Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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5話 : 最後の作戦に向けて

「ようやくここまで、という所ね」

 

ブリーフィングルームの中、夕呼はピアティフを傍に置きながら整列するA-01とA-02の衛士の顔を見回すと、改めて感謝の言葉を告げた。

 

そして、ここからが本番であると、視線で訴えた後に現状の説明から始めた。

 

「まずは、BETAの動向から……関東に展開していたBETAの殲滅には成功したけれど―――」

 

夕呼は佐渡島の地図をモニターに映させた後、喜ばしくない情報を説明をした。甲21号に隠れていたらしい小規模のBETAが、海を越えて甲20号こと鉄原(チョルウォン)ハイヴに逃げた可能性が高いという情報を。

 

「え……それじゃあ、XG-70の情報が……!?」

 

「それだけじゃないわ。今回発生したBETAの奇襲に関する情報も、甲20号に渡った可能性が高い」

 

そして、問題はそれだけじゃない。夕呼は甲21号で入手したデータを分析官が解析した結果を説明した。

 

BETAの戦術情報伝播モデルは各ハイヴに独立した作戦立案機能と指揮命令系統があるという、緩やかなピラミッド型であるとされていた。だが得られたデータから分かったことは、BETAがオリジナルハイヴを頂点とする箒型の命令系統を取っているということだった。

 

何を置いても、ハイヴが得た情報は一端オリジナル・ハイヴに預けられる。つまりは、大深度地下侵攻による奇襲の戦果とXG-70に関する情報がカシュガルの中に入り、協議の段階に入っているということになる。

 

「奇襲が失敗に終わったとはいえ、BETAが今回の作戦にどんな評価を下すのかは未知数。だけど、人類側にとって最悪の判断をされる可能性もあるわ」

 

「……BETAが消耗戦を。いえ、犠牲覚悟の総力戦を取ってきたら、ということね?」

 

まりもの発言に、夕呼は頷きを返した。今回の戦闘で帝国軍が受けた被害は少なくない。立て直すにも、少々ではない時間と莫大な費用がかかることだろう。

 

一方で、BETAの被害もそう少なくはないものだろう。だが、戦力の補填速度は、コストは、増殖の速度はどうか。3つを攻略したとはいえ、残るハイヴは23もある。もしも地球上にあるハイヴが全世界で一斉に。それだけではない、より練りに練られた内容で奇襲作戦を仕掛けてくるのであれば、人類の命運はどうなるのか。問いかける夕呼の視線を受けた全員が、ごくりと息を呑んだ。

 

「―――というのが表向きな話。次の作戦目標を国連や各国に通すための、ね」

 

夕呼は肩を竦めながら言った。虚を突かれた衛士達の内、数人が眼を丸くして、数人がやはりと呟いた。

 

「ええ。察しの通り、次の作戦目標は甲1号―――カシュガルにあるオリジナル・ハイヴよ」

 

甲20号を越えて、一気に敵の本丸へ。その理由を夕呼は簡単に説明した。先程告げた内容に加え、箒型の構造を取っているということは、頭さえ潰せば各地のハイヴ攻略の難易度が劇的に下がること。XG-70が対策されないまま切り札として使えるということは、甲21号のようにハイヴ攻略作戦の被害を極小にできるということ。

 

「そして、日本としても―――いえ、第四計画として見過ごせないものがある」

 

「……俺を狙ってきたこと、ですね」

 

武は夕呼の視線に応えるように、ため息をついた。全世界で一斉に周辺の基地を襲う、ということはありえないかもしれない。だが、日本に居る白銀武が狙われるのならば。否、本当は横浜基地にあるなにかを狙っていたのだとしたら、オリジナル・ハイヴは命令を下すかもしれないのだ。ユーラシアにあるハイヴ、その戦力を横浜攻略に向かわせるべし、という日本にとっては絶望的な指示を。

 

そのことについて、各国で気づいている者は居る。だが、個人が何故狙われたのかという点について解明できていない現状、その危険は各国も同様だと考えているのだろう。対岸の火事だと眺めていた所に、頭上から爆撃が降ってきて全滅では笑えもしない。自国の地域のハイヴ攻略が簡単になること、将来の作戦展開時に日本が技術的・戦力的に協力することを匂わせれば、米国以外は乗ってこない理由がなかった。

 

明星作戦時の横浜、甲21号作戦での佐渡島の両方で人類を鹵獲し、研究していた痕跡が見られたことも各国の焦りを加速させた。知りたい情報の尽くがアンノウンという奇妙かつ不可思議にもほどがあるBETAが、次にどのようなことを仕掛けてくるのか。恒星間を移動する技術がある異星起源種が次に打ってくる手はなにか。それを見た後に対処するよりは先んじて潰したい、というのが各国首脳部の共通見解だった。

 

それだけに追い詰められているということね、とは夕呼は口に出さず。軽く息を吸った後に、改めて作戦の内容を告げた。

 

「本作戦の目標は、オリジナルハイヴ―――その最深部に居る『あ号標的』の完全破壊が最優先事項となるわ」

 

「―――っ!」

 

「攻撃部隊の出撃は2002年1月1日、早朝7時……マルナナマルマル、って言うんだっけ?」

 

夕呼は緊張した面々を前に、国連が統率する人類史上最大の作戦よ、と前置いて概要の説明を始めた。

 

ユーラシア大陸を囲む全国家とAU、米国が連携して全世界のハイヴに陽動を仕掛けること。総力を持って大陸外縁にあるハイヴの戦力を削り、増援を確認した後に第二段階へ。

 

「国連は全ての、米国は8割の軌道戦術機甲兵力を投入。」

 

低軌道艦隊によるオリジナル・ハイヴの反復軌道降下爆撃により、重金属雲濃度を一定値以上に高める。その後、国連軍の降下兵団による強襲降下でハイヴの入り口である地表面の(ゲート)、呼称『SW115』付近にいるであろう光線級を掃討。障害を取り払った後に米国の戦略軌道軍が降下、先行している国連軍の部隊と合流し、念押しの掃討を開始。

 

「その後の第三段階からが、ウチの仕事よ。護衛役の国連軌道降下兵団と一緒に降下、確保している(ゲート)から突入。佐渡島で入手したデータを基にした最も安全と思われるルートで、中枢に居るあ号標的が居る場所を目指し、これを撃破すること。同時に米軍の部隊が別ルートで侵入するけど、気にしなくていいわ」

 

「別ルート、って言うと………ああ、アトリエでG元素収集ですか」

 

「そういう事。桁違いの個体数が居るカシュガルでさえアレを求めるなんてね。開拓精神はまだまだ旺盛のようだわ。まあ、命じられる方はたまったものじゃないと思うけれど」

 

蛇足ね、と言うだけで9割9分死ぬであろう突入部隊に対する興味を失くした夕呼は説明を続けた。

 

「『あ号標的』について、補足するわ。この個体は地球上ではオリジナル・ハイヴでしか存在しない、超大型反応炉の戦略呼称よ。戦略的な重要度、機密レベル共にトップクラス。BETAを軍と見立てた場合、地球方面軍の総司令官という表現が適しているかしら」

 

「敵の総大将、地球上で言えば至上の手柄首ですかね」

 

「……首、と言えばまあらしいのかもね」

 

夕呼は武の言葉に応えるように、あ号標的の外見をモニターに映した。それを見た途端、男性陣は総じて嫌な顔になり、女性陣の何名かが顔を赤くした。

 

沈黙が場を支配する。それに反逆するように、平慎二は声を上げた。

 

「ようするに、敵の親玉のタマを蹴り上げてこいって作戦ですね」

 

「あっ、今ヒュンってなった。具体的に言えばセクハラになるけど」

 

「もうなってるわよバカ之!」

 

「あ、はははは」

 

「え、お姉ちゃ、ちが、涼宮中尉の顔が赤いけど、熱でも」

 

「ゆ、ユウヤ、その」

 

