Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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これより、4章を開始します。


Chapter Ⅳ : 『Shake up』
0話 : 帰還


 

―――20世紀は、最も多く人間が死んだ世紀になるだろう。

 

西暦2000年の元旦に、大東亜連合軍元帥であるアルシンハ・シェーカルが告げた言葉である。それを聞いた人々の反応は二通りだった。

 

片方は、いよいよこれから人類の本格的な反撃が始まり、BETAを駆逐できるから、来年の2001年以降はこれ以上の死者が出ないのだろうという、希望的観測を主とした解釈。

 

もう片方は、人類はBETAに勝てないのだという解釈。これ以上産むことも増えることもないから、前世紀より死にようがないといった、後ろ向きな意見である。

 

二つの意見の比率に関して、統計は取られていない。だがそういった意見が主になりかねないほど、世界は未だ混迷の中にあった。

 

東方の勇と呼ばれる国も例外ではなかった。日本帝国は20世紀の終わりに、正しく世も末としか例えようのない凶事に襲われたのだから。

 

1998年6月、光州作戦。

 

1998年7月7日、BETAが九州上陸。

 

間もなくして日本帝国はBETAの本州への上陸を許してしまう。帝国軍はその全力を以って防衛に挑むも、圧倒的な物量を前に抗いきれなかった。

 

数度の防衛戦。多くの死者を出しながらBETAを跳ね除けるも、同年、遂に首都・京都が陥落。その勢いで北陸に辿り着いたBETA群は海を越えて島に辿り着いた。

 

―――そして、H:21佐渡島ハイヴ建設が開始された。

 

その情報は軍民問わず、多くの日本人に衝撃を与えた。間もなくして、更なる動揺が国内を駆け巡った。

 

信州付近に停滞していたBETA。目に見える脅威があるにも関わらず、共同の防衛戦に当っていた在日米軍が一方的に安保条約を破棄し、即日撤退したのだ。理由は帝国軍の度重なる命令不服従と、国内での核及びG弾使用に対する猛反対と言われている。

 

ハイヴ建設により停滞していたBETAが再度侵攻を開始したのは、その一ヶ月後。混乱を収拾仕切れていない帝国軍は十分な防衛線を築くこともできないまま、BETAの勢いに呑まれ、東へ東へと圧されていった。

 

遂には帝都にまでその魔の手が伸びようとするか、といった所で奇跡が起こった。東へ進んでいたBETAが帝都間近にして突如南下するという、謎の転進をしたのだ。その理由は伊豆半島が蹂躙された一ヶ月後、偵察衛星からの情報で一部だけだが判明した。神奈川は横浜、帝国陸軍の白陵基地があった所にハイヴの建設を開始したのだ。

 

BETAがハイヴを作るにあたりどのような選定基準があるのか、人類は未だ判別するに足る情報を得られてはいない。何かしらの条件に当てはまったようだと言われているが、それでも定かではない。

 

BETAの習性を研究するより、現実的に大きすぎる問題が目前にあったからだ。帝都から見ればH:22・横浜ハイヴは目と鼻の先ともいえる距離にある。短距離ゆえ侵攻ルートは絞られるが、それ以上に一度侵攻が再開されれば常に帝都が壊滅の危険にさらされるということ。仙台に首都機能が移転され、政治家も避難したとはいえ、人の意識その全てまでは変えられない。

 

一度折れた所で再起できる者は多いが、二度折られた後で立ち上がれる者はそう多くない。頑張ったがやはり駄目なのか、という思いを持つのは意外でも何でもないのだ。

 

そういった雰囲気が軍に漂ってしまう。ここで帝都を落とされれば、日の本という国は亡くなる。それを悟った帝国軍上層部は斯衛を含めたほぼ9割に至る部隊を関東絶対防衛線に集め、防衛戦を始めた。

 

女性に対する徴兵年齢を16歳まで下げるという、前大戦でも例になかった法案が施行された上での退路なき全力戦。それでも横浜ハイヴの脅威は取り払えず。

 

それでも諦めなかった。同年、オリョクミンスクにH:23が、ハタンガにH:24が。ソビエト連合の極寒の地に二つのハイヴが建設される中でも、帝国軍は防衛線を構築し続けた。

 

そうして同年の8月、帝国軍は賭けに出た。裏にとある女性の主張があったと言われているが、事実は定かではない。動いた戦力の数が尋常ではなかったから、という理由もある。BETA大戦において言えばアジアでは間違いなく最大で、世界全体で見てもパレオロゴス作戦に次ぐという大戦力。

