Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
天井の蛍光灯だけが光源となる、地下深くの一室。その中で夕呼と武は、今年に入って何度目かになるか分からない、深い溜息を吐いた。
「……一難去ってまた一難とは言うけれど、いい加減にして欲しいわ」
「同感です。まあ、一斉にやって来られても困るんですけどね」
土砂降りの雨のように、今までに都度対処してきた問題の数々が一気に降り注いで来られるよりは勝機があるでしょう。笑顔で答えた武に、夕呼はジト目を返した。
「嫌な含蓄を感じてしまう所が、最高にイライラするわね………話を戻しましょう」
夕呼は武を呼びつけた理由となる、BETAの奇妙な動向について尋ねた。武は純夏から受け取った情報を脚色せずに伝えた後、自分なりの結論を述べた。
「ぶっちゃけると、何がなんだか分かりません」
「………へえ」
「い、いや。冗談じゃなくてですね、あいつらが何を考えて動いているのか、見当もつかないんですよ」
武はいつものように、冗句を混じえた話し方をするつもりはなかった。戦術機で運ばれたのが原因で、夕呼が疲労困憊となっているのは分かっていたからだ。
「判明しているのは、BETAの優先順位がバグってること。甲21号の反応炉より、横浜への進軍を優先させる理由が分かりません」
並行世界で甲21号のBETAが横浜基地を襲撃したのは、まだ駆動していた反応炉があったためだと言われていた。エネルギーのようなものを補充するために、近場にあったエネルギー源を求めたのだと。武は、その説が間違っていないと考えていた。
「あとは、並行世界の記憶の流入が確認されました」
龍浪響と千堂柚香についての情報を伝えると、夕呼は難しい顔をした。
「そう……こっちもね。まだ確認は取っていないけど、まりもの様子が少しおかしいのよ。まだ錯覚の段階かもしれないけど」
いずれにせよ、何らかの理由により記憶の流入が始まっている可能性が考えられる。夕呼は、207の5人はどうかと尋ね、武は険しい顔で答えた。
「今はまだ聞けていません……疲労もそうですけど、反応炉近くで
それは横浜ハイヴに突入した米国の部隊が見たものと同じで、凄乃皇・弐型から持ち運んだものと等しい。衝撃だったでしょうね、と武は呟いた。
「……色々と不確定な情報がありますけど、夕呼先生はどう見ます?」
「そうね………恐らくだけど、今回の侵攻と記憶の流入は繋がってると思うわ」
問題は、下手人とその影響範囲だ。夕呼は、考えたくはないけど、と前置いて告げた。
「原因は、並行世界のBETAで―――目的は反応炉以外の何かだと考えられるわね。横浜基地じゃない、そこにある何か、あるいは何者かを潰すためか、拉致するためか」
確証に至る程の情報量ではないが、どうしてかそんな感じがしてならないと夕呼は呟いていた。
「人を目的にして、ですか? それはちょっとおかしいんじゃ」
「可能性としては考えられるわ。人間を生命体として認識していないBETAが、特定の人間を狙って大規模に動き出したとは考え辛いけど」
既に状況はイレギュラーの極みに入っている。ふと、夕呼は武の方を見た。
「もしかしたら、奴らの目的はアンタかもしれないわね」
並行世界のBETAにまで認識されるような規格外と考えると、白銀武の他に思い至らない。そこまで考えた夕呼は、まさか、と呟き呆然とした表情になった。並行世界からの干渉と聞いて、もう一人の人物の名前を思い浮かべたからだ。
「―――この世界の鑑じゃない、00ユニットになった鑑をBETAが認識した………? いえ、でも次元を超越して干渉を………」
夕呼は視線を落とし、ぶつぶつと呟きながら思考を加速させた。
「因果導体、G元素………でも、因果が流れ込むには………いえ、佐渡島、並行世界の甲21号は………それに、世界を渡った時にこいつが現れた場所も………っ、白銀」
「は、はい」
「あんた、BETAの動きが中途半端だと言ったわね。これは例えだけど、指揮系統の外から強引に割り込みをかけられて、現場が混乱している状況と類似性があるかしら」
「……そう言われると、そんな感じがします。でも、おかしく無いですか? BETAの指揮系統はカシュガルを絶対とするトップダウン型ですよね。別口の、それも並行世界からの干渉とは言っても、甲21号のBETAが従う筈が………」
「いえ、従う可能性はあるわ。むしろ、だからこそよ―――並行世界のあ号標的からの干渉があったからこそ、甲21号は整合性が取れない動きをしている」
