Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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お待たせしました。

本編捕捉と、新たな展開に移る前段階のアレコレでございます。


11.5話 横浜基地にて(1)

● ● 白銀武と鑑純夏、サーシャのこと ● ●

 

 

「それで、武ちゃん?」

 

「主題が明確になってないぞ、純夏。名前だけを呼ばれたんじゃ、何を聞いてんのかこれっぽっちも――――うん、俺が悪かった。悪かったから、腰だめに右拳を構えるのは止して頂けると嬉しいな」

 

額に流れるのは冷や汗だ。武は思った。ターラー教官と同等のプレッシャーとかコイツどんだけだよおい、と。それだけ怒りが深いのかもしれない。そう思いついた武は、素直に答えるしかなかった。隣に何故か居るサーシャからの呆れた視線を無視して、説明を始めた。

 

明星作戦のこと、異世界のこと。武は向こうで潜り抜けた戦場を可能な限り省略して伝えた。武は徐々に純夏の顔が泣きそうなものに変化していく事に気づきながらも、途中で止める方が拙いと本能的に察し、最後まで言い切った。その後に流れたのは二酸化炭素が大量に含まれた純夏の吐息と、沈黙の時間。

 

「………武ちゃん」

 

「はい」

 

俯きながらの呼びかけ。背筋を伸ばした武に、純夏は言った。

 

「無茶はしないって約束したよね」

 

「いや、無理はしてないぞ。軍人として最低限必要なことをやってくるって言っただけで、嘘をついたつもりはない」

 

「……つまりは確信犯だったんだ?」

 

「そ、そういう見方が無きにしもあらずだな」

 

武は間違っているとは言わなかった。別の方法があればそちらを選んでいただろうが、時間は待ってくれるものではないと。

 

「そ、それよりもだ。横浜基地にはもう慣れたか? 分からない事とかあれば、聞いてもらっても構わないぞ」

 

「へえ。じゃあ、武ちゃんとサーシャさんの関係を知りたいかな」

 

「……俺とサーシャの? なんでまたそんな事を」

 

「いいから。教えて、欲しいんだ」

 

笑顔で語りかける純夏。武はその背後に蜃気楼を見た。具体的には左右の両拳で連撃を繰り出してくる幼馴染の姿を。

 

「あ~……まあ、同僚だな。クラッカー中隊は知ってるだろ? そこで一緒に戦った、いわゆるひとつの戦友だ」

 

「ふうん……」

 

「えっと、あの、純夏さん? なんでサーシャを見てから、盛大にため息をついたんでしょうか」

 

「なんでもないよ。相変わらず武ちゃんは武ちゃんだって分かったから」

 

「そうかよ……つーか、割りと酷いなお前」

 

「破ること前提で約束交わした人に言われたくないよ」

 

純夏の文句に、武はうっと呻いて黙りこんだ。誤魔化すように――裏の目的も含ませて――最近なにか変わったことはなかったか尋ねた。先の言葉にも違和感を覚えたからだ。

 

純夏は考えこむこともなく、すっぱりと答えた。

 

「幼馴染が偽名を名乗った上に変装して訓練小隊に入ってきた。それも、ずっと前に任官した正規兵の筈なのに」

 

「いや、そうじゃなくてだな。確かに変なことだし自覚もあるけど」

 

「だよね。それで、任官してない女の子をこれでもかってぐらい苛めてるの。俺つよいぜガハハって笑ってた」

 

「一言も言ってねえよ!?」

 

「えー、じゃあそれ以外? でも私が経験した変なことって主に武ちゃんが絡んだ事だけだし。いきなり横浜基地に呼ばれたのも、武ちゃんのせいなんでしょ?」

 

「……まあ、そうだが」

 

「ん~……お母さんの事もあるし、別に責めるつもりはないけど。そういえば、お母さんには話したの?」

 

「いや、まだだ。純奈母さんもマークされてるだろうからな。その時が来るまでは、無闇に接触するつもりはない」

 

「じゃあ、お母さんはまだ武ちゃんの生存を……?」

 

「いや、知ってると思う。昨日の昼に食べた合成豚角煮定食も、もろに俺好みの味付けされてたし」

 

何度も続けば偶然ではない。武はそう思っていた。そして気づかれたこと、どう思っているのか、それを直接じゃなくて料理にこめたことに対して、武は「敵わないな」と内心で敗北宣言を出したと同時に、感謝の念を抱いていた。

 

「……そうなんだ。でも、気になることがあるんだよね」

 

「おっ、変わったことか?」

 

「そうじゃなくて。最近聞いた話なんだけど、食堂のお母さんに料理の作り方を教わっている人が居るんだって」

 

「へー。でも、噂になるような事か?」

 

「うん。だってその人、見るも珍しい銀髪の美人だっていうから」

 

「そうなんだ……って、銀髪って珍しいな」

 

「そうなんだよ。そのあたり、サーシャさんなら知ってるかなあって」

 

武は純夏の視線に釣られ、隣に居るサーシャを見た。サーシャは、訳が分からないと言いたげな表情で首を傾げた。一方で純夏の表情がむすっとしたものに変わっていく。

 

二人が視線をぶつけあったまま硬直していく空間。武は訳が分からないと思いながらも、これだけは聞いておかなければならないと、純夏に呼びかけた。

 

「志願したって聞いた………純夏。お前、どうして志願兵になった? 前に俺が言ったこと、忘れたってことはないよな」

 

「うん……私の性格は軍に向いていないって。徴兵されない可能性もあるって聞いた」

 

純夏は深くは問わないけど、と前置いて答えた。

 

「このままじゃ駄目だって気づいたんだよ。武ちゃんが死んでいないって事は信じてた。何処にもいないけど、どこかで生きてるって。でも、待ってるだけじゃ永遠に会えないかもって、そう思ったんだ」

