Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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3話 : 遠い約束(後編)

武は、広大なハンガーの中に居た。何を見るでもなく、思うのでもなく、ただ先程かけられた言葉を心の中で反芻しながら。

 

(樹達じゃない、俺にこそ覚えておいて欲しい、か)

 

決意を秘めた強い言葉を聞いて、嬉しさを覚えた。教官役を務めた者としての醍醐味を、武はしっかりと感じ取っていた。とても誇らしいものだった。だというのに、忘れる筈がないと、素直に頷けなかったのはどういう訳か。

 

彼女達と接した記憶は、真新しい。207Bは言うに及ばず、訓練開始から今まで濃厚な時を過ごしてきた。言ったら怒られると思うが、任官を巡ってのゴタゴタも忘れられないやり取りとなった。武は思い返しながら、教官としては恐ろしく未熟だった自分を思い出し、ターラー教官には絶対に言えないな、と頷いた。

 

唯依と上総も同様だ。二人共が初めて持った同年代の友達で、教え子で、戦友だった。共に京都での先が見えない絶望的な防衛戦で轡を並べた、同じような苦しみを知る者達。守れなかった人、失った者達の顔を、声を、武は今でも忘れていなかった。

 

美しいだけではない、残酷な。ただ、必死だったという事だけは覚えている時間と、空気を武は胸の中に刻み込んでいた。

 

(それでも、俺だけじゃないだろ……いや、別に理由が)

 

武は自分の中にある、言葉では言い表せないわだかまりのようなものを抱えながら俯き、自分の足元を見ながらハンガーの床を踏み進んでいた。

 

そこで、呼びかけられる声を聞いた。教官、という確かめるような言葉。武はその声に、聞き覚えがあった。

 

「風間少尉に……幸村?」

 

武は祷子と同期の、かつての教え子の名前を呼んだ。A-01に入隊した後の初めての戦闘で負傷して、入院していたと聞かされていた。どうして、と言った顔で武が見つめると、幸村は揃いもそろって苦笑を浮かべた。

 

「……年齢詐称をしていた訳じゃないんですね。私達より年下って聞いたこと、絶対に冗談だと思ってたのに」

 

「えっと……」

 

武はどういう意味か分からずに戸惑い、その顔を見た祷子と幸村は小さく笑った。そういう仕草を見ると、嫌味な鬼教官ではなく、年相応に見えると。

 

「ほんっと、訓練中に何度殺してやろうかと思いましたけど……取り敢えずは、お礼を」

 

「私からも、改めて。教官の厳しい訓練のおかげで、私達は死なずに済みましたわ」

 

幸村と祷子はそろって頭を下げた。即死せずに、今こうして歩けているのはあの厳しい教導があったからだと、尊敬する声色だった。武は頷かずに、二人から少し視線を逸した。

 

「素直には、受け取れないな……力不足もいい所だろ」

 

結局の所、3人中2人も初陣を無傷で越えさせてやる事ができなかったんだから。小さな声でつぶやきながら申し訳がなさそうな顔をする武に、二人は苦笑を返した。

 

「いやいや、それこそ神様じゃないんですから」

 

「幸村の言う通りです。任官したからには、一人前。ましてや、私達は衛士です。その功罪を、教官に背負われても困りますわ」

 

「ですね。特に私なんか、緊張し過ぎちゃって……」

 

教えの通り、任官前の忠告を実践出来ていれば撃墜されることはなかった。それが二人の共通認識であり、教官のせいにするほど落ちぶれてはいないという意地の現れでもあった。

 

「……そうか。だけど……倉橋の方は、その、大丈夫なのか?」

 

「ええ、以前よりはずっと。回復の傾向はあって、普通の生活も送れそうです」

 

一昨日にお見舞いに言った時には普通の会話をすることが出来たと、幸村が嬉しそうに語った。武は倉橋南が初陣の戦闘を終えた後に錯乱した結果、基地に帰投した後に外傷とはまた異なる病院へと運ばれたという顛末だけは聞いて、心配していた。見舞いに行けなかったこともあって後ろめたさを感じていたが、最悪の事態にはなっていない事を聞き、安堵の息を吐いた。

 

「……南は、衛士には復帰できないと思います。でも基地に帰投するまでもったのは、紛れもない教官のお陰です」

 

