Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
~磐田朱莉の場合~
ぽっと出のものが、巫山戯るな。それが
第一次京都防衛戦が終わった後、第二次防衛戦が始まる前に風守光が病院で起きた何事かにより重傷を負ったとして、“奴”―――風守武が代わりとして16大隊に配属されてきた。
我らが隊は斯衛でも屈指の者が集まっている。陸軍の演習を見た上での事だが、そう自負できるだけのものはあったと思う。訓練学校より任官後に至るまで、才能だけではない、人の何倍もの努力を重ねて来た者達だけが選ばれた。どの顔も訓練学校時代から噂になっていた者達ばかりだ。
なのにどうしてこんな奴が、と。その風守武は何があったのか知らないが、この世の終わりというような終始どんよりと暗い表情をしていた。その時は間もなく出撃しなければならないという状況だったので、深く追求は出来なかった。
それでも所詮は元服を迎えたばかりの若造と、そう考えていた。崇継様を疑う訳ではないが、どう考えても衛士の訓練を修了して間もないという年齢の者が、そこまで突出している筈がないと思ったから。
考えを改めさせられたのは、第二次防衛戦の最中。前半は連携もなにもない、狂ったようにBETAを鏖殺しにする背中だけを見せられた。けれど後半は打って変わって、僚機や中衛・後衛の機体の連携も意識しながらの。囮役として、撹乱役として、敵の先鋒を切り裂く隊の鋒として。突撃前衛という役割が担う全ての役を、完璧以上にこなしていた。
16大隊に配属された衛士として、誇りに賭けて断言せざるをえなかった。こと衛士という能力において、私はこの5歳も年下の少年に到底敵わないと。
心穏やかではいられなくなった。崇継様、介六郎殿を除いて一番の古株である陸奥大尉も例外ではなかった筈だ。たかが15の小僧に、勝負をせずとも負けると思わされる。それは今までに自分たちが積み上げてきたものが否定されたのと同義だった。自分たちの努力は間違っていたのか。あるいは、目の前の少年は正真正銘の天才であり、天才にはどのような精進を重ねても届かないのか。寝食を惜しんで鍛錬に励んだ、あの時間は全く無駄だったのか。
認めたくない。納得などできるものか。特に打倒を公言していたとはいえ、風守光は追い越す相手として認める事になんら異存のない、大いなる先達だった。彼女を差し置いて高性能な新型に乗ることも、気に食わなかった。
故に私は直に勝負を挑むことにした。親友の藍乃も同じ考えを持っていた。同年代において、唯一私が敵わないかもしれないと思わされる相手だからして、同様の自負は持っているのが当たり前ということだ。
藍乃と相談して、挑発の言葉は厳選した。事は衛士同士の競い合いだけに留める必要があったから。このご時世に他家との、それも格が上である風守家の当主代理との仲を険悪なものにするのも拙い。政治に疎い私でも、それぐらいは理解できる。
だから、風守光の傍役としての責任に対する追求をした。事実、戦場ではない所で重傷を、それも崇継様を守ってでの件ではないのに負ってしまうなど、傍役としては問題であると言われてもおかしくはない。言ってしまった内容に対してまた後悔するんだけど、それは後の話だ。誘導したのは藍乃だ。乗ってきた奴に言葉を応酬し、決定的な言葉を吐いた。鬼のように怖い、とそう言われたからか、藍乃はかなり怒っていたらしい。予定していたものより、やや過激な言葉になった。
奴の反応は劇的だった。介六郎殿は、言葉では両者ともに納得できないと判断したのだろう。藍乃曰く、何らかの意図があったのだろうが、その時は考えなかった。
その理由に、意図に考えが及んだら良かったのに。
あの時の戦闘は―――否、蹂躙は今でも夢に見る。