 

「……それで、なんで軍に入った。別の方法があったかもしれないだろ」

 

「届かないって、そう思ったから。この道じゃなかったら置いて行かれるって」

 

「どうして、そう思った?」

 

「う~ん……勘、かな」

 

頷く純夏に、武はチョップをかました。痛っ、と呟く純夏に、武はため息混じりに告げた。

 

「そんなに軽い所じゃないぞ、軍は。207に入って思い知ってるから分かるだろうけどな」

 

「武ちゃんには言われたくないかなぁ……あと、足手まといなのは自覚してるよ。止めるつもりはないけど」

 

純夏は俯きながら答えた。醜態を晒してでも、と意気込んだ表情で。

どうしてもかと武が尋ね、純夏は小さい声で答えた。

 

「うん――――武ちゃんの事情とか、色々と裏のこととか、深くは聞かない。だから、私も止めない。それじゃ、ダメかな?」

 

純夏は上目遣いで言った。媚びるそれではなく、怒られるのが怖いがそれでも、と恐る恐るといった様子だった。武はそれを察すると、小さく息を吐いて黙りこんだ。

 

次に意見が入りこんだのは、横からだった。

 

「タケルは止められない。そもそも、そんな権利はないと思う」

 

「っ、サーシャ」

 

「口出ししないつもりだったけど……女の子相手に沈黙したまま雰囲気で圧迫するのは酷い。それに、スミカの気持ちも分かってない」

 

「俺が、何を分かっていないって?」

 

「この国は一丸となって戦ってる。同い年の女の子も徴兵されていく。そんな中、家でたった一人だけ閉じ込めるつもり?」

 

「……それは。いや、俺が言ってるのは軍じゃなくてもって事で」

 

「健康体なのに徴兵が免除されるのは一部の有力者の娘だけ。その子達は家に居る。下手に危険に巻き込まれないように」

 

サーシャの指摘に、武は反論できなかった。健康体であれば軍に。そうでないのであれば、特権を利用したから。そのような者を前に、年かさの女性は、特に徴兵されて娘が軍に入っている者が見ればどう思うのか。治安も悪化の一途を辿っている現状、外に出す方がよろしくないのは、検証してみるまでもないことだった。

 

「それに、家族同然だと言ってもね。結婚もしてない、夫でもない男の人にアレコレ指図されるのは、ちょっとうざいと思う」

 

「う、うざい? でも、俺は心配して言って……す、純夏?」

 

「……う、うざくはないよ。でも、一方的に何もかも決められるのは嫌、かな」

 

言葉を濁したように答える純夏に、武は衝撃を受けて沈黙した。その表情を見たサーシャは、昔に見た「今日は武の部屋で寝る」と告げた時のラーマの顔を思い出していた。

 

武はそのまま、沈痛の面持ちで黙りこんだ。その様子を見た純夏は、フォローをするように話しかけた。

 

「そ、そういえば、昨日の彩峰さんとの格闘戦を見て思ったんだけど、武ちゃんってどれぐらい強いの?」

 

純夏は横浜基地に来てから、同い年でも才能の差がある事を何度か痛感させられた。その内の二人が207B分隊の白兵戦成績トップツーである。

 

だから、純夏には信じられなかった。その二人を事も無げに一蹴する、幼馴染の姿が。そして冥夜が「もしかして紫藤軍曹よりも腕が」と呟いていたのを聞いた事もあって、純粋に疑問を抱いていた。武がどれだけ強いのかを。

 

「え、俺か? 強いって言っても……それなりだぞ。衛士としてならともかく、生身ならな。俺が勝てない相手とかいくらでもいるし」

 

「……例えば?」

 

サーシャの呆れ声に、武は指を折りながら答えた。

 

「斯衛の上の方はバケモンぞろいだぞ。介さんとか磐田中尉には7割負けるし。あと、紅蓮大佐には勝てる気がしねえし、シュレスタ師匠にはまだ敵う気がしねえ」

 

「……えーっと、誰が誰だか分かんないんだけど」

 

純夏の戸惑う声に、サーシャがため息を重ねた。

 

「まあ、この国でも上から数えた方が早い人達。それと武はバケモンって言った人達に謝っておくべきだと思う。訴訟を起こされる前に」

 

「どういう意味だよ、失礼すぎんだろ! ……ってなんで純夏も頷いてんだ?!」

 

「え、なんとなくだけど武ちゃんの方が悪いなって思ったから」

 

「俺の方が訴えるぞ……ってもうこんな時間か」

 

訓練兵にあっては自由に出来る時間は限られている。武はともかくとして純夏はまだまだ必要最低限にも達しておらず、疲労を回復するのも仕事となるため、会話できる時間を予め定めていたのだ。

 

「え、もう? ……ほんとだ。もうこんなに経ってたんだ」

 

「まあ、時間は嘘つかないからな。でも、確かに……短く感じたな」

 

「そうだね。でも、それだけ楽しかったからだよ……へへ、武ちゃんもそう思ってたんだ」

 

僅かに頬を染めて笑う純夏に、武はへっと鼻で笑って「そんな訳ねーだろ」と答えた。途端に膨れっ面になる純夏に、笑い声が浴びせられた。

 

「おお、久しぶりだなそのオグラグッディメン顔! これで赤タイツを着てたら完璧だったな!」

 

「……ということは、全力でやっていいんだね?」

 

「待て。というかサーシャも羽交い締めにするな、関節を極めるな! これじゃ逃げられ――って胸当たってるって!」

 

「む~っ! もうアッタマ来た! 絶対に許さないんだから!」

 

