Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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44話 : 迷いの先に

ハイヴ攻略作戦において、突入部隊である戦術機甲部隊が何よりも守らなければならない原則は、二つある。

 

一つは主目的でもある、主縦穴(メイン・シャフト)へ到達する最適のルートを探し当てること。もう一つが、敵群との交戦を可能な限り避けるというものだ。

 

交戦を避ける理由も、二つあった。一つは、戦力比だ。どれだけ地上に誘導してその数を削ろうが、突入部隊の残弾数より残敵の方が多いこと。もう一つが、戦闘の難易度にある。閉所かつ三次元機動もできない場所に犇めくBETAの群れに対し、正面切って戦闘を行う際、衛士に求められる技量はあまりにも高すぎた。

 

一瞬の油断、一撃の被弾が致命傷に繋がってしまう戦術機での戦闘。だというのにBETAは左右から、時には下から、その数が飽和すれば上から、一歩間違えれば後ろからも。ありとあらゆる方向から食いつかんと迫ってくる敵を相手に、無傷で居られるのはほんの一握りの例外だけ。

 

その例外に入っていない涼宮茜は、汗を流しながら必死に戦っていた。全神経を操縦に費やし、強襲前衛という割り振られた役割を果たそうと、慎重に、的確に突撃砲の弾をばら撒いていく。

 

BETAの頭を越えることが難しい狭い通路を選択した結果だった。前の敵は突破できる範囲。退くことも難しい状況では、戦う他に手はなかった。

 

その突破の一角を担っている茜は、周囲に気を配る余裕もなかった。味方に当てるのはもっての他で、無駄弾を使うことも許されず、されど敵の数はあまりにも多く。湧き出てくる弱音を潰しては歯を食いしばり、時には叫び声と共に気合を入れ直して。

 

『涼宮、右だ!』

 

鋭く指摘する声は、後衛に居る伊隅みちるのもの。茜は接敵の警戒を示すそれに対応しようとして、止まった。死角から来る敵の方に向くべきか、先に目の前の敵を撃つべきか、迷ってしまったからだった。時間にして、コンマ0.8秒。1秒にも満たない行動の停滞は、判断の遅れと言うにはあまりにも酷で。

 

―――そして、誰かが何かを指摘するより前に、酷すぎる状況はその牙を向いた。

 

10秒後、前衛の1機の撃墜を発端として部隊の瓦解が始まり、その2分後にA-01のヴァルキリー中隊の視界に、赤い全滅判定のブザーが鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「元気出しなって、茜」

 

「そ、そうだよ茜ちゃん」

 

横浜基地の敷地内、建物の外にある夜道をヴァルキリー中隊所属の新任衛士達は歩いていた。一人は、見るからに落ち込んだ表情をしながら、足取りも鈍く。その少女―――涼宮茜と同じ訓練小隊だった3人は何とか元気付けようと声をかけていた。だが、言葉が届いているのは鼓膜の部分だけで、心までは遠く。落ち込んだ茜の顔が俯角25度を保っているのが、その証拠だった。

 

「……私が悪いんだ。前面だけに集中しちゃった。警戒の声をかけてくれたのに、満足に反応もできなかった」

 

中衛、後衛から前衛にかけられる声というのは基本的に自分達の援護が間に合わない状況での、危機を報せるものだ。最優先で対応しろ、というのはどの部隊でも共通の、前衛を任された衛士が守るべき鉄則だった。

 

今まで反復しての訓練をしたことがない、慣れていないハイヴ内での戦闘だというのは言い訳にすらならない。その事実を再確認した茜は、更に俯きの角度を20度深いものとした。

 

励ましていた3人の中、築地多恵と麻倉篝は茜の様子を見て、何も言えなくなり。柏木晴子は一人、いつになく落ち込んでいる理由を察していた。

 

(憧れていた速瀬中尉の脚を引っ張ったこと。それと、高原の事も……)

 

つい先日、ヴァルキリー中隊と名付けられた12人の中に、かつて207A分隊で同じ地獄を味わった高原萌香は居ない。先の決起軍との戦闘での負傷したからだ。命に別状は無いものの、一歩間違えれば死んでもおかしくないという大怪我を負った萌香は、東北の病院に入院中だった。

