Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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大変長らくお待たせしました。


49話 : Stack and stacking

新潟県の上空、横浜への帰路を飛んでいる不知火の中で、神宮司まりもは深い溜息をついた。そこには7割の安堵と、3割の呆れが含まれていた。

 

「……聞いたわね、夕呼。クサナギ中隊は全機生還、これより横浜に帰投するとのことよ」

 

「ええ……まあ、心配しちゃいなかったけど」

 

強化服を着込んだ上で4点式ハーネスで固定されている夕呼も、まりもと同様に知らされた内容に心底呆れていた。突入から攻略地上への脱出まで、いくらなんでも速すぎるでしょ、と。

 

まりもはそれだけではなく、夕呼の言葉の端に、過去の彼女には見られなかったものを感じ取っていた。軽いような、重いような、それでいて柔らかいものを。どうしてか、少し妬けるような。まりもは自分でも分からない不可思議な感覚を持ちながらも、先のことを話した。

 

「何にせよ、良かったわ。これからが大変なのに、甲21号さえ落とせなかったのなら………」

 

「その時は、坂を転がりながらも博打に出るしかなかったわね……これでようやく勝負になるわ」

 

いずれにせよ破滅が終着点になる事態よりは、かなりマシね。夕呼は、少し笑いながら言った。

 

「運が良かったわ。クサナギ中隊が地上に出てきた時間を考えると突入部隊とのトラブルも起きなかったみたいだし」

 

「トラブル、って……軌道降下兵団と、クサナギ中隊が? まさか、同じ突入部隊でしょう。いくらなんでも考え過ぎたと思うけれど」

 

「常識で考えれば、ね。ただ、ここ1年で身に沁みたのよ……この時勢、あり得ないことなんてない。可能性さえあれば何でも起きるんだって」

 

そして、最大の敵はBETAではない、味方の筈の人間だった。その経験から、夕呼は敵対する材料がある相手を甘くみてはいけない事を改めて学んでいた。降下兵団で言えば、過去実績が少ないということ。今の戦略は横浜基地防衛に主軸が移っているが、ハイヴ陥落というのは大きな実績となる。多大な費用と人材が必要となる降下兵団が、通信の通じないハイヴ内で暴挙に出ない可能性は、無いとは言い切れなかった。

 

そういう意味では、幸運だった。降下兵団の指揮官に常識と良識が残っていたことは。

 

「……殺伐とした過去ではない、先のことを話しましょう。白銀は好機だと言っていたけど、この事態はそう甘いものでもないと思うのだけれど」

 

「そうね………兵士の士気が高まったとして、圧倒的に不利な状況だということには変わりないわ」

 

夕呼は過去に何度か、横浜侵攻の状況シミュレーションを行ったことがあった。佐渡のハイヴが健在の状態では、いつなにがあってもおかしくは無かったからだ。その結果分かったのは、万全の状態であっても10万を越えるBETAの侵攻を止めるのは難しいということだった。

 

「今は、帝国軍の戦力の半分が佐渡島に……そして刻限は24時間あるかどうか、ね」

 

複雑な装備を多数用いる近代戦は、その準備にも時間がかかる。戦力を右から左へ気軽に動かす、ということは難しい。そのあたりを深く知っている二人は、見通しの暗さに目眩を覚えていた。

 

切り札の一つでもある電磁投射砲だけでは、到底届かない。最低限戦える条件として、一日未満で大規模なBETA群を迎え撃てる陣容を用意しなければならなかった。それも、急拵えの防衛線では意味がない。

 

まりもは、大陸での戦闘を思い出していた。夕呼は日本での防衛戦を、敗北を忘れていなかった。今の帝国の全力を、死力を一つの旗の元に一致させなければ勝負にもならない。今まで繰り返されてきた通り、帝国軍は民諸共に数の暴力で蹂躙されてしまうだろう。

 

 