まず最初に、私が狙われた。それも近接格闘戦を仕掛けてきたのだ。中距離で立ち回られれば圧倒的不利だと思っていた私は、飛んで火に入る夏の虫だと考え、即座に受けて立った。
中距離を保たれたまま正確無比な弾丸をばら撒かれれば対処する手立てはない。藍乃と一緒に突撃砲と近接武装を併用した戦術概念を構築し始めたが、まだまだ出来上がってはいない。一方で、相手は遠近両方ともに隙はない。であれば、得意分野で挑むしかないのだ。そう判断した私は出来る限りの全てをもって、奴の機体に迫った。予め戦術も練っていた。
秘策は、長刀で虚実を混じえてしばらく打ち合ってから、長刀を捨て懐に飛び込み短刀で止めを刺す戦法だ。近接間合いでの攻防は一瞬の誤差さえも致命的になる。長刀を捨てた事により発生する移動速度のズレを錯覚として相手に刷り込ませ、迎撃される前に一気に間合いを詰める。
そのためには的確な間合いの調整が必要になるが、その点については自信があった。刀身が短い小太刀術においては、間合いの把握こそが肝要となる。相手の届かない攻撃には反応せず、届く攻撃を確実に受け止め、こちらが届く距離になった時こそが仕掛ける機となる。幼少の頃から叩きこまれた技術であり、師である父にも認められた。
故に過たず、その時にまでたどり着いた。長刀を捨てる機も、これ以上にないもので。
そこで疑えば良かったのだ。これ以上なく上手くいったという結果が、誘導されたものであるという事実に。
伸ばした短刀は届かなかった。奴は私が長刀を捨てる直前から後方へと噴射跳躍していたのだ。見ぬかれ、誘い込まれた上で攻撃も当てられず、死に体となった状況で私は敗北を確信した。だというのに、奴は何もしてこなかった。
すれ違い、開かれる間合い。そこで奴も長刀を捨てて、短刀を片手に持って構えを取った。
―――舐められている。そう思った時には頭に血という血が昇った。機体が握りしめている短刀の感触が分かるぐらいに操縦桿を強く握り、真正面から攻撃を繰り返した。今思い返しても、致命的な隙はなかったと思う。冷静さを欠いていたとはいえ、肉と骨に染み込ませるほどに反復したのだ。
それでも、奴は短刀で受け止め、攻撃を捌きながら巧みな足運びで攻撃の全てを回避した。機体にかかる自重と衝撃力を電磁伸縮炭素帯に伝えた上でその反発力を利用する事で可能となるステップワークだと後日に聞かされた。
そうして攻撃を見切られた私は、再度誘導されて仕留められた。
短刀での一撃を繰り出し、相手の短刀が宙を舞うのを見て、勝利を確信したと思ったら視界が揺れた。奴は片腕に持った短刀が弾かれるその力を利用し、機体を回転させると同時に回し蹴りを繰り出してきたのだ。
その時は何が起こったのか分からなかった。故に混乱し、硬直した僅かな隙を突かれて制圧された。
制圧された。
私は愕然とした。体術を利用して相手に隙を作りだした上で決する、というのは私が得意とする戦法だ。奴はその上で、短刀を弾き飛ばせるという下地を滑りこませてきた。意識の交差法とでもいうのか、隙を生ませる動作と攻撃の予備動作が同時に織り込まれた高度な一撃。それは、私が目指していた在り方の先にあるようなもので。
藍乃も遠距離戦でやり込められ、私達の敗北が告げられた時には、憔悴の極みにあったと思う。2対1で圧倒されるどころか、それぞれの得意分野で叩きのめされたのだ。それも私達より数段上の技術でもってして。
ただ、恥じた。見た目に惑わされて、その実力の裏を見極められなかった自分に。崇継様が見出したというのに、その御目を疑ってしまった事に気づいたのもある。
故に謝罪を、としようとした所でその気持ちは吹っ飛んだ。
奴は機体から降りて、私達の完敗であると告げたのに、奴はこう言ったのだ―――じゃあ今日から中尉達の名前は“赤鬼”と“青鬼”に確定だ、と。
