Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
薄暗い灰色の雲が青を覆い隠す空の下で、編まれ組まれた人と鉄、炭素で構成された人類の切っ先たる巨人は静かにその時を待っていた。
知恵と知識で作られた物達は、役割を果たさんがために。
無造作な肉で編まれた人間達は、立場によってその思いを違えていた。
末端の兵士は、激しくなる動悸を抑えようと必死だった。その後ろに居る下士官達は新兵その他、暴発の危険性がある未熟な部下を抑え込むように睨みつけていた。更に後ろに控えている士官は、階級によって様々な様子を見せていた。
その中でも、大隊規模で部隊を左右できる高級将校だけは、眼の前の光景を静かに見回していた。この不利も極まる防衛戦に勝つために、焼べるものは全て焼べた。既に列車は帰還不能点を越えている。今更の自分たちに許された行為は、戦うこと、それ以外にないのだと覚悟を定めていた。
―――静かに、開幕のベルが鳴ったのは陣容が整い、予測された戦闘開始から過ぎての10分後。誰よりも早く報告を上げたのは、急ピッチで震動計を地中深くまで設置した、帝国本土防衛軍の測定班だった。
『―――HQより各機。センサーが大規模震動源の上層を感知した』
『―――確認。震動源を母艦級と断定。数は―――先行した、4体が―――』
『―――急速接近中。角度、64で上昇―――地上部に出るまで、残り40秒―――』
『―――機甲部隊、戦術機甲部隊は準備を、指揮官からの合図を待て―――』
陣形の中、待機している者達全てが息を呑んだ。司令部から入手した情報だけではない、自らの五感が既に掴んでいたからだ。
この国に生まれた人間にとっては慣れた、地震動による揺れではない、規則的に過ぎる地面の震動を―――戦場が生まれ出る産声を聞いていたから。
そして、その予感は外れることなく。地中から現れた怪物は、鉄塔もかくやという巨大なその身を、捲りあげられた土塊と共に地上へと現した。
『っ、大きい―――これ程とは……っ!』
『……頭では、理解していた筈だけど』
『現実に見ると、また違う』
『慧さんの言う通りだね。まるで、海に出来るっていう大渦みたいだ』
『……物理的な破壊が困難、という意味では同じかもしれません』
全高176m、全長1800m。地上部に出ているのは頭の一部とはいえ、否、だからこそその異常さは際立っていた。体積を考えれば、巨体から来る自重だけではない、更に大深度の土圧を加えられても耐えきる強度を持つ外殻もまた、常識の範囲外と言えた。
試算では、戦車の主砲はおろか、戦艦の大口径砲をもってしても破壊が不可能だという。後方で母艦級の威容を目の当たりにしたA-01は、優れた資質を持つ衛士だからこそ、その情報が正しいことを深く理解してしまっていた。
『それでも、任せるしかないんですね……』
『逸るなよ、速瀬。今の我々の仕事は、待つことだ』
A-01に任せられたのは、切り札となる電磁投射砲の運用だった。地上部にBETAが展開し終わった後という、投射砲による撃破数が最大となる機会を待ち、その機が訪れたら迅速に移動後、斉射を完遂する。2個中隊という小規模な戦術機甲戦力に任せられるものの中では、最重要とも言える役目を任せられたのだ。
『だが、それだけでは足りない。だからといって、この方法は―――』
対BETAの防御戦を大雑把にまとめると、“BETA群を足止めしながら戦車、艦隊の大火力で叩く”という内容になる。陣形を固めた上で地雷を、地形を、戦術機を駆使してBETAの足を鈍らせながら、後方からの援護砲撃で数を削るというのが定石となる。