 

(……榊達は負傷者無し。どころか、殿下を守り通した上に、あのF-22Aを相手に立ち回ったからね)

 

訓練兵時代は好敵手として認めた相手が立派な成果を出しているのに、片や自分は。それどころか大事な仲間さえ守れなかったという後悔の念が、茜の心を苛んでいるのだろうと、晴子は推測していた。

 

だが、何と声をかければいいのか、晴子には分からなかった。浮かんでくる言葉は色々とあるが、どれもピンと来るものではなく、逆効果になりかねない危険性があった。過酷に苛烈を乗して反吐で塗装したかのような訓練の疲労に、思考回路が鈍らされているということも原因だった。自分だけではなく、多恵や篝、他ならぬ茜もそうなのだろう。そう思っていた晴子だが、このままでは明日の訓練にも支障を来しかねない。

 

されどどうするべきか。そんな悩みを抱えつつ歩いている晴子は、耳に飛び込んできた音を聞いた直後、顔を上げると小さく呟いた。

 

「これ………バスケット、ボールの、音?」

 

「え?」

 

ダン、ダン、というボールが地面に弾む音。2秒の後、ゴン、というリングにボールが弾かれたような音を晴子は聞いていた。確かに、敷地内にバスケットのゴールがあるコートは存在していた。衛士の気分転換に、ということで誂えられたもので、夜にも使用できるように照明も備えている。だが、一体この時勢に誰が。

 

そう思った晴子は、そろそろと音の発生源である方向へと歩き。つられる形で茜達もついていき、間もなくしてその姿を見た。

 

髪の色は変わっているが、その雰囲気は忘れられる筈もない―――かつては同じA分隊に所属していた男性衛士が、フリースローを決めてガッツポーズをしている姿を。

 

「……白銀、中佐?」

 

「へあっ?!」

 

声をかけられた、中佐と呼ばれた人物は驚き、マヌケな声を上げた。恐る恐ると振り返り、やってきた晴子達の方を見る。そこで、なんだという顔をした後、ため息と共に額の汗の拭った。

 

「誰かと思えば……ライバル中隊の衛士達。なんだ、盤外戦術でも仕掛けにきたのか?」

夜襲はいいけど朝駆けは勘弁な、と答える声と表情は場違いに明るく。それを見た晴子は、衝動的に話しかけていた。

 

中佐にお願いがあります、と。その内容を聞いた武は茜の姿を見るなり頷き、ボールを片付けると移動を始めた。

 

目的地はA-01に与えられている専用のブリーフィングルームだった。案内された4人は促されるままに座った。武はその対面に座ると、軽く挨拶をした。

 

「ここなら話が漏れることはないから、安心してくれ……ということで、ごめんなさい」

 

「え……ど、どうして中佐が謝るんですか?」

 

「いや、目的のためとは言え不義理をしただろ? A分隊に潜入とか、何も説明せずに離れたこととか」

 

立場的におおっぴらに謝れなかったから、と武は苦笑をしながら説明をした。それを聞いて見た晴子は、意図を察した。階級と命令という建前を考えると謝る必要はない内容だが、人間として謝罪を示したいのだと。

 

「つまりはこの場では個人的な相談としてオッケー。どんな話題でもどんとこい、ってこと?」

 

「その通り、話が早い。ということで敬語は無し、階級呼びも無しの方向で」

 

軽く告げる武に、茜と篝は混乱し、多恵は武と晴子の二人を交互に見た。晴子は遠慮なく頷き、小さな笑みを零した。

 

「でも……あそこで何やってたの? そっちの―――クサナギ中隊、だったよね。私達と同じで、明日も今日みたいな訓練が……」

 

煮詰めた油を飲まされるような、胃腸の痛い。嘔吐で食道も傷つくであろう訓練が、と言おうとした晴子は、少しだけ挫けそうになったが、気合を入れて質問をした。武は、あるけど、と頷きながら暇つぶしだと答えた。

 