一瞬、訳が分からなかった。どうして勝負に負けたからといって、そのような不名誉な渾名を確定されなければならないのだ。そもそも女に付ける名前なのか。だというのに、周囲の反応も癪に障った。顔を顰める者は当然居たが、頷く者や吹き出す者が居たのだ。
私達はそのように見られているのか、と内心で落ち込むと同時に怒りが湧いてきた。そもそも公衆の面前で言うことか。情けなくなって泣きそうになった。しばらくは内心穏やかでなかったように思う。年下に実力で劣っていた事も、近接戦で叩きのめされたのも衝撃的だったから。
それから何度も挑んでは、負けて。京都を、故郷を失った事も影響してだろう、敗北の衝撃は後を引いた。努力を重ねたが、いつまでも心は晴れなかった。
それが終わったのは、色々あった後。決定的なのは塔ヶ島離宮防衛戦の後だ。あの任務の重要性は理解していた。だから私は、命を賭しても守らなければならないと思い、一刻でも速く敵を殲滅した方が良いと考え、命令された位置より前に前にと出た。戦術としては、間違ってはいない。ただ一つ、私が目的を重視するあまり周囲が見えなくなっていた事以外は。
僚機である強襲前衛は、古都里美祢少尉はよくフォローしてくれたと思う。だけど任務達成の成果だけに意識を奪われ、突出しすぎる私は遂に限界の一線を越えてしまった。
背筋が凍る、というのはあのような思いを抱いた時に言うのだろう。囲まれた状況で短刀が折れて、残弾も心もとないという状況でようやく理解した。僚機は囲いの外で、孤立し、対処できる武器もない。
つまりは、ここで私は死ぬのだと。それも猪武者の如く周囲を省みなかったからという、馬鹿かつ無様以外の何物でもない理由で。
私は、自分のあまりの間抜けさ加減に下唇を噛み締め。唇から血が流れるより前に、真紅の機体が現れた。
そうして、怒鳴られた。あれは、最初の頃に暴言を吐いた時と同等か、それ以上だった。軍人がなんで部隊行動を重視するのか知っているか、と前置いて叫ばれた行動は忘れられない。
―――『才能あって強くて力があるからって刀に振り回されて味方斬るんじゃねえよ』。
私は、斬られたと思った。内臓に至る傷だと思った。
どうしてって、僚機の古都里の機体が。強襲前衛である一つ年下の彼女が乗るコックピットに傷があったからだ。彼女は私をなんとか救出をしようと敵の群れに突っ込んだが、無理な機動が祟ったせいか、要撃級の一撃を回避しきれなかったらしい。
コックピットが破損し、飛び散った破片が掠ったらしく、古都里の頭からは血が流れていた。
助かったのは運が良かったからだ、と呟かれた私はようやく“戦友を殺した”のだと実感した。そう、古都里が死ななかったのはあくまで偶然が作用した結果だ。私はそうなってもおかしくはない状況に、彼女を追い込んでしまったのだ。
言葉も無い私を置いて、奴は―――武は古都里に退避しろと命令した。死守が目的である以上、退避など出来るはずもない。彼女は拒絶したが、武ははっきりと理由を告げた。その機体で立ち回られるより、残弾を俺たちに託してくれた方が効率が良い。満足に戦闘機動ができない機体に戦場を彷徨かれている方が邪魔になる、と。
古都里は、俯きながら頷き。震える声で後方へと下がっていった。
私はと言えば、何も言えなかった。後悔が胸の内を渦巻いていたからだ。全ての原因は私にある。情けなくて震えそうだった。
その時に、気づいた。風守武の声が震えている事に。どうしてかと、問いかけたら余裕がなかったのだろうに彼は答えてくれた。
死なせるのが怖くて、死ぬのが怖いと。言った通り、先ほどのは運だ。彼の僚機である藍乃に聞いたが、古都里のフォローが間に合わないと悟った瞬間、獣のように叫んでいたらしい。