 

国連軍に大東亜連合まで加わった横浜ハイヴ攻略作戦―――明星作戦(オペレーション・ルシファー)

 

そこで起きたことは様々あった。通常戦力ではハイヴを落とすことが出来なかったこと。米軍の無通告でのG弾投下。過去に運用されたことのない新兵器が問答無用で使用されるなど、前代未聞のことであった。

 

結果的に言えば、横浜ハイヴからBETAは居なくなった。本土からBETAが撤退したという事で、一部の者は歓喜に沸いた。

 

だが、帝国軍の内情に入った亀裂は小さくなかった。米軍に対する印象が真っ二つに割れたからだ。

 

一方的な条約破棄による撤退。米国軍人は仲間を見捨てないなど、どの口が。それでもG弾の投下が無ければ今頃は。戦友を巻き込みやがって。否、これほどの威力があるならば開戦当初に使っていれば。上層部の判断は正しかったのか。

 

裏の事情が分からない民間人は反米感情を。軍人はそれに加えて、上層部に対する強い不信感を抱く者も居た。

 

2000年10月に国連軍横浜基地の建設が開始された事も、大きな影響を与えた。元は帝国陸軍の基地であったのに、どうしてそんな場所に国連の基地が建設されるのか。取り戻した筈の場所に、どうして外国の部隊が駐留するのか。国連を米国の手先と見る者達は、国土に敵国の旗が立てられたかのような強い嫌悪感を抱いた。そうでない者達も、戦友の命を焼べてでも戦った成果を横取りされた錯覚に陥った。

 

G弾の驚異的な威力とその副作用に関する敵愾心も、横浜基地への悪感情を産む要素としては大きいものだった。明星作戦から間もなくして、世界中に、米国に至るまでG弾の脅威論が取り沙汰された。それほどまでの兵器を、核以上に国土への悪影響が大きいかもしれないものを、どうしてあのような最悪の形で使用したのか。

 

軍内部で様々な意見や主張が生まれ、入り乱れた。ヴェルホヤンスクにH:25が、エヴェンスクにH:26が。時間の流れと共に、関東防衛戦では確かに存在した帝国軍内部における連帯感は徐々に薄れていった。

 

派閥の数や他部署との関係は、BETAの本土侵攻前とは比べ物にならないぐらいに複雑になった。愚にもつかない足の引っ張り合いが増えていたからだ。公表はされていないが、時には血が流れる事件が起きたりもした。これで佐渡島にハイヴという共通の絶対的脅威が無ければどうなっていた事か、という冗談まで生まれる程だった。

 

帝国軍内に、往時の統一感はない。京都を、帝都を守るのだという使命感も、かつて程の熱はなく。兵士の一部は、自分たちに近づいてくる破滅の足音から必死に目を逸らしながら、空を見上げることも忘れた。

 

暗澹たる気持ちを抱かせる、黒い曇り空が日本を覆い隠していた。

 

 

―――そんな、世紀末は2000年の秋の日。

 

この頃では珍しい、雲一つない快晴の日。

 

 

“本来の歴史”より完成が早まった横浜基地から少し外れた場所にある、かつては柊町と呼ばれていた場所で、小さな荷物袋を片手に青空の道を歩く一人の男の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………完膚なきまでにやられてんなぁ、クソが」

 

あるものと言えば、残骸とか瓦礫といったものだけ。本来の形と機能を残しているものなど何もない、廃墟としか例えようがない。白銀武はそれでも冷静な表情のまま、目的地に向けて歩いていた。

 

否、戻る途中だった。横浜基地が目視できる最低限の距離から、その目でまだ基地が健在な事を確認した後に。

 

その理由は、何よりもまず現状を把握するべきだと考えたからだ。平行世界から自分の世界に戻る事には成功したが、それだけ。武は今が何年の何日なのかさえ、把握できていなかった。横浜基地の健在は一定の指標になるが、それだけ。BETAによって乱された四季を考えると、気温と空気の感覚もアテにはならない。

 

「頼むから2001年の10月以前であってくれよ………」

 

目的は色々あるが、その時期であれば最低限の目標は達成できる。果たせない約束はあろうが、そのあたりは武でもどうしようもないことだった。内心で不安を覚えながらも、しっかりとした足取りで柊町だった場所を進む。そうして、目的地に。かつての我が家に辿り着いた武の口からこぼれたのは、溜息だった。

