Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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38話 : 企み、そして

霧島祐悟はごく普通の一般家庭に生まれた。家族との仲は良くも悪くもなかった。そして関西在住の民間人として、普通に逃げ切れずに死んだ。祐悟は、その通知を受けて泣かなかった。その時にようやく、自分が普通を逸脱している事に気づいた。

 

一体、何時から自分はこうなったのだろうか―――祐悟は考えるフリをして、すぐに止めた。答えは決まりきっていると思っていたからだ。

 

後は、ぼんやりと虚空を見上げながら“その時”を待つだけ。そこに、通信の声が飛び込んだ。秘匿回線を使った声は、沙霧尚哉のものだった。

 

『―――霧島中尉、応答せよ』

 

『あー……っと、こちら霧島。何のようっすか沙霧大尉』

 

通信を返された沙霧は祐悟の顔を見て、“気は抜くな”と口にしようとした言葉を引っ込めた。代わりにと、別の言葉で問いかける。

 

『ぼんやりとしているようだが、悲願を―――復讐を達成して満足でもしたか』

 

『そうなると、期待してたんだけどな……穴はやっぱり穴だった』

 

失ったものの代わりに、空洞を埋めるものはないらしい。自嘲する祐悟に、沙霧は慎重に言葉を重ねた。

 

『それほどまでに、素晴らしい方だったんですね』

 

富士教導団としては、祐悟の方が先輩にあたる。その先輩と、相棒だった人の噂は沙霧も耳にしていた。その相棒が自殺し、祐悟が原因となった上官を殺しかけた事は当時の教導団でも有名な話だった。

 

祐悟は―――おかしそうに、笑った。

 

『はっ、あり得ねえよあんなチンチクリン。尻はねえし胸は板だし口は悪いし手作り料理で人の味覚にテロ起こすし。素晴らしいというより物々しい、って言う方が正しかったな』

 

それでも、衛士としての力量は突き抜けていた。度胸も人一倍あった。だから、周囲から色々と怒られつつも、仲間として認められていた。

 

『ただ……運は悪かった。あんな屑が上官の時に、訓練が修了するなんてな』

 

実際、教導団は人格能力ともに優秀な者が多かった。宝くじに当たるかのような可能性で、その下衆は現れた。

 

―――何が起きたか、祐悟は思い出したくないから語らない。ただ、作用に対する反作用の法則を男の顔面に叩き込んだ。その揉み消しに協力したらしい“バック”が居たことを突き止めた。そこで大陸への派兵の一員として、と命令を受けた。

 

連想される思い出と後悔を、祐悟は強引にかき消した。戦術機じゃない、生身での格闘術を怠ける癖を直すべきだった。メンタルが弱い部分を、知っていたのに鍛えようとしなかった。何もかもが今更だ。終わった後に気づくなんて、という考え自体が無駄で。

 

『はっ……腐った負け犬の面白くもない昔話が出張る時じゃない。沙霧、今はそれ所じゃないだろう』

 

変えられない過去ではなく、未来の話を。祐悟はまだ何も終わっていないと、より一層の警戒を保つべきだと告げた。

 

『真に怖い地雷は、痕跡どころか存在もなにも予測できない奴だ。下半身が吹き飛ばされてからじゃ、遅すぎるぜ』

 

帝都での一件もあると、注意を促す祐悟に、沙霧は眼を閉じながら答えた。

 

『―――言われずとも。彼の国の謀には、常に注意を払っています。その上で私は私の信念を貫くのみ……ただ、先程の降下の際に霧島大尉が着地点より大きく北に外れたのが気になりまして』

 

『あ、ああ……あれは我ながら情けなかったな。でも空挺での降下なんて、初めてだからな――って言い訳するともっとアレか。それは素直に謝っとく……でも、調子は取り戻せたようだ。気温が低いお陰か、頭も冷えたよ。この60分は俺にとっても休憩になった、って訳だ』

 

誤魔化すように冗談を飛ばす祐悟に、沙霧はつられて一瞬だけ笑いを返すも、直後には戦略研究会の指導者の顔に戻し、告げた。

 

『分かりました……ただ、これで最後になるかと。可能な内に、貴方の力添えに対して礼を告げたかったのです』

 

『それこそ要らんて。俺は、俺の望みのままに動いた。これから先もな。一緒の道になったのはたまたまだ、ただのぐーぜん』

 

協力に対する感謝や謝意は無意味だ、目の前の危機に集中しろ。視線でそう告げる祐悟に、沙霧は苦笑による肯定で答えた。

 

『分かりました―――では、これで』

 

『ああ、武運を祈る』

 

ぷつり、と通信が切れる音。祐悟は一人、周囲との通信を切ったまま、苦笑を零した。

 

「……何もかもが無くなった。身寄りもなく、縁もない……いや、こちらから突き放したんだがな」

 

家族、親戚は一人の例外もなく鬼籍に入った。あいつを守ることができたのなら、もっと違う道はあったのだろうか。死なれたとして、納得の出来る死に様であったのならばどうか。帰国して間もなく、尊敬に足ると言える数少ない上官から―――尾花晴臣からの勧誘を受けたのだろうか。祐悟はそう考えたあと、自嘲の笑みを零した。

 

全部、自分で選んだことだ。それに、大陸に行かなければ会えなかった者達も居る。

 

「しっかし……笑わせるなっての」

 

祐悟は思い出し、ぷふっと笑った。天元山に向かう途中でひょっこりと脈絡もなく出てきた、猫耳のようなヘアバンドをつけたMIAとされた少女と、よりいっそう化物っぷりに磨きがかかっていた約一名もそうだった。ステルスとか、あれ反則だろと何度でも思えるような。

 

「……サーシャのお嬢が出撃する度に、妙に疲れてた理由は分かったが」

 

肉体的ではなく、精神的に。そして出撃をする度にクラッカー中隊の仲間から離れなかった理由を、祐悟は今になって理解していた。

 

「それで変わってないって、凄えよ………白銀。お前も、相変わらずだ」

 

歴戦だろうが、地獄を潜り抜けてこようが、最後の一線を踏み出せない。近くに居る者達はやきもきしている事だろう。軍人が持つ優しさや躊躇いは、“甘い”と変換されてしまうというのに。仲間を危険に晒す毒になるというのに。