そうして、戦闘が終わった後。私は介六郎殿を問いただした結果、全てを聞かされた。風守武の戦歴は、年数にして6年。10やそこらの頃にインド亜大陸で初陣を迎え、BETAの侵攻と共に徐々に東に追いやられつつも、戦い続けてきたのだと。
風守光との関係もその時に知った。病院での出来事もだ。後悔のあまり吐き出しそうになった。崇継様の命令だったという。子を守るために武家の者に斬られ、目の前で血まみれになっていたという。子である彼は、それを目前で見ていたという。私達はそれを侮辱した訳だ。
怒るのも当然に過ぎた。反対の立場であれば、私は当主の証である小太刀を抜いていたかもしれない。
それから、土下座も当然だという覚悟で謝罪をしにいった時だ。許さないと言われた。衝撃に、全身が凍る。だけど、実の所は違った。
許さないから今度仙台で旨い飯でも奢ってくれ、と。呆然とする私に親指を立てるその顔は、まるで悪戯を成功させた歳相応の少年のようだった。
してやられたと思った私は、反撃に出た。戦闘中に零した言葉の事を聞いたのだ。すると恥ずかしいといわんばかりの表情で教えてくれた。誰かが死ぬこと、特に戦場を共にした戦友が死ぬこと。情けないが、それがどうしても怖いのだと。慣れないのだと。
彼のユーラシアでの過去を思い出した私は、考えた。どうしようもないぐらいの数の死人を見てきた筈だ。その推測はほぼ間違いなく当たっているだろう。なのに風守武は、決して諦めていない。
人間としては普通の感想を。死ぬのが怖い、死なせるのが怖いという心を捨てずに、だからこそ必死で抗い続けている。古都里に吐いた言葉もそう。死なせるぐらいならば、と思っての行動だ。その内面はごく当たり前のものなのかもしれない。
衛士として世界屈指のと断言できる程に熟達はすれど、満足できる理由もないと、才能など知らないと、他人との優劣など関係ないとばかりに、ただ立ち止まって誰かに死なれるのが怖いから、それを避けるために只管前へ向かって全力で走り続けている。
人の命は大切だから。その考えは平時にとっては当たり前で。でも、こんな絶望的な戦闘で、先も見えない暗闇にあってはこの上なく―――。
気づけば、頭を下げていた。無礼を詫て、告げる。隊長として、これから先も乗り越える目標として付いていきますと。
どうしてか、困った顔をされたのが印象的だった。
―――その原因を知った時にはもう、既に手遅れな事態になっていたのだけれど。
~吉倉藍乃の場合~
一体どのような理由があって、このような者が。それが
相応の背景があった事は想像に難くありません。私は斑鳩崇継というお方の事を畏れています。表面に浮かぶお顔は水面ではなく海面のそれです。今までの動向を考えればすぐにでも察せます。あのお方の裏に抱えているものは、海溝のように深遠さを思わせてくれるものであると。
真壁介六郎も、決して侮れない相手です。真壁という名門に生まれただけではない、かの家で六男という立場でありながらも主家である崇継様の傍役に近い位置に居るという事が異常なのです。
両名が認めているという事は、
間もなくして、風守武という男がどのような者であるかを知りました。突撃前衛である朱莉とは異なり、私は強襲前衛です。じっくりと彼を観察した結果、その一端でありますが理解できたと思われます。
周囲を観察する様、その精度。判断の早さに的確さ。残弾や刀身の強度の管理などを、当たり前のようにやってのける。総合して断言できます。彼の者は少年の皮を被った、老獪な戦士。ほぼ間違いなくユーラシア大陸で多くの実戦を経験した、ベテランです。
それだけでは説明が付かない部分があります。それは射撃の癖について。最近になって気づいたのですが、私はどうしてか衛士の射撃動作を見れば、その者が日本出身であるか、海外出身であるかの判別がついてしまいます。見極める機会はそう多くなかったですが、今までに間違えた事はありません。その勘らしきものは、彼の者が海外で。あるいは外国人から射撃の訓練を受けたと判断しています。