「これで何度目かになるかは分からないけど、この星の生き死にを決める正念場ね―――こればっかりは、今まで積み重ねてきたものを信じるしかないわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帝都の中枢、今の帝国の政治を司る者達は一堂に会していた。一部の例外を除く全員が顔色を悪くしながら、推移していく状況を頭に叩き込み、その度に眉間の皺を深くしていった。その例外の中でも最たる者は、中央の席に座る建物の中で間違いなく最年少である、つい最近に18歳になった女性は、静かに閉じていた目を開けて、状況の再確認を始めた。

 

「―――帝都民の避難状況はどうなっていますか」

 

「先程、帝都全域に避難警報の発令を。交通機関を総動員して東北方面の避難所への移動を補助しております」

 

日が暮れる前に出された発令は、帝都民のほぼ全てに行き渡った。これが深夜であれば聞き逃す者が出たり、暗所での活動として、準備にも手間取っていたことが予想されたことから、早期のBETA襲来の判明は不幸中の幸いだと、誰かが渋い声ながらも希望を見出していた。

 

「機関員には、そのまま避難の誘導と呼びかけを徹底させるように。このような時こそ、我々の存在意義が試されます」

 

「はっ!」

 

全都民の避難を完了させるのはほぼ不可能だが、それを言い訳にして良い状況ではない。言葉の裏にこめられた悠陽の意図を察した者達が、静かに、それでも深く同意を示した。

同時に、その声の強さから悠陽が示す意志を悟っていた。次に陽が落ち、昇る頃には戦域になっているであろう帝都から逃れるつもりはないことを。

 

その決意を動かすことは、非常に困難だろう。経験を重ねてきた年配の高官は、悠陽の顔を見て説得することを諦めた。だが、まだ熟年の域に達していない、クーデターにより急遽この場に立つことになった30半ばの高官としては新人に近い男は、悠陽を案じる言葉を吐いた。

 

「し、失礼ながら―――よ、拠り所であるからこそ、失われてはならない。ここで殿下を失えば、それこそ取り返しのつかない事になると、自分は愚考する次第であります」

 

「陛下より政を任じられている身において、過てば崩壊に繋がる賭けに出ることは許されない―――そうおっしゃりたいのですね?」

 

率直かつ端的に答えた悠陽に、若い高官は慌てたように頷いた。責めるでもなく、嘲笑うでもなく、ただ綺麗な微笑を前に、そうする以外の行動を取ることができなかった。

 

年配の高官は、差し出がましい口を叩いた若人を責めるより前に、悠陽からの返答があったことで口を出せなくなっていた。内心で、同じ考えを抱いていた、というのも理由にあった。その他の者達も同様だった。

 

そうして、場の視線と注意が集中する中で、悠陽は宣告した。

 

「なればこそ、私は残るのです。ここで帝都から逃げることが、即ち帝国の崩壊に繋がる道に他なりません」

 

「な……ですが、此度の防衛線の戦況は! それに、逃げるのではなく、御身を危険に晒すことこそを避けるべきと―――」

 

「事実は問題ではありません。逃げた、と思われる可能性が出来た時点で、この防衛戦の趨勢は決定します」

 

悠陽はクーデターから新潟におけるBETAの迎撃、甲21号作戦に至るまでの背景。そして、台風とともに上陸したBETAに国土を侵されてきた過去を踏まえた上で、断言した。ここが分水嶺であることを。

 

民はずっと耐えていたのだ。生活は一変し、米国に虚仮にされ、身内さえ失い続けた。不満が重なり、それを解消してくれない政府に不信を抱くようになった。一転、年若い国を思う者達の暴走から、相応しい指導者があるべき場所に戻った。

 

悠陽はその光と影を正確に認識していた。自惚れではない、冷静にこの国の民を、それを守ろうと立っている兵士の心をずっと想ってきた。

 

その上で、判断したのだ。ここで、拠り所を―――足場を失えば、間違いなく帝国は崩壊すると。その先にあるのは、泥沼の闘争だ。逃げた政威大将軍から権威は無くなり、日本という船はその頭を失う。待っているのは彷徨った果てでの沈没か、座礁か。どちらにせよ、民の大半は死に絶えることになるだろう。間もなくして、日本という国は世界から忘れ去られることになる。

