Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
ユーコンに流れる雄大な支流、ユーコン川。クラウス・ハルトウィックは執務室の大窓の前に立ち、じっとそれを眺めていた。
「大佐はユーコン川が本当にお好きなんですね」
秘書官、レベッカ・リントは一歩下がった位置からクラウスの背中に話しかけた。
無闇に前に出ることはない。視界に入り、ユーコン川だけを見ていたいのであろう上官の気分を害するのは賢い行動ではないと判断したからだ。
ブルーフラッグの結果を聞いた大佐が、どういった考えを抱いているのか。
レベッカは気になってはいたが、言葉にはしなかった。
「………今の所は、予想の範疇に留まっているな。アルゴス小隊の成績だけが、少しだけ想定外だったが」
「はい。ですが、米軍で対人戦の訓練を受けたユウヤ・ブリッジス少尉がいます。不知火・弐型は第三世代機で、機体性能も優っていますので………」
「そうだな。それに、双方ともに本気だった。久しぶりに心湧く戦いというものを見せてもらったよ」
対人戦とはいえ、あれほどまでに衛士が全身全霊を賭けてぶつかるというのは、あまり無いことだった。
良い戦いには拮抗した相手が必要だからだ。何より、余計なものがない本当の戦意というものを抱ける者は少ない。
「はい。かなりの数の衛士が、アルゴス小隊に注目しているようです。一方で、辛勝に終わったガルム小隊には失望と落胆の声が………大佐」
「名が売れているとはそういうことだ。多少の戦力差など関係がない、勝って当たり前と思い込む者も少なくない」
本来のガルムとドゥーマの機体の性能差を分析すれば、辛勝でもガルムにとっては充分に価値がある勝利なのだ。
それを考えず、やる気が無いだの対人戦は苦手だのとおもしろおかしく声を大きくする者も居た。
「あとは………インフィニティーズも見事か。結果だけを見ても分かるな。戦いと呼べるものではなかったのだろう」
アルゴス小隊の模擬戦闘の直後に行われた、東欧州社会主義同盟の試験小隊、グラーブズとインフィニティーズとの模擬戦闘。
その所要時間、5分。300秒に満たない時間で、戦闘の趨勢は決定してしまったのだ。
――――インフィニティーズの圧勝という形で。
「リント少尉。この相互評価プログラムが始まる前に、君が立てた予想は正しかったようだな」
どの部隊が一番優秀な成績を残すのだろうか。ハルトウィックの問いに対し、レベッカは迷いなく答えた。
インフィニティーズは確定枠であり、論ずるのはその他のチームであるべきだと。相互戦力の分析や機体の相性の優劣など関係がない、論外だと言い切ったのだ。
「はい………忌まわしい事ですが」
レベッカは米国が、インフィニティーズが、その隊長であるキース・ブレイザーが嫌いだった。
他国のゆうに3倍はある人員、物資に研究設備を持ち、それを見せつけてくる米国が。
対人戦のエキスパートという、対BETA用の戦術機を開発するというプロミネンス計画の意義と真っ向から対立する能力を持つインフィニティーズが。
その計画の責任者であるハルトウィック大佐を前にして、『我が部隊は国連からの干渉を一切拒否する』と言ってきたキース・ブレイザーが。
「おかしい所はない。米国の傲岸不遜な振る舞いはいつものことだよ。つまり………想定の範囲内ということだ、少尉」
世界の支配者を自負する米国の、その精鋭部隊を預かる軍人としてはなんらおかしくない言動だった。
相手がどんな反応をしようが構わない、ただ米国としての意志を前面に出したままその矜持とやらを盾として矛にするのは、米国に所属する軍人が持つ特徴でもあった。
「効率主義で、何より自国の正義を信じている。故にあの星条旗を傷つける者には容赦なく、国防のためなら他の派閥の人間とも協力しあえる………独立してから、彼の国が負けたことはない」
当たり前に強く、勝負における勝ち方を知っている。
それは祖国を守る軍人にとって、誇るべき光となる。
(だからこそ、付け入る隙はある………分かっていない筈がないだろうが)
クラウスは、疑り深い性格だった。先日に言葉を交わしたフランス人の指揮官、フランツ・シャルヴェも同様で、頭から信じてはいない。
開発計画は多くの人間が参加する一大プロジェクトなのだ。その中で損得や思想が絡んでくると、問題は乗算式に膨らんでいくことを知っている。
それでも、クラウス・ハルトウィックは衛士だった。戦友と共に戦場に立ったことがある、戦士だ。
そして、その戦士であるからこそ信じなければいけない言葉があることを知っていた。
(ここで、成果を出す必要がある………あとは、賭けになるが)
夜、歓楽街リルフォート。アルゴス小隊の面々は、行きつけの店で安らいでいた。
皆が思い思いの格好でくつろいでいる。