 

だから“こう”なるのだと、教えるのが自分の役割か。

 

祐悟は静かに、限界まで深く息を吸い。

 

目を閉じて、一秒の静止を。その後に盛大な吐息を前に吹き出した。

 

「変わって欲しいのか、変わって欲しくないのか」

 

生暖かい二酸化炭素と一緒に吐き出されたのは、何か。眼には見えなかったが、霧島祐悟の顔は、一転して物騒なものに変わっていた。

 

「……銀の蝶が見えるな。なるほど、なるほど……そういう事か」

 

やる事に変わりはないがな、と。祐悟はチリチリと音がするような頭の響きに、深い笑みを浮かべると、その胸中を決意の炎で燃え上がらせていった。

 

 

―――斯衛から決起軍に対し、交渉の打診が出されたのはその5分後、休戦終了の120秒前だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ頼んだぞ、冥夜」

 

「……しかしだな、武」

 

斯衛からの打診と、真那と沙霧の駆け引きは終わった。沙霧から国連軍と米軍に対する非難の声は出た上、こちらの機体に移って頂くという要求が出されたが、真那の巧妙な話の運びにより、説得の場の状態はウォーケンと武達が狙った通りになった。

 

殿下は赤の武御雷を随伴として、1機を。沙霧も、殿下が直援を1機とするならば、と不知火1機だけ傍に連れて場に現れるという。

 

「……概ねはこちらの要求を呑む、か。やっぱり、あいつらが殿下を思う心は本物だってことだ」

 

その状況を踏まえてだが、と武は眼の前に居る冥夜に向けてある要望を伝え。冥夜はその言葉を聞くと、まさか、と渋面を返していた。

 

「あり得る筈がない。先程のウォーケン少佐の様子を、其方も見たであろう。あの言葉が嘘であるとは……っ!」

 

「ウォーケン少佐は疑ってない。ウォーケン少佐“だけ”はな」

 

時間が無いと、武は端的に告げた。

 

「前にも言ったと思うが、最悪に備えるのが指揮官の仕事だ。万が一の事が起きて、予測できない事でした、と言い訳をするのは間抜けすぎる」

 

「……壬姫に出していた指示も、その一環か?」

 

「ああ……あくまで保険だけどな」

 

武は、軽い口調で答えた。冥夜は、悩みながらも、分かったと答えた。

 

「ありがとう。それじゃあ―――頼んだ」

 

「分かっている……姉上は、この状況で余計な事を考えるお方ではない故に」

 

少し不安げに、少し興奮したような冥夜は、軽く一つ呼吸をするだけでその様子を整えていた。

 

―――そうして、冥夜が扮した煌武院悠陽殿下と、沙霧尚哉との謁見が始まった。

 

『では、殿下……参ります』

 

『……ええ』

 

冥夜の返答を聞いた武は、コックピットのハッチを開けた。そこには同じようにハッチの上に居た沙霧が、眼を閉じながらこちらに向けて頭を下げていた。

 

それを見た冥夜はゆっくりと立ち上がり、一歩前に踏み出した。

 

沙霧は頭を下げたまま、冥夜に自分の名と所属を示した。帝国本土防衛軍、帝都防衛第1師団、第1戦術機甲連隊所属の、沙霧尚哉大尉であると。

 

冥夜はそれを聞き、面を上げることを命じ。沙霧はその内容の通り、眼を開けると同時に顔を上げた。

 

そこからは、今までの状況を語る言葉が交わされた。

 

沙霧は、自らの行動が正しいと信じている者の言葉だった。逆賊を、帝国に巣食う膿を一掃すると迷いなく告げ。

 

冥夜は殿下と同じく、決起軍が力を用いざるを得ないような立場に追い込んだ責任は将軍にあると、その不甲斐なさを言葉にした。

 

沙霧は、それは違うと否定した。政威大将軍としての意志が歪められていることが問題なのだと。殿下が帝都城を脱出した後だというのに、仙台の臨時政府が勝手に殿下の命を騙り、即時無条件武装解除を決起軍に要求してきたことがその証拠だと告げた。

 

そして、真のご下命の内容を信頼できる筋から入手していたため、真実を見抜くことができたと。偽の命令による撹乱が無ければ、もっと早くに決起軍に戦闘停止を命令でき、犠牲も少なくなっただろうと、後悔の表情と共に沙霧は語った。

 

一方で、冥夜はそれも踏まえた上で、全て将軍の責任であると答えた。臨時政府の暴走も、決起軍を止められなかった事も、それで米軍や国連軍の介入を許してしまった事も。

 

その言葉は、責任ある者として正しかった。責任を取るのが指揮官。将軍だとて、例外になる訳ではない。起きた事件、死にゆく者達、壊れたもの。全て、政威大将軍が国内を安定させ、各所より信任を得ていれば防げるものだった。

 

沙霧は、その言葉に息を呑んだ。高潔な心と、それを躊躇いなく言葉にできる覚悟に心打たれていたがために。

 

「―――しかしながら、殿下にお伝えせねばならない事が御座います」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――此度の件には、彼の国が深く介入しております。その思惑を成就せんがためにと、我が決起軍の中にも諜報機関の者を潜らせていたのです』

 

イルマ・テスレフはその通信を聞きながら、顔を歪めていた。

 

煩かったからだ。

 

沙霧の声ではなく、ノイズが。誰かが何をしているのだろう、分からないが、砂を擦りあわせたような雑音が聴覚を支配していたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……帝都で我々が先制攻撃をした、という内容。結果的には言い逃れの出来ない事態に陥りましたが、それこそが米国の狙いだと考えられます』

 

一箇所だけではない、全くの同時刻。射殺されるまで発砲し続けるような人間が複数の箇所に居た。まるで帝都の守備部隊に、戦闘が開始されたと錯覚させるような徹底したものだっと、沙霧は言う。

 

そこから、米国の狙いが何であるか、推測を語った。

 

『極東での復権を望む米国政府は、帝国内に大きな乱が起きることを望んだのです。それを口実として自軍を派遣し、殿下の救出と保護という名目で動いた……そして恩を売り、日本を意のままにしようという筋書きです。今までの展開の早さを思えば、謀られたものであることは瞭然。仙台臨時政府とも繋がっている可能性があります』