「一時間後にミーティングがあるんだよ。中隊の指揮官を交えて、今日の反省会と明日の指導内容とかの相談だな。で、ちょっと時間が空いたから、気分転換に……どうした、変な顔をして」

 

「え……っと。白銀も、今日の訓練には参加してたんだよね?」

 

「ああ、してたぞ。こっちの中隊の全体の様子を見ながらだから、正真正銘の全力じゃないけど」

 

あっけらかんという武に対し、4人は絶句した。厳しい訓練による肉体的な疲労に加えて全体の観察を行ったということから、精神的な疲労も考えられる。だというのに疲れた様子が全く無いどころか、更に気力を使うであろう会議を控えて暇つぶしに運動をする、という発想が理解できなかったからだ。

 

「……タフだね。何をすればそんな風になれるのかな」

 

「少なくとも世の理不尽さを100回は嘆いてから、かな。あとは根性と気合と運」

 

特に最後が重要だ、と武は真剣に語った。そこで、会話についていけなかった茜は、はっと正気を取り戻すと、晴子に注意をした。

 

内容は、中佐を相手に敬語は、というもっともなもの。晴子はうん、と頷いた後、武の方を見ながら言った。

 

「私は従ったまでだよ。上官の理不尽な命令に、ね?」

 

「その通り。というか相変わらず頭固いな、涼宮は」

 

「……そう、よね」

 

暗い声での、呟き。武はそれを聞いて、晴子の方を見た。てっきり反撃が来ると思ったのに、更に落ち込むのはこれ如何に、と。事情の説明を促す視線を受けた晴子は、待ってましたとばかりに事情を説明した。一通り聞いた武は、頷きながら茜に尋ねた。

 

「耳触りの良いアドバイスか、怒りで顔が真っ赤になるような罵倒。二つあるけど、どっちがいい?」

 

「……へんたい、さん?」

 

「待て、築地。誤解をするな……麻倉も引かないでくれ」

 

「つまりはその場凌ぎの慰めか……速瀬中尉と伊隅大尉が激昂するような鬼の指摘、ってことだよね」

 

話題の方向を修正した晴子の言葉に、武は頷いた。そして武と晴子の視線は目下の中心である茜に注がれていった。茜は自分に向けられた注目を感じ取り、息を呑んだ後に少し迷ったものの、後者の方を選んだ。

 

武は茜の答えに頷き、息を吸った後、早口で告げた。

 

「前衛としては論外、というか場外? 警戒には従うっていう鉄則を破ったら死ぬって、模擬演習で散々学ばされただろ。だってのに同じミスをしたのは、ちょっとフォローできないな。厳しい部隊なら退場を言い渡されてるぞ」

 

舌鋒鋭く、失策を指摘する。茜の呼吸が少しだけ止まった。

 

「警戒の声に対する反応が遅れたのは、目の前の事に集中し過ぎたからだな。集中するのは基本だけど、力の入れどころと配分を間違ったら逆効果だぞ。前ばっか見て猪になる奴は横っ腹を殴られるか、後ろからどつき倒される。つまりは突撃級っぽい動きをして、まんまと横から殴り倒された訳だが」

 

BETAのようだと暗に告げられた茜は、目の前が真っ暗に、光さえも失われたように、呆然と。

 

「前衛が任されている役割は突破だけじゃない。部隊の先鋒という場、それ自体を仕切ってくれってことだ。露払いは突きだけじゃない、薙いで払って切り落とす、それが出来てようやく一人前だ―――ってことを前に速瀬中尉にも伝えた訳だが」

 

立て板に滝の如く説教だが、最後に横からの放水があったような。そんな意外過ぎる角度からの声を聞いた茜は、最初は理解できず、3秒した後に飲み込み、武の顔を見た。フォローするように、晴子が何を言ったのかを尋ねた。武はあー、と一息置いた後、答えた。

 

「猪語で語ればいいのでしょうか。というか猪って知ってますか? あるいはルイタウラ。貴方の事です、って……まあ怒った怒った。今も根に持たれてるな、あの様子だと」

 

