Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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9話 : Turning points_

分岐の点は無音にして透明。

 

過ぎて振り返り、足跡を見て気づくのだ。

 

 

 

 

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人が居れば街は賑わう。例外はあろうが、存在するだけでその場所は騒がしくなるのだ。

それが良きにつけ悪しきにつけ。夢や希望、目的や理由のない人間などいない。色々な人が居て、呼吸をして。動けば、街は揺れ動く。

 

しかし、ここには何もなかった。

 

「………」

 

「だから言ったろうに」

 

助手席で無言のまま窓の外の光景を眺めている武に、運転しているターラーはため息をついた。

 

基地から車で2時間程度の距離を経てたどり着いたのは、かつてインド亜大陸中央に位置する街として賑わっていた都市だ。だが、今ではもう過去の栄光も消えに消えかかっている。

 

発端は1990年。カシュガルより侵攻してきたBETAは、ナグプールより距離にして200km離れた場所にあるボパールにハイヴを建設した。

 

亜大陸侵攻の中継基地として建設されたと、とある専門家は見ている。

 

また別の専門家は、等間隔にハイヴを建て、その地にある資源を採掘しているのだとも言う。

 

しかしBETAの思惑は別として、頑然たるハイヴはそこに建設されてしまった。それはBETAを生み出す施設として考えられている、"反応炉"がそこに置かれてしまったということだ。

時間が経てばBETAは増える。そして地上に溢れ、一定の数を越えればまた侵攻を始める。

 

間引きする余裕もなかったインドの国軍は、幾重にも及んだBETA侵攻を止めきれず、敗北。

今は国連軍の指揮下におかれるほどに弱体化してしまった。

 

国連軍の戦力も十分とは言えなかった。1年前のスワラージ作戦が行われる前には、BETAが一時ナグプール一帯に侵攻してきたこともあった。勿論、それを許す軍ではない。守るべき街を背中にして、誰もが決死の思いで戦った。

 

一歩も漏らさないと戦線を張り、維持したまま迎え撃った。

しかし、全てを漏らさず仕留めきれるほど、BETAの物量は優しいものではない。

 

数にして、100。小型種のみであったが、全体の何十分の1かという数が戦線の穴を抜け、ナグプールへと入り込んでしまう。そこから先は血の煉獄。異星の怪物は怖気をふるわせる外見を隠そうともせず、堂々と街を蹂躙し、そこに住む人々を蹂躙した。

 

基地より出撃した強化歩兵が到着したのは、街に侵入してからわずか20分後。

しかし、それでも被害は甚大なものとなった。

 

街のあちこちには、普通の歩兵では持つこともできないぐらいに大きい重火器の弾痕が残っている。

 

目に見えない傷跡も、また。

 

「………かつてのこの街は、多くの人々が住んでいてな。亜大陸の中央ともあって、交通や交易の要所として栄えていた。かつてここで祖先が生まれて。だから自分たちもこの街で生きて行くと、そんな人達も多かった。逃げ出すことなどできないからと、後方への避難を辞退する者が多くてな。また、多くの教徒もいた」

 

難しい説明を省いて言うターラーに、武は首を傾げる。

 

「えっと、教徒ってなんですか?」

 

「………そういえばお前は日本人だったな。まあ、日本人のお前には言ってもわかりにくいか。詳しい説明は省くが………ここに住む人々にとっては、本当に大切な場所だったんだ。それこそ、命を賭けても惜しくないほどに」

 

ターラーは顔を横に向ける。つられて、武もそちらに視線を向けた。

 

 

――――そこには、何も無い。

 

 

あるのは、崩れた家々の残骸。かつて、誰かが居て、何かがあったという、名残だけ。

 

「………生き残った人達は………その、居たんですよね?」

 

「ああ。しかし生き残った人間の大半が、重度のPTSD(心的外傷後ストレス障害)を負ってしまっていてな………疎開で大半が移動済みだったのが不幸中の幸いだ。もしも避難が済んでいなければ類を見ない大惨事になっていただろうな。いや、今でもそうなのだが………」

 

鎮痛な面持ちになった。この街でBETAを見るということは、すなわち人が喰われている光景を目の当たりにしたということ。

 

人を食べる何か、その捕食者が虎でさえまともな人間の心には重いものだ。

 

それが異形の極みたるBETAであれば――――

 

「………酷い、戦いだったんですね」

 