 

殿下の救出で恩を売り、日本国民からの感情を回復させ、繋がっている臨時政府と協力して帝国を掌の中とする。そして、米国の目論見が現実のものになりつつある事こそを危惧しつつ、そのような事態になる一端となった自分達の罪と不甲斐なさを沙霧は恥じていた。

 

「私の罪、拭えるものではない事は承知しております……ですが、この事実だけは………?」

 

沙霧は、そこで気づいた。何も答えないでいた、その理由を。

 

「………殿……下?」

 

愕然と、沙霧は言葉に詰まった。その両目から頬に、一筋の涙が流れているのを見て。

 

絶句した沙霧に、武は何も言わず。

 

悲しさで満ちた悲痛な声が、冥夜の口から零れ出た。

 

「そこ、まで……国を、民を想っているのなら………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『この煌武院悠陽を想うのならば………っ!』

 

通信の声を聞きながら、悠陽も涙を流していた。自己を犠牲にしても、というその想い。そうさせた自分の不甲斐なさ。その全てが、ただ悲しかった。

 

『―――何故、そなたは人を斬ったのですか!』

 

冥夜が叫んだ声は、自らが抱いた言葉と寸分の狂いもなく同じだった。前政府の者達も、様々な苦境を乗り越えんと奮闘していた。謂れのない中傷を受けたと聞く。理不尽に糾弾された事も。

 

どちらもこの国を想う者達だった、なのに何故斬られたのか―――斬らざるを得ないと、思ってしまったのか。どうして、彼らは死なねばならなかったのか、彼らは裁かれなければならないのか。

 

「……殿下」

 

真耶の労る声がコックピットの中に響き。

 

悠陽は俯かずに、冥夜達が居る方向を逸らすことなく見続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『争いは、次の争いを呼び寄せます。血で贖えるのは血のみであると望む者が居る限り。そのような仕儀をもたらしたそなた達の行いは、民の心を汲んだものだと……誰もが望むことなのだと、本当に言えるのでありましょうか?』

 

キース・ブレイザーは日本語を理解できない。だが、何を訴えようとしているのかは、声からそれとなく察することが出来る。

 

愚かだと笑うのは簡単だ。間違っていると見限るのは1秒あれば事足りる。大きなうねりを前に、個人の感情が汲まれることはない。ただ効率的に、合理的なジョブこそが最大多数の最大幸福に近いものをもたらす事ができる。

 

「……だが、人間は機械ではない」

 

白銀の、目下の所の最大の敵の言葉が頭から離れない。作戦の途中に言葉を交わした、戦災難民だという味方衛士との軽口が妙に脳裏を過ぎっていく。

 

それでも、とキースは一つの呼吸で余計な感情を断ち切った。

 

―――ユーコンで実行した作戦、万が一にもという可能性を示され、その追求を部下に及ばせないためには。

 

選択肢はあったように思う。CIAが接触してきたあの時も、こうしている今も。

 

『国とは、民の心があってこそなのです。民が思う心が国であり、将軍は日本という国を映す鏡のようなもの……それが分かたれる事があってはならないのです』

 

軟弱だ、と切って捨てられるような言葉。普段であれば、この大事を感情に任せてしまうとは、と顔を顰めただろう。

 

だが、キースはその言葉から耳が離せなく、妙に耳障りであると思え。振り切るように、命じられた任務の内容を、部隊に潜んだ協力者の名を、行動後の目標を反芻した。

 

「………対象が二人に増えたが、泣き言は零せんか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――日本を守るということは、民を守る事に他なりません。そなた達はそれを分かっていながら、道を誤ったのです』

 

声には凛とした調べが戻っている。決起軍所属の那賀野美輝は、謁見の場から南に離れた場所で通信を聞きながら、準備を始めていた。

 

「今更にも程がある……冗談ではない、誰のせいで我々が……っ!」

 

那賀野は装備を確認しながら、操縦桿を握りしめる。直接ではない、間接的に自らの目的を達成するために。客観的に見ても仕込みは十分過ぎると、口元を歪めた。

 

『されど、過たぬ人は居りません。そなたも然り……そして今、一刻も早く収めるべきものがあります。争いを終わらせ、民を不安から解放する……それを出来るのは、そなた以外に居ないのです。志に賛同した者達を解き、救えるのは―――』

 

帝国軍や米軍、国連軍の将兵をこれ以上死なせないために沙霧尚哉の行動が必要となる。そう語る殿下の言葉に、那賀野は唾を吐きたくなった。

 

どうしてだろうか、一度過ちを犯し、その失態を取り返すために心身を賭した者が発した声のように聞こえる。決して表向きの言葉ではない、それを実際に経験したのだと思わせるような色が感じられるような。

 

だが、と那賀野は怒りで自分を覆った。大陸であの地獄を見たことのない斯衛の、そのトップが何を言うのか、と。

 

「はっ、綺麗事を語るしか能がないお飾りなど、もうこの時代には不要となったのだ………古くも悪しき象徴を代表する遺物は、ここで朽ちろ」

 

手を下せば家族に迷惑がかかる、だから米国を利用して。

 

小さく呟きながら、那賀野は静かにその時を待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沙霧尚哉は、静かに震えていた。感情が喜びに極まっていたからだ。過ちを正す道を示されたこと。志は受け取ったという言葉は、その眼差しを見れば疑いようがないものだった。

 

(殿下は此度の騒動を戒めとして、民の……日本のために尽力される。ああ、そうだ……私はこの言葉が聞きたかったから、決起したのかもしれない)

 

煌武院悠陽の名にかけてと、いう言葉からは全てを賭して挑まれるのだと確信できるものが居る。彩峰中将から教えられた、人は国のために、国は人のために、出来ることをすべきだという理想。それが実現されると信じさせてくれる人が、不退転を決意される光景を自分は、と。

 

(あれだけ降っていた雪も、今は止んでいる………まるで殿下の決意を祝福しているように)

 

ならばもう、と沙霧は眼を閉じて覚悟を決め、首を差し出すような姿勢で答えた。

 

「―――殿下。我が同志の処遇、くれぐれも宜しくお願いします」

 