厳しい訓練で心身に刻み込まれた動きを再現したから、戦闘が終わるまでもったと、祷子は語った。珍しいケースだと、当時の部隊長だった樹からも教えられていた。普通、9割9分は“ああなって”から一分も持たないと。

 

「そう、か。しかし、倉橋がな……」

 

衛士の適性検査では現れない、本当の実戦を前にした時の本人の根本的な資質というものがある。即ち、命を賭ける場で物怖じせずに動く事ができるかどうか。武でも、その全てを見抜くことはできない。思考が読めたとしても、実際に限界を迎えるまで気づくことができないものだ。中には窮地で追い詰められた時に、花開くように強靭な精神を獲得する者も居るのだから。

 

「だーかーらー、ポジティブに考えましょうよ。ぱっと見の素質はあった、だからこその横浜基地でしょ? ……教官が居なければ、別の部隊で戦ったら、南は間違いなく死んでましたよ」

 

何だかんだ生きて、入院して回復の余地がある、それは贅沢なことです。一人で話して頷く幸村の姿を見て、武は少し呆気にとられていた。どちらかというと倉橋よりも幸村の方を、精神的な面で危ぶんでいたからだ。その疑問に答えるように、祷子は小さく笑いながら、幸村が怪我をした後のことを話した。

 

負傷をしても、弱気にはならなかったこと。頭から血を流しながらも健在の意志を通信で飛ばし、近くに居た僚機を頼りながら、周囲の要撃級に対処していった事を。

 

「意識が朦朧としながらも、“帰るんだ、教官に教わった通り、帰るんだ、教官に教わった通り”と繰り返しもがっ」

 

幸村は顔を赤くしながら慌てて祷子の口を塞いだが、時すでに遅かった。そうなのか、と呟く武の顔を見るなり、耳まで赤くしながら、大声で誤魔化した。違うんです、そういうんじゃ、私は、と腕を大ぶりに振りながら。

 

そして武と一緒に綺麗な微笑みを浮かべている祷子を見た幸村は、反撃に出た。

 

「――そ、そういえばそっちは?! あれですよ、もう、あの、夜の演奏会とかやったんですかそうですね!」

 

「……ええ。そうなったら、どんなに良かったことか」

 

「へっ? え、ちょっと、祷子ちゃん顔がこわ」

 

「あー、それ俺のせいだな。あの時から、本格的に忙しくなったから」

 

「……ええ。少し、戦闘や、色々な女性の世話などを」

 

「世話、って……いや、そういう事か」

 

207Bや殿下の事など、機密に関係することを暈して話してくれたのか。そう納得する武は、祷子の目が笑っていなかったことに気づかなかった。幸村は一転、祷子に同情する視線を向けた後、小さく謝罪の言葉を返した。

 

「ともあれ、幸村……身体、大丈夫か? 見た所、怪我は完治していないようだが」

 

「大丈夫です。それに、私よりも大丈夫じゃない怪我人とか、増えちゃいましたし」

 

防衛戦は快勝に終わったが、死傷者数が少なかった訳ではない。機甲兵団も、かなりの数が小型種の襲撃を受けて負傷したという。横浜基地にも、近隣の病院施設で賄えなくなった何百人かが、治療を受けている所でもあった。

 

「それで、居ても立っても居られないということで」

 

「……脱走したとか言わないよな」

 

「えっと、言伝はしてきました!」

 

武と祷子は、置き手紙のパターンだな、と呟くも、責めるつもりはなかった。逆の立場であったら、自分たちもきっと同じことをしていたと、そう思ったからだ。

 

そして、夕呼も知っていると武は見ていた。入り口の守衛に止められなかったということは、事前に根回しがあったからだ。

 

(……大人しく休んでいてくれ、って言っても聞かないよな)

 

日本史上に確実に残る激戦が続いた中で、A-01はどれだけの苦労をしたのか。推測できて思いやれるからこそのA-01の衛士だ。そして武は、自分の目から見ても責任感が強かった幸村に、ここで何もせずに帰れと言う方が酷だと思った。

 

「猫の手も借りたい、というのは事実だからな……食堂での補助、応急処置の手伝い、看護、運搬の指示出し、得意な分野は」

 

