Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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後日談の5 : 『玉玲(ユーリン)と武と』

昼下がりの帝都。未だ戦勝の興奮が冷めていないだろう、政威大将軍を称える声を大音量で流しながら走る車を横目に、武とユーリンの二人は商店街の中を歩いていた。

 

「偉大なる殿下のお力になるように、か」

 

「その通りに、みんな頑張ってる……活気づいてるね。去年とはぜんぜん違う」

 

町行く人達の笑顔と弾む声を眺めながら、二人は小さな声で呟いていた。あの戦場で自分と仲間たちの命を賭けた価値はあったんだと、嬉しそうに。

 

日本侵攻から旧帝都(京都)陥落、関東防衛戦から明星作戦、そして帝都・横浜絶対防衛戦。新しい帝都はそう呼ばれるようになってから何度も壊滅の危機に晒された。

 

逃げ出す人達が居た。決死の覚悟で残る人々も居た、移動する気力もないと諦める人も。町の雰囲気は建物だけではない、そこに住まう人々が抱いているものにも左右される。ユーリンは12.5事件(クーデター発生)の少し前に来日した時に見た帝都を思い出し、その時とはあまりにも違う町の雰囲気の中で、守れたものの価値に浸っていた。

 

武は「平行世界のものとして記憶にあるどの帝都とも違うな」と内心でつぶやき、達成感に震えていた。

 

「……そういえば、だけど。私達が戦って守りきれた町の中を歩くことって、今までに一度も無かったね」

 

「え? ……あ、ホントだ」

 

大陸では負け続きだった。壊されていく町を背中に、何度撤退しただろう。1度防いで消耗し、2度防いで限界が来て、3度目で防衛線を下げざるを得なくなる、その繰り返しだった。

 

シンガポールだけは、最後まで守ることが出来た。だが、その直後に武とサーシャは行方を晦まし、隊は解散してしまった。

 

武の日本での戦いの結果も、同様だった。九州から四国へ、近畿で奮闘するも破れ、東海で粘るも関東まで押し込まれた。生まれ故郷である横浜を守ることが出来ず、新たなる帝都を最終防衛ラインとして戦い、逆撃に明星作戦に打って出たのが1998年までのことだ。

 

それから4年。佐渡島とカシュガルのハイヴ攻略を以て、ひとまずの危機は去ったというのが民間の中での認識だった。

 

「それは、ある意味で正しいんだけどな……」

 

「うん。でも、悲観的になり過ぎる必要はないと思うな」

 

ユーリンを含む、A-01のメンバーにはある程度の情報が公開されていた。あ号標的(重頭脳級)が失われた後、少なくとも3年の内は新たな重頭脳級は地球に現れないため、各ハイヴの機能は著しく低下するということを。

 

「だから、急なリハビリをする必要は無いんだよ―――って言っても誰かさんは聞かないから」

 

「うっ……」

 

「不安なのは分かる。私も衛士だから。でも、兵士にとって休息も仕事っていうことは、ベテランさんなら理解できるよね?」

 

「……分かりました」

 

武は降参とばかりに両手を上げた。その横を、笑顔を浮かべた親子連れが通り過ぎていった。前からは、どの店に食べに行こうかと真剣に悩んでいる夫婦が居た。生き残れた祝だから豪勢にと主張する夫と、お腹に手を当てながら倹約しましょうよと笑顔で封殺する姿があった。

 

「……守れたからこその実感、か。うん、いい意味で息抜きになる。誘ってくれたのは、これが理由だったんだな」

 

「……………そ、そのとおりだヨ?」

 

「あ、なんかちょっと出会った頃みたいな中国訛りの英語……ユーリン、なんかあったのか?」

 

「あ、や、なんでもないアルよ」

 

「どっちだよ」

 

ユーコンで見た、ユーリンの部下の口調が感染った様を見た武はツッコミを入れた。なんでも無いスキンシップに、ユーリンの肩が跳ね上がった。

 

「……本当に大丈夫か?」

 

心配する武の顔が横に。ユーリンはそれを見て動悸が激しくなることを感じつつも、なんとか誤魔化そうと話題を強引に変えた。

 

「そ、そういえば! た、武、身長伸びたね。私も背が高い方だけど」

 