「いいから後で! 説明するから、ってどんな拷問だこれ!?」

 

あ号標的なるものの映像を見てから、騒がしくなる部隊員達。喧騒の中で部隊長であるまりもは、ただ静かに「静粛に」と告げた。途端、1人を除く部下達全員が背筋を伸ばして敬礼をした。例外である樹は、耳まで真っ赤に染め上げながら眼の奥がぐるぐると回っているようなサーシャを見て、ため息をついていた。

 

「では、副司令。続きを」

 

「…………まあ、良いわ。形状はともかく、潰すことを目的とするのは変わらない。地球上の全BETAの頭脳とも言える存在を生かしておく理由なんて、どこにもないものね。だからこそ、保険がかけられるわ」

 

夕呼は嫌そうな顔を隠そうともせずに、失敗した後の対策について説明した。作戦はトライデント作戦に即時移行。米軍指揮下の元、オリジナル・ハイヴにG弾による集中攻撃が行われることを。

 

「それは―――オルタネイティブ5ではなく?」

 

「ええ。具体的な成果のお陰―――あなた達の功績により、地球上の全人類が被るであろう最悪の悲劇は免れたわ」

 

明星作戦からの米軍の動向と、クーデター時の動きだけではない、ユーコンでのことも含めて。欧州連合並びに中華、大東亜連合全てが意見を統一した結果だった。G弾によるユーラシア中のハイヴの一斉攻撃を仕掛ける場合、明確な敵対行動とみなし、連合の全戦力を持って米国に宣戦布告すると。

 

米国内のG弾反対派の声も高まっているため、明星作戦のような強硬策は認められない結果になった。夕呼の言葉を聞いたオルタネイティヴ5のデメリット、バビロン災害について知っている何名かが顔には出さないまま、心の中だけで大きな安堵の息をついていた。

 

「………作戦の参加、不参加を問いかけようと思っていたけれど」

 

「ええ、時間の無駄にしかならないようです――香月副司令。続きをお願いします」

 

まりもは笑って頷きを返した。夕呼も小さく笑いながら、モニターに映る映像を別のものに変えた。

 

「最初に、部隊編成と各機体から」

 

主軸となる戦力は佐渡島でその圧倒的な威を見せた機体の発展型である、XG-70d(凄乃皇・四型)。可能な限りの人員を集めた上で全力の整備中、作戦日には間に合うスケジュールで作業が進んでいること。弐型の時の出力を考えると、悪くて80%、良ければ95%の出力を確保できるという見通しを夕呼は告げた。

 

近接防衛能力と通常攻撃能力も、100%ではないが、かなり高いレベルで機能を発揮できそうであるということ。テストが間に合わなかった2700mm電磁投射砲は未搭載だが、120mmの電磁速射砲は積むことができることも。

 

「どこぞの奇想天外な宇宙人衛士でもあるまいし、避けられる可能性はゼロね。かなりの制圧力が期待できるようになったわ。他の兵装も、問題なく運用は可能よ」

 

36mmチェーンガンに多目的VLS。特にVLSは状況に応じて選択することが可能になっていた。AL弾頭に三段式の広域制圧弾頭、通常弾頭と様々な状況を撃破できるようになっていた。

 

「大型VLSもあるわ。数は16基で、硬隔貫通誘導弾頭を格納済み。ここにかき集めている最中の、S-11を追加で搭載。数は……予定では、45発になるそうよ」

 

「お、多いですね」

 

「佐渡島で使用しなかった部隊が多かったお陰ね。最後に、肝心要の主砲よ」

 

即ち、甲21号のモニュメントを砕いた荷電粒子砲のこと。試射済みであるかの兵装は作戦の肝と断言できる超弩級の攻撃力を持つ最終兵器であるが、あまりの威力の大きさに突入部隊と併用する際は切り時にまで注意を払う必要がある。文字通り、切る場所さえ選ぶ必要がある、人類最大規模の切り札だった。

 

「これも、運用所は説明しないでいいわね……分かってるから、不安な眼をしないでよ。矛の次は盾の説明よ。ムアコック・レヒテ機関の稼働は順調よ。大至急、弐型から四型に移動させた甲斐はあったわ。巡航出力を越えて、戦闘出力も確保済み。ピーキーな出力特性の調整に入っているけど、作戦の三日前までにはそれも完了する予定よ」

 

「それは……つまり日本から飛ぶのではなく、私たちと一緒に軌道降下を?」

 

「BETAの動向の予測が困難になったからよ。余計な横槍が入る可能性を極力排除する方を優先した結果ね。主機に負担がかかる危険性と敵を引き寄せてしまう性質を考えると―――考えたくもない、最悪の事態に陥る可能性もあるから」

 

「了解です。ハイヴ内でも、余計な負荷がかからないように俺たち直掩部隊が気張れと。要は、腕の見せ所ってやつですね?」

 

「ええ―――国連軍でもトップクラスの衛士と機体が揃っている。その自負を汚さないように、お願いするわ」

 

次に、夕呼は機体の説明に入った。先の防衛戦から入れ替えになるものを言った方が早いと判断した夕呼は、最初に紫の武御雷をモニターに出した。事情を知らなかった面々が、一斉にどよめいた。

 

「Type-00R、その中でも最も性能が高い政威大将軍専用機。国内でも間違いなく最高性能と断言できる、帝国軍が保持する中でも最強の片翼とも言える戦術機よ。生体認証システムもある機体で……誰が乗るか、今更言う必要はないわね」

 

夕呼の言葉に、全員が頷いた。その中で冥夜だけが、静かに拳を握りしめていた。強すぎず、震えることなく。だが、片翼という言葉が気になった冥夜は眼の色に疑問を滲ませ、同様の質問をしたかった者達に対して夕呼は別の映像を見せつけた。

 

「―――もう片翼。と、言って良いのかは大きな疑問が挟まるけれど、()()()()()()()()()()()()、という想定が前提として付く機体がコレよ」

 

「えっと……00式戦術歩行戦闘機決戦用改良型、Type-00FT?」

 

「Tは“十束”の頭文字。開発秘話を聞けば、五摂家の傍役全員が使いこなす事を諦めた機体みたいよ。城内省の役人の大半が頭を抱えた機体だったとか」

 

相応の責任感と鍛錬に裏打ちされた武を持つ斯衛でも頂点に近い衛士達が、安全性の観点から通常の武御雷を使った方が効果的だと判断した、規格外の暴れ馬。そのバランスと出力値を見たユウヤが、おいおいと呟きを零した。

 

「全自動自殺型戦術機と言った方が正しいだろ……エース中のエースが時間をかければ一定の慣熟できるかもしれねえけど、やる意味が無さすぎる」

 

軍事的な観点から言えば、個人の専用機などナンセンスだ。兵器と故障は切っても切れない関係であるからこそ、予備の機体は必須となる。だが、衛士は機械ではない。突出した機体に慣熟する期間もコスト面で言えばデメリットにすぎるが、何より予備機との性能がかけ離れている場合、万が一の時の乗り換えも不可能になる。

 

修正とか補正とかは関係ない、Type-00FTは不知火・弐型をして修正できる許容の限度を越えてしまっているかもしれないほど、出力と機体バランスが破茶滅茶な機体だった。

 

一体、誰が乗るというのか。その疑問を声に出すものもなく、夕呼も問いかけないまま、話題は次に移った。「あれっ」と呟く武を置いてけぼりにしながら。

 

「同じ部隊で性能差があるとやり難いとは思うけれど……そこは腕の見せ所ね」

 

「まだ5日ある。性能が足りないよりはマシと思うしかないか」

 

部隊長であるまりもと樹の2人がため息をついた。その後、ピアティフから整備状況について説明が入った。大東亜連合からの援軍も含めて、総勢200人規模でA-01の戦術機を夜通し整備中で、作戦日の前日には出撃できるスケジュールで調整中だが、可能な限り早くするという熱意がこめられた声も上がっているとピアティフは喜びの色がわずかに混じった口調で説明をした。

