Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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本日午前に投稿したもの、ほんの一部追記したものを投稿します。

ハイヴ攻略戦の隙間の、間話扱いでよろしくおねがいします。


後日談の6-1.5 : リヨンハイヴ攻略作戦(1.5)

 

 

輝かしい装飾が施されたシャンデリアは、広いホールの全てを照らしていた。腹に一物を持った高級軍人などの軍の重鎮、政治家達が互いに互いを探り合っている様子まで。西独陸軍第44戦術機甲大隊“ツェルベルス”の大隊長であるヴィルフリート・フォン・アイヒベルガーは歓迎の晩餐会の中、十何年も前から見慣れた光景を眺めつつも、以前とは違うものがあることに気がついていた。

 

おおよその所で、3分の2。それだけの数の人間が、オリジナルハイヴ攻略前とは異なり、野心や我欲を隠しきれなくなっていることをヴィルフリートは見抜いていた。

 

(……命が保証された。平和への(きざはし)が見え始めている今であるからこそ、か……度し難いな)

 

戦後のビジョンが見え始めているからこそ、自分の取り分というものを意識しているのだろう。戦場で費やされる命よりも大事だと言わんばかりの様子は、嫌悪を超えて呆れさえ生むもの。人間の業の深さは果てしないものだと、ヴィルフリートは少し顔をしかめながら、好物である揚げたジャガイモを口の中に放り込んだ。

 

―――ヴィルフリートはかつて多くのものを失った。貴族の坊やだった頃とはまるで異なった世界を生きている。英雄という立場に在ることを選択し続けたからだ。ヴィルフリートはかつての自分、その己の大半を軍に、戦いに捧げてきた。青春の日々全てを費やし、BETAから国民を守るために足掻き続けた。

 

諦めなければならないものがどれほど多かったのか、それさえも忘れるほどに。だが、ヴィルフリートにはこれだけはと譲れなかったものがあった。何よりの好物の揚げたジャガイモを、人目をはばからず食すことだ。今日は白ワインとの相性もばっちりで、ジャガイモと辛口ワインのハーモニーが任務漬けで疲労したヴィルフリートの精神を大いに癒やしていった。

 

コースの料理などむしろ添え物、とばかりにヴィルフリートは次々に芋を食べていった。いつか自由な時間が与えられ、誰にも見られていない場所が与えられるのならばイモとワインのマリアージュについてとことんまで掘り下げ、ベストな組み合わせを追い求めたいというのが、ヴィルフリートの数少ない夢だった。

 

(しかし、今年は例年よりも凶作だったと聞いた……今日はイモのおかわりを控えるべきか)

 

いつもはデザートの後で揚げたジャガイモを頼むのが通例だったが、流石に遠慮をするべきか。そう悩んでいたヴィルフリートは、控えめな声で話しかけられた。目を顔を声の方向に振り返らせると、そこには笑顔の給仕が立っていた。

 

手には、揚げたジャガイモが入った皿が。香りは良く、新しい出会いを感じさせる何かがそのイモにはあるような。

 

(しかし、一体誰がこのような真似を)

 

ヴィルフリートは表情を変えず、あくまで無言のまま視線で給仕に尋ねる。

 

給仕は少し困った―――微妙に引きつらせているような―――顔で、ヴィルフリートの問いに答えた。

 

「あちらのご来賓様からです」

 

ヴィルフリートは促された方向を見る。そこには、親指を立てて笑顔を返す国連軍横浜基地の英雄中隊を率いている中佐の姿があった。

 

ヴィルフリートはその顔を見るなり小さく頷くと、出された揚げジャガイモをぱくりと食べた。

 

(―――これは)

 

ヴィルフリートの手が、次のイモを掴む。そして、サクリという音を立ててイモを食べ、白ワインを飲むと驚愕に目を丸くした。間違いなく、晩餐会で出されているものと同レベルである天然もののジャガイモ。素材の良さは問わずとも分かるほどで、ほくほくとしたイモらしさを失わず、味が濃く深い。かといってしつこくなく、白ワインの辛口とわずかな酸味に絶妙にマッチしている。

 

日本には米から作られた酒があり、味の傾向で言えば白ワインに近いものだという知識をヴィルフリートは持っていた。だが、現実に味わうとまた違った趣の深さが伺えた。

 

(合成食料の質の高さは知っていたが……やはり、日本は侮れない)

 

ヴィルフリートは頷きながらイモを食べ始めた。隣で笑みを貼り付けながら、雰囲気を怖いものに変え始めた副官の様子に気づかないまま。

 