「えっと、料理なら自信ありです!」

 

「なら、食堂を頼む。京塚曹長に俺に命じられたから、と言えば大体通る。それに、訓練生時代に一緒に食事をした所は見られているからな」

 

一度目にした顔を、京塚志津江は忘れない。誰が居て、居なくなったかという所まで。

 

「―――了解! ありがとうございます、教官!」

 

頭を下げて礼を言うなり、幸村は駆け足で食堂へ走っていった。武は俺もう教官じゃないぞと呟きながらも、手を振って見送った。

 

「……良かったのですか?」

 

「問題ない。監視兼護衛役が横浜基地内に戻れるし、あちこちで人手を取られて不足しているのも事実だから」

 

今の状況で病院に潜伏するのは難しいだろうから、と武は自分なりの推測を告げた。祷子は、それもそうですわね、と頷いた。

 

「……上の立場になると、色々と気を回す必要があるのですね」

 

「肩がこって仕方がないけどな……それでも、選んで進んだ道だから」

 

言い訳はできないと告げながら、走り去っていく幸村の背中を見送る武の視線は、一つの心残りが消えたと言うような。そんな―――どこか、遠い所に行ってしまうような儚い色を含んだ武の表情を見た祷子は、拳をぎゅっと握った後に呟いた。

 

「……南は」

 

「え?」

 

「先月、お見舞いに行った時ですわ。南に、その……それ以前に、バイオリンが聞きたいと言われまして。音楽療法という手段も、あるにはあると」

 

それが了承される程度には、思わしくなかった。その手の患者が多くなり、医師側としても雑になっていた印象があったと、祷子は見たままを説明した。

 

「演奏は、できましたわ……でも、練習不足で」

 

楽器は、才能だけでどうこうなるものではない。血の滲むような努力があって初めて、人の心を動かせる音色やハーモニーを奏でることができる。講師から何度も教えられた事であり、祷子もその言葉を疑うことはなかった。

 

それでも、衛士としての訓練がある以上、バイオリンの練習時間はどうしたって減るし、腕も落ちる。祷子は覚悟の上で、自分の鈍くなった音色を聞きながらも、丁寧に演奏した。

 

「……でも、効果はあったんだろ?」

 

「ええ……恐らくは、といえる程度のものですが」

 

回復に向かったと、医師から言われた。それでも、祷子は確信できなかった。もっと、腕が落ちていなければ。もっと、心を打つ音が出せれば南の回復も早く、という疑念を拭い去れなかった。

 

「……この戦争で傷を負ったのは、人の肉体や土地だけではないのでしょう。二度と、失われて戻らないものがあるのですから」

 

故郷、風景、思い出。潰されて、生きている内に戻るかどうかと問われると、黙って首を横に振らざるをえないような。心の傷と一緒に、と祷子は呟いた。

 

「劇的に回復させる方法、というのはありません。ですが、せめて……せめて、安らげる時間があれば」

 

ひとまず、日本からBETAは去った。それでも世界中にBETAが存在している以上、その脅威は消えない。いつかまた、という恐怖も。地球上の全てのBETAを掃討したとしても、宇宙にまだ脅威は残っている。その備えとして、いつまでも戦いを覚えさせられる人もまた、存在する。

 

だが、無休ではない。娯楽を楽しむ時間が消えることはないのだ。だからせめてもの、という思いと共に祷子は告げた。

 

決意を秘めたその声と顔は、お嬢様然とした訓練生の初期のものとは全く異なり、凛としたもので。武は、その覚悟を疑わなかった。ただひとつ、どうして自分に言うのか、という思いがあったが。

 

「……どうして、という顔をしていますわね」

 

「え、っと、顔に出てたか?」

 

「ええ、面白いほど」

 

祷子は小さく笑った後、告げた。

 

「最初に、宣言しておきたかったの。誰でもない、私のファン一号の貴方に―――私の音が好きだと、面と向かって言ってくれた人に」

 

「……言わなくても、みんなそう思ってるでしょうに。少なくとも、A-01の全員は」

 

「かもしれないわね。でも、言葉にしてくれた方が100倍嬉しいのよ」

 