 

「ただ、1機だけ……クズネツォワ中尉の不知火ですが、光線級のレーザー熱を一部受けたせいで、コックピット周りの部品に歪みが出ているとのことです」

 

すぐに撤退せずに戦闘に参加していたという事もあり、フレームの歪みが伝播して整備の進捗状況は芳しくないという。説明を受けたサーシャは、難しい顔をしたまま頷きを返した。はい、と答えた声が少し掠れた声だったことに夕呼は片眉を上げたが、ため息と共に流した。

 

「正確な所は明日に出るそうよ。他、突入後の陣形について……は、部隊内で詰めた方が良さそうね。補足のための情報として、甲21号の時から更に発展したラザフォード場について説明しておくわ」

 

システムの調整が完了した結果、応用度が高まったと言いながら夕呼は小さく笑った。発生の原理と現象に変わりはないが、近づき過ぎると直掩部隊を巻き込んでしまう危険性を排除できたことを。

 

「こう―――次元境界面を、選択的に制御できるのよ」

 

武達は映像を見て、おおと感嘆の声を上げた。戦術機にあたらないよう、衛士達にとっては死の領域とも言える重力場が自動的に避けてくれるような映像になっていたからだ。これにより、ハイヴ内という限定された空間でも、ラザフォード場に注意を払う必要がなく、高機動戦闘に集中することが可能となるのだ。前衛は特に嬉しそうに、自分の手を叩いていた。直掩部隊の機動力が上がるということは、XG-70に張り付くBETAを事前に排除できるようになるということ。それは防御力と、稼働時間や主機出力への負担を減らすことに繋がるものだった。

 

その後は、補給について。武器弾薬の補給コンテナは凄乃皇の機体に溶接済みで、内部の予備スペースに燃料も搭載。想定以上の敵戦力が来ても切り抜けられるようにと、事前の準備は万端と思えた。

 

その推察を否定するかのように、夕呼は首を横に振った。

 

「スピード重視、とは言ったけれど……最大の難関は、速度だけじゃない、綿密な連携が必要になるわ」

 

夕呼は『あ号標的』が居る中枢部の手前にある『主広間』と呼称を付けた部分をモニターに映した。

 

「中枢に繋がる道は四つ。その最後の通路に入る前に広がっているのが、『主広間』―――容積約90億立方メートルの広大な空間よ」

 

BETAの補給施設でもあるため、常時数万の個体が犇めく地獄の窯の底。突破するにも最後の通路の入り口と出口に大型隔壁があるため、速度重視による一気吶喊も不可能となる。初期状態では閉鎖されているため、どうしてもこれを開く必要があった。その他、細かい説明を受けた衛士達は神妙な面持ちで分析を始めた。

 

「通信にも、重大な障害が発生するのか……問題が起きた際の挽回の難易度が高まってしまうな」

 

「いくつかプランを用意するのが吉だな……鎧衣、分かっているな?」

 

「はい!」

 

美琴は自分の技能が活かせると思い、まりもの言葉に対して喜びの声で返事をした。責任という重責を感じる以上に、部隊に役立つ何かをしたいという気持ちが勝っていたからだった。

 

「そのあたりも、部隊内で煮詰めた後に報告を―――後は私からはいくつか、非常事態に備えた運用方法を説明しておくわ」

 

夕呼は凄乃皇・四型とハイヴ内の断面図を元に、いくつか説明を始めた。それらを聞いた全員が、呆気に取られた顔をした後、その有用さを想い成程と感嘆の呟きを零していた。

地球では最大規模となるフェイズ6、直径400m以上の縦穴と横穴が張り巡らされている冥府の大迷宮でも、この戦力と戦術があれば何とかなるだろうという期待を胸に抱きながら。

 

全て、真正面からぶつかるという訳ではない。ムアコック・レヒテ機関がハイヴ内のBETAを引き寄せるというリスクもある。だが、その度にルートを変更すれば良い。当然のように不測の事態は起きるだろう、だが時間が切迫しているということもなかった。

 

「……良い顔ね。随伴は不要だと主張した私の判断は、間違っていなかったようだわ」

 

「英断です。速度が勝負となるからには、必要以上の戦力は必要ありませんので」

 

風よりも早く。一丸となってハイヴの深奥までたどり着いた後、敵首魁を速やかに撃破する。地球の命運を左右するこの斬首戦術に、余計な脂肪は枷にしかならないというのが、確認しあうまでもない、部隊全員の総意だった。

 

「そうそう。フェイズ6とか、数字で言えば佐渡島の1.5倍だしな。つまり、あれの1.5倍ぐらいキツイけど、こっちは四型含めて全員がヤバイからな」

 

「……お前と居ると物事が簡単に思えてくるから困る。いや、褒めてないからな」

 

「漫才はそこまでにしておいてちょうだい―――最後に、突入した後にやる事は一つよ。問題はその後、脱出の方法については2つあるわ」

 

1つ、硬隔貫通誘導弾頭で中枢部の天井の最も薄い部分を破壊した後、退避ルートを通って光線級の居ない『主縦孔』から孔を抜けて離脱する方法。

 

もう一つが、四型の管制ブロックに格納された装甲連絡艇を使う方法だ。戦術機を乗り捨て、連絡艇に乗り込んだ後に脱出。1つ目の方法と同じく天井部を突き破った後、連絡艇のブースターを加速、周回軌道まで到達した後は、半自動的に横浜基地に帰投することができる。

 

「可能であれば、だけど四型と一緒に脱出する方法を優先して欲しいわ。オリジナル・ハイヴでの戦闘記録は多い方が良い」

 

帝国軍もそうだが、タリサやユーリン、亦菲で言えば祖国に黄金のような情報を提供することができる。茜達のような衛士の立場でしかない一部には分からない、裏取引というものだった。攻略が成功すれば間違いなく勲章ものだが、機体と共に生還する事ができれば、今後を考えた場合、連絡艇で脱出する以上の協力を引き出すこともできるからだ。

 

夕呼はそのあたりをあえて説明せず、ただ将来を見据えて、という言葉で説明した。

 

「そうね、カシュガル攻略が一つの転機になるのは間違いないわ……でも、月や火星にもBETAは存在している。大気が無い状況での戦闘は戦術的、技術的な面で難易度が跳ね上がるけれど―――」

 

夕呼は武に視線をやった。武はえっと、と少し考えた後、ああと頷いた。

 

「夜の空を見上げた時まで、奴らの顔を思い出したくはない。いつか絶対にまとめて掃除してやるという意気込みとか……その布石の意味でも、ですね」

 

「そういうことよ。だから、オリジナル・ハイヴなら死んでも誉れだ~、なんて思ってる奴はアホ呼ばわりするから」

 

「うぐっ!」

 

夕呼の言葉が、まっすぐ武の胸に突き刺さった。訳の分からない顔をするもの、呆れた顔をする者、ああと頷く者―――黙り込んだ者達。様々な反応があったが、総じて戦意は減っていなかった。否、一部では更に戦意が立ち上っていた

 

「……まあ、何がとは言わないけど程々にね」

 

ため息を、一つ。夕呼が落としてからピアティフから作戦前日から出動までのスケジュールが説明された後、A-01とA-02は敬礼を残すと、少しでも作戦成功の確率を上げるための訓練へと移っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブリーフィングが終わり訓練が完了したその日の夜、武は基地にやって来ていた崇継と介六郎と話をしていた。主な議題は武御雷・十束に関することだった。試作の意味が強い機体とはいえ、斯衛専用で国内外に知られる機体である。

 

―――そんな俗人の理屈などどうでも良いとばかりに、崇継はあくまで表向きな話題だと告げた後に武の肩をぽんと叩いた。

 

「決断、したようだな……紫と銀の同時侵攻とは些かならず予想外だったが」

 