沙霧は終わりを示す言葉を、躊躇うことなく告げた。

 

緊張の場に、その宣言は静かに響き渡っていった。集音マイクで謁見の場の声を拾っていた者達が、理解していく。これで全て終わったのだと、安堵の息を吐く者も居た。

 

そして、謁見の場は収束する様子を見せようかという時に―――空を切り裂く音が場に広がった。

 

直後に、謁見の場の近くにある地面の欠片が宙を待った。

 

それが36mm劣化ウラン弾が着弾した事により引き起こされたのだと、優秀な衛士達はすぐに気づいた。

 

土の欠片がぱたぱたと落ちていく音が。

 

着弾の近く、謁見の場に居た3機の不知火と武御雷が居る地面も揺れ始め―――その中の一人から、大声が飛んだ。

 

 

「―――珠瀬!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「了、解―――!」

 

壬姫は泣きそうになりながらも応答し、その時にはもう設定の変更も、狙撃の構えも最終段階に入っていた。

 

少し前に何度も練習させられた距離だから、照準を合わせる作業も迅速に済んでいた。望遠で見える小高い丘、その上にイルマ・テスレフが乗るF-22Aは在った。その機体が攻撃態勢に入ったと同時に、壬姫は命令通りに敵味方を認識する機能を解除していた。

 

まるで機械を思わせるような挙動だった。射撃を繰り返している今も変わりがない。そんなイルマ少尉を止めるために。後催眠暗示の可能性が高いと、事前に知らされていなければ躊躇ったかもしれないと、壬姫は自分の弱さを少しだけ恥じて―――逡巡の一切を捨てた。

 

そして高度60km、距離500kmの狙撃を二度成功させた世界で三指に入るスナイパーは当然の結果を出した。

 

「―――命、中」

 

長距離から放った120mm弾は動きが鈍くなったF-22Aの―――イルマ・テスレフが乗った機体の脚部を破壊し。

 

転倒した後も、F-22Aは壊れた機械のように、空に向かって突撃砲の弾を放出し続けた。

 

そのあまりにも異様な光景は、場の空気を変質していく起爆剤となって―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ハンター3、何故撃った、ハンター3―――なっ?!』

 

説得が成功し、全てが終わった筈だ。気が緩みかけた直後の隙を突かれたウォーケンは、混乱しながらも謁見の場に射撃したイルマに呼びかけ、その直後に両足を撃ち抜かれて倒れる姿を呆然と見ていた。

 

『狙撃だと、どこから―――っ?!』

 

ウォーケンは、そこで目を疑った。

 

間違いようがなかった。マーカーも機体に施された塗装も、決起軍の不知火のもの。殿下を傷つける筈がない相手が、殿下が居る場所に120mmを撃ち込んでいたのを見て、絶句し。

 

『だから、後催眠暗示なんて不確定なもん使うなって言ったのによぉ――!』

 

オープン回線で放たれた獰猛な声を聞き、思考を米軍指揮官に相応しいものに戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――な」

 

武は聞こえた声に、絶句していた。

 

違うと、何故と、叫びそうになった。嘘であると信じたかった。

 

だが声が、その動きが、どうしてもその人物であるという証拠を示していて。

 

「なっ―――霧島中尉、どういうつもりだ!」

 

『どうもこうもあるかよ、糞マヌケ! 段取りは少し狂ったが、開戦の号砲は鳴った―――始めようぜ、ハンター2、キース・ブレイザー中尉!』

 

インフィニティーズが一番槍をカマしてくれや、という祐悟の流暢な英語での声を聞いた武は、その言葉の裏を悟った―――祐悟が何を狙っているのかを察してしまっていた。

 

でも何故と問う暇もなく、狂っているかのような声色での煽りが続き、

 

『ハンター6エーリク、ハンター8カルメーロ! おっとハンター5のアズラもだ、パーティーの始まりだ寝てんじゃねーぞ! 那賀野に吉村、富田に片岡もなぁ!』

 

急所を撃ち抜くように、祐悟は名前を告げていった。沙霧は聞こえた名前に意表をつかれ、小さく口を開いたまま目を見開き、自失した。

 

―――2秒後に、事態は動いた。決起軍の一人が横に居た味方機を撃ち始めたのだ。連動するように、周囲に展開していた、名前を呼ばれた者達が謁見の場に向けて攻撃を仕掛け始めた。

 

『な――仲間割れ、いえ、違うわ、まさか……!』

 

『米国の工作員が、ここまで入り込んでいたというの!?』

 

千鶴の声に応えたのは、決起軍のものだろう。連鎖するように、オープン回線で悲痛な声が木霊し、夜の森に漂う雰囲気が激変していった。収まりかけていた謁見の場が、戦場の色に塗り替えられていくような。

 

それでも、殿下に危険が及んでいると認識してからの決起軍の動きは早かった。周辺に居た4機が祐悟の不知火に殺到し、殿下を狙う砲撃が止み、

 

『く……くそがぁっ!』

 

罵倒と共に、1機のF-22Aが隣に居る僚機に向けて攻撃を始めた。硬直していた無実の衛士に命中し、跳躍ユニットに誘爆して、夜の森を照らすように爆炎が飛び散った

 

―――それが、最後の引き金となった。

 

もう隠しきる事も、後戻りも出来ないと察したのか、連鎖するように霧島祐悟から名前を呼ばれた者達が、動き始めていった。

 

同時に、あちらこちらで機体が動き始める音が。

 

戦闘の予兆を示す音が飽和していき―――その中心に居る武は、絶叫した。

 

「こんの―――馬鹿野郎がぁっ!」

 

責める声には、紛れもない怒りがこもっていた。

 

だが―――向けられた先は、どうして悲痛な声になっているのか。それを見た沙霧は、霧島祐悟の行動が何を意味するのかを察して、口を閉ざし。

 

沈痛な面持ちで、命令を下そうとした所を、武に止められた。

 

「沙霧大尉、殿下の身柄をお預けする。月詠中尉、神代少尉他3名は沙霧大尉の直援に付け」

 

「なっ―――身柄を、だと!? どういうつもりだ白銀中佐!」

 