 

「―――違う世界だけど、約束だから。果たしてもらったぜ、黒狼王」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――翌日。英国本土西岸、リヴァプールに武は居た。この街は世界に名だたるマッシュルームカットの4人組を生んだ土地というだけでなく、1980年代に起きた欧州最後の砦である英国、その本土防衛戦時に臨時首都として機能したことで有名な土地である。

 

英国本土はもちろん、ロンドンも無傷では済まなかった厳しい戦いの後、灰燼と化した土地の復権を進めている今でも、対BETAの最前の後輩として重要な役割を果たしている。南北アメリカやアフリカといったBETAに侵攻を受けていない土地とイギリスを繋ぐ港として、内陸の工業都市であるマンチェスターと同様に、英国の心臓部として最優先で守るべき都市として認識されている。

 

「だからこそ治安が他の地方よりも良く、欧州の難民の中でも比較的()()()()()()人が選ばれているって所か?」

 

「……そんな所だろうが、どうして分かった?」

 

「このソフトクリームの味。美味いし上品なのは、それが求められてるからだろ」

 

ただの甘味でさえ味を追求する者が多いということだ。イギリス人だけではないからだろうな、と武は街を歩く人達を見ながら言った。

 

「味にこだわりの無い国民性らしいからな。樹だって覚えてるだろ? 大東亜連合時代に食べた、英国産のレーションの味」

 

具体的に語るのは脳が拒否するため割愛するが、と前置いて武は告げた。『これを食べても士気が崩壊しない英国の紳士ってすげえ』と。それを聞いたアーサーが遠い目をして『日本産のレーションには感謝しかない』と呟いていたのを二人は覚えていた。

 

「……ふっ。少し記憶が飛んでいたようだ。で、なんだって?」

 

「いや、いい。俺もダメージを受けたし」

 

武はソフトクリームを舐めながら、精神の安定に努めた。その背後から、ソフトクリームを買い終えたのだろう、追いついてきた欧州の案内役が武と樹に話しかけた。

 

「お、お待たせしました!」

 

「いや今来たところだから」

 

「何がだ。まったく、隙あればこいつは……それよりも移動しよう」

 

目立っている、と樹は周囲の民間人にそれとなく視線を向けながら告げた。どうして、と内心で考えていた樹だが、武はすぐに理由が分かった。

 

イルフリーデ、ヘルガローゼ、ルナテレジアに樹。金髪巨乳に青髪で均整が取れたスタイル、緑髪豊乳に黒髪の麗人。軍人らしくだらしない所がない美人4人とか目立たねえ訳がねえ、と逆に納得していた。

 

だが、口に出せば何かこちらにも被害が出そうな。直感でそう感じ取った武は無言のまま頷き、移動を始めた。日本ではあまり見ない、石畳みの町並みを歩く。武はBETAの侵攻を一度も受けていないという、歴史の蓄積を感じさせる風景を感じ取りながら、ソフトクリームの甘さに幸せを感じながら。

 

(……ストロベリー・フィールズに行きたい、とか言ったら怒られそうだな)

 

父・影行が好きだったからという経緯だが、武も色々と世界一有名かもしれないバンドの音楽を聞きながら幼少時を過ごした。忙しい父が不在で、それでも聞きたいとレコードプレーヤーの針を操作したが上手くいかず、壊してしまったこともあった。下手な言い訳をした後に容易く見破られ、ゲンコツを受けたのは懐かしい想い出だ。

 

「……中佐、どうされましたか?」

 

「いや、ちょっと昔のことを。それとここで中佐はダメだってヘルガ嬢」

 

「し、失礼しました!」

 

「いや敬礼もなしで―――ほら、目立ってるだろ?」

 

武は急いで移動をした後、再度の注意を促した。ここには休養を兼ねてのお忍びとして来ているのだ。一般市民も、中佐と呼ばれている人物が隣に居ると知れば息が詰まるだろうと。

 

「……大本の原因はお前なんだが」

 

樹は晩餐会の後のことを思い出していた。后狼と呼ばれるに相応しい笑顔だったが、目だけは笑っていなかったジークリンデ・ファーレンホルストの様子と、「マジですみませんウチの馬鹿が」と平謝りをするアルフレードの姿を。樹はトラブルメーカーの一人であったアルフが顔を青くしながら謝っている姿を思い出しながら、やっぱり問題ないんじゃないかと内心で思いつつあったが。

 

「それでも、観光はできる時にすべきだな。こうまで戦前の光景が残っている所はあまり見ない……妬ましい気持ちも覚えるが」

 