「なにゆえ?! ちょっ、拳を構えるなステップ踏むな間合いを計るな、だから前より筋肉ついてるから左はやばいって――――」

 

そうして悲劇が再び、という時に入り口の扉が開いた。武は最後の頼みと、入ってきた人物を見て固まった。入室者は社霞だった。それはまだ良かった。だが、頭につけているものが問題だった。

 

霞はウサ耳を模したバッフワイト素子ではなく、武が提供したデータを元に新たに開発された装備をつけていたのだ。

 

具体的には、オグラグッディメンのライバルであるキャラが付けているような、アンテナのような装備が。

 

そして、顔を赤らめながら言うのだ。「白銀さんが考案したものを付けて見ましたけど、おかしくないですか」と。

 

 

――――地獄のような沈黙。

 

それを破ったのは、武の前後に居る女性の二人の心が一つになった後だった。

 

 

 

数秒後。扉の向こうで大きな音がするのを聞いた白衣の女性が、してやったりの表情を浮かべた後、自分の執務室へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

● ● サーシャA-01入隊のこと ● ● 

 

 

オルタネイティヴ4が持つ刃の一つであるA-01。その部隊の隊員を前に、銀髪の女性は敬礼をした後、堂々と告げた。

 

「……サーシャ・クズネツォワ。階級は中尉。戦闘経験はそれなりだけど、ブランクがあるから、おかしい所があればビシビシと指導して欲しい」

 

よろしく、と挨拶の言葉が。それを聞いた隊員達は、恐る恐ると隊長である樹に尋ねた。

「あの、もしかして隊長の同僚の?」

 

「そうだ。だが、本人も言っての通りブランク明けでな。錆が取れるまでは、半人前扱いで構わん」

 

樹の言葉に、全員が了解と大声で答えた。その後、隊の数少ない男性衛士である鳴海孝之がそれにしても、と呟いた。

 

「日本語うまいですね、彼女。英語には自信ないから、助かりましたけど」

 

「……国連軍所属の衛士が英語喋れないってのはねえ。情けない通り越して、あり得ないでしょ」

 

「おまっ、お前がいうか水月?! お前もちょっと前に“新しい人が入るけど外国人だったら、私もちょっと再勉強しなかったら拙いかも”って言ってたじゃねえか!」

 

「あ、アタシが? そんな覚えは無いわね。孝之の記憶違いよ、きっと」

 

自信満々に答える水月に、隣で苦笑する者が居た。孝之はそれを見て、はっとなった後に戦慄いた。

 

「お前、既に遙と一緒に再勉強しやがったな!?」

 

「あー、落ち着けって孝之。勉強には俺が付き合ってやるから」

 

「…………やはり鳴海少尉は速瀬中尉と涼宮中尉ではなく、平少尉のことが」

 

発言したのは宗像美冴だった。途端に視線というか殺意がこめられた何かが集中するが、美冴は不敵な笑みと共に答えた。

 

「って、舞子が言っていました」

 

「ええ?! ちょっ、美冴!?」

 

「貴様ら……いい加減にせんか!」

 

怒鳴り声を上げたのは伊隅だった。途端に、全員が黙りこんで居住まいを正す。それを見届けたサーシャは頷くと、呟いた。

 

「私、知ってる。これが、ジャパニーズ・マンザイってやつだ」

 

「ちょっと待て。誰だお前にそんな事を教えたのは」

 

「ヤエから聞いた。マンザイ知らん奴は人生の7割ぐらい損してるって」

 

これがそうなんだ、と頷くサーシャに、碓氷沙雪が恐る恐ると尋ねた。

 

「驚かれませんね、クズネツォワ中尉は。もしかして以前に居た隊でも?」

 

「…………もっと、かな」

 

「えーっと……具体的には?」

 

何がもっとなのかと質問をした水月に、サーシャは顎に手を当てながら答えた。

 

「“舐めた相手はとことんまで舐め返せ”とか“二階級差までなら誤差だから拳または操縦技量で”とか」

 

「そ、そうなんですか? でも、それではまるでチンピラのような……」

 

英雄中隊の印象が、と困惑する沙雪にサーシャは樹を横目で見ながら答えた。

 

「基本、はみ出し者の集まりだったから。この隊長も元斯衛だけど―――ムグムグ」

 

「とまあ、こういう奴だから遠慮しなくてもいい。あと、速瀬と鳴海は英語の再勉強をしておけ。この先、とはいっても年内にだろうが、必要な状況になる可能性がある」

 

そして、と樹は皆を見回した。

 

「クズネツォワ中尉への質問を許可する。機密に触れない範囲でなら、いくらでもしていいぞ、連携を円滑にするためだ」

 

ただし先ほどの元斯衛あたりの質問した場合は分かってるな、と樹は暗に告げながら、サーシャに対する質問を許した。

 

それを聞いたA-01の隊員達は基本的な事から聞いて行った。

 

ポジションは後衛、砲撃支援に適性があること。狙撃が得意で射撃間隔もそれなりにやれること。前衛の無茶な機動に合わせるのは得意なこと。一通り、衛士関連の情報をやり取りした後、A-01のCP将校を務めている涼宮遙から質問が飛んだ。

 

「あの……霞ちゃんの事は知っていますか?」

 

「知ってる。というより、少し前までは社深雪という名前だったから」

 

「ということは、霞ちゃんの姉なんですか?」

 

「血縁はない。でも、姉であれば良いと思ってる。名前を変えたのは……やっぱり、父さんから貰った名前だから」

 

複雑な表情を浮かべるサーシャに、一同は黙りこむ。だがその直後、空気を変えようという質問が飛んだ。

 

「そ、その、中尉にはお付き合いしている方とか居るんですか?」

 

「……舞園。いくらなんでも直球過ぎるぞ」

 