「私は前線で戦術機を駆っていたが………当時戦っていた歩兵が言っていたよ――――悪夢ですら生ぬるい光景だったと」

 

ターラーはそう語った歩兵の、死人のように白い顔色を思い出していた。

 

「人が喰われる光景………想像でも見たいものではないな。生で直視すれば………私とてまともで居られる自信はない」

 

「教官でも、ですか?」

 

武はターラーのことを尊敬している。教官としてもそうだが、戦歴に関しても。ターラーの衛士としての戦歴は5年だという。だが、このインド戦線で5年戦い続けたのがどういったことなのか。

 

武はそれを、彼女の同期の9割9分が死んだという事を聞かされた時に理解した。

 

「ああ。戦車級に喰われる仲間の悲鳴なら聞いたことがあるが………直で見るのとはまた違うだろう。あの悲鳴でさえ正気をごっそりと削がれるのに、な」

 

ちなみに戦術機が開発された当初は、その悲鳴も見逃せない点であると問題視されていた。衛士達の心の耐久力を削っていくものとして、通信を部隊内に絞るべきだという声もあった。それほどに、最前線における心の問題は酷かったからだ。

 

当初のように通信範囲が広く設定されていて、そして激戦になればなるほど“被害”は大きくなっていった。悲痛な断末魔が、雨のように絶えず降り注ぐ。それは一種の拷問に近かったからだ。

 

「……辛い環境の中で鍛え続けられれば、心は強くなるだろう。慣れれば耐性もつくかもしれない。だが、許容量もまた明確に存在するんだ」

 

心には限界があって。その限度を越えれば、呆気なく壊れる。そうして去っていった衛士を、ターラーは何人も見送ったことがあった

 

「根を詰めるのは当然のことだ。でも、それだけでは余裕がなくなる。こういった息抜きは本当に必要なことなんだよ」

 

「休息も仕事、ってことですか?」

 

「ああ。クラッカー中隊の前衛二人も、な。スワラージ作戦で仲間を失い………自分を追い込みすぎて、心を病んでしまった。そして、"壊れた"者達が前線に戻ることは、二度と無い」

 

ただの一度の前例も。そう言うターラーの声は、忌々しいものに満ちていた。

 

「戦死ではない。だが、心が壊れた人間は………死んだも同じだよ。今は対策として、通信範囲を限定的に絞るか、指揮官機だけが広域の通信を受け取れるようにしている。それは間違った対処法だと叫ぶ者も多いがな」

 

「え、でも。悲鳴を聞いてパニックを起こしたりする人もいるんじゃあ?」

 

その隙にやられることもある。ならば通信を遮断することも、対策の一つではないかと疑問を浮かべる武に、ターラーは前を向いたままで言った。

 

「指揮の問題もあるからな。それでも工夫をすればどうにかなるんだろう。遮断をすれば、という理屈は分かる。だけど、考えてもみろ白銀。あの鋼鉄の檻の中で最後を迎えようとする時――――」

 

 

最後の断末魔でさえ残せないなんて、悲しすぎるだろう?

その言葉に、武は言葉をなくしていた。

 

確かにそうだ。自分が死ぬという時に。想像する。最後の悲鳴でさえ、誰にも届かず。

たった一人、あの狭い部屋の中でBETAに喰われ死んでいくということを。

 

「それは………嫌、ですね。みっともなくたって………ちょっと、ごめんです」

 

正直に武が答えると、ターラーは頷いた。

 

「情けないと言われそうだが、正直な所私も同じだ」

 

まあ、とターラーは笑う。

 

「他の隊との一体感を出すという意味もあるがな。考えても見ろ。通信もできない、言葉のやり取りもできない。何の意思疎通も図れない見た目ロボットに、命を預けたいと思うか?」

 

答えは否だ。戦場で共に戦うのは、機械だけでなく人間であってほしい。

ターラーはそう告げながら、笑った。

 

「あんな生物かなにか分からない化物が相手では、余計にな………っと、そろそろ着くぞ」

 

ターラーが運転しながら、指をさす。その先には、治安維持部隊が居る建物があった。

 

「大丈夫だとは思うが、大人しくしていろよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジープを駐車場に止め、建物に入ってすぐに。出迎えられた歩兵に武を預けると、ターラーは奥の部屋へと入っていった。残された武は、兵士に案内された部屋でじっと座っているだけ。何をするわけでもなく、虚空を見上げている。

 