 

「見事なまでにボロボロだな………それでも、ウチはまだマシな方か」

 

多くの家が全壊か半壊していた。事実、白銀家の左隣りの家は跡形もない。右隣りの純夏の家は撃震の残骸に押し潰されている。だが、正面には半ばに折れた電柱が残っていた。朝の早い時間、話に夢中になった純夏が度々ぶつかっていたタフな障害物は、G弾の破壊力でも壊し切ることはできなかったようだ。

 

「って、感傷に浸ってる場合じゃないよな」

 

武はドアが壊された玄関から入った。ただいま、と小さく呟きながら家の中に入っていく。憩いの場所だったリビング。殴り合いの喧嘩もした事がある。料理を焦がした父が咳き込んでいる姿も思い出せる。

 

父の私室の中はズタボロだった。G弾による物質干渉や破壊に至るまでの詳細は武が理解する所ではないが、こうした局所でも差があるようだ。部屋で聞かされたレコード、アンプ、スピーカーの類は全て完膚なきまでに破壊されている。

 

武は無常観を感じつつも、2階へ上がった。1998年に戻った時以来の自分の部屋は、すっかり変わり果てていた。あったのはひしゃげた窓枠と、自分が使っていた子供用の勉強机と、座るだけで半ばからへし折れそうなベッドと、それらを包む埃だけ。

 

武はその部屋の中に僅かに残る足跡を見つけ、密かに安堵の息を吐くと、勉強机の引き出しを開けた。かつては宿題のプリントや筆記用具を入れていた、小さな引き出し。そこには、最新型と思わしき無線機が入っていた。

 

「その前に、これはここに隠して………良し」

 

武は残っていた荷物の中で、隠さなければならないものを引き出しの奥へしまいこんだ。

 

「予備はあるけど、一応な………つーかやっぱり、移動の際に大半が消えちまったか」

 

武は跳躍する前にあった大量の荷物、その大半が消えた事に冷や汗を流していた。移動の時に万が一消えても大丈夫なように、と保険をかけて荷物のコピーを大量に持ってきたのだが、一つと予備を残して煙のように消えてしまっていたのだ。これまで消えてしまえばどうなっていたか、とゾッとする。致命的ではないが、目的達成の難易度が5割は上がってしまうからだ。

 

「でも綱渡りは成功っと。よし、準備完了。スイッチは………これか」

 

武は電源を入れ、じじっ、と無線の音を聞いた。そのまま小さく息を吸うと、外からは死角となるように窓枠の横の壁に。埃に眉をしかめつつ座り込み、予め互いに定めていた、現在の自分の状況を報せる暗号の言葉を喉から取り出した。

 

「―――本日は蒼天なり」

 

嘘ではない。先ほどまで見上げていた空は、見事なほどに晴天だった。そして、今の自分の状況も。

 

「繰り返す、本日は蒼天なり………送れ」

 

無線機からジジ、という音が。間もなくして、困惑の声が聞こえてきた。

 

『え、あ? な………も、もういち………いや』

 

息を飲む音が。それでも向こうに居る誰かは正気に戻ったのか、言葉を返してきた。

 

『了解。ああ、今日は本当に良い天気ですね』

 

当り障りのない、それでも望んでいた言葉。それが返ってきたことに武はニヤリと笑い、答えた。

 

「これで光線を飛ばすバカが居なければ本当に最高なのに。そうは思いませんか?」

 

『………ええ、全く同感です。では、少し用事があるので、私はこれで』

 

通信が切れる音が。武は無線機の電源をオフにすると、背中を壁に預けて深く息を吐いた。埃が舞う空間の中、その白い空気の向こうに思考を沈ませた。

 

通信が成功したからには、数時間後には迎えが来る筈だ。それがどのような使者であるのか、今はまだ分からないが、後は出た所勝負しかない。

 

それまでに出来ることはある。武はあちらの世界で夕呼と話し合いながら自覚した自分の目的と考えを、もう一度整理し始めた。

 

「最重要目的は………オルタネイティヴ5の阻止」

 

G弾の大量使用によって起きるバビロン災害が、何よりも回避すべき事態であると武は考えていた。あの災害の後、どうにかして生き残った所で人類の未来は暗いものになる。地球の大半の地域が死の大地になり、海だった所も海塩だらけで、地形も変動している。人の歴史を思わせるものの大半が、この横浜のように残骸となったようなもの。復旧をしようにも非常に困難だ。最低限で酸素マスクが必要になる場所での作業など、どれだけの時間と労力と資源が必要になるのか、考えただけで目眩がする。

