Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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16話 : 胸中

「……また、時間がかかったな」

 

サーシャ・クズネツォワはいつもの無表情を崩し、微笑みながら告げた。

 

「ともあれ、全員がこうして整列できた事は素直に喜ばしい」

 

サーシャは何の含みもなく称賛した。今回の“試験”で何人かは医務室送りになると予想していたからだ。あるいは、後催眠暗示が必要になる状態にまで陥るか。結果は、良好に過ぎるものだった。

 

それでも、実質的には無傷ではない。サーシャは壬姫と千鶴の強化服を見た。その前面には、跡があった。撥水性のある強化服に弾かれたせいでそのままではないが、微かに酸っぱい臭いも残っていた。

 

(嘔吐だけで済んだ……いや、安堵している場合じゃない)

 

サーシャは青白い顔で――どうしてか、いつもより恐れられている色を見たが――整列しているB分隊の面々に、淡々と事実だけを告げていった。全滅による任務失敗。失敗累積が1。残りは5回まで失敗が許されること。

 

「それで、分隊長……次回は何時だ? この後すぐでも、一向に構わないが」

 

サーシャの言葉に千鶴と壬姫、美琴が信じられないという表情を見せた。そのまま絶句する姿を見て、サーシャは成程と頷いた。

 

「思ったよりはもったが、ここまでか――分かった。お偉い方には“そう”伝えておくとしよう、ではな」

 

「まっ、待って下さい!」

 

思わずと、全員が叫んでいた。踵を返して背中を見せていたサーシャは立ち止まると、振り返らないまま黙り込んだ。

 

数秒の沈黙。その後、察した千鶴が大声で主張した。

 

「まだやれます! ただ、少し……その、準備期間を下さい!」

 

「具体的には」

 

「っ、いっしゅ……いえ、4日……違います、3日で!」

 

「2日で立て直せ。1日分のマイナスは即答しなかったペナルティだ」

 

連帯責任という奴だ、と。サーシャは告げるとすぐにその場を後にした。立ち去っていく背中を、誰も追おうとはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――10分後、A-01専用のブリーフィングルーム。教官役であるサーシャ、まりも、樹の3人はそれぞれに訓練小隊の状態を報告しあっていた。

 

「B分隊も同様に、ですか」

 

「ああ、第二ステージで全滅した。その後、自分の足で何とか整列はできた。そっちの方は……違うようだな」

 

「はい。高原が、少し……涼宮の肩を借りなければ、厳しかったようで」

 

「無理もない。俺も何度かシミュレーターで流したあの悲鳴――というか断末魔を聞かされたが、あれはそうそう覚えのない、結構なモノだったぞ」

 

悲鳴にしても個人差がある。聞くだけで心が軋むもの、ささくれ立つもの、単純に痛むもの。樹は戦場で色々と聞いてきたが、シミュレーターで流れた声は、変に表現すると一級品というものだった。

 

「……歴戦のソムリエが選んだ逸品、と副司令はおっしゃっていましたが」

 

「間違いなく武だろう。今までの戦闘で得た通信記録から抽出したか、あるいは……いや、今はそんな事はどうでもいいか」

 

「うん。取り敢えず、持ちこたえた……良かった」

 

安堵の息を吐くサーシャ。一方で、まりもの表情は晴れなかった。それを横から見ていた樹は、ぼそりと呟いた。

 

「ここまでやる必要はあったのか、っていう顔だな」

 

「……はい。確かに、無事は無事ですが、それでも」

 

心に痛打を与えられた事に違いはなかった。見なくて過ごせるならそれに越したことはない、戦場で最も辛い部分を強引に叩き込む。それで壊れれば終わりなのに、大人の都合で。言葉少なに語るまりもに、サーシャは不可思議なものを見る表情で告げた。

 

「いずれ見るなら、早い方が良い。今なら仲間か、私達がフォローできるから。それに、戦場に出ればいずれ無事じゃなくなる」

 

「それは……どういう意味でしょうか」

 

「激戦を強いられる立場にある者なら、無傷でいられる筈なんかない。絶対に傷つく」

 

その果てに、まだ人間でいられるのか。それは素質と、運による。

 

「とはいえ、私達は精鋭部隊……それも、普通じゃない責任を背負った」

 

我こそは最後。クラッカー中隊のポリシーだが、比喩ではなく自分たちが敗れれば人類は窮地に追いやられる。

 

「そこで戦うと誓ったのなら……まともじゃないものを見て、少し狂って、それでも立て直すしかない――壊れれば、悲しいけど」

 