「……へっ? っていうか、速瀬中尉が……え?」

 

「つまり、前衛なら誰でも一度は経験するミスってことだ。涼宮が憧れてる速瀬中尉も例外じゃない」

 

「は、速瀬中尉も? あんな、みんなの足を引っ張るような失敗を……」

 

「よし、密告(チク)っとくよ。涼宮がこんな言葉で扱き下ろしてましたー、ってあることないこと」

 

「えっ?! そ、それは、ちょっと待ってよ! 私そんなつもりじゃなくって……それよりも、誰でも経験するって」

 

「本物の天才じゃなかったら、な。俺も例外じゃない」

 

武はその時の怒声と拳骨を思い出しながら、自分の頭を擦った。あれは痛かった、とやや汗を流しながら。

 

「だから、そんなに自分を責めるな。恥じ入る所はそこじゃないし」

 

「……その物言いだと、訓練のミスとは別に直す所があるって聞こえるけど」

 

「あるさ。一言だ、“押し付けんな”―――わざわざ落ち込んでます、って顔すれば自己嫌悪はいくらか晴れるかもしれないけどな。それで仲間に心配をかけるのは、また違う話だろ。それと、速瀬中尉も無敵じゃないし、失敗する事もあるんだよ」

 

実戦経験も少ないのに、ハイヴ攻略の最前線での前衛を任せられたことに対しては、同情できる点もある。だが、そこで甘える方向に逃げたら後は無い。武は厳しい口調で、そう告げた。

 

―――かつての並行世界でまりもを死なせてしまった後、ヴァルキリーズの先任に謝って回ろうとした時、他ならぬ速瀬中尉に怒られた事を思い出しながら。

 

「数は力だ。そこは、BETAだの人間だの関係ない。でも、俺達は人間だ。互いに助け合って初めてBETAのような群じゃない、集団でもない、精強な“軍”になる」

 

「……だから押し付ける、甘えるのはもってのほかで………甘えて寄りかかるだけじゃ駄目ってこと? 一人で立てる、助けられる事が証明できて初めて、連携の力が活きてくる……作戦を任せられる、部隊になる……」

 

茜の呟きに、武は頷いた。速攻で分かる当たり薄々分かってたんだろうな、と茜の優秀さに対しての苦笑を隠しながら。

 

事実、茜がミスをしたのは訓練の最後のみ。それまでは集中できていたのだ。一日目だが、武達の中隊よりも評価が上だったことがその証拠でもある。

 

茜はようやく見るべき点を再認識した途端に、その様子を自覚なく変えていった。指摘の内容を元に視点を変えて自分を見直したからだった。やや青白い顔が次第に赤くなっていった。主な原因は、羞恥と怒りだった。

 

甘えていた姿を自覚し、恥ずかしさのあまり顔に血が昇り。それだけではない、茜はミスをした自分の不甲斐なさに、憧れの人だけではない、隊全体を巻き込んだ無様な自分に怒りを覚えていた。

 

武はその様子を見るなり―――内心の自己嫌悪を押し殺しながら―――告げた。

 

「まあ、任官したてで厳しい事を要求してるけどな……それでも、頼む」

 

「うん……でも、この隊が頑張らなきゃいけないだけの理由があるのは、分かってるから」

 

世界を救うために、戦う。衛士なら誰もがどこかで持っている思いだが、実際に自分達次第で世界の行く末が左右されるというのは、光栄であり重荷にもなる。うっすらと感づいていた茜だが、それを再認識すると同時に、別のことにも気がついた。任せられると期待されているからこそ、重く重要な荷物が預けられているのだと。

 

(信頼されているからこそ。でも、だからって甘えていられない。今の私が期待に相応しい人間かどうか、って言うと―――)

 

茜は首を横に振った。少なくとも今は、と。それでも、今の自分を理解してからの茜の判断は早かった。既に助言は頭の中に、やるべき事は胸の中。ならば次に優先すべきは何か。1秒の後、茜は立ち上がり、武に向けて敬礼をした。

 

「ありがとうございます―――では、明日のために私達はここで」

 