 

「―――兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず」

 

孫子の教え通り、避け得ぬ戦いであれば、全身全霊を以て決戦で終わらせるべきだと、悠陽は告げた。

 

「長じれば、疲弊の極みにある国体は………(わたくし)は、それこそ恐ろしい―――恐ろしいが故に、生命惜しさに逃げてはならないのです。それが、人の上に立つ者の責務なのですから」

 

自身の命の有無よりも先に、この国のより良きを優先するのが当然のこと。そう告げられた年若い高官は、自分が何を疑ったのかを察し、顔色を青くした。そのまま自殺するのではないかというほど悲痛な顔になった所で、悠陽から声がかけられた。

 

「わかっておりますよ、石動殿」

 

苦悶の表情を浮かべた年若い高官に、石動薫に対して、悠陽は柔らかく微笑んだ。

 

「この身を案じてくれたことに、感謝を。その勇敢さには、敬意を覚えます」

 

「え………あ、いや、こっ、こちらこそ!」

 

石動薫は顔を真っ赤にしながら立ち上がると、慣れない仕草で敬礼を示した。直後に、軍人でもないのにと慌てるが、悠陽はそれをするりと受け入れ、続けて示された謝罪にも頷きを返した。

 

一部始終を見ていた他の者達は、唖然としていた。悠陽に呑まれていたのだ。決然と告げた悠陽の言葉を、武家の棟梁でもある悠陽が見せた死生観を。この状況において先の先まで見据えた上で、論理的に帝都に留まることの重要さを問いた姿勢を。

 

そして硬い印象だけではなかった。判断に私情は含まれていないが、どこか人間くさい。極めつけは、その器の大きさと見るものの目を奪う綺麗な部分を持ち合わせている所だった。傍の立場であっても、笑いかけられれば緊張と同時にどこか喜ばしいものが感じられるほどの。

 

(……それだけではない、この組み上げられた空気よ)

 

高官の中でも、1、2を争うほどに目端が利く人物は、舌を巻いていた。石動の暴走を利用したのかどうか不明だが、この場において避難と逃亡は同義として結び付けられるものとなったことを察していたからだ。事実がどうであれ、他の者達の目からみれば、“そう”取られてしまうことになる。決起があった直後のこの時勢において、そのような意見を出す者がどう思われるか。覚悟に遅れている者達の意見は―――保身を本心とする者達であればよほどの事―――避難などと、言い出せない状況になっていた。

 

天然のものか、あるいは。年深い高官は考えながらも、真に見るべき所はそこではないと苦笑した。例え騙されていたとしてそれでも良いと思わせられる、煌武院悠陽としての存在力こそが恐ろしいのだと。それを喜ばしいと思わせられる、器の大きさとその美しさこそが厄介なものだと看破していた。

 

(巌谷の小僧が、大言を吐くだけの事はある………高位は高徳を要す、魑魅魍魎が跋扈する政治の世界において、その理想を曲げずに示してくれるお方が現れるとは)

 

男は、苦笑した。政治屋だけにはなるまいと不正を嫌い、青い内に出世の道が閉ざされた後で、様々な裏を想うやり方を覚えるも、実にならなくなって幾十年。その最後に恥を晒す場に巡り会えたこの今を想い、人の世の流れの怪奇さを痛感したからだった。

 

(―――ここで、死ぬ価値はある。それを笑って思えるような日が訪れるとは、思わなかったが)

 

だが、そう思えてしまったからにはもう逃げ場はない。密かに死に場所を決めた男は、悠陽の意見に賛同しつつ、その意見を裏付けるべく動いていった。

 

その、20分後。帝都に残り防衛する意見に傾いた場に、タイミング良く届いた報せが―――甲21号陥落と突入部隊の全機生還の報が届けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「所属を問わず、帝国の全戦力をもって帝都の防衛を、か。本土防衛軍もそうだろうけど、これこそが斯衛の本懐だねぇ」

 