「あー、そうだな……でも良かったよ。こうして、並んで歩くことが出来るし」

 

「………ど、どういう意味かナ?」

 

ユーリンは動揺しつつも、そういえばと、大陸に居た頃のことを思い出していた。何故か、武が自分の隣に立ちたがらないことが多かったことを。座っている時は何もないのだが、出撃前の整列をする時など、近づこうとするとスススと逃げていったのだ。

 

理由を聞いても誤魔化されて、それ以来うやむやになっていた。ユーリンは勇気を出して質問をしたが、武は「え"」と声を出すなり、ユーリンから距離を取った。

 

「……な、なんで、そんな急に、遠のくの? ひょ、ひょっとして私が臭かった、とか……え、うそ、今も……?」

 

「いやいやいや違う違う違う。そ、そういうんじゃなくてな、その………」

 

武は慌てて否定をしながら周囲を見回すと、目的地であった喫茶店を指差した。

 

「お、往来で言うのもあれだから……一休みしながら話す……話さなきゃだめだよな、やっぱり」

 

ユーリンを変に傷つけたままだと、帰った後が怖い。サーシャと亦菲は言わずもがな、最近仲良くなったという純夏は当然のこと。A-01からも教導役として頼りにされている事が多く、下手をしなくてもボコボコにされてしまう。

 

(とはいえ、素直に答えるのも………ここは、やっぱり誤魔化すしか)

 

喫茶店の中、周囲に人の声が漏れない状況で武は奮闘した。予め用意してもらった空間で、美味しい珈琲と高級な菓子でもてなしながら、言葉の限りを尽くした。

 

―――それでも嘘の下手さで名を馳せる突撃前衛長は、進路を思いっきり誤った結果、玉砕した。ぽろりと真実を吐露してしまったのだ。

 

「…………つまり、私の胸が?」

 

「ハイ。横を見ると思いっきり巨大な、その、桃殿が。弾む様子とか、思いっきり視界に入ってしまうからです」

 

武はバッタのように頭を下げた。身長差があった頃は特に、2つの豊かな桃の揺れる様子が目に入ってしまうためにと小さな声で答えながら。サーシャがそれに気づいて不機嫌になる時もあり、なるべく並ばないように気をつけていたと武は全てを語った。

 

(……あれ、静かだな。怒られると思ったのに。ひょっとして気にしてないとか―――)

武はゆっくりと顔を上げるなり、「うぉあ」と呻いた。耳まで真っ赤にしながら目を逸しているユーリンの顔があったからだ。

 

「ちょ、マジでごめん! デリカシーないのは謝るから、なにとぞぉ!」

 

なにとぞ他の女性陣に真実を話すのはご勘弁を、と武は手を合わせて頼み込んだが、ユーリンの顔が怒りに傾くのを見ると、再びバッタのように頭をへこへこと下げ始めた。

 

ユーリンはといえば、パニックに陥っていた。自分の胸が大きいのは分かっている。だが武に直接何かを言われたこともなかった。からかわれる言葉もないため、特に気にされていないのだろうなと思っていたのだ。

 

だというのに、まさかの指摘。挙げ句に心配する所が他の女性の名前という、胸のあれこれとは逆方向にデリカシーがない言葉に、少し怒りを覚えていた。

 

(……落ち着いて、落ち着くんだ私。そ、それにあくまで昔の話かもしれないし)

 

年若い男性は本能に忠実だという。ユーリンはその知識を信じて、最近は違うんだよね、と武に問いかけた。

 

武は、雄弁なる沈黙で答えた。その頭の中に浮かんでいたのは、サーシャを治療した直後に見た夢のことだ。何故か馬乗りになってマッサージをしてくるユーリンの幻に激しく心動かされたどころか、感触までも蘇ってきそうな。

 

とはいえ、説明できる筈もなかった。同じ夢の中で、多くの女性と―――いかがわしいと指摘されても頷く他ない―――あれこれを致しただけに留まらず、最後はどう考えても少女な霞とのキスであの夢は終わったのだ。

 

正直に答えられない。それはバカでも分かる致命打になるからだ。

 

(ど、どうする、どうするよ俺。嘘は……だめだ、通じなければ事態が悪化する)

 

