Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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登場人物の人気投票1位だった唯依のお話、後編です。


後日談の4ー2 : 『唯依と武と(後)』

 

 

まずは深呼吸を。息が乱れれば、何事も上手く行く筈もない。唯依は通話が切れた電話を静かに置いた後、息を吸って吐いて、吐いて吸った。咳き込む唯依の様をちょうど遠くから見ていた使用人が、不思議な顔をしていた。

 

「いえ………落ち着くのよ。落ち着いてからでも遅くはない」

 

唯依は親友の悔しそうな顔を思い出していた。間が悪く、肉親が原因の外せない用事が出来たと苦虫を12ダースは噛み潰したかのような表情を。そこから話は急転に急転、気がつけば会場は篁が保有する仙台の別邸になっていた。

 

父は出張で不在だが母は居る、この別邸に。

 

(―――いや、慌てるな。本番はこれからなんだ。なにせ相手はあの武なのだし)

 

男女のアレコレの機微に鈍いということは、昔から薄々と気づいていた。横浜基地の宴会時に聞いた所、想像を越えて鈍感というか喧嘩売ってんじゃないのか、というレベルということが判明した。貴重な情報を提供してくれた親友(上総)戦友(207B)と書いて強敵と読む者達には感謝しかない。申し訳無さもあったが、先駆けは戦の華だというし。

 

唯依は目をぐるぐるを回しながら、煮立つ頭を回転させていた。千載一遇の好機を逃すのは、愚の骨頂とも言える敗北主義者の理論だ。故に唯依は、決戦の日に備えて脳内で自分が持つ武器を―――母から教わった料理の段取りを考え始めて、その時だった。

 

切れたばかりの電話が、再度鳴り響いたのは。

 

唯依は使用人に任せるか、一瞬だけ戸惑ったものの淡い期待を胸に黒電話の受話器をゆっくりと持ち上げた。

 

―――その十数秒後、唯依は表情を崇宰当代の代役のものに変えながら、父へ報告をすべく別邸の廊下を歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――でけえな、おい」

 

武は眼前に広がる建物、というか敷地を見ながら京都の頃を思い出していた。風守の、あるいは斑鳩の、大邸宅としか言い表せない家々を。

 

庶民感覚が抜けていない武は「慣れないよなぁ」と呟いてため息をついたが、このまま怖気づいても埒が明かないと門の付近を見回した。そこに、インターホンを見つけて目を丸くした。

 

武は押せばレーザーでも飛び出て来そうだ、と言わんばかりの畏れを抱きながら、震える指でその中心を押した。そのまま3秒が経過し。一向に状況が変わらない中、武はハッと顔を上げて指を離した。その直後、ピンポーンという音が鳴り響いた。

 

「……マジでインターホンだ。京都には無かったよな、コレ」

 

京都では、大半の武家の邸宅の門前には呼び鈴が備え付けてあった。武も何度か、別の武家の家に足を運び、そこで見聞きしたことがあった。門にある呼び鈴を鳴らせば使用人が門の外まで出てきて、部屋の中まで案内してくれる方式だ。

 

歴史が浅く、教育を受けた使用人を満足に確保できない仙台や現帝都では、仕方なくインターホンを導入していると世間話として聞いていたが、実際に目にするのは今回が初めてだった。

 

武が考えている内に、インターホンから声がした。武は使用人の声に応えしばらく待つと門扉が開いた。

 

慣れない様子の使用人に案内されるがまま、玄関へ。武はそこで、着物を来た女性を見かけた。

 

「ようこそおいでくださいました」

 

整った所作で頭を下げた、妙齢の女性―――篁栴納(せんな)の姿を見た武は、慌てて頭を下げ返した。急に慌てたのは、栴納が今までにあまり見たことのないタイプだったからだ。

 

年上で、落ち着いた雰囲気を身にまとう人は覚えがあるが、そこに軍人の匂いがしない、女性らしい嫋やかさを感じさせる女性はここ10年で出会ったことがなかった。

 

「お、お久しぶりです。白銀武です」

 

「存じ上げております」

 

栴納は柔らかい笑顔で答えた。その中には、ただ歓待をしている以上の、感謝のような念がこめられているようで。武は内心で首を傾げながらも、勧められるまま屋敷の中へ入っていった。

 

そして一つの襖の前にたどり着くと、栴納は横へ立ち位置をずらした。武はここが目的地なのだろうと、促されるまま襖を開けた。

 

開けた先に見えたのは、広間。その中央に居る山吹の着物を身に纏った黒髪の女性は、ゆっくりとその表情を笑顔に変えながら、唇を開いた。

 

 

「―――ご壮健で何よりです、白銀武殿」

 