そして、何よりの自信になる。祷子は説明しながら、武が分かっていないことに気づき、苦笑した。厳しい訓練を乗り越えた後、更に進もうという意志を、土台を築けたのは武の言葉があったからだ。言った本人に、そういうつもりがなく、ただ好きだからと純粋に音を褒めてくれた。

 

だからこそ、と祷子は武に向き直ると、武の胸元へ優しく掌を当てながら告げた。

 

「―――誓いの欠片を、貴方の心に残して行くわ。私が目指す道が……それで良いと、そう想わせてくれた言葉の源が宿る場所に」

 

いつか私が挫けたら盛大に笑ってくださいね、と。祷子の決意の言葉に、武は俯きながら答えた。

 

「……一応だけど、承った。俺も長生きできる確証はないから、約束は果たせないかもしれないけど」

 

「それでも、気にしないわ―――言葉を結べた、という事実があるのなら」

 

過去でも今でもなく、遠い未来に向けて繋がるものがあれば。貴方も、持っているのでしょうと祷子が問いかけ。武は、少し考えながら、あるにはあるけど、と答えた。

 

「……でも、持ち続けるには厳しいものだぜ、それは」

 

重荷になるし、疲れる。言外に示す武に、祷子はそうかもしれないわね、と笑った。

 

「それでも、諦めず頑張ることはできるわ。―――私は1人じゃないと、思うことができる約束があるのなら」

 

優しい微笑みと共に、祷子はそう告げると、何も言えなくなった武を置いて、自分の機体がある場所へ去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……果たすために約束をする訳じゃない、か」

 

呟き、武は歩き続けていた。祷子の約束の言葉と、唯依や冥夜達との言葉の繋がりを思い出しながら。

 

そして、過去にいくつかの約束をした人達を思い出して。

 

ふと顔を上げると、その2人の姿があった。

 

「磐田大尉に、雨音さん……? どうして、今時分ここに」

 

距離はあるが、間違いない。まるで待ち構えているかのように、こちらを見つめている2人の姿を見ると、武は悩みながらも前に進んでいった。

 

そして朱莉の顔がどうしてか赤くなったり青くなったりしている事に気づくと、武は慌てて小走りで駆け寄ると、声をかけた。

 

「ちょっ、大丈夫か!? もしかして疲労が原因で熱とか……」

 

「大丈夫ですわ、武様。磐田大尉はそんなヤワな御方ではありませんので」

 

別の方面でヤワかもしれませんが、と雨音は緊張に顔を赤くしたまま硬直する朱莉を見て、ため息をついた。

 

「お久しぶりです……というほどには、時間は空いていませんが」

 

「長く感じた、っていう点には同意しますよ。甲21号とか、防衛戦とか……そっちは大丈夫でした?」

 

「……ええ。何名かは鬼籍に入られましたが、斯衛の名誉は果たせましたから」

 

第16大隊でも、甲21号に一大防衛戦という激戦の中、無傷とはいかなかった。誰が、と視線を向ける武に対し、少し落ち着いた朱莉が答えた。

 

「知っている面子では……田倉と井ノ内に、千葉だ」

 

「……功績重視の田倉、中距離原理主義者の井ノ内と、カバー男の千葉まで?」

 

武の言葉に朱莉と雨音は頷き、状況を説明した。瓦解しそうになった他部隊の援護に行き、井ノ内は巻き込まれる形で、田倉と千葉は更なる援護がくるまで時間稼ぎをした後に、機体に限界が来たと。

 

武はその状況から、防衛線に穴を開けると拙いと判断してのことか、と呟き、2人はその通りだと頷いた。

 

「名誉の討ち死にだ。その後方に居た崇宰の部隊に被害が出るのを、防いだ」

 

唯依に率いられていたとはいえ、連携と実戦経験で言えば他の4派に比べて一段劣る。そこにBETAが勢いよく雪崩こめば、突破されていたかもしれない。そんな最悪の状況を未然に阻止したとして、崇継から恩賞が出る予定だと、朱莉は説明した。

 

「もっと早くに、私の中隊が気づけていれば……いや、白銀中佐ならきっと。そういう考えが消えなくて」

 

「……ああ、ひょっとして怒られるとか思ってたのか?」

 

「少し、な。それだけではないのだが」

 