この難易度、ハイヴ級だぜと武は一人で汗をかいていた。ユーリンはといえば、顔を真っ赤にしたまま黙っていた。

 

両者ともに緊張しているため、黙って珈琲を飲み続け、機を伺い合った。一杯では足りず、2杯、3杯と。

 

その奇妙な状況が終わったのは、夕暮れになってから。時計を見てハッとなった二人は大急ぎで勘定を済ませると、基地へと走って戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………で、決戦のデートは喫茶店に行っただけで終わったと」

 

ユーリンから一通りの説明を受けたサーシャは、ベッドに座ったままユーリンの頭に手刀をキめた。

 

「小学生か。いや、きょうびの小学生でももっと進んでるらしいよ」

 

「え、それどこからの情報?」

 

プル()からの。いや、言いたいのはそんな事じゃなくてね……」

 

「……ごめん。明日、精密検査だっていうのに下らない相談させて」

 

「いや、全然下らなくないから。それこそ、色々な意味で」

 

ここ一週間、教導任務や検査の事前準備で、“時間”が取れなかったこと。他ならぬユーリンからの相談ということ。具体的に言えば、溜まっているであろう武に一発キめるチャンスだったのに、とユーリン応援勢筆頭のサーシャはため息をついた。

 

「素直になれば良いんだよ。武もぜっっったい意識してるし」

 

心が修羅に偏っていた過去でさえ、ユーリンの恵体は無視できなかったのだ。気持ち人間に傾き、リハビリ中ということもあって体力があり余っている現状、ユーリンを意識しないはずがなかった。

 

「でも……年の差が」

 

「まだ言うか。というか、年上でも美人でスタイル抜群のおねえさんを嫌う理由はないっていうのが男の意見。統計も取れてる」

 

サーシャは主観的意見かもしれないと考え、事前に隊内でアンケートまで取っていた。

 

満足のできる結果だった。樹からは「神宮寺中佐に誤解されたんだが」という声が、鳴海孝之からは「遥の笑顔が怖いし水月の笑顔も怖いです」と泣きが入った。平慎二は勘違いをした後、盛大に落ち込んでいた。シルヴィオ・オルランディは危機を察したのか姿を見せず、レンツォ・フォンディは「笑顔を浮かべられる女性なら倍離れてたって大歓迎だぜ」と豊富な経験を思わせる返事が得られた。

 

(……尊い犠牲だった。というか、この胸に尻に顔で言うか)

 

『胸が大きいことを罪に問う男は居ない。居るとすればそれは、本人が罪人(ペド)だからだ』というアルフレードの言葉をサーシャは信じていた。

 

―――そして、何よりもユーリンだ。彼女が葉玉玲(イェ・ユーリン)であるということ、それだけで武が好きにならない要素は消えてしまう。サーシャはそう信じていたし、誰に聞かずとも間違っていないと確信できていた。

 

「だから……迂回路は必要ない。直進すればそれでオッケーだから」

 

信じて、と強い念をこめてサーシャは言う。

 

それでも、虎牢関に似て堅牢無比な白銀城塞を陥落せしめるには小細工も必要だと、サーシャはとっておきのスコッチを取り出した。アーサーから貰ったもので、故郷から送られたものの素直に飲むのはなんか癪だからと横流しされた一本だった。

 

「それ、残りの……?」

 

ユーリンの1本は武の無事が確定した夜、安堵のあまり皆と潰れるまで飲んだ。残る1本、こう使う以外に何があるとサーシャは酒瓶をユーリンに突き出した。

 

「これで誘えば取っ掛かりになる―――大丈夫、怖がることなんてない。だって、武は下手な嘘が吐けないから」

 

アルコールで押し出された本音であろうとも、武ならば嫌な虚飾も無い。照れも恥もなく、聞きたいことに素直に答えてくれるから、と説明しながらサーシャは小さく笑った。ユーリンは息を呑み、どうしようか迷った後、おずおずと差し出された酒瓶を受け取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――翌日の夜、横浜基地の地下の一室。小さな部屋の中でユーリンは、武と談笑していた。昨日の昼の埋め合わせに、と武から誘ったのだ。ユーリンは武の仕草から、誰かに入れ知恵をされたことを察したが、むしろ有り難いと追求はしなかった。

 