当たり前のように語るサーシャに、まりもは絶句した。理屈は正しい。まりもは夕呼の研究の重要さを知っているし、A-01が担うポジションも理解している。今後訪れるであろう激戦に敗れれば、その危機は日本に留まらず、世界に波及するかもしれないと。そんな時に、新兵の狂乱に足を取られる事態に陥るなど、考えたくもない。

 

叱責が本人に及ぶ可能性もあるのだ。そう考えれば、この訓練内容は非常に効率的であるとも言える――あくまで理屈だけを語ればの話だが。

 

ふと、まりもは樹を見た。いつになく厳しい表情をしているが、頷いてはいない。まりもはそういった反応から、樹もサーシャの意見に全面的に賛成はしていないのだろうと当たりをつけた。それでも、反論する素振りもない。できない、といった方が正しいのか。

 

(仕方ない、といった感じ? ……成年前から実戦を何度も経験したから、かしら)

 

感性と常識がかけはなれているとも感じていた。人は壊れるもの、容易に壊されるものと、当たり前のように受け止めているように思えたのだ。

 

誰の都合に関係なく、現実の刃は老若男女全てを切り刻むものだと。いざという時まで認めたくない、現世の無慈悲かつ狂気的な部分を、常に身の回りにあるものだと認識している。

 

ふと、サーシャは呟いた。

 

「……そういえば」

 

「なんだ、また」

 

「よく壊れなかったと微笑んだら、怖がっていた。御剣は違ったようだけど」

 

「それは……まあ、普通はな」

 

樹は言葉を濁した。正しく表現すれば、“一般人がこちら側を正しく理解したが故の怯えだろう”、というもの。

 

「それは……A分隊とB分隊の差からくるものですか」

 

「その通りだ。身近な者の死か、身内が携わっているか――狂っている世界がある事を前もって知っているか。それだけで、認識はがらりと変わる……ラーマ隊長殿の受け売りだがな」

 

親しい者が死ぬ理不尽、食い殺される者が多発する狂気の場、それがまかり通っている世界。正すべき神は不在で、次は自分かあの人か。直面すれば泣き叫ぶか、壊れて狂って笑い死ぬか。

 

「それでも、戦わなければ生き残れない。そういった場所を今の自分が目指していると、改めて認識したからこその怯えだろう」

 

理想で脚色されない、たどり着いた先にある彼岸花の赤の色。それが当初予想して覚悟していた血ではなく、“ナカミ”の色だと知ったなら。

 

「その点でいえば、この小隊は優秀。全体的に切り替えが早かった。御剣訓練兵は、此処はこういうものだと受け入れたようだし」

 

「幼少の頃からの気構えの差がな。長く考える時間があれば、知らない内に悟ってしまうものだ」

 

「涼宮は、姉が同じく軍隊に……柏木は弟を残しているから、ですか」

 

高原萌香は兄を、麻倉篝は従姉妹を失っている。どちらも仲が良かったという。そんな都合に関係なく、人は死ぬ。考える時間が多いなら、嫌でも見えてしまうものが人間だ。

 

「築地は、少し違うようですが」

 

「あの子は涼宮を慕っているようだからな。身近なものを支えにできる者なら、多少は耐えられるものだ」

 

「……非生産的だからこそ美しい、とかいうアレのそれ?」

 

「そうかもしれない、ってちょっと待て。どこのどいつがお前にそんな言葉を教え……って一人しかいないな、あのイタ公」

 

斬る理由が増えた、と樹は呟いた。その本気度合いにまりもは汗を流しつつも、B分隊の反応を伺った。サーシャは少し思案顔になった後、一人一人思い出すように語った。

 

「御剣は……心の乱れは一番少なかった。油断をしたのは、周囲の巻き添えだと思う。視野の狭さもあったかな」

 

「まあ、あの異常事態に初見で柔軟に対処しろ、という方が無茶だからな」

 

「彩峰は、動揺はしていたけど、負けん気は萎まなかった。あの二人なら、突撃級の奇襲があと数秒でも遅れていたら、対処できていたかもしれない」

 

「それはそれで……有望と見るべきでしょうが、他の者は違うと?」

 

「千鶴は頭が良いから。美琴もそうだけど、感受性が豊かだから……他の4人よりも深く見えちゃったんじゃないかな」

 

結果、精神的に脆い所がある千鶴は嘔吐し、タフな美琴は動揺するだけで済んだ。問題は残りの二人だと、サーシャは小さい声で告げた。

 

「純夏は……受け止めて、拒絶してた」

 

「それは……矛盾しているように聞こえますが、間違いなく?」

 