「まだ決まった訳じゃないわよ? 今の所、BETAの狙いは不明だから………でも横浜狙いなら、颯太くんの言葉が数年越しの予言になってしまうわね」

 

「ああ、いざ鎌倉ってやつ? ……穂乃果さんって記憶力良いなぁ」

 

しつこいとも言う。水無瀬颯太は内心だけで呟いたが、意を察した華山院穂乃果はあらあらと笑いながら眼光を鋭くした。その横で、二人のやり取りよりも飛び込んできた情報に息を呑んだ二人は―――篁唯依と山城上総は、恐る恐ると尋ねた。

 

「規模は10万を下らない、と聞きましたが……一斉に、地中から?」

 

「らしいな。詳しい情報は1時間後に来るが……母艦級が、少なくとも10体以上」

 

颯太は地面を指差し、告げた。既に本州を、群馬を越えた位置にいるらしいという情報のままに。

 

「かなり厳しいが、まだ対処は可能だ。帝都内部か、横浜基地の只中に出られたら、それこそどうしようもなかったが」

 

運用は数あれど、前面に火力を集中するのが基本的な戦術だ。だというのに、味方が四方に居る基地の中央で暴れられれば、火線が重なってしまう恐れがあった。そして、勝利条件も敵を押し出すのではなく、殲滅というより難度が高いものになってしまう。ただでさえ数が多い相手に、そうした戦術上の不利は致命的になりかねなかった。例え生き残れたとしても、歩兵、後方の人員の被害も防衛戦の比ではなくなってしまう。

 

「……差し向かいで戦えば、勝てる。そう確信されているように見受けられますが」

 

「ええ、その通り……山城中尉でしたか? その見立ては間違っていませんわ。もっとも、少し語弊がありますけれど」

 

穂乃果は、告げた。勝率と覚悟の程は比例しないと、笑いながら。

 

「私達は、ただこの身の全霊を賭して勝ちに行くだけ。宗達様の望まれるままに、斯衛の本懐を遂げるがために―――武家の存在を二度と疑わせないために」

 

「……京都を守れなかったからこそ、ですか」

 

上総の呟きに、穂乃果はよくできました、と小さく笑った。隣に居た唯依が、その言葉から二人の姿勢の裏にあるものを察していた。

 

武家の者として、斯衛の衛士として、魂を絞り尽くすほど、言い訳の粉末さえ無くなるような全力で戦うことこそが肝要なのだと。

 

「いえ―――生死は時の運。何よりもそう信じて戦う姿勢こそが重要、なのですね」

 

この道は間違っていないと、全力で走ることこそが。そう思えた時に、熱すぎることなく、怯えた状態でもない、最善の精神状態を保つ秘訣なのかもしれない。そう呟いた唯依に、颯太は意外そうな表情を向けた。

 

「鋭いねぇ。なんだ、その年にしちゃ覚悟決まってるじゃん」

 

颯太の笑いに、唯依が少しむっとした顔を見せた。素直な反応に、穂乃果が颯太を叱りながら、優しく告げた。

 

「颯太くんが素直じゃないのは、病気のようなものだから許してあげてね?」

 

「穂乃果さん……酷いな、相変わらず」

 

「若い子をからかって遊ぶのが趣味な颯太くん程じゃないわ」

 

「………そうだな」

 

「ちょっと待ちなさい。何を思い浮かべたのか、聞いていいかしら?」

 

「無駄に鋭い所も苦手だっての……で、話を戻すけど」

 

颯太は、唯依に視線を向けた。今度は、防衛戦で崇宰の主戦力を指揮する一人として―――篁家当主に対して、告げた。

 

「御堂のフォローを頼むぜ。あいつ、熱くなると注意力が散漫になる悪癖があるからな」

 

「……それが、私達を呼び止めた理由ですか」

 

「分かっていそうだけど、念の為な。俺らが直接言うと、な」

 

「ええ……少し所ではなく、大事になりそうだから」

 

赤の武家としての面子があるからな、と颯太が困った表情になった。

 

「とはいえ、今はそうしてもいられん。後で悔やんでも仕方がないからな」

 