木製の調度品に、一枚板の木材テーブルで誂えられた暖かい空間。その中で、二人はリラックスした状況で思い出話に花を咲かせていた。

 

ダッカから東へ、東へと追いやられて遂には海を渡り、武の故郷まで。ベトナム義勇軍に所属していた頃の話はユーリンも詳しく聞いたことがない内容のため、話が途切れることはなかった。

 

「それでも……あの極寒の地でよく戦い抜けたね」

 

当時の中国の防衛線付近は天候最悪に視界不良、士気まで海溝の底の底だということはユーリンも話に聞いていた。クラッカー中隊として戦った者たちをして、どうしようもない状況でない限りは絶対に行きたくないと思わせられる程に、最悪中の最悪の状態だったと。

 

武は苦笑しながら、ため息をついた。何より思い出したくない戦地の一つだと、顔色を悪くしながら。

 

「とにかく寒いんだよ。人間関係も冷え切ってた。コックピット内にいても、遮断されてるはずの冷気に脳髄まで蝕まれるようで……吹雪の時は最悪だった。誰が何時死んだか、分からないし、どれだけ殺したのか、あとどれだけ居るのか皆目分からない」

 

地面に撒かれた血は人のものか、BETAのものか、戦術機のものか。分かることは、踏めば滑って転んでしまうということ。先の見えない極限の状況で、凍りつかないよう手足を常に動かさなければ腐って落ちていたと、武は小さな声で呟いた。

 

F-15J(陽炎)が日本に来て早々に壊れたのは必然だったかもしれない。それでも戦えたのは、と話した武はそこで思い出したかのように、ユーリンを見た。

 

「―――ありがとうな、ユーリン」

 

「え?」

 

「マンダレー攻略直後の、俺たちが居なくなった後のことだよ。心配させちまってごめんと謝るべきか、どっちか迷ったけど」

 

吐いて、気絶する程にショックだったのに隊の不穏な空気を正したこと。クラッカー中隊のラーマを除く全員が、BETAではなく人間に手酷く裏切られた過去を持っていた。反発する者、教訓として身に刻んだ者、諦めの内に許容した者と、“処理”の方法は様々だがどこか人間に不信感を抱いている者ばかりだった。

 

武も、それとなく気づいていた。だからこそ、違う方向へと―――狂気の道へ動きそうになっていた仲間たちを正してくれたことは感謝するというレベルではない、命をかけて報いるに足る行動だった。

 

「でも……ありがとう、っていう言葉が適していると思う。隊が瓦解していれば、俺もきっとあの極寒の戦場で腐っていたから」

 

自責の念と人間不信を拗らせ、弱くなっていた自分が最後まで凍死しなかった理由は何だろうか。その質問に、武は迷わずに答えを見出していた。

 

「亜大陸撤退戦から、初めてのハイヴ攻略まで………苦しいことも多かったけど、あの暖かい生活が、最後の砦になってくれた」

 

火の先(ファイアストーム・ワン)、一番星と呼ばれることは恥ずかしいが、武は頭からその呼び名を否定したことはなかった。無数のBETAを相手に戦い、勝利に届かずとも頼れる仲間たち―――家族と言っても過言ではない戦友と駆け抜けている間は輝いていて、何かに燃えていたからだ。

 

「……私もだよ。あの中隊だけが唯一、私の帰りたい場所だったから」

 

遠く離れてなお忘れられない、懐かしくも切なく、何度も思いを馳せた大切な居場所。ユーリンは、生まれた場所にそのような感慨は抱いていない。

 

故郷に居た周囲の人間は普通に接してくれたが、見えない壁のようなものがあった。

 

(……違う。私から、離れていた)

 

生まれてこの方、両親から暖かい言葉をかけられた記憶はなかった。ずっと放置されていた。故に、人との付き合いはそういうモノだと納得した。

 

他の家の子供は、自分とは違うかもしれない。絆というものを紡いでいるのかもしれない。だが、子供心にもう手遅れなのだと、ユーリンは諦めていた。

 

近所のおせっかいなおばさんから、両親の昔話を聞いたからだ。幼馴染で、父と母はずっと昔から付き合いがあったらしいが、ユーリンから見ても二人の仲は冷え切っていた。時間をかけて関係を築き上げても、何か一つの間違いか、決定的なすれ違いがあれば人と人の絆は壊れること。