その中で、絶対に守らなければいけない拠点、都市を背にした状況で最も気を使う必要があるポイントは、最終防衛線までの距離だ。BETAの物量と頑丈さを考えると、一歩も踏み込むことを許さずその場に留めるというのは不可能と言えた。故に、1歩進む間に100を、2歩進む間に500を削る。それを繰り返し、最終防衛ラインにたどり着かれる前に殲滅に成功すれば勝利、出来なければ敗北となる。
加えて、今回の特殊な状況である。地中部大規模侵攻からの母艦級による戦力の一斉展開を事前に察知した上で迎撃する、というのは過去に例を見ないケースだった。
定石とは、過去のデータの産物である。血と肉を捧げ、煮詰められた結果から得た、最も有用だと認められた戦術だが、前例の無い状況ではそのデータの正しさを確信できない。
(だからこそ、賭けになる………だからって、これは)
まりもは、帝国軍上層部の正気を疑った。正攻法による打倒は難しいからこそ、数の差を戦術で覆す必要があるという考えは至極真っ当なものだ。
その方針を理解した上で、遠く、母艦級が現れた位置に展開していた部隊の姿を見て、まりもは呟いていた。
「死守ならぬ―――死“攻”と言うべきだろうな」
間もなくして、母艦級の大きな口が開き。
―――その直後、近くに待機していた機甲部隊の大口径砲が火を吹いた。
『―――次弾装填、急げ!』
『―――焦るな、外すな、止まるな!』
『―――まだだ、逃げるなよ!』
帝国陸軍、第二機甲連隊を前線で指揮していた
(今回の作戦における不利は、主に3つ)
1つ、圧倒的な物量を誇る敵を、移動中に叩けないこと。
2つ、敵出現ポイントと、最終防衛線となる帝都や横浜基地との距離が短すぎること。
3つ、前日の甲21号作戦で戦力を投下したことによる、防衛戦力の減少。
どれか1つだけでも苦戦を免れないのに、3つも重なってしまったのが今の状況だ。だが、戦況を悲嘆して諦めるにはまだ早い。西田は、それらを飲み干した上で対処するのが自分たち帝国軍人の仕事であると考えていた。
故に、西田は粛々と敬礼を返した。戦力を展開する直前の母艦級に対し、近距離からの主砲で可能な限り数を削れ、という命令に対して。
理に適っていたからだ。母艦級の強固な外皮は、衝撃を逃さない。距離により威力が減衰されない主砲を、その口に叩き込み、母艦級の中にいるBETAの数を削ること。また、その死骸が障害物になることで、BETA群の戦力の展開速度を落とすことも出来るのだ。
『―――西田大佐! 中型の隙間から、小型が……!』
「―――つまりは、足の速い中型はまだ出てこれないということだ」
退き撃ちの態勢に入るのはまだ早い。西田は命令した後、砲撃の続行を命じながら告げた。
「臆するな―――我々は今、戦車乗りとして最大の誉を得ているのだぞ」
『ど、どういう意味でありますか?』
「たった1発で、複数の中型種を
かつては戦場の主役を誇っていた戦車は、BETAの出現によりその地位を落とされた。厚い装甲による防御力への信仰はBETAの圧倒的攻撃力と機動力を前に消え去り、今は移動砲台以外の役割を求められていない。
唯一残った誇りは、主砲の威力のみ。それさえも艦砲射撃が届く位置では、二番目として扱われている。
「だが、今この時、この戦場において“これ”は我々にしか出来ない」
最終ラインまでの距離と敵撃破のチキンレース、そのスタートダッシュを果たせる役割は内陸部でも移動可能で、火力で戦術機を上回る戦車にしか出来ない。理と火と知で組み上げられる戦場は大きな歯車の如きものだが、その中で代えが利かない、唯一無二と呼ばれるのは軍人として、これ以上ない誉と言えた、そして。
「故に、撃ち続けろ―――我々はこの主砲一発で、帝都の民を100人救う」
西田は根拠の無い数字を自ら信じ、そして信じさせた。静かな大声で、叫ぶことなく、それでいて感情のこもった声で命令を出し続けた。
『だ、大隊長! 第二のやつら、定刻になってもまだ―――』
『理由あってのことだ。西田は過ぎるほどに愚直だが、バカではない』