タリサとヴァレリオは椅子に背を預けて天井を見上げ、ステラは遠い目で前方にある窓の外を見つめ、ユウヤは腕を組んだまま俯いていた。
「ああ………疲れたなぁ」
「おい口からなんか湯気みたいなの出てんぞタリサ。まあ、気持ちは分かるけどよ………」
「ええ………今日の外の灯りは、何か綺麗に見えるわね」
「そうだな………同感」
「アタシもそう思うよ」
タリサとステラ、ヴァレリオの意見が一致した。原因は先の模擬戦にあった。
「よく勝てたよなぁ」
「ああ………」
疲労困憊な時こそ、何気ない日常が綺麗に見えるのよね。ステラはそう呟きながら頷き、タリサも深く頷いた。
いくらかの損傷を受けた上でも、相手の二機を大破させ――――問題はその後のことだった。
劣勢になったからか、バオフェン小隊の小隊長である葉玉玲がそれまでとは打って変わった戦術でタリサ達に仕掛けてきたのだ。
別人のようなアグレッシブな攻勢に、ヴァレリオは中破し、応援にかけつけたユウヤも小破させられた。
迎撃の一撃で向こうの機体も手傷を負って、機体の動きは鈍くなったが、それでも安心はできなかった。
気迫が。そうとしか言えない圧力を感じたユウヤ達は、いつ戦況がひっくり返されてもおかしくないという強迫観念を抱かされてしまったのだ。
それでも耐え切ったアルゴス小隊は、時間切れの判定勝ちにより勝利。初戦に続く2つめの勝ち星を得ることとなった。
「最初からあの猪女と組まれて動かれてたらやばかったな………」
「ああ、全くだ。ユウヤがやってくれたから助かったぜ」
「まあ………今度やったら分からないけどな。斬り合ったけど、あっちの技量も高かった。色々と参考にしたいと思えるぐらいにはな」
ユウヤはイーフェイとの一対一で、結果的には無傷の勝利というこれ以上ない形での勝利を得られた。
だが、一歩間違えば全くの反対の結果で終わっていただろうとも思っていた。
「ヒントが無ければ、な。情けねえが、負けていてもおかしくはなかった。なあ、シロー」
「ん?」
「結局の所、あいつの弱点ってなんだったんだ? 予想はついているが………」
ユウヤは対バオフェン戦の前に、小碓四郎にアドバイスを受けていた。
勝利を得るための3つのヒント。それは崔亦菲が持つ弱点を元に組み立てられた戦術であるとも聞いていた。
「いくらかはユウヤも分かってると思うけどな」
「ああ。一つは、あいつが一対一での長刀どうしの戦闘って所に拘ったことだよな。まあ、強みっちゃ強みなんだが」
思い込みは困難に陥った状況を打破するに必要な動力源である。自分に揺るがない自信があるというのは、それだけで武器となるのだ。
それでも、状況によっては足を引っ張る枷になる。
本来なら、74式長刀と77式長刀での勝負、切り結んだその時にイーフェイは気づくべきだったのだ。
「対BETA用に強化されている77式、対人の技能を元に作られた74式…………理屈で言えば、対人戦闘においては後者の方が有利だよな」
「BETA相手の戦闘経験が多い、ってのも理由になるな。大振りの一撃必殺に特化された77式と、小回りと応用が効くように作られた74式。剣を扱う技量が無い相手なら、また違っただろうけど」
度胸とちょっとした技量、そして反応速度があれば、予備動作が見え見えの一撃などすぐに捌ける。
剣術は押し合いだけが能ではない。示現流は豪剣だが、最強という訳ではない。捌き、流し、斬り伏せるという技も確かに存在するのだ。
「あとは………イーフェイ自身、このブルーフラッグの勝利に拘ってなかったからな。意地でも勝とうとしたユウヤと比べれば、剣の冴えに差が出るのは当たり前のことだ」
長刀は突撃砲と違い、全身で振るわなければ形にはならない。機体のどの機構を動かすか、細かい所に差は出るだろうが、それでも膝腰肩と手を総動員させる攻撃方法なのだ。
勝つために集中力を高めていたユウヤと、模擬戦の中でいくらかの成長をしようとしていた、あるいはユウヤを見定めようという目的を持っていたイーフェイとではその重さが違ってくるのは道理であった。
「あー、しっかし今日のタリサは凄かったよなぁ。アズライールズの連中にも詰め寄られてただろ、お前」
酒が進む中で、話題は反省会から勝利後の健闘についてのものとなった。
ヴァレリオの言葉に、タリサが頷く。
「あー、なんかえらい感激してたな。同じこともう一回やれって言われてもすぐ出来そうにないけど」
衛士の調子には波がある。今日のあの機動について、タリサは偶然の産物ではないと思ってはいるが、いつでも出来るようなものではないと感じていた。
「それに比べて私達は、ね………少し、悔しいわ」
ステラの呟きに、ヴァレリオも頷いた。大破こそしなかったものの、大した活躍が出来なかったことは事実だ。