「……ちなみに、どういった根拠でその判断を?」

 

「はい。やる気があろうとも、身体がついてこなければ意味はありません。体力を急速に上げる方法は存在しない。ならば少しでも効率良く休み、明日の訓練に備える他に方法はないと考えました」

 

「80点。残りの20点は、仲間への説明不足だな」

 

「え? ……あっ! み、みんな、ごめん!」

 

茜は顔を赤くして、自分の不覚を恥じた。士気が高揚したあまり、勢いだけで行動してしまい、心配してくれていた仲間に対しての説明を怠っていたことを自覚したからだった。だが、そのあまりの慌てように、篝と晴子は普段見られない可愛い姿を見られたから問題ないと笑い。多恵は鼻を押さえながら「ギャップが……」と茜に負けず劣らず興奮していた。

 

「……と、ともあれ!」

 

武は震え声で場を区切り、多恵を視界から外しながら告げた。

 

「涼宮の判断は正解だ。兵士は休むのも仕事の内、って言うからな」

 

「……そのわりには、この大事な時期にフリースロー大会を開催していた人が居たようだけど」

 

「気分転換をするには良かったんだろ」

 

武は胸を張りながらドヤ顔をした。茜はジト目になるもため息をついた。

 

「それでは、私達は退室させて頂きます」

 

「敬語は無しで、って言ったんだけどな」

 

「はい、いいえ―――せめて足元まで追いつけてから、そうします」

 

茜は不敵な笑みで告げた。すぐに追いつくから待ってろよ、という意味が含められたものだった。それを見た多恵と篝は、いつもの茜に戻ったことに安堵し、同じように立ち上がった。

 

「わ、私たちも……!」

 

「A-01の一員だと言われても、恥じ入る事がなくなるように精進します!」

 

「目指せ頂点、追いつけ追い越せの精神で頑張ります」

 

多恵、篝、晴子が敬礼と共に告げた。負けませんから、と。武は応と答えながら、敬礼を返した。

 

「あ、でも私は少し白銀中佐に聞きたいことがあるから」

 

「……うん、分かった。私は休むね……ありがとう、晴子」

 

「お礼は必要ないよ。私達はチームだからね」

 

晴子は茜の笑顔に微笑で応えた。それでも、と礼を告げた茜につれられ、多恵と篝も部屋を去っていった。残された晴子は軽い息を吐いた後に座り、武に向き直った。

 

「……柏木は休まなくて良いのか? 後衛って言っても今日の訓練は特盛りだっただろ。辛く無い筈がないけど」

 

「二回吐いたよ。でも、ちょうど良い機会だし……さっき白銀君が見せた顔が気になって」

 

晴子は見逃さなかった。茜達が敬礼をした時に、武が一瞬だけ複雑そうな表情を浮かべた所を。それを正直に告げると、武は少し硬直した後、ため息をついた。

 

「まーた先生と樹に怒られるな。で、俺が情けない顔してた理由でも聞きたいのか?」

 

「それも一つだね。でも、気になった点でもあるから」

 

悩んでいた部下を元気づけることに成功したのに、どうして。尋ねられた武は、頭をかきながら答えた。

 

「俺がやった事は……やってる事は、扇動者のそれに近い。前に進む事を促したって言っても、その先にあるのは煉獄か地獄か……崖の縁で迷っている所を、背中から蹴り飛ばしたようなもんだからな」

 

必要だったの一言で割り切れるか、どうか。偉そうな口調も慣れないしな、と武はため息をついた。

 

「でも、それも最後だ。あとは頼れる指揮官様に任せる―――ようやく、本分に戻る事ができる」

 

「……衛士の本分、ってこと?」

 

「あとは突撃前衛としての、だな。人類の先頭でBETAのクソッタレどもを切り払い、道を開いて後続に示す」

 

政治、指揮に気を割かずに前へ、BETAへの殺意で頭を満たす。連携は当然に行おう、隊として動くことは忘れず、ただ軸足はBETAを殲滅する、そのためだけに。何時以来だろうか、と武は考えようとした所で、止めた。過去よりも先を、と思ったからだった。

 