遊びが消えた声に、唯依と上総はやっぱりか、と拳を握りしめた。それほどまでに今回の防衛戦は厳しいのだと痛感したからだった。このやり取りも、周囲の目が厳しい平時であれば厄介事に繋がりかねない。少し混乱している今であっても、一歩間違えればどうなることか。

 

それを踏まえた上で、告げておかなければならない。唯依は颯太達の意図を深く受け止めると、頷きを返した。

 

「……ご忠告、ありがたく。ただ、どうして私に?」

 

山吹という格下であれど、他の五摂家を主家に持つ者として侮辱と取られる可能性もあった筈だ。その上で唯依は颯太達が自分を訪ねてきた意図を問いかけた。

 

颯太は、あーと一拍置いた後、斑鳩公からの助言だと、言い難そうに答えた。

 

「介六郎の奴は胃を痛くしてたがな……まあ、その胃痛の原因のあれだよ、あれ」

 

「えっと、アレって………もしかして、あの人ですか?」

 

「………何となく分かりあえている所が分からないわ」

 

穂乃果は困ったように笑った。上総は遅れて察すると、それだけで少し納得してしまった自分を恥じた。唯依は斑鳩崇継の名前を聞いて、一連のことでアレというか彼というかの人物に関して色々と聞かれた事を思い出し、顔を赤くした。

 

「うわ、素直な反応………乙女だねぇ」

 

「颯太くんも、これぐらい素直になれればね」

 

「……それを言うなっての」

 

颯太は一転して面白くない顔になると、話を切り上げた。

 

「まあ、言うだけは言った。五摂家の一角として、頼むぜ」

 

「え、ええ―――そちらこそ、頼みます」

 

「ふふ、言われずとも」

 

斯衛の名に恥じることのないよう、防衛線の一角を支えてくれ、と。言葉にすることなく申し合わせた者達は、それぞれの場所に戻るべく背中を向けて歩き始めた。

 

その中で関東防衛戦という戦略に明るい穂乃果は、常日頃保っている笑顔の裏で、焦りを覚えていた。

 

詳細な情報はまだだが、先に伝えられた数が関東平野に出現した時の状況シミュレーションを済ませていたからだった。

 

(母艦級が、10体。それよりも多い場合………)

 

展開できるであろう戦力、それが最善かつ最速で展開された上で横浜基地に電磁投射砲が残っている、その前提であっても―――と奥歯を強く噛み締めた。

 

 

(一手、というのは夢を見すぎね………二手どころじゃない。三手、足りない)

 

 

そして届かなければ、防衛線は容易く突破される。そうならない策を、逆転の一手を必死に考えながら、華山院穂乃果は主である斉御司宗達の元へ急いでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕暮れの、川の青が赤く染まる河川敷。対岸に映る東北方面へと繋がる道路には、車のテールランプが小さく光っていた。それを眺めながら、二人の壮年の男性は視線を交わすことなく佇んでいた。

 

その背後の車の中では、同年代の女性が一人。心配そうな面持ちで、河川敷に立つ二人の男の背中を見守っていた。

 

それでも、男達は黙して語らず。やがて、落陽の赤が鮮やかになった頃、ようやくと片割れの一人が口を開いた。

 

「……何時以来になるでしょうね、こうして言葉を交わすのは」

 

「覚えていないな……ただ、あの時はこの河川敷はもっと綺麗だったように思うよ」

 

「ええ………自分も覚えていますよ、彩峰中将」

 

「元中将だよ、大伴中佐……いや、そういう事か」

 

「ええ……相変わらず察しが早くて助かりますよ」

 

「帝国陸軍参謀本部付きの中佐が言う言葉ではないな」

 

「……いえ、所詮は派閥争いに敗れたどころか、決起軍の対象にさえならなかった愚物ですよ」

 

実戦派の台頭を許し、XFJ計画の失策が致命的となった自分とは違う。自嘲する大伴の言葉に、かつての右派国粋主義らしい舌峰は失われていた。萩閣はそれを察するも、一言で切って捨てた。