興味が出た私は、朱莉と一緒に直接腕試しをすることになりました。矜持もあります。対峙しない内から負けを認めるなど、あり得ませんので。それと同じぐらいに、彼の実力に興味を持ったという事もあります。
全ては我が身の精進のため。古いものであるとされた弓術、それを実戦に応用する手立てを確立するため。以前に父の旧友である天野原甚五郎というお方と、弓術や弓道の未来について議論を交わしていた時に思いついた苦肉の策です。銃砲がものを言う時代の中、少なくなった吉倉流の門下生を眺め続けた―――その先を憂いたが故の。弓道にある射法八節をも活用し、発展させ、更なる先を考えられれば万人が弓の道の門を叩くようになる。
努力や意見交換を重ねに重ねた結果、ある程度の手応えは得られました。隊随一の射撃精度と呼ばれているのがその証拠です。ですが、個人の資質によるものと判断されている部分が多く、成果としては芳しく無いと言う他ないでしょう。故に、海外の。どの程度のものであるかは分かりませんが、その技術を取り込めればと思ったのです。
それでも、本気で対峙して貰わなければ彼の者の技術の“芯”の部分は見極められません。故に挑発し、怒らせる必要がありました。
後悔しているのは、その時に吐いた言葉。それは後の事ですが、当時は目論見通りに模擬戦に持ち込めた状況に満足していました。介六郎殿の心算も分かっていたから、こうなる事は分かっていました。声には出しませんが、彼の者に反発心を抱いていたのは私達だけではありません。
実力で以って説得力とする。介六郎殿はそのように考えていたのでしょう。私の狙いと同じです。物申しそうな者でいえば、その筆頭が朱莉だったのですから。そのような事態になった結果、朱莉が除隊させられる未来など、想像するだけで吐き気を催すほど嫌なのです。
それでも、その選択が浅慮だったと言われれば頷きましょう。正直の所、私も遠距離の射撃戦で圧倒されるなど考えてもみませんでした。
今まで積み上げてきたものが根本から崩されるような。それでも持ちこたえられたのは、朱莉が居たからこそかもしれません。
その後の事はご愛嬌。青鬼と名付けた事は今でも許せませんが、それが原因で帝国陸軍や本土防衛軍にも名を知られる程になったのも事実で。
無様な敗戦を引き摺りながらも、訓練だけは怠らなかったせいでしょうか。あるいは、雄一郎が同じ隊に配属されたからか。
吉倉流の後輩であり、幼馴染でもある彼。若い―――とはいっても2つ年下ですが―――なりに、出来る限りの努力を重ねていました。故郷を失ったという覆せない現実を前に、それでもへこたれず前を向き続けるその姿勢を見せられた私は、負けられないと自然に思えるようになりました。
その雄一郎の資質は、前衛ではなく中衛・後衛寄りに。同門の縁として、私は彼に訓練を付けながら、私の志と目的を話しました。勝手と言われようとも、この時代にまで受け継いできた吉倉流を途絶えさせる訳にはいかなかったから。それでも、人の死は突然です。父母で思い知っていた私は、雄一郎に言い聞かせました。私が死ねば、後の事は頼みますと。
分からないのは、そう告げるといつも雄一郎が悲しみに満ちた顔になる事。武家に生まれて戦場に立つ以上は、戦場で武功の誉れを受けると同様に、矢や鉛による致命を受ける事も十分に考えられるのです。なのに、どうしてそのような悲しい顔を。見ていればこちらもたまらなくなるので、その顔を止めなさないと言えば更に悲しそうになりました。
