が戦いに負けて、無様を晒してしまった」

 

戦う者が、勝てずに負けた。次に考えられることは、もっと大元の疑問だ。

どんな物事、役職も社会の中でその存在意義を見出されている。決めるのは大衆であり、歴史だ。だからこそ、問われるだろう。

 

――――負け続ける武家に、存在する価値はあるのか。

 

「否だ。口だけ達者な武者など道化も道化。弱い者だけにしか勝てず、なおそれを認められない輩など――――BETAにさえ劣る」

 

「そ、れは………いや、だからですか」

 

「そうだ。我々は我々のためにも、武家としての証明を求める必要がある。勝つための最善の方法を模索し続けなければならんのだ」

 

そうして、陸奥大尉に質問が飛んだ。元は崇継様直轄部隊の一員だった山吹の者が別の中隊に移された後はどうなったかと。

 

「最初は衝撃を受けておりました。が、次には更なる鍛錬に励むようになりましたな。私も、いつ移されるか分からぬと思い、より一層の精進が必要であると危機感を抱いております」

 

「……!」

 

そういえば、と気づく。この隊の人たちは、全員がそうした緊張感を持っている。なぜかって、自分の足元が危ういからだ。そして他の隊に移された人たちも、斯衛の衛士である。白の者に腕に劣るは、何よりもお家の恥。そう思い、更なる努力に励むだろう。

 

以前に行われた模擬戦でも、気合の入り方が違っていた。それに、自分の流派の長所を活かした戦術機動を惜しげなく使っていたように思える。通常であれば、模擬戦といった実戦ではない戦いであれば多少は技を隠すものなのに。

 

「出し惜しみしている場合ではないと、気づいたのだろう。風守の言葉もあったしな」

 

「陸奥大尉、その言葉とは?」

 

「“勿体ぶらずに盗み合えばいい。戦術機と兵器は人類の成長の証。武技戦術の類も同様であり、交流から発展が始まる”、らしい」

 

文明の進化の裏には戦争があった。伴って兵器が発達し、結果的にだが人類はBETAと戦えるようになった。極端だが、石器時代の人間であれば瞬く間に踏み潰されるだけで、戦いにすらならなかったことは間違いない。

 

飽きず同族同士で殺しあう人類は愚かであるといえよう。多くの同胞の血で地球を汚してしまったが、それでも争いが無ければ異星の脅威と戦うに足る武器も生まれなかった。武技も同じで、争いの方法であるかと問われ、否と返すことはできないだろう。各流派の武は兵器と同じで、争いの先に生まれたもの。今正に、真価が問われているのだ。

 

「しかし、盗むというと人聞きが悪いような」

 

「活用する、と考えろ。いちいち教え合っている時間もない。中尉も、誰かが教えてくれるまで口を開けて待っているような、鈍間な間抜けだとは言わんよな?」

 

「は、はい」

 

陸奥大尉はいう。技術なんてものは盗むのが当たり前で、教わるまでじっと待つだけのものなどよほどの間抜けか、何も考えていない阿呆だけだと。

 

「あまり脅すな、陸奥。相模中尉、臆することはないぞ。我々はそういった積極性を持っているが故に、貴様を隊に入れたのだからな」

 

そういえば、聞かされたことがある。イメージトレーニングをしつつも、走っていたからだと。あの時の僕は、自分の体力不足を補おうとしていた。何故って、実戦でバテてしまったからだ。体力はまだあったが、戦い始めた頃の動きを長時間保持できなかった。それを改善するために、自分なりの方法で自分を鍛えていたのだ。その御蔭だと、真壁少佐は言われた。

 

「創意工夫が無ければな。言われるがままに動くだけの人形はいらん、ということだ」

 

「それも、真壁少佐の?」

 

「いや、風守のやつだ」

 

曰く、衛士は少数の部隊でも、成果を求められる。あるいは、成果を出せると。戦場に適応し、自分なりの戦術を組み立てた上での行動を必要とされる兵種だ。だからこそ、命令しか守れず、それより先を考えられない兵士では向かないと言われている。