真那の怒声が響くが、武は無視しながら機体を沙霧の方へ寄せた。器用にバランスを取りながらの移動にその場に居た全員が目を見開いたが、武は当然のように着地した後、沙霧に大声で告げた。

 

「殿下の安全が最優先だ! 大尉、信頼できる者だけを集め、逃げに徹しろ。殿下を守り通せ」

 

「何を……貴様、どういうつもりだ!」

 

「殿下のご意志に従う。ここでケリを付けなければ、事態は収まらない―――いいから早く! 人は国のために、だろう―――成すべき事をするってだけだ!」

 

「っ、その言葉は………いや、貴官は」

 

「国連軍の衛士として()()()()米軍と協力し、筋を通すまで。倒すべき敵はたったの4人だ、どうとでもできる」

 

問いかける声を強引に遮るように、武は掌を広げながら答えた。

 

「5分で敵となるF-22Aだけを蹴散らす―――その後に、ここでまた会おう」

 

「ぐっ、だが………いや、深く議論をしている暇は無いか」

 

迷えば迷うほど殿下を危険に晒してしまう、と沙霧は沈痛な面持ちで頷きを返した。真那は止めようかと迷っていたが、それよりも先に冥夜は動いていた。

 

武の機体のハッチから沙霧の機体に手を借りながら飛び乗り、それを確認した武は迅速な動作でハッチを閉め、跳躍ユニットを全開にした。

 

そこから、曲芸のように一回転をしながら方向転換をした武の機体は、風のように争乱の中心へ、一直線に飛んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――制限解除、跳躍ユニットを超過速度モードに移行」

 

パイロットを守るために、機体が分解しないようにと、不知火には定められた速度制限がある。武は迷わず、それを解除した。平行世界からもたらされた、最新鋭の跳躍ユニットが全開となる。

 

既存のものと、隔絶するという程の差はない。だが、比較すれば一目瞭然となる。一方で操作性が犠牲になるが、武は迷うこと無く切り札を使うべきだと判断した。

 

直後に、自身にかかるGが強くなる。武はその中で、歯を食いしばりながら噛みしめるように、繰り返した。

 

「くそ、どうして………!」

 

こんな予定は無かった。もっと、穏便な手を使うつもりだった。イルマが動き出した後、壬姫の狙撃で封殺し、介入の機会を欠片も与えないつもりだった。

 

狙撃が失敗し、イルマ以外の衛士も動き出すのなら、沙霧大尉に冥夜を預けるつもりだった。そうすれば決起軍は米軍への追撃よりも、冥夜―――殿下の身を守る方に専念する。その一手だけで敵対する数を一気に減らせる。

 

だが、決起軍にあれだけの不穏分子が潜んでいるのならば。伏せ札だらけのあの状態を解決するには、祐悟がやった通りに、テーブルごとひっくり返せば、イカサマの種は暴露される訳で、と。

 

武はそう考えてしまった自分に、怒りをぶつけた。

 

「ちくしょうが……!」

 

武は、自分の不甲斐なさに。そして祐悟が何の通信も受け取らずに、自分でも知らなかった工作員の存在を見出した方法を考え、それに関わった―――恐らくは自分で志願したのだろう―――銀色の髪を持つ二人を思い出し、更に怒りを重ねた。

 

Ex-00に同乗し、自分達の逃避行の道中に潜ませていたか。ルートは、自分が予測した通りだったため、おかしくはないと武は考えた。

 

移動手段はいくらでも考えられた。ステルスとはいえ、戦術機は目立つ。だが、生身での隠密行動なら、前例があった。シルヴィオか、復帰したレンツォに協力を仰げば。途中ではなくとも、この地点に潜んでいたのかもしれない。そして60分の休憩中に思考を読み取り、プロジェクションで祐悟に情報を伝えたのか。

 

位置を絞り込むには祐悟の脳波パターンが必要だが、それも分かったような気がしていた。クーデター前に天元山へ向かっていた―――篁祐唯に行った根回しの成果だが―――Ex-00でサーシャと一緒に接触した時に、取っていたか。

 

いずれにせよ、こちらに極めて有利になったこの混乱は、祐悟が成したものだ。恐らくは即興。決起軍の者が発砲しなければ、F-22Aの衛士は惚ける事を選択していた可能性も考えられたからだ。テスレフ機も、見た目に不気味なあの発砲が幸運にも場の混沌具合を助長していた、というのもあるが。

 

効果は絶大だった。潜伏者だけを的確に撃ち抜いたからだ。恐らくは、決起軍の何人かと、少なくともキース・ブレイザーは事前に協力者を知らされているものだと思われた。トドメは、コールサインと衛士の名前が一致していた事か。

 

それを受けて、潜伏者達は動いた。情報が漏洩した事を確信したのだろう。あるいは、情報を知る輩が暴走したと判断したのか。

 

(CIAが仕込んだ極秘作戦だった、というのが裏目に出たんだろうな)

 

CIAは秘密主義だ。米国の中でさえ、その方針と手段を選ばない性質から嫌っている者も多いと聞く。工作員が戦災難民だったとしたら、疑念と不信の種はずっと前から持っていた事が考えられる。

 

決起軍の方は不明だが、戦災難民として家族を人質に取られている衛士は、何もしないまま捕まる訳にはいかないと考えたのだろう。あるいは、あの異様な雰囲気に呑まれたのか。

 

急転した状況は、誰一人として全容を把握することなく。その中で、武は目標を再設定した―――約束通り、5分で蹴散らして戻ると。

 

悩み、怒りが渦巻いているのは確かだ。それでも、武の操縦の腕は鈍らなかった。それどころか、昂ぶった感情のままに、集中力も高まっていく。

 

それは思考の鋭さにも反映された。目標達成に必要なものをピックアップし、無駄なものは省き。戦闘に必要な思考だけが抽出され、研ぎ澄まされていく。

 

(必要なのは最小限、最適かつ最短を貫くルートを)

 

そして、と武は前方に敵機を発見した。

 

「冥夜狙いか―――しゃらくせえっ!」

 

米軍の狙いは、政治中枢を担うに足る人物の殺害か。だから冥夜も殺害対象に入ったのだろうと、武はあたりをつけた。

 

F-22Aの1機が沙霧と真那を追いかけるルート。つまりは、そこから一直線にやって来た武の真正面に来る訳で。

 