砲撃開始から後退までの時間については、予め伝えられていた。敵の展開速度と状況を簡単に分析した結果から出した数字だったが、それを越えて母艦級の前に留まっている第二機甲連隊の姿を見た第一機甲連隊の前線指揮官である
(それでも退かないのは、想像以上に効果があったか)
あるいは、敵の小型種の数が想定よりも少なかったか。それは中型種の割合が多いという意味にもなるが、不利となる情報を置いて、第二機甲連隊の後退の援護を任された自分たちがどう動くべきかを、千見は考え続けていた。
第一機甲連隊は、BETAの予想侵攻ルートから横に外れた位置に陣取っていた。正面で相対することなく、側面からの援護に徹するためだ。それには、第二機甲連隊の撤退を支援する役割も含まれる。
ならば自分たちはどうするべきかと、千見は考えた上で、的確に次の展開を読み切っていた。
第二機甲連隊はぎりぎりまで留まり、砲撃を続けるつもりだろう。その効果は大きいだろうが、後退中に追いつかれる危険度は跳ね上がることになる。
(幸い、母艦級の出現ポイントにも恵まれた……1体のみ突出されていれば、どうしたものかと思っていたが)
事前に入手したというデータ―――どこから入手したのか、私的には小一時間どころではなく問い詰めたくなる―――通りに展開してくれたお陰で、方向転換や移動の必要なく迅速に砲撃を開始できたのだ。だが、やや横一列気味になっている第二機甲連隊の陣形では、援護砲撃が間に合わなくなる恐れがあった。
効果的となる、第二機甲連隊に追いつこうとしているBETAのみの撃破。それが、横一列となるとカバーしなければならない範囲が広がり過ぎるからだ。
第二機甲連隊には後退後、戦術機甲部隊への援護砲撃という役割もある。ここで数を削られ過ぎてしまうと、少し拙いことになってしまう。
(それは西田も分かっている―――だからこそ、か)
千見は第二機甲連隊が後退を始めた姿を、その
「全機、砲撃用意。作戦通りだ」
『―――了解』
『―――了解、です。しかし、BETAの先鋒と、第二との距離が』
近すぎる、誤射の可能性が、との言葉が出るより早く、千見は告げた。
「当てるつもりでやれ、と言うことだろう」
間もなくして、HQから命令が下された。
―――やや中央に寄る形で後退し始めた第二機甲連隊の前方を、多摩川途中まで展開した大和型による艦砲で援護射撃を行う、と。
「―――海軍さんなりの発破だな、これは」
「―――退け! 中途半端に撃つな、退くことを最優先としろ! 砲弾はあらかた撃ち終えたゆえ、足は軽い!」
『―――了解!』
西田は命令を出しながら、大和型による46cm砲が母艦級の外皮に命中した時の震動に耐えていた。その震動のせいで、バランスを崩している周辺の中型、小型種を観察しながら。
従来の作戦通りであれば、横浜沖合や多摩川途中まで―――高価な戦艦を使い潰す覚悟で展開した―――大和型による艦砲射撃は、“光線級の殲滅が終わった後の、BETA群殲滅用の火力または不利な状況を覆すためのとっておき”とされたものだった。
一日で展開できた戦艦の数、砲弾の数ともに必要な数字までは届かなかったからだ。故に慎重に、効果的に使う必要があると判断された。航空戦力と同様、光線級による撃墜を恐れて、温存されていたのだ。
だが、初手であれば。そして、母艦級展開直後にレーザーが飛んでこなかったことから、西田は光線級は奥に温存されているのではないか、と考えたのだ。
そうして西田は、砲撃を続けている間、どの部隊からも光線級撃破の報告が上がってこない状況から、指揮しつつも自分の考えをHQに上げた。
そして後退直前に、死骸を押しのけて出てくる突撃級や要撃級の姿を確認したことを報告した。
(BETAが味方に対し誤射をしない以上、後退直後のレーザー攻撃は無い―――故に、撤退直後であれば)