 

人間との付き合いは距離が大事なんだと学び、誰とも肩をぶつけないように生きてきた。そう出来る才能があった。

 

―――それが許されなくなったのは、命の瀬戸際に追い詰められてから。小娘の洒落臭い理屈など、本当の土壇場では砕かれて捨てられるのみ。軍は群れであることでようやくその機能を発揮できる場所だ。その中で適切な距離を保ちつつ、連携を保持できるほどの能力はユーリンには無かった。

 

最前線の防衛線という過酷極まる環境で、背中を預けられる者は誰も居ない。ユーリンは八方塞がりになって右往左往していた頃を思い出し、笑った。

 

「……引きずりこんでくれたよね。強引で、力任せに」

 

「ひ、人聞きが悪すぎるんだけど……もしかして、初めて会った時のことか?」

 

ユーリンは頷いた。戦術機と戦闘技術のことで相談して、夢中になっていたせいだろう、後ろにいた荷物を運搬中の整備兵に気づかなかった。当時はどこも大忙しで、士気が低下していたからだろう、荒くれ者が多かった。

 

「危ない、って引っ張ったのは確かだけど……いや、すみません」

 

「いいよ。あ、昨日の昼のことは、もしかしてその時のアレのせい?」

 

不意打ち気味だったせいでユーリンがよろけ、体が前に傾いた所を少年だった武が受け止めたのだ。既に育ちきっていた胸を、その顔で。

 

「あー………息できなかったなー、というのは覚えてるけど」

 

「ふーん……その後の相談に付き合ってくれたのは、私を弟子にしてくれたのは、後ろめたかったから?」

 

「そ、そういうんじゃねーし。ちげーし」

 

「律儀だね。教育の代わりに、って身体を求めてくる輩まで居るのに」

 

「……は?」

 

武は感情が抜け落ちた声で反射的に答えた。ユーリンは、そういう所は子供なんだね、と苦笑しながら答えた。

 

「冗談か本気か、区別はできなかったけどね」

 

「……応えてないってことだよな。それ、大陸に居た頃か?」

 

「ふふ、そうだね。でも、気にしてないよ。『大きな胸があればそれがどんなものでも求めてしまうのが男の本能だ最低でもチラ見』らしいからね、某イタリア人曰く」

 

「……今度あったらトマトのミートソースパスタだなあのイタ公」

 

それでも感じ入るものがあったのか、武は頷き―――思わず、チラ見した。

 

ユーリンは肩が凝るだけなんだけど、と話題を変えようとしたが武を相手に答えるのは他の者の10倍恥ずかしく、僅かだが頬が桃色に染まった。

 

「でも―――おかしくはないんだよね。生き残るための知識なら、得るために対価を要求するのは当然だもの」

 

「……まあ、与えられている時間は有限だから」

 

最前線という混沌とした場所での戦術機乗りは、お定まりの訓練は当然のこと、隊の内外の人間との付き合いを上手く構築していかなければ生きてはいけなかった。当時のアジア情勢や、きっちりライン分けされていない軍の編成が、そうさせていた。

 

BETAはあまりにも多く、状況は常に変わっていく。地形、気候、陣形、機体の調子に応じて賢い選択をし続けられてようやく、衛士は基地に帰ることができる。

 

それを可能にする技術――ーそれも、経験に裏付けられただけではない、革新的で高度なもの―――など値千金というレベルではない。

 

尊敬出来る仲間と引き合わせてくれたこと。全てを合わせれば、人生を何度捧げればいいのか、ユーリンには見当もつかなかった。

 

(そのまま答えると、武は嫌がるから言わないけど)

 

ユーリンは武に、これ以上の重荷を背負わせるつもりはなかった。

 

―――あくまで理屈の上では。そんな時だった。ユーリンの抑えきれない感情が、少し迂遠な通路を経て声になった。

 

「武が代価を求めなかったのは、自分が育った後に請求するつもりだったから? 桃栗三年柿八年っていうし」

 

冗談混じりの声に、武は顔を赤くしながら答えた。

 

「そういうのは好きじゃない……っていうか、そんな諺よく知ってるな」

 

「先週、スミカに教えてもらった。何事をも、成し遂げるには相応の時間がかかるって意味だっけ?」

 

