Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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17話 : 障害物

「…………酷いものね」

 

千鶴の声が部屋の中に響く。それは、今の状況を的確に表した一言だった。そして、全員が思い出していた。全滅判定が下された後、整列した後に教官から受けた視線の色を。

 

告げられた言葉は事務的な声での、「次は明日だ」という宣告だけ。10が3や2ではない、全くの0。今まで在ったものが綺麗さっぱり無くなるその感触に、全員が言いようのない焦燥感を覚えていた。救いがあるとすれば、整列前に「顔を上げろ」といういつもの叱責だけがあったことか。それでも、打開策は、突破口はあるのか。その答えは、今現在流れている沈黙の中にあった。

 

ならば、失敗した点を改善するのは。誰もが思いつくが、それも沈黙の檻に閉じこめられていた。全員が各々に失敗をしていたからだ。

 

冥夜はいつになく操縦に精彩を欠き、何とか持ちこたえるも最後に撃墜。敵の撃破数は前回を下回る結果になった。

 

慧はその冥夜に引きずられたまま、フォローもできずに場当たり的な回避と攻撃を繰り返すことしかできなかった。そのような戦術が効果的である筈もなく、あえなく増援に囲まれて早々にリタイア。

 

純夏は撃破数が増えるも、無駄弾も比例して増えた結果、先の一戦よりも酷い結果に終わった。

 

壬姫は更にひどく、任された役割、撃破数の3割を満たすこともできないまま、戦車級に齧り落とされた。

 

美琴は前衛と後衛のフォローに走るも、力及ばずに千鶴を庇った上でロスト。

 

千鶴は隊全体を欠片たりとも立て直すことができないまま、最後に一人残された挙句、BETAの群れに蹂躙された。

 

総合評価は今までで下の下、最低も最低だ。全滅時間も、前回より早かった。それも二度目の状況に関わらずである。状況を予習できているにも関わらずの評価の下落は、軍においては無能の烙印を押されて余りあるものだった。

 

それでも、どうすれば。どうしたら良いのか。考えている事は共通しているのに、鳴り響くのは耳に痛い程の静寂ばかり。

 

――そのまま、千鶴と慧を除いた4人は何を話すこともなく、各自の部屋へと戻っていった。

 

しかし部屋の中の音量は変わることがなく。ふと、千鶴が部屋にある時計を見た。黙り込んでから一時間。もうそんな時間かと思うと同時に、腹の虫の音を聞いた。横を見ると、沈黙していた慧が、呆然としながらも自分のお腹をさすっていた。

 

「……食堂に行きましょうか」

 

千鶴の提案に、慧は食事の時間はまだなのに何を言っているのか、と表情で答えた。千鶴は苦笑し、答えた。

 

「祝勝会用に手配していたものがあるんだけど……無駄になってしまったから」

 

「え……」

 

「なによ、その顔は。貴方が好きな焼きそばパンがあるのに「すぐに行こう」……本当に現金ね」

 

呆れた声と共に立ち上がった千鶴は、急ぐわけでもなく食堂に移動した。手配を依頼していた純奈に謝罪と礼を告げ、祝勝会用だった食べ物を受け取ると、慧と共に隅の方に移動した後、座った。

 

いただきますの唱和。千鶴は徐ろに合成焼きそばパンを取り出し、ふと前を見ると既に半分になっていた慧の焼きそばパンを見た。

 

「………なに? あげないよ?」

 

「分かってるわよ」

 

千鶴はイラッとしながらも焼きそばパンにかじりついた。京塚曹長特製のソースは見事に焼きそばとパンを繋ぎ、両方の味を損ねることなく旨味を増幅していた。

 

(でも……これも、経験が成せる技ということかしらね)

 

横浜基地の食堂の主である京塚志津恵曹長はここに来るまでは、街のとある食堂を営んでいたという。千鶴はその事を思い出し、眼の前の焼きそばパンの完成度に対する疑問が一つ解けた気がした。焼きそばにパンをあわせるという前例が無かったという料理を、特別に研究することなく見事にまとめてみせたと聞いたが、それは多くの客の舌を満足させてきた経験があったからではないかと。

 

(それにひきかえ私は……たった5人なのに、バラバラにすることしかできなかった)

 

どの口で父に反発したというのか。どんなザマで自分は。千鶴は無能である自分とは異なり、根から対立している相手に向かい、遥かに曲者揃いの政治家達を味方に、ずっと戦い続けていた父の背中を幻視した。すれ違い、罵倒した。でも自分は本当の意味で父の事を、その凄さを理解できていたのか。問いかけるも、出て来る答えは否の一文字だけ。それでも、千鶴は焼きそばパンを食べ続けることは止めなかった。

 

(底なら、もう見た―――次は速やかに立ち直るだけ)

 

一度目ならばともかく、今回は二度目だ。何より自分は隊長なのだからと、千鶴は落ち込んでいく精神に無理やり蹴りを入れて奮起した。どうしようかと、焼きそばパンを食べながら立て直しの案を考えていく。そこでふと、慧からの視線に気づいた千鶴は怪訝な視線を返した。

 

「だから何よ、その顔は」

 

「……別に、なにもない」

 

視線をそらした慧に、千鶴は更に怪訝な思いを抱くも、パンを齧ることに専念した。最後の一口を食べきり、水を飲み終わると慧を真正面から見据えた。

 

「戦術の事なら、心配しないで良いわ。作戦は変えない―――絶対に」

 

唐突な宣言に慧が驚き固まるも、千鶴は腹を決めたとばかりに告げた。

 