 

「その方法は………第一に、オルタネイティヴ4の完遂と、維持」

 

4の有用性を見せつけ、未来永劫5へ移行されることがないようにする。そのためには、絶対たる戦果が必要となる。

 

その戦果とは何か。一つハイヴを攻略しただけでは、4が何よりも有用だと主張する理由付けには弱い。地球上に建設されたハイヴの数は30に届きそうなほど。その内の一つだけを潰した所で、他のより良い方法を考えなくても大丈夫だとは言えない。

 

「だからこそ………オリジナル・ハイヴを、あ号標的をぶっ潰す」

 

カシュガルの最奥に居る重頭脳級と呼ばれる上位存在。それと接触し、あるいは情報を引き出した上で打倒する。それだけの成果が得られれば、むこう10年はオルタネイティヴ5の勢力を黙らせることが出来るはずだ。

 

上位存在が居なくなることにより、BETAの指揮系統に混乱を及ぼすこともできる。数は脅威だが、カシュガル壊滅前のハイヴ攻略作戦であったような、一種の戦術行為のような奇襲を仕掛けてくる数は激減する。武自身、あちらの世界で参加したハイヴ攻略作戦の時に実感した事だ。

 

「でも、まあ………難しいけど、やるっきゃないよな」

 

目的達成までの障害や難易度を考えれば考えるほど気が遠くなってしまうが、それが最も多くの人死にを減らす方法となる。あるいは他にもっと冴えたやり方があるかもしれないが、武はひとまずはその選択肢を消去した。

 

同時に多くの所へ手を伸ばせるほど、自分に力があるとは思えない。余計な考えをしている内に足を掬われる可能性は十分にある。ならば、自分の信じる世界最高の天才への協力に専念するべきだ。武はそう考えていた。そのための札も、あちらの世界の夕呼から与えられていた。

 

「問題は、なあ。こっちの状況次第な部分が多すぎるんだよな」

 

オルタネイティヴ4の完遂。それは00ユニットの完成であるが、そのために絶対に必要なものがある。それは、BETAの人体実験を受けても意識が残っている脳髄があるかどうか。その脳髄が00ユニットに相応しい、無自覚ながらもより良い未来を選択できるような素養を持っているか。あちらの世界では、その役割を純夏が果たしたという。

 

―――武もその選択に対して思う所は多々あったが、究極的には部外者だった自分が全て終わった事象に何を主張した所で無意味なことだ。そう無理やりに割り切った上で、冷静に事実を俯瞰した。

 

「こちらの純夏は健在だ………と思う。そのために、夕呼先生と取引をしたしな」

 

武は明星作戦が始まる前、夕呼が仙台の基地に居た頃にある約束を取り付けていた。それは、鑑一家の安全を保証すること。そうすれば色々な面での協力は惜しまないと言って、取り敢えずは了承された。

 

国内が不安定になっているだろう現在、いくつかの不安要素はあったが、明星作戦での助言やデリング中隊の衛士に残した言葉などを考えれば、夕呼が害する必要のない民間人を無理に傷つける理由はない。問題は世界移動をした自分の事を覚えているかどうかだが、夕呼の隣には常に霞が居る。霞が忘れていなければ、最悪の事態にはならない筈だ。

 

希望的観測が過ぎることもあり、過去に見せられた映像の事もあって、胸中に不安の感情が渦巻く。武はそれでも信じるしかないと眼を閉じて、万が一の事態を考えた上でその場合の方策を考えた。

 

「………00ユニットが完成せず、凄乃皇が使えない。その場合は通常戦力だけで佐渡島を、カシュガルを攻略しなきゃならねえ」

 

その場合、戦いは熾烈を極めるだろう。凄乃皇があった所で楽な所は一つもない。無ければ、それだけ目的地に至る道程は厳しくなる。どれほど多くの屍を積みあげなければならないのか。

 

「幸いにして、ハイヴ攻略に必要な情報は揃ってる。データも色々と………」

 

武は言葉を止めて遠い目をした。あちらの世界で攻略作戦に参加したのは、合計で3つ。ブラゴチェンスク、マンダレーにリヨン。夕呼先生との契約の内とはいえ良く死ななかったものだと、武は自分で自分を褒めてやりたい気持ちになった。