部屋の中には、取り立ててなにもない。どこにでもありそうな普通の椅子と、机があるだけだ。

 

武は退屈を感じながらも、することがないと背もたれに体重をかける。

 

ここ3日でやや回復した身体を感じながら、何とも無しに何もない虚空を見ているだけ。

日本を出てからイベントが目白押しで、心休まる時間がなかった武にとっての、久しぶりの"何もない"時間である。衛士として訓練するでもなく、勉強するでもなく。

人間として、食欲も睡眠欲を満たすためでもない、遊ぶわけでもない。

 

ただじっと、待っているだけの時間だ。そのまま数分が経過した頃だろうか。

 

「おい………シロガネ、だったか?」

 

「え、そうだ………ですが」

 

武は「そうだけど」と言いかけて言い直し、話しかけてきた人物を見る。服にある階級章を見るに、軍曹のものだった。

 

「前もってターラー中尉から聞かされていたんだが………お前、衛士なんだってな? あ、意味がわかるか? 戦術機を動かす兵士のことだ」

 

少し唇を歪ませて、兵士が英語で武にたずねた。その言動も、表情も皮肉がこめられたものだ。

しかし、それを理解できない武は首を傾げた。

 

「それは分かります。確かに、俺は衛士ですけど………えっと、何か?」

 

もしかしてリスニングが悪かったのか、はたまた何か勘違いしているのか。

誤解されるような何かがあったのか、と武は純粋に疑問を返す。

 

兵士は、それを皮肉の返しと見て更に唇を歪めた。まあいいと、質問を続ける。

 

「先の侵攻の時も、ハイヴ急襲作戦にも参加していたって聞いたが、それは本当か?」

 

「はい。侵攻の時に迎撃したのが、初戦闘ですが…………」

 

武が答えると、兵士はおおげさに肩をすくめ、横に居る兵士に同意を求めた。

 

「へっ………こんなガキが衛士だとよ。しかもあの"鉄拳"の部下ときた。ああ、この戦線はいよいよ末期的だって理解したぜ」

 

なんせ背丈が俺の胸にも届かないガキだ。兵士の言葉に、同僚が笑いで返す。それは明らかな嘲笑だった。

 

「まともに訓練も受けてない子供を前線に送るたあ、な。いよいよもって撤退の時期が来ちまったか?」

 

頭を掌で覆って、頭痛を訴えるポーズ。それはわかりやすい挑発だった。

まともな衛士ならば怒るだろう。衛士であるということを馬鹿にされるのは、それは地獄の訓練と乗り越えてきた実戦をこき下ろされるのに等しい。

怒ってしかるべきで、それは当たり前のことなのだ。

 

しかし、武は怒らなかった。皮肉でさえも理解できず、言われた言葉を噛み締めるだけ。

あまり人を疑うことをしない武は、言われたからには理由があると思っているのだ。

だから、自分の無力さを指摘されたと考え、呟いた。

 

「ガキ、子供ですか…………ほんとに無力ですよ。生き残ることに精一杯で」

 

歯を食いしばる音。武は、侵攻の時に死んでいった隊の二人のこと。

そして、ハイヴの中で散った精鋭部隊の面々を思い出していた。

 

特に精鋭部隊の方は日も浅い。ターラーは抱え込むべきではないと言ったが、人は人を忘れるのに時間がかかる。記憶力の良い子供ならば尚更だ。

 

そして、言う。仲間の死に慣れないのは、俺がまだ子供だからでしょうか、と。

 

「………いや、それは…………」

 

思いも寄らない返しをされた兵士は、言葉に詰まった。反発されれば挑発も返せる。だが、真摯に受け止められあまつさえ苦しみ始めたら、いったい何の言葉を返せるのか。できるのは、続く武の話をじっと聞いているだけ。それに最初の言葉が衝撃だったせいか、いつしか誰しもが夢中になっていた。

 

そしてこんな子供からでる、前線の激戦について。重ねられた言葉に、絶句する。

哨戒基地で行われた、速成訓練の事。そこで苦楽を共にした同期の事。同じクラッカー中隊のこと。

 

つらつらと、武は語った。弱音は反吐と同じで、一度出れば収まらない。

侵攻時に聞かされた教官の言葉、音もなく居なくなった中隊の二人、そして戦死した精鋭部隊のことも。

 

聞かされた兵士たちは面食らいながらも、聞き続けた。街の治安維持を任務とする彼らにとっては、前線の情報は入ってこない。入ってくるとしても、不鮮明で味気の欠片もない文章群だけ。