確かにあの頃よりは少し成長したけど、とユーリンは苦笑した。武はそういうのやめて、と顔を赤くした。

 

「そ、そういえば続く言葉があるんだよな。『柚子は9年で成り下がる』とか、『枇杷は早くて13年』とか」

 

「……どういう意味かな?」

 

ユーリンは純夏が零していた言葉に―――『タケルちゃんの大馬鹿18年』という愚痴に同意したくなった。

 

「いや、そういうんじゃなくて……その、昨日にユーリンが言ってくれたこと。町の光景とか見て、改めて怖くなった」

 

「……そうだね。一時の平和を得るまで、10年。本当に、本当に、長かったけど」

 

それでも、この暖かい時間が長く続く保証なんてどこにも無い。

 

疑いなく尊いと断言できる光景も、永遠にはなり得ない。時間を積み重ねて結実したものも、悪意の前に儚く散ってしまうのが現実だ。

 

桃や栗、柿、柚子、枇杷―――どんな“実”であっても変わらない、争いという炎に大本の樹が焼かれれば倒れ、灰になってしまう。それは気が遠くなるほどに、切なくやりきれないことだ。

 

「……夢のような時間は、いつまでも続かない。それでも、夢を夢のままにするのが俺たちの仕事なんだろうな」

 

「そう、だね。燻る火種を灰に返すことが」

 

指揮官クラスには、ある程度の情報が与えられていた。オリジナルハイヴを攻略出来たことは歴史的な大業だが、ようやくスタート地点に立てただけということを。

 

BETAを地球上から駆逐できる可能性は高い。同じように、BETAが居なくなった後の隙間に人間の思惑が、欲望が入り込んでくる可能性もそれ以上に高い。

 

「……休んでもいいんだよ? と言っても、聞かないだろうけど」

 

「ああ。ここで終わったら、今まで何だったんだって話だからな……申し訳ないとは思うけど」

 

「そういう時は付いてこい、の一言で良い。あの時、強引に私を引っ張ったように」

 

この先、共に戦うということは今までと同じく、共に地獄の業火に焼かれて欲しいと願うようなものだ。環境が整った空間でのどかに昼下がりを過ごす生活からは程遠い。

 

「……ユーリンこそ。今なら引き返すこともできるけど、良いのか?」

 

「今更、だよ」

 

ユーリンは、笑いながら、誇るように告げた。

 

 

「それで良いのか、と言われれば私はこう答える―――それが良いの」

 

 

生と死の境でずっと抗ってきた。野辺の炎の熱さなんて今更だった。戦場で失った人、守れなかった悔恨の火種は心の中の彼方此方で燻っている。

 

クラッカー(爆竹)中隊の激しくも優しい音が、魔を跳ね除けるようなあの音色が無かったら、灰に還っていたかもしれない。

 

無傷とはいかなかった。だが、その傷さえもユーリンは好んでいた。熱の塊のような人物の元へ、焦がされるほど近く、吐息がかかるほどの距離で果ててしまうのが葉玉玲の望みだった。

 

「これが私の選択。帰り道なんてないよ。実を成す木が、自分から成長を辞めることがないように」

 

いずれ終わるかもしれない、それがどうしたと木は伸びて人は成長し続ける。時間を重ねて、自分だけの日々を覚え、血肉に変えていく。

 

たとえ世界に頼まれたって、辞めはしない。強い覚悟で紡がれたユーリンの言葉に、武は頷き、嬉しそうに笑った。

 

「……助かる、本当に。あと何回、ありがとうって言えばいいのか」

 

「何度でも。お礼の言葉に、意味がなくなる時なんて来ない」

 

永遠があるとすれば、きっとそのようなものだ。旅は終わる、命は潰える、想いだっていつかは消えてしまうかもしれない、それでも自分たちが今この時に交わしたという事実は、約束だけはずっと。

 

「ちなみに、誓いを彩る道具がここにあるんだけど」

 

今しかないと、ユーリンはウイスキーを取り出した。そして、先に開けなくて良かったと思った。酔いでの勢いではなく、武から普通に引き出せた言葉の方がユーリンは好きだったからだ。

 

「じゃあ、乾杯しようか」

 

「……賛成だけど、改まって言われると悩むな」

 