―――その理由がはっきりしたのは、塔ヶ島離宮防衛戦の最中。各自が責務を果たしたことから旗色は悪くなかったのですが、複数人は死ぬだろうと思ってのこと。特に体力に劣る者が窮地に追いやられました。その中に、私も入っていました。訓練を怠けた覚えは毛頭ありませんが、私は背が低く、骨格もそれなりです。体力は体格に比例するもの。故に体力の総量は、他の者に比べて多いとは言えません。
そのような状況で、更に敵の中核に挑もうかという状況。私はいよいよここが死に場所かと。それでも後は雄一郎が居ると思い、託しの言葉を話している最中でした。
いざとなれば武殿の身代わりに、との考えを見透かされた上で、泣くように叫ばれました。俺が藍乃さんの代わりに風守副隊長について行きます、と。
呼称に階級などを忘れた―――子供の頃の呼び方ですが―――物言いもそうですが、何よりその声の質に驚きました。悲痛を通り越した、不退転の覚悟がこめられた。言ってはなんですが、雄一郎の力量では十に二つは死ぬでしょう。だというのに、叫ぶのです。
惚れた女性を置いて、独り安心して下がるつもりはない。藍乃ねえさんが死ぬなら、俺も後を追いますと。
………弦を引いて的と一体になる時以外に、呼吸を忘れたのはあの時だけです。きっとこれから先もそうでしょう。理解した途端、様々な感情が胸をうずまきました。
あの、え、う、と。言葉さえ出てこない状況で、陸奥大尉だけじゃない、他の男性衛士も笑って。そうして、彼の者は言いました。
なら仕方がないな、と。陸奥大尉を僚機に指名し、敵の中核に呆気無くたどり着くと、見ている方が気の毒になるぐらいの蹂躙劇を開催してくれました。いつもより動きが良い事に疑問を抱きましたが、「思い出したから」と嬉しそうな笑顔で。
そうして、言うのです。吉倉中尉が死んでいたら、ほぼ間違いなく相模雄一郎は壊れていたと。そうでなくても動揺し、あの激戦の最中に命を落としていただろうと。
人は、人が思うほど強くない。特に大切な人が死んだ時に、平静を保てる人間などそう多くない。その声には、どうしてかこの上ない“厚さ”を思わせられました。経験した者だけが吐けるような。
全てを理解したとも、納得したとも言えません。それでも私は無言で頭を下げました。雄一郎の叫びを思い出せば、分かるのです。あの時、私が死ねば彼は―――と。
言葉にして表せないほどに、感謝をしました。彼が私の上官であることに。その上で礼を示しました。
………機体から降りて雄一郎と向かい合った時に、他の衛士と混じって「接吻、接吻!」と腕を振りながら合唱して煽ってくれたことは未来永劫忘れませんが。いつか、仕返しをしようと思っています。例えばすっかり乙女の顔になってしまった朱莉をけしかけるなどして。
―――だから、帰ってきてくれる事を信じています。
貴方の母も、途方も無い修練を重ねたのでしょう、今の私でさえ副隊長と認めざるを得ないほど強くなっています。
それでも佐渡に残るハイヴ、その攻略の鍵を握っているのは他の誰でもない、貴方であるとしか思えませんので。
~陸奥武蔵の場合~
俺は今、神話の再来とやらを見ているのかもな。俺はあいつを見た時に、そう思わせられた。古来より神話に登場する、人とは思えない活躍を見せる者には似たような動向が見られる。即ち、狂人か否か。英雄という奴は、総じて前者だった。
目の前の少年もそうだ。磐田と吉倉との模擬戦を、京都防衛戦を、京都撤退戦を見れば断言できる。大陸で味わってきた辛酸が、出会ってきた死神の量が嫌でも理解できる。
だというのに、壊れていない。それこそが、常ではない事。異常―――正気ではない、狂気と呼ばれるものが発露している証明となる。
要因はいくつかある。まず、味方を完全に信頼してはいない。信用してはいるのだろう。だが、万が一の時。例えば戦車級に取り付かれた機体を見た時、あいつは助けに入ろうとすると同時に、突撃砲を備える。暴走したそいつが味方を撃ってしまうという最悪の事態に備えているのだ。必要となれば力づくで止めるために。