光線級が表に出てくる前であれば、艦砲射撃は通る、と―――その予想は、眼の前で実証されていた。母艦級から出てきた直後の、群れの一団が46cm砲によって潰されていったのだ、が。
『―――お、追いつかれます、車長!』
『―――て、てき、突撃級がめのまぎぁぅっ!』
最も厄介となる敵集団の先鋒に一撃加えることには成功したが、敵の展開速度が思ったより速い。左翼、右翼の命令を出した直後に後退せず、少し遅れた数機が突撃級に薙ぎ払われたのを見た西田は、やや乱れた陣形で後退する自分の隊と、BETAとの位置関係を見た後、舌打ちした。
「―――それでも、五分五分か」
『―――くそっ、第一からの援護はまだかよっ!』
『―――敵との距離が近すぎるんだ、これじゃあいくらなんでも――ー』
『―――大隊長、殿は任せて下さい。10機も足止めに向かえば―――』
敵先鋒を、という言葉が出るより早く、突撃級の装甲が盛大に陥没した。
続けての轟音は、あまりにも近く。それでいて、BETAだけに着弾していく様子を見た西田は、笑いながら告げた。
「―――全機、砲弾を使い切れ。身を軽くして一目散だ」
後は千里眼に任せろ、という声に、第二機甲連隊から了解の大声が上がった。
そして、後方。伝わってくる前線の様子を見ていたA-01は、先ほどとは別の意味で息を呑んでいた。
『―――この位置関係で、援護出来るのか』
『流石は帝国が誇る第一機甲連隊、という所ですかね碓氷大尉』
第一機甲連隊の最優こと、千里眼の異名を持つ千見万里の名前は有名だった。関東防衛線において、戦線全域を見通しての援護砲撃に助けられた戦術機甲部隊は数知れない。それでも、今の状況における援護砲撃の精度と展開の速さは、異常とも言えるものだった。
『凄えな……俺だったら、誤射を恐れて撃てるかどうか』
『そんなんだからヘタレって言われんのよ』
『第二機甲連隊も、凄いです……あんなに、ぎりぎりまで』
機動力に劣る戦車で、BETAの、それも突撃級の群れに対峙するのは自殺行為に近い。徹底的に打ち合わせされた援護や地形の把握等が無ければ、全滅してもおかしくないのだ。それほどまでに、対BETAにおける戦車は防御力という意味では劣ったものがある。
だというのに、どうして、これほどまでに。
そんな考えがA-01の大多数に浮かぶ中で、言葉が上がった。
『―――士気があれば、何でもできる』
『じ、神宮司少佐?』
『―――とはいえ、理想的にも程があるな』
『紫藤少佐……』
『それでも、実際にこんな真似が出来る―――いや、出来たのは』
事前準備は、お粗末の一歩手前のレベルだった。各軍との連携も、最低限の条件だけ。あとは現場の流れで、といういい加減ともいえる内容だけだった。
兵種人員入り乱れた全体の連携を肝要とする軍で、この準備不足は士気に多大な影響が出かねないものだ。
それでも決戦をと、帝都の放棄さえも意見に出ず、迷うことなく決断出来たのはどのような“足元”があってのことか。武は帝都と、冥夜が乗っている機体を見ながら、言った。
―――あの場所に、殿下が居るからだと。
『自分だけが此処で死ぬんじゃない。帝都のために、帝都の民のために、日本という国のために
個々の生死がどうとか、失策と叱責がどうとか関係ない、
そう信じてくれる、殿下の姿を寸分無く伝えたのが、冥夜だった。
そして帝都に残った、日の本の輝きに笑われないために。
『人と国が、ズれることなく重なって、更に強く………彩峰中将の理想が、今ここに体現されているんだな』
人は国のためにできることを成すべきである。そして国は人のためにできることを成すべきである。 誰もが成すべきを成せば、BETAなどに人間は負けない。それは理想的であり、だからこそ実現が難しい思想だった。
それが今、形に成り始めている。内乱という最悪の状況を越えた日本は、国というものが持つ強さ、その真価を発揮しつつあった。