「ここで方針を変えるとしましょう。なるほど、今回のステージはクリアできるかもしれない。でも、その後に壬姫は私の選択をどう受け取ると思う?」

 

千鶴の言葉に、慧は考え込んだ後、そういう事かと頷いた。

 

「見切りをつけられたと、思いかねない」

 

「むしろ、そうとしか思われないわね」

 

自分にしても、含むものがある。隊内の関係は、結束はどうなるか。慧はその全てを予想できる筈もないが、その選択が致命的なものに直結するかもしれないと、そんな感覚を抱いた。千鶴はそういう事よ、とため息をついた。

 

「他に取れる作戦がないのなら、せめて今の状況でベストな結果を出せるように……全員が全力を出せるように、ね」

 

千鶴はふと、慧の顔を見た。今度は慧の方が怪訝な顔をした。

 

「なに……その顔は」

 

「別に。何もないわよ」

 

お返しとばかりに千鶴が答えるも、慧は大人しく引かなかった。問い詰める視線を叩きつけられた千鶴が、言い難そうに答えた。私じゃあ、貴方の父と同じことはできなかっただろうと。

 

「選択の是非は問わない。できる立場じゃないし、当時の状況を知っている訳でもないから。それでも、当時の中将の部下は命令どおりに難民を全て守りきった……一人の造反者も出なかったそうね」

 

「……そう、聞いている」

 

慧はそれだけしか、答える事ができなかった。千鶴はそんな様子に苦笑しながら、今の立場になって見えるものがあるのだと言った。

 

家族ではない、他者と目的を共通して動くことの内実を。意思疎通をきっちりと取りながら、個々で動くよりも効率よく物事を達成しなければ、目的に届きさえもしない状況の中で。

 

「実感するわ……自分の面倒を見られるのは当たり前。他者まで気にかける事が出来て、ようやく二流に届くか届かないか」

 

ならば、その上は。大勢の人間を従える事、その困難さと、重責と。

 

「それでも…………逃げることだけは、許されない」

 

「そうね……まいったわ。前もってわかっていれば、家に居た頃にもっと色々と聞いておいたのだけど」

 

千鶴の言葉に、慧は無言になった。否定しない所作は、迷ってはいても肯定するに等しい。積極的にならないのは、認めたくない事があるからだ。そういった時に、形だけでも否定するのか、場を流すように誤魔化すのか、黙り込むのか。千鶴はそれなりに共に生活してきた中から、慧が取る反応は三番目だと学んでいた。

 

物言わぬ肯定は、父にこういった時の打開策を聞いておけば良かったと思っているのか。あるいは、勘違いをしていたのかもしれないと思い、後悔しているのか。千鶴はそこまで察することはできずとも、まだ慧の中にやる気という種火が消え去っていない事に安堵すると、立ち上がった。

 

「それじゃあね。私はもう行くわ」

 

「行くって……どこへ?」

 

「決まってるでしょう? ―――仲間の所へよ」

 

「……やる気、満々だね」

 

「時間がないから、強引な方法になるかもしれないけどね……何もしなかったから、って言い訳はもう使いたくないから」

 

ああすれば良かったなんていう後悔は、何度積み重ねてもゴミにしかならない。ましてや、自分は隊を全滅させているのだ。実戦で同じ事をやらかせば、呆気なく全滅する。その時に待っているのは絶望と死だ。

 

(死ぬ時は本当に一瞬だからと……妙に実感を持てているのは、何故かしらね)

 

脳裏に浮かぶ光景を振り切り、千鶴は次なる人物の元へと歩き始めた。残された慧は、水に入ったコップをじっと見つめながら呟いた。

 

「……成すべきことを成すべきである、か」

 

父の言葉だ。国は人を、人は国を、と。その前提が来る以前に、果たして自分がこの場所で成すべき事とは一体何であろうか。慧はグラスに僅かに映った自分の瞳を見返しながら、ずっとそんな事を考え続けた。

 

だが、見つめているだけでは水の色が変わらないように、慧はどれだけ時間を費やしても見出すことが出来なかった。

 

「でも、目的地は見えている」

 

そして、その場所は一人の力で辿り着ける場所ではないとも理解していた。どれだけの努力を積み上げようとも、たった一人で大河を越える橋はかけられないし、家族を守る家は建てられないのだと。

 

 

「それでも―――みんなとなら、きっと」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夕方。純夏は横浜基地のグラウンドの端で、一人佇んでいた。その視線の先にあるのは夕焼けに照らされた的と、それに向かって射撃訓練を続ける訓練兵の姿だ。

 

(もっと、私が上手く出来ていれば……後衛として、援護射撃を……)

 

追求されなかったとはいえ、隊が全滅した要因の一つに、自分の射撃精度の低さがある。純夏はそう信じて疑っていなかった。その原因は、なんであろうか。もっと集中して訓練に取り組んでいれば良かったのか。

 

「僕は、違うと思うな」

 

「え……美琴ちゃん?」

 

「こんにちは、純夏さん」

 

いつもと変わらない、青空のように明るい声。対する純夏は曇り空の顔そのままに、問い返した。

 

「違うって、何に対してなのかな」

 

「う~ん、それにしても昔を思い出すよね~。僕達も、訓練受けたての頃はあんなだったのかな」

 

問いかけるも、美琴はマイペースに話し始めた。純夏はつられて視線を動かしたが、そこには必死に訓練に取り組んでいる、4月から訓練を受けているであろう女学兵の姿を見た。

 

「あっちの子は上手いけど……こっちの子は、ちょっと命中率が低いね。同じ体格なのに」

 