「確信はできないけど……相反する気持ちが同じレベルで両立しているような。知ってるけど知りたくない、起きるのは分かるけど、起きるなんて認めたくないというか」

 

裏事情を知っているサーシャはそこまで話した所で、B分隊の相談が終わったら一度会ってみると言った。そして大きなため息と共に、壬姫の状態に言及した。

 

「一番キてた。最後も、かろうじて立っていられたのはまだ責任感が残っているからだろうけど」

 

一人脱落すれば、残りも落ちる。B分隊の全員が纏っている気持ちは、瞬間最大風速的なものだろうが、A分隊より明らかに上だ。壬姫はその全体の雰囲気が絡まっていたからこそ、最後に整列する事ができた、というのがサーシャの私感だった。

 

「復帰の見込みは?」

 

「私見だけど、短期間じゃ厳しい。何か、強烈なものを想起したと思う」

 

「それは……拙いな」

 

思わずと、樹が呟いた。ある意味で最終試験の一番重要なポジションを担うのが、珠瀬壬姫という少女なのだ。唯一、限定的だが明らかに武を上回る能力を持つ衛士。その彼女が不在のまま、あの規格外の存在に対して勝機を見いだせるか。悩んだ樹だが、否、と小さく呟いた。

 

「……ともあれ、アフターケアはしておく。純夏の事は、武にも頼まれているから」

 

「そうだな。神宮司軍曹は、A分隊の方を頼んだ」

 

「了解しました。しかし、紫藤しょ……いえ、軍曹の方は」

 

「こういった時に男がでしゃばるのはよろしくないとな。それを教えてくれたのがイタ公とは業腹だが、正しいようにも思える」

 

樹の言葉に、まりもは苦笑しながら頷いた。情けない姿を見せるのに、異性が相手ではプライドや体面が先に出る可能性があるからだ。

 

サーシャは話がまとまったのを見ると、私は先に行くからと、部屋を急いで出ていった。まりもはそれを見送った後、横目で樹の方をちらりと見ながら尋ねた。

 

「大丈夫、なのでしょうか」

 

「……抽象的だが、聞きたいことは分かるな。だが、あいつは大丈夫だ。伊達に世界で有数のお人好しの背中を見てきた訳じゃない」

 

「疑っている訳ではありません。ですが、どうしようもない所ですれ違ってしまう事を危惧しています」

 

「なら、フォローしてやってくれ……我儘だとは思うが、それでもな」

 

「わ、私が、ですか?」

 

「むしろ、俺の方が無理だ。だが、軍曹の言葉ならば聞き入れるだろう。根拠はある。とても言えんが」

 

「言えない、と言われると余計に気になるのですが」

 

それでも、まりもはそれ以上尋ねなかった。樹は、その様子に安堵を重ねた。

 

(まさか、母親的存在であるターラー副隊長殿に似ているとか言えんよな……)

 

樹は強い人間を多く知っているが、この人について行きたいと思えたのは片手で多すぎるぐらいだ。その中の一人が、ターラー・ホワイト。人が人らしく居ることが許されない戦場で、今も人として当たり前の感性と言動を貫けている人物だ。

 

強い人は、優しい。樹の持論だが、神宮司まりもという女性を見るに、間違っているとは思えなかった。

 

(人は、人についていくものだからな)

 

軍は力を司る場所だ。大勢の人間が動く、動かす人間が必要になる。方法は多岐に渡るが、主に恐怖や畏怖を多用する事が多い。殴られたくないし、死にたくないから動く。それでまとめるのが一番効率的と言える。だが、それに縛られない人間も居る。そして強いられた人間が自発的に改善案を見出していく事は少ない。やらされていると感じた時点で、それ以上の発展を望むことはできない。

 

ならば自発的に動かすのは、その原動力は。樹は長年の経験から、それを生み出すのは共感、あるいは思慕だと結論付けていた。本当にやりたいと心の底から信じることが出来るのなら、それを成してくれる人が先に走っていてくれるのなら、人は言われずとも自分も走ってついていく。

 

「あの……少佐?」

 

「今は軍曹だ。なに、心配するな……と言っても無駄だろうが」

 

気休め程度の言葉を聞いたまりもは、不安であるという内心を隠そうともしなかった。それを見た樹は、苦笑しながら続けた。

 

「どうしようもない時はどうしようもない。その逆であれば、自ずと動くだろう。見極めの時だよ、軍曹」

 

提示できる解決策はなく、手助けは逆効果にしかならない。問題の本質は当人たちの心にある。ならば、外野からどうこうできる筈もなかった。

 

(ここで団結できるか否かで、辿り着ける場所の高度が決まる……正念場だぞ、榊)

 