「―――こちらこそだ。大きな怪我もなさそうで安心したぜ、篁唯依殿」

 

 

二人はありきたりの再会の言葉を交わし、間もなくして屈託のない笑顔を交わしあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一応の礼儀として形式ばった再会を果たした後、二人は居間に移り二人だけで食事を始めた。唯依は正装の着物から着替えて、普段着へ。武は所狭しと並べられた料理を食べる度に、目を丸くしながら感動していた。

 

「これ、本当に前に作ってもらった肉じゃがと同じか、全然違うぞ!?」

 

「そ、そうか? いや、実は横浜の時とは違ってな、隠し味用の胡椒が運良く手に入ったんだ」

 

「ま、まさか合成の奴じゃなくてモノホンの胡椒か? そりゃあ旨い筈だけど、あれってかなり値段が……」

 

「そのあたりの遠慮は無用だ、気にしないで欲しい……そ、その、父も以前から食べたいと言っていたし、良い機会だと思ってな」

 

「ああ、成程……って、どうして反省するような顔してんだ?」

 

ユウヤで慣れていた武は指摘をした。一方で指摘を受けた唯依は『どうして私は』という表情を一瞬だけ浮かべたが、すぐに心の中へひっこめた。何もかも後だ、と一つ呼吸を挟むことで気を落ち着かせると、素直な気持ちを吐露した。

 

「――本当に、遠慮をされる方が困るんだ。美味しく食べてもらった方が、その、嬉しくて……」

 

いつか、完全な肉じゃがを食べさせる。まだ京都に居た頃の、唯依が新兵だった時に交わした口約束だったと唯依が言う。武はそうだったかな、と思いつつも物忘れが激しい自分よりは唯依が正しいんだろうなと考え、空になった小鉢を差し出した。

 

「じゃあ、遠慮なく」

 

「あ、ああ! すぐによそうから、少し待っていて」

 

唯依は嬉しそうな顔でいそいそと台所へ走っていった。そこで肉じゃがが入っている鍋の蓋を開けた所に、声がかけられた。

 

「……唯依? 配膳の手伝い程度なら、私に任せてちょうだい」

 

「っ!?」

 

唯依は母の気配に気付かなかった―――眼の前に夢中になっていたとも言う―――中で急に声をかけられた事に内心で驚きつつも表情には出さないよう、冷静に答えた。

 

「だ、大丈夫。それに、これは……私がしたいことだから」

 

やりたいやりたくないというのではなく、今の唯依の立場を問題とした指摘だった。唯依はそれを意図的に誤魔化し、栴納は追求しようとした所で言葉を止め、ため息を吐いた。

 

「やっぱり……祐唯さんの言った通りね」

 

「え? と、父様が武のことで何かを言っていたの?」

 

「……今は良いわ。それに、貴方のそんな顔は久しぶりに見るもの」

 

まるで普通の少女のように、肩肘を張ることない嬉しそうな仕草など、遡れば京都で実戦を経験するより前になるかもしれない。申し訳がないという気持ちが栴納の言葉を止めた。

 

自覚のない唯依は肉じゃがを入れ終わると、武が居る所へ戻っていった。

 

武は喜びながら受け取り、満足そうに食べ始めると、唯依は口元を緩めながらその様子を眺めていた。

 

「あー、旨い。しみじみと美味いな。料理上手なのは聞いてたし、前に一回食べたけどここまでとは思わなかった」

 

「え……そ、そうか? 嗜みというか、常識の範疇だろう」

 

「――唯依。世の中には塩を入れすぎたからと言って、砂糖を入れて中和オッケーで済まそうとする人も居るんだぞ」

 

しょっぱ辛いのが甘じょっぱ辛いのになるだけなのに、と武は母の手作り料理という名の温かい思い出に、乾いた笑みを捧げていた。目の端から極少量の塩水を垂らしながら。

 

その他、串に肉を指して直火で焼いたものの焦がしてしまった後、「炭素は生命に必要な成分だから」と訳の分からない言い訳を武器に炭のまま食べさせようとする蛮族二人が居たことも思い出していた。

 

「それは……武のこ、いえ、その、知り合い?」

 

「大別すればそうだな。名誉を守るために名前は伏せるけど、一人は先代の斑鳩家傍役で、一人はノルウェーからやってきた海女漁師で、一人は関西弁が堪能なヤンキーだ、ってなんで安心した顔を?」

 

武は唯依が安堵の息をついた理由が分からず首を傾げたが、そんな事よりも美味い飯だと眼の前の料理を次々に平らげていった。

 

唯依はその様子を見て笑みを深めるが、台所から視線を感じ振り向き、母の笑顔を目に収めると、顔を真っ赤にしながら武に向き直った。

 