夜の森の上を、最大戦速となった2機が引かれ合っていく。

 

決着は一瞬だった。最初に攻撃を仕掛けたのは、F-22Aの方だった。的確に36mmがばら撒かれ、武が乗る不知火に殺到していく。

 

だが、螺旋を描く機動で、速度を落とすことなく突っ切った青の残影は無傷でF-22Aと交錯し、すれ違い。

 

『な―――!?』

 

ハンター8、カルメーロ・バルツァーリの驚愕の声が勝敗を示していた。

 

すれ違い様に左の脚部を切り飛ばされたF-22Aは、急激に狂った機体バランスを立て直せないまま、夜の森へと落ちていった。

 

「……焦ってたからだな、動きが甘かった―――問題は次か」

 

武は先程抜き放った中刀を背部に戻しながら、レーダーを見て次の目標を定めた。真耶の機体に同乗している悠陽を追うように仕掛けているF-22Aが2機に向けて進路を変える。

 

守ろうとしているのは、白と山吹の武御雷と、5機の不知火のみ。味方側のF-22Aであろう3機は、既に何者かの手によって残骸にされていた。武は上空でそれを見つけ、舌打ちを零していた。

 

「でも、一体誰が………っ、キース・ブレイザーか!」

 

残る数機は不明だが、ウォーケンの周囲でキースと戦っているのだろう。指揮官機の権限により武器管制がロックされているかも、と武は期待していたが、撃墜された機体を見るに、望み薄だな、と結論を下していた。

 

そして、武は思考を殿下の周辺に居る敵機に向けた。先の戦闘における撃墜比のまま、戦力比を1対7とするなら、14機相当のF-22Aの方が有利となる。

 

だが決起軍と戦っていた時とは前提条件が4つ、違っていた。

 

一つ、優先目標である悠陽を追う形になるため、F-22Aが居る位置は予測しやすくなること。

 

二つ、段取りが組まれていたのだろう作戦がいきなり木っ端微塵にされた事により動揺しているのだろう、機体の挙動に精彩を欠いていること。

 

三つ、不知火5機と唯依が乗る武御雷にはXM3が搭載されていること。

 

四つ、そもそもの衛士の技量が違っていること。

 

それを証明するように、高機動中にあったF-22Aの1機が大きくバランスを崩した。上空から俯瞰視点で見ていた武は、何が起きたのかを瞬時に把握できていた。

 

千鶴の指揮の元だろう、4機がかりでF-22Aの片割れを誘い込んだ上で壬姫が狙撃したのだ。正確無比な一撃は見事に命中し、F-22Aの左肩を貫いた。

 

バランスを崩したその機体は、体勢を立て直そうと高度を取り―――

 

『悪いな、そこだ』

 

鷹のように上空から襲いかかった武が、迂闊にも浮かび上がったF-22Aの両脚部に36mmを1発づつ叩き込んだ。最新鋭とはいえ機動優先の、装甲が薄い第三世代機である。戦闘不能とするには、十分な威力だった。

 

『この―――っ!』

 

オープン回線に響いたのは、落ちたF-22Aの僚機からのもの。同時に36mmの斉射が、武の乗る不知火を襲った。異様な挙動を恐れたのか、上空を取られるのを嫌ったのか、ここで撃ち落とさねば、とばかりに射撃を繰り返した。

 

だが、その全ては武の不知火の残像の端を貫くだけに終わった。弧を描く機動で反転した武に、一発も掠らせることも出来ずに、

 

『―――私達を前に、余所見とは』

 

『―――迂闊が過ぎるぞ!』

 

その機を逃さなかった上総から120mmが放たれ、F-22Aの右肩が爆散した。

 

直後に距離を詰めきった唯依が、その機体を一刀の元に両断した。

 

武はそれを見届け、周囲に機体が残っていないかを確認した後に、最後となる戦闘音が響いている場所へと向かった。

 

―――決起軍の方は、既に戦闘は完了していた。

 

「……くそ」

 

工作員より決起軍の方が圧倒的に多かったからだと、武の中にある冷静な部分は判断を下した。

 

「くそっ」

 

間もなくして、反逆者である霧島祐悟を撃墜したという報告が、オープン回線で伝えられた。通信からは、決起軍のものだろう歓声が流れ出てきて―――

 

「く、そがぁっ!」

 

苦悶の叫びと、敵の視認は同時に成された。武はその視界に、倒すべき敵と共闘すべき敵を捉えた。

 

『ウォーケン少佐、援護する!』

 

『白銀中佐か―――ありがたい!』

 

『こちらこそだ!』

 

誰が敵で誰が味方かも分からない中での判断が的確過ぎて、と武は言葉を付け加えた。今現在の、周辺の状況が物語っていたのだ。

 

ウォーケンは、眼前に居るキース・ブレイザーを真っ先に抑える事を選択したのだ。F-22Aにおける対人戦闘技能をもっとも知り尽くし、実践してきた衛士を。教導隊を教導するという、米国最強とも名高い部隊の小隊長を務めていた古強者を、殿下の元に向かわせてはならないと判断した。

 

(どこまでも正しい―――F-22Aを相手に、手加減をする余裕がある化物だからな)

 

何故って、F-22Aの中に居る衛士は死んではいない。コックピット周りに大きな損傷はないからだ。重傷を負っている事は間違いないが、死亡している可能性は低いだろう。

 

「……しかも一対一、か。ウォーケン少佐、機体の挙動、特に右腕がおかしいのは」

 

『見抜かれていたか……ハッキングを受けているのか、機体の反応が酷く鈍い』

 

「最新鋭の機体であるF-22Aのシステムを書き換えて、ですか」

 

『……そのようだ』

 

ウォーケンの言葉を聞いた武は、覚悟を決めた。そこで、どうしてか攻撃を仕掛けてこなかったキースは、ようやくと口を開いた。

 

『その気配………貴様か、ユーコンのあの吹雪の中で、俺を撃ち抜いたのは』

 

『何のことだか分からないな。だが、一つだけ言えることがあるぜ』

 

『……なに?』

 

『撃ったのが誰かは知らない―――でも、今の俺はそいつより強いぞ』

 