だから、実際に目の当たりにした武から語られる言葉に。その生々しさに呑まれ、いつしか話に没頭していた。

 

そして、会話が終わった後。兵士の一人が口を開いた。

 

「………すまん」

 

「え?」

 

「本当に悪かった………謝罪する。そんな"なり"でも立派な軍人なんだな、お前は」

 

―――俺たちなんかよりも、よほど。

 

それだけを告げ、それきり兵士が口を開くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ターラーの用事が終わった後。二人は街の中心部へと移動していた。

人影もまばらで、見回りの兵士の数も少ない。

中心部はさほど被害を受けておらず、まともな建物も数多く残っていた。

日本では見られない、インド特有の建築物が多く建っている。武からすれば変わっていると、

そんな服を着た坊さんのような人も居た。

 

しかし、一様に暗い。喧騒など全く感じられず、時おり吹く強い風の方がうるさいほどだ。

そんな暗い街は、砂埃で覆われている。

 

「………どうだ?」

 

「怖い、ですね」

 

きっと、数年前まではもっと栄えていたのだろう。人の数も数十倍はあったはず。

でも今は明らかに違っている。誰しもがBETAの脅威を知って。その恐怖に呑まれている。

 

「………傷、ですか」

 

「ああ―――傷だ」

 

ぽつりと、武がこぼし、ターラーが答えた。

目の前には虚無の町々が並んでいる。風が空洞を抜ける音がうるさい、かつては街であった光景。

BETAの侵攻に侵食され、その猛威によって大切な何かを奪われた場所だ。

朝日に想い、天陽に想い、そして夕暮れに想った。だけど死の恐怖とそれ以上の畏怖を前にして、

逃げることを選択せざるをえなく。

 

結果、この街に住む人達の何かが、大切な"肝"が奪われた場所である。

 

「………行くぞ」

 

ターラーが言う。武は、反論もせずについて行った。そして数分の後、二人はとある家に到着していた。質素な家というのが第一印象であろう。華美な飾りもない、ただ住めればいいというコンクリート造りの家。

 

きっと鉄筋は入っていないであろう、そこかしこにひび割れが入っている。

 

「あの、ここは……?」

 

「私の家だ。生家とは、違うがな」

 

武の問いに返したターラーは、そのまま座っていろと言い残し、奥へと入っていく。

少したち、戻ってきた頃には手に食べ物を持っていた。

 

「午後からは少し先にある戦車部隊が駐留している基地の傍までいく。そこからはぐるりと回って私達の基地へと帰るからな」

 

軍用食糧を手渡しながら、ターラーが告げる。武はそれを受け取り、言葉を返す。

 

「了解しました。あの、教官の用事は終わったんですか?」

 

「ひとつはな。"ハヌマ"―――いや、ラジーヴ・シェーカルの遺族とは先程話した。もう一つは、この後だ」

 

「ラジーヴ………?」

 

「ああ、伝えていなかったか。あいつの本名だよ。ちと事情があってな………それ以上は言えん」

 

「えっと………分かりました」

 

これ以上聞けない、と判断した武は別の話をふる。

 

「えっと、そういえばさっきの場所で、兵士の人にこういうことを言われたんですが………」

 

最後の言葉の意味が分からなかったんです、と武は先ほどのやり取りを相談した。

ターラーはそれに頷きながら、言葉を返す。

 

まず、最初の言葉は―――兵士の彼の八つ当たりだと思う、と。

 

「え………」

 

「無理もないんだけどな………今のこの街の状態では」

 

襲撃事件より。それ以前から、この街は変わってしまっていた。まず、BETA侵攻の影響で気候も安定しなくなった。今まではサバンナ気候、熱帯に類する気候であった。

しかしBETAが地形を変えてしまったせいか、今では気温が氷点下近くまで下がることがある。

10℃が最低気温だったはずなのに、だ。

 

急激な気候の変動は、住む人達を疲弊させる。慣れない、感じたことのない気候。

それは、街が変えられてしまったと思い知らされるのにも十分で。

食料が十分に供給されているせいか、住民が暴動を起こすといったことはない。

治安維持のために兵士が派遣されてはいるが、取り立てて対処すべきこともない。

残っている住人の多くは老人で。

暴れる気力もなく、ここを死地と決めていて、最後の時までじっとしてるだろうから。

 