そして、対処が中途半端なのは情報の流入が途中で途絶えたから。夕呼はそこで、別の並行世界からの干渉について告げた。
「あんたの知る並行世界では、あ号標的は人間を生命体と認識しなかった。それはつまり、明確に排除すべき目標としては見ていないってこと」
「それが、何らかの切っ掛けによって気づいた―――誰かが、何かを仕掛けた結果、そうなったと?」
「推測の域を出ないけどね。でも、仮に私がその場に居たら………」
どんな手を使っても排除したことだろうと、夕呼が呟いた。何人死のうとも、G弾を使ってでもあ号標的を潰さなければ、自分たちだけではない、並行世界を含めた全てが終わってしまうからだ。
(……どうしてか、そう思える。ひょっとして、私にも記憶の流入が……いえ、まだ確証に至るには早計過ぎる)
どちらにせよ、向かってくるBETAが止まる気配は無い。全ては迎撃してからだと、夕呼は言った。
「とりあえず、原因その他は後で考えましょう。問題は、敵の目的が不透明な所よ」
反応炉が狙いであれば、万が一の時には反応炉を停止させればBETAの動きを惑わせられるかもしれない。もしかすれば、撤退させられる可能性もあった。
だが、狙いが読めないのでは戦略レベルでの対策が取れなくなる。襲ってくるBETAと、真正面からぶつかり合い勝つことでしか希望を見出だせなくなるのだ。
「かといって、手が足りているとはとても言えない……だから、鑑達と凄乃皇・四型だけは死守するわよ。反応炉を失っても、残りのODLは二週間分程度は残っているから」
「はい……例え、A-01が壊滅しても、ですね」
最優先目標はオリジナルハイヴのあ号標的を潰すこと。それさえ達成できれば、世界中のハイヴは機能不全に陥る。戦術機でのハイヴ攻略も、現実味を帯びてくるのだ。即ち、G弾によるハイヴ攻略の優位性が薄れることになる。
武も、夕呼が言わんとしている事は理解できていた。だが、納得はできていないため、頷くこともしなかった。
「……そこで即座に頷けないあたりが、アンタの限界ね」
武の内心を読み取った夕呼が、ため息を吐いた。そして、武が無自覚でいるであろう部分に対して釘を刺した。
「分かっていないようだから言っておくけど、アンタも死んじゃ駄目よ。ビャーチェノワ以外の3人の精神が極めて不安定になるからね」
ラザフォード場の制御には、かなりの集中力が必要とされる。精神が不安定な状態では、何が起きるのか予想がつかなくなる。そして、と夕呼はジト目を向けた。
「クサナギ中隊の中では……紫藤とブリッジスぐらいよ。アンタという精神的支柱が抜けた後にでも、従来のパフォーマンスを保てるのは」
「え……いや、タリサと亦菲もそうですけど、ユーリンだって」
「衛士としてはそうでしょうね」
夕呼はやっぱ分かってねーなこいつ的な視線を向けた後、内心の苛立ちが倍加したことに更に腹を立てながら、舌打ちした。
「代案云々よりも、新人達の精神状態を何とかしなさい。回復させられなければ、明日の戦闘には参加させられないから」
「―――はい。先生の方は、これから?」
「休んでる暇なんて無いからね……戦略でどうこうできる段階は通り越した。なら、戦術でどうにかするしか無いでしょう」
やれても小細工程度だけどね、と夕呼はため息を吐いた。大掛かりな対策はどうしても時間が必要になる。だが、残された時間は20時間にも満たない。帝国軍などはその身の大きさから、戦力の集結と大雑把に運用できる態勢に持っていくだけで精一杯になることは予想されていた。
万全とは言えない中での、大決戦。救いなのは、相手が仕掛けてくる時間と規模が分かっていることだけ。有利と不利が入り乱れる戦場で、帝国軍と国連軍横浜基地はその真価を試されることになる。
「それでも、やれることはやっておくわ。面倒臭いけど、後であれこれ悔やむなんて柄じゃないしね」
「ですね……えっと、何か手伝えることはないですか?」
「無いわね」
断言した夕呼に、武は引きつった顔をした。
「そんな顔されてもねえ。アンタはアンタの方で、色々と片付けることがあるでしょ」
例えば、自分の愛機の状態を確認するとか。小さく呟いた夕呼の言葉に、武は少し黙りこんだ後、敬礼を返しながら部屋を去っていった。夕呼は扉が閉まった後、小さく笑い声を零した。
「ふふっ………アンタ、ここに来ても迷うのね。青臭いったらないわ」