一方で、ユウヤとタリサは経験・実績が自分より上であろう二人を上回る成果を見せているのだ。
悔しい思いを抱かない筈がなかった。
「あー、でも二人の援護がなかったらタリサもやられてただろ? あのおっかない隊長の猛攻も耐え切ったし」
「そ、そうそう。てーか初っ端のアレは援護無かったら本気で詰んでたし」
「そうだ、それに………俺たち4人居たから勝てたんだよ。お前らじゃなかったら――――ってなんだよVG、生暖かい目で」
「いや………ユウヤも大人になったんだなーって」
冗談交じりではあるが、ヴァレリオの本心だった。
俺たち、4人。どちらも今までのユウヤからは聞いたことのない類の言葉だ。
「茶化すな。それに、ここで凹まれても困るんだよ。本当に厄介なのはこの後だぜ」
「ああ………インフィニティーズ、か」
回っていた酔いが覚めるかのような、それは目下の大問題であった。
ユウヤ達は対グラーブズとの戦闘結果を聞いていたのだ。彼らの搭乗機である
プロミネンス計画の中で生まれた、成功例の一つともされている。それを開発した衛士達の腕が悪い訳がないのだ。
それを300秒で潰したF-22EMDが、インフィニティーズこそが異常だと言える。
「っと、そういえば………シロー。戦闘前の事、覚えてるよな」
「はいはい、言いますよ。つってもこの勝利ムードの中で相応しい話題とは思えないんだが」
「へっ、空気を読まないで場を引っ掻き回すのがお前の仕事だろ? いいからちゃっちゃと言えよ」
「ってなんでタリサにそこまで………まあ、いいか。俺がF-22EMDを嫌う理由だよな」
小碓四郎、白銀武の言葉に、ユウヤとタリサが頷く。
武は溜息をつきながら、淡々と言った。
――――俺の故郷が横浜だからだと。
「BETAを倒すには2つの方法がある。戦術機でハイヴ落とすか、あのG弾でハイヴごとBETAを吹っ飛ばすかだ。それは言うまでもないよな?」
「………ああ」
「F-22EMDってのは、その後者を選択するに等しい機体だ。なんてったって数を揃えられない、馬鹿みたいに高価な機体だ。そんで、戦いは数だ」
弾薬や機体の耐久度を考えれば、高性能の機体が少数あるよりは、多少低い性能の機体でも数が揃っている方が断然有利となる。
BETAとの戦闘は、相手の馬鹿げた物量をいかに崩すかが重要なのだ。
「BETA相手に、ステルスなんざ無用の長物だ。むしろ金をバカ食いするだけで、害にしかなんねえ。プロミネンス計画に真っ向から喧嘩売ってる機体だぜ?」
G弾でBETAを滅ぼせた、それを前提とする対人用の機体。それは、G弾の使用によってもたらされる未来を認めるということになる。
「だから、あの猛禽類の野郎を認めるってのは………横浜を、あの街のあの光景を肯定するってことだ」
「………お前は、横浜を見たのか?」
「見たぜ。見たさ、タリサ。多くは言えないけどな。ああ、これは有名な話だから知ってるか? 基地に続く道の脇に桜の並木道があるんだけど、その桜だけは咲くんだよ」
「サクラ………?」
「………日本人の象徴とも言われてる花だよな。知り合いから逸話込みで聞いたことがある。確か………あまりに綺麗だから、その樹の下には死体が埋まってるって」
それが迷信の類であることを、ユウヤを含めた全員が理解していた。
だが、衛士である。世界的にも有名な作戦を、
そこでアメリカ軍が取った行動も。
迷信はどうだか知らないが、死体が埋まっているのは本当なのだ。戦術機でのハイヴ攻略を成し遂げられなかった帝国軍の衛士達があの地で眠っていることは、ある意味で周知の事実でもあった。
「………なら、お前はなんでここに居る? アメリカと共同して進めるこのXFJ計画に。それ以前に、どうして俺を――――」
「いや、言っとくけど、アメリカの全てが嫌いって訳でもないんだよ。納得なんてしてやらないけど、あの行動によって他の多くの帝国軍衛士達が救われたのも確かだからな。G弾のあの一撃が無ければ………横浜ハイヴは今も健在だったろうし」
「そう言われてるな。G弾があったからこそ、明星作戦が成功したってのが通説だ」
ヴァレリオの言葉は、世界共通での認識だった。武は頷き、考える。
あの忌まわしいモニュメントが健在な故郷と、不毛の土地であれ人類の拠点となっている今と、どちらが良いのか。
「もっとも、他の選択肢があったのにって奴だから………認めないと、始まらなかったから」
あの時に自分が止めていれば、とは言葉に出さないまま別の意味もあっての呟き。
認めないと、という言葉だけを聞いたステラが、問いかけた。
「だから、繰り返さないために? 戦術機だけでハイヴを攻略できるような、優秀な機体を得るために?」
「ツテもあったからな………別に珍しい考えじゃないと思うぜ。この計画に参加してる人達は、似たような考えを持ってるようだし。篁中尉もな。あの人、前は開発部隊に居て佐渡ヶ島の間引き作戦に参加できないことを気に病んでいたようだから」