「……そのために利用した、って言いたいんなら否定させてもらうよ。茜もそうだけど、私達は私達の意志で戦おうって決めたから」

 

「分かってる。そこは疑ってないけど、どうしてもな」

 

「引っ掛けた女性が多いから、って?」

 

晴子は新しく参加した人員の女性比率を例に出した。武はいきなりの指摘に咳き込みつつ、人聞きが悪いだろ、と心外な表情で答えた。

 

「柏木と同じ、好きで集まった面々だ。真っ当に自国で頑張れば、相応の地位に立てる程の精鋭だ、って、のに………」

 

武は言い淀んだ。ユーリンもそうだが、タリサと亦菲が自国で出世して大隊を任せられる未来像が想像できなかったからだ。具体的には、感情的に動いた結果、上官だろうか何だろうか関係無しにぶっ飛ばしそうな二人の性格が原因だった。

 

「こほん。ともかく、そういう事だ」

 

「え、どういう事?」

 

「相応の用意はしてきたって事だ。この星の未来のために」

 

迷いなく言い切る武に、晴子は絶句した。気負いなく、当たり前のように地球規模での宣言が成されたからだ。これから人類の反撃が始まり、BETAを窮地に追い込む。その姿が思わず想像できた晴子は、装うことなく尋ねた。

 

「日本も平和になる、かな………2年後には、徴兵されることも無くなって、さ」

 

「それは厳しいな。流石にユーラシアにあるハイヴを全部潰すには、少なくとも5年ぐらいは要るだろうし」

 

事実を語るような声。だが晴子は、2年後という時間を否定された事に、内心を曇らせていた。表向きは笑顔で誤魔化したが。それを見た武は、晴子から視線を逸しながら気まずそうに言い訳をした。

 

「火星に比べて、月は近い。あいつらを一掃するまでは、ある程度の軍備は必要になる。だから、健康で有望な少年は軍に入ることを望まれる……本人が希望すれば、余計にな」

 

「……やっぱり、私達のことも色々と調査済みなんだ」

 

弟の太一の事を言及されている。晴子は即座に気づいた。覚悟していた事だったからだ。だが、自分以上に申し訳がなさそうにしている武を見た途端、嫌味を言うつもりだった気持ちは萎んでいた。

 

だからだろう。諦観ではなく、希望が含められた明るい声で、晴子は語った。

 

「お国のために、って肩肘張ってね。そういうのが、私は苦手だった。入っても、同調して頑張れるかどうか疑問だったんだ」

 

「……だから、国連軍に入った?」

 

今でも日本人が国連軍に対して抱くイメージは、米国に属する者としてのものが強い。横浜ごと家を潰されている者達からすれば、更にその嫌悪は倍増する。だけど、と晴子は言った。

 

「私は色々と考えちゃうんだよね。BETAが日本にやってくる前、帝国軍は精強だって信じてた。でも、結果を見れば大敗だった……私達の家も、G弾に巻き込まれて」

 

勝利を約束すると、大々的に発表していた。だが、現状を鑑みれば一目瞭然だ。帝国軍は、信じていた程に強くはなかった。

 

「裏切られた、とは違う。でも、なんだろうな………太一を帝国軍に入らせたくなかったんだろうね」

 

お国のために、と人は言う。だが、強いられるのは挺身だ。時には死を命じられることも、あるかもしれない。

 

「立派じゃなくてもいい。後方に居て、周囲から冷たい目を向けられてもいいから、生きていて欲しい……そんな事を考えてた。だから、後方で安全っぽい国連軍に入ったのか、って言われれば否定はできないんだよね。それに……冷めた目で帝国軍を見て、さ。戦いたくないから逃げた、っていう気持ちもあったんだ。巻き込まれたくない、っていうかさ……」

 

晴子は自分の心境を偽らず話していた。話せば軽蔑されかねない内容でも、ここで黙っている方が良くないことだと感じていたからだ。

 

それでも、話した後は内心で怯えていた。臆病者だ、非国民だと罵られても文句は言えない動機だったからだ。そうして、訪れた沈黙は数秒。その後に、武は淡々と告げた。

 