3人が死んだのは、誰の失策でもなかった。隊内での共通見解であり、誰の目から見ても分かるただの事実なのだが、朱莉だけはそう思っていなかった。白銀武という衛士の背中をずっと見続けていた彼女だけが、もしかしたらという気持ちを抱いていた。

 

そうして落ち込む朱莉を見た雨音は、困った顔をしながら武に視線を向けた。武は何となく事情を察すると、その時の状況を細部まで聞いた上で、ため息を一つ零した。

 

「いや、俺でも無理だって。斯衛の最前で、敵BETAの先頭集団を全力で牽制し続けてたんだろ? その状況で離れた位置に居る別の中隊まで面倒見られねえって」

 

「……いや、風守中佐なら、こう……ぱぱっと片付けて、少し空いた時間にどかーんと助けてくれそうな感じがして」

 

「ツッコミ所が色々ありすぎるぞ」

 

風守じゃないし、超人じゃないし、何でもできる万能の人間でもない。どれだけ期待値上げられてるんだか、と武は呆れた顔になった。

 

「それに、人の失敗にはとにかく口煩いあの介さんが、誰にも何も言わなかったんだろ? なら、どうしようも無かったんだって」

 

改善点があれば容赦なく抉りこむような口撃を仕掛けてくる真壁介六郎が何も言わなかったということは、朱莉や他の者達に責めるような点が皆無だったという証拠だ。武の根拠ある説明に2人は頷くも、朱莉だけはどこか納得していないという表情を浮かべたままだった。

 

「あのなあ……いや、ひょっとして前に言ったこと気にしてんのか?」

 

才能に振り回された挙げ句に味方を斬るなと、武は朱莉に厳しい言葉を向けたことを覚えていた。撤回するつもりはないが、少し言い過ぎたかな、と思い返す時があったからだ。朱莉は、何かを言おうとして失敗すると、顔を俯かせた。

 

武は、ため息を一つだけ落とし。徐に手を上げると、手刀を朱莉の頭に落とした。痛っ、と零れる声を前に、言う。

 

「この基地にも、第16大隊が誇る赤鬼の噂は届いてたぜ―――なんでも、味方の命を地獄から守る赤い髪の門番だとか」

 

「え……あ、いや」

 

「先のXM3の件でも、感心した。大尉に相応しい、責任ある動きだった……っていうのは上から目線過ぎるか」

 

それでも、かつては部下だったからどうしてもそういった目線になってしまうと、武は言った。そんな過去が嘘だったかのように、見事に成長したと、苦笑しながら。

 

「誇れよ、磐田朱莉殿。まあ、赤鬼とかいう……その、二つ名を付けた責任は感じるけど。とにかく、異名を別の良い方向で認められるようになったんだろ? なら、自信を持てって」

 

「……それでも、また私は」

 

じっ、と朱莉は武を見つめた。武は、少し考え込むと、まさかと答えた。

 

「ひょっとして、俺に勝ててないから自信を持てないとか?」

 

「それは、いや……ある、かもしれない。その、乗り越える目標として、付いていくといって、誓って、頷いてくれたのに……明星作戦で」

 

「あー……それはちが、いや、違うこともないのか」

 

武は視線を逸しながら、困った。崇継、介六郎、光の3人だけが知っていた規定路線だったとはいえ、朱莉達は知らなかった。明星作戦のあれは戦死であり、朱莉達は中隊長を失ったという目線でしか見れないのだ。

 

「でも、前に会った時はそんなの言ってなかったと思うが。てっきり納得したのかと」

 

「そ、それは……その、生きていたという事実の方が嬉しかったというか」

 

その後、じんわりと当時や今の状況を思い返し、鬱々と考えていたという。朱莉はそう答えるも、自分の告げた言葉を反芻すると、顔を真っ赤にしながら武を指差し、大声を上げた。

 

「そ、それに! ま、まだ約束果たせてないし!」

 

「お、おちつけって」

 

「わ、私はこれ以上ないというぐらい落ち着いている! しちゅれいな事を言うな!」

 

「あっ、噛んだ」

 

「~~~っ、とにかく! 私が勝つ前に勝手に居なくなるとはどういう了見だと聞いてる!」

 

「え……いや、そんな事言われても。ていうか約束ってなんだっけ」

 

「ま……負けた方が、勝った者の言うことを何でも一つ聞くというものだ!」

 