「唯依が………いや、そうだな。あいつならそれを引け目に感じてもおかしくないだろうな」
「ああ。タリサ、VG、ステラも、似たような考えを持ってるからこのユーコンに来たんだろ?」
「………ええ、そうね。1人の衛士に出来ることなんて、本当に少ないから」
自分の能力で対BETA戦闘における戦況にどんな効果を及ぼせるのか。
直接的な戦果や間接的な効果など、様々な種類はあるだろう。
その中で"開発衛士になって優秀な機体を前線に送り届ける"というのは、権力や背景を持たない衛士個人に出来る内の最も大きいものに近い。
「最前線に出たくないから、なんて不謹慎な奴も居るだろうけど、そうじゃない衛士の方が圧倒的に多いと思う」
「そうだな………アタシはちょっと違うかな。功績ってのもあるけど、エリート揃いの衛士と腕を競えるなら自分の腕も上がるだろうし」
強くなれば、という思いがあるから。
「それは、グルカの兵士として?」
「そうだ。あとは…………先に死んじまった奴らが安心できないだろ」
既にかなり酔いが進み、顔が赤くなっていたタリサが頷く。
そしてグラスにあった酒を、一気に飲み干した。更に顔を赤くして、言う。
「弱いのは分かってる。でも、意地でも負けたくないってーかさ………怒る奴が居るだろ? アタシが弱いままで簡単におっ死んじまったらさぁ」
「あー、えっと………もしかしてそれは、紅の姉妹との、喧嘩の原因となった?」
「ああ。そうなったら嫌味一杯叩きつけられて、関節極められるからな。認められないよ、そんなの」
「っと、なんの話だ?」
ユウヤが尋ねると、酔いがかなり回っているタリサは触りだけだが説明をした。
かつての友人、そして紅の姉妹達と喧嘩になった原因を。
ヴァレリオやステラも初耳の話で、意外そうな表情をタリサに返していた。
「サーシャ・クズネツォワって、確かクラッカーズの?」
「そう。亜大陸撤退後に訓練不足を感じたからってパルサ・キャンプに来てたんだよ。無表情だけど、妙に負けん気の強い奴でさ。ちょうど、あの猪女みたいに気の強くて………って」
噂をすれば、との言葉は声にならなかった。
緑色の髪を持つ話題の人物は、既にタリサ達の傍まで来ていたからだ。
「ようやく見つけたわ。全く、行き先ぐらい告げときなさいよね」
「へっ、何のようだよ負け犬」
タリサの言葉に、イーフェイの額の血管がぴしりと音を立てた。
表情が凍りつき、それに気づいたヴァレリオが冷や汗を流した。それは見たこともないが、噴火一歩手前の火山らしき気配をイーフェイから感じ取っていたからと、もう一つ。
イーフェイの後ろに居る人物が見えたからだった。
「こんにちは。ああ、敬礼はいい」
「承知致しました。ちなみに今は夜なのでこんばんわが正解です、大尉」
「敬語はいい。私達は本気の喧嘩をしたのだから」
その言葉にユウヤとステラ、ヴァレリオは内心で首を傾げていた。
どうしてそれが敬語を使わなくていいという理由になるのか。
その中でそれとなく事情を察した二人の内の1人が、気まずい表情で話しかけた。
「あのー、それはひょっとして日本人の文化的な?」
「本当は夕方の河川敷で生身の殴り合いをするのが正しい作法らしいけど」
「あー………」
武はそこで隣に居るイーフェイを見た。彼女も初耳であり、その上で何か間違った日本文化を教えられているのだろうと察しているのか、呆れた表情が見て取れた。
「ともあれ、完敗だった。景品はこの子の貞操らしいけど、要る?」
その言葉にタリサとユウヤが口に含んでいた飲み物を吹き出した。
咄嗟のことだったので避けきれなかった武の顔にかかる。濡れたサングラスが店の照明を反射し、光った。
「ていうか貞操じゃなくて! 隊長も分かって言ってるわよね!?」
「勿論。でも楽勝楽勝とか言いながらサクッとやられたからには責任を取ってもらわないと」
「誰に対しての責任よ!」
「変に上から目線で戦って足を掬われた過去の貴方に対して。まあ、ブリッジス少尉も許して欲しい。この子はただ素直になれないだけだから」
「ってえ誰がよ!?」
母親的な物言いをするユーリンに、怒気を露わにするイーフェイ。それでも一方的に負けたのが相当キテいるのか、その声には模擬戦前の覇気が感じられなかった。
戸惑うユウヤとステラにヴァレリオ、酔いが回りきってしまったのか眠たそうな目をするタリサ。
武だけは、収拾がつかんなと呟きながらその場から離れることを選択した。
横目で見知った人物の視線を受け取りながら、この場では勘弁と内心で言い訳をしながらそそくさと去る。
(つーか、意外だな。ユーリンがあの性悪腹黒な姐さん以外にああいった物言いをするとは………?)