―――自分は戦場で人を、悠陽は国を。
武は雪の空の下で交わした約束を思い出しながら、呟きを零していた。
「かなわねえなぁ―――本当に」
嬉しそうに笑う武の前方で、第二機甲連隊の後退が完了し。入れ替わり立ち代わりに、クーデターに参加せず、鎮圧する立ち位置で生き延びた、帝国が誇る本土防衛軍の戦術機甲連隊が風のような速度で展開し始めていた。
『我らが帝国本土防衛軍が戦術機甲連隊、そのモットーはぁ!』
『BETAの糞どもを、殲滅、撃滅!』
『ましてや、我らが麗しい殿下が御自ら残られた御所を守るにはぁ!?』
『BETAのボケ共を、轢殺、絞殺!』
『よっしゃ、いっちょやってみろぉ!』
『了解ぃ! やってやります、自分なりのやり方で!』
『応さ―――いいぜ、許す! 無駄に無様におっ死ぬのでなけりゃあな!』
『言われずとも! そっちこそ、遅れて置いていかれても文句は受け付けませんぜ!』
『こきゃあがれ、バカどもが!』
帝国本土防衛軍、その中でも実力は確かだが、品性がちょっと、という理由で帝都防衛隊から外されていた衛士達は、遺憾なく実力を発揮していた。
いずれも、後ろ盾を持たないが、素質だけで階級を上げていった者達だ。クーデターの際にはその性格故に決起軍の標的から外れ、本人達も「人殺しは業務範囲外だ」と主張し、コックピットに乗ることさえしなかった程の徹底ぶりだが、水を得た魚のように戦場で飛び回っていた。
彼ら、彼女達の頭の中には、既に過去のことは消え去っていた。思い浮かべるのはただ一つ、新生した上層部と、殿下からの信頼に応えるための術だけ。
その中でも部隊長である新島翔子は、誰よりも真摯に、暴れまわっていた。
もっと速く。もっと強く。もっと、もっと、もっと、今よりも。
胸中に抱く言葉も、一つだけ。翔子は、決起軍に対して説いた殿下の言葉を反芻していた。民の心を、決起した者達の心さえも包み込んで、そのすれ違いに涙した姿を。
―――そして
(分かっているぜ、祐悟。お前は不器用だが、糞じゃねえ。阿呆だが、腐れたお前の姿は想像することさえできねえ)
米軍さえ巻き込んだ一連の騒動の結末から、真実の一端を拾い上げた翔子は。喧嘩友達でもあった初芝八重から受け取った言葉を元に、祐悟がやりたかった事を自分なりに―――勝手ともいえる解釈をして、覚悟を決めていた。
「てめえが、貧乳好きだってのは予想外だったが」
負け惜しみの言葉を吐き捨て、翔子は笑った。
「―――後悔させてやるよ。軍人としても、男としても。ああ、色々な意味でな」
殿下を守るという軍人の本懐を全うし、憧れられるようなイイ女としても―――選ばれなかった負け惜しみとは、決して認めないまま―――ああしとけばよかったと、悔やむ表情を見るのが楽しみだと。
己の在り方を定めた女傑は、精鋭たる部下達と共に、不利も極まる戦場の更に奥へと、駆けていった。
事前段階とも言える砲撃のフェイズは終わり、戦況は次の段階へと。推移していくその中で、BETAの動きが帝国軍の予想から徐々に外れていることを最初に気づいたのは、帝都より前方に展開していた者達だった。
『―――九條大佐、これは』
『歪だが、こちらにも広がっているな。BETAは横浜基地だけではない、帝都にも用があるようだ』
今回のBETAの侵攻目的は不明だが、帝国軍内では横浜基地の反応炉であると想定されていた。それが覆された結果を、帝都防衛用の戦力の要である斯衛部隊はいち早く察知していた。母艦級から出てきたBETAが、横浜方面を7、帝都を3の数に分けて向かっていることを。
『ふむ、団体だな。ひょっとして、帝都を観光するつもりだろうか』
『有り得んだろう。観光であったとしても、破壊を撒き散らされてはかなわん―――つまりは、我らの本懐を果たす時が来たということだな、紅蓮、神野』
『―――了解だ、任されよ斉御司公』
『こちらも、了解だ―――任せられた先鋒の大役、盛大に果たすとしよう』