「そう、だね。射撃訓練には、まだ慣れていないようだけど」

 

「飲み込みの早さか、センスに差があるからだろうね。僕にとっては羨ましいけど」

 

「え……美琴ちゃんが?」

 

純夏からは、美琴は十分に出来ているように見えた。能力に穴が無く、隊長の補佐として器用に立ち回る姿をずっと後ろから見ていたのだ。なのに、どうして。無言で問いかける純夏に、美琴は苦笑しながら答えた。

 

「近接戦じゃ、冥夜さんや慧さんに敵わない。壬姫さん相手は言わずもがな。千鶴さん以上に上手く隊をまとめられるとも思わないしね」

 

「それは……私も同じだよ。ううん、後衛の役割さえ果たせていない」

 

後衛として、援護射撃をするための突撃砲が使えなくなるという行為は、弾切れは最もしてはいけないものの一つに入る。それをしてしまう後衛は、無能と呼ばれてもしようがないとも教えられていた。

 

だが、状況によっては回避できない場合もある。その時に、取るべき選択肢は複数あるが、絶対にしてはいけないのは、前に出ることを怖れてしまう事だ。

 

自分の命惜しさに、前衛を見捨てること。これをする後衛は害悪極まりないというのが、教官の持つ持論であり、実戦を経験した衛士の総評だと。

 

「……怖いのかな、純夏さんは」

 

「うん。そのせいで、みんなを見捨てるような真似を……」

 

「違うよ。それよりも怖いのは、誰かが目の前で死ぬこと……かな?」

 

美琴にしては珍しい、疑問符が最後に付くような曖昧な言葉。だが純夏はそれを聞いて、はっと美琴の方を見た。美琴は、グラウンドの方を見ながら淡々と答えた。

 

「死ぬのが怖いなら、もっと弾を温存すると思うんだ。それに、自分の周囲をもっと警戒すると思う。それに……一度目の全滅の時のこと、覚えてる?」

 

「う……ん。私が撃墜されて、最後に壬姫ちゃんが」

 

「その直前のこと。自分の命が惜しいだけなら、壬姫さんに対して制止の声をかけることもできなかったと思うんだ」

 

極限の状況で、他者を気にかけることなど出来なかった筈。ならば、真実の在処は。

 

「……何が原因で怖がっているのかは、知らない。ひょっとしたら、父さんが関係しているのかもしれないけど」

 

京都の時とか。美琴は言い難そうに告げるも、純夏は慌てて否定した。

 

「違うよ、むしろ助けて貰ったんだよ! それに、私が………怖がっているのは」

 

純夏は言いよどんだ。怖いのは2つある。

 

一つは、BETAの異常さ。BETAが捕らえた人間に対して何をするのか。純夏は確証を抱くまでには至っていないが、とても恐ろしい事をするのだと、どうしてかそう思うようになっていた。実感する一歩手前に至るまで。

 

もう一つは、夢で見た光景にあった。

 

純夏はぎゅっと自分の手を握りこむと、顔を上げた。目に映るのは、赤く染まった基地の建物と、訓練兵――人間と。震える肩をそのままに、か細い声で言った。

 

「……必死でね。殴りかかってくれたの。手を出すなって」

 

「え……もしかして?」

 

「夢の話だよ。あくまで、起きていない事の。でも……見ちゃったの」

 

一部始終を諳んじられる。BETAに殴り掛かるも、反撃を受けて吹き飛ばされる姿を。囲まれていく所から、絶叫も、齧り取られていく“部位”も、床に広がっていく赤色の池も。

「現実では有り得ないよね。実際に武ちゃんは生きているから。でも……捕まっちゃったら、それが現実になる」

 

純夏としては認めたくない。だが、どうしてか容易に想像できてしまうのだ。兵士級に、闘士級に、戦車級に、要撃級に、要塞級に、光線級に。無残に殺されていく、白銀武の姿を、想像するだけで妙にリアルな絵として脳裏に浮かべる事ができてしまう。

 

「放っておけないって思った。武ちゃんが強いのは知ってるよ……でも」

 

「それが……純夏さんが、軍に入った理由?」

 

「うん。変だと思われるかもしれないけど」

 

「そんな事ないよ。全然、普通だと思う。大切な人を失いたくないって思うのは」

 

「……美琴ちゃんも?」

 

「僕は少し違うかな。ただ。一人になりたくなかっただけ」

 

はは、と力なく笑うその姿は、純夏が見たことのない程に儚いものだった。次の瞬間にはいつもの顔に戻り、叱るように純夏に指を突きつけた。

 

「純夏さんが間違ってるのは、もっと違う部分だよ。恐怖をある程度克服するには、手順があるんだ」

 

「克服の……方法じゃなくて、手順?」

 

「そう。まず、最初にやっておかなければいけないのは、眼を逸らさないこと。これが怖いんだっていうものを、しっかりと見据えるんだ」

 

サバイバルの基本だった。生存術における究極かつ普遍的な敵は死だが、どういった時に人が死ぬのか、それを知る所から始めなければ何にもならない。

 

「そこから遡るんだよ。事態を回避する方法を、効果的な手段を学んで、乗り越えていく……歩く度にね」

 

無人島に放り出されたとしよう。死なないために、やってはいけない事は。優先順位をつける基準は、出来る限り長く生きるという目的があってこそなのだ。リスクが高い行為は、生きていくために必要な栄養素は。助かるかもしれないその日まで、自分が死なないようにするために。体調不良になれば食料調達にも時間がかかる、ならば体調不良にならないためには。

 

「状況に応じて、何だよね。これだっていう答えがあるなら楽なんだけど」

 