考え事をしながら、カウンターの方へ。そこでやり過ごそうとしていたが、突然置かれたグラスに顔を上げた。
「あんたは確か………ナタリーだったか」
「覚えていてもらえたようね。それで、何か注文する?」
「あ、ああ。じゃあ、水を」
ナタリー・デュクレール。この店のバーテンダーでタリサ達とは顔見知りな彼女は笑顔のまま注文通りの水を用意した。
武はそれを受け取り、飲みつつも彼女がどういった人物であるかを思い出していた。
(フランスからカナダに避難した難民、だったか………変なことを思い出すな)
訪れてほしくない未来の話がある。その中では、フランス人は敵だった。
正確にはフランス・カナダという歪な連合であり、一時的には協力的になろうとも、最初の頃は砲火を向け合う仲であった。
レア・ゲグランにベルナデット・リヴィエール。いずれも信念を持つ、手強い衛士だった。
そして、ナタリー・デュクレールは。武は運命の皮肉を感じつつも、冷たい水を喉に流し込んだ。
「美味しそうに飲むのね。あまり酔っていないようだし………なんてね」
ナタリーは少し笑いながら、悪戯を仕掛けるように武に問いかけてきた。
「ちょっと見てたけど、グラスの酒にはあまり手を付けて無かったわよね? 祝勝の乾杯らしいけど、1人だけ素面なのは失礼じゃないかしら」
「篁中尉から頼まれてるんで。酔って問題が起きた時とか、いざという時のストッパー役になれって」
嘘である。だが武は、それに近い役割を唯依に望まれていると思っていた。
彼女は先の戦闘の後、ユウヤが提案した改修案を煮詰めているのでここには来れていない。
ユウヤ達の誘いに対し、本国への戦果の報告をまとめる必要があると言って断ったのだ。
「裏方って訳? それでも、多少は羽目をはずしてもいいんじゃないかしら………他の衛士さん達と同じように」
「そういうのは他に任せますよ。それに、安心して後を任せられる誰かさんが居ない場所で前後不覚になるつもりはないんで。それに、こちらの様子を伺っていたんなら………会話の方も聞こえていたんだろ?」
「偶然よ………聞こえたのは」
ナタリーは答えながら、空になったグラスに水を注ぐ。
武はじっとそれを見つめている。無言の中、ユウヤ達とイーフェイ、ユーリンの会話が遠くで響く。
二人はそれを眺めつつも、小さな声で言葉を交わしていた。
「ヨコハマ、って言ったわよね。貴方故郷のことは覚えてる?」
「忘れられないな。子供の頃のことだから、それほど多い訳じゃないけど」
「あら………日本の徴兵年齢ってそれほど早かったかしら」
「俺は例外なんで。早くに海外に出たんだ、家庭の事情ってやつのせいで」
武はしみじみと思い出していた。そのほとんどが戦場に類するものだったが、それ以外の場所も見てきた。
酷いところも多い。中でも、東南アジアにあった難民キャンプは忘れられないでいた。
多くを語るような事でもないので、口には出さない。武は水を飲みながら、黙り込んだ。
「………それでも故郷を忘れられないから。取り戻すためにこの基地に?」
「別の方法もあったんだろうけどなぁ。それでも、プロミネンス計画は有益だと思ったから。まあ18の小僧の独り善がり的な意見だけど」
「そうね。それに、ここはBETAの脅威がない北米だから………最前線ではない、戦争さえ起きていない場所。まあ、普通の人間なら来たがるのが当然と思うわ」
「ああ、アメリカ大陸じゃBETAとの戦争は起きていないって話ね。帝国軍の衛士がこーんな風に眉寄せてぼやいてるの聞いたことあるなぁ」
プロミネンス計画に参加していないことからも、その部外者顔っぷりは徹底している。
その南米は戦争特需で潤っているらしく、ブラジルやアルゼンチンのような国土の大きい国々は高いレベルでの経済発展を遂げているのだった。
米国の庇護下に入ったことで国際的な発言力は低下していたり、軍事政権が複数存在しているというややこしい面もある。
だが人種的偏見も少なく経済発展による好景気による高い雇用需要があることから、難民にとっては目指すべき土地にされているという話だ。
(曰く“最も幸福な大陸”ってね。バビロン災害が起これば根こそぎ地獄に変わるんだけど)
異変後の生存者はゼロ。
天国が一夜にして地獄に変わるのだ。安全な所なんてないな、と武は溜息をつきたい気持ちで一杯になった。
「貴方も、酔わないまま難しい顔をするのね。ここは歓楽街だっていうのに」
「ああ、