『―――そうか』

 

 

それが、開戦の合図となった。

 

どちらも、ウォーケンの存在は頭の中から消し去っていた。

 

敵意を察知するより早く、操縦桿を握る手は反応して。互いに匍匐飛行、バランスも危うくなる地面すれすれを滑空した不知火とF-22Aが交錯し、

 

『―――早い』

 

『―――そっちもな』

 

その勢いのまま、2機は雪が止んだ空へと上昇していった。そして再び交錯し、今度は互いに無傷なままに離れ。そこから射撃戦に移っていった。

 

機動力、旋回力、ステルス能力。機体の性能は全てF-22Aが上回るだけでなく、搭乗しているのがインフィニティーズでも有数の実力を持つ男だ。

 

ウォーケンは空を見上げながら、一人では敵わないだろうと援護のタイミングを図り―――絶句した。

 

『互角、いや―――それ以上だと!?』

 

高機動下における射撃戦は、有利なポジションを取った方が勝つ。背面を取れれば最善だ。だが、互いに高レベルでの実戦においてはそれを警戒しあっているため、強引に背後を取ろうとはしない。

 

中距離を保ち、漂うように宙空を飛び回り、相手の射線を僅かに外しながらの一撃の狙いあいになる。迂闊な射撃は隙になるため、好機で無ければ控えるのも戦術だ。

 

そのセオリーを、青の不知火は完全に無視していた。冗談のような機動で宙を舞い、F-22Aから放たれる高精度の射撃を全て置き去りにしているのだ。

 

そして時折、鋭角と表すのが正しいのか。くい、と前に出た機動を見せたかと思うと、射撃が散発される音が響き、対するF-22Aは焦ったような挙動で回避に専念していた。

 

距離が離れているから見えているが、キース機ほど近づけば、どのように見えているだろうか。ウォーケンは自分に置き換えて想像し、数秒後にその背筋に冷や汗が流れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キース・ブレイザーは日本に来る前、不味いコーヒーを飲みながら不味い話を聞かされていた時の事を思い出していた。いきなり呼びつけられ、現れたのはジェイムズと名乗るCIAの男。その胡散臭い初老の男は作戦の内容と共に、最大の障害物に成り得る可能性が高いという、銀色の亡霊と呼ばれている衛士の力量を語った。

 

年は18だという。7年の戦歴は大したものだが、お前には及ばないと言われ、キースは頷いた。事実、キャリアでは自分の方が上回っているからだ。インフィニティーズの一員としての自負もある。F-22Aの話が出た時に、真っ先にお前に使わそうと思ったと、告げられた事があった。

 

万が一の時には分かっているな、という意味もあるのだろう。だが、なんとでも出来るという思いをキースは持っていた、が。

 

(知らない内に、驕っていたか―――いや、これは違う。コイツは違うものだ)

 

小さな頃より、限定させた技術に専念させればプロフェッショナルが生まれやすいという話をキースはどこかで聞いたことがあった。多くを学ぶ前であればそれだけ知識の容量も大きいから、と。

 

(フ、ハッ―――馬鹿が。こいつがそんな生易しいものであってたまるものか)

 

動きの端に、欧州を感じさせる風がある。機動の組み立ては荒唐無稽ながらも、自分を越えたレベルでの老獪さが編み込まれている。初撃の交差も、斯衛以上の鋭さがあった。あれで決まらなかったのは、運が良かったか、様子見に徹したのか。どちらにせよ、キースは近づかれた時点で自分が死ぬ姿を幻視していた。

 

(まるで読めん―――それに、なんだこの威圧感は)

 

模擬戦においても、全身全霊をかけた勝負においては、あるものを幻視することがある。その動きから、ぶつかり合っている相手の性格や趣向、背景を何となくだが感じられることがあるのだ。

 

その勘に従って言えば、眼の前の男は老人だった。1000を越える戦場を経験し、多くの知人、友人や恋人を失ってもなお戦い続けている。血の赤にまみれながら、両手両足を引きずりながらも前に進むのを止める事など考えもしない、と言わんばかりのモンスターだった。

 

だが、それだけではなかった。それでは駄目だと、血の絨毯で出来た道の傍に、何かがあるような―――守っているような。

 

(―――確かめてみるか)

 

勝敗を忘れ、キースは試したくなった。

 

射撃を回避しながら残弾が無くなった突撃砲1門を捨て、新たな突撃砲を前面に装備しながら一直線に。

 

(ここ、だ)

 

今までの攻防から、タイミングを予測して機動を一気に下へ。重力による加速も加わり、いっきに軌道を逸らすことに成功した結果、射撃を全て回避しきることに成功する。

 

あとは敵機の下を潜り抜けた直後に反転し、振り返りざまに射撃を浴びせれば。

 

キースの狙いは、完璧だった。操縦の早さも、正確さも文句のつけようがない程だった。だが、照準をあわせようと突撃砲を構えた時に、異変を察知した。

 

(い、ない―――いや)

 

キースは視界の端―――下端に、不知火の青を捉えた。

 

反射的に、視界を下方向に修正する。

 

そしてコンマにして4秒後に、不知火の全身を視界に収めた

 

(ダメだ、避け―――)

 

キースの判断は一瞬、考えるより前に身体は動いていた。

 

操縦の通りに、F-22Aは加速し、絶妙ともいえる1機体分の幅だけずれ。

 

()()()()()()()()()()36mmが、右の脚部に命中した。

 

「な―――」

 

偏差射撃。理屈は分かっている。理想ともされる技術の一つだ。使いこなせれば、対人戦に敵は居ないと言われるほどに。

 

だが実戦で、この速度下の、それも宙空での攻防で、ピンポイントに脚部だけを、という条件が加わればどうか。キースはその問いに、自分で答えた―――神か悪魔の所業である、と。

 

だが、まだ終わってはいない。バランスを、と考えた所で気づいた。

 

視界の先から、不知火の姿が消えていることに。

 

どこに、と追うより先に答えは出された。網膜に投影された、両腕部切断というダメージ報告を受けて。

 

(あの一瞬で、死角に潜り込んで、いやそんな馬鹿な―――――!)