「こしょうと醤油のいい感じな合わさり具合が深みを……って、いきなり発熱?!」

 

「へ? あ、いえ、違う、ちょっと熱いから……じゃなくて。その、料理だけど―――そんなに美味しい?」

 

「一気に食べるのが惜しくて持ち帰りたいぐらいに。いやほんとにもうな。ここの所、落ち着いて食事する時間もなかったし」

 

武はリハビリが可能になってから3週間のことを説明した。ほとんどを体調と筋力の復帰に当てていた自分は、食事の目的の大半を味よりも栄養に傾けていたと。食べる時間さえ勿体無いと、出来うる限りのリハビリをしていたと、一通りを話し終わった所で、唯依が絶句していた様子に気づき、僅かに視線を逸らした。

 

サーシャや純夏達と同じように、その瞳の中に無茶を責めつつも心配するような色が含まれていたからだった。

 

「あー、話逸らすけど。本当にありがとう。美味しかった、ごちそうさま」

 

武は両手を合わせながら唯依に頭を下げた。唯依はおそまつさまと答えた後、何を言うべきか悩んだ後に、世間話に逃げた。

 

「先の話だけど……風守中佐は、白銀家に戻っているのか?」

 

傍役を解任、というか自主的に退いたことは唯依も耳にしていた。真壁介六郎がその後釜に座ったこともだ。だが、恩のある上官の一人である風守光がどうなったのか、唯依は把握していなかった。

 

武は気負わないまま、母親のことを語った。

 

「まだ、もうちょっとだな。なにせ、まだ住む所が出来て無いし」

 

親父も俺も、まだ家とか土地とか購入していないし、と話しながら武は続けた。

 

「母さんの事情もな。この時勢に一人斯衛を抜けるのも外聞が悪すぎる。今は雨音さんの補佐役というか、大隊の副隊長として部下に引き継ぎをしてるから、それが全て終わった後になるか」

 

それも来年までだと、武はしみじみと語った。影行が日本に戻り、帝都に居を構えて光と一緒に暮らし始めるのが、来年の12月の予定。横浜で別れてから再び一緒になるまでに費やした時間は、自分が生きてきた年月とほぼ等しいからだ。

 

当たり前のように訪れる煉獄のような苦境の中で、離れ離れの境遇でどれだけの忍耐を試されたのか。武は止めるどころか、自分の金で良ければ存分に使ってくれと二人の同居を誰よりも勧めるようになっていた。

 

「っと、そういえば唯依の所にも挨拶に来るって言ってたんだ。どうか宜しくって、親父さん達に伝えといてくれ」

 

「………あ、アイサツ? その、アイサツトハドウイウリユウデ?」

 

「へ? いや、母さんも父さんも祐唯さん……篁主査だっけ? あの人には凄え世話になったって言ってたし、一度直に顔を合わせたいらしいぞ」

 

アメリカで、日本で、技術者として、テスト・パイロットとして。思えば結構な昔から家族ぐるみでの付き合いがあるんだよな、と武が呟き、唯依がその言葉に何度も頷いた。

 

「私の方こそ、風守中佐にはお世話になったな……もし中佐と義勇軍が居なければ、こうしてここに居ることが出来たかどうか」

 

「死ぬ奴はどうしたって死んでるって。唯依が生き残ったのは努力と運の結果だ。反省するよりも先に、先任としてやる事は一つだろ?」

 

「ふふ、そうだな。せいぜい後輩が死なないように、訓練で虐め倒すとするか」

 

おかしそうに笑う唯依に、武は頷いた。

 

「あ、でも鞭だけじゃなくて飴も必要だと思う。生き残れば儲けものって時代は過ぎつつあるし」

 

「……飴、とは褒美か。いや、でも無闇矢鱈に昇進させるのも」

 

「だったら現物支給―――あ、手料理食べさせるとかベストと思うぜ? さっき着てた着物姿と同時にカマしたら、馬車馬の如く働くだろ」

 

「………………………え?」

 

たっぷりと7秒。沈黙した後、唯依は言葉を反芻すると、武に尋ねた。

 

「え、その、どうして私の着物姿がご褒美に?」

 

「へ? いや、和服美人のおもてなしとか、このご時世だと最高の歓待っつーか、贅沢になるだろうし」

 

武は言葉を省きながら告げた。某イタリア人が熱く語った「黒髪ロング清楚和風巨乳は数ある王道の中で正解に最も近い」という助言を根拠にしたとは、あえて言わずに。

 

唯依は「もしかして遠回しに褒められてるのかいや慌てるな武だぞでも勘違いする要素も少ないしこれは本当に本心で語られてるのかいやそうだと想いたい」と、悩みながらも消極的に受け入れる心地に至っていた。