 

「前置きは良いから、本題を言え―――何を求めて私に会いに来た」

 

「………甘くない所は、変わらずですな。いえ、去年とは違う……最近になって少しお変わりになられましたか」

 

「ああ……私の決断は、無駄ではなかった。先週のことだ、心からそう思えるようになったのは」

 

萩閣は遠く、山の向こうにある佐渡島の方角を眺めながら答えた。光州作戦の決断に恥じることはなく、あの時に戻れたとしても同じ判断をするだろう。そこに間違いはないが、一欠片の後悔も無かったか、という部分に関しては目を逸らしていた自分に気づけたことを。

 

「私は、守るために軍に入った。国を、民を………この苦境にあっては、互いに守りあうことで初めて成立するものだと信じていたからだ。それこそが理想だと信じ、決断することで進んできた………だが」

 

萩閣は、悔やんでいることが一つだけあった。家族を守れないことが、何よりも苦しかった。

 

「命は守れたが、心は守れなかった……都合の良いことばかりを考えていた。責苦も何もかも、私が背負えれば……違うな。背負えると、勝手に思っていた」

 

だが、現実は違った。苦しんでいる妻を、娘を守るために動くも、逆効果にしかならなかった。そして、いつしか娘は笑わなくなった。交わす言葉さえ、少なくなった。

 

何を言うべきか、ずっと迷っていた。だが、言えなかった。萩閣は苦い表情で告げた。何を言った所で言い訳になるという思いがあったからだと。

 

「……でも、今は違うと?」

 

「ああ。先週、娘が久しぶりに帰ってきてな。口下手な娘だが、一生懸命になって言ってくれたよ―――“私は父さんを信じる”と」

 

正誤ではない、良い悪いではない、ただ信じると真っ直ぐな瞳で告げられた。萩閣はその後の自分の醜態を思い出し、苦笑を重ねた。みっともなく、呼吸が困難になるぐらいに泣いたことを。その時の羞恥心は言葉に変えられないが、同じぐらいに忘れられなかった。慌てた娘と妻が、優しく背中をさすってくれた時の感触を。

 

「―――それで、本題だ。年寄りから恥ずかしい自分語りをさせたからには、誤魔化すことなく話すのが筋だと思うが」

 

「………変に強引でマイペースな所は変わっていませんね」

 

それでいて、人を見ている。惚けた所もあるが、絶対に本筋を外さずに向き合ってくれる。大伴はもしも中将が退役せずに、と考えた所で首を横に振った。肝心なのはこれからだと思ったからだった。

 

恐らくは、何を聞きたいのかも悟られている。大伴は懐かしい屈辱の上に笑みを乗せて―――笑える自分に少し驚きながら―――自分の本心を話した。

 

「私は……いえ、俺は今でも間違っていないと思っています。力を付けて米国の犬である状態から脱する、それこそが最優先事項であると」

 

国連への干渉や、帝国への様々な仕打ち。それらを思うと、米国は敬するに能わず、大敵として扱うべき存在であると大伴は信じていた。

 

だからこそ、XFJ計画に反対した。米国との協力など言語道断、ソ連と手を組んでその技術を吸収し、来るべきBETA大戦後の対人類戦争を勝ち抜く戦略を整えるべきだと考えていた。

 

だが、そこで別の過ちを犯した。受け入れるべきだと考えていた、ソ連の技術に知識。その根幹になるものが、生命を弄んだ上でしか得られない類の技術だと知ってしまったからだった。

 

公にしてソ連との関係悪化を招くのは拙いと、上層部だけの機密として留められた。だが、推奨していた大伴の立場は最悪になった。空中分解にまではならなかったが、尾花を筆頭にした派閥に対して何を言うこともできなくなった。

 

「米国は敵であると、盲信した結果です―――狭い視野で、分かったような気になってしまった」

 

「………よく、自分で気づけたものだ」

 

「それも、違います。クーデターの時に、言われたんですよ」

 