「同じユーコンに配属された軍人さんでも、色々な人が居るのよ。歓楽街には全く近寄らない人も居たり、貴方のように酒に酔わないまま時折難しい表情をする人もね。そんな人は、からかおうとすると苦笑して流すの。まるで眩しいものを見つめるように」
トクトクと、水を注ぐ。そうして、ナタリーは尋ねた。
「1人の衛士に出来ることは少ないから、か。ねえ。本当にそんな真摯な思いを抱いている人ばかりなのかしら。本当は最前線から逃れられたって安心している人も――――」
「居ると思う。いや、居るんだろうな間違いなく。気持ちは分かるけど」
武は思う。カムチャツキー基地はまだ“マシ”だったと。
最悪の戦場はBETAだけではない、環境も敵に回る。目を逸らしたい感情と、脇目もふらずにその場から逃げ出したくなる衝動とも戦わなければならない。
「へえ………例えば?」
「一説にだけど、後催眠暗示を出来る人が居なくなった場所とか。前門のBETA、後門の衛士ってなると短時間の戦闘でも心をやられちまう」
仲間の錯乱に怯えながら、多すぎる数を持つBETA相手に粘らなければならないのだ。
集中力が途切れる時が死地となる。その重圧に耐え続けられるほど、人は都合良くできていない。
寒い所は特に最悪だった。発狂した新米衛士が自分の搭乗機に額をぶつけるのだが、氷点下まで下がった装甲はそれだけで凶器になる。
皮が機体に張り付き、力づくで引き剥がすと一生消えない傷の出来上がりだ。
女性の場合はそれに耐え切れずに自殺するケースもある。
「運良く正気を保ったまま後方に戻っても、そういった経験をした衛士は自分から退役を望むんだ。そうして民間人に戻ったとしても、大半が自責の念で首吊るんだけど」
「………まるで見てきたように語るのね」
「あー………いや、今日はちょっと。酒が入ってるかな」
ある意味嘘で、本当でもある。武は水を飲み干しながら、続けた。
「それでも………この旨い水を飲めないような難民のためにって。家族が居るキャンプを守りたいって戦い続ける衛士も居る」
その筆頭がタリサ達だ。それぞれの過去と目的があるだろうが、目指すべきはBETAの脅威が無くなった世界だろう。
衛士としてそれを達成するため、よりよい機体を求めてこの地にやって来た。
篁唯依と同じような志を持つ人間が集まっているのだ。故郷にG弾を落とされないように、と考えている者達も当然として存在する。
と、そこで武はこちらに近づいてくる人影に気づいた。
先頭に、自分もよく知るヴィンセント。その後ろには、ユウヤと顔見知りだという二人が居た。
「おっ、シロー! なんだ1人で飲んでんのかよ」
「あー、まあな。あっちはあっちで騒がしすぎるし」
見れば何があったのか、タリサとイーフェイが至近距離で睨み合っている。
バカチワワとか、ルーズケルプなどの造語式罵倒が雑踏の中でもここまで聞こえてくる程の大声で言い合っていた。
「あっちゃあ………でも好都合だな」
何が、と武は言いつつもヴィンセントの後ろに居る二人を見た。
レオン・クゼにシャロン・エイム。どちらも、こっちを興味ありという視線を遠慮なく叩きつけていた。
武はこの場から逃げ出したい衝動に駆られたが、ヴィンセントも居るので止めた。
苦労人であり不憫なこの整備兵を裏切るのは、いくらなんでもアレだろうと常々考えていたからだ。
(ヴィンセントは気づいてるだろうしな。俺の出身地が横浜だってこと)
それでも聞きに来たのは、それなりの理由があってのことだろう。武はヴィンセントの顔を立てて、態度を柔らげることにした。
「あー、それで? 何か俺に訊きたいことでもあんのかな」
「その前に、昨日のことで礼を言わせてくれ。確かにお前の指摘通り、考え無しな行動だったからな」
レオンが言っているのは、武が二人を制止した言葉のことだ。
再会から皮肉の言い合いを経て殴り合いに発展しそうになった二人を、武は言葉だけで止めたのだ。
“模擬戦を前に殴りあって負傷して戦力低下とか、お前ら何しにここに来てんだよ”と。
「それでも、今までの二人だったら言葉だけじゃ止まらなかった。そこでヴィンセントに聞いたら、こう言うのよ。ユイヒメとシローのお陰だってね」
「ああ。俺たちの知ってるユウヤと、今のユウヤはかなり違うみたいだからな。その切っ掛けだっていう相手の顔を拝んでおきたかったんだよ」
武はレオンとシャロンの言葉を聞いて、成程と思った。