 

武は先程の唯依の姿を思い出し、うんうんと頷いていた。

 

「挨拶の時もそれ着る予定なんだろ? だったら大丈夫だって」

 

「……うん」

 

唯依は遠回しの褒め言葉として受け取った。武は唯依が顔を赤くした事に反応するも、最近忙しいんだな、と頷きを入れながら、そういえばと呟いた。

 

「さっきの姿の写真とかないか? できれば最近のやつが良いんだけど」

 

「……また、ユーコンの時のように販売するのでなければ、構わないが。ちなみに、どういった目的で使うつもりだ?」

 

唯依は表面は落ち着いた様子で問いかけた。内なる唯依は「ま、まさかあれでそれでこれに使うとか――」と一人慌てていたが、武は違うって、と答えると小さい声で伝えた。

 

「ほら、ユウの字に渡そうかと思って。あまり表には出さないけど、間違いなく心配してるだろうし」

 

「………そうか」

 

唯依は嬉しいやら悲しいやら怒りを覚えるやら、モヤモヤした気持ちになるも、武の気遣いにとりあえずは感謝を示した。武は笑顔と共に肩をすくめながら、ユウヤの現況について話した。

 

「心配するなって。アイツも“双子”も過ぎるぐらいに元気一杯だ。うちの人間とも上手く仲良くやってるよ」

 

武はユウヤとクリスカ、イーニァの無事を遠回しに告げた。ユウヤは大業を成した事とクリスカを守れた事で自信を得たからか、操縦の思い切りと見極めが格段に伸び、武をして油断ができないぐらいの衛士に育ちつつあった。

 

クリスカは周囲の人物―――主にサーシャや純夏、霞から―――常識を学びつつ、無垢の少女のようだった頃とは違い、立派な女性に成長している最中だ。時々女性陣からからかわれているが、気安い言葉をかけられるぐらいの関係にまでなっていた。共に激戦をくぐり抜けたという連帯感と絆が、そうさせたのだろう。

 

武はそういった事情の全てを説明しなかったが、唯依は武の声色と表情から何となく事情を察すると、優しい表情で頷きを返した。

 

「それは……良かった。あちらに居た頃は、どうなる事かと思っていたが」

 

ユウヤのことも、クリスカのことも。3国を巻き込んだ大事件が起きた時は、唯依をしてかなりの血が流れなければこの事態は終息しないのではないか、という恐れを抱いていた。それを越える事件に事件が続き、いつの間にか最善に近い形で全てがまとまったのが今の現実だが。

 

「そんなもんだ。雨が降れば地が固まるもんだって、夕呼先生は言ってたぜ。ぬかるみを踏みしめながら先へ進めるのは、汚れを気にしない奴だけらしいけど」

 

「……理不尽や苦境、苦労を厭わずに歩みを止めない者だけが更に道の先へと進むことが出来る、か」

 

唯依は呟きながら、その尊さは言葉には変えられないと思っていた。教える立場になって初めて分かったからだ。苦しいこと、嫌なことを気力で跳ね除けて泥の中を進める人間の少なさを目の当たりにしてきたからだった。

 

何かと出来ない理由を並べ立てる者や、問題を直視しない者が多く。比べれば、クリスカやイーニァの真摯さは目を見張るものがあった。

 

それでも、万人に通じる理屈ではないのが頭の痛い所だった。これが自分だけならば話は簡単だ。唯依も一人の軍人として、苦悶に喘ぐ覚悟はとうに出来ている。それを他人に強いること、軍としては当たり前で語るまでもないモノなのだというのは正しいのか。正誤の理屈なく、納得させられるものなのか。上官権限の一言で済ませられれば、なんと楽なことだろうか。

 

「……悪い、プライベートで持ち出すのは無粋だった。でも、流石は五摂家の一角にまで名乗り出るだけのことはあると思うぜ」

 

常に部下と周囲のことを考え、苦しみながらも最善の方策を見つけようとする。年若いためか表情には出ているが、他の五摂家と比べれば異なるのはそれだけだ。武は素直に思ったことを口にしていた。

 

「マジで凄えよ。何千人もの身命を預かる立場に自ら名乗り出たのは、本当にむちゃくちゃ凄えと思う」

 

家族、親しい人、戦友。顔と名前が一致する人物は100を越えるかどうか。その誰かが傷つき、失われる姿を幻視した途端に、怖気と寒気が身体の芯まで突き刺さるような痛苦が襲ってくる。自分の臆病さを知っている武は、唯依の行動と、その選択により救われた命を前にして、尊敬の念を抱いていた。

 

唯依は武の言葉の数々を余さずに受け止めた後、まだまだだ、と苦笑を零した。

 