「へ? ……あ、いやちょっと待ってくださいよ! なんで崇継様が知って……まさか!?」

 

「貴様が察した通り、カマをかけただけだ。月詠大尉が懸命に隠蔽しているようだが、白銀武という男との関係をよく知る者であれば推察は容易い」

 

介六郎は沈痛な面持ちで、深い深い溜息をつきながら眉間に寄った皺を揉みほぐした。若いという言葉だけでは収まらないだろうに、と疲れた声で呟きながら。

 

「まあ、良い。流石にそのあたりの事情を根掘り葉掘り聞くのは下世話だと思うのでな」

 

冗談だ、と崇継が告げると武は安堵の息を吐いた。その横で介六郎が、本題は最初のことだと言った。

 

「十束に関することだ。本日、慣らしで運転を開始したと聞いたが」

 

「あー、まあ……一つ聞きたいんですが、アレ設計した人達ってバカですか? いや、聞くまでもなくバカですよね」

 

まさか転倒しそうになるとは思いませんでした、と武は引きつった顔で答えた。じゃじゃ馬な機体でも乗りこなせる自負があった自分がああまで振り回されるとなると、使う人のことを一切考えていないのではないか、と考えたが故の断言だった。

 

「……才能に(あふ)れた技術者達にはよくある暴走らしいが」

 

「いや才能と一緒に好奇心が(こぼ)れてるでしょ、アレ。XM3でかなり改善はできましたけど……」

 

あまりの操縦性能に、半日は1人で慣熟訓練することになったと武は遺憾の意を表した。その言葉を聞いた介六郎は再び眉間に寄った皺を手で揉みほぐし始めた。

 

「新OSの恩恵があるとはいえあれを半日、か。本格的にデタラメだな、貴様は」

 

「コツは“今にも故障しそうなF-5と比べれば天国だ”と思う所にあります。鈍重な機体でBETAの集団に突っ込むよりは怖くないって」

 

遠い目をする武だが、介六郎は苦笑をしていた。今ではかなり数が減った、大陸で第一世代機を駆って戦った―――先行入力を一手しくじればたちまち絶体絶命になってしまうという―――地獄を乗り越えた鉄錆の臭いが似合う猛者と同じようなことを言っていたからだった。

 

故に崇継は、技術者達の狙いどおりだと告げた。

 

「守護神のような扱いを受けている、かの紅の鬼神の足を引っ張らないようにと作られた機体だ。相思相愛で良かったではないか、白銀」

 

「……ひょっとして、塗装の主な部分を灰色に、肩の一部分を赤に塗ったのはそういう意図があったからですか?」

 

「無論だ。あからさまに赤で塗りつぶすのは無粋も極まる。気づくものは気づく、その程度で良い」

 

あの衛士はまだ死んでいないという、希望の灯火。戻ってきたとはいえ頼り切りにはするなという、隠れたメッセージ。政治的な意味合いもあるが、あれで良いのだと介六郎は説明をした。

 

その後、2、3言葉を交わした後に崇継と介六郎の2人は基地から去っていった。第16大隊もそうだが、斯衛も陸軍や本土防衛軍ほどではないが今回の戦闘で損耗している。戦力の補充の準備や、斯衛独自の価値観から各武家の衛士達に対しての論功行賞をしなければならなかった。

 

武は十束の下で1人、機体を見上げながら別れ際に告げられた言葉を反芻していた。

 

「青森で良い酒造を見つけたのでな、ってか。ひょっとしなくても母さんが宴会のことを教えたんだろうけど……」

 

作戦が終わるまで再会はしないであろう時期に言ってきたということは、戻ってきてから酒を酌み交わそうではないか、という意味が含まれた遠回しな激励だった。迂遠な表現を使うあたりが斯衛らしく、帝国の将来を左右する決戦を前にガチガチに硬い言葉を使わないあたりがあの2人らしい。武は第16大隊で共に戦っていた日々を思い出しながら、おかしそうに笑っていた。

 

「―――1人でニヤついているとは。不気味にもほどがあるぞ」

 

「へ? あ………その、一昨日ぶりです月詠大尉」

 

「……それは二度と来るなという意味で言ったのか?」

 

「違いますって。第一、呼んでおいた上でやってきたら帰れってどこの暴君ですか」

 

武は慌てて手を横に振りながら否定をした。真那は不機嫌な表情を隠そうともせずに、武を睨みつけた。

 

国連軍の基地の中で、名前が知られているだけではなく階級も上の衛士にする態度ではなかったが、武は全面的に正しいな、と思い内心で降伏を宣言していた。一昨日との悠陽とのこと、後悔はしないまでも多方面に迷惑をかけることは間違いなく、その筆頭である月詠の2人には怒る権利があると考えたからだった。

 

それでもこの時に呼び寄せたのは、オリジナル・ハイヴ攻略のためだ。具体的に言えば、武御雷の操縦のコツから応用までを学びたい冥夜のために、相応しい教師役をと望んだ結果だった。

 

冥夜が仮眠をしている中、真那は本日に行った冥夜の操縦内容のログを。それを元に真那が明日の早朝から助言や指導を行う予定になっていた。武からの要請に、悠陽と真那、真耶は決戦に向けての一助となるのであれば是非もないと、即断した。

 

(……不本意そうですね、と言うのはやめとくか)

 

武は真那の怒りの原因が、悠陽のことだけではないことに気づいていた。死地にも等しいあのハイヴに向かう冥夜の供回りが出来ないことに対して生まれた、様々な感情を処理しきれていなく、納得もしたくないのだろうと。

 

真那は武を睨みつけた後、横を通り過ぎ。3歩進んだ所で足を止めると、武に言葉だけを向けた。

 

「……次の作戦。私の隊の随伴を拒んだのは、白銀中佐だと聞いたが」

 

「事実です」

 

真那は武の返答を聞くと、軋むほどに強く上下の歯を噛み締めた。武は、迷うことなく理由を説明した。

 

国連軍が主導で、大東亜連合、統一中華戦線に帝国軍が各所に加わっている今のバランスでカシュガルを攻略出来た方が、成功後の政治的なバランスを取りやすいこと。

 

冥夜を参加させることで作戦後の斯衛内での確固たる戦功を積ませるのは良いが、教師役であり護衛役でもあり、有力な武家である月詠が作戦に参加すると煌武院だけではない、各家の野心ある者達が良からぬことを考えかねないこと。

 

決戦にあたり可能な限り戦力を投下することは決めていたが、作戦後に不和を残すような真似はしないと、今の戦力であれば十分だと判断したこと。

 

(ほとんどは夕呼先生の受け売りだけど……1人に押し付け過ぎるのは、嫌だからな)

 

武は一言も、夕呼の意見だとは言わなかった。斯衛の方にも、武の意見だと説明してもらうようにしていた。夕呼の意見に自分も賛同した、即ち自分の責任でのことだと判断していたからだ。これで怒りを向けられ、それを受け止めるのも自分の役割だと思うようになっていた。

 

「……香月博士が言っていた通りだな」

 

「え?」

 

「いや……尽力はさせてもらう。当然のことだがな」

 

それだけ告げると、真那は武の所から去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだったんだろうな……ただ怒ってるだけって様子でもなかったし」

 

歩き去っていく真那を見送った後、武は分からないと首を傾げていた。姉のように母のように、真那が肉親に近い情を持って冥夜に接していたことは知っていた。怒りを覚える筈だと、一発殴られるぐらいの覚悟が武にはあった。なにせ死地に等しいオリジナル・ハイヴ攻略作戦に冥夜だけを参加させることになるのだ。本意ではないことを強いた者に対して、怒髪天を衝くほどの感情を持て余していてもおかしくはなかった。

 

加えて、悠陽のこともある。武は今朝方、ひょっとしたら刺されるのではないかと考え、クラッカーズマニュアルを腹の中に仕込んでおくべきかどうか本気で迷っていた。

 