 

それでも、甲斐はあった。特にリヨンでは母艦級の連続殴りこみなど、冗談抜きで死にそうな事態に見まわれたが、欧州に名が轟く部隊との邂逅など、得られたものは多かった。その才能、機動は学び盗めるものが多かった。実戦におけるノウハウもだ。母艦級の遭遇時に取るべき手段や、電磁投射砲運用時における様々な問題と改善案。それは途方も無い金と人員を投入しなければ作ることができないものである。

 

「それで、XM3も………重要な札の一つになる」

 

聞く所によれば、実戦における衛士の損耗率が半減したとか。オルタネイティヴ4謹製のハードが必要であるが、我ながらデタラメなものを開発したものである。それでも、武はそれを駆け引きの材料に使うつもりはなかった。何よりもまず最優先で配布するべきだと考えているからだ。とはいえ、無策で渡すつもりはない。表向きは取引の材料とするが、武はまず最初に果たさなければならない約束を思い出していた。

 

世界を渡った目的の一つでもある―――サーシャ・クズネツォワの治療。幸いにして、それを可能にする情報は得られた。

 

全てはこの荷物袋にある、記録媒体の中に。頑丈なケースの中に小分けにして入れられたこれの価値は、日本円にして100兆だとか。夕呼の冗談混じりの言葉だったが、武はそれでも安いと思っていた。

 

絶望的な戦局を覆すに足る、人の叡智が産みだした闇色のリンゴ。取り扱いには最高の注意を払わなければならないが、それでも上手く使えばこの上ない武器になる。

 

器じゃない、という思いがある。ベルナデット・リヴィエールから聞いた彼女の家訓に曰く、「ただ一振りの剣であれ」というのが自分に見合った在り方だと、武は今でも考えている。衛士としての腕は誰にも譲るつもりはないが、指揮官や政治家としての資質は疑いの眼しか持てない。

 

それでも、果たさなければならない約束があるのなら。世界移動の途中に垣間見えた、多くの人達の想いと願いを汚させないために。今も戦っている多くの人々に、明確な未来へのビジョンを見せる事を武自身も望んでいるからだ。

 

「………でも、純夏には殴られそうだよなぁ。母さんには泣かれそうだし」

 

その他の苦難は数えきれないほどあるだろう。思わず溜息がこぼれそうになるが、その苦労は悪く無い。先を憂う気持ちは、生きている証拠でもある。母の言葉の通りに、苦境を長い友人として認め、付き合っていくしかないのだ。

 

「取り敢えずはアメリカに注目されないようにな。あいつらを本気にするのは、ちょっと所じゃない、拙すぎる」

 

オルタネイティヴ5推進を謳う一派だが、その力は大きい。特に自国の面子を重視するお国柄である。妨害策など思いつくものは色々あるが、それで本気になられては本末転倒になるのは明白だ。国土が疲弊していなくても、敵対し正面から対峙すれば確実に敗北する。オルタネイティヴ4が米国の工作に終始受け身になっていたのはそのためだ。カウンターを決めて、刺激し過ぎれば大人気ない方法を取りかねない。可能性の問題だが、決して無視する訳にはいかなかった。

 

世界を渡る前から痛感していた事で、だからこそ今のような回りくどい方法を使って、姿を隠す必要があった。横浜基地に正面から乗り込めば、どうしたってあの基地に潜入しているだろう米国の諜報員の耳に届くことになる。それは避けるべき事態だ。最も有用な戦術の一つが、思いもよらない方向からの一斉の奇襲なのだから。

 

その一撃を放つ時が来るまで、身を隠して息を潜めておかなければならない。消極的とも言われる方法だが、武としては大国相手に悪戯を仕掛けるということで、悪い気持ちにはならなかった。

 

「それに………ワクワクしないかと問われれば、なぁ」

 

武は拳を強く握りしめた。今は恐らく2000年前後。1993年に戦い始めて、既に7年。身体は大きくなった。かつての自分の部屋も、こんなに狭かったと思える程に。そんな長い時間のほとんどを戦場で過ごした。

 

出来たことは多くない。失うものばかりが増えていった。その日の絶望を乗り越えることだけしかできなかった。それが、ようやく明日の希望を見据えて動く事ができるのだ。訳の分からない珪素生命体とかいう造物主によって作られた、不愉快極まりない異形どもをこの星から追い出せる。人間を被造物(モノ)としか考えていない、油虫にも劣る大敵を潰すための戦いを始めることができる。