炯子の言葉にため息を返した斉御司宗達は、立場と階級を弁えた上で命令を発した。斯衛の武の双頭である二人もまた、同じように応えた。紅蓮醍三郎は威風堂々と、神野志虞摩は明鏡を思わせる佇まいを欠片も崩さないままに。
『尤も……最強と名高き16大隊を差し置くことに対しては、申し訳のなさが残るが』
『心にも無いことを申すな、紅蓮』
斑鳩崇継は、冷笑を浴びせながら冷ややかに告げた。
『年寄りの冷や水という言葉もある。無闇矢鱈に張り切って、腰をいわさぬようにな』
『ふむ、忠告ありがたく―――斑鳩閣下も、身に残る疲れで不覚を取らぬように』
神野は嫌味をさらりと躱して、反撃を。対する崇継も、軽く笑った後に、礼を返した。
慇懃無礼なやり取りは、絶望的な戦況を前に、あまりにも気安く。まるで散歩に出るような調子を紅蓮と神野の二人は保ったまま、HQから命令が出た途端に、「武運を」という一言だけを置いて、前線へと躍り出ていった。
『―――崇継』
秘匿回線で繋がれた言葉は、宗達のもの。崇継はやはり来たか、とため息をつきながら応じた。
『いつもの軽い挨拶のようなものだよ宗達。よもやお前が、今のやり取りの意味に気づかないとも思わないが』
『分かっている、緊張した一部の部下に対するものだろう』
『ご明察だ……なんだ、説教ではないようだが、どのような要件が?』
『気負うなと言いたかった。いくらお前でも、先の一戦による疲れが残っていないとは思わない』
『……相も変わらず、物好きなことだ』
『だったら言わせるな……最早止めはせんが、お前のそういう行き過ぎて足元を見失いそうな所が』
崇継は無言で回線を切った。少しした後「やはり説教ではないか」、と幼馴染の変わらなさと物好きな所に苦笑しながら、ため息を吐いた。
そして、直後に入ってきた別口の秘匿回線を、予想していたとばかりの速度で応えた。
『何用だ』
『速いな……それより、何を話していた?』
九條炯子は、赤い瞳を真っ直ぐに、通信越しの崇継に向けて質問をした。崇継は疲れた顔をしながら小さなため息を零した後、答えた。
『恐らくは其方の想像通りの内容だ。以上、切るぞ』
『少し待って、確認することが。率直に聞くが、何割程度までやれる?』
『……其方が率直で無かった事など、一つの例外を除けば、一度も無かったように思えるがな』
崇継は6割だ、と今の体調と機体の状態から、発揮できるであろう性能を告げた。体調は9割、武御雷の各部品の損耗の程度を考えればそれぐらいになるだろう、と考えた上での言葉だった。
炯子は無言で頷きを返し、もう一つ、と前置いて尋ねた。
『篁の援護を任せたいが、可能か?』
『……建前でも、御堂の名前で言わぬあたりが其方らしいな』
崇宰家が保持している戦力、その指揮の要になるであろう者は、視野の狭い御堂ではなく、篁唯依になるだろう。崇継だけではない、炯子、宗達も事前に崇継の内部情報を集めた上での結論だったが、斯衛と色の関係から言えば、率直に言い過ぎることもまた好ましくないものだった。
それを炯子は一蹴して、告げた。
『頼られることを受け止める器が無い者など、どうでも良い』
崇宰家とその譜代の現状を考えた上での炯子の意見に、崇継は苦笑を返した。
『その様子だと、直接告げたようだが』
『それさえも、どうでもいい。問題は別にある』
『―――分かった。引き受けよう』
『助かる、ありがとう』
『言うな………全く』
宗達にもその素直さを見せれば良いだろうに、という言葉を崇継は胸の中に収めながら、動いた。
秘匿回線ではなく、周囲に居る斯衛の衛士達まで聞こえるように。
『―――先んずる紅蓮の中隊。彼らを見ていると、京都を思い出すな』
懐かしいではないか篁
『―――確かに、忘れられません。助力を頂いたことから、自らの未熟さを痛感させられた所まで』