初対面の時のささくれだったというか全方位反日オーラをまき散らしていたユウヤと、今のユウヤを見比べれば遺伝子的に同じ人間なのかと疑いを持ちたくなるだろうと。
そこまでは言い過ぎでも、変化を見てきた人物からの感想を訊きたくなるのも無理はないことだろう。
「それで………俺も聞きたかったんだよな。こうして腹据えて話すことなんて無かったし」
「ああ、まあそうだな。ユウヤとも、面と向かって意見交換なんてあまりしてなかったし」
横浜のことを話さなかったのもそのためだ。尤も、ユウヤの方は目的があってのことなので、予定通りではあった。
「それで、よ。お前の目から見た、初めの頃のユウヤってどんな奴だった?」
「上から目線で大上段。ニホンジンなんて寄らば斬って捨ててやるって感じの敵意満開。篁中尉といつ斬り合いを始めてもおかしくないって思ったね」
「………だろうな」
「想像は、つくわね」
レオンとシャロンは納得した。武は頷いた。尤も、本当に斬り合いを始めたというのは醜聞に成りかねないので言わなかった。
「篁中尉も頑固だし、ユウヤもご覧のとおりだし。それでも、二人ともバカじゃないからな。誤解が解ければ歩み寄るのも早かったよ。それまでが長かったんだけど」
その辺りは語るも涙のヴィンセントの苦労話を訊けば分かる。それを聞いたレオンとシャロンはヴィンセントの方を見た。
過去を知っているからであろうその視線は、何かを労る色に満ちていた。
「まあ、ヴィンセントのフォローってか立ち回りっぷりがな。ユウヤに甲斐甲斐しすぎて“あいつら出来てんじゃね?”的な噂が流出したのは不幸な出来事だったけど」
「おーうその事で訊きたいことがあるんだけどよ。その噂の発生源のことだ」
「…………嫌な事故だったよな」
「未必の故意だろうが?!」
それはともかく、と武は話を強引に元に戻した。
「ユウヤも真面目で、開発には人一倍真剣だ。篁中尉も同じで、似たもの同士だったんだな。だから日本人は極悪だって先入観が取っ払われた後は特に何もしなくても、今のユウヤになっていった。俺がやったのはすれ違ってる二人を向きあわせただけだ」
「ヴィンセントから訊いたんだが………ユウヤは自分で自分のことを日系米国人だって言っていたらしいな。日本の事や色恋でからかわれるだけでブチ切れてたアイツが………どんな心境の変化だ」
「ええ………ちょっと信じがたいけど」
レオンは内心で複雑だ、という表情を隠そうともしなかった。
シャロンは嘆息を一つ零すだけ。
武はその反応を見ながら、色々な事があったんだろうなあと内心で呟きながらも、フォローをすることにした。
「こっからは勝手な推測だけど………元が不安定だったんだろうな。ハーフだってのに、その半分を徹底的に否定されて。ガキの頃は敵意とか向けられてたんだろ? 南部は保守的な人が多いって訊いたことがあるし」
南部の情報は影行から訊いた話である。特に名家の生まれは差別的な視線を向けてくることが多いと。
「そんな中で、一番堪えるのは………裏切られることだ。これも勝手な思い込みだけど、気まぐれに味方された後に裏切られた、ってことも経験してると思うぜ。子供は、集まれば本当に残酷になれるし」
思い込みというのは嘘で、ある時に別の世界のユウヤから訊いた話だった。子供の話は体験談だ。
武も小学生低学年の頃だが、母親が居ないという理由で虐められていた中、騙し討ちをするような方法で裏切られたことがあった。
「ある意味、周り全部を敵だと思い込めばそれはそれで楽だしな。取り敢えず近寄るもの全てを遠ざければ良い。最初から諦めれば、傷つくのも最小限で済む。それが許されるってのとはまた違う話だと思うけど」
どんな理由があれ、傷つけられた方はそれを覚えている。傷が深ければ一生ものだ。
そして軍において協調性の無い奴とは、厄介者と同義なのだ。
「………それでも、あいつの仕事だけは評価されてたんだけどな」
ぽつりと呟いたのは、レオンだった。武は意図的にそれを無視して流すことにした。
今のは聞かれたくない言葉だろう。そう判断したからだ。誤魔化すように、そういえばと前置いて話題を変えた。
「ユウヤも実力は確かだったんだな。同期で相棒だったお二人さんが米国の最精鋭部隊に入隊出来るぐらいなんだから」
あの戦闘を見れば最精鋭ってのも頷ける。武の言葉に反応したのはレオンの方だった。
「へえ、見たのかよ………って、シローって言ったか。お前も衛士だよな」
「まあ、一応は。ある人物からは衛士のようなナニカとか言われてたが」