樹はまりもの不安げな瞳を受け止めながら、教え子達の無事を祈った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるで通夜か葬式か。緞帳が降りた後の照明もない舞台上もかくや、といわんばかりの暗い雰囲気の中で、6人は互いに向かい合っていた。呼吸の音が聞き取れそうな程の沈黙。その中で、さらりと立ち直った者が居た。

 

「――舐めていたな。だが、気づけたのが今で良かった」

 

はっきりとした声に、5人が顔を上げた。それを成した紺色の髪を持つ衛士は、迷わずに次の言葉を選んだ。

 

「外にばかり敵が居る訳ではない。時には、味方の動きも含めなければならぬ。学ばせてもらったという事だ」

 

「……そう、だね。実戦じゃ、死んでた」

 

次いで言葉を発したのは慧だ。顔色は良くないが、顎に手を当てながら先の一戦における自分の無様を語った。

 

「止まっちゃいけないのに、止まった……教官があれほど口煩く言ってた理由が分かった。どんな事があっても、っていう意味も」

 

慧は教官からしつこいぐらいに注意された言葉を反芻し、その真意を骨身に刻んだ。どんな事とは、自分の想像を超えた光景が目の前に繰り広げられても、という意味だと。

 

「まだまだひよっこだった……冥夜は大丈夫そうだけど、覚悟してた?」

 

「いや、先程のアレまでは経験していなかった。だが、想像はしていた。戦場がどんな場所であるかを……だが、その想像と現実の差異に戸惑った結果がこれだ」

 

私も未熟だったな、と冥夜は小さく息を吐いた。そのまま、千鶴に視線を送った。

 

「……ええ。一撃受ければ終わりの状況なら、一秒でも油断しちゃいけない。それを実地で学ばせてもらった。過激だったけど、ね」

 

過ぎる程にと、千鶴は悪態をつこうとして止めた。言える立場ではないと思っていたし、これが新しい教練内容であると言われれば、納得できる部分が多かったからだ。それでも一歩間違えば再起不能になる者も出かねないとも思っていた。

 

(モルモット……と表現するのは言い過ぎだけど)

 

お情けで演習を受けさせてもらっている以上、こういう事もあるのだと、千鶴は強引に自分を納得させることにした。思う所はあるが、反抗した時点で終わりにさせられる可能性がある。先程の口調は冗談の類じゃなかったと、千鶴は後のなさを実感しながら、動く事にした。

 

「ひとまずは、反省を……そうね。みんなは、どう思った?」

 

簡単な事でも良いという千鶴の意見に、隊長の補佐役である美琴が答えた。

 

「やられた、って感じだよ。ああいうのは連鎖するんだね……僕、途中からは何がなんだか分からなくなった」

 

少し掠れた声でも、努めて明朗に。

続いて、純夏がごめんなさいと呟いた。

 

「私のせい、だよね。無駄弾を使い過ぎたから、後衛の役割を果たせなかったからみんなが混乱して……!」

 

「いいえ、違うわ。むしろ私の責任よ」

 

感情的になる純夏を相手に、千鶴は断言した。その理由を話そうとして――同時に思い出した光景に吐き気が再燃するが――気力で抑え、説明を始めた。

 

全滅した時点で残敵多く、制限時間も残っていたこと。それらを総合的に判断すると、遠からず全員の弾が尽きて同じようになっていたこと。その原因として、多くの敵に対処しすぎようとしていた事が考えられると。

 

「ばらまき過ぎね。とはいえ、そう指示したのは私……なら、指揮官の責任よ。それを横取りされると、困るのだけれど」

 

「……うん。ごめんなさい」

 

「私こそ、よ。それで……次の事を考えましょうか」

 

千鶴の声に、黙り込んでいた壬姫の背中が少し跳ね上がった。それに気づいたのは純夏以外の4人全員。千鶴は、あえて無視するように話を進めた。

 

「全滅の原因は後で詰めるとして……まずは、そこまでに至った流れね」

 

千鶴は戦力評価を致命的に間違えていたからだと主張する。友軍戦力の過大評価と、広範囲に散らばった敵の戦術的脅威に対する過小評価が、あのような危地に至った原因であると話し、その意見には全員が頷いていた。

 

「でも、友軍は僕達なんかよりも多く修羅場を潜り抜けてきた正規兵だったんだよね。もっと、頑張ってくれると思ったんだけど」

 

「同感だわ……教官が仕掛けた罠、という可能性も考えられるけど、これは考えたくないわね。何でもありになってしまうから」

 

あの小鬼教官殿なら、やりそうだけど。千鶴の呟きに、慧が頷いていた。

 