呟いた言葉は、責めるもの。だが口調に棘はなく、どこかに柔らかさが感じられるものだった。そして武の稚拙なやり返しを思い出すと苦笑し、夕呼は立ち上がった。
ここからは、色々と後ろ暗い政治的なドロドロした駆け引きが必要になる。それでも、自分の役割と決めたことを夕呼は覆すつもりはなかった。
「少し、元気も出たことだし」
小細工でも、効果はある。そう信じている夕呼は、少し活気を取り戻した目で、ただ前を見据えていた。
その3時間後、18:00。ブリーフィングルームの中では、休憩を終えたA-01とA-02の面々が集められていた。疲労の色が濃い者ばかりだが、夕呼は咎めずに説明を始めた。
「さて、色々とイレギュラーな事が多かったけど、これだけは言っておかなきゃね―――全員、よくやってくれたわ」
佐渡島での戦闘から甲21号の攻略まで、A-01とA-02は八面六臂の大活躍だった。色々な面で優位に立てるようになったと、夕呼は労いの言葉をかけた。
「ただ、その功績も明日の防衛戦を乗り切れてこそよ―――明日の横浜基地防衛戦に関する第一回のブリーフィングを開始するわ」
夕呼は告げるなり、モニターに関東地方の映像を出した。関東一円と横浜基地、帝都が映る中に、BETAの赤と帝国軍、国連軍の青が浮かんでいた。
「既に知っての通り、明日の未明―――早朝、6:00ぐらいかしらね。甲21号から地下深くを侵攻してきた一団が、地上に現れるわ。目的は定かではないけど、進行方向を見るに、目指しているのは此処、横浜基地と推定」
BETAの赤のレーダーに、横浜基地に向けての矢印が出た。その規模を聞いた全員が、緊張の面持ちになった。
「推定で、10万以上のBETAが……!?」
「それも逐次投入ではなく、一斉に………!」
嘘や冗談の類と思いたかった事実に、悲痛な声が上がった。夕呼は頷きながら、説明を続けた。
「大陸で起きた本格的侵攻のレベルね。対してこちらの戦力は、帝国の各軍と、横浜基地の国連軍だけ。ああ、先に言っておくけど凄乃皇は弐型、四型ともに使えないわよ」
四型は整備中で、とても間に合わない。弐型は横浜基地にまで帰投することが出来ず、そのまま運用したとしても荷電粒子砲の射線が敵の後背から横浜に向けて。即ち、味方が陣取っている所や、各施設と重なるため、運用は見送ったと夕呼は告げた。
「……凄乃皇の荷電粒子砲で数を大きく削るのも不可能。従来の兵器を使っての迎撃の他に手はない、ですか」
「ええ。唯一救いがあるとすれば、殿下が帝都に残り指揮を取ると発表されたことね」
「っ、殿下が………!?」
「早くに発表があったわ。………英断ね」
通常であれば、安全と思われる東北へ避難するのが定石と言えた。だが、政威大将軍たる煌武院悠陽は帝都に残って軍と共に戦う意志を早期に宣言したのだ。これにより、BETAの大規模侵攻という事実に動揺していた将官、兵達は多少の落ち着きを取り戻した、と夕呼は小さく笑った。
士気が崩壊した軍隊は風の前の塵に等しい。だが、一度士気が高まれば、何を相手にしても戦い抜くことが可能になる。第一段階は突破ね、と夕呼は呟いた後、説明を続けた。
「現在、急ピッチでBETAの侵攻経路に地雷を埋設中よ。でも誤爆防止を優先しているため、設置できる数はそう多くない」
足止めを出来るのはほんの数分のみ。その時間を活かし、陣形を整えた上で火力を集中させるのが序盤の戦術になる。それが、国連軍に向けて伝えられた作戦の草案の第一報だと夕呼は苦々しい顔で告げた。
「それでも、ね。何人かは既に気づいていると思うけど、しっかりとした防衛線を構築できるだけの火力は無いわ」
特に海上戦力からの艦砲射撃の密度が不足していた。飽和攻撃による足止めは一時的に可能だが、長時間の援護は難しいだろうと夕呼は予測し、その方面の知識に厚い樹、まりも、武が同意を示した。
「仙台からこちらに向かっている艦も、万全な状態とは考えられないですよね」
「ええ……弾薬と燃料の多くは、甲21号攻略に費やした筈よ。残っている艦はあるけど、先の作戦ほどの火力は期待できないでしょう」
「代役を担えるほどの砲は、地上には無し……電磁投射砲も、使い所が難しいですね」
投射砲によりキルレシオを稼がなければ、打開は難しい。だが、投射砲の威力を最大限に発揮するには、BETAに可能な限り近づく必要がある。地中侵攻という事を考えれば、リスクが大きすぎると言えた。