「え……? あ、いや、そういえば挑発しまくってた頃にそういう約束をしたような記憶が」

 

「そうだ! 何度も何度も、ランニングとか腕立て伏せとか、そういったものばかりしか要求しないし!」

 

「え……いや、勝負ごとの命令とか、そういうもんだろ? それとも、何か別の命令が欲しかった、とか」

 

「―――武様、そこまでです」

 

武士の情けです、と雨音が止めた。勝負はついたから命まで取るのは少し無慈悲が過ぎる、という風な様子だった。

 

「……ん? どこかから、笑い声が聞こえるような」

 

もっと具体的に言うと、笑いを必死に耐えているような漏れた声を、それもかなり聞き覚えのある人物のものを、武は聞いたような気がした。すぐに収まったため、気のせいかと武は呟くと、現実逃避から立ち戻った。

 

「取り敢えず、勝手に背負いすぎるなよ。田倉、井ノ内、千葉の3人も戦って死んだ……違うな、最後まで生きたんだ。斯衛の衛士として生きて生きて生き抜いた」

 

その最後を、死という事実だけで捉えるのは寂しい。悲しいし、切なくなることは分かるが、誇らしいという気持ちだけは忘れてはいけないと。武は自分の考えを話し、朱莉と雨音は肯定はしても、頷くことはなかった。

 

「……分かっているなら、当の本人が実践して欲しいものだけど」

 

「……自覚があるのかないのか。それとも、もうできなくなってしまったのかは分かりませんが」

 

小さな声は、武に届くことはなく。それでも、うん、という小さな決意の声と共に、雨音は武に語りかけた。

 

「―――京都での撤退戦の直前。私と、日々来と交わした約束を覚えていますか?」

 

「……ああ。いつか絶対に、ここ(京都)に戻ると誓いあった」

 

風守の家があった場所。そこに小太刀を突き立てて証とした。武の言葉を聞いた雨音は、良かった、と花綻ぶような笑顔になった。

 

「私も、忘れたことはありません。日々来に……甲21号の時は驚きましたが、彼女も覚えていました。いつか帰る、その誓いがあったからこそ、ここに立てていると」

 

約束があったからこそ支えにして、膝を折ることなく進むことができた。強い声で告げられた声に、雨音は泣きそうになった、と素直に告白をした。

 

「……武様の言った通り、人は万能ではありません。心揺らぐこともあるでしょう。誓いが砕かれることも。最後まで折れずとも、運命という名の斧に切り倒される時も、現実として存在することは分かっています」

 

言葉での繋がりだけで生き抜ける時代ではないことは分かっている。誇り高き才能溢れる者であっても、道を過つこと、不運に命を落とすことが当たり前のように起きる時代だ。

それでも、と雨音は言った。

 

「あの約束だけは朽ち果てぬ、と。自らが死した後も消えぬ、誰かと繋がり、その想いは残っていると、そう信じられるものを私は欲しました」

 

過去、思い出の中に交わした言葉の数々。そこに嘘はなかったと、自分だけではない誰かが覚えていてくれれば。

 

この世に永遠は存在しない、誰であろうともいつかは死を迎える。病床の身であった頃、雨音は命を、死というものを真剣に考えた。いずれ訪れる絶対の終焉、その恐怖を乗り越える術まで。

 

「死は怖く、消えることは耐えられない。それでも、誰かが覚えていてくれる限り、人は確かに“そこ”に残るのです」

 

未練さえも越えて、きっと。笑いながら、自分の命を終えることができるような。

 

「……死なないで下さいとは言いません。貴方の立場を考えると言えませんし、言うこと自体が傲慢に過ぎます。ですが……先程、貴方の言った通りです」

 

死ぬのではなく、戦って。戦って、戦って、戦って下さいと雨音は告げた。本気で、真剣に、諦めも妥協も踏破した貴方であればきっと、と信頼の視線を向けながら。

 

「そして……お手を」

 

雨音の言葉に、武は手を差し出した。雨音はそれを握ると、笑顔を向けた。

 

「答えは聞きません……ですが、ご武運を」

 

「―――そうだな。武運を、白銀中佐」

 

朱莉は強引に武の手を握ると、言葉を捧げた。

 