(でも……最後の。険が取れた声、だったよな)

 

呆れも混じっていたが、敵意は感じられなかった。勘違いかもしれないけど、と武は迷いながらハンガーの中を歩き、そこで前方に見知った人物を複数見つけた。

 

基地の整備兵を呼び止め、なにかを聞いているようだった。武は早足で駆け寄ると、右手を上げながら挨拶の言葉をかけた。

 

「うぃーっす」

 

「お、居たか。うぃーっす」

 

もう大丈夫だから、と女性―――初芝八重は整備兵に礼を言った後、背後に居る連れと一緒に武に向き直った。武はその面々を見るなり驚いたように呟いた。

 

「……なんだ、今日は同窓会の予定だったっけか?」

 

「いやお互い同期って年じゃねーだろ」

 

八重は武の言葉を笑い飛ばした。背後に居た、男性―――鹿島弥勒は引きつった顔で八重の服を軽く引っ張った。

 

「いや、相手は中佐ですよ初芝少佐」

 

「お、久しぶり鹿島……大尉か。今は敬語は良いって、誰も気にしてないし」

 

周辺の整備兵や部品の運搬をしている者達は作業に没頭していた。一部が視線をこちらに向けるが、それだけだ。階級章を気にするような余裕はなく、容姿で言えば年下である武に対して八重が普通に話しかけていることを気に留める者は居なかった。

 

「それに、命の恩人様が居るしな。逆にこっちが敬語を使った方が良いでしょうか―――碓氷中尉?」

 

武は岡山で身を挺して自分を庇ってくれた女性―――碓氷風花に軽く敬礼をした。風花は慌てたように両手を横に振った。

 

「あ、いや、そんな、私なんかにいいって! あ、ちが……け、敬語だから……いい、です、ぜよ?」

 

「……どこぞのポンコツ赤鬼と同じになってるな。というか高知の出身でしたっけ、九十九大尉」

 

「群馬出身だから、掠ってもいないな。まあ、緊張しているだけだから許してやってくれ。なにせ噂に名高い鬼神殿に会えるとなってはな?」

 

「まーた恥ずかしい名前が……勘弁してくださいよマジで」

 

尊敬の念はこもっているが名乗った覚えのないこっ恥ずかしい名前を聞かされた武は、疲れた顔になった。昨日に帰国したターラー指揮下の衛士達にも、尊敬が深まるあまり可視化するんじゃないかというほどの輝かしい笑顔で一番星だの火の先だの銀剣だの語られたからだった。

 

「……というか、本当にあの鬼神なんだな。疑ってた訳じゃないんだが」

 

「想像と違いましたか?」

 

「ああ。なにせ身の丈7尺を超える巨躯で、髪の色は銀色、目は3つで頭には2本の角があるという噂だからな」

 

「あ、アタシも聞いたことあるな。丸太のような腕で操縦桿を握りつぶしたという話だったっけ」

 

「あまりにも正体不明だから、戦術機から降りた所を見た奴は例外なく死ぬぞ、とか言われてましたね」

 

「……崇継様あたりか陸奥さんの仕業だな、ちくしょう」

 

鬼神っていうよりただの鬼というか化物じゃねえかと武は頭を抱えた。おっ角でも出すのかとヤジを飛ばしている八重を無視しながら。

 

その後、横浜基地に居る理由について弥勒が説明をした。甲21号の攻略作戦に参加していた自分たちだが、先の防衛戦の後半に援軍として緊急出撃した結果、自分が負傷したこと。帝国軍内は他の負傷者でいっぱいだったため、緊急の処置が必要ではなかった自分が横浜基地に来たこと。肋骨の骨折だったので入院する必要はなく、迎えに来た八重達と共に帰る所だったこと。

 

「そりゃあまた。基地を上げての凱旋になりそう―――って訳でもないか」

 

「ああ。国内からハイヴがなくなったことは、夢のようだが……それでも、な」

 

勝利で報いることはできたが、戻らないものが多すぎる。命を賭して戦った者達を誇りに思うことは当然だが、心の底から喜べないと考えている自分も居る。正直な気持ちを吐露した弥勒は、八重を横目で見ながら言った。

 

「とはいえ、見知った顔に会えて嬉しいよ。あの時に京都で戦った知り合いも、かなり減ってしまったからな」

 

「……そう、だな。橘大尉も」

 

大戦果を上げたとはいえ命令違反という重罪を犯した彼女は、帝国軍でどんな扱いになっているのか。気になっていたことを尋ねるが、弥勒は言葉に詰まり。代わりとばかりに、隣にいた八重が即答した。

 

「すげえ奴だった。細かいことは置いといて、あいつのお陰で多くの将兵が死なずに済んだんだ。それだけは神様だって否定できない事実だな」

 

「……ですね。あの時に側面を突かれてたら、良くて更に2割の損害が上乗せされてました」

 

最悪は、この場に居る誰もが天に召されていただろう。彼女と共に戦った経験がある弥勒と九十九、風花は尊敬の念を共有しながら頷き合った。

 

「そうだな。帝国軍人としては失格かもしれないがな……あんな風に自分の信じた道を貫き通した上で、大勢の仲間を助けられる最後を迎えたいものだ」

 

「いや、彼女はかなり生真面目だったからな。怒られるかもしれないぜ、“命令違反なんてものを真似するんじゃありません!”ってな」

 

「……だね。それに、無駄死には嫌いだって言ってたから」

 

寂しそうに、風花は死ぬことだけが方法じゃないと言った。復隊してからも操緒と親交があった風花は、彼女が望むこととは違うと感じていたからだった。

 

「アタシは……橘とは親しくなかったが、頑固だったらしいからな。死んで後を追われるよりも、生きて語られた方が嬉しいと思うぜ。そのためにも、ここいらで一発派手な逆撃でも見たいもんだがな?」

 

「―――ああ、任せろって」

 

甲21号で反撃の狼煙を、防衛戦で相手の鼻っ柱を抑えた後はトドメの一発を喰らわせるだけだと。親指を立てる武を見て、八重は嬉しげに笑った。基地の整備兵の慌ただしさ、目の前の人物が纏う戦意、覚悟を定めつつも悲壮感のない様子。マンダレー・ハイヴを落とした時よりも大きい何かが起きるのだと、確信したが故の笑みだった。

 

武はその顔を見るなり、頷き。よかったらと1月末ぐらいに開く予定の宴会の案内について話した。眼を丸くした八重達は驚きながらも頷き、できるだけ出席するとの言葉を返した。2人は去り際に「死ぬなよ」と、軽い激励の言葉と互いの武運を祈り合っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、夜。訓練を終えた武はA-01の衛士達と話し合っていた。十束の機体の癖について、おおよその所は掴めたことを報告するためだ。説明を終えた後にはいはいと何かを諦めたような顔をされたことだけが理解不能だったが、戦術と陣形について煮詰め、練り上げた案をクサナギ中隊で整え合うと、ヴァルキリー中隊とも情報を共有した。

 

今回に限っては攻勢よりも守勢を主軸にするべきだという方針は一致していた。ただ、どちらが前に出るべきかは意見が割れていた。どちらも自分たちの中隊が前に出るべきだと主張しあっていたのだ。

 

最終的には折衷案として、四型の左右それぞれに分かれる陣形になった。機体に慣れていないせいで不知火・弐型の頃よりも動きに不安があった武だが、最終的に主広間にはたどり着けるようになっていた。

 

A-02に―――四型になったことでA-04と呼称が変わった凄乃皇に乗る部隊―――に

ヴァルキリー・マムとしてCP将校を務めていた遥が加わった影響もあった。火器管制、操縦や砲、照準の調整に専念していた純夏達だけだったが、そこに前線の状況を逐一把握して直掩部隊に指示を出す者が増えたのだ。

 