『若干15歳、訓練も未了だったというのに激戦を生き延びた者を及ばぬとは評し難いな。それに、弱さから眼を逸らさぬものこそを強いと言うのだよ、少佐』
崇継の通信に、唯依の部隊の一部の者の顔色が変わった。いずれも、唯依の戦歴を詳しく知らされていなかった者達だ。
そして、斯衛の衛士達にとって“京都防衛線に参加して生き延びた”、というのは最大に近い戦功を示すものだった。
唯依自身、それを知っていた。そして、崇継の目論見を―――恐らくは助力の類であろうことも―――察しながらも、唯依は首を横に振った上で答えた。
『それでも、あの地で失った者を忘れられません。これを弱さと呼ぶのでしょう』
『後ろだけを振り返る者ゆえに、前を進む者には勝てぬと?』
『はい、いいえ』
唯依は、はっきりと答えた。
『迷いながらも悩み抜いた上で進んだ一歩こそが重いのです。それが例え間違った方向であっても』
苦悩し、逡巡し、無駄であっても足元を見据えて少しづつ。盲信し、形振り構わず走るよりも意味があると、唯依は自分の考えを語った。
『―――それが、悩み抜いた其方の結論か』
唯依は、昨日に収束した自分の考えをもってして頷いた。
―――甲21号の攻略成功。
―――多大な貢献を果たしたという、小型戦術機のこと。
―――反応炉を常識外の速度で制圧、破壊した3機の不知火・弐型の活躍と、参加していた親しい衛士が二人。
遂に、という思いがあった。反面、唯依は悩んでいた。色々な言葉を交わし、また教えてもらった二人。彼らの努力と、成した活躍に対して、どうすれば報いられるのかと。
京都で、ユーコンで。そして横浜基地で聞かされた言葉、決意を目の当たりにした唯依は、人知れずずっと悩んでいた。
そうしている間に、戦果は積まれた。血反吐を物ともせずに、進んできたであろう兄、父と想い人達の手によって。
『負けたくない、と思いました………ただ、それだけなのです』
欲望が表に出たが故の、言葉だった。
―――最前線に出続けた親友に対し、自分から動いたからこそ得られた、誇れるものをもってして相対したい。
―――それぞれの立場の違いはあれど、戦術機開発に心血を注ぎ、ついには功を成した父と兄を、正面から見続けたい。
―――努力をすれば多くの戦力を左右できるという贅沢な立場と環境を前に、逃げる無様を見せられない。血、実績、自分の力で得たものではなくても、望まれているというのに逃げたくない。
―――努力し、責務を果たせばこの上ないというのに恐れ多いからと眼を逸らし、逃げ続けるような負け犬が、今も苦悩と絶望の記憶を抱えつつも戦っているあの人に、何が言えるのか。
『故に弱かった、と。昨日に在った弱さを抱える自分を、置いていこうかと思います』
『それを続ければ―――いずれは誇れる自分に届くと、其方は宣言するのか』
『はい』
唯依は迷いなく、笑いながら答えた。
今は弱い。でも、明日はもっと。一時間後には、もっと。弱さを認めつつ、強くなろうと在り続けられれば。
(―――成る程、
崇継は感嘆していた。唯依が、この機会に自らの立場を喧伝するようにしたことも含めてだ。
(崇宰の保持する戦術機、その衛士達の動きに迷いがあるように見えたが―――)
だからこそ、炯子はフォローを考えた。その原因は、恐らく事前に篁唯依が色々と立場を明確にしたからだろうと、崇継は昨日に何が起きたのか、その事情を察していた。
(―――五摂家というだけではない、斯衛最強とも呼ばれる、第16大隊の指揮官の私に告げる。この言葉を引き出すために)
やはり白銀の周囲に居る女子は面白い、と。崇継はそう思いながら、唯依の目論見に乗った。
『その覚悟に、敬意を表しよう―――膝を折らずにこの先も続けられれば、という話だが』
『―――雨音様』
『喜ぶべきでしょうね、光様。どうであれ、この一手で憂いは断てたと思われます』