「な、なんか悪意ある言い方だな。身体見りゃ相当鍛えてるの分かるけど、そういった扱いされてたのか?」
「なんか変態とか宇宙人とかホモ・スペリオールとか言われた。意味分からなかったから訊いたら、“すごいホモ”だとか何とか」
「そ、それは違うでしょ。確か新人類とか、進化した人類という意味よ」
「………そうなのか?」
「そうだ。つーかそう言われるようなお前も、相当できそうだよな………だから元気だせよ、な?」
武は慰められて、思わず泣きそうになった。
癖はあるし、軍人としての責務を果たすためならば汚れ仕事のような任務でも果たすだろう。
インフィニティーズに所属していることからも、それは分かる。だが、泣きそうになったのは優しくされたからではない。
この二人が、悪い人物ではないと分かったからだ。
我慢をすればいいのかもしれない。だが武は耐え切れず、立ち上がった。
「もう………行くわ。タリサも酔いつぶれてるしな」
「お、おう。でも、いきなりだな」
「ちょっと、な。そっちも、明後日には模擬戦があるっていうし」
何気ない風を装い、言った。
行われるは、インフィニティーズ対ガルム実験小隊――――ブルーフラッグの目玉とも言われてる対戦カードだ。
武が望む勝負の形は決まっていた。そして、タイムリミットについても。
「どうした? 飲み過ぎたようには見えねえけど」
「いや、まあな。繰り返すけど、思うんだよヴィンセント――――楽な方法って奴を」
武は思う。敵は悪であるほど良い。殺す相手は醜ければ醜いほど良い。
極悪非道な奴が敵ならば、心の中の呵責は小さくなるからだ。
(だけど、現実はそうじゃない………そうじゃないんだよな)
それは良いことだろう。なのに喜べないのだ。
武はレオンを見て、シャロンを見た。ヴィンセントを見た。そして、会計を済ませる時にナタリーを見た。
返ってくるのは笑顔だった。
「――――それじゃあ、また」
武はそこから、逃げるように去っていった。
そうして、帰路において武はタリサを背負っていた。
ユウヤ達はまだリルフォートに居るとのことで、先に酔いつぶれたタリサを連れて帰って欲しいと頼まれたのだった。
「うぃ~………」
「ったく、呑気だな。つーか頼むから吐くなよ」
「吐かないよ~だ………あー、あんま揺らすなって馬鹿。馬鹿だから馬、いいこと言ったなあたし!」
「漢字まで教わってんのかよお前は。それにしても、ベロンベロンに酔ってるのによくそういった言葉が出てくるな」
「へん、まーだ全然。そんなに酔ってないしー」
武の言葉に、タリサは酔っぱらいの常套句で返した。
呆れた武は無言のまま歩くスピードを緩めた。肩口に吐瀉物をなすりつけられるのは御免だったからだ。
そうして、バスがある近くまで歩を進めた時だった。
「おー、良い天気。星が良く見えるなー」
「………まあ、確かに。人工物の灯りのせいで、そんなには多く見えないけど」
アンダマン島であれば、この10倍は見えた。武の記憶の中でも、あれだけ空が広く夜も星々で輝いていたのはアンダマン島ぐらいだ。
綺麗な青空を守りたいと誓った過去があって―――――それを思い出していたから、反応が遅れた。
「確かに、多くないよな。あんたに、アタシの約束を聞かせたあの夜空とは」
時間が止まった。武はそう錯覚した。だけど、それは武の一方的な認識だった。
タリサは震えていた。恐怖に凍えるように、震えていた。不甲斐ない自分を許せないと、震えていた。
「守れなかったんだ………死んだ姉ちゃんに約束したのに。失くしてからようやく気づいたんだ。あたし、バカだよ…………」
「………それは」
武は何とか声を振り絞り、そこまでしか言えなかった。全くの予想外だったということもある。
だがそれ以上に、ここは敵地だった。どんな目と耳があるのか分からない。
タリサも、それを知っているようだった。だからこそ、人には分からないように小さい声で告げた。
「ちゃんと、生きてるんだよな………生きてるんだよな?」
二回、繰り返される言葉。武はそれを聞いて、二回頷いた。
ああ、ああ、生きてると。それを聞いたタリサは、隠すように自分の顔を武の背中に埋めた。
そうして、声の震えだけを聞いた。問われた言葉は、何故というものではない。
一体、これから何が始まるのか。武は立ち止まり、夜空を見上げながら言った。
「――――太陽を守るんだよ。月に隠れて、星が消えないように」