そう甘くもない。生きるも死ぬも、何か一つの特別で全てを超越する事はできない。全ては地道な作業からと、美琴は主張した。

 

「前衛を死なせないために、って純夏さんのように弾を多く使って安全を確保できてもね。それは一時しのぎにしかならないんだよ」

 

「……本当に危ない時に援護できなければ、ってこと?」

 

「そう。そのためには、慧さんや冥夜さんの能力を把握しておく必要があるんだ」

 

援護が多いに越した事はないが、それが十分に出来ない時は、範囲を絞る必要がある。美琴は今回の模擬戦の内容から、出題者が教えたいものの一つに、効率的な取捨選択というものがあると感じ取っていた。

 

「そして、千鶴さんが言っていた事だけど……このステージは隊内での結束力を試す意味も含まれているって」

 

「それは……ひょっとして、一戦目の後に意見が対立した時のこと?」

 

「うん。まあ、大切なものとか、やり方っていうのは人それぞれだから」

 

複数の人間が絡む状況の中、方針や対策、手段が複数ある状況ですっぱりとまとまる筈がない。純夏は少し不可思議な顔をするも、武の顔を思い出して納得した。こちらの思いの全てが上手く通じるなど有り得ない話だと、深く頷いた。

 

「勘違い、っていう言葉があるぐらいだしね……鈍感も」

 

「な、なんだか怖い声だけど、そうだね。でも、複数の人間が集まることには、違うメリットがあるんだよ」

 

美琴の言葉に、純夏は先の言葉に置き換えて、すぐに理解した。

 

「一人じゃないのなら……助け合うことが出来る」

 

「うん。数を力にするのが、組織であり、軍隊だし」

 

それも、結束できなければ意味がない。そのための相互理解であり、隊を組むという意味で。

 

「……なんだか、振り出しに戻っちゃったね。失格だーって武ちゃんに怒られた時に」

 

「うん。でも、繰り返しなんだと思う。折れて、立ち直って、また折れて、何とか立ち直って……一人じゃ、折れたままになるかもしれないけど」

 

直してくれる誰かが居るのなら、折れにくくなるよう束になる事が出来るのならばきっと。そう考えた美琴は、ふと教官の顔を思い出した。純夏も同じで、はっと顔を上げると、呆然とした表情で呟いた。

 

「全部お見通しって訳だね……流石は先輩って所なのかな」

 

「年の功って言った方が正しい……けど、怖いから止めておいた方がいいかな」

 

「あ、珍しく美琴ちゃんが自分の発言を省みたね」

 

「ちょっ、酷いよ純夏さん~!」

 

少し怒る美琴と、小さく笑って謝る純夏。二人はそれでも笑いあいながら、食堂がある方へと歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横浜の夜の、基地の地下のとある部屋。図書館のように本が並べられているその中央で、珠瀬壬姫は呆然と目の前の光景を眺めていた。

 

(……どうして、ここに居るのかな)

 

3時間前までは、部屋に篭りきりだった。電気まで消して、落ち込んで。状況が変わったのは、それから。いきなり扉が開かれたかと思うと、部屋の電気が灯されたのだ。驚いた壬姫は、入り口で仁王立ちになっている人物を見て、更に硬直した。

 

見間違えようのない、太い眉毛と眼鏡。隊長である榊千鶴が、見たことのない様子で自分を見つめていた。

 

壬姫はそこで怒られるかもしれないと、震え。一方で千鶴は壬姫を見据えた後、部屋にあるものに視線を向けた。

 

壬姫はいきなりの闖入者に驚くも、咄嗟に見られたくないものに視線を向けた。千鶴はその反応を見逃さず、同じものを見た。

 

「……セントポーリア、咲いたのね」

 

「う、うん……でも」

 

言い淀む壬姫を置いて、千鶴は鉢の近くまで行った。あっという声を無視して観察すると、表面に白い粉があるように見えた。

 

「元気もないようだけど……病気か何かにかかってるの?」

 

「うん……でも、それが何か分からなくて」

 

聞くこともできなくて、と壬姫は内心で呟いた。今、207B分隊は大切な時期だ。隊が一丸とならなければいけないのに、鉢がどうとか、私情で時間を潰すことに壬姫は引け目を感じていた。ましてや、先の模擬戦で失態をしてしまった直後である。言える筈がないのに、と壬姫は思うと同時に、千鶴だけには知られたくないと思っていた。

 

(セントポーリアのせいにはしたくないけど……もし、そう思われたら)

 

模擬戦で失態を犯した事と、セントポーリアの病気に全く関係が無かったかと問われると、即答はできない。そんな私情で迷惑をかけた事が知られれば、愛想がつかされるかもしれない。壬姫は千鶴や隊の仲間たちがそういった人物ではないのかもしれないという思いと同時に、もし見限られたら、という恐怖も抱いていた。

 

緊張のまま、千鶴を見つめる壬姫。千鶴はしばらくじっとセントポーリアを見た後、壬姫に視線を向けないままゆっくりと告げた。

 

「言っておくけど……作戦に変更は無いわ。次も変わらず、壬姫を頼みにした戦術を取る。これは確定よ」

 

千鶴の言葉に、壬姫はえっ、という声しか返せなかった。

 

「BETAの群れを足止めして、その間に可能な限り友軍を助ける。方針に変更が無いのなら、取るべき手段を変えることもできない」

 

「でも……みんなは、どう思ってるの?」

 

戸惑うような壬姫の声に、千鶴は眼鏡を押し上げた後、告げた。

 