「―――立派な理由だろ。柏木には、生き残る才能があるな」

 

「……………え?」

 

聞き違いか、と晴子が視線を向ける。武は、笑いながら冗談じゃないと答えた。

 

「生き残りたいから、家族を死なせたくないから。立派な理由だ。誰が何と言おうと、関係ない。そう思ったから、ここに来た。逃げるのも選択の内だからな………でも、大切なのは今なんだよ。柏木は帝国軍以上の訓練を課せられても逃げ出さずに、仲間を心配してくれてる」

 

どこにケチをつける所があるのか、と武は不思議な顔をした。

 

「辛い訓練があった。胃が痛くなるような、重大な任務があることを告げられた。その上で逃げずに戦っている―――どころか、仲間を心配して、フォローする所までしてくれる。頼もしい限りだよ、ホントに」

 

「……でも、私はいざという時には見捨てるよ? 作戦のためなら、誰であろうと切り捨てる。私も、そうして欲しい。重荷にはなりたくないし……それが当然だと思うから」

 

俯瞰的な視点で、茜の落ち込みに同情せずに、気を取り戻させる事ばかりを考えてた。薄情な私は、と晴子が反論しようとした所に、武が言葉を差し挟んだ。

 

「柏木は、良い奴だな」

 

「………は?」

 

「本当に見捨てよう、って奴はな。わざわざ前もって宣告なんてしてくれないんだよ」

 

「で、でも……嘘を言ってるかもしれないし、裏切るかもしれないのに」

 

「なら、一歩早いな。裏切る宣告の最速は、背中を刺した後だぞ」

 

笑顔で告げる武に、晴子は絶句した。だが、ふと思いついたまま、自分の知識の中にある一文を諳んじた。

 

「夏目漱石の、こゝろかな」

 

曰くに、平生は皆善人であること。だけどそれがいざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいこと。だから誰であっても油断が出来ないんだという、人の根を表しているかのような言葉だった。武は初めて聞いたけど痛い程に分かる言葉だな、と悩みながらも、経験則から来る自分の考えを答えた。

 

「それでも、いざって時に裏切らない奴は居る。それに、最初から裏切るつもりがない奴なら、余計な口は聞かないって。その点を考えても、柏木は信頼できる奴だってことだな」

 

「……白銀は、裏切られたことがあるの?」

 

「良い意味でも、悪い意味でもな………比率は聞かないでくれると助かるけど」

 

良い意味では、頼もしい大人が多かったこと。悪い意味では、多すぎた。その中の一つに、入院した隊員の見舞いに行けないことが関連する。巻き添えにするのも、白い廊下や壁が血に染まる光景を、武はもう二度と見たくはなかった。

 

晴子は武の口調から察し、それでも確認したい事を尋ねた。

 

「聞けない、けど………えっと、そ、その、古巣のクラッカー中隊とか」

 

「チンピラの横の連帯意識は、妙に強いからな!」

 

ラーマ隊長とターラー教官は除く、とは説明せずに。晴子は疑問符で頭をいっぱいにしながらも、

 

「それなら……第16大隊とかは?」

 

「あー……成る程」

 

どうして、今ここに。斯衛とかの関係はこれから、という所だろうか。推測した武は、事実だけを述べた。

 

「裏切りとかは全く無かったし、揉めた訳でもない。あそこには曲者とか変人が多いけど、裏切ろうって奴は居なかったな。どちらかというと真正面から蹴落してやるぜ、って気合入った奴らばっかりだった。あ、俺はあそこから追い出された訳じゃないからな。崇継様とは、きっちり話もつけてるし」

 

いきなりの説明に、極めつけは斑鳩の当主まで。晴子は眼を丸くしながら、答えた。

 

「白銀は、びっくり箱だね……本当に、心臓に悪いっていうか」

 

「あ、崇継様にも言われたな、それ」

 

武はそんなにおかしいかな、と腕を組んで真剣に考え始めた。その姿を見た晴子は、きょとんとした後に笑った。耐えきれないというように、笑い出して。次第に、涙さえ溢れて、零れた。