戦闘に専念せず、リアルタイムに指示出しをできる者が加わった結果は夕呼が想像していた以上に大きかった。ラザフォード場の調整が間に合わなければ搭乗も難しかったが、やっただけの効果は十分に得られたわね、と小さく笑うほどだった。

 

―――そうして武は打ち合わせが終わった後、横浜基地の中にある丘の上に足を運んでいた。12月も末という真冬に近い季節の中、BETAによる地形変化の影響もあり、横浜の気温は氷点下にまでなっていた。

 

子供の頃という記憶があやふやな点を差し置いても、確実に寒くなっている。武は懐かしい思い出の感触にまで侵食するBETAの影響に苦味を覚えながら、丘の向こうにある風景を眺め続けていた。

 

(……何もかも、変わっちまったな)

 

光景も、包み込む空気も、背後に建っているものまで。10年一昔と人は言うが、変わるよりも果てたという表現が相応しい変遷を受け入れるのは、器が大きいというよりも何かに屈服するように思えてくる。

 

(平行世界の俺は……純夏と一緒に、ここに来たんだっけか)

 

経緯は忘れたが、デリカシーゼロと怒られた記憶はあった。そうして00ユニットのパワーの恐ろしさを味合わされた後、廃墟となった家を見てから、丘に足を運び決戦前の夜を過ごしたのだ。

 

(ずっと一緒だって言ってたな……でも、あの時にはもう結末は決まっていた)

 

00ユニットとなった純夏はどう足掻こうとも死という結末が待ち受けていた。それを避けようとして、10年。戦った今、純夏を死なせずにオリジナル・ハイヴを落とす目算がついたという、望んでいた結果にたどり着くまであと一歩という距離まで来た。

 

戦った意味は、確かにあったのだ。例え純夏に明かせない秘密を抱えたまま、距離を遠ざける方向に動き始めているとはいえ。

 

武はそれが幸せな事だと、よりよい結果であることだと確信していた。それでも、純夏自身がどう思うのかは、推測でしか分からない。

 

(甘えて良いんだよ、か。サーシャの指摘通りだったな……だから、俺は)

 

平行世界の自分に比べて、強くなったのか、弱くなったのか。それは分からないが、母とも思っている純奈から指摘されたことは正しく、過ごした時間の密度と、自分が動き始めている方向と純夏の立ち位置のズレに関しては認めざるを得なかった。

 

(……純夏のことは、好きだ。嫌いな訳がない。でも、純夏が望んでるのは)

 

心配して泣いていた姿と抱きしめてくる手の温もり、仕草。自分だけの記憶では気づかなかったかもしれないが、自分ではない記憶と照らし合わせれば想像はできた。

 

純夏が自分をここに呼び出した意味。それを考えると、やってきた後に告げられた言葉にどう応えるべきなのか。武は夜空を眺めながら、ずっと探り続けていた。

 

街の灯りが少なく、寒い大気も影響しているせいか、空はまるで星の海のようだった。武はその瞬きを見ながら、静かに自分の中にある想いと言葉をまとめ続けた。

 

ずっと、ずっと、白い吐息を零しながら。厳しい自然条件には慣れているため、風邪の心配はない。そう思いながらじっと、輝く星々を見上げ続け―――

 

「来た、か」

 

気配を感じた武は、立ち上がった。何を言うべきか、言わなければならないのか、最終的な形にはなっていなかったが、顔を見て嘘をつかず、虚飾も無くせば誰かを裏切ることもない。そう覚悟して振り返った武は、現れた人物の名前を呼んだ。

 

「遅いぜ、ユウヤ―――ってなんでだよ!」

 

「………俺の台詞だろうが」

 

黒髪、長身、何より男だ。間違えようのない姿を見た武は、困惑の極みにあった。そもそも、どうしてここが分かったのか。疑問を抱く武を見たユウヤは、呆れと疲れを混ぜた息を吐いた後、胸ポケットに手を入れた。

 

「頼まれたんだよ。コレを渡して欲しい、ってな」

 

「え―――」

 

まさか、と思った武は子供の頃にこの場所で純夏に手渡したプレゼントを思い浮かべた。木を彫って作った、出来損ないの人形。サンタウサギと呼んで純夏が大切にしていたものを。恐る恐ると、武は焦点をユウヤが取り出したものに合わせ、呟いた。

 

「……なんだ、それ」

 

「手紙だよ。声に出して呼んで欲しいらしいが」

 

困惑した武は受け取った後、2つに折り畳まれた紙を開くと、言われた通りに読み上げた。

 

―――“アホが見る、豚のケツ”と。

 

「………」

 

「………」

 

「………ぷっ」

 

「っ!」

 

武はくしゃりと手紙を丸めた。

 

そして静かに、純夏の顔面に生涯最高の手刀を決めるべく速やかに走り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕呼は執務室がある警戒厳重なフロアの外れにある部屋の中で椅子にもたれながら、1人スコッチを呑んでいた。イギリスから入手した秘蔵のものを、明日に残らない量に抑えながら香りを主とする方向で楽しみながら。

 

「……ようやくここまで、ね」

 

虚空に呟いた言葉は、ブリーフィングの時に告げたものと同じ。夕呼は小さく笑った。誰に向けてのものなのか分かりゃしないわね、と可笑しそうに。

 

それだけ遠かった。だが今、勝利の確定ラインを超えられる所までたどり着いたのだ。シミュレーターとはいえ、平行世界から得られたデータを元に編み込んだ演習空間は真に迫るもの。3日残してクリアできるレベルになった今、気を割く対象は戦力ではなく外部からの干渉になっていた。

 

その外敵―――宿敵とも言えるオルタネイティヴ5は大きくその発言力を損じた。あとはカシュガルを攻略すれば、ほぼ挽回は不可能になるだろう。

 

(ドン・キホーテもかくや、っていうぐらいに不利な勝負だったのにね……)

 

誰にも明かしたことはないが、オルタネイティヴ4が設立された後に“敵”を見て最初に思い出したものが、物語と現実の区別がつかなくなった騎士のことだった。

 

時間が経過するごとに現実を思い知らされた。その流れが変わった日のことを、夕呼は片時も忘れていなかった。突然現れた、胡散臭い男がまだ仙台にあった本拠地に現れた時のことを。

 

夕呼は、何となく扉を見ながら思い出していた。政治の世界に上がり、人を徹底的に観察するようになってからは扉を開閉する時からもその人物の何かを測る癖がついていた。

 

がちゃり、と無遠慮に開けた扉の音。それは理屈ではなく、何かが変わる予感を思わせられるもので―――

 

「くぉら純夏ぁ!」

 

「きゃっ?!」

 

どかんと開け放たれた扉。そこから現れたのは、あの日と同じ男であり。

 

「……あれ、なんで夕呼先生が?」

 

「………」

 

夕呼は、笑顔になっていく自分の様を自覚していたが、止めなかった。白衣に溢れた酒と、そこから香るウイスキーに後押しされながら。

 

自重の枷を一つ外しながら夕呼は「いいからそこに座れさもなければ」という言葉を脳裏に浮かべながら武の顔を見た。下手人はびくりと肩を震わせると、敬礼して扉を閉めた後に横に用意していた椅子に座った。

 

(……それはそれで釈然としないけど)

 

夕呼は面白くなさそうな顔をしながらも、台無しにされたショットグラス1杯分のウイスキーの代わりに肴になってもらおうと、事情聴取を始めた。そして経緯を聞いた後にそういえば、と内心で呟いていた。

 

(クズネツォワが色々と説明をすると言っていたわね……余命の事とか)

 

何を心配しているのか、その対象は言うまでもない。武に関する事で、色々と腹を割って話すという予定だけは聞いていた。武が追い詰められていた―――否、過去形にできないぐらい重いものを背負っていることまで。これで吹っ切れるようなら、悲しみに狂う人間は存在しない。ぽっかりと胸の中に開いている孔を埋めたいと、武と繋がった2人は何よりもそれを望んでいる。