「どう思ってようが、関係はない。この部隊の指揮官は私よ。ちなみに―――慧にも聞いてみたけど、反論は無かったわ」

 

千鶴の言葉に、壬姫は眼を丸くした。

 

「冥夜は賛成するだろうし、美琴と純夏にもこれから話をするから」

 

告げた千鶴は、返答は受け付けないとばかりに踵を返した。すぐに扉を開け、それじゃあと部屋を閉めようとする。壬姫は何を言うでもなく手を伸ばすも、言葉は声にならずに、ただドアが閉まる音だけが部屋を支配した。

 

残された壬姫は、何が何だか分からないとばかりに当惑し、次にベッドに寝転がった。呆然と天井を見上げるも、そこに答えはない。耳に残った言葉と、胸中に渦巻く不安だけが、先に告げられた内容が真実である事を告げていた。

 

でも、どうして、どうすれば、何をすれば。

 

壬姫は不安を抱いたまま目一杯に考えるも、打開策のだの字すら見出すことができなかった。逃げることなど、思うことすらしなかった。ただ重荷が直接自分の胃に押しかかってくるようで。

 

「う……」

 

壬姫はたまらず、自分の部屋の洗面器に胃の中身を撒き散らした。とはいえ、何も食べていないため、出て来るのは胃液だけだ。壬姫は喉にひりつく痛みと、酸味が喉を抜けて鼻へと逆流する感触を味わうと、顔を上げた。目の前にあるのは鏡だ。映っているのは自分の情けない顔と、それ以上に意気地がない眼と。

 

「……っ!」

 

声にならない叫びが。それでも何も食べていなく、精神的に疲弊した壬姫に、物に当たり散らす余裕もなかった。ベッドに飛び込むと、俯せになりながら小さく泣き声を上げた。

そのまま、しばらくして一時間後。壬姫はふと、自分の部屋の扉が叩かれる音を聞いた。

最初は幻聴ではないかと疑い、次に隣の部屋かと勘違いした。だが三度も続くとなると、聞き違いで自分を誤魔化す訳にはいかなくなった。這うようにベッドの端まで移動し、ようやく立ち上がると、扉の前に立った。

 

再び、ノックの音が。その位置に、壬姫はひとまず安堵した。叩かれた位置を思うに、ドアの向こうに立っている人物の背格好は自分より少し下で―――間違っても、白銀武と名乗った男ではないことに。

 

「開けて、頂けませんか」

 

見計らったかのような声。壬姫は驚きつつも、聞こえた声の幼さに思わず扉を開けた。直後、呼吸が止まったかのように驚くも、一秒が経過した後には首を傾げた。

 

「……社、霞です」

 

「あ、えっと……珠瀬壬姫、です?」

 

壬姫は戸惑いながらも、取り敢えず名乗り返した。

 

「社って……もしかして社教官の?」

 

「今日は……用事があって来ました」

 

「えっ?」

 

教官が直接来るのではなく、どうして妹が。この基地は疑いようのない軍事基地であり、国連軍の重要拠点でもあるのに。壬姫が疑問を抱くも、霞は無感情に見える様で扉の外を指差した。

 

「図書室に案内します……花の病気を治す方法が記された本も、ありますから」

 

「え……」

 

「では」

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

壬姫は強引な物言いに戸惑うも、セントポーリアの花を救う手段があるという内容に惹かれた。急ぎついていき、しばらくすると今自分が居るこの部屋へと案内されたのだ。

 

(何がなんだかわからないよ……でも)

 

壬姫は部屋の中央にある机、その上に並べられた植物図鑑のページをめくり続ける霞を見て、ひとまずの困惑は捨て去った。少なくとも悪意の欠片も見えない自分より年下の少女が、一心不乱に治療方法を探してくれているのだ。その事実だけを胸に、壬姫はまだ開かれていない本を手にした。

 

元気がない様子から間違いなく病気の類であるも、まだ致命的ではないように思える。本で治療の方法を探すという事は気づかなかったが、今にして考えると最善であるようにも思える。

 

壬姫は一生懸命に本を開き、やがてそれらしき記述を見つけた。

 

乾燥した、風通しの悪い環境で発症すること。葉と茎の表面に白い粉のようなものがある事も共通していた。

 

「うどんこ病……?」

 

「見つけましたか。治すには…………これなら、用意できます」

 

ある特定の液剤が必要になるが、霞はそれを知っている様子だ。壬姫が視線で疑問を訴えるも、霞はグラウンド横の植物用に置いてあるんです、と頷いた。

 

「そ、そうなんだ……でも、今からでも間に合うの?」

 

「分かりません……書いていないようです」

 

答えた霞は、すっくと立ち上がった。すたすたと扉の方に向かうと、壬姫は慌てて追いかけた。二人はその足で液剤の管理者が居る所まで赴くと事情を説明した。

 

「ああ、うどんこ病ね。発症の時期を考えると……まあ、治るだろう」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

「趣味の悪い冗談は言わんよ。ましてや、可愛らしいお嬢さんを相手に」

 

微笑ましいものを見る眼に、壬姫は霞の方を向いた。身長は少しばかり霞の方が下だが、管理者というおじさんの視線を分析するに、年の近い友達のように思われている節が見て取れた。

 

それでも壬姫は誤解を解くより先に、頭を下げた。

 

 

「あ……ありがとうございました! それも、こんな夜更けに……ご迷惑をおかけしました」

 

「……頭を上げてくれ。さっきも言ったが、お嬢さんに下げられる頭はないんだよ」

 