敵の大半は母艦級から出てくるだろうが、それ以外のBETAが全て一斉に地上に出てくるとは考えがたい。固定した地面ごと掘り返されて潰されるだけならまだ想定内。最悪なのは、固定部の歪みにより、砲口が味方の方に向けられた場合だ。電磁投射砲はまだ運用実績が少ないため、事前防止、活用するためのノウハウが蓄積されていないのも痛かった。
「あとは、S-11ですか………甲21号で使用したのは4発ですから、ヴァルキリー中隊とあわせると残り20発はありますが」
「……使用許可は出ていないわ。今の段階では、って話だけど」
電磁投射砲以上に誤爆が恐れられているため、参謀本部で慎重派の意見が優先されれば、使用が禁止される可能性が高い。そして、慎重派が多い今の参謀本部で出される結論について、夕呼は予測していた。
「許される可能性があるのは、帝国軍の精鋭部隊だけね………まりもはどう思う?」
「そう、ですね……まず敵中を突破しなければ話にならないですから、最低限斯衛でもトップクラスの技量を持つ衛士に限られるでしょう」
味方への被害を出さないため、敵により多くのダメージを与えるため、起爆する者は敵陣の奥深くにまでたどり着かなければならない。この規模のBETAを相手に、それだけの事が出来るのは、斯衛でもトップクラスの技量を持つ者だけだと武達は考えていた。
「使用、いえ、搭載にかかる制限はかなり厳しくなるでしょうね……無制限にS-11を使われる方が怖いという気持ちは分かりますが」
錯乱した者の広範囲自爆に巻き込まれる方がたまらない。樹の言葉に、A-01の衛士全員が頷いていた。
「帝国軍にしても、腕利きのほとんどがは甲21号作戦に参加したと思われます。機体の整備状態等を考えると、打開策として信頼するには危険ですね」
参加者の名簿を見たことがある樹の言葉に、まりもが同意を示した。当初の想定では甲21号の攻略後、横浜への侵攻が発覚するまで一週間程度の期間が空くと考えられていたのだ。それが無い今、激戦を乗り越えた衛士、機体ともに疲弊しきっているため、戦力として当てにするのは難しいと言えた。
同じことが、大東亜連合にも言えた。先遣隊とは異なる、連隊規模の戦術機甲部隊が到着するのは二日後になるとの連絡があった。侵攻に備えた事前の手配が、無駄に終わってしまったのだ。
「……まあ、帝国軍の動きも定まっていない状態で暗い顔してても仕方がないわ。最終的な結論は、帝国軍の動向が定まった後ね」
夕呼は話を区切ると、機体の整備状態について話した。不知火の予備機の手配から、大東亜連合からの先遣部隊が弐型の整備を始めたことまで。
ユウヤとタリサの顔色が変わるも、夕呼は心配ないと結論を先に告げた。
「弐型、E-04を含めて明日までに仕上げるのは可能、だそうよ。心配なら、自分の眼で確認するのも良いわね」
「了解! ……でも、先遣部隊って誰が」
「弐型の開発者の一人で、整備もできる変人だそうよ」
夕呼の言葉に、タリサは驚きながら武の方を見た。武は複雑な顔で眼を逸らし、ユウヤはもしかして、と夕呼の方を見た。
「まあ、そのあたりはどうでもいいわ……いえ、違うわね」
どうでも良くなるレベルの情報を開示する、と夕呼は告げるなりモニターの映像を変えた。それを見たヴァルキリー中隊の面々が、ひょっとして、と呟いた。
「これ、甲21号の………先頭、ってことは白銀中佐の?」
ガンカメラか、と誰かが言うも、直後に声色を失った。
ハイヴの地面から天井に繋がる、青い光を放っているガラスに似たピラーの中に、BETA由来とは思えない、とても見知ったものを見たからだ。
実戦を経験した者の内の何人かは、眼に痛いほどの赤色と共にそれが表に出た所を見せつけられたものが、そこにはあった―――
拡大された映像を見た者の大半が口元を押さえた。肩を震わせ、眼を逸らす者まで。その全員に突きつけるように、夕呼が告げた。
「『捕虜』………と、便宜上だけど呼ばれている物ね。初めて発見されたのは、明星作戦の時よ。マンダレー・ハイヴは“研究”が出来るほどの施設が出来上がる前に攻略されたからだと考えられているわ」
「……けん、きゅう………? BETAが、人間を………」
「ええ。奴ら―――彼か、彼女かも定かではないBETAが、何を考えてこんな事をしているのかさえ、まだ分かっていないけれど」
そもそもBETAが倫理という概念を持っているのかどうかも分からない。罪悪感は、無いだろうと言われている。唯一絶対なのは、衛士として、これが反吐が出て余りある怒りを覚える光景であるということだった。
「でも、これが現実。負ければ、横浜に居る人達はこうなるわ。それが誰のものなのかも分からない格好にされる」