 

人には“注意を怠りやすい視点”がある。眼前に集中しようとした時に、右斜上か、下か、ぽっかりと無意識下で注意が散漫になる所が。それには個人差があり、本人にも分からない。

 

不知火はその視点の影に飛び込んでいたのだ。そのまま、キレにキレた機動で迫り、気づく寸前にF-22Aに接近したのだ。

 

その理屈が分からないキースは、まるで化かされた少年のように硬直し。

 

―――トドメにと繰り出された斬撃が、ただ一つだけ残ったF-22Aの左脚部を切り飛ばした。

 

それが、見た目には地味で―――だからこそ実力差が分かりやすい、不知火とF-22Aの一騎打ちの決着を告げる一撃となった。

 

そうして武はキースのF-22Aを抱えて地面に下ろすと、三本目の指を立てながらアウトだと呟き、安堵の息を吐いた。

 

「ようやく――――終わったな。何とか、だけど最善に近い形で」

 

周辺の戦闘も集結した、これ以上何かが起きるのは有り得ないと言い、その言葉を聞いていた者達が深く頷きを返した。

 

改めて先程の謁見の終わりを告げようとした所で、その情報はもたらされた。

 

青を通り越し、土気色を越えて今にも心臓が止まりそうな顔色をした男は、大声でその場に居る全員に告げた。

 

 

『ほ、報告! H21が、さ、佐渡島から―――』

 

 

『………な』

 

 

絶句した沙霧に、死人のような男は告げた。

 

 

『―――佐渡島ハイヴのBETAの一部が、横浜に向けて侵攻を開始したとのことです!』

 

 

その報告に、沙霧は顔色を無くし。

 

武は絶句しながらもキースの方に視線を向け、呆然と呟いた。

 

 

「ま、さか―――こちらは、全部」

 

 

全て、囮だったのかと。

 

呟いた声は虚しく、宙に浮かんでは消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……目障りな第四計画さえ。いや、横浜基地さえ潰れてしまえば―――あるいは、決起軍による戦力の損耗に加え、佐渡島からの侵攻で帝国軍が大きな痛手を負ってしまえば」

 

「国連は自ずと第五計画の方へ転ぶ、ということですね」

 

「実に狡猾だと思わぬか? あの香月夕呼でさえ、この手は予想はしていなかったであろうな」

 

おびき寄せる方法は、カムチャツカで起きたアクシデントに、悪い方向でのアレンジを加えたものだった。

 

電磁投射砲から溢れ出たBETA由来物質を使えば、BETAをおびき寄せることは可能。帝国軍に入り込んだ工作員による、先の間引き数の改竄も加えれば、相当数のBETAを本州に呼び込む事は可能となる。

 

陰謀を仕掛けたという証拠が残る可能性は、極めて少ない。誘き寄せるために使った物質は、侵攻する道の上に置くだけで良いからだ。後は上陸したBETAが全てを荒らし回ることで、証拠隠滅は成る。

 

その侵攻を防ぐべき戦力は、今回の事件により薄くなっている。決起軍が居たから、と責める声を強くする意味でも、一石二鳥の策だ。

 

 

見事だな、と心の底からおかしそうに笑う。

 

 

楽しくてしょうがないと、二人は笑った。

 

 

―――その腐れきった米国の謀に対する迎撃態勢が見事に整ったことに対して、快活に、獰猛に、攻撃的な笑みを浮かべた。

 

 

「さて―――介六郎。見事に、こちらの危惧した事態が訪れてしまった訳だが」

 

「はっ! しかし偶然が味方したとはいえ……このような迎撃態勢を組めたのは望外であるかと―――崇継様」

 

 

本州は新潟から群馬に繋がる途中に、人の手によって作られた大きな道があった。そこは、上陸したBETAの7割が集結する地点であり。土煙を上げて進撃するその先に、立ち塞がる部隊があった。

 

その中核に鎮座している機体名称を、Type-00Rという。その青のカラーリングがされた武御雷は、別の世界のJFKという空母の近くに出来たハイヴに攻め入った時と同じように、電磁投射砲を横に携えていた。

 

改良を重ねられて、性能が向上し、道を全てカバーできるほどの数を揃えて。

 

それを成した武御雷の衛士は―――臨時合同部隊の指揮官である斑鳩崇継は、片手を上げながら宣告した。

 

 

『それでは、BETA諸君―――ご苦労だが、さようならだ』

 

 

同時、トリガーが引かれて光線のような弾が飛び出したと同時、BETAは消滅した。大半が速度の極まった、破壊力の権化となった質量に砕かれ、引き裂かれていく。

 

迎撃ポイント用として造成されたため、この道は緩やかな下り坂になっている。光線級の攻撃も届かず、一方的な攻撃が可能となっていた。

 

BETAはそこから学習せず、馬鹿の一つ覚えのように侵攻しては砕かれ、その数が加速度的に削られていく。

 

後方に控えていた衛士達はその光景を眺めながら、戦闘態勢を取った。

 

第16大隊が―――真壁介六郎が、風守光が、風守雨音が、陸奥武蔵が、磐田朱莉が、吉倉藍乃が、その他最精鋭の名に恥じぬ猛者たちが。

 

同じく、紅蓮と神野の二大巨頭率いる衛士達が。

 

尾花晴臣と真田晃蔵率いる帝国陸軍の精鋭が、一つの意志を携えて戦意を剥き出しにした。

 

そして電磁投射砲に限界が訪れた直後、崇継は大きな声で告げた。

 

 

『投射砲部隊は後退せよ、こちらは次弾装填までの時間を稼ぐ! 各機、構えよ――――我に続けぃ!』

 

 

その宣告と共に、士気が沸騰し。

 

 

 

――その20分後、本州に上陸したBETAを殲滅したという報告が、損害は極めて軽微だという、補足事項も付け加えられた上で日本中を駆け巡った。

 

 

 

 

 




あとがき1

と、いうことでクーデターの戦闘部分は全て終わりです。
長かったような、短かったような。
……文字数考えれば短くねえなあ、と思ったり。


あとがき2

・仕込みの説明に関しては、次かその次の話ぐらいで書きます。
 何が起きていたのか、武ちゃんが予想していなかった点、とか。

・【悲報】気づけば9日間のリフレッシュ休暇が、残り4日に【眠い】

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