えっ、という驚きと共に壬姫は頭を上げて、その顔を見た。何とも申し訳がなさそうな。どうしてそんな顔を、と思う壬姫に管理者はグラウンドがある方を見ながら、呟いた。

 

「本当なら、ここは学校が出来る筈だったんだ。もっとも、実際に建てられたのは基地だけどね」

 

その後に、BETAの横浜侵攻があり、陸軍基地は破壊され。ハイヴが建設されたと思うと、G弾に吹き飛ばされ、今では国連軍の基地になった。

 

「俺も、ここいらが地元でね。植物の管理人の募集があった時には、思わず飛びついたもんだよ」

 

管理者は、懐かしそうにグラウンドを。その向こうにある景色を見ていた。壬姫と霞には、暗いせいかその表情を見ることがなかった。管理者も、それ以上何も言うことは無かった。他所から運ばれてきた色々な植物を育てている事や、その記録を提出する事が義務付けられている事も教えなかった。まともに成長するのが、正門前の桜だけという事も。

 

「なんだ、まあ……食堂の京塚が居るだろ? あいつも似たような口さ」

 

「そ、そうなんですか……この街に居た、とは聞いていましたけど、そこまでは知らなかったです」

 

「年甲斐もなく照れてんだろうさ。あの顔で何を言ってんだい………っと」

 

管理者はバツの悪い顔で、壬姫と霞に対して、頼み込むように合掌した。

 

「わりいが、黙っておいてくれ。万が一にもバレたら、何を言われるか分かったもんじゃねえ」

 

青い顔で告げた口調は、本気のもので。壬姫は狼狽えながらも頷き、霞は頭にあるうさ耳のヘアバンドを揺らしながら小さく頷いた。

 

その後急いで部屋に戻った二人は、セントポーリアの葉にかけよると必要分だけ液剤を撒いた。即効性は無いが、教えられた通りに出来たこと、手遅れではないことにひとまず安堵の息を吐いた壬姫は、横目で霞の方を見た。

 

(えーと…………深く考えてなかったけど、社教官とはどういう関係なのかな)

 

教官の名前は社深雪であり、隣に居る女の子は社霞と名乗った。外見はそう似ている訳ではないが、髪の色や振る舞いを思うに、壬姫には二人が全くの他人であるようには見えなかった。

 

ならば、どういう関係なのか。それ以前に、どうして教官の身内らしき人物が花の病気を知り、その解決に手を貸してくれたのか。

 

壬姫は疑問符だらけの謎掛けに、説明が出来るような理由を探し求めたが、納得できるものはなく。見捨てられてもおかしくはないのに、と再び自己嫌悪の渦に呑まれそうになった時に、声を聞いた。

 

「……姉は」

 

社深雪は、と呟いた霞は、小さな唇を開いた。

 

「はっきりとしています。興味がない者には、そもそも関わったりしません。無関係が望ましいなら……無関心のまま」

 

「そ……そう、なんだ。え、でも……」

 

私はあんなに失態を、と反論しようとする壬姫に対して、霞は振り向いた。少し視線を逸し、手をもじもじとさせながらも小さな声で諭すように呟いた。

 

「料理が下手で、お酒にも弱くて、器用のようでいてとても不器用だと樹さんが言っている姉ですが……だからこそ、嫌いな人間には、嫌いだという意志をはっきりと出します」

「そ、そうなんだ」

 

社深雪の思わぬ弱点を聞いた壬姫は驚きつつも、妙な説得力を感じて、頷いた。嫌いならば容赦はしない、という言葉と共に。

 

「あとは、自分の感情に正直です……言いたいのは、それだけです」

 

「……なら、今日の態度は」

 

何の叱咤もないのであれば、見限られたのと同じ。そう思って沈み込む壬姫を見た霞は、今までになく慌てた様子を見せた。きょろきょろと当たりを見回すと、意を決したように告げた。

 

「姉さんから……聞きました」

 

「え……何を。ううん、もしかして……」

 

「花の病気の事。相談されて、私が知ってたから……」

 

少し視線を下にしたまま、霞が呟く。

 

「この花は、大切……です、よね?」

 

「う、うん。私が、この基地で初めて育てた花だし……」

 

「代わりが、ないからですか?」

 

「それは……うん。代わりなんて、ない」

 

壬姫の断言に、霞は顔を上げて、少し笑いながら告げた。

 

「それなら……助けられて良かった、です」

 

告げるなり霞は、ととと、と走って扉の前に逃げた。そして振り返っておじぎをすると、壬姫が制止の声を上げる間もなく、部屋の外へと去っていった。

 

残されたのは自分と、治療が施された花と。壬姫は取り敢えず扉を閉めると、ベッドの上に仰向けで寝転がった。

 

呆然と、見える天井だけを見つめ。しばらくして混乱から落ち着いた後、壬姫は自分の両目を腕で覆い隠し、暗闇となった視界の中で何が起きたのかを整理し始めた。

 

(霞ちゃん、は教官から聞いた。教官は……話した覚えはないから)

 

考えられる可能性は、千鶴から報告があったこと。壬姫はその事に思い至るも、教官がわざわざ動くものなのかと悩みこんだ。

 

(でも、霞ちゃんの言葉が本当なら……私から言い出せば、協力してくれたのかもしれない)

 

怖がって言い出せなかったが、自分達より多く生きている人物で、基地内に知人が多いかもしれない。横の繋がりがあれば、そこから解決方法を聞くことができたのかもしれない。だが、聞かずにその可能性を芽の内に潰したのは、誰なのか。

 

(私が……私のせいで、枯らす所だった)

 