「……失礼ですが、紫藤少佐も故郷を?」

 

「斯衛らしく京都の出だ、ファルケンマイヤーさん」

 

階級で呼ぶのは不適格だからと、樹は名字で呼んだ。BETAの侵攻で蹂躙され、古都という称号と歴史をまとめて踏み潰されたのが自分の故郷だと。

 

「とはいえ、形あるものはいずれ滅びるもの。それが1000年か2000年か、少しばかり早まっただけ……そう思えるようになったよ」

 

「……スケールの大きい話ですね」

 

「半永久的よりも、復興の芽はあるということだ……前向きになる理由がある。こいつの故郷である横浜よりもと、思ってしまう自分が少し嫌ではあるが」

 

樹は武を見ながら告げた。驚く3人に、武は心外だという表情を返した。

 

「人の生まれ故郷を死んだ土地みたいに言うな。ちょっと重力異常が起きてるだけだ」

 

「……空前にして絶後っぽいのだが?」

 

「言われてみればそうかもな―――重力異常から立ち直った初めての街。復興のキャッチフレーズにはピッタリだ」

 

これならばいける、と武は横浜ないしは柊木町観光名所計画を企み始めた。ポジティヴに顔を輝かせる武を見たヘルガローゼは、顔を引きつらせていた。

 

「随分と前向きなのですね、ちゅ……し、白銀殿は」

 

「やる事を定めてるだけだって。あの黒い絶望のドームを前に誓ったんだ。いつか必ず戻ってくる、戻してみせるって」

 

忙しい日々の夜の中で誓った、と武が笑う。答えたのは、ルナテレジアだった。

 

「故郷を愛しているから、なのですね」

 

「普通に戻って欲しいからな。ちょっとしたすれ違いで些細な喧嘩をする男女が普通に居るような街とかに」

 

いざとなったらヘルプとか叫ばれるんだろうけど、という武の呟きの意味が分かる者は居なかった。

 

「そう、普通だって―――例えば、大役に選ばれた衛士の悩みに答えるのも」

 

不意打ち気味の言葉に、3人は黙り込んだ。その中で、一番に最初に冷静になったのはイルフリーデだった。

 

蒼穹作戦で最も重要な役割を任せられたのが、あの録画に映る衛士達だった。一昨日に見せられたオリジナル・ハイヴでの最終戦闘の映像を思い出しながら、イルフリーデは言葉を飾ることなく問いかけた。

 

「見ているだけでは、分からなかった。どういう気分であの迷路の中を進んでいたの? ……自分が負ければ何もかもが終わってしまうかもしれない中での戦闘で、あなたは何を支えとして自分を―――」

 

怪しまれないよう、敬語も使わず。問いかけられた言葉の中には、悩みが含まれていた。リヨンハイヴの攻略は欧州に住まう者として、何より先に果たすべき悲願となっている。建設されてから何年もヨーロッパは苦しめられてきた。その牙城を切り崩すという名誉ある立場に選ばれたのがツェルベルス大隊だ。

 

イルフリーデ達は地上での引き付け役を任されている。突入部隊ではないにしても、失敗は絶対に許されない立場だ。だから欠片でもいい、手がかりが掴めるのならば。そう願ってのイルフリーデの言葉に対し、武は自分が感じたままの言葉を率直に伝えた。

 

「実の所、あんまり特別なことは考えてなかった。……うん、思い返しても見当たらないな―――ただ、自分はできるだけ死なないまま、目の前の敵をぶっ殺せば良いってことは分かってた」

 

準備や手配、策謀よりも余程わかり易かったと武は断言した。遠慮も配慮も必要ない、ただ全力を出せばそれで人類が満足できるのだ。

 

「言い訳をする必要がないぐらい、全部……全部を注ぎ込む。余力なんて考えないで、ありったけを。それ以上にできることはないって、胸を張れるぐらいに頑張ろうって……最前線の衛士ができるのはその程度だろ」

 

つまりは、いつも通りだ。武の言葉に、イルフリーデとヘルガローゼはきょとんとした後、小さく笑った。

 

「そう、ね……いつも、そうだった―――うん、しっくりきたわ」

 

「私もだ。いつも通りに……当たり前のように、今の自分よりも強く、鋭くあろうとし続ければ良い」

 

停滞ではなく前進を、成長を、踏破するために。優れていると言われようとも今に甘んじることなく、満足することなく、ツェルベルスの一角としての役割を果たす。先人に追いつけるだけの死力を振り絞る。それ以上のことは出来ないと、必死になってやってきたことを繰り返せばいい。