「い、いえ。でも、その」

 

慌てる舞子に、サーシャはきっぱりと答えた。

 

――――好きな人は居る、と胸を張って。

 

「ええ?! あっ、ひょっとして隊長とか……」

 

「樹は違う。戦友としては好きだけど、恋人とかそういった感じじゃない」

 

「そう、なんですか……え、あの、少佐? 何か私やらかしましたか?」

 

「いや……やらかしてはいないし誰も悪く無い」

 

樹はため息混じりに答えた。その声色に、誰も何も気づかなかった。唯一、肩の落としっぷりにシンパシーを感じた平慎二以外は。

 

「そういえば以前の模擬戦で、クズネツォワ中尉の身柄を預かりたいという要望がありましたが」

 

「その相手で間違いない…………って、急に顔が怖くなったけど」

 

「いえ、特には。しかし、そうですか……あの変態機動の相手が、中尉を誑かしたと」

 

怒気を募らせる隊員に、サーシャは驚き戸惑った。見かねた樹が説明をすると、サーシャは顔をひきつらせた。

 

「その、悪気がある訳じゃないから。ちょっと機動が変態的なだけで」

 

「……そうですか。それじゃあ、優しくて素敵な人だと?」

 

「ん……それは個人の感想によると思う。わりと悪戯好きだし。あと、超がつくほどの鈍感。あり得ないってレベルの」

 

サーシャは答えた途端、みちると水月、遙から握手を求められた。応じた後、心を読まずと理解できた。自分と同じ被害者であると。

 

話題はその鈍感な相手へと移っていった。開示できる情報には限りがあるため、サーシャは全ての質問には答えなかったが、隊員は打倒すべき相手の正体をうすぼんやりと知った。

 

「クラッカー中隊の元突撃前衛長……機動に関しては間違いなく隊でも随一で戦闘経験も私達の比じゃない、か」

 

「およそ隙はない。だがそれでこそ打ち勝った時に得られるモノは大きい」

 

「肝は数による力。連携による防御と、波状攻撃」

 

隊員達は先程とは異なり、戦意に瞳を滾らせていた。もしかしたら自分たちは井の中の蛙だったのではないか、と思っていた部分があったからだ。だが相手が正真正銘の格上で、世界でも有数の力量を持つ衛士であるというのならば話は違ってくる。倒せることが自信に繋がると、そう確信できるようになるからだ。

 

「……皆、気を引き締めろ。次だ……次こそは勝つぞ。中尉の狙撃という戦術も増えた。そして、相手が人間だという事も知ることができた」

 

「はい。当てられる事ができれば、必ず倒せる。そうですよね、クズネツォワ中尉」

 

「間違ってはいない。けど、一つだけ修正しておかなければならない点がある。相手は人だけど、普通の人とは思わない方が良い」

 

サーシャは武が見せた模擬戦の姿から、かつてより考えていた名前を皆に告げた。

 

変則でも最速。不規則に戦場を蹂躙する悪魔を。夕呼に「最も速い悪魔と言えば」と質問をして、帰ってきた答えから作った異名を。

 

銀色の蝿――――銀蝿と。それは宇宙人呼ばわりは流石に酷いかな、と思ったサーシャの優しさだった。宇宙人よりは最速の魔王の方が良いだろうと。

 

悲劇はその時に起きた。何よりもイメージにぴったりであったがゆえに。

 

各々から「そういえば」とか「変に飛び回って鬱陶しいし」とか「叩き落とそうとしてもおちょくったように回避してくる」とか「一撃必殺の致死毒を送り込んでくる蝿ね、ぴったりだわ」などの呟きの声が。

 

一通り伝播した後、皆は顔を上げて決意した。締めくくるように、樹がため息混じりに告げた。

 

「どうであれ、打倒すべき相手には変わりない。それに、魔王とはいえ、一人で地球は壊せんだろう。ならば、所詮その程度の相手だということだ」

 

樹の言葉に隊員の顔色が変わる。衛士としての宿敵こそが、この地球の全てを蹂躙しつくさんという化物なのだから。

 

「我々に敗北は許されない。いずれ目的を達成するならば、蝿の魔王だろうが通過点にしなければならない――――今までの無様を取り返すためにも」

 

思い返されるのは敗北の戦。高をくくって惨めに潰された初戦。一ヶ月間作戦を練ったのに、その尽くを踏み越えられた二回戦。次こそ、言い訳はできないのだから。

 

「我も人、彼も人だ。故に問うぞ―――我々が勝てない道理はあるか?」

 

樹の質問に、大声で唱和が成された。そんなものはありません、と。それを見た樹は士気の高まりに満足そうに頷くと、訓練を始めると指示を出した。

 

その唇は笑みの形になっていた。士気が高い時にこそ訓練の成果も高まるのだ。隊長である樹が、それを嬉しく思わない筈がなかった。ただ、敵をよく知る二人だけはやる気の裏で悲痛な考えを抱いていた。

 

 

問題はその相手こそが道理を吹っ飛ばしてくるから厄介なんだが、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

● ● 風間祷子の衛士訓練過程のこと ● ●

 

 

「祷子……大丈夫?」

 

「ええ。自分で歩けますわ……いいえ」

 

歩かなければならないんですと、祷子は指導教官が去っていった扉を眺めながら呟いた。繰り返し叩きつけられた言葉を思い出し、その辛さから呼吸に少し手間取るも、深呼吸をして立ち上がった。心配そうに見てくる、同僚の二人の視線を感じながら。

 