武はとっさに何も言えず。ただ、小さく「ああ」と呟くと、2人は手を離して笑顔を残すと、去っていった。

 

武は何も言えずにその背中を見送った。そして、2人が見えなくなった後、掌に残った他人の体温を思い出した。

 

それを、大切そうに握りしめながら、俯き。

 

顔を伏せながらしばらくその場に立ち尽くしていた。

 

 

「……遠い昔から。続いていく遠い明日に誓う言葉、か」

 

 

その始まりは、果たして何時だったのか。そんな小さな呟きはハンガーの中、機体を整備する時に出る大きな音にかき消された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うん……大変だったんだね、お姉ちゃん」

 

「……プル程じゃない。いきなり孤児院に行かされてからの生活、大丈夫だった? グエンの姉さんは心配ないと思うけど、誰か、他の子達に虐められなかった?」

 

「だ、大丈夫だよ。みんな、良い子ばっかりだったし」

 

「そう……あ、でもマハディオに会ったって聞いた。別の意味で大丈夫だった? 強引に妹とかにされてない?」

 

「えーと……うん。ちょっと、私の顔を見て泣きそうになってたし、遠い目をしている時があるけど、大丈夫だよきっと」

 

「………きっと………予防のため………強引な手段も………インファンに至急連絡を………」

 

「ちょ、ちょっとまっておねーちゃん! それに、そろそろ離してくれないかなー、なんて思っちゃったりして」

 

プルティウィは自分を抱きしめて離さないサーシャに、困った声で訴えた。姉のように母のように慕っていたし、自分を心配しているのがわかり嬉しい事この上ないが、往来で抱きしめられたままというのはそれ以上に恥ずかしかった。

 

それでも、強引に振り払うことはできなく―――そこに、救いの女神が現れた。

 

「……………こんな場所でなにやってんだ、2人とも」

 

「あっ、タリサおねーちゃんだ! に、ちっこいサーシャおねーちゃん? あ、いや、ちょ、ちょうど良かった、その……」

 

「なんのよう、タリサ。私は全力の全開で再会した我が子と感動の抱擁しているだけだからあっちに行って」

 

「……壊れてやがる。長すぎたか」

 

別れている間の時間が、とタリサは呆れた顔になるも、顔を赤くして恥ずかしがるプルティウィが不憫だと思い、サーシャを引っ剥がそうとした。だが、並の力では無理だとすぐに悟った。プルティウィが痛がるのも嫌だし、と少し考えた後、タリサは自分の隣に居る連れを見て、名案が浮かんだとばかりにポンと手を叩いた。

 

「おーい、そこのバカサーシャ」

 

「……うるさいアホタリサ。後にして」

 

「そんな事言っていいのか? ほら見ろ―――カスミがこんなに寂しそうにしてるぞ」

 

タリサは霞の背中を優しく押し出した。霞は「え」と呟くも、一歩前に出た後、サーシャを見つめた。

 

相変わらずの無表情。それでも、サーシャはそこに寂しさのようなものを感じると「くっ」という苦悶の声と共に全力で思考を回転させた。

 

そして、コンマ数秒の後。名案とばかりに、プルティウィを引きずりながら、霞に近寄ると、2人まとめて強引に抱きしめた。

 

―――間もなくして笑顔になったタリサのグルカ式の手刀がサーシャの後頭部に決まり、あまりの鋭さにサーシャは気を失った。

 

 

 

 

 

 

 

「……かなり痛い」

 

「自業自得だ、このバカかつアホ。プルもここに遊びにきてるだけ、って訳じゃねーだろうに」

 

「あー、うん。じゃなくて、はい。でも今は上官直々に自由行動、というかサーシャおねーちゃんに会ってこいって言われまして」

 

海上を強引に飛び越えた新しい機体のダメージレポートを、整備班とはまた異なる視点から観察しろ、という名目だとプルティウィは説明した。

 

公私混同も甚だしいが、それで得られる効果によっては許される、やや自由な風味が漂う大東亜連合ならではのものだった。

 

「……とはいえ、予定外の事態というのも相応に起こるものなのでー」

 

「なんだ、お前も来てたのかメルヴィナ」

 

「はいっす、マナンダル大尉。なのでプルちゃんに嬉しみ喜びの仕事があると伝えにきたんですけど……あそこで唸り声を上げて威嚇してるの、サーシャ・クズネツォワさんっすよね」