殺されて終わりになれば、救いがある方だ。暗に告げる夕呼に、その場に居たほぼ全員が絶句した。構わず、夕呼は言う。
「このタイミングで公開したのは、部隊内に情報の格差を産まないため―――そして、覚悟のほどを統一するためよ」
負けた先にあるもの、その末路。死の現実性が高まるほど、生きるために死力を尽くすようになる。武の持論であり、夕呼が受け入れた結果、情報の公開は成された。僅かな齟齬さえ、命取りになりかねないと考えたからでもあった。
傍目から見れば、勝手で理不尽な判断による強行に思える。だが、夕呼は自分の意見を曲げるつもりはなかった。
世界は、現実は、望むと望まざるとに関わらず色んなものを勝手に投げつけたり、奪ったりしていく。
―――それでも、厳しい理不尽を前に膝を折るような者は要らない。そんな覚悟を定めている夕呼を前にして、衛士達は押し黙った。
「………作戦開始まで、あと11時間。参加を辞退したいと思う者は、中隊長に言いなさい」
ひとまずは以上よ、という夕呼の声が、静かになったブリーフィングルームの中に響き渡った。
各々が、各々の速度で部屋から去っていく。武は最後まで残った後、夕呼にお疲れ様ですという意味での目配せをした。夕呼はしっしっと犬を追いやるように手を振ることで答えた。
武は苦笑しながら、ハンガーへ向かうべくブリーフィングルームの扉を開けると、驚きの声を上げた。
「うお、っと。なんだ、雁首揃えて」
「………一つだけ、其方に聞きたいことがあったのだ」
待ち構えていた者達、元207Bの5人の中から、冥夜が代表して問いかけた。
―――もしかして兵士級の元となっているのは、と。
前線ではタブーとなっているその疑問に対し、武は誤魔化すことを思いつくも首を横に振った後、小さな頷きだけを返した。
「実際………ベテランの中には、気づいてる衛士も居るんだよ。いや、違うな。気づいた上で戦える衛士だけが、ベテランと呼ばれてるのかも」
頭が切れる者は例外として、一般の衛士が気づくタイミングは似通っていると武は言った。出現したタイミングに、その能力は布石。それだけではない、多くの戦場で過酷な現実を知り、理不尽を味合わされ、甘さが抜けた者こそが直面したくなかった現実を確信に至らせると。
「同時に、分かるんだ。兵士級にされた人間が、元に戻ることは絶対に無いって」
動きがBETAそのものになっている―――それが理解できるからこそ、殺すしか無い事に気づく。どうしようもない現実を語る武に、千鶴が問いかけた。
「白銀は………いつ、その事に気づいたの?」
「……嘘を言っても仕方ないから言うけど、8年前にな、夢を見た。確信に至ったのは、その一年後かな」
中隊では、既に暗黙の内に共通認識として在った。それでも戦うと決めて、既に7年。それ以上の方法が無いと気づいて、犠牲を少なくするために戦い続けてきたと、武は胸の内を語った。
「……じゃあ、行くぜ。こればっかりは、手助けできないからな」
教えられたことでもあり、武自身必要なことだと想っていた。決意の程を固めるためには誰の言葉でもない、自分の中で答えを見つけ出す他に方法は無いのだと。
疲労を感じさせず、しっかりとした歩みで武は廊下を歩き。
その背中を見ていた5人は、それぞれに自分の掌を強く握りしめていた。
「図抜けてるな、やっぱり」
人の能力を測るには、精度の高い物差しが必要になる。より深く知るためには、その分野の造詣が深い者を用意するのが一番だ。特に複雑な最新技術―――戦術機に関連する分野は、様々な知識、知恵の集合体とも言えた。
だからこそ、白銀影行は横浜基地のハンガーで整備中の機体を、不知火・弐型の姿を見ながらも、自分の網膜に妖精か何かが悪戯を仕掛けた形跡が無いかを疑っていた。
(……突撃前衛長、ハイヴ吶喊、単騎での要塞級撃破。間違いなく他の隊員よりも厳しい所で戦った、だというのに―――関節部だけじゃない、各所に出るであろう負担をここまで殺せるのか)
ダメージレポート等、整備前に機体の損傷具合を把握するため戦闘の簡易レポートに目を通していた影行は、目の前にある機体と報告書との整合性が取れないでいた。不知火・弐型の耐久性の高さは、世界中の第三世代機の中でも1、2を争うと断言できるが、そういう問題でもなかった。
「―――遅れました、白銀中佐」
「………いえ、問題ありません。それでは、現時点での可能な限りの報告を」