祷子が向かった先はシャワー室だった。祷子は衛士強化装備を脱いだ後、湯気と湿気が漂うシャワー室に進み、最も奥の部屋に入った後、シャワーの栓を開いた。横浜基地の設備は最新鋭であり、不備はない。そのシャワーを最も強く出るように設定すると、頭頂部から湯を受けた。湯は祷子の特徴的な深緑がかった髪にぶつかった後、その白い肌の曲線をつたいながら足元のタイルへと流れていった。

 

間もなくして、その湯の中に双眸から零れた、僅かに塩気を含んだ水滴が紛れ込んだ。両拳が強く握りしめられ、弾かれた湯がわずかに壁に飛んだ。

 

「っ…………ぅ」

 

祷子は大声は出さなかった。許されないと思っていたからだ。だが自分の不甲斐なさを内にこめて全て消化することは出来なかった。

 

(初日は……基本的な動作だけ。怖かったけど、丁寧で分かりやすかった)

 

総合評価演習が終わって衛士の訓練が始まった初日。やってきた教官の姿に、祷子はまず驚愕した。「貴方の演奏のファンです」といった、忘れられようもない、奇妙な。それでいて喜びも混じる言葉をかけた相手だからだ。

 

色々と不自然な点はある。演奏会をしたのはもう随分と前のことだ。それを偶然聞いていたにしても、一度聞いただけでファンになるのはどうか。偶然があったにしても怪しいことこの上ない。

 

(それでも、真実であればと……そう思いたい自分が居ることにも、気づいて)

 

軍人になるための訓練は厳しい。入隊するまでは考えられなかった量を、平然とこなす事を求められる。その辛い日々に、弱気になりそうになる時もあった。乗り越えようとするには、根拠が必要だった。それは、過去か未来にしか存在しないもので。

 

過去は、ヴァイオリンを教わっていた頃のこと。決して楽な日々ではなかったが、代えがたい大切なものだと気づくことができた。幸せな時間であったことも。

 

未来も同じだ。いつかきっとBETAをこの地球から追い出すことが出来るのならば、あの日々の続きを、その先にあるものを。

 

嘘か冗談の類かもしれないが、それを肯定する者が居れば忘れられる筈もなかった。軍という特殊な組織の中で、軍楽に人手を割く余裕もなくなった今の情勢であれば、あのような言葉を吐く人物など特殊にも過ぎる。

 

(だけど……喜びは、すぐに忘れた。忘れさせられた)

 

祷子は最初にどうしてか後ずさりそうになった。横目で同じ隊の仲間の様子を確認した後、気のせいではなかったことを知った。金色の髪にサングラスをかけた、指導教官であるという衛士。その人物の全身から、例えようのないほどの威圧感を感じられたから。

 

祷子は思い出しながら身震いする。それは入隊して間もなくの頃、神宮司教官と白兵戦の訓練をした時に感じたものと似て非なる感覚。少しでも深く覗きこめば、そこはもう無事な場所などない死の地であると、そう連想させられるような。

 

訓練が始まった初日は、錯覚だと思った。だが次の日からは、錯覚ではないと知った。最初は操縦に気を抜いて一つミスを犯し、次に失地を取り返そうとして別のミスをしてしまった後だった。

 

シミュレーターから降りろ、と冷たい声。祷子はミスを怒られるのだと思い、すぐに勘違いだと気づいた。対峙してすぐに知った。声色だけで悟った。この人は地獄から来たのだと。そして自分達を叩きのめそうとしているのだと。

 

祷子はシャワー室の壁に両手をついた後、唇を戦慄かせた。

 

(全て私の意図を解説して……夢まで言い当てた上に、鼻で笑った)

 

祷子は、忘れられそうにもなかった――――そんなザマでは到底無理だな、という言葉を。感情が一気に沸騰した時のことを思い出し、祷子は壁についた手を強く閉じた。脳裏にその時の言葉が反芻されたからだ。

 

――気が抜けているからそんな無様なミスをする。お前の意気込みなどそんなものだ。

 

――しくじれば人が死ぬ。殺すのと同じ。貴様は血まみれの手で、何をするつもりか。

 

――お上品ぶるのはあの世でやれ。天国とやらなら、気の合う奴らも居るだろう。

 

屈辱に、声にしようとも思わない事も言われた。同時に祷子は気づいてもいた。決まってそういう人格否定をするような罵詈雑言を浴びせられるのは、気を抜いたミスをした時や、同じ失敗を繰り返した時に限るということを。

 

(疲労から集中力が途切れた時も、そうでしたわ)

 

人には限界がある。そんな内心の思いを見破った上で、そんな言い訳はいいからとにかく最後までやり通せと。無茶を言うなと反論したかった。だが祷子は、道理でもあると納得している部分を持っていた。

 

シミュレーターの訓練の性質もあった。基本動作から動作応用課程を終えた後、祷子達は各種状況応用演習と題して、様々な戦況におけるシミュレーションをクリアする訓練を受けさせられていた。教官がステージと表現した、様々な舞台設定。それには非常に分かりやすい内容で、様々な難易度がつけられていた。まるで昔に先生から与えられた課題曲のように。

 

そのシミュレーターの結果から起きる事も教えられた。簡単な訓練――例えば間引き作戦において少数のBETAを山岳地帯で殲滅するといったステージ。成功すれば間引き作戦の進行度合いが何%上昇するが、失敗すれば他部隊への負担が増加し、戦死者が何人増加するといったものまで。そこに曖昧な誤魔化しは一切存在しなかった。純然たる結果だけが書かれていた。

 

演奏も、似たようなものだ。何をどうしようとも、楽器から奏でられる結果――“音”に収束する。不意のことがあり、そのせいで風邪になったから演奏をミスする。それは練習が不足していたから演奏をミスした者と、どう違うのか。観客は興味がない。仕方がないと思う筈もない。ただ、しくじった音を聞くだけだ。そうして失望され、時には見放される。