その一連の動作は緩やかで、だからこそ気づかない奴も多い。気づいてしまったからといっていい気にはなれない。15やそこらの小僧が、何人殺してきたのかなど。それも誰かが―――人が死ぬのが怖くて懸命に戦っている奴が、その人間を殺したのか、などと。その時に浮かべた顔を想像するだけで嫌な気分になる。
普通ならば壊れている。後催眠暗示が存在するのが良い証拠だ。斯衛も例外ではない。城内省から時代遅れの催眠暗示を研究しようという提案あったのは事実だ。病床より復帰した城内省の良心である白鳥女史が居なければどうなっていた事か。
陸軍の知り合いからも聞いた事がある。BETAの数に物を言わせた侵攻を、街中で起きた虐殺を。一度でも目の当たりにしてしまえば、それだけで余命をごっそりとこそぎ落とされるような。夢に出ることは間違いなく、まるで毒のように心を蝕んでいくらしい。
力量にしても狂っている。磐田や吉倉、相模は知らないだろうが俺は見たのだ。紅蓮大佐と真っ向から五分以上に張り合うあいつの戦い様を。
双方ともに試製98式。紅蓮大佐も武の腕の大半を操縦技量に反映できる、異質な才能を持っているとの事だ。その噂は正しく、赤の戦術機をまるで生き物のように操ってその威を示していた。
対抗できるのがおかしいのだ。なのに、あいつは真正面から受けて立った。
初手は互いに直進して長刀の一撃を。すれ違いざまに、装甲に掠ったのだろう。バランスを崩した二機だが、すぐに立て直し。対峙した、その次の瞬間にはまた正面から剣を打ち合っていた。
一歩間違えば死ぬような、模擬戦とは思えない激闘。それでもあの二人は理解していたと思う。こんなものじゃ死なないだろう。この程度で死ぬ筈がない。両者ともに相手の力量は把握し、確信した上で、剣刃による会話を交わしていた。
攻防の最中に相手の実力を測り、その限界を見極めながら。肝が冷えるという騒ぎではない。素人が見れば、どう見ても殺し合いだ。だというのに、武人としての自分はこれが殺し合いではないと言う。
観客は多くないが、皆同じ感想を抱いていたようだ。崇継様と介六郎殿に加え、月詠真耶のみ。俺を含めた全員が、これは極東の最強を決める戦いだと思っていた。なのに当人達は、ただ戦闘により会話しているだけで。
鬼の道を現すに無く、という理念だったか。無現鬼道流という流派を象徴するかのような攻防。居合という理念を考えれば分かる。最初に刀を鞘に収めている、という形からも想像はできる。あれは問答無用に人を斬る術ではなく、言葉を交わした上でやむを得ない場合に用いるものだ。人を斬ることを目的とせず、何かを守るための剣を本領とする。
それでも、全身全霊をかけた勝負には違いなく。そうして、稀に見る戦術機での剣戟戦を制したのは、あいつだった。その結果もまあ、狂っているといえるか。
―――だが、もう一つだけ。間違いないと断言できる事があった。
あいつは普通じゃない。常じゃない者の事を異常と言う。正気ではないからこそ、狂気という言葉が生まれるのだ。その狂気とは、人の命を当たり前のように大切に思うこと。異星人に脅かされる誰かの事に対して、逐一心を痛めること。
正気では成せぬこと。それでも、俺は尊敬に値する良い狂気だと思った。
だから、俺も狂おうと思う。
多くの帝国軍人の命を奪った、G弾による破壊の痕跡。それに呑まれたあいつ。だけど、根拠の無い確信をもってして待ち続けよう。
あいつは生きている。生きて、ここに戻ってくる。そして、戻ってきた時こそが、本当の意味での夜明けを。
この日の本の国に、夜が明けたと示す象徴を―――明星を呼びよせる時代が来るのだと。