 

考えるだけで、胸の中が熱くなった。何か、格好のいい言葉で飾りたくなるぐらいに。

 

「こう、朝にやってた特撮のように簡潔で………くそ、思い浮かばねえ」

 

それでも頑張って考えている内に、武は足音を聞いた。窓の外は覗かない。万が一に備え、部屋で身構える。

 

そして、階段を登る足音に注意を払った。古い階段が軋む音が、二つ、間をあけて一つ、三つ、二つ、二つ。最後に入り口の扉を叩くノックの音が5つ。

 

予め決めていた数の通り。敵ではないと武は警戒を解き、入ってくる人物を迎え入れた。

 

「って、真壁中佐ぁ!? それも一人で!」

 

安全とは言えないこの場所に、武はまさかと驚愕の声を上げる。対する介六郎は、酷く疲れた顔で武を見た。

 

「見れば分かるだろう。其方も、相変わらずの阿呆面を保っているようで何よりだ」

 

「開幕酷え?!」

 

思わず仰け反る武。介六郎はその様子を見て、深く深く息を吐いた。少し俯いた介六郎に、武は寝不足ですか、と心配する声をかけた。

 

「寝不足には違いないが………そのトボけた物言いに、真似しようにも出来ない間の抜けた………いや」

 

「いや、あの、ちょっとはこうですね。苦労しながらも帰ってきた元同僚に労いの言葉を―――あ、やっぱいいです。なんか想像するだけで気持ちが悪くなった」

 

「………本当に、貴様なのだな。叩きつけたい言葉は色々とある。この1年と少しの間に、何をしていたのかといったような」

 

「え………ということは、今は!」

 

「2000年の10月22日だ………なんだ、その妙な仕草は」

 

「ガッツポーズですよ。嬉しい時にするんです。中佐もほら、こうやって!」

 

武は歓喜のあまり、叫びだしそうになった。これで、ユウヤとイーニァとの約束など、多くを果たすことができそうだと。今にも小躍りしそうな様子に、介六郎は腕を組んだまま小さく口を開いた。

 

「相も変わらず、だな」

 

「え、なんですか? ていうか、16大隊のみんなと母さんは元気ですか」

 

「明星作戦で何人か死んだ。その上で磐田がちょっとアレだが、健在だ」

 

「そう、ですか」

 

「悪い報せばかりでもない。貴様の代わりに入隊した、風守雨音などの話もな」

 

介六郎は簡単に現状を説明する。それを聞いた武は頷きつつも、次の事を考えているようだ。その姿に、今を憂う色はない。

 

(………脳天気、とも取れるのだがな)

 

それでも今の帝国軍が置かれている状況の中、目の前の男のような表情をできる者はほとんど居ない。加え、身にまとう雰囲気を思えば皆無と言ってもいい。

 

存在しないのだ。この国を取り巻く状況や戦況など一切合切関係がないとばかりに、全身から前向きな雰囲気を漂わせることが出来るような男は、この国にはいない。

 

先を見える者ほど、未来の自国を憂いた。介六郎も例外ではない。

 

だからこそ、まさかの報告があった時は全身が震えた。1年を過ぎた時、8月には自分でさえ諦観を覚えていたから、より一層衝撃的だった。

 

風守光などは、眼の色を変えて自分が迎えに行くなどと主張したほどだ。それを説得するのは容易ではなく相当の労力を要したが、介六郎は後悔していなかった。更に苦難を乗り越えたようで、また強くなっている。同時にその姿はかつてよりも大きく、姓のようであり。

 

(いや………勘違いではない)

 

こうまではしゃぐに足るものがあったのだ。それは、白銀武が命を賭けた目的に沿ったもの以外になく。それが意味する事を理解したからには、介六郎をしても我慢ができなかった。

 

―――目的のものは得られたのか。

 

介六郎は崇継をして数度しか聞いたことがないような震えた声で問いかけた。武は介六郎の様子を見ながらも、先ほどはどれだけ考えても出てこなかった、こんな時に相応しい言葉思いついたと、手を叩いた。不審に思う介六郎。

 

武はそれを正面から見返し、獣を思わせるような不敵な笑顔で答えた。

 

 

 

「今こそ回天のとき―――人類の反撃を開始しましょう」

 

 

 

 

 


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