 

時折教導される戦場での話や、シミュレーターで繰り返される状況に当てはめれば理解できる。疲れようが何をしようが、そこでしくじって殺されれば同じだ。BETAは殺す相手を選ばない。むしろ疲労困憊な衛士など、弱点とばかりに率先して殺しにかかるだろう。その結果、自分だけではなく大勢を巻き込んで死ぬ。

 

故に体力のこと、不足すること、それを所詮は言い訳に過ぎないという教官の主張は分かる。だが、そこに個人の事情を重ねてくるのは違うだろうと。

 

祷子は己の夢が罵倒されるたびに、まるで自らが自分の夢を否定しているのではないか、という想いを抱くようになった。一方で、教官の言い分におかしい所は無く。葛藤の中で、祷子は声を聞いたような気がした。

 

私こそが、私の夢を潰すのかと。

 

「――いえ。違います。諦めない。絶対に、それだけは……っ」

 

祷子はそう呟いた後、開いた両手を目の前に掲げた。そして自分が戦死してしまった後のことを。今日に怒鳴られた――要塞級の衝角が直撃して両手が溶解されれば再生もくそもないと言われた事を思い出しながら、自分がヴァイオリンを持つ事さえできなくなった時のことを考えた。

 

祷子は想像できなかった。したくもない映像は脳裏にさえ映し出されず。ただ反応したのは身体だ。胸の奥から持て余した感情と共に、吐き気が猛烈に襲ってくる。だが、祷子は耐えた。戦場では嘔吐をこらえる時間さえ隙になる、吐き散らかせばそれで間違いなく終わると、繰り返し教えられたからだ。

 

祷子は口元を押さえながら、震える声で呟いた。

 

 

「泣きませんわ。無理だって言って涙を流すのは……諦める事と同じでしょうから」

 

 

ならば、今この時にやるべき事は。祷子はその日から、それだけを考えるようになった。

次の日も。また次の日も、体力の最後の一滴まで絞り出すようにして訓練に挑む。そうして二週間が経過した後、次々に課題をこなしていった祷子達は、ついに高難度のステージをクリアーすることに成功した。それも定められた期限の4日も前に。

 

ある一定の難易度以上をクリアした時に初めて流れる言葉。投影されたCongratulations(おめでとう)の文字を見た祷子達は呆然とした後、喜びの歓声を上げた。間もなくして教官の存在に気づき、現実に戻ったが。

 

「これ、拙いよね。ちょっと浮かれ過ぎたかも」

 

「違うよ絶対怒られるって~。どうしよう、祷子」

 

「……胸を張って迎えれば良いと思いますわ。課題はクリアしたんですから」

 

整列を命じられた祷子達は不安を覚えながらも、ただ教官がやってくるのを待った。そして数分後、教官を視界に収めると改めて背筋を伸ばした。それを見た教官は―――武は、祷子達を見回した後、一つづつ質問を重ねた。

 

「まず、倉橋。最後の目的地の一つ手前の台地での対応のことだ。あそこで幸村と一緒に横方向へ展開した理由はなんだ?」

 

「は、はい! 風間機の狙撃で最後の要塞級を仕留めるためです!」

 

祷子達がいつも全滅していた場所だった。先日は撃破一歩手前まで追い詰めるも、戦車級に包囲され、その対応に手間取っている内に要塞級の衝角で前衛が潰され、どうしようもなくなったのだ。

 

「とはいえ、あと一歩だった……なのに戦術をガラッと変えてきたな。要塞級とはいえ、幸村と協力しあえば近接格闘戦で対応できた筈だ。そうしなかった理由は?」

 

「余裕をもたせるためです、教官」

 

「ほう。つまり、貴様らは読んでいたと?」

 

「はい――必要で無い限りは余裕を持って戦術を行使しろという教えに従いました」

 

祷子は訓練中に何度も聞いた助言をそのまま答えた。

 

「あるいは、前回と同じ戦術でもあの要塞級を含めた難所を乗り越えられたかもしれません。ですがそれは、多大な集中力と体力を消費してのことです」

 

「……そうだな」

 

「視界を狭めるな。教官の口癖を元に、私達は話し合いました。今の陣形がどの状況にあっても最適なのかと」

 

高速機動戦闘に適性がある倉橋が前衛を務め、射撃と狙撃、状況判断に優れる風間が指揮と援護に専念し、両方にそれなりの適性がある幸村が両者をフォローする。祷子達の隊はそれで今までの課題をクリアしてきた。3名という少ない人間であれば、戦術の幅は広くない。故に話し合った結果から決めた戦術が、先日までの形だった。

 

だが、本当にそれが最適か。煮詰めるぐらいに言葉を交わしあって出した結論は、否だった。意見交換をしあった後、気づいたのだ。例えば林に前衛の一翼を担ってもらえれば。短時間だけ負担させ、その内に最適の一撃を繰り出すことが出来れば、と。

 

「そして、教官はあの難所が最後だとは言っておられませんでした」

 

「もう一つ、予想外の敵が現れるかもしれない。そのために距離を保ちつつ要塞級を撃破する戦術を選択した、か」

 

武の言葉に祷子達が頷いた。少し怯えながらの返答だったが、私達は間違ってはいないと言わんばかりに胸を張って。

 

「そうか……参ったな」

 

「………え?」

 

「文句なしって事だ」

 

武はそうして、サングラスを外した後に告げた。

 

「風間祷子、幸村美代、倉橋南。以上3名、本日をもって衛士訓練過程の修了を認める」

「………は、え?」

 

「惚けるな、返事は!」

 

「「「は、はい!」」」

 

三人の声が戸惑いも含めて一緒になる。それを見た武は、一つ一つ説明をしていった。

 