影行は敬語で話しかけられたことに少し動揺するも、敬語で答えながら声の方向に―――息子が居る場所へと向き直った。真っ直ぐに見返した後、機体の状態について説明を始めた。
一方で、話しかけた武は、緊張の面持ちで報告を聞いていた。明日の戦闘を行うにあたり何も問題がないことは夕呼からの連絡で分かっていたが、万全の状態でなければ厳しいと考えていたからだ。
そして、影行からの説明を一通り聞いた後、安堵のため息を吐いた。機体の各部に多少のダメージはあるが、許容範囲内に収まっていたからだ。
「っと、そうだ。明日一日だけなら、フルにぶん回しても……?」
武は質問をしようとした時、いつの間にか周囲から人の気配が消えていることに気づいた。遅れて影行も気づき、ため息と共に呟いた。
「……気を使われたようだな」
「手回しがいい所を考えると、ガネーシャさんあたりかな」
「そう、だな……それで、残りの機体のことだが」
「弐型とE-04は大丈夫とは聞いたけど」
「ギリギリ、って所だな。不知火・弐型は問題ないが」
影行は一切の誇張を捨てて、各機体のことを説明した。急ピッチの整備で実戦が可能な段階にまで持っていけるが、殲撃10型、
「え、不知火も? 別の機体を用意するって聞いたような……」
「中隊長の機体だけなら、多少の整備で済むレベルだ」
「樹と神宮司少佐か……でも、殲撃10型はともかく、タリサのE-04の方が状態が悪いってのは意外だな」
「用途の違いだ。不知火よりもハイヴ内戦闘には向かない機体だからな……それでも、この程度で済んでるのはタリサちゃんの腕が良い証拠だ」
「……ちゃん付け?」
まさか浮気、そういえば身長とか体格とか母さんに、いやでもなんで急にと武は考えた。影行は、静かに激怒した。
「お前いま、色々な意味で多方面に喧嘩を売ったぞ。具体的には俺と母さんとタリサちゃんと純夏ちゃんに対して」
「え、なんで」
「……分からなかったらいい」
本当はとても良くないが、それよりもと影行は不知火・弐型の頭部パーツを見上げながら呟いた。
「泣いても笑っても明日が決戦、か。よりにもよって、この横浜で」
「うん………繰り返しとも言えるけど」
武は影行と同じように、弐型を見上げながら答えた。
「繰り返し、というと……いや、そうか」
亜大陸の、という影行の言葉に武は頷きを返した。
「場所こそ違うけど………BETAが来る、オヤジが居る、戦わなければ生き残れないって所はあの初陣の時と同じだ」
怖かった。死にたくないと全身が震えた。逃げようと思った。誰かが何とかしてくれると考えた。
(そこでサーシャに出会って……無意識だろうけど図星を突かれて。そんで、逃げた所で救いは無いと気づいたんだっけ)
全てが崖っぷちだと気づいた。死にたくないから、前に進むしかなかった。何の功績も無く、発言力も皆無。賭けられるものが自分の命だけだった時から戦い続け、実績を重ね、どんな障害だろうと必死で対処してきた。亜大陸、大陸、日本での敗戦を思い出すと、最善の対処が出来ていたとはとても考えられなかった。
(だけど、あの時に気づいたこと。逃げてもいずれ死ぬと、家族を、純夏達を守るために地獄に挑み続けて8年)
苦しかったと、一言で表せられるものではない。それでも、と拳を強く握った武の顔を見た影行が、笑った。
「……立派になったな。成長したよ、お前は」
「え? ……なんだよ、急にオヤジくさいこと言って」
「親父だよバカ息子。失格だと言われても仕方がないけど……俺は、お前の父親だ」
成長を助ける者を親と呼ぶのであれば、違うかもしれない。武は周囲の者達に見守られつつ、その言葉に教えられ、背中から学び取って成長してきた。
愛情を与えて育むものが親であるとすれば、どうだろうか。影行は、その答えは出せなかった。影行は武のことを愛しているが、その思いを証明するような行動をしてきたかと言われると、肯定できないものがあった。
日本に置いてきたこと。戦場に立とうとする時に、何を犠牲にしてでも止めなかったこと。人質に取られた結果、心に深い傷を負わせてしまったこと。
「………図々しいと思われるかもしれんけどな」
「思うかよ、バカ親父。俺の親父は一人だけ、白銀光のことが好きで好きでたまらないバカだけだっつーの」
「なっ、ばっ……ちょっと待て。そんな事を言った覚えは……え、言ったか?」
「忘れた。でも、態度とか行動見てれば分かるっての」
見てる所は見てるからな、と告げる武に影行は苦笑を返しながら、頷いた。
(……ああ、そうさ。お前が父親だと思ってくれる限りは)