 

自分なりに、切羽詰まった状況で、苦境にあっても役に立つ方法を考える作業に慣れればいいという思惑があるらしい。他人の技術を盗むことも。ある意味で必要にかられた上でのことなのだが。

 

(そう考えると、確かに面白いな………考えれば、この日本という国もそうだ)

 

兵器、武術といった方面もそうだ。戦争により必要になり、勝つために必要だからと発展した。その姿勢が大事なのだ。何よりも必要とされるから技術は高まり、深まっていく。日本は、台風に地震といった、人間ではどうしようもない巨大な自然災害が牙を向いて襲ってくる土地である。その反面で、得られたノウハウは高い。実際に人の生死がかかっている以上、無駄なく実践的であるものが求められているのだ。そして対処方法の模索の中に新たなる発見も。研究や実験に付随し、得られる技術や知識は多いだろう。

 

(風守大尉か。僕より年下だってのが信じられないな)

 

撤退戦より今まで、本格的な迎撃戦は何度かあったが、その中で彼の腕を直接には見てない。真壁大尉の第一分隊は別行動を取っていたからだ。だが、模擬戦の中でも彼の非常識さは理解できる。

 

いや、理解できないといった方が正しいか。技術を盗むにはそれを振るうものの思考をある程度理解することが必要になるが、風守大尉が何を考えて戦術機を動かしているのか、模擬戦の中では皆目分からなかった。戦術機対応型宇宙人、と呟いてしまった僕に否はないと思う。だけど、圧倒的だ。鬼神と呼ばれるのも、納得できる。

 

背景や隊に入った経緯は怪しいことこの上ない。それでもこの状況下においては絶対的に必要不可欠な人材であるとして、隊の中の誰もが表立って文句を言わないのを考えると、その異様さが分かると思う。

 

「だが、物事に対し真剣に当たらなければ意味はない………それは分かるな、相模中尉」

 

「はい!」

 

何をいわんや、それは道理ですらない、当たり前のことだ。成長も、必死なる鍛錬があってこそなのだから。

 

「その意気だ。常に上を目指し続けろ。現状に満足した途端に伸び悩むからな」

 

「自分に不足はない、と判断できる程になってもな」

 

陸奥は苦笑した。そして、と付け加える。

 

「そういった意味でも、あの年少の鬼神殿は規格外と言えるな」

 

「規格外、ですか?」

 

「あの才覚に、あの練度と技量。そこに至るのは、“今のままでは足りない”と、そう思い続けたからだ」

 

「………そう、ですね」

 

「ああ。……これは独り言なのだがな。奴は言った。先に逝った戦友の墓に添えられるのは、いつか必ず人類は勝利する、という言葉だけなのだと」

 

「な……いえ。そこまで、風守殿は」

 

失っているのだろう。だからこその誓いか、あるいは。故の実力なのだと、どうしてかこの考えは間違っていないように思えた。才能がどうあっても、衛士が強くなるには日々の努力が不可欠だ。風守大尉は年若くして、あれだけの強さを手に入れられた。でも、全く満足していない。その理由が分かったような気がする。いや、違う。分かっていなければならなかった。訓練に対する姿勢や、その表情を見れば察するに足るだろうに。

 

だけどただの衛士から熟練の衛士になっても。そこでもまだ足りないと思い続けたからこそ、あの域にまで至ったということ。数年前より大陸で研鑽を積んできた、ということは隊の中では周知の事実である。逆に考えると、それほどまでにBETAは厄介だということだ。隔絶した技量をもってして、まだまだ足りないと思わされる程の。

 

雄一郎はそこで背筋が凍るような思いにさせられた。敵の強さに対しての試算の甘さ、そして気付かなかった自分を呪いたくなる。京都の敗戦はまだまだ序章なのだ。いや、半ばを過ぎているのかもしれない。この国の滅亡という題目の舞台の、その終焉まで。

 

「以前に………紫藤大尉がおっしゃられた言葉は」

 