花を育てた自分が最も、助けにならなければいけなかったのに。直接手を貸してくれた霞や、そうなるように言ってくれた教官や、教官に情報を伝えた千鶴に対して感謝の念はつきない。それだけに、自分の不甲斐なさが情けなく思えてきた。

 

代わりが無いと告げた言葉に、嘘はない。枯れた後、似たような花を渡された所で、意味はないと断言できる程に。だからこそ、自分だけが助けなければいけなかったのに。

 

そう思った所で、壬姫は引っかかるものを感じた。

 

―――私だけが助けることができた、という言葉に。

 

(軍隊において……何より必要なのは、汎用性。代えの効かない役割なんて、作っちゃいけない)

 

小規模な戦闘においても、情報収集から立案、遂行に事後処理など、様々な役割をこなせる人材があってこそ成立する。衛士の教習課程に入る以前に教えられた内容から、それは理解することができる。

 

(でも、毎回を違う内容でやれ、と言われても困る。だから共通の仕様を作る。部品の交換も同じ。故障したのに修理できない兵器なんて、どうしようもない欠陥品だって)

 

だから、型にはめる。共通化するのだ。使い回しの出来る部品に、方法に。戦闘においても共通点があった。何度も訓練するその内容は、セオリーに沿ったものが多い。毎回、奇抜な戦術が必要とされる事は少ないからだ。

 

第一段階の模擬演習でも、無理な戦術を採る局面は少なかった。それは前衛に中衛、後衛の能力を活かせるように、その形にはまるように隊長が指揮した結果とも言えた。

 

(今は……違う。まともなやり方じゃあ、あのステージはクリアできない)

 

可能とするならばそれは、友軍を見捨てる方を選ぶか。

 

(友軍を見殺しにするか―――千鶴さんの作戦を成功させるか)

 

失敗すれば、友軍の死は絶対だ。即ち、友軍を殺すに等しい結果に終わる。自分は死なずに済んだと、ほっとした顔で基地に帰投する。今日も、生き残ることが出来たと。

 

(なのに、それで………胸を……自分を誇ることが、できるの?)

 

死ぬのが怖い。それは絶対だ。脳裏に浮かんだ光景は忌避すべきもので、辿りたくない未来が形になったもの。認めたくない。嫌なのだ。

 

(そうだよね。死にたくないんだ――――誰だって)

 

自分だけではない。死ぬのが怖いのだ。だからこそ、死にたくないと足掻く。シミュレーターで聞いた声そのままに、泣き叫ぶ。

 

だけど、逃げないのは何故か。それ以前に、軍に入ったのはどうして。

 

―――自分が、国連軍に志願した理由は何だったのか。思い至った壬姫は、大の字になって天井を見上げた。闇から晴れた視界で、天井を見上げたまま呟いた。

 

「国連という組織の中で、日本だけじゃない、世界中の人を助けたいって言ったパパの手助けをしたいから……死なせたくないから」

 

自分にとっての花と同じように。誰かにとってのかけがえのない誰かの命が奪われるのが嫌だから。

 

一人よりは、二人。二人よりは、もっと多くで。苦楽を共にする時間が増えていく中、仲間と共にという想いが強くなっていった。共に、眼の前の苦境を打破する方法を学ぶために。その途中で、例え映像であっても助ける事が出来る人が居るのなら。

 

 

「………うん」

 

 

小さな、それでもはっきりとした声。呟いた壬姫は、そのままベッドの上で身体の欲求に従うまま、睡魔に身を任せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――翌日。集まった207B分隊は、前日と同じ通りにシミュレーターの中に入った。

その様子を見ていたサーシャは、小さく呟いた。

 

「失敗が2で残りは3、か」

 

その回数の中には、最終試験における失敗の許容回数も含まれる。サーシャの私見では、残り回数が3でぎりぎり、2でほぼアウト。1なら、初見の規格外を相手に蹂躙されて終わるだろう。

 

「実質的な正念場だが……」

 

サーシャはそれぞれの顔を見ていた。表情を見ていた。それ以上に、佇まいも。

 

(彩峰は、榊と話している姿を見た。純夏は鎧衣と。御剣は……報告は受けていないが、大丈夫そうだな)

 

問題は珠瀬だが、サーシャは通信の回線を開いた。思わずの行動で、あまり良くはないものだ。それでも、確かめておきたかったサーシャは通信の向こうに居る、今回の作戦の鍵となる人物に向けて尋ねた。

 

「開始まであと少しだが……調子はどうだ、珠瀬訓練兵」

 

若干挑発するような問いかけ。それに対して返ってきたのは、苦笑だった。

 

『最悪の少し手前です……でも、これで良いと思います』

 

「ふむ。その心は?」

 

『狙撃手というポジションを任せられた者が、楽観的ではいけないと思ったからです』

 

倒すべき相手を狙い撃つことが役割ならば、それが外れる事と味方が窮地に陥ることは同じになる。狙撃成功を前提として作戦ならば、その重さは何倍にも膨れ上がる。

 

「軽くは受け止められないか」

 

『はい、今は』

 

「ならば、逃げるか?」

 

『はい、いいえ。逃げたい気持ちはあること、それ自体を否定できません』

 

 

でもそれ以上に、と壬姫は震える声で、努めて笑って告げた。

 

 

『仲間に託されましたから。それに――――私の狙撃で、私にしか助けることの出来ない人が居るのなら』

 

 

怖いなりにでも、友軍も仲間も―――と。

 

壬姫の声と同時に模擬演習の開始の音が鳴り響き。

 

 

『私は、ただ正鵠を射るだけです』

 

 