それを知っている歩兵達の気は重い。やるべきこともなく、やり甲斐のある役割も割り振られていない。あるのは、今日のように――――ナグプールに家族を持つ衛士の、訃報を仲介するだけ。

 

ターラーから連絡があり、その衛士の家族をここに呼んでくるだけ。

腰に下げている銃など、撃ったことすらない。

 

だから、羨ましかったのだ。前線で戦える武が。子供でありながら衛士という花形に存在する武に、嫉妬していた。

 

「最後の言葉は、それを自覚したからだろう。だが、お前もよく挑発に乗らなかったな」

 

「えーと………大人しくしていろ、と言われましたんで」

 

「ふん、その兵士が怖いわけではなく?」

 

「ぶっちゃけターラー教官の方が怖いです」

 

ぶっちゃける武。ターラーは無言で半眼になる。

 

「どうもお前は………いや、今日はやめとこう。しかし、10歳児には思えんな、お前」

 

「あー、まあ親父しか居ませんでしたから。一人で家に残るのも多かったですし」

 

隣の鑑家と家族ぐるみの付き合いをしているといっても、白銀家は父子家庭。

父・影行が大企業に務めているせいもあって、帰りが遅いのは当たり前。

そんな武は、自分のことは自分で面倒を見るしかなかったのだ。

 

「寂しくはなかったのか?」

 

「………正直いえば、少しだけ。でも、隣に純夏の家がありましたから」

 

武は自分の家族も同然だという、鑑の一家について語り始めた。

母親代わりの人、鑑純奈。娘に甘い、優しい鑑夏彦。

そして、今も手紙を送っている、幼なじみの鑑純夏について。

 

「あれこれ言ってくる親父とは、ちょっと………度々喧嘩もしましたし。まあ、怒鳴り合いというか、殴り合いというか」

 

「清々しいほどにストレートだな」

 

ターラーは苦笑する。影行もぶっちゃける気性であるから、変な風にはこじれなかったのだろうと。

そんな中、武は「まあ、役に立った部分もあるんですが」と頬をかく。

英語である。米国派遣経験のある影行は、武に英語の重要性についてこんこんと説いた。

割と勉強嫌いな武が、じゃあちょっとやってみようかと思うぐらいに。

 

「おかげで英語の成績はクラスで一番でしたよ」

 

ちなみに一緒に勉強していた純夏が、それでも10位どまりだったことも告げる。

そこで、ターラーは笑った。

 

「カガミスミカ………鑑純夏、か。本当に仲が良いんだな」

 

「ずっと一緒でしたから。まあ………妹みたいな感じですか?」

 

私に言うな、とターラーは笑う。そこから話はさらに弾んだ。ラーマ隊長とはどういった関係にあるのか、至極個人的な話からスワラージ作戦といった軍事的な話にまで及ぶ。

 

「あっと、そういえば………俺たちの速成訓練についてですが、役に立ったんですか?」

 

「………ごく一部はな。尤も、特異も特異なケースがあったので、速成訓練における結果の検証や考察には時間がかかるだろうが」

 

つまるところ白銀武である。泰村その他、少年兵についてはある程度のデータは取れたが、

一部の規格外である武のせいで進行に遅れが出ていると。

 

「あいつらも、明日にはまた後方へ―――アンダマン島へ移動するからな。そこから先は、まだ聞かされていない」

 

「アンダマン島って………ああ、前に聞いたあの島ですか。つまりは、みんなは後方で訓練を?」

 

「現時点では実戦に耐えうる、と判断されなかったんだ。

 

それでも、とか無茶言いそうな馬鹿はラダビノット大佐に黙らされただろうしな」

 

「えっと………ラダビノット大佐、ですか?」

 

「ああ。スワラージ作戦にも参加された人でな。最近、ようやくこちらに戻ってこられた。

 

特に少年兵について明確に反対の意志を示している人だから、無茶な少年兵の運用はしないだろう」

 

「そうなんですか………って、俺は?」

 

「保留だ。上層部にも駆け引きがある。詳しくは知らされていないが、色々と複雑怪奇な事情もあるんだろう………今でも戦力が足りてないのは明白だしな。それはそうと、あいつらは明日早朝に出発するらしい。帰ってからすぐに、挨拶だけはしておけよ」

 

今度はいつ会えるかも分からない。

聞かされた内容に、武は難しい顔をしながら頷いた。

 

 

 

―――そして、夕方。

 