激戦を経験された衛士である。噂では“死ねばいい”とか、そういった種類の言葉だったように思う。だけど、本当は“死に瀕しているという事実を知ればいい”など、そういった意味を思わせる言葉だったのではないだろうか。

そう思って真壁少佐の顔を見たが、頷かれた。どうやら間違っていないらしい。

 

「忠告をしたのだろうに、その意図を歪められてしまった。BETA戦争を知らなかった斯衛の甘さ故に。もっとも、幾人かは彼の真意に気づいていたようだが………」

 

真壁少佐は察しておられたらしい。いや、だからこその今回の事か。力づくにでも、自分たちの立場を分からせたということだ。まさか、そんな深謀遠慮があったとは。全てを理解した僕は、このような優れた上官がいることに感謝し喜んだ。

 

えっと、だけどさ。

 

「あの、不遜とは思いますが、たずねさせて頂いでもよろしいでしょうか。どうして………少佐殿は、墨のついた筆を持っておられるのですか? 陸奥大尉も、どうしてそんな同情するような目を僕に向けて………」

 

狼狽える僕の背後に陸奥大尉が回りこむ。素早く抑えられて、身動きのできなくなった僕に言葉が。

 

「今回からの新たな規則だ。"模擬戦で最も無様を晒した者は、この筆で顔に落書きをされるとな」

 

より一層、真剣になることだろう。棒読みで言われたって説得力が、って待って下さい。

 

「しょ、少佐! ほ、本気なのですか!?」

 

「私も抵抗したのだがな………まあ、額に"肉"などと書かれるよりはマシであろう」

 

「そうだな。それに――――気合をいれなきゃあ、駄目だろ?」

 

振り返らせたい誰かのために。大尉の言葉に、僕はぎょっとなった。

なんで、誰にも言っていないのにそれを――――と、迷ったのがいけなかった。

 

虚をつかれた僕は、その後の抵抗も虚しく。

頬には真壁少佐によって?の文字が描かれてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………崇継様。罰ゲームの執行、完了しました」

 

「ふむ。よくやった、介六郎」

 

刑の執行に対して、崇継様は無表情であった。特別におかしいといった所もなく、何の感情も抱いていないように見える。一見は、だ。俺も長い付き合いであるからして、崇継様が内心で面白おかしい方向で満足している事は確信できていた。

 

罰ゲームの提案者であるからして、当然とも言えるのだが。一方で崇継様にそのような方面での提言を出した男といえば、なんとも言えない表情をしていた。

 

「うーん………崇継様。やっぱりほっぺたに“X”を書くだけじゃ甘いんじゃないですか?」

 

「やはり、其方もそう思うか」

 

「ええ。止めたのは俺ですけど、やっぱりやるからには徹底的にやった方が。模擬戦や訓練にも真剣さが増しますし」

 

色、階級による絶対優位性を無くしたのは崇継様の提案であった。そして、更なる気の引き締めにと白銀に意見を求め、返ってきた言葉が罰ゲームである。

 

白銀も、まさか採用されるとは思っていなかったのだろう。だが、一度決まるとなるとイキイキとした表情で意見を出し始めた。額に文字を書くのも、こいつの案だ。

 

罰ゲームの内容について、白銀は仇名をつけようとしていたのだが、内容を聞いた自分はすぐに却下した。流石に刃傷沙汰というか決闘にまで発展しそうだったからだ。

 

それよりも視覚的に攻めた方がいいと提案したのは、崇継様だ。以前に白銀から色々な話を聞いていたからだろう。色々とツボにハマったらしい。紫藤樹の女装姿が写真に収められていると、それを実際に見た後は、顔を逸らして肩を震わせていた程である。

 

「では、頬にうっすらと赤い化粧をさせるというのはどうだ」

 

「どんだけ寒がりやねん! って関西出身の衛士からツッコミが入りますね。あ、でも、いっそぐるぐるほっぺにした方が映えますよ」

 

「ふむ。インパクトは確かに、見た目に分かりやすい方が効果が高いか」

 