 

武はいきなり泣き始めた晴子を見ると、慌てて心配し始めた。何か拙いこと言っちまったか、とあわあわと狼狽え、その姿が晴子の笑いを加速させた。

 

しばらくして落ち着いた後、晴子は深い息を吐いた後、語りかけるように言った。ありがとう、と。

 

「何だろうな……何がどういう、って訳でもないけど、色々とスッキリしたよ」

 

「それは良かった……いや、マジでな? だから、純夏とかに言うのは勘弁して欲しいっていうか」

 

「分かってるよ。あ、でも速瀬中尉とかにも……ねえ? 上官命令には逆らえないっていうか」

 

「よーし、分かった。何が欲しいんだ。金か?」

 

必死な顔で冗談を飛ばす武に、晴子は笑顔で答えた。

 

「―――未来が欲しい、かな。太一達が戦場に立つことは避けられそうにないけど………せめて、死んで当然なんて過酷な状況に追いやられないように」

 

先達として、出来る限りを。私も協力するから、という晴子の言葉に、武は当然のように答えた。

 

「そのための甲21号作戦―――は前座だな。ともあれ、取引の信用は成果があってこそだ」

 

具体的には再来週、訓練を乗り越えた先に必ず見せてやる、と自慢げに。それでいて悪戯な少年の顔で、だけれども獰猛な獣のように見えて、されども誰より強い決意を秘めた歴戦の戦士のような。両立しそうにない顔を現実として浮かべた武の表情を見た晴子は、自覚なく頬を少しだけ赤くしながらも、尋ねた。

 

「世界を騒がせる秘策。その用意の一つは、あの不知火・弐型だよね」

 

このタイミングで、国連軍の、それも武が居る部隊に。意図的なものを感じざるを得なく、影響力を考えると間違いはないだろう。晴子の推測に対し、武は大きく頷きを返した。

 

「その通りだ。まだ慣らし運転の段階で、機体が持つ性能は100%発揮できている訳じゃないけど―――」

 

本格的に乗り始めたのは、昨日から。武は飛ばされた世界でも、弐型に乗ったことがある。その武がまだ発揮できていないというのには、理由があった。

 

想像以上なのだ―――ミラの手が入った弐型の性能は、上方向に修正していたものを更に上回っていた。

 

だが、と武には確信できるものがあった。この機体を使いこなせれば、電磁投射砲に匹敵する切り札にも成り得ると。

 

今のユウヤでさえ。並行世界の記憶が無意識的にでも馴染んできたのか、更に鋭くなった操縦技量を持ってしても余すぐらいの幅の広さには、無限の可能性が感じられるようだとも思える程で。

 

「まあとにかく、だ。十全に使いこなせた時の性能は、きっと不知火の比じゃないってこと。だって不知火・壱型丙とか見ても、へっぽこぴーのぷーのゲロゲロって笑えるぐらいだぜ?」

 

「ご、ごめん、想像つかない。ていうか、仮にも世界最新鋭の一角でもある第三世代機の不知火をへっぽこのぴーって……」

 

「それだけの成果はあった、って事だ。こればかりは乗って見なきゃ実感できないな……ともあれ、明日以降のクサナギ中隊には、乞うご期待だ」

 

自分の中隊につけられた草薙の名前は伊達ではないと、武は告げた。

 

日本神話でスサノオが八岐の大蛇を倒して手にした、三種に数えられる神器の別名。スサノオをXG-70に、八岐の大蛇を米国に例えると、皮肉が効いているでしょう、という夕呼の言葉に誰も異論を唱える者が居なかった結果、決まった中隊の名前だ。八咫の“鏡”を守るもの、八尺瓊勾“玉”も中隊に別の意味で二人居ることから、反論は出なかった。

 

だが、武は草薙という名前より、天叢雲の剣という名前に含まれた文字から、その隊が良いと思っていた。

 

そんな自慢げな顔をした武を見た晴子は、「やっぱり男の子って」と呟きながらも、おかしそうに口元を押さえながら鈴のような笑い声を零していた。

 

 

 

 


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