目の前を、只管に。

 

しばらくした後、友軍の全機生存と、207B分隊の2機の生存という情報がシミュレーター内の駆け巡り。

 

207B分隊の、第二ステージクリアの声がサーシャの口から全員に告げられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見事だった……整列急げ。そこ、珠瀬の肩をばしばし叩くな。転倒して怪我するなど、洒落になっていないぞ」

 

サーシャの呆れた声に、全員から了解の声が唱和された。それはもう元気なもので、思わずサーシャがたじろいた程だった。そこに樹も合流する。同じく称賛している内心を隠そうともせず笑っていたが、サーシャのジト目に気づき、小さな咳と共に表情を平時のものに戻した。

 

ぽつりと、サーシャの総評の声が響いた。

 

「元気が良いな……天気が変わったようだ。昨日の貴様らと同一人物だとは、とても思えん」

 

皮肉の言葉。それでも喜色を抑えきれていないサーシャの声色に、B分隊は思わず顔を見合わせた。すわ鬼の霍乱かという反応に、サーシャは小さく咳を返した。

 

「ともあれ……改めて告げるが、第二ステージクリアだ。おめでとう、諸君」

 

分かったようだが、とサーシャは言う。

 

「軍人は殺すのが仕事だ。死ぬのが仕事だ。何が相手であれ、命のやり取りをするのが我々の役割だ。命に代わりはないというのに、それを数字として取り扱う職業だ。解釈は様々あれど、人の命に手を伸ばす……手をかけるという点に間違いはない」

 

取捨選択も出来るが、とサーシャは努めて酷薄に笑った。

 

「それでも―――悪いことばかりではない。殺す相手を選べば、守る事ができる。身につけた力を駆使すれば、それまでには到底叶わなかったことさえも、叶えることができる。無論、力が無いなら夢物語で終わるが」

 

血を夢にするのか、現実とするのか。全ては自分次第だとサーシャは告げた。

 

「臓物と血潮の世界を見ただろう。だが、その中で諸君は折れなかった。今日の困難を超えられた。これは、素直に喜ばしい……だが、これで終わりではない。また、次がある。再び困難は訪れ、諸君らに選択を強いてくるだろう。ハードルは更に高くなり、越えるのに必要な努力は天井知らずだ。それを通るに、もう一つの方法があるにはあるが……分かるか、榊」

 

「はい。ハードルの下を潜り抜けるという方法だと思われます、教官」

 

千鶴の言葉に、サーシャは頷いた。

 

「その通り。ハードルの下には金色の南京錠があり、鍵があればそこを抜けられる。だが、諸君らはその鍵を自ら放棄した」

 

サーシャの言葉に、全員が黙り込んだ。様々な感想を抱いているに違いはない。だが一人たりとも、後悔の色をその眼に宿している者は居なかった。

 

「ならば、仮初の同志として歓迎しよう―――果てのない道に挑む、同じ苦労人としてな」

 

サーシャは苦笑しながら、言っておくが本当に果てはないぞ、と脅す言葉も添付した。

 

「だが、足場さえしっかりしていれば問題はない。今回と同じだ。立脚点を見失うなよ」

サーシャの忠告に思い当たる所がある全員が、迷わずはいと大声で答えた。

 

その後に、千鶴が手を上げた。

 

「なんだ、榊……いや、質問を許可しよう。面白い内容に限るが」

 

「はい。その、私達が最後に越えるべき壁の―――白銀武が超えてきたハードルは、どれほどのものでしょうか」

 

越えるついでに打ち壊すべき対象は、どれ程のものなのか。そういった趣旨が含まれている千鶴の質問に対し、サーシャは即答した。

 

「丘は超えているだろう。山以上なのは間違いない。ひょっとしたら空をも越えて、宇宙にまで達しているかもしれないな」

 

曰くに宇宙人だ、と冗談混じりに告げた。それは間接的な助言とも言えた。ここで震えるか、奮起するか。

 

だが、207B分隊は―――千鶴達は、今度こそサーシャと樹の思惑を超えた。

 

「宇宙人……つまりは、人という事ですよね、教官」

 

「ああ、そうだが……」

 

思わずと答えた樹に、千鶴は断言した。

 

「ならば、超えてみせます」

 

迷わず、宣言する。

 

 

「人ならば、方法次第で倒すことは―――いえ、同じ人だからこそ、倒す事ができると、そう思います」

 

 

神のような存在であればまだしも、人ならば人の手で倒す事ができる。千鶴の言葉に全員が迷わず同調し、頷いた。

 

その言葉に、樹は思わず黙り込んだ。

 

B分隊はその反応に戸惑うも、サーシャが代わりに答えた。

 

「それ以前に、次のステージだ。言っておくが、難易度が下がるといった甘い考えは捨てておいた方が良いぞ」

 

教官であるサーシャの声を最後に、解散の号令が出された。去っていく千鶴達の背中を見送った後、残された樹は呟いていた。

 

「宇宙人も、ただの人……そうだな。ただ撃たれれば死ぬ人間か………そうだったな」

 

苦笑と、申し訳のなさと、自戒するような声色。

 

 

その隣でサーシャは、呆れのため息を吐くと共に、報告の内容を練っていた。

 

即ち、207B分隊は不知火を使った実機訓練に移って問題のないレベルにまで達したと。

 

 

「いよいよの最後は……ユーコンの馬鹿騒ぎが終わってからになるね」

 

 

B分隊の成長、その総決算の時は近いと。

 

 

サーシャの声に、樹は嵐の予感を感じながら、深く頷きを返した。

 

 

 

 


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