「もしくは正規兵だとしても、あのような事態に陥っては実力を発揮できないという所か。教官殿は、私達にそのあたりを学ばせたかったのではないだろうか」

 

「……もしくは、ああはなるなという遠回しな忠告かもね」

 

慧の皮肉がこめられた声に、全員が自らの胸を押さえた。正しく先程、その無様と疑似的な屍を晒してきた所だからだ。

 

「回避するには、ステージをクリアするには……作戦の根本的な見直しが必要になるわ」

 

「方針を変更するか、否か……やはり、そうなるか」

 

千鶴の言葉にいち早く反応したのは冥夜だった。全滅してからずっと、考えていた事でもあった。即ち、先の作戦の方針を変えるか否か。

 

「方針を変えず、戦術を煮詰める―――守り抜く事を誓うか」

 

「……あるいは自分たちの都合を優先して、友軍の大半を見捨てるか」

 

慧の言葉に、全員が押し黙った。守る範囲が増えると、より多くの敵を倒さなければならない。それだけではなく、隊の攻撃力も分散してしまう。中衛や後衛も、囮役である前衛が居なくなると、余裕のある射撃が出来なくなる。弾の消費量は増えていく一方だ。

 

範囲を絞れば、その限りではない。千鶴は先の一戦での打開策を見出し、分析も済ませていた。まだ戦える2機の友軍を援護、もしくは護衛するだけに徹するならこのステージはクリアできると。

 

「私は……この隊の分隊長として主張するけど、方針を変えるべきだと考えているわ。助けられる人だけを助ける。欲張れば、こちらに飛んでくる銃弾に晒される回数も多くなるから」

 

「仕方がないと割り切る、か……しかし千鶴、一度逃げると癖になるぞ。これより後のステージに、同じような状況があればどうなる」

 

乗り越え、打破すべきだと冥夜は主張した。慧も同意見だと、自分の意見を出した。

 

「一度決めたことなら、曲げるべきじゃない。何より、見捨てる事を良しとして、仮にクリアーできたとしても……そんな中途半端な覚悟で、アイツに届くかどうか分からない」

 

「……私の覚悟が中途半端だと言うの?」

 

千鶴はむっとした声で反論した。慧は一瞬だけ驚いた表情をするが、千鶴の口調に対する苛立ちの方が勝った。

 

「そう聞こえたのなら、そうかもしれないね」

 

「っ、彩峰、あなたね……!」

 

「やめよ、二人とも! また振り出しに戻るつもりか!」

 

「そ、そうだよ……それに、方法が無い訳でもないんでしょ?」

 

美琴の言葉に、千鶴は苦虫を噛み潰したような表情になった。美琴はその表情から、正しい意見とはいえど、何か失敗した時の感触を思い出し。言葉に詰まった美琴の横から、純夏の質問が飛んだ。

 

「あるの、千鶴ちゃん。見捨てないで守り通す方法が……」

 

「…………あるには、ある。でも、今は実行できない」

 

「できない……? 何をどう判断して榊が結論付けたのか。説明されなければ、納得はいかない」

 

慧の言葉に、千鶴は小さく拳を握りしめた。数秒、逡巡したがこれ以上隠すのは――見ない振りをするのは無理だと、説明を始めた。

 

周囲の地形、その道幅の狭さと、BETAの出現ポイントとの関係を。成程、と冥夜が頷きを返した。

 

「多くを相手にするから、弾が尽きる。ならば、BETAの進行速度を鈍らせてしまえば良い」

 

「ええ……制限時間があるこの模擬演習だからこそ出来る方法だけど。全ては無理でも、突撃級の足並みを乱せば……勝機はあるわ」

 

突撃級を相手にするには、背後に回って射撃をする必要がある。そのようにあちこちに立ち回って弾をばらまく必要はなくなればやれなくはないと、千鶴は告げ。ゆっくりと、壬姫の方を見た。

 

「――壬姫がいつも通りの狙撃ができる、という前提条件があってこその方法だけど」

 

千鶴の言葉に、冥夜と慧は虚を突かれた表情になった。千鶴は二人が黙り込むのを横目に、壬姫に語りかけた。

 

「第一段階のステージ4よ。教官から教わった、BETAの進行速度を止める方法、過去の事例……覚えているわね?」

 

真っ直ぐに、言葉で、眼も。壬姫はそこから逃げるように顔を逸しながら答えた。

 

「……突撃級の脚部のみを破壊する。生存している個体が居れば、後続のBETAは乗り越えるんじゃなくて、迂回するルートを選ぶことが多い……でも」

 