告げたのは、霧島祐悟。仇だと告げて惨殺した男と同室に居た大伴は、問いかけた。何故、自分を殺さないのかと。半ば自棄になっていた自分の言葉に対する答えを、大伴はこの場で口にした。

 

「“これは掃除に洗濯の類。あるいは腐ったものの切除が目的で―――」

 

そこで、大伴は言葉を止め。ぎり、と歯を軋ませながら、震える唇を開いた。

 

「弱い者苛めを。ましてや、間抜けを殺すためのものではない”と」

 

大伴は、その言葉に怒りを覚えていた。犯罪者の物言いではない、それに対して決然と反論できなかった自分を激しく恥じていた。

 

私腹を肥やして腐ったのではない、着服して肥えたのではない、国のためにと動き続けたことは確かだが、ただ致命的に間違っただけの間抜けだと言われた自分を、否定できないと思ってしまったからだ。

 

「……そして、気づきました。愕然としましたよ。自分が、何をしたという誇れるものが無いということに」

 

中将が退役後、本土防衛戦の最中に本部付き参謀まで上り詰めたは良いが、結果は敗戦続き。明星作戦でも良い所はなく、その後の次世代戦術機導入計画でも無様を晒し続けた。積み上げてきたのは派閥の発言力だけで、国のために何を賭したと、声高にして主張できるものさえなかった。

 

だから、反撃さえ忘れた。気づけば、クーデターは終わっていた。

 

「そして―――思ったんです。このままでは終われないと」

 

悪しき腐敗軍人として蔑まれるのと同じぐらい、無能な愚か者として笑われるのは嫌だ。そう告げた大伴の横顔を見た萩閣は、苦笑していた。あまりにも同じだったからだ。30年前、ここで偶然出会った少年と、今の大伴忠範の表情と。

 

「―――“揺るぐことなく正しく真っ直ぐに、皆を導ける人間こそこの国の指導者になるべきだ”、か」

 

「……誰の言葉ですか?」

 

「君の言葉だよ。いや、生意気で理想主義者で、意地でも自分を曲げないと奮闘していた誰かさんだったか」

 

「……………」

 

大伴は、答えなかった。萩閣は、更に問い詰めることはしなかった。その理想を忘れたのか、忘れずに抱えた上で間違ったのか、自分の都合の良いように改竄してしまい、それすら気づけなかったのか。何を語ることはない。ただ、流れていく車のランプを眺めていた。

 

「さて、こうしている時間も惜しい―――本題は、帝都か横浜か、侵攻してくるBETAを相手にしての防衛戦に対する秘策か」

 

「流石のご慧眼です。是非とも、中将の知恵を拝借したい」

 

「退役したただの男の意見を、君が聞くのか?」

 

「中将閣下の性格ならば、沙霧よりも深く存じております。私の目的を看破した貴方だ、退役したとはいえ大人しく何もしないままでいられる筈がない」

 

佐渡への侵攻か、帝都の防衛か、どちらとも深く考察を重ねる時間はあった筈だ。迷いなく断言する大伴に対し、萩閣は迷うことなく問いを返した。

 

「佐渡侵攻の主力は―――いや、戦術機甲部隊の帰還は」

 

「現場の衛士に提案により、迅速に」

 

「その言を聞くに、殿下はこの帝都に残られて指揮を取られると見るが」

 

「はい、最速でご決断されました」

 

「―――大東亜連合からの援軍は。甲21号作戦より前に、要請していたと予想するが」

 

「民間人の身の上でそこまで見破れるあたりは流石ですが、到着は明後日が予定のため、明日の決戦には厳しいかと」

 

 

「ふむ……その発言が出るあたり、BETAの出現ポイントと規模は絞れているのか」

 

「両方とも。八王子から町田市にかけて、数は少なくとも10万―――私的には3割ほど増えるかと予想を」

 

「成程―――足りないな。少なく見ても、あと3手が必要になるか」

 

「……最初から、その結論にたどり着きますか」

 

それでこそだ、と大伴は苦笑した。最初の自分は1手と思い込み、甘いと思い直して2手、更に現実を直視して3手足りないと至ったのは、より詳しい状況を鑑みて1時間が経過した頃だった。