 

これで安心できると思い上がるつもりはなく、繋ぎ止める鎖が無ければすぐにでも消えてしまうという恐怖は、武を想う女性陣の心から消え去っていなかった。

 

その背景を考えると、万が一にも武がやってこないように誘き寄せる策を取ったのだろう。だが、どうしてピンポイントでこの部屋にやってきたのか、尋ねた後に返ってきた答えは夕呼をして予想外のものだった。

 

「……社が?」

 

「え、ええ。嘘じゃないです、本当ですって」

 

「分かってるわよ。いくらなんでもあんたが社を言い訳に使うとは思えないし――」

 

霞にとっても予想外のことか、あるいは。夕呼は考えたが、面倒くさくなって立ち上がった。

 

「え、っと……先生?」

 

「少し待ちなさい」

 

夕呼は告げるなり、予備のショットグラスと、チェイサーを入れる大きめのグラスを取り出した。どちらも意匠が凝っている一品で、姉であるモトコから使わないと言われて貰い受けたものだった。

 

「無断で入ってきた罰よ―――明日には残さないようにするから、少し付き合いなさい」

 

夕呼は命令口調で告げ、武は観念したように分かりましたと頭を下げた。

 

そうして、琥珀色の液体がショットグラスに注がれていく。武はそこから漂う香りに、眼を白黒させていた。

 

「うわ……キツイですね、これ」

 

「あんたねえ………まあ、良いわ」

 

夕呼は呆れた声を出しながらも、飲み方についてレッスンを付けた。割っていないウイスキーは唇を湿らせて喉に一滴が通る程度で。後は深呼吸をすれば、むせ返るような心地よい香りが口の中から鼻へと抜けていく。最後に、チェイサーを飲んで口の中をリセットする。

 

武は夕呼の言う通りにショットグラスに口をつけた。ごくりと、音が鳴る。その直後、武は盛大に咳き込んだ。

 

「ごほっ、が、ぐ………ぜんぜい、ごれきついんでずけど」

 

「そうみたいね」

 

夕呼は苦笑をする仕草をポーズとして、胸の中では笑い転げていた。女優もかくやという演技である。だが、武はそれを見抜き半眼になりながら夕呼を恨めしそうに見た。

 

だが取り合わず、退屈しない話をしなさいという命令を出した。武はえっ、と呟くも、何を話したらいいのか分からないという風に悩んだ後、取り敢えずは昨日に起きたことを話した。

 

夕呼は一通りを聞いた後、盛大にため息をついた。

 

(なんで険が取れたのか、ねえ……とぼけてるようならウイスキを眼に注ぎ込んでやるんだけど)

 

どうにも、本気で気づいていないようだ。夕呼は自分でも全てを把握できて居ないことは分かりつつも、はっきりしている事だけはあると言った。

 

「自分の責任とか思ってるようだけどね。お生憎様、月詠大尉には全て伝えてあるわ。全部、私が発案したものだって」

 

「え……なら、なんで怒ったんだろ」

 

嘘をついたからとか、と悩み始めた武を夕呼は呆れた顔で見た。

 

(言い訳をしないとか、色々あるけど……やっぱり感謝と嫉妬、感嘆の感情がせめぎ合ってるのかしらね)

 

母のように姉のように、という武の推察は正しいだろう。だからこそ、離れていくように見える少女の背中を見て思う所がある筈だった。その中に、決戦に赴けるという武人として先を行かれたという嫉妬もあるだろう。だが、信頼できる仲間と共に気負わず命を賭ける立場を得たということに、保護者的な立場に居た真那が感嘆していない筈がなかった。

 

「借りが増えるばかり、とでも考えていそうだけど………なんだかムカムカしてきたから次よ、次」

 

夕呼はウイスキーを煽りながら言った。

 

「え? いや、そんなことを言われても。答えとか無いんですか?」

 

「そんなもん、自分で考えなさい。いいから次。命令違反は銃殺刑よ」

 

据わった眼で言われた武はうっ、と呻きながら考え始めた。

 

「話題……話題………夕呼先生、2人きり………酒………うっ、頭が」

 

「なんだ、もうネタ切れ?」

 

「そういうんじゃなくてですね……あ、そういえば旧友というか戦友というか。とにかく、帝国陸軍の知り合いと会いました」

 

武は詳細を言うには恥ずかしいからと、やり取りした言葉を簡単に説明した。夕呼は語る内容はともかくとして、嬉しそうに話す武の姿を見るなり、新しく入れたショットグラスのウイスキーを一気に飲み干した。

 

「ちょっ?! せ、先生、大丈夫なんですか?」

 

「……なにがよ」

 

「あ、まだ大丈夫そうですね、って違う。とにかく、なんで怒ってるんですか?」

 

「別に……怒ってないわよ」

 

「え」

 

武の眼から見た夕呼は、どう考えても怒気を顕にしていた。だというのに、どうして誤魔化すのか。武は据わった眼と雰囲気が怖いと呟きつつも、夕呼をなだめるべく言葉の限りを尽くした。夕呼はふんふんと頷きながらそれを一通り聞いた後、追加の1杯を飲み干すと、ショットグラスをテーブルの上に少し強く叩きつけた。

 

ダン、という音。まさか夕呼先生が、と目を丸くして驚く武に言葉は叩きつけられた。

 

「ほんっと、良い出会いをして味方ができて良かったわねぇ………こっちが全方位に喧嘩を打ってる間に」

 

「……え?」

 

「敵、敵、敵よ。たかが女がしかもこんな小娘が、って眼だけじゃなく丁寧に言葉で語ってくれたわよ。オルタネイティヴ4の発足当初はね」

 

理解があったのは榊是親のみ。それも全面協力の姿勢ではない、切り札の一つとして使えるならばという認識だけ。1年が過ぎてBETAの日本侵攻が濃厚になってからは態度が変わったけど、と夕呼は淡々と当時の周囲の反応について愚痴り始めた。

 

「あったま硬い軍人は胡散臭いインチキ占い師を見る眼でこき下ろしてくるわ、政治家連中もそうよ。特に我慢ならないのが、こっちが身体使ってあれこれしてくるのを期待してたバカどもね。性欲よりも生存本能を活かしなさいって何百回あのニヤけ面を引っ叩きたくなったか」

 

立場はあれども楽観的な官僚の空っぽの頭に詰め込みたい言葉だけで、辞書ができそうよ。チェイサーを飲みながら夕呼は吐き捨て、武は恐る恐ると尋ねた。

 

「そんなに、酷かったんですね……」

 

「そうでもなければあんな規模でのクーデターなんて起きてないわよ。情勢を考えれば、バカな真似だとは思うけどね。それでも軍、官僚の中には決起を起こした理念を一笑に付せないだけの腐れた部分があったのは確かよ」

 

坊主と官僚、高級将校は堕ちれば一気だと言ったのは誰だったかしら。夕呼はショットグラスの中にある美しい琥珀色の液体を見つめながら、呟いた。

 

「欧州があそこまで追い詰められている理由は。中国だってそうよ。アメリカが批判覚悟で核攻撃を実行した、その重さを本当に分かってるのか。何をするにも時間が必要で、寄り道をしている余裕なんてそれこそBETAか造物主だとか、訳が分からない連中しか判断できないっていうのに」

 

直接言えば角が立つ。能力のない年寄りという人間は、総じて反応が同じだった。時代の変遷と見たくもない未来、自分を脅かすもの全てから眼を逸らすことに専念していたように思う。そして、帝国軍は年功序列を重きに見る傾向が強かった。

 

自分を推薦してくれた教授が病に倒れた後は、1人になった。孤立無援にもほどがあると、泣くよりも先に笑いがやって来た。どうしようも無いときは笑うしかないという言葉を実地で体験し、1人研究室で狂ったように笑った夜のことを夕呼は忘れていない。

 