次々に意見が出ている。崇継様も昔より突然突拍子もないことを言い出す時があったが、白銀と出会ってからはそれが更に加速しているようだ。

楽しそうなので個人的には良いのだが、被害を受ける者の事も考えて欲しい。

 

それに、白銀。

 

「確認するが、白銀。罰ゲームの執行者は、その対象者がいる分隊の隊長。つまりは、俺かお前が行うということだったな」

 

「え? はい、そうですけど」

 

「ならば、磐田や吉倉が対象となった場合、あの二人の顔に処置を施すのは貴様になるのだが」

 

「………あっ!」

 

気がついたようだ。今でさえ敵愾心を抱かれている自分が、それも女性の顔に一筆を入れるという行為の意味を。その時のことを想像しているのだろう。俯いた白銀の肩が小刻みに震え始める。しばらくして、ばっと顔を上げた。

 

「今のままでいきましょう、崇継様。武家のなんたらかんたらを考えると、Xだけでも効果は十分と思われます」

 

「大雑把だな………流石の其方も命は惜しいか」

 

「ええ。具体的には至近距離より120mmを叩きこまれそうです」

 

「其方ならばそれでも耐え抜きそうであるが」

 

「真顔で何言ってんですか!? 俺だって人間なんですから、流石に死にますって!」

 

「嘘なのだろう。相模中尉が呟いていたそうだぞ。其方は宇宙人であると」

 

「違いますから。横浜生まれの、ただの地球人ですから」

 

「ふむ。巷で聞いた噂では、米国では宇宙人の事をグレイと呼ぶらしいぞ」

 

「いや、確かに銀色はどっちかっていうと灰色ですけど。ていうか白銀と鉄を混ぜあわせたんですか」

 

談笑をしている二人を置いて、ため息をつく。引っかかる所がいちいちあるのだ。日本人、と言わない所がこいつらしい。武家のことをなんたらかんたらとかいうのは怒りを通り越して呆れるしかないが。ともあれ、漫才を続けている暇はない。

 

崇継様や白銀の提案により、隊の練度は急速的に上昇している。

相模も今回の?ゲームの対象となったが、隊内のいい刺激になっている。

 

今までも、真剣であった事に違いない。だが足元が危うくなるのとそうでないのとは、気の入り様が違ってくるのも確かだ。

競う相手が明確になっているのもいい傾向である。誰しも、負けたくない相手というものが出来れば頭を働かせるというもの。

 

どうやれば負けないか。負けた後でも、敗北から自分の弱点を見つめなおす機会も出てくるだろう。暴走する者が出るような危険性はあるが、そのあたりは俺が調整すればいいだけだ。

 

士気の向上、また戦果を考えると全体的にだが順調にいっていると言えるだろう。

九条と斉御司、煌武院と繋がりが深い一部の部隊も、こちらの方針を取り入れているようだ。

 

崇宰は、今までのやり方をずっと貫いているようだが。

傍役である御堂剣斗の未熟さもそうだが、御堂賢治がやらかした事も大きな要因となっている。隊の運営方針の変更には、絶対的なまとめ役が必要だ。

 

九條で言えば水無瀬、斉御司で言えば華山院、煌武院で言えば月詠。

いずれも文武に優れる才人であり、大勢の部下から信頼を預けられる活躍を見せている。御堂剣斗は、戦術機の技量こそ大したものであるが、それだけなのだ。

やや才能の高さを鼻にかけるような部分も持っているが故に、年上の衛士よりの信は決して厚いとは言えない。

 

やはり、相応しいのは煌武院悠陽以外にいないか。だがそうなれば、今後の舵の取り方を色々と考えなくてはならない。幸いにして、五摂家の当主の方々の中で煌武院悠陽の適性を認めていない者はいない。態度は表立ってのもので、裏では何を考えているかは不明だが、遷都後の帝国にどういった人材が将軍になるべきかは分かっているはずだ。

 

傍役に一抹の不安はあるが、そのあたりは鎧衣左近がフォローするだろう。後は、国内外から舐められないように力を持つことだ。対BETAの切り札――――戦術機である。

 