「思いつかない時は、『二人の出会いに』とか適当でも良いらしいけど」

 

「良いね、それ」

 

出会えたこと、それ自体は特別なものではなかった。サーシャや殿下のように劇的でも運命的でもない、普通の衛士が最前線で出会ったということだけ。

 

(誰かに巡り合わされた訳でもない。それでも出会ってから7年、時間を重ねて今のような特別な関係に至れたのは、紛れもない自分だけの宝物(果実)だったから)

 

そんなユーリンの内心について、察した訳でもない武は、当然のようにグラスを上げて、それじゃあ、と乾杯の言葉を紡いだ。

 

「―――二人の出会いと、今までの時間と、これからに」

 

「―――か、乾杯」

 

チン、と軽い音が鳴る。

 

ストレートのウイスキーは酒に強いものでも、喉に焼けるような熱さを及ぼす。一方でユーリンは、顔と喉と心臓に集まる熱でそれどころではない状態になっていた。

 

「お、おい、大丈夫か?」

 

「だ、だいじょう……だいじょばないアル」

 

「だからどっちだって。あ、そういえば水入れるの忘れたな」

 

チェイサーを用意してくる、と武は席を立った。

 

ユーリンは礼を告げて見送った後、助かったと呟いた。

 

「やっぱり……ひきょうすぎる。ここで急所に不意打ちとか」

 

香月博士が唱える恋愛原子核説は正しかったのかもしれない。ユーリンはぐるぐると回る視界の中で、そんな事を考えていた。

 

それでも、無敵でもなんでもないとサーシャから言われたことも。

 

(武を一人にさせないように、誰か一人でも生き残って傍に。サーシャと殿下からは、はっきりと言われたし、武にも告げたみたいだけど)

 

心情を吐露された二人は断言した。守るものが無くなった時、武は迷わずに消えてしまうということを。誰にも思い出されることはなくなる。数々の偉業さえ、不自然に風化してしまうだろうと。

 

(―――それは許せない、偉業だとか、それ以前に色々と)

 

憤慨するも、打開策が見いだせないユーリンは武が戻ってきてからもずっとグラスを開け続けた。つられて武も次々に度数の高いウイスキーを呑んでいく。

 

自然と、話題は二人が共通するものへと移っていく。その中でかなり酔いが進んだ武は「やっぱり気になるんだけど」と身体云々の話をほじくり返した。

 

「そういうのはちょっと、違うというか。ユーリンも応じないと思うけど」

 

「あるわけないし」

 

「でも、モテそうだし」

 

「ないない」

 

「一説には樹と仲が」

 

「ない」

 

段々とユーリンの声のトーンが下がっていく。武は気づかず、次々に質問を重ねると、遂にユーリンが爆発した。

 

「な、ないって言ってる! ―――だってわたし処女だし、好きな人以外に齧られたくなんかないし!」

 

「………………え?」

 

「信じられないっていう顔しないで……イタイのは分かってるけど、武にそんな目見られると泣きそうになるから」

 

やっぱり年増なんて、と酔ったユーリンは更に酒を呷った。そして『誰を想ってのことだと』と愚にもつかない愚痴を零すだけでなく、手を滑らせてウイスキーまで零した。

 

胸元が、ウイスキーで濡れていく。あっ、と武は驚いたのも束の間に何か拭くものが無いかを探した。

 

一方、ユーリンは少し沈黙した後、ウイスキーで濡れた胸元を手でなぞった。

 

「……もったいない」

 

「……えっと、ユーリン?」

 

武はウイスキーがついた布を手に持ちながら、硬直した。掌についたウイスキーをユーリンが舐め始めたからだ。その仕草が余りにも色っぽく、武の顔が酔いだけが原因ではない朱に染まった。

 

「ちょ……ちょっと、無防備過ぎるんではないかと拙僧は思う次第で」

 

気力で振り絞るも、混迷極まった言葉。だが、ユーリンが相手では逆効果になった。

 

ぷつん、と何かが切れた音の後、武の手を取ると優しく舐め始めた。まるで啄むように、小さな動作で。

 

「……うん、美味しい。ちょっとゴツゴツしてるけど」

 

「す、すすすストーっプ! こ、これ以上はやばいって!」

 