 

武は食後の墓参りの後、防衛の基地を見まわってから、基地へと戻っていた。

そのまま、泰村達が居る場所へと向かう。

今は荷物をまとめているとのことだ。武は聞かされた部屋へと移動した。

 

やがて部屋が見えてくる。と、そこで中から誰かが出てきた。久しぶりにみた、同期の面々だ。

みな一様に暗い顔を浮かべているのに、武は驚いた。

数ヶ月程度のつきあいだが、それでも過酷な訓練を共に乗り越えてきた同期だ。彼らがあんな顔をするのは、珍しい。以前に見たときといえば、BETAへの恐怖を自覚してきた時か。

そこで武は話しかけた。いつもの調子で、近寄って声をかけようとして。

 

―――瞬間、一人を除いて。彼らの目に険が走るのを武は感じた。

 

空気が、穏やかでないものに変わる。

 

「……武?」

 

そんな中、ただひとり普通の顔をしている同期。

泰村は、武の顔をみるなり、どうしたといつもの調子で返す。

 

「えっと………ターラー教官から聞いて」

 

そこで聞かされた内容を話す。それを聞いた中、アショーク達は武から視線を外した。苛立つように、舌打ちを返す。数ヶ月の中、見たことのない表情。態度。泰村はそんな同期を横目でみながら、話を続ける。

 

「ああ、アンダマン島にな。あそこには訓練学校もあるし、本格的な訓練も受けられる。

 

シミュレーターもあるらしいから、ここと違って俺らにも回ってくるだろうし」

 

「そうか………良かった」

 

本格的なBETA侵略作戦を前に、速成訓練を目的とした未熟な訓練生に回ってくるシミュレーターは少ない。だから良かった、と武は返したのだが――――その言葉に対し、過剰に反応する者が居た。

 

「ああ、良かったさ。天才様と違って俺らは凡人だからなあ。みっともなく、後方に避難するしかないのさ。生まれ故郷を捨てて、よ」

 

「っ、おい!」

 

横を向き、嫌味を前に出した喋り方をするアショークに、泰村が大きな声を飛ばした。

しかし一度出た声は収まらない。横にいたマリーノが前に出る。

らしくない、余裕のない顔だ。それを見た武は思う。まるで別人だ、と。

 

「俺らに、お前ぐらいの才能があれば………っ、オヤジ達が居たあの街を守れるのによ。何でだ? 俺もあの糞みたいに厳しい訓練を乗り越えてきた………俺とお前と何が違う。必死さか? 一体、何が足りないってんだ!」

 

「マリーノ!」

 

叱咤する泰村。しかし収まらず、他の面々からも口々に飛ぶ。その声、嫉妬の色にまみれていた。

何故。どうして。お前だけが。才能が。そんな単語が多分に含まれている。

泥のように流れ出す、罵声のような声。

 

しかしそれは、泰村のいつにない怒声によって中断された。

 

「お前ら、いい加減にしろ!!」

 

 

壁を叩き、泰村が叫ぶ。怒声が狭い廊下に反響し、残音が奥へと響いていく。

そのあまりに大きな声に、そしてその顔を見たアショーク達は、ようやく我に返った。

 

―――だが、謝罪の声もなく。

 

一人、また一人と自室へと戻っていった。

 

 

「………すまん、な。本当にすまない」

 

泰村の声。しかし、武は何も言い返せない。何故お前が謝るのか。そして何故、自分に対しアショーク達はあれほどまでに汚い声を浴びせたのか。混乱して何が何だかわからない。聞く気力もない武は、黙ったまま泰村の顔を見つめるだけ。

 

一方、そんな様子を察したのか、目の前の男は視線をそらし、回答を口にする。

 

「あいつら、な………皆、ナグプールの近くが故郷なんだ。それで、必死にあの厳しい訓練を越えて、いざここからが正念場って時に………戦力外通告を受けたんだ」

 

聞いた時の荒れようったらなかったよ。

泰村はその時のことを思い出したのか、顔を渋面に染める。

 

「………俺も、さ。届くって思ってたんだ。どんどん辞めていく訓練生の中、自分たちが残った。ああ、自信を持ってたんだよ。だから訓練にも耐えられた。あいつらは、故郷を守るって目標があったから余計にな」

 

そのために、戦場に出るために訓練を受け、亜大陸の最後の戦線で、初陣を目前にして―――避難しろと。しかも故郷を残して"避難"しなければならない。

 