「他の五摂家の方々に比べれば、私など………代役として名乗り出ただけで、全てを掌握できた訳ではない」

 

恭子様が生きてれば、自分の出番など無かった。今の私の無様を知れば草葉の陰で泣いているだろう、と唯依は顔を伏せがちにしながら呟き、自嘲した。

 

崇宰直系の生き残りの一人である男子が成人するまで、あと5年。より精進しなければ空中分解しかねない、というのが唯依と上総の見立てであり、他の4家の共通認識だった。

陣頭指揮を取る役目を担う者が必要で―――だからといって、権力欲が多い者は論外だった。周囲に威を効かる事が可能でありつつも、時が来れば滞りなく次代の“崇宰”に役目を譲ることができる人物が求められていた。

 

「私は、巡り合わせが良かっただけだ。周囲の人間の助けを借りてようやく、形を整えられる程度の才覚しかない」

 

「……助けてくれる人が集まってくるのは、唯依が居るからだろ。それだって、立派な力の一つだと思う」

 

ユウヤもそうだった。ユーコンに来る以前の話は聞いていた。態度は最悪に近くても、テストパイロットとして認められていたのは、ユーコンに来てからも色々な人の助力を得られたのは、それだけに一生懸命だったからだ。誠実で、努力家で、少し視野狭窄な部分もあるが、自分が決めた事に一途だった。

 

「それは……武にそう言って貰えるのは、面映いが」

 

「相変わらず、褒め言葉を素直に受け取らないな……あと、唯依は可愛いから」

 

「うん………うん?」

 

唯依は照れながら相槌を打った直後に言葉の意味を理解した。

 

呼吸が止まった。

 

「な………な、ななななななにをいまくわいい!?」

 

「いや(くわ)じゃなくて」

 

武はそういう所だぞ、とからかい半分に笑った。

 

「純粋っつーか、素直というか。ちなみにこれは受け売りなんだけどな。人の見た目とか手相は、心持ち次第で変わるらしいぞ」

 

造形に関係はなく、嫌な奴は嫌な顔に、良い奴は良い顔に見えるらしい。相性はあるけど、と前置いて武は言った。

 

「武家の世界は戦国から続く御恩と奉公の延長線上だろ? 付いていきたいと思う奴が居るからこそ崇宰は防衛戦で一つにまとまったし、傍役の御堂家だって見込みのない奴に託したりはしないって」

 

唯依よりも小さい頃から前線に出ていた武は、そのあたりの嗅ぎ分けという点では上手だった。指導者は上に行けば行く程にシビアになる。“付き合う”とはつまり関係することによる利点を見出された結果でしかない。

 

国家に真の友人は居ないという格言の通り、部下や臣下を抱える者としては自分を信じている者のために、全体の判断を下さなければならず、個人の感情が挟む余地はほぼ無いのだ。

 

「……怠ければ見限られる。当たり前のことだが」

 

「寂しいよな。でも、唯依が唯依なら大丈夫だって。京都の頃からずっと、努力を重ねて来たんだろ?」

 

政治の事ならいざしらず、衛士の技量の見極めという一点であれば、武は一廉のものを持っていると自負していた。

 

その眼力が何よりの信頼の担保となっていた。初めて模擬戦としてからずっと、鍛錬を続けていなければユーコンで目の当たりにしたあの戦闘は出来ないだろうと、分かっていたがための後押しだった。

 

「でも………結果を残さなければ、意味は」

 

「防衛戦の功績―――崇宰の臣下団をまとめたのは、それこそ第一級の戦功だって崇継様が言ってたぞ。なんでか『俺から伝えろ』とか言われたけど、一切異論はねえよ。こっちもメチャクチャ助かったし」

 

―――唯依が行った事は、対外的には称賛されるような行動ではない。むしろ斯衛の一角としては戦時にまとまっているのが当たり前で、混乱しないのも当然のこと。唯依が行ったのは異常事態を平常のものに変えただけ。崇宰の武家も『ようやく』正常な状態になったかと、そう捉える者が大半だ。

 

だから、唯依は帝都・横浜絶対防衛戦での決意を認められたことはなかった。言葉で感謝の意を示してくれたのは上総と御堂の二人だけだ。

 

だから。

 

「な―――へあっ!? な、なんで泣いて……な、おおおお俺いま変な、嫌なこと言ったか言ったんだなごめんなさい!」

 

「ち………ちが、違うの。逆、ぎゃくだから………」

 

現金な女だと、唯依は自己嫌悪していた。誰よりも認められたかった―――褒めて欲しかった人から実際に褒められたことで、感極まってしまう自分の浅ましさに少しだけ嫌気がさしていた。それ以上に身体は正直に、喜びの衝撃が身体に走り、涙腺を緩めていた。