「………白銀。武御雷はどうだ」

 

「なんですか、いきなり」

 

「状況を打破するに足る機体かどうか聞いている」

 

抽象的な問いだ。だけど白銀はひとしきり頭を捻り、考えた上で結論を出してきた。

 

「性能に関しては文句なしですよ。現存する機体じゃあ、一番に使いたい機体ですかね」

 

「その割には、引っかかる物言いだが」

 

「あー、整備性に問題があり過ぎますからね。整備員殺しってやつ? あとは、限定的な所ですが配備数が少なければ………これも改善の余地はあるでしょうが」

 

具体的には、各種部品の精度に関することだろう。武御雷という機体が各種部品に要求するスペックは高い。同時に、整備性にも問題があるということだ。

図面通りに組まれているのであれば不具合も無いだろうが、そもそもの組み立ての難度が高いという。整備に関しても同じことが言える。かねてから問題にされてきた事だ。

 

要求され、達成した高スペックに対してのデメリットである。衛士の技量もそうだが、整備兵も一定以上の経験を積んでいなければ単純な部品交換や各種点検にも時間がかかるような仕様をしているというのは問題以外のなにものでもないだろう。

 

「一番大変な腰部関節と脚部関節に関しては、大東亜の協力もあってクリアできそうなんですよね?」

 

「全面的にではないが、大半はな」

 

白銀影行――――こいつの父親であり風守少佐の伴侶である男がやってくれたという。

部分的な調整、改修案をやらせれば相当なものだと聞いてはいたが、予想以上に有能だった。

 

「それも、貴様の武御雷での実戦運用データがあってこそだがな」

 

「………親父の事は知っていますから」

 

座学での教師役だったらしい。戦術機の中のどういった部品の何が重要で、その上で父がどういった構造を好むのかは聞いているとも。

以前に面白い話を聞いた。最高峰とは、整備員が泣きも笑いもしないような。それでいて、やってやろうじゃないかとやせ我慢を見せるようなものらしい。

 

「なんにせよ、順調という訳だ。だが白銀、分かっていると思うが――――」

 

「慎重にやりますよ。ここで死ぬわけにはいきませんから」

 

白銀の言を信じるならば、これより我が国は泥沼の防衛戦に入っていくことになる。

佐渡も、横浜も。国内にハイヴが建設された後の関東防衛戦では、少なくない数の犠牲者を出すだろう。

とはいえ、失うに怯えて大望を果たせなければ意味がない。

 

「そうだな。いざとなれば――――部下の命を捨て石にしてでも、其方は帰還せよ」

 

崇継様のお言葉に、白銀が硬直する。畳み掛けるように、補足してやる。

 

「磐田と吉倉であれば、其方の命には従うだろう」

 

「あの、二人が?」

 

白銀は訝しいというよりは、虚をつかれたような表情になる。普段の二人の態度を思い返したのだろう。

 

「必要となれば、だ。それよりも何か問題があるのか?」

 

「それは………ただ、命令を素直に聞くかなあと」

 

「その点に関しては、まず問題ない」

 

胸の内は分からないが、私情を優先し役割を放棄するほどあの二人は愚鈍ではない。

崇継様も同じ意見を持たれているのだろう。諭すように、告げられた。

 

「其方が無意味な命令を出すなどとは思っておらぬさ。それとも、特別な感情を抱いているとでもいうのか? あるいは、自分が好かれているという自覚でもあるのか」

 

崇継様が、やや悪戯の気を出してきたようだ。からかうような問いかけに対し、白銀は首を傾げていた。

 

「いや、無いですって。そういうの分かりませんし………っていうか間違いなく嫌われてますよ、俺は」

 

「………ふむ」

 

崇継様も違和感を覚えられたのだろう。探るように、問いを重ねる。

 

「時に白銀。其方は異性と肌を重ねた経験はあるのか」

 

「………は? ぇあ、ありませんよそんなの!」

 

「崇継様………直球過ぎます」

 