 

冷や汗をかきながらも正解に辿り着いたメルヴィナの言葉に、タリサは頭を抱えながら小さく頷いた。メルヴィナはえーと、と呟きながら視線でタリサに助けを求め、その内心を察したタリサはため息を推進力としながら、動き始めた。

 

「ほら退け、邪魔すんなボケサーシャ。プルも任官手前だ、面子ってもんがあるだろ」

 

「…………」

 

「いや、任官させたのは私じゃなくてだな。だーもう、面倒くせえ! 文句あんなら大佐閣下に言えよ!」

 

「………元気でね、プル。待ってるから、私」

 

「引くぐらい、素直になったな。やっぱりお前でも鉄拳殿は怖えか」

 

「鉄は熱い内に打て、っていうけど、関係なしにゲンコツ落されるから……あと、ラーマ隊長は耐久力なら大東亜随一だと思う」

 

「ははは、当たり前だろ。なんてーか、防げないんだよなアレ」

 

グルカの防御を越える技術とは一体、とタリサは哲学的な迷路に入り込みそうになったが、お母さん的なあれかな、とサーシャを見ながら1人納得すると、プルとメルヴィナに視線を向けた。もう大丈夫だから、と言わんばかりに。

 

「あ、はい、マナンダル大尉。ありがとうございます………でも、うん。元気そうで良かったよ、サーシャお姉ちゃん」

 

またね、と笑顔で去っていくプルティウィに、サーシャは姿が見えなくなるまで手を振って見送っていた。その後、ため息を一つ零したサーシャは、癒やしを求めるように霞に抱きついた。

 

「……ごめんね。でも、別れ方が、ちょっと……それに、感極まっちゃって」

 

「………分かって、ます。昔に、酷い別れ方をしたのは知っていますから」

 

初めて泣いた切っ掛けにもなった事件が、プルティウィの偽装された死亡報告だった。過去、無防備だった頃のサーシャの記憶を見ていた霞は、怒ってませんと答えた。その声を聞いたサーシャとタリサは、怒ってるのではなく拗ねてるな、とすぐに察した。

 

(あー、なんだ。私じゃフォローするの無理っぽいし、頑張れ保護者)

 

(張本人がすると嫌味にしかならないというか。今こそ無駄に面倒見が良いタリサの技能を活かす時)

 

(無駄ってなんだ、弟を持つ者の余裕と言え。ともあれ、どうするか……)

 

銀髪の女性として、比較対象が色々と、クリスカ&イーニァ(アレ)とか、サーシャ(コレ)のため、タリサは大人しく素直で勉強熱心な霞のことを本気で気に入っていた。失った妹とは全く異なる、内気な所も可愛いと思えて、関節技も極めてこないため、たまに一緒になる時は猫可愛がりしていた。

 

サーシャは言わずもがな、正気を失っていた頃から数えると、クラッカー中隊の皆に匹敵するほど長い間一緒に居た霞は、姉妹同然だと勝手に確信していた。いざという時でもなく、命を賭けられる程に。

 

そして、霞は聡かった。2人が自分の事を本気で心配してくれていると、仕草や表情、雰囲気で察することができるぐらいには。

 

それでも、霞はなんだかおかしくなって―――昔、白い壁に囲まれていた頃と比べれば、夢のような空間に居ると思えて。少し生じていた嫉妬も、サーシャとタリサという、裏切られても後悔は無いと言えるほどに信頼している2人が本気で悩んでいる姿を見ると、どうにも可笑しくて我慢できないとばかりに、小さな涙と共に、笑い声が零れ始めた。

 

「な―――か、霞が!」

 

「霞が、霞が笑った?!」

 

サーシャは、初めて見る顔に純粋に驚くと同時に、歓喜の声を上げ。タリサは短い間だが、色々と接した結果から“霞を笑わせる会”を結成した同志・純夏に報告をしなければ、と本気で慌てていた。

 

そんな優しい空気が流れていく空間から少し離れた場所では、必死に混ざりたがるイーニァと、霞の窮地をタリサの手から救わねばと決心するクリスカを押し止める、ユウヤの姿があった。

 

 

 

 

 

 

 


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