見たことも無い程に乱れているだけではない、何か途方もなく嬉しいことがあったのか、いつも以上に綺麗で艶やかに見えるユーリンに、武の武は限界を迎えていた。

 

これ以上は本当に、と。

 

―――ユーリンはうん、と頷いた後。

 

無言で抱き着き。武は耳元に告げられた言葉の後、理性を飛ばした。

 

 

その日の夜、想いの果実が一つ、落ちることなく消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で、あの有様だったと」

 

「はい、閣下」

 

「誰が閣下か……本当に閣下を呼んでもいいけど」

 

特別医務室の中、正座する武の前で、サーシャは頭痛を堪えるように頭を抑えた。結果だけ見れば喜ばしい、喜ばしいのだがそれは互いに無事であったらの話だ。

 

「まあ、そんな状況じゃ殿下だって野獣になるだろうけど?」

 

「まってまってサーシャさん国際問題」

 

「煩い、男女逆として考えれば間違ってない。で、責任は……言うまでもないか」

 

くだらない事を聞いたと、サーシャがため息をついた。

 

一方で、強敵たるユーリンのポテンシャルの高さに戦慄していた。態とではないようだが、そうであるが故に威力が高くなりすぎているのも問題だと。天然が故に大きくなる壁もあるのだなと、サーシャは遠く、戦友であり強敵でもあり永遠の宿敵である煌武院悠陽が居る方角を見た。

 

(……やっぱり、ひとりじゃむりってことがわかった)

 

サーシャは震えながら幼児のように呟いた。“人間”に戻った武は今までの蓄積か、本人の並外れた体力もあってか、()()()方面に豪のもの過ぎるのだ。死に傾いた理性が無くなったこと、喜ばしいことには間違いない。ぶつけられる相手が自分であることも。

 

それでも、現実的な問題がある。自分は愚か、悠陽までも最後には言葉にならない声を出すだけに()()()しまうのだ。様子を観察するに、相当抑えていることがハッキリと分かるが、それでも、とサーシャは顔を赤くした。

 

並行世界のものらしい蓄積された技術もあって、2対1でも到底敵わなかった。ユーリン程の恵体であってもこうなるのは、冗談抜きで洒落にもなっていない。サーシャは差し迫る問題を前に、頭を悩ませていた。

 

現実的で切実、というか生命の維持的な問題で二人では絶対かつ問答無用に無理だというのも、色々と勧めている理由の一つに数えられると、色々な意味で笑えない事実を知った女性たちはどう思うだろうか。

 

サーシャは、乾いた笑いを零すことだけしかできなかった。

 

(でも、今回は流れが完璧過ぎたのもある……ユーリン、恐ろしい子。最後の言葉も。『“成り下がる”前に、誰でもないタケルに齧り取って欲しい』だっけ? ―――他でもないユーリンに言われたら、獣になるのも無理ない)

 

アルフレードが居れば『たわわに熟した果実()がようやく白銀色の鋏で収穫されちゃったなーがはははは』と笑い飛ばすのだろうか。そこまで考えたサーシャは、だめだ私も混乱している、と首を横に振り。諦めたように、扉の方を指差した。

 

「……取り敢えず本人には後日謝るとして、先にあっち」

 

足腰が立たない状態になったユーリンではなく、迷惑を被った人にと、サーシャは退室を促した。具体的には部下である亦菲と、教導の予定に入っていた純夏が居る廊下へ。

 

足音で誰だか察した武は顔を青ざめさせたものの、一瞬で戦士というか男の顔になると、部屋を去っていった。

 

 

―――その5秒後。

 

「そんな馬鹿な発勁まで乗せて」という武の声がしてから間もなく、ドリルでミルキィな幻の左が放たれる音と衝撃が医務室を響かせた。

 

サーシャはため息をついた後、隣のベッドで気絶中であるユーリンの頬をつねった。

 

少しは痛むだろうに、それでも最高に幸せそうな姉の笑顔は変わらず。

 

降参とばかりにサーシャは少し拗ねながら自分もベッドに横たわった。

 

 

追撃であろう、二人による連携攻撃と武の叫びが、基地の廊下を賑わせていた。

 

 

 

 

 

 

 




~あとがき~


( ;∀;)イイハナシダナー





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