相変わらず、突拍子もない事を言われる御方だ。というより、聞きたい事が飛躍しすぎている。救いを求めるようにしてこちらを見ている白銀に、より詳しく説明をしてやる。

 

「恋愛経験はあるのかと、そう言っている」

 

「恋愛………いえ、ありませんけど。なんでそんな事気になるんですか?」

 

「武家の者は、基本的に自由恋愛は許されないものでな」

 

婚姻は家と家の結びつきを強める事と同義だ。故に相手は慎重に選ばねばならない。

肌を重ねた事があるか、というのはそういった意味での問題があるかを聞きたかったのだろう。もしも白銀に隠し子でも居れば、今は小康状態にある風守周りの事情が加速度的に拙い方向へ発展しかねないのだ。

 

「女の部分を利用して、貴様の情報や力を取り込もうとしてくるかもしれない。今までにそうった経験はなかったのか………いや待て」

 

漠然と説明させるのは、良くない気がする。そういうのが分からないと言っていたしな。過去を探るのも兼ねて、これまでに接した女性衛士に関して聞いてみる。

 

―――――これが、まずかった。数分で済むと思ったら、たっぷり30分はこいつの女性遍歴というか撃墜っぷりを聞かせられたのだ。

 

「貴様………よく周囲の女性より鈍感だと言われんか?」

 

「あー、言われますね。それもかなーり呆れた感じで」

 

そうだろうな。同年代の女子であれば恋慕の情も無意識的であろうが、こいつが接してきた女性衛士は年上の方が多い。母親役や姉役であれば親愛よりの情の方が高いであろうが、明らかに本気かつ年上の者もいくらか居るようだった。

 

例の中隊で言えば、サーシャ・クズネツォワと葉玉玲といったところだろう。それ以外でも、何人かアプローチを受けていると見た。こいつは全然気づいていないだろうが。ため息をついていると、不思議そうな表情を浮かべていた白銀がこちらを見た。

 

「あーでも、お二人はどうなんですか? かなりモテそうですけど」

 

モテる、という言葉の意味は分からないが、ニュアンス的に異性に人気があるかどうか、といった事を聞きたいのだろう。

 

「崇継様は年齢問わず人気があったな。一部の女性からは、崇拝の対象にまでなられていた」

 

「ふ………私は凡夫だよ。たまたま、ご婦人方の目に止まっていただけだ。その点、介六郎は年下から絶大な支持を受けていたようだった」

 

「嫌味にしか聞こえないんですが………これだから天然イケメンは。でも、真壁少佐は確かに、一見すれば優しそうに見えますもんね」

 

「それはどういう意味だ、白銀」

 

無意味に怒る程理不尽に接した覚えはないぞ。睨みつけてやるが、誤魔化すように視線を逸らされた。

 

「あ、そ、そういえば五摂家の方々はどうなんですか? 炯子様と水無瀬、って名前でしたっけ。仲良かったんですけど、傍役の人達とかでくっついたりする事あるんですかね」

 

「過去にそういった前例はあるな。だが、奴に関して言えば皆目分からない。私的には斉御司あたりが怪しいと思っているが」

 

「宗達殿ですか………初耳です」

 

驚かざるをえない。炯子殿が水無瀬のバカと仲が良いのは周知の事実だが、まさか事あるごとに説教を受けているあの宗達殿と?

 

「あくまで可能性を言っている。というより、あいつに関しては本当に分からんのだ」

 

「えっ。すっごい分かりやすい人に見えましたけど」

 

「それは罠だ。ああ見えて、斯衛でも屈指の曲者だ。変な所で変なこだわりを持っている。甘く見ていると火傷では済まんぞ?」

 

崇継様の個人的な感想は置いておいて、おっしゃる通りに九條炯子は侮れない存在である。個人の性格は未知数な部分が多いが、その実力は本物というより他はない。

特にあの部隊全体の練度は空恐ろしいものがある。全隊に至るまで九條炯子への忠誠度も高く、士気も非常に高い。想像ではあるが、一体となって果敢に攻めてくる光景など、考えただけで背筋が凍る。斯衛の中ではまず一番に敵に回したくない部隊だろう。