「跳躍ユニットを損傷した友軍機は開けた平原に居る。そこに出てこられた時点で、今の私達には対処できなくなる。でも、距離があるから……急いで迎撃ポイントに向かっても、到底間に合わない」

 

唯一の打開策は、前方から突撃級の足を狙撃すること。だがそれは、壬姫以外の誰にもできない方法だった。

 

全員で強引に突撃砲を斉射する方法もあるが、閉所で射線が重なると事故が起こる可能性が跳ね上がる。そして無駄弾を消費した状態で、すり抜けてきたBETAの対処ができるかどうかは、賭けになってしまう。

 

「迅速かつ簡潔に、的確に相手の勢いを削ぎ落とす。失敗すれば、今日の失敗の繰り返しよ。つまりは壬姫、貴方が作戦の成否の鍵を握っているの」

 

だからこそ言わなかったと、千鶴は言う。狙撃手の技量は精神状態に大きく左右される。手元の数ミリのブレが、何百m先では取り返しのつかない誤差になるからだ。中には薬物を投与して、無理やりに身体を制御する者も居るぐらいにシビアな世界だ。

 

壬姫も分かっていた。分かっているからこそ、首を横に振った。

 

「無理だよ……だって、失敗したら友軍のあの人達は死ぬんだよ? 私のせいで、あんな……っ!」

 

壬姫は勢い良く顔を上げると、声を荒げた。

 

「みんなも、平気じゃないんでしょ?! さっき起きた事、全滅する直前の事を話してない! 具体的な話を避けようとしてる、克服してないのになんで……!」

 

壬姫の言葉に、千鶴と美琴、純夏が俯いた。冥夜は正面からその言葉を受け止め。慧は何事かを言おうとして、口を閉じた。その様子を見た壬姫は、涙目になりながら握った拳を小さく震わせた。

 

そして、下唇は強く噛み締めていた。見捨てる方向に、方針を変えればいいのにと喉まで出かかった言葉を閉じ込めるために。

 

「……それで良いのか、壬姫」

 

「っ! ……良くはないよ。良くは、ないけど………っ」

 

壬姫は俯き、今度こそ唇を閉じた。他の5人も、各々の思いで言葉を閉ざしていた。しばらくして、呟くように千鶴の声が部屋を響かせた。

 

「今日はひとまず解散しましょう。どの方法を選ぶかは……明日に決めるから」

 

考えておいて、と。様々な感情がこめられた千鶴の言葉が、解散の号令となった。動かない者、考え込むもの、迷わず立ち去る者。その背中を追う者もいた。

 

「冥夜! ……その少しお願いがあるんだけど」

 

「ふむ……何?」

 

純夏からお願いを聞いた冥夜は、予想外の事に驚き。一瞬の後に、良いぞと頷いた。数分後、純夏は冥夜の部屋に招かれていた。正確な所は、転がり込んだと表現すべきか。

 

「何もない部屋だが……取り敢えず、座るがよい」

 

「う、うん……その、ごめんね?」

 

「謝らずとも良い。私も、助からなかったと言えば嘘になる」

 

壬姫の指摘どおり、冥夜も先の光景の全てを飲み干せた訳ではなかった。一人になり、フラッシュバックが起きれば恐慌状態には陥らずとも、体力を余計に消耗してしまう事になる。自分でさえそうなのだと、冥夜は冷静に分析できていた。

 

「誰も責めてはいない。責められるものか。あのような光景を初めて見た上で、即座に平常心を保てる方がおかしいと思うぞ」

 

日常ではまず見ることはない、人が喰われていくその一部始終を見せつけられたのだ。これから自分たちが行く場所は、はっきりとは分かっていない。そんな白黒の未来図に、赤色の絵の具が塗りたくられた。

 

「私は……少し、駄目かな。デブリーフィング中は何とか耐えられたんだけど、この後一人になるって考えたら……」

 

純夏は言葉を濁した。冥夜も、深くは聞かなかった。そのまま二人は、衛士の事ではなく、何気ないことを話し合った。冥夜が軽く誘導しただけで、純夏は素直にその流れにのったのだ。

 

今日は、休ませておいた方が良い。純夏の様子からそう判断した冥夜は、息が詰まらない話題を提案しようとしたが、そこで硬直した。

 

基地に来てからの話は、訓練のことばかりになる。さりとて基地に来るまでの日々を振り返れば、鍛錬の日々以外に語ることはなく。

 

「どうしたの、冥夜」

 

「いや……自分の未熟さを痛感させられただけだ」

 