「一気にパアになった気がした………いや、分かってる。これは戦力外通告なんかじゃない、俺たち少年兵にとっては至極真っ当な指示だってことは理解している。でも…………理屈だけだよ。ガキだてらに戦場に立つのは百も承知だった。そのために歯をくいしばって、ゲロ吐いて耐えてきたんだ」

 

だけど、戦場には出られない。全てが無駄になった気がした。出れば死ぬと分かってはいても、納得は一部でしても抑えられなかったんだろうな、と泰村は言う。

 

「自分に対する不甲斐なさも、その他色々な所で……文句も不満も売るほどある。だけど、上官にはまさか言えない。だからあいつらはお前に当たったんだ………すまん、そうなる前にお前を連れて移動するべきだった」

 

小隊長失格だな、と自嘲する泰村。その顔は、訓練を受けていた頃よりよほど、疲れて見えた。

 

「あいつらも本心からそう思っちゃいないよ。今のは………タイミングが悪かっただけだ」

 

「それは………分かってる」

 

分かってるつもりだ、と武は返す。数ヶ月だけど、一緒に釜のメシを食った仲だ。

それに、あの地獄の訓練で同期のあいつらがどういった態度を示してきたのかも知っている。

"お前を含む同期の面々。彼らは誰もが真っ当で、卑屈な所も少ない、才能溢れる努力家"。

それは、昼に墓場を前にしたターラー教官が呟いた言葉だ。だから選抜した、と教官は言っていた。

いつもどおりでいられない理由も、何となく分かる。

もし、自分が故郷の柊町を前にして。純夏達が居る、父さんと10年過ごしたあの街を守るために過酷な訓練を受けて。

 

でも、最後の最後になって"後ろへ行け"と言われた時はどうなるだろうか。そう考えると、武はあまり怒る気にならなかった。いや、何に憤りを見せればいいのか。

 

そうして、武は初めて知った。思っても見なかったのだ。矛先を見つけられない怒りが存在するということを。

 

「まあ、落ち着くのは………明日の朝までには………いや、無理だろうがな。でもいつかきっと、謝る機会を作らせる」

 

「謝る………作らせるって?」

 

「ああ。だってお前は何も悪くないだろう。さっきの言葉に関しては、完全にあいつらの方が間違ってる」

 

だからこの時の小隊長の権限をもって、ぜったいにいつか謝らせる。

泰村はそう言いながら、武の胸に拳を当てた。

 

「………だから、それまで絶対に死ぬなよ。ハイヴ攻略作戦はあと数回繰り返されるだろうし、その後は防衛戦になるだろうが…………絶対に、死ぬな」

 

「いや、俺だって死にたくはないけど………」

 

「言い訳は聞かん。全力で、生き延びろ」

 

無茶をいう泰村に、武は頭をかいて答えた。なんでそこまで、と。

 

すると泰村は、笑いながら答えた。

 

「死者は謝罪を受け取れない。だから、生き延びてくれ」

 

その声、内容と口調は懇願に近かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日の早朝。

 

武は未だ上のベッドで寝ているサーシャを置き去りに、陽が登り切っていない外へと出ていく。

見張りの衛士に挨拶をし、屋上に出た。

そして、輸送車に乗り、今から移動をはじめようとする泰村達の姿を見つけた。

 

でも、声はかけられない。残る自分と、避難するあいつら。

どうしたって、隔たりはある。泰村曰くの、妬む理由がある。

だから、じっと無言で見つめることしかできない。

 

―――その時、背後から声がかかった。

 

「………君も、後方に避難して欲しかったのだがな」

 

「っ!?」

 

背後の気配に気づかなかった武は、勢い良く振り返った。そこには、戦士が居た。

そうとしか言い表せない程に、その人物は軍人であった。褐色肌に、銀の髪が眩しい。

威圧感を自然と身にまとっている、生粋の軍人であると、武は感じていた。

 

階級は―――大佐。少尉からすれば、月にも等しい遙か彼方の上に位置する階級だ。

 

急いで敬礼をする武に、男―――パウル・ラダビノットは敬礼を返す。

 

「シロガネ、タケル少尉だな? ―――いや、彼らがああして去っていく以上、君以外に"そう"である衛士は有り得ないのだが」

 

「はい」

 

「そうか。先ほどの話の続きだが………今からでも遅くはない。後方へと移る気はないか?」

 