 

「それより、貴様も気をつけろよ。異性との揉め事が原因で家同士の対立に発展するのだけは御免だからな」

 

「介六郎………お前はよくよく真面目な方向に話を持っていくのが好きだな。あと一歩で、もう少しおもしろい話を引き出せそうだったのだが」

 

やはりか。五摂家の方々の話題を出されてから、これ幸いと誘導しようと企まれていたな。恐らくは、煌武院悠陽の事だろう。自分もある程度以上の事は把握しているが、直に聞くと色々と胃が痛くなりそうなので後回しにすべき問題だと判断している。

いや、判断したいというべきか。白銀の奴は色々と自覚が足りなすぎるのもある。あとで忠告をしておくべきだろう。聞くかどうかは分からないが、後々に怖い事になりそうだ。そして思ったとおりに、自覚が足りない発言をした。

 

「はあ………でも、こんな得体のしれない奴を取り込もうとするでしょうかね」

 

「………確かに、過去に不明瞭な部分が多いのは大きなデメリットと言えるだろう。だが貴様にリスクに見合う価値がある、と判断したのであれば、どんな手を使っても取り込みに来るぞ」

 

純粋な戦力で考えた場合、衛士としてのこいつの評価はアジア圏内でも三指に入るだろう。裏の事情、知識、情報を含めれば今後30年の世界の戦況を左右する人物と言っても過言ではない。それなのに年若く、また海外の色々な所へのパイプも期待できるのだ。もし自分が他家であり、白銀に対してそうした情報を持っている場合を考える。家中に当主ではない女子が居た場合は、まず婚姻を結ばせようとするだろう。

 

そういった意味で、篁家が危うい所であった。あの家だけは唯一、白銀武の有用性を把握していると見た。その武勇と、知識についてもだ。篁唯依がもしも篁の後継でなかったら、と考えると頭が痛く――――いや何か背筋が凍ったが、何故だ。

 

隠し子などあり得ないだろう。風守女史のような事情など、稀も稀なケース。篁祐唯や篁栴納に関しては、紫藤家の先々代のような悪い噂も聞かない。まさか、隠し子などあり得ないだろう。

 

「どうしたんですか、難しい顔をして」

 

「こちらの事情だ。それに、難しい顔にもなる」

 

衛士としての覚悟は、今更疑いようもないが。

 

「郷に入れば郷に従え。仮初ではあるが斯衛としてある以上、武家の一員として自覚を持てと言っている」

 

あくまで、例の計画の際には斯衛を離れることになってもだ。

 

「その上、半分とはいえ隊を預かる身になったのだ。そういった自覚と共に、部下を励ます手法も学んでいかなければな」

 

「自覚はともかく、励ます………ああ、突入前の演説とかですか。何度かやった事はありますが」

 

「どれも戦闘中だろう。平時の部下にどういった言葉をかけるべきか、その判断力はまだまだ未熟だ」

 

今までの行動を見れば修羅場や土壇場に強いのは分かるが、問題は戦闘の外のことだ。

横浜の例の人物と対峙するのであれば、そういった話術の基本的な事も学ぶべきだしな。

 

「上官に指示を仰ぐ立場だった時の事を思い出すといい。分かっているつもりでも、言葉で示されるとまた別の感慨を抱くだろう?」

 

名指しであれば余計にだ。あくまで表面上の小細工にすぎないが、戦っているのは人間なのだ。1人の衛士の覚悟、成長が原因で限定的にであるが戦況が動く時もある。

だが部下の事情などを深く把握しなければ効果的にならない。

 

「あー………でも恥ずかしいんですよね、演説もそうですけど。できればお二人の言葉を参考にしたいなー、なんて」

 

「戯け。そこは自分の言葉で語る所だろう」

 

「崇継様のおっしゃる通りだ………その場の勢いで何とかしそうな所も怖いが」

 