二週間前にはもう並の訓練過程が終わっていたこと。今回クリアした課題は、並の正規兵にもクリアできない難度であるということ。3人の意識その他、衛士としての技量を鑑みた結果、A-01に合流しても問題がないということ。

 

「終わった今だから言うが…………よく耐えた。3人の技量があれば、帝国の精鋭とも渡り合えるだろう」

 

「え……嘘、でしょ?」

 

「俺は冗談は好きだが、嘘はあまり好まない。逆に聞くが、何をどうすれば修了だと思っていたんだ?」

 

「それは、3人で教官に勝てばそれで卒業かって」

 

「俺を叩きのめせば、か。貴様達の願望が多く含まれているようだが」

 

武はため息をついて誤魔化した。

 

「念のため、重ねて言っておくが貴様達の実力は本物だ」

 

武はそうして初めて、それまでは説明していなかった新OSの事を話した。慣れるのには普通のOSよりも時間がかかる事を。

 

「という事は、私達は騙された?」

 

「必要な処置だったのさ、幸村。先入観は無駄にしかならんからな。それに、予め難しいOSである事を伝えれば、言い訳が生まれただろうからな。こんなに難しいOSだから別に時間がかかっても、といった具合に」

 

「う……」

 

「反面、味方にすれば百人力だ」

 

そうして武は各々の長所について教えていった。

 

「倉橋。貴様の高速機動戦闘におけるセンスは、基地内でもトップクラス、帝国軍でも最精鋭以外は十分に渡り合えるだろう。だがそれは、射撃戦においてだ。見たところ、近接格闘における長刀の取り扱いに難儀しているな? 習熟するには時間がかかると思われる。任官後はあくまで最低限、防御の戦術だけ磨きをかけろ。基本に関しては既に伝えてある。あとは隊長殿から見て学べ」

 

「は、はい!」

 

「幸村。貴様の適性は中距離以上長距離未満だ。それを忘れるな。極めれば、野戦においては必要不可欠な存在となる。あと近接戦は、可能な限り避けろ。どうにも思い切りが良すぎる上に、周囲が見えていない時がある。どうしようもない時はあるが、そういう時は僚機を頼れ。二機連携を意識しろ……引け目を感じるな。言っておくが帝国軍において貴様の才能で不満を垂れるような奴は、嫌味呼ばわりされるぞ」

 

「は……はい!」

 

「最後に……風間。ちょうど二週間前か。その日を境に、視野が拡がったな」

 

「――え?」

 

「勝つために必要な事は何か。お前はそれを短時間に上手く取捨選択できる。周囲のフォローもできるようになった。妥協なく、全身を使って周囲を観察できるようになった証拠だ。それは得難い才能で、特に個性の強いA-01では重宝されるだろう」

 

曲者揃いだからな、と武は苦笑した。祷子は聞きつつも、呆然としていた。

 

「最後に……全員に言えることだが、辛い訓練をよくぞ耐えた。耐えてくれた。挫けそうになった事も、あると思う。だがその時に抱いた思いを、決意を絶対に忘れるな。苦境どもになんぞ渡してもいい夢や命なんて、欠片さえも存在しない。こんな男が吐く罵倒と同じだ。最後の最後まで諦めなければ、夢は絶対に裏切らない――絶対にだ」

 

強い言葉は、青臭い類ので、場所を違えれば笑われるぐらいの。

武は、そんな理屈は知らないとばかりに告げて、笑った。

 

祷子は、その表情は不意打ちだと思った。自分自身、意識が変わったと思い返せる日があった。それをピシャリと当てられたこと、そうまで見られていた事実に戸惑いを隠せず。

直感的に理解した事があった。そこまで見られた相手からお前は間違っていない、立派であり、何一つ恥じることはないと、まるで国の英雄を称えるかのような表情と口調で告げられた事を認識した祷子は、視界が急速にぼやけた事に気がついた。

 

頬が熱い。顔の芯までも。瞬きをすれば、更に視界が滲んでいく。そして祷子は今の自分の状態を、横に居る仲間の声から知った。総合評価演習にクリアした時と同じで、まるで子供のように、泣いて。

 

ああ、自分は泣いているんだ。祷子は自覚した途端に、自分の表情が崩れることを知った。止めようとするが、止まらない。

 

そうして俯いて泣き声を零す最後、祷子は視界の向こうに年下の男性が本気で慌てたように狼狽える姿を見たような気がした。

 

 

翌日、眼を晴らした三人は基地司令であるパウル・ラダビノットから任官式の言葉を受けた後、外の空を眺めていた。

 

そうして、待っている人物がやってきた後、各々に笑顔を向けた。それを見た武は嫌な予感を覚えつつも、敬礼をした。

 

「任官おめでとうございます、少尉殿」

 

「ありがとう、軍曹……でも、最後まで名前を教えてくれなかったね。あ、別に今尋ねるつもりはないんだけど」

 

軍人になった3人はより一層、Need to knowを認識する立場にある。それを逆手にとってと、幸村が笑顔を浮かべた。

 

「でも、軍曹はそれを申し訳ないって思ってるんだよね?」

 

「はい? いや、それは、まあ」

 

武は戸惑いつつも頷いた。偽名を名乗るのは不義理であることは分かっていたからだ。その様子を見た幸村が、にやりと笑った。

 

「あー、上官に対する言葉じゃないよね。これは減点かな?」

 

「はい! 申し訳ないと思っております!」

 

「じゃあさっきの言葉と一緒で………今から一人一つだけ質問をするから、正直に答えてくれる?」

 

「はい。機密の事もありますが、自分に答えられる範囲では」

 

不義理を働いた以上、何がなんでも答える。そう告げる武に、幸村は尋ねた。

 