「………ありません。自分はここで仲間と共に戦います」

 

「それは何故だ? ――君はまだ若い。体力も十分ではないだろう。今でもその技量だ。鍛えれば、それこそ無限の選択肢を選ぶことができる………それまでは、私達大人が"ここ"を守っておく」

 

それは正論だった。

 

「事実、君の身体は限界に近い。歳若く、回復も早いだろうが………それに任せて無茶をするのは愚行というものだ。いずれ限界も訪れよう。才能溢れる、立派な衛士になるだろう原石をここで死なせるのは……あまりにも惜しい」

 

真摯に。一滴の邪念もなく、ただ純粋に問いかける。

そこに淀みはなかった。鋼鉄の意志を元にした、清流のごとき言葉。

戦わなければならない時をしっかりと認識していて―――それでも今は少年を、前に立たせるべきではないと。そういうのは、自分たちの仕事だと。大人である自分たちの役目だと、そう言っているのだ。

 

武も、その意志を受け取り。その上で、首を横に振った。

 

「ここは、俺の戦場です」

 

武ははっきりと断った。

 

「………どういう意味だ?」

 

パウルが問う。それは純粋な疑問からくる問いかけだった。タケルは淀まずに、答える。

 

「――――耳に、まだ残っているんです」

 

あの時、突入した部隊の、最後となった通信越しの言葉

 

『――よし、各機突入しろ』

 

『―――了解っと。お前らびびって味方撃つなよ』

 

『――――へっ、明日には英雄だぜ』

 

『――――――減らず口を、行くぞ』

 

散っていった英雄の声が、耳に残っている。

まだ戦える自分がここで逃げ出す、なんてことは口が裂けても言えない。

 

 

「忘れられないんです、あの時の振動が」

 

 

子供のような口調になりながらも、語る。

散った衛士の、S-11の振動。戦術機が突撃砲を乱射する音、振動。そして視界の端で、戦術機が倒れる時の。支援砲撃の。前後の加えた上下左右、戦っていた戦友の音が忘れられない。

 

インドを守るという目的を共にした戦友たちが、戦って散った。

なら、ここで後ろへ行けるはずないじゃないか、と。

 

「あの街には、生きている人が居るんです」

 

寂れた街。傷だらけの街。でもそこに住む人達が居て、守る兵士達が居る。

 

「あいつらの故郷でもあります。だから…………ここは、俺の戦場です。ここが戦うべき場所です。その、納得させるだけのあれもないし、理屈に合わないかもしれませんが」

 

これが自分の理由です、と――――武は頑として言い切った。

 

眼前で一人の衛士としての答えを聞かされたパウルは、じっと武の目を見つめた。やがて数秒直視すると、ゆっくりとまぶたを閉じる。黙る武。黙するパウル。沈黙が、二人の間に流れた。

 

背後からは、車が走りだす音が聞こえる。

 

ブロロロ、と排気音が遠ざかっていくのを武は感じていた。

 

そして、しばらくして。パウルは目を開けると武に近づき肩を叩いた。

 

「本当に………そこまで言われては、私でも止められん」

 

諦めた、との声。しかしその声は"惜しさ"がにじみ出ている。

あるいは後悔か。どうやら心の底から、少年兵を戦場に送りたくないようだ、と武は考えていた。

 

子供だからという甘さは、一切なく。ただ一個としての信念の元に吐き出された言葉だ。

軍人としての矜持を曲げず、貫き通したいという意志からくる提案。

しかし、子供なれど戦う力と覚悟を持つ衛士。無理に否定するのは、根本からの侮辱に等しい。

 

死地をくぐり抜けてきた武を、真っ向から否定するも同じだ。

 

 

肩の手がゆっくりと離れていく。やがて、そのまま。

パウル・ラダビノットは大佐の貫禄を一切崩さず、最後まで上官としての姿を残したまま、武に背を向けて去っていった。

 

一人残された武は、先ほどまで見ていた方へと向き直る。

 

しかしすでに車は、遠く手の届かない所に居た。

 

後塵を撒き散らし、車が荒野の向こうへと去っていく。

 

 

奥に見える朝焼けが、目に眩しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして武は、この日のことをいつまでも覚えることとなる。

 

 

朝焼けを見る度、後悔の念を胸に思い出すのだ。

 

 

 

 

 

 

――――どうして、あの時。

 

 

去っていく泰村達と、言葉を交わすことをしなかったのか、と。

 

 


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