 

それでも、動揺していなければ耐えられただろう。我慢の堤防を越えた原因は、“可愛い”という一言だった。被った能面ではない、飾ることのない自分の顔を前に告げられた一言は、静かに唯依の心の急所に届いていた。

 

動悸が激しくなり、身体の血という血が頭の頂上まで昇ってきたかのような。それでも唯依は深呼吸をして気を落ち着かせた後、最後まで食べきった武に向き直った。

 

「えっと、その………不味くなかったですか?」

 

「謙虚すぎ。全部が全部、マジで旨かった―――ごちそうさま」

 

「……お粗末様」

 

頭を下げた武に、唯依は嬉しさに表情を緩めながらお返しに頭を下げた。

 

そして、武の目をまっすぐに見据えながら口を開いた。

 

「―――カシュガルでの偉業。その御礼としてせめてもの、という歓待にご満足頂けて何よりです」

 

声色を変えて、唯依が言う。武はその意図と言葉の意味について考え、少し後に小さなため息をついた。

 

「………そうか。唯依も、あの時の戦闘映像を見ちまったのか」

 

「ええ―――その様子を見るに、想定の内かと思いますが」

 

あ号標的だけではない、“飛行級”という存在は隠すには大きすぎた。ハイヴ攻略や間引き作戦において、将来的に対処すべき脅威としてはトップクラスと言っても良い。国連の中に収めることなどできなく、国防を担う勢力として知っておくべき内容だった。

 

一斉に公開すると無駄に混乱が大きくなるからと、今は帝国軍の上層部の中でも頂点に位置する者達にしか知らされていなかったが。

 

故に、唯依は何を問うこともなく、見たものの感想だけを武に告げた。

 

「飛行級という存在は、衛士として許せず、しかし懸念すべきものと思いました……ですが他の五摂家の当主方も、飛行級よりも、それを撃ち落とす十束の機動に言葉を失っていましたが」

 

混戦の中の孤軍奮闘からの逆撃に、迎撃。常軌を逸した機動戦術を目の当たりにした10人―――当主に傍役一人ずつは―――オリジナルハイヴの深奥での戦闘映像を前に、何を語るも忘れ、ただ魅入っていた。

 

そして、誰もが知っていた。満身創痍になりながらも最後の一手を稼いだ、十束に乗っている衛士の名前を。

 

最後、貫かれた時に声を上げたのは3名。貫通した場所を見て、生きた心地がせず、無意識の内に痛む胸を手で抑えていた。

 

傷つくのが自分であれば、耐えることが出来た。だが、削られ、貫かれるその姿を傍観することしか出来ないことの、なんと苦しいことか。五摂家の一角としての振る舞いさえ忘れ、頬に伝う涙を止めようという気持ちさえ忘れていた。

 

最後の最後で援護に入った衛士達にはこの上ない感謝を捧げ、録画の最後に聞こえた悲痛な叫びは、自分の声に他ならないと唯依は信じた。

 

二度と、もう二度とあんな気持ちを味わうのは御免であり。何よりも、地獄のような道を歩いてきた武にこれ以上の苦痛を与えたくないという気持ちだけで、唯依は言葉を紡ぎ始めた。

 

「私は、今から卑怯なことを言います。でも、言わずにはいられない―――武はやることをやった、やりきった。そして、幸いにも生きて帰ることが出来た」

 

カシュガルの制覇は、紛れもない偉業として人類史に残る。だからこそ、と唯依は目を伏せながら言った。

 

「二度と、あんな無理を……自殺に等しい捨て身での特攻は二度としないで欲しい。うん、頷けないのは分かってる。衛士として前線に立つからには、無理な相談だから。でも………でも、でも私は、私達は………っ」

 

止まらない。分かっている。願える立場でもないし、聞いてもらえる可能性は低い。それでも、と唯依は言いたかった。我慢できるのならばこの場で口にはしない。そんな理屈を越えて、唯依は伝えたい想いがあった。

 

言わなければ、一生を越えて地獄に落ちた後でも苦しむからではない。何よりも、眼の前の人が報われない未来を認めたくなかったからだ。

 

武は、困った風になりながらも自らの無茶を自覚していたが故に目を逸らし。

 

唯依は、痛む胸を抑えながら、言葉を続けた。

 

「……今、私に送られた言葉、そのまま返します。私も彼女達も、彼らも……クラッカー中隊の方々も、207も、恐らくはA-01の衛士達も、武が白銀武だから一緒に戦っているんだと思う」

 

実力という意味で頼りになるだけではない、誰よりも前で、誰よりも必死に戦ってきた貴方だから。

 