光の事とは別に、失格だろうとなんだろうと、父親であると認められているのに、失格だと言って自分から逃げることこそが本当の裏切りなのだと、影行は考えていた。
それでも、影行は表には出さなかった。ひけらかす事はない。武の活躍、動きに関する様々な情報を集めて、少しでも助けになろうと自分も動いていたことは。ただ、抱えているものを少しでも軽くできればと想っていた。
(あるいは、勝った後に何か祝いの………そういえば、してやれた事は無かったな)
改めて自分の不甲斐なさを痛感した影行だが、表には出さないまま、武に問いかけた。決戦を乗り越えた後、何かして欲しいことはないかと。武は眼を丸くした後、え、そんな事言われてもと狼狽えながらも、唸り声と共に真剣に考え込んだ後、言った。
「ちょっと、笑われるかもしれないんだけど………その、家に帰りたいっていうか」
「家、というと横浜のか? ……今はもう廃墟になっていると聞いたんだが」
「その通りだ、俺も間近で見た。でも………ちょっと掃除してさ。瓦礫を除けなきゃなんねえけど、スペース確保して。それで、居間で椅子とか机並べてさ」
ガスも通っていない、蛇口を捻った所で何も出ない。廃屋になっていても、と武は言った。
「親父………父さん、母さんは勿論だけど。知り合いとか、友達とか、全員を呼んで、集めて宴会するのも良いんじゃないかって」
合成食料だろうが、知らない。火が起きない台所で料理できないだろうが、関係ない。ただ、家にみんなを呼んで、家の中で宴会をしたいと武は照れくさそうに言った。影行はその意図が掴めずに、少し考え込み。間もなくして息子の昔のことを思い出し、軽く口を開けた。
前だけを見ていた昔。あまり帰れなかった家。一人、残されていたのは誰か。
「武、お前………」
「女々しいって、笑われると思う。横浜に居た時間と、離れていた時間は同じぐらいだし、印象で言ったらそれほど濃い訳でもないんだけど………何だかんだ言ってやっぱり、俺の家はあそこだから」
たまに夢を見ることがあると、武は言った。整合性の取れない、荒唐無稽な、意味なんてまるでない眠った後に見る映像。それでも、辛い夢と同じぐらいに、自宅で何も考えずにバカをやっていた頃の光景が盛り込まれていると。
「意味がないとか、子供でバカみたいな我儘とか思われてもさ………まあ、実際思いつきなんだけど」
「……いや」
影行は、その時の武の顔を―――無理に笑った顔を見た途端に、心臓に手を当てて。何かに耐えるようにしながら、分かったと言った。
「やろう。手配は俺がする。この8年で、色々とツテも出来たしな」
「いや、あの、親父? 無理なら無理でも」
「それ以上言うな。子供の我儘なんて言わせない、絶対にやってやるぞ」
「……いつになく強気な発言だけど、普通はこんな時にそんな戯けた事を言うなって怒る所じゃ」
「大事な決戦前をして気を緩ませるようなお前じゃないだろ」
ばっさりと、影行は断じた。武の顔をずっと見ていたから、分かっていた。色々と考えることがあって、心配する仲間が居ても、だからこそ戦おうとしている息子のことを。守るものが多いからこそ、最終的には芯もブレず、衛士として定まっていく様を。
「……こんな時になんだが、良い人達と出会えたようだな。逃げるなんて欠片も考えてねえ、って顔をしてる」
悩みはあるだろう、不安はあるだろう、それよりも先に戦意が勝っている。枝葉のような脆いものではない、樹齢にして千年はあろうかという幹を思わせる雰囲気。それを感じた影行はだからこそ、と言った。
「俺には、裏方しか出来ないけど……お前たちの勝利を待ってる。とびっきりの肉とタレと酒を用意してな」
「………出来れば合成じゃない白米も欲しい、とか言ってみたり」
「大丈夫だ。日本の田畑の全てが滅んだ訳じゃない」
みなまで言うなと、影行は笑った。武はその顔を見て少し戸惑うも、すぐに笑い顔を返した。
「どうせなら、知り合い全員を招待するか。えっと、A-01と夕呼先生は当然として―――」
武は名前を呼びながら、指折り数えていった。影行はその姿を笑顔で見守りながらも、後半になるにつれてその笑顔が面のように硬直していた。
「いやちょっと待て。おまえ今、九條と斉御司と言ったか? 言ってないよな、ん?」
「へ? あっ、そうか。流石に忙しくなるだろうし、いっぺんに呼ぶのは無理そうだな」
「だから待て答えになってない。というか前半の最初の方に殿下の名前が出てきたのはどういう訳だ」
「いやだって友達だから」