だが、不利であり目指す場所があまりにも遠いという理由を盾にして潰されることを、夕呼は良しとしなかった。する気さえ起きなかった。香月夕呼は天才である。そう定めて動き出した以上、勝敗が決まらない内に尻尾を巻いて逃げるのなら最後までやりきった後にどうとでもすればいい。

 

決めてからは徹底した。魔女と呼ばれるような真似を一切厭わず。利用しながらも利用しつくし、一段一段と目的に近づけるように昼夜を問わず考え、動き続けた。まりもを呼び寄せた理由も、そこにあった。背中を心配する必要のない相手が1人居るだけで違うだろうという、自分の弱さから来る招集だった。

 

「そんな時に現れたのよ。未来を知ってるとか言う奴が、アホ面引っさげて」

 

「ひでえっ?! え、先生あの時そんな事考えてたんですか」

 

「いや、そうなるでしょ。逆の立場で考えてもみなさいよ。どう考えても悪魔とかそういう類でしょ」

 

「……うわ、マジだ。めっっっちゃ胡散臭いですよね」

 

「そうよ。だってのに的中させるし」

 

必死に将棋をやっている時にグーチョキパーは最強と叫ぶ狂人が思いっきり台を叩きつけ、盤上の駒ごと吹き飛ばすような真似だった。

 

「信じる信じないというよりも、訳が分からなかったわ。どれだけ対処に困ったのか、アンタには想像もできないでしょうけど―――って、そうでもないわね」

 

ごめん、と酔い始めていた夕呼は素直に謝った。武は苦笑しながら、頷きを返した。平行世界の記憶を説明もないまま頭に叩き込まれた自分がそんな感じでした、と答え、それを強いた夕呼に謝罪の意を示しながら。

 

「……別に、アンタに謝られてもね。そのまま裏切られた訳でもないし」

 

夕呼は視線を逸しながら、ウイスキーを煽った。

 

分からないでしょう、と夕呼は内心で呟いた。

 

―――敗色濃厚で、地獄のような光景を幻視していた。津波に洗い流され、何もかもが消え去った本州を思った。塵屑のように轢き潰される家族の姿を、頭蓋を噛み砕かれた後に壊れた人形のように周囲に捨てられる親友の姿を悪夢に見た。

 

―――私が勝たなければならない。時間制限はあるだろうが関係ない、間に合わなければ。焦れば焦るほどに頭の回転は鈍くなるが、そんな理屈だけで身体と心の全てをコントロールできる人間だけなら、心理学など必要はない。

 

―――週毎に異なる、諦めるための言い訳の言葉が頭を過った。研究が進んだと思えるようになった日だけ、眠ることが休息に繋がった。

 

比喩ではなく、背中に青い星の重さを感じていた。重力でさえ、自分を責めて戒める枷

のように思えてならなかった。

 

分からないでしょう、と。夕呼はもう一度、武の顔を見ながら心の中で繰り返した。

 

明星作戦の後、忘れもしない2000年の10月のあの時。約束を果たしにきたと、親友からも消えていた光を。自信と希望と勝利を確信していると尋ねずとも分かる程の、輝きに満ちた顔を見た時の自分の心境は、その時に感じた胸の高鳴りなど、絶対に分からない、分かられてたまるものですかと、どうしてか愚痴るような口調で呟いていた。

 

「………まあ、アレよ。アンタには色々と借りもあるし、作戦のこともあるし。これ以上責めるつもりはないわ」

 

「は、はあ……その、ありがとうございます?」

 

武は釈然としないものを感じつつも、取り敢えず礼を言った。夕呼の視線が更に鋭くなり、軽く悲鳴を上げる羽目になったが。

 

「はーあ……アンタって本当に白銀武ね」

 

「当たり前ですよ、女神様」

 

「……なに、いきなり」

 

「いや、本当に辛かったんだなあと思って。つーか、身体狙ってきた野郎とか冗談抜きでぶっ飛ばしたいんですけど」

 

「全員死んだわ……いや、私が殺したんじゃないわよ。半分は明星作戦の前に、もう半数はクーデターの際に粛清されたようだから」

 

「そう、ですか。でも、先生の偉大さはノーベル賞ものですよ。そんなもん要らないとか言いそうですけど」

 

「分かってるじゃない。それにしても、いきなりなんだと思ったわよ……ほんっっっとうにアンタ白銀武ね」

 

「あの、悪口のように人の名前を言うのは止めて欲しいんですけど。それに何度も言ってますけど、俺以外に白銀武が居たら……えっと、どうなるんでしょう」

 

「7つの偽名を操ってた正体不明な怪人がほざく言葉じゃないと思うけど」

 

「いや、そんなに多くないですって。あ、恥ずかしい二つ名は別腹ですよ」

 

「ふーん。つまり偽名で女の子を誑かしてた時のあれこれは“甘い”記憶だったと」

 

「人聞きが悪すぎるっっ?! いや、マジで止めてください」

 

流石に教本(紙の束)だけでは武御雷の一撃は防げないっていうか、と武は冷や汗を流していた。夕呼は面白そうに武を追い詰めた後、満足したとばかりに深い息を吐いた。

 

「―――ともあれ、分かってるわね。まだ、何も終わっちゃいないことは」

 

夕呼は口の中に残っている水よりは粘度が高い液体をチェイサーで洗い流した後、武の眼を真っ直ぐ見つめながら告げた。

 

「アンタは10年、私は6年余り。その集大成が、今ここにあるのよ」

 

原形を残している佐渡島。守られた横浜基地。平行世界の時よりも格段に充実したと断言できる戦力に、5日間という準備期間。現状に甘んじているだけでは得られなかった、黄金を積んでも届かない貴重なものがここに揃っていると、夕呼は告げた。

 

「頑張って変えた結果、ですか」

 

「分かってる筈よ―――作戦名を聞いて、実感したでしょう」

 

桜花という作戦名は、変わった。いつか散りゆく定めがある花よりも相応しい名前があるという意見と、もう一つの理由が元になった結果だった。

 

1973年、カシュガル付近に現れたBETAは空をも焼いた。忌まわしき光線級である。常識外の対空能力によって支配された空を見た人々は、飛ぶことを制限された。

 

オーストラリアで自由に飛ぶことを知った武は、改めて閉ざされた空の意味、その重さを知った。だからこそ戦い、奪うのではなく“取り戻す”ために。

 

「分かっています―――ブラゴエスチェンスクのГ標的の方は?」

 

「快諾を得られたわ。初撃より前に片付けられる寸法よ。外聞が悪いサンダークの研究成果よりは、と考えた結果でしょうね。バックアップも万全、保険もばっちりよ」

 

「それだけじゃなくて、XG-70の成果もあるんでしょうね……あれなら国内の不穏分子から反抗される危険性を減らせますし」

 

「そうね。残る欧州は当然として、アジア各国も本気よ。難民問題に対しての根本的な対策、それを選択できるのなら、断る理由もない」

 

形だけではない、各国が本気を出してオリジナル・ハイヴ攻略のために。全世界を巻き込んだ史上最大の決戦が、冗談のように規模が大きく、地球の命運を決する戦いが始まろうとしているのだ。

 

夕呼はその未来から目を逸らさないまま、ウイスキーが入ったグラスを持ち上げ、武も応えるようにグラスを片手に持った。

 

 

「―――作戦呼称、蒼穹作戦(Operation Blue Sky)。世界中に漂った曇り湿気っている空を軒並み吹き飛ばしてくれるように頼んだわよ、一番星さん?」

 

「ええ、任せてください―――全員でぶっ飛ばして帰ってきますから宴会の準備は頼みましたよ、偉大なる女神様」

 

 

作戦名に相応しい結末を掴み取ってきます、と。武だけではない夕呼も快活に笑い合いながら、触れる程度に重ね合ったグラスが甲高い音を奏で、揺れた琥珀色の液体は香りを発しながら2人の臓腑に染み渡った。

 

 

 

 


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