「だから……辛いことを強いると思うけど、死んで欲しくない。これからも最前線に出続けること、止めても無駄なことは分かってる。でも、武が戦場に出る度に心配をしている人が居ることだけは分かって欲しい」

 

唯依には分かっていた。ユーコンで幻視し、隠せない使命感で自らを縛る武の姿を見れば尋ねなくても分かる。

 

おかしいと思う、変だと考える、普通なら信じられないし、怒りさえも覚えるだろう。でも、白銀武は止まらない―――海外だけではない、月や火星のハイヴと戦う事態になれば、誰よりも先に戦場に出る背中を知っていたからだ。

 

故に、武が死ぬことに比べれば些細な情報だった。

 

―――悠陽から、先に武と契りを交わしたと教えられたことも。

 

―――恥を忍んでの言葉だが、彼を支える柱の1本になって欲しいと言われたことも。

 

―――BETAだけではない、人が敵となりかねない、今よりも複雑な情勢の中で決断が試される時代が訪れるのは避けようもなく。

 

―――武が何の後遺症もなく復帰できたのは奇跡を越えた奇跡で、99%死んでいたような容態にまでなっていたということ。

 

―――何がどう転ぶか、誰がいつ死ぬか分からない情勢で、例え私が死んだとしてもあの人が、武が崩れないように、その背後まで守って欲しいと言われたことも。

 

先に好きだったいう口論に意味はない。常識を考えれば諦めて然るべきだ。物心ついた時からの教育、男女七歳にして席を同じゅうせず、夫婦は男と女が一人づつ、浮気は裏切りであるという常識よりも前に、唯依は胸の内から溢れ出る感情を抑えることは不可能で、何よりも本人に抑える気がなかった。

 

武に、死んで欲しくない。そして誰が相手であろうとも、身を退いて忘れることなんて出来やしないという、身勝手な欲望が炎のように燃え盛っていた。唯依は身の中で踊り狂う熱で、心の芯を溶かされたかのようになりながらも、武の顔を見つめた。

 

「……唯依」

 

武が呟く。殿下のことを言外に、だけではなく直接伝える。

 

唯依は、小さく頷いた。儚げな表情で―――手元は汗がにじみ、緊張の度合いを示していたが――そんな事は顔に出さないまま、告げた。

 

「……この場を借りるのは、卑怯かと思いますが……形振りかまうのは止めました」

 

唯依は自分に男女の駆け引きなど、できるとは思えなかった。それでも分かるのは、ここで一歩退いては永遠に届かないということ。

 

そして―――今までの言葉のように、自分が欲しかったものをこれでもか、というぐらいに贈ってくれた武が悪いんだと。唯依は言い訳のような思考に自己嫌悪を覚えつつも、止まらずに一歩を踏み出した。

 

 

「―――お慕い申し上げております、白銀武様」

 

 

素直な気持ちは彩ることなく、故にどんな時よりもきれいな笑顔で唯依は自分の素直な気持ちを言葉にした。

 

「だから、どうか(こいねが)います……武様。私の……いえ、私の所でなくても構いません。だから、死なず、必ず生きて帰ってくると約束を―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――青空の下。磨かれた墓石の前で、立ち上る線香の煙を感じながら手を合わせる女性が一人。身に纏った軍服に恥じない、整った佇まいのまま、数分。顔を上げた後に、背後に居る祖父へ言葉を投げかけた。

 

「……綺麗な人だったんだよね、お婆ちゃんは」

 

「―――可愛い人だったよ、俺にとっては」

 

墓石に刻まれた名前を、二人は語り合った。篁唯依という女性のことを。

 

「崇宰の臣下どころか、先代当主まで悲鳴を上げたって聞いたけど。下手人のど畜生を吊せって暗殺未遂にまで発展したとか」

 

「………俺のお袋、というかお前の曾祖母の暗殺未遂事件かました一派の末裔だからセーフにしとけ、セーフで」

 

「最初は着物で破廉恥だった、って去年亡くなった上総おばさんに聞いたけど」

 

「で、デマだと思うぞ、うん」

 

「………あっちの意味じゃなくてさ。お婆ちゃんには寂しい思いをさせたとか、色々と泣かせたって聞いたけど」

 

「それは間違いないな……俺のせい、というか俺の責任だ。責めるのは当然だし、怒らない方がおかしい」

 

言い訳をせず、齢にして還暦を迎える準備中でありつつも、30代の容貌をしている白銀武は答えた。責められて責められて責め潰されても当たり前のことをしたと。

 

その答えを聞いた、武と唯依の孫は―――篁流以は『うん』と頷いた後、ようやく祖父へと向き直った。

 

「お婆ちゃんは寂しかった……だったら、お爺ちゃんも寂しかったんだよね?」

 