「怖くも、期待感に胸を躍らせられるがな。まさにびっくり箱のような男だ」

 

「………正鵠を射ていますが」

 

1人で満足気な顔をされても、その、困る。

今後の立場を考えれば、こいつのフォローに走るのは自分以外にいないのだから。

 

「とはいえ、貴様だけに任せるのも不安だな………一度でいい、草案ができたら見せに来い」

 

「それはそれで恥ずかしいんですけど」

 

「自業自得だ」

 

今までの振る舞いを考えれば怖くて放ってはおけん。告げると、頭を抱えて悩み始めた。崇継様は、それを面白そうに眺められていた。

 

「何、難しく考える必要はないぞ。今から考えてみてはどうだ? ――――オリジナル・ハイヴを陥落させる前の演説などを」

 

早すぎても、遅すぎるよりは良いだろうと。からかいの裏で、その言葉には冗談ではない何かがあった。白銀も、それを悟ったのだろう。一瞬だけぽかんとして、直後に面白そうに笑った。

 

 

「そうですね、考えときます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白銀が退室した後。私はあっけに取られていた介六郎を見て、笑った。

 

「どうした、面白い顔をして」

 

「いえ………少し、驚きまして」

 

「そうか。私には、其方が悔しがっているように見えるが?」

 

「………おっしゃる通りです」

 

図星を突かれると誤魔化さず、意固地にもならず認めるのが介六郎の長所であった。

悔しがっている。足りないと、不甲斐ない自分を殴りたいと思っている。強がりでも笑えなかったことを。この戦況にあって、オリジナル・ハイヴの攻略という大望を忘れないでいる白銀の事を羨んでいる自分を。

 

知っている、京都での敗戦。死んでいった戦友、滅び行く町。

一番に悲しみ、だけど立ち直りも一番に早かった少年を忘れているはずがない。

 

「とはいえ、其方の助力がなければ………危ういだろうな」

 

白銀武という少年は、人を信頼したいという思いが根底にあるのだ。人の外道に不信は抱こう。だけどその事実に直面して内心で傷つくのは、前提として人に好意を持っているからだ。生まれ育った町でなくても、失った人の気持ちを汲むことが、本気で嘆くことができる。

 

素晴らしいことであろう。親の影響か、環境か、あるいは生まれ持っての事か。不明ではあるが、平時であれば尊ばれるべき人格を持っている。だが、今は戦時なのだ。その上であの者は、様々な人間の思惑や陰謀が渦巻く道を往かんとしている。世界を動かそうとする人間が集う、悪意の坩堝の中を。

 

「………世界を動かすのは人の悪意だ。今も昔も、これから先も変わらないであろう」

 

時代という時計の針を進めてきた原動力は人の欲であり、悪意である。どの時代でも変わらない。停滞していた世の中を打ち壊すのは、人が何かを犯し、奪い、破壊しようとする意志そのものであった。今まさに時代が動こうとしている。様々な人間の思惑が重なっている。

 

「だが、世界は今も形を保っている。他ならぬ人の善意によってな」

 

あらゆる滅びを、人の死を。

悪しきものと断じて否定するのは、人間以外にいないのだ。

 

だからこそ、白銀は時代の申し子だといえよう。幾千もの記憶を、終末の悲劇をその中に持っているのであれば。人の世の終わりを防ごうと、誰よりも強い意志で挑むことができるのだから。

 

「だが、善意は悪意に対して弱い。そのためには――――」

 

「悪意を防ぐ“壁”が必要ですか。古来より、英雄の横には常に介添人が居たように」

 

介六郎は、きっと私を英雄にしたかったのだろう。世を救う者として。その忠誠、心は有難いと思う。応えてやりたい、だが。

 

「魅せられたからな。あの輝きに」

 

燻った鉄であった自分を打ち破り。黄金のように派手ではなく、だけど白く光を放つ。

 

私の顔は、どうなっているのだろうか。

 

鏡が無いので分からないが、こちらの顔を見ていた介六郎はため息をついて、そして不敵に微笑んでいた。

 

 

 


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