「そうなんだ。じゃあ、私から質問。軍曹は恋人とか居るのかな?」

 

「はい? あ、いえ、いませんが」

 

「そうなんだ。じゃあ、次に私から」

 

倉橋が一歩前に出て、質問をした。

 

「なーんか特に祷子に厳しかったようだけどさ。それは、どういった理由から?」

 

「……風間少尉がこの3人の連携の要だったからです。どうしても成長してもらう必要があった。だから、厳しくしました」

 

「ふーん……やっぱりね。まあ、それは私達にも分かってたけど」

 

そう告げて、倉橋は一歩下がった。代わりに出てきたのは、戸惑いの表情を浮かべた祷子だった。

 

「え……っと。なに、南。これを読めばいいの?」

 

一人だけこんな問答をするとは聞かされていなかった祷子は、倉橋から渡された紙を受け取った。そして私にも聞きたいことがあるんだけど、と思いながら紙を開くと、はっとした表情になって二人を見た。ため息を零すと、苦笑を浮かべながら武に向き直った。

 

「貴方は前に“私の演奏のファンだ”って言っていたけど……それは具体的にどういった所が良かったから?」

 

「え……っと」

 

武が言い淀んだ。その反応を見た祷子は、やっぱりという表情を浮かべた。偶然にも程があると考えていたからだ。きっと噂か何かで、入隊する前はヴァイオリンを学んでいた事を知って、それで話しかけただけだと。

 

表情が、少し暗いものになり。直後、あ~という声を枕に、言葉が飛んだ。

 

「ベートーヴェンのクロイツェル・ソナタ、でしたっけ? 一度だけ聞いたんですが、一つ一つの音が綺麗で……特に長い音を弾く、“延び”の部分ですか? あれがたまにですけど、頭の芯が一瞬飛ばされるぐらいに綺麗で」

 

「え」

 

祷子はそれだけを答え、絶句した。表現は違うが、武が好きだと言った部分は、かつてヴァイオリンの先生に才能があると、褒められた時と同じものだった。

 

専門の言葉で逃げている訳でもない。ぽつぽつと思い出すように紡がれた内容は、自分の演奏を知らない者からは到底出ないような言葉だった。

 

――嘘ではなかった。本当に、自分の。それを知った祷子の顔が、爆発したかのように真っ赤になった。

 

「ということは、祷子にかけた言葉も?」

 

「それは……いえ、答えませんよ。それ卑怯過ぎますし」

 

「つまりは本心じゃなかったと。でも、流石に言い過ぎだとは?」

 

「思いませんし、言えません。必要だと思えば、俺は何度でも言います」

 

「……語るに落ちてるけどね。さてここで質問です。実は祷子ってば任官するまでは、ってヴァイオリンの練習は控えめだったんだよね。でも私達は聞きたくって」

 

「この後、聞かせてもらうんだけど、ってその一瞬の表情で分かったよもう」

 

それじゃあ、二時間後に約束の場所でね~、と。それだけを告げて幸村と倉橋は去っていった。それを呆然と見送った武と祷子は、再起動を果たすと、互いに顔を見合わせた。

 

祷子は顔を赤くして硬直する。武は気まずげに視線を逸らした。その様子を見た祷子は、深呼吸をして何とか気持ちを落ち着かせた後、武に最後の質問をした。主に、昨日したアドバイスについて。

 

主に死なない事を優先するような助言だった。兵は必要であれば死ぬ事を求められる。

 

「兵を送り出す教官として、貴方の助言は正しかったのか。それを知らない内には、素直に喜べなくて」

 

「……指摘された通り、死ぬ事が求められる時はあります。でも、それが絶対条件じゃありません。衛士は特に個人の才能がものを言う兵種ですから。成長には時間がかかる。だからこそ、簡単に死んで良いなんて、思われる方が困るんです」

 

「つまりは……怠けるな、と。視野を狭くして思い込むなと?」

 

「はい。あとは、A-01の隊規を。あそこは、中途半端な真似を許してくれる所じゃありませんから」

 

それに、と武は罠を仕掛けた祷子達に反撃するように告げた。

 

「ここに風間少尉の演奏を待ち望んでいるファンが、少なくとも一人。そう考えたら、おちおち死ねないでしょう?」

 

それは本心だった。武が祷子の演奏を直接聞いたのは、あちらの世界で一度きり。

 

――失ったA-01の仲間たちの影響か、その音は別の白銀武が聞いた“記憶の底にあるもの”よりも悲しく。それでいて、先ほど述べた感想のように、泣けるぐらいに美しく。音楽には素人である武をしてもう一度聞きたいと思わせるものだった。

 

「そう……そう、ですわね」

 

祷子は頷くと、口にそっと手をあてて小さく笑った。お嬢様然という言葉を体現したような、細く綺麗な笑い声が武に向けられた。

 

「それじゃあ、期待通り……にはいかないかもしれませんけど」

 

「俺からしたら、是非にでも聴きたいです。大丈夫、失敗しても笑いませんから」

 

「……根が意地悪なのは元から、ですか」

 

祷子は少し困った笑顔を向けるも、思いついたようにそっと手を差し出した。

 

 

「では―――エスコートをお願いできるかしら」

 

「はい。喜んで、お嬢様」

 

 

祷子がからかうように差し出した手に、同じく悪戯心を満開にした武が見事な動作で手を取った。

 

 

その後、基地に向かう廊下の上で、顔を真っ赤にした女性少尉の姿と、困った表情を浮かべた金髪の怪しい人物が発見されたという。

 

 

 

 

 




あとがき


ごく一部の人間は、「あの野郎またやりやがった」とため息をこぼしたそうな。

なおベートーヴェンのクロイツェル・ソナタはコミックの12巻に描写があります。

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