昨日まで、斯衛の内部に漂っていた不協和音。象徴たる五摂家の一角が、欠けていたという認識は、篁唯依の宣言により変わる。
帝国最大の危機の中で、五摂家とその臣下が一丸となって、斯衛の本懐を果たすことができるようになったのだ。
(……御堂剣斗では率いるのに不足、と。崇宰の譜代からはそう捉えられていた、という事ですね)
雨音は、実直過ぎる剣斗の姿を思い出していた。子供の頃、兄に従うだけだった背中を。そして、最近になって話した時に聞いた、「指揮官の器ではない」と迷っていた姿を。
(篁少佐……それでも、貴方が一歩踏み出した理由、分かる気がします)
負けたくないのは、努力し、足掻き続けている白の銀色と。
同じように、今も昇り続けているであろう眩き陽光の後塵を拝し、照らされるだけの自分は御免だと思ったから。
苦笑しながらも、雨音の胸中には共感と、それを抱かせた者に対してちょっとした悪口が浮かんでいた。
引き出せた、と唯依は今の状況を噛み締め。迷うことなく、自分の言葉で挑戦状を叩きつけた。
『―――言葉は無粋になりましょう。ですが、証明に至る実績が足らぬと言われるのであれば、御身のその眼で真偽を見極められますか?』
『はっ、当然―――無論だ。経験上、風評の類は当てにならぬと悟っているのでな』
崇継の言葉を聞いた、周囲の衛士の反応が更に変わった。一筋縄ではいかないという噂の、斑鳩崇継に認められた人物は両手を下回る。だというのに若干18歳の篁唯依が認められたことへの、衝撃。
そして、見届けるという言葉をかけられた事により、唯依に対して余計な手出しをすることが出来なくなったことが周知のものとなったからだ。
『―――といったやり取りも、今は煩わしい。篁少佐の覚悟を受け取った今では、尚更に』
五摂家の当主らしからぬ、唐突かつ想定外の言葉に場は硬直し。その呼吸を読み切った崇継は、堂々と宣言した。
『くだらぬ、と言った。何より、我が国の同胞が命を賭け続けているこの場に於いてはな』
崇継は周囲の空気を察しつつ、唯依の目論見とは別の、自身の望む所へと場を導いた。本心でもあった。今も奮闘し続けている帝国軍を他に、くだらないことにも気を払わなければいけない立場と、それを求める者達を。
必要だということは分かっていた。だからこそ、乗り越えた唯依には敬意を払い。その上で、さあ次だという意志を言葉にして突き出した。
『―――さりとて、今からだ。ついてくるのであれば、受け入れよう。篁少佐は勿論のこと、一兵卒に至るまで例外なく歓迎しよう。こうやって格好を付けている暇もない、正真正銘の修羅場がこの地に訪れているが故に』
人どうしの争いなど、くだらない。権勢を得るための駆け引きに、興味はない。確定していない未来へ向けての政争などに、意味はない。
現に、双頭であっても数の暴力を防ぎきることは叶わず、迂回してきた一団が帝都に向けて迫ってきているのだ。
絶体絶命からの逆転こそが劇の定石ではあろうが、叶わなければ道化芝居に終わるだけ。ましてや国内最精鋭を謳う我らが斯衛、窮地に追いやられる前に出来ることは星の数ほどあろうもの。
この期に及んでの人どうしの争いこそが無粋の極みであると言わんがばかりの―――今の時であっても政威大将軍になるための資質としては悠陽と同等の―――傑出した“もの”持つ男は、らしくもない大声で叫んだ。
『―――各員、刀を持て、抜刀せよ! 各々が、各々に誇るであろう、譲れぬ矜持を胸に!』
京都で失った、多くを取り戻さんがために。勝つ事が本にて候という、軍神と謳われた朝倉宗滴の御言葉に学び取ったが故に。
『武士としての本懐を果たせ。眼前に迫り、帝都を滅ぼさんとする鬼共を討伐し―――我ら斯衛こそが最強と、証明してみせよ!!』
崇継が告げた号令と共に、第16大隊の衛士と、篁唯依率いる崇宰を主家と仰ぐ衛士達は、芯の通った雄叫びと共に、万を越えるBETAに向けて突き進んでいった。