 

「新潟での迎撃の件、兵士の士気高揚と民間人を落ち着かせるためか、公表していただろう。その兵器があってなお、10万という数は多すぎる」

 

その対処のために、大伴は本営と自分だけではない、関係各所に取りうる手を全て使って打開策を見出そうとしているのだろう。恐らくは、派閥の力の背景となる過去のあらゆる遺産を使って。

 

(強引過ぎる手を取るつもりか……後のことを考えていない。勝敗に関係なく、大伴の派閥は終わる。それを自覚しても求めるか)

 

なりふり構わず、これが自分の最後の戦だと見定めて動いている。帝国陸軍と本土防衛軍は、既に防衛戦の大筋を固めるために動いているだろう。大伴が狙うのは、それでも足りないという現状を見据えた上で取る、正道を外れた自身の進退を捧げた一手。その覚悟を察した萩閣に、大伴はしれっと言葉を付け加えた。

 

「戦いは始まる前に終わっている。その勝率の多寡は、その国が今までに蓄えてきたものによる。良き思い出か、良き風景か」

 

どちらも政治家によって変わる。故郷を、思い出を護ることに生命を賭けられる兵士が多い国であれば、勝機は自ずと高まっていく。

 

人は国のために、国は人のためにという萩閣の考えを部分的に昇華させたそれは、大伴の持論だった。その上で、と大伴は佐渡島の今を告げた。

 

「クサナギ中隊が―――紫藤樹を中隊長とする12名が、甲21号の攻略を成し遂げました。その他の隊員は、サーシャ・クズネツォワに珠瀬壬姫と―――」

 

いきなりの聞き捨てならない名前に、萩閣はぎょっとしたが、それは序の口だと間もなくして知った。

 

榊、鎧衣に海外の有名衛士が3名。それどころではない、煌武院の名前まで出てきたのだから。

 

「―――そして、彩峰慧に白銀武………どうしました中将、おかしな顔になっていますが」

 

「………貴様の先程までの間抜け面には負ける」

 

「左様でございますか。ちなみに、白銀武は鉄大和とも名乗っていたようですな」

 

「鉄、とは―――あの時の若者か」

 

慧と同じ年の、疲れ果てた容貌が忘れられない凄腕の。萩閣はそうか、と感慨深く呟いた後に、大伴に向き直った。

 

「守るべきは帝都と、横浜基地。その防衛戦に今の帝国の全力を費やす必要があると、そういう訳だな?」

 

「―――はい」

 

「………そうか。なら、こちらも遠慮の枠は捨てよう」

 

 

大伴の意図を察した萩閣は、良識の枠さえ捨て去ることを決めて語り始めた。陽が落ちて、あたりが暗くなってなお続いた対策は、大伴の脳に皺となって深く刻まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――俺だ。話は聞いていたな?」

 

移動中の車の中、大伴は通信越しの相手にため息をついた。

 

「流石は彩峰中将……荒唐無稽な本営の策に比べれば、現実性に溢れている」

 

『はい………しかし、いくつか問題点が』

 

「全てクリアできるだろう―――そうだな?」

 

『―――しかし、別口の盗聴があれば』

 

「立件している暇もない。全ては後の祭りになる。それよりも、問いかけに答えろ」

 

『―――はい。問題は、ありません』

 

通信向こうの女性は、迷うことなく断言した。大伴はその声色を聞いて満足すると、迷うことなく告げた。

 

「責任は全て俺が取る。貴様も、望むままに動くが良い―――再びの三度、後悔しないようにな」

 

『―――了解』

 

それを最後に、ぷつりと通信が途切れた。大伴は苦笑しながら、窓の外を眺めた。そこには、完全に日が落ちた夜の中で、生きるために走るいくつもの光があった。

 

 

「………守るために、か」

 

 

遠く呟かれた大伴の言葉に、答える者は居なかった。

 

ただ、窓に映った自分の顔を見た大伴は、僅かに口元を緩ませていた。

 

 

 

 

 

 


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