美琴ならば上手くやっただろうな、と冥夜は思った。再起の日以来、自然と決まった役割だった。千鶴と慧の仲は、完全に改善された訳ではない。時折だが、意見が衝突する時もあった。そうする度に慧のフォローに美琴が走り、千鶴のフォローに美琴が入った。その後に隊を明るくするのが純夏と美琴だった。

 

隊内の連携が取れているのは、互いの意識だけではなく、潤滑油としての役割を果たしてくれている者が居るからでもある。もしも、彼女たちのような存在が居なければ、再起の念があったとはいえ、隊は空中分解していたかもしれない。冥夜はあり得る話だと思い、集団で組織だって動くことの難しさと奥深さを痛感させられていた。

 

「あの、冥夜? なんだか、そこまで突き詰めなくてもーっていうぐらい、深く考えすぎてるように思えるんだけど」

 

「すまぬな、許せ。ただ……話術も立派な技術だと実感していただけだ」

 

そうして純夏は冥夜が考えていた事を聞くと、小さく笑った。冥夜は笑われた事に、少しむっとした表情を見せた。

 

「真剣に考えているのに、笑うとは何事だ」

 

「あ、ううん。違うの。真面目に考えてくれてるんだ、って分かって嬉しくて。あとは……怒らないで聞いてね?」

 

「うむ」

 

「可愛いって、思った」

 

「――なっ?!」

 

言葉の内容を理解した冥夜は、驚きと羞恥と、初めて聞く類の称賛の言葉に顔を赤くした。世辞か何かで綺麗と言われたことはあっても、可愛いと言われた事はなかったのだ。その後に黙り込む冥夜を差し置いて、純夏は何か共通の話題はないかと思案した。冥夜は考えながらも、慧と美琴の事も気がかりだと思っていた。

 

(今頃は……いや美琴のことだ、上手くやってくれるだろう)

 

先の口論は、今までにないぐらい危ういものだった。冥夜は、その理由が慧の父親にある事を察していた。見捨てるか、あるいは。二択の中で見捨てたくないと主張し、それを否定されたから感情的になったのだ。

 

(光州で父君が何を思ったか……そう考えれば、胸中穏やかではいられないだろう)

 

感情が乱れたまま発言する事を良いかと問われれば、冥夜は断じて否と答える。だが悩んだが故の決断であれば、何も言えない。そこを否定すれば、戦う意味そのものが薄れてしまうと考えていたからだ。

 

「って、冥夜……また難しい事を考える?」

 

「気づいたか。そうだな……これも役割分担というやつだ」

 

軍に於いて、明るい話題と難しい部分、薄暗い背景を同時に考えるのは難しい。ならば、という冥夜なりの冗句だったが、純夏はなんだか分からないけど、悪くはないよねと笑った。冥夜は、呆れた。

 

「あっけらかんとしているな、其方は。いや、悪い意味ではないのだが」

 

「あー、冥夜まで武ちゃんと同じこと言う!」

 

純夏は少し怒った顔で反論するが、出てきた名前に冥夜が驚き、直後に純夏はあっと声を出した。

 

「ごめん、機密……でもなんでもないよね」

 

「そうだな……軍規に触れぬ限りはな。個人の情報開示は迂闊に行われるべきではないが、軍に入る前の、子供の頃の他愛もない話ならば許されるだろう」

 

「そう、だよね……うん。って、そういえば前から聞きたかったんだけど」

 

正確には聞きそびれて、というか機会が無かったんだけど、と前置いて純夏は質問した。

 

「冥夜って、さ。昔、武ちゃんと会ったことあるの?」

 

「……あるといえば、ある。うんと小さい頃にだが、横浜の小さな公園でな」

 

「そうなんだ……って、横浜? ということは、まだ武ちゃんが日本に居た頃かな」

 

考え込む純夏だが、冥夜は耳をぴくりと反応させた。まだ日本に居た頃とはどういう意味だろうか、と。素直に解釈するなら、白銀武は子供の時からずっと日本に居なかったという事になる。

 

聞かなかった事にした方が良い。冥夜はそう考えていたが、口はまるで別の生き物のように動いた。嫌な予感が、胸中で渦巻いていたからだ。

 

「ふむ、外国に旅行でも行ったのか? いや……その頃に、何か変わったことはなかったか、純夏」

 

「え、変わったこと? うーん…………あ、そういえばね。私、風邪を引いたことがあったんだけど」

 

「……うむ」

 

「お前でも風邪をひくんだなー、ってバカにするの。そのまま、いつもの公園に一人で遊びに行ったんだけど、帰ってきたら酷い顔で」

 

純夏は少し笑いながら、言った。

 

「公園でおっかない鬼婆に追いかけられたーって、泣きそうな顔で訴えるの。おかしいよね、そんなの居るわけないのに」

 