その友達というのはあなたの頭の中だけの存在なのではないか、と影行は物申したくなったが、以前に聞かされた殿下との関係性などを思い出した後、そっと目を伏せた。現実逃避したとも言う。
「かなりの人数だな………味付けは、純奈さんに頼むか」
小さな声。武は、母・光の料理の腕を思い出すと、そっと眼を逸らしながら頷いた。軍人たるもの栄養摂取は仕事の一つだと、小賢しい言い訳と共に。
「……まあ、用意と手配のことは置いて、だ。凄い人数になるな」
「ああ……それだけ、今まで人と出会う機会にだけは恵まれたから」
8年の旅で出会った人達は多く、その種類は多岐にわたる。武は少し昔を振り返った後、遠くを見つめた。
「何ていうか、あっという間だったような……分からないけど、遠くに来たって事だけはわかる。生まれ故郷に居るのにな」
「見るものと、見えるものが変わったんだろ。それだけお前が成長したってことさ」
目に映る世界は、自らの心の中によって容易く色と形を変える。例えば、光が居なくなった横浜の自宅でさえ。影行はそう告げながらも、今の自分の立場や目に映る光景がどこか嘘ではないかと思うことがあるという意見だけには、同意を示した。
眼の前にあるのは酷使されたF-5ではない、世界でも最新鋭の機体の改修型。周囲にあるのは、BETAとG弾に蹂躙された故郷。臨時の少尉ではなく、特例とはいえ中佐にまでなった。父・影行は、大東亜連合で重要なポストについている。8年前の自分たちに告げても、嘘だと笑われて終わるだろう、そんな立場で大勢の人達に期待をされている。
「夢というと、語弊があるが……未だに、信じられないと思う自分が居るな。気がつけば佐官だ。戦争、戦争、戦争の中だけどな」
「でも……地に足がついているとは思う。亜大陸に渡って、早くに覚悟を決めないでいたらきっと、もっと現実性を感じられなかった」
徴兵された大半の民間人と同様に、どこか浮ついた気持ちになっていただろう。新兵というのは、いつもそうだ。戦場に赴く自分というものに現実味が感じられず、どこかで自分が死なないと想っている。そして、眼の前で人の死を見て初めて気づくのだ。自分の命が脅かされている事に。
影行は、武の言葉を聞いて、問いを返した。
「それでも、幼い夢を見ることを許されるのが子供だ……早々に現実の中に放り込まれるようになった、その切っ掛けを作った俺を恨むか?」
日本に居れば、辛く苦しい思いをしなくて済んだかもしれない。暗に告げる影行に、武は即答できなかった。出会えた人達は素晴らしい。それでも、武はふと思うことがあったからだ。もっと各国の政府が賢く、軍隊が強ければ、自分がこんな道を歩まずに済んだのではないかと。格好を付けても意味がない家族との会話の中だからこそ、浮かんでくる感情だった。
だが、それよりも高鳴る感情のままに、武は答えた。
「ふと揺らぐような事はあるけど……恨めないんだ。どっちを選んでも、後悔したと思うから」
無いものを欲しくなるのが人間だ。だから様々な人達との出会いを宝物だと感じている武は、少し恨めしい気持ちがあっても、切っ掛けをくれた父の行動を恨む筈がないと言った。
「でも、さ………ちょっと………いや、ほんの少しだけ………辛かったけど」
武は冗談を言う時のように、軽く笑いながら答え―――冗談では済まない背景を知る者にとっては、染み渡るような声だった。
「……でも、俺が戦うことに意味があったって……それだけは証明したいんだ」
軍人とは、結果が全てだ。8年前に戦うことを選んだ先に、今がある。その今は、この先にまで続いているのか。辛く苦しい道を歩んできた意味があるのかどうかは、明日の戦いの勝敗如何で決まってしまう。武はその事実を噛み締めながら、自らに問いかけた。
(―――8年前。逃げずに戦う事を選んだのは、本当に正しかったのか)
殺し抜いてきた今の自分が、存在してもいいのか。
それは、先ほどの武が廊下で出会った5人が抱えている難問に似ていた。結局は殺す以外に方法が無いという、夢のような解決策が無い問題を抱えながらも、正しいと思って進むしかなかった状況でずっと戦い続けてきた。
それは正しかったのか。あるいは間違った選択で、全てが無駄に終わるのか。
分かるのならば消えてもいいとまで思っている、心の底から絞り出したような小さな声は、正解が欲しいと泣いている子供のようで。
その嘆きを耳にした影行と、物陰に隠れて話を聞いていた数人は、何も応えられずに眼を伏せた。
その心の中に新たに芽生えた、静かな決意を携えたままに。