「………ああ。言う資格はないが、気持ちとしてはそうだな」

 

鬼籍に入った、唯依の笑顔を思い出し。武は、最近では強張っていた涙腺を揉みほぐしながら、寂しいと一言を返した。

 

―――篁の別邸でのやり取りの後、40年という時間を武は思い出す。何度も死ぬ思いをした。BETAはもちろん、BETAではない存在とも砲火を交えた。心が軋む戦いは、カシュガルのそれよりも辛く、激しかった。

 

今度こそは帰れないかもしれないと呟いたのは、10やそこらではきかない。そんな絶体絶命の窮地を乗り越えることができたのは、唯依を含む、自分を待っている人、生きていて欲しい人達が居たからこそ。

 

情けない自分を支えてくれた彼女達が居なければ、とうに存在ごと消えていてもおかしくはないと、武は確信していた。

 

だが―――故に、頼りを失ったことによる喪失感は途方もなく大きかった。それでも武は、時折どうしようもなくなり、うずくまって何も出来なくなるような深い悲しみこそが絆があった証なのだと、最近になってようやく噛み砕くことが出来た。

 

「……資格とか分からないけど、惚れた腫れたは負けた方が悪い、ってお婆ちゃんは言ってたよ」

 

心の大事な所を溶かされたら、もうしようがないのだと。流以はあれこれ尋ねた最後に、苦笑しつつも幸せそうな笑顔を浮かべていた祖母の顔を思い出しながら、小さく呟いた。

 

「ん……何か言ったか?」

 

「ううん、なんにも」

 

流以は武に振り返りながら笑顔で答えると、黒いポニーテールを振り回し、両手を空へ突き上げた。

 

「あーもう、あれこれややこしいのは面倒くさい! よし、だったらオッケー! おじいちゃんには、お母さん直伝のとっておきの手料理を振る舞って上げます!」

 

「……良いのか? 友奈には伝えてないんだろ」

 

「良いの! 意地っ張りのお母さんは放って置いて、私が許可する!」

 

流以は大声で宣言した後、墓石を後ろに見ながら呟いた。

 

「それに、切っ掛け次第だと思うんだよね。お母さんも、きっともう怒ってないし! 踏ん切りがつかないだけっぽい」

 

真面目さんだから、と流以は苦笑した。

 

「それに、お母さんも、爺ちゃんも若くないからね? ………意地を張るのは、もう良いと思うんだ。亡くなったひいおじいちゃんも、ひいおばあちゃんも、クリスカさんも、ユウヤさんも、おじいちゃんの事を悪く言わなかったし」

 

男女のこと、倫理はある、道義はある、不文律は当然だし、正しい形もある筈だ。それよりも流以は、周囲の人達の言葉を信じた。

 

母も、愚痴るように言うが、そこに悪意や憎しみが含まれているとは到底思えなかった。そして何よりも、祖母が亡くなる直前に流以に見せた―――意識か無意識かは関係がない―――笑顔を。言葉に表せないぐらいに綺麗な笑顔に、真実を見出していた。

 

軍人になって、実戦を経験したからこそ分かったこともある。ネットで出ている「全盛期の白銀武伝説」はデタラメも多いが、その3割が真実だとして、どれほどの地獄を切り抜けて来たのか、個人の感情ではどうしようもない事態もあるのだと、そういう視点で見ることが出来るようになったから。

 

成長した視点を土台に、周囲の人達を見れば、答えは出ているようなもの。

 

だから、と流以は走り始めた。

 

「ほら、早く! 下ごしらえは済んでるし、胡椒も準備万端! あとはおじいちゃんがボケなければ大丈夫なんだから!」

 

「人を足の早い野菜のようにっ!?」

 

「あー、ははは! ほら急いで、駆け足はじめ!」

 

「―――ふ。生意気な、まだまだ若いモンには負けんぞ!」

 

 

走る流以に、武が還暦とは思えない速度で追いすがる。流以は「やばマジで早い」と焦りながら速度を上げつつも、満面の笑顔を眼の前の青空に見せていた。

 

 

―――祖母が亡くなった、去年の日の光景を。

 

今際の際に見せた、まるで告白を受け入れてくれた女の子のように輝く美しく、何よりも可愛いと思った笑顔を覚えていたから。

 

 

―――その10秒後、年甲斐もなく孫娘を追い抜き。

 

その笑顔の中にかつての唯依の姿を見た武の目の端に、いくつもの涙が浮かび、優しい風と共に地面へと流れ落ちていった。

 

 

 

 

 

 





あとがき

ようやく書けました……難産でした。

それはそれとして唯依は綺麗というより可愛い(確信

え、女性どうしの修羅場はどうなったかって? 

―――それは想像で補って下さい(無責任

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