純夏はアンモナイトの化石を割ってしまった時、カタツムリで誤魔化そうとした時の事を冥夜に教えた。それでも、冥夜の反応は純夏の予想を超えていた。

 

自分の顎に手を据えながら、その顔色は先の演習の時より青白く。しばらくすると、小さく、それでも真剣な声で冥夜は問いかけた。

 

「その鬼婆のことだが……翠色の髪だった、とは聞いていないか?」

 

「へ? あ、うん。そういえば……それとは別に何か隠しているようだったけど」

 

「――――分かった。すまぬな、純夏」

 

「え……っと。謝られる意味が分からないんだけど」

 

「そうだな……私も、謝らなければならない事なのかは不明だが」

 

「ふーん。何だかとんちみたいだね、ってどこ行くの?」

 

「………いや。そうだな。一人にはしておけないか」

 

冥夜は純夏の表情を見ると、一瞬だけ逡巡した後、ゆっくりと座った。その後も、努めて平静に会話を続けた。

 

かつてない激しい動揺を、胸の奥へと強引に仕舞い込みながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薄明かりに照らされた部屋の中。珠瀬壬姫は、苦悶の声と共にベッドから身体を起こした。今何時だろうと時計を見るが、起きたばかりのせいか、時計の針が見えない。それでも起きる気力はない壬姫は、ベッドの上で膝を抱え込むと、その膝に頭を置いた。

 

頭の中は冴えない。それでも、先の模擬戦の光景と、その後の自分の失態は焼け付く程に脳裏を焦がしていた。

 

「また……やっちゃった。駄目だって、分かってたのに」

 

弓術に曰く、心を以て射抜くべし。構え、見据え、放った後にまで集中を保てなくば、真なる意味で正鵠を射ることはできない。それらを邪魔する敵こそが、己自身であると。

 

制御の効かない矢など、ただの凶器。時には自らを傷つける凶にもなりうる。故に、壬姫は父より、心を強く持てと何度も教えられ、育ってきた。

 

そう、繰り返し教えられてきたのだ――まだ、心が強くなっていないから。今も、こうして一人でうじうじとしているのが証拠だと、壬姫は頑なに信じていた。

 

同時に胸を締め付けるのは、悔恨と、安堵と。本当に強ければ、主張すれば良かった。できないと反論したものの、頑張ればどうにかなるかもしれない難易度。それに挑まない選択肢を選んだ事には、後悔の他になく。

 

一方で、重責から逃れられたという安堵もあった。

 

(無理、だよ……だって、あんなモノを見せられたら、誰だって………)

 

演習中に垣間見えたもの。それは、自分の死体だった。何かに持ち上げられ、シミュレーター上の友軍と同じように、その中身を吊り下げながら。

 

だから、仕方がないと思った。だが、すぐに何も考えたくなくなった。自分さえ納得させられない嘘に、何の意味があるのか、と思ったからだ。

 

ひょっとすれば、弱い自分が見せた幻覚で。言い訳が生み出した想像にすぎないのかもしれない。壬姫はそのような事を思いつく逃げ腰な自分に対し、情けなさと、育ててくれた父への申し訳なさに、たまらず声にならない悲鳴を上げた。金切り声で空を裂くのではなく、静かに大気を振動させるそれに、後から涙がついてきた。

 

暗い部屋の中で、ひとしきり泣いて。それから壬姫はどうすれば良いのか、どう立ち直れば良いのかと考えるようになった。だが、一人では名案が浮かばず。壬姫はすがるように、部屋の中に置いてある鉢植えを見た。

 

そこには、自分が植えたセントポーリアがあった。日陰で多湿の環境を好み、強い日光に弱い。この部屋のようの地下にあり、蛍光灯しか当たらない所でも育つ、和名をアフリカスミレという花だ。

 

種から育てたのが自慢で、辛い訓練の中で心の支えとなってくれた。

 

 

その筈だった存在。壬姫は、瞠目した後、慌てて立ち上がった。急ぎすぎたせいでベッドの上から転げ落ちるも、痛みを無視して電気をつけると、セントポーリアに駆け寄る。

 

見れば、花は萎れていた。それどころか、全体から生気が失せているように思えた。壬姫は原因を探るべく観察し、絶句した。

 

葉と茎に、白い粉がついていたのだ。それはまるで、弱い心に食いつぶされていく大切な何かを連想させるもので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――二日後に行われた、模擬演習。

 

 

そこで207B分隊は一度目より早く、全機撃墜の全滅判定を受けた。

 

 

 

 

 

 


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