 

「そうそう。いつも通りで良いんだよ。それでもできない、ってんなら今まではサボっていたのか~、ってイチャモンつけられるだけだし」

 

「……白銀殿はそういう声を、突きつけられた経験が?」

 

「10年も戦ってきたからなぁ」

 

色々あった、と武は苦笑しながら答えた。場所が変われば常識が異なる。常識が異なれば、会話をすることさえ一苦労。根拠がなく見覚えのない異論や文句は日常茶飯事だった。だが、ムキになるだけの言葉だけで返せば、それこそ水掛け論の泥沼になって終わる。大人になれば良いと武は胸を張って答えた。

 

「―――そうね。与えられた以上に役割をこなすだけ。それ以外に何があるの、っていう話だけど」

 

話の途中に飛び込んできた言葉は、フランス語だった。咄嗟に理解できたイルフリーデが、聞き慣れた声の主へ―――機動砲兵(ガンスリンガー)として先を行かれている好敵手がいる方向を向いた。

 

「リヴィエール!」

 

「さんをつけなさい、キャベツ(クラウト)女」

 

威風堂々と告げるベルナデットに対し、イルフリーデは今にも噛みつきそうな表情で答えた。武はそれだけで二人の力関係を見抜くと同時、遠慮のなさから207Bの二人を思い出し、小さく頷いていた。

 

「っと、ストップだそこの仲良し二人」

 

「「誰がこんな奴と!」」

 

「息ピッタリじゃねーか……じゃなくて目立ってるって」

 

ちょっと人だかりが、と呟いている途中に武は気がついた。様子を伺いながらこちらに歩いてくるA-01の新人衛士を。

 

―――龍浪響に千堂柚香の二人はカシュガル攻略後の調査で、記憶流入のケースDが認められた。C以上は一般の部隊には置いておけないレベル。バビロン作戦後の世界で起きた出来事は、あまりにも常識から逸脱しすぎている。記憶の混濁や機密保持、精神的なものをクリアするためにと、二人は帝国軍から国連軍へと半強制的に移籍させられていた。

 

ちょうど、今のような事態を防ぐために。

 

「げっ、リヴィエール大尉?!」

 

「……その反応に言葉。もしかして、ウォードックのチビ?」

 

「えっ、えっ?」

 

「これはこれはベルナデット・ル・チビレ・バ・カ・リヴィエール大尉どの。お元気そうでなによりです」

 

「ふん、まだ名前すら覚えられてないの? 相変わらずの低脳なのね」

 

「え……日本人なのに虎女の知り合いなの? ひょっとして、清十郎の同期とか」

 

「その、フォイルナー嬢。今の発言はリヴィエール嬢よりも失礼かと」

 

「まあまあ落ち着けって。どっちが小さいかなんて気にすることねーじゃねーか。ここはどっちも小さいってことでいっちょ解決を」

 

「この状況で火に油を注ぎにいくのか……ん、どうしたルナ?」

 

「いえ。なんでもありませんわ。それよりも、あちらは……」

 

ルナテレジアは向こうから小走りで近づいてくる一団を見つけた。ベルナデットを探していたようで、一直線にこちらに近づいてくる。

 

「見つけた――ベルナデット中尉!」

 

「……ジョゼットにエレン? なにをそんなに急いで……いえ、何かあったの?」

 

「はい。……失礼ですが、こちらは?」

 

エレンが武達を見ながら質問すると、ベルナデットは面倒くさそうにしながらも、ツェルベルスと横浜の衛士だと答えた。

 

予想外のビッグネームに、エレンが絶句した。一方で、ジョゼットは別の意味で驚愕していた。

 

「……ヒビキ、に……ユズカ?」

 

「え、ジョゼット……まさか知り合い?」

 

「え、ええ。夢の中で少し……いえ、忘れてちょうだい、エレン」

 

ジョゼットは顔を青ざめさせながら、同僚であるエレンに固い笑顔を返した。響達は驚愕しながらも、首を傾げていた。予想外過ぎる出会いもそうだが、二人の名前に違和感を覚えていたからだ。武はゴングの音が鳴ったように聞こえたが、追求すると泥沼になりそうなので止めた。

 

「―――それよりも報告を。何があった?」

 

ベルナデットの言葉に、エレンは敬礼をしながら答えた。5分ほど前、900mほど離れた裏通りで銃声がしたこと。断続的に聞こえてくるため、銃撃戦が起こっている可能性が高いことを。

 

話している内に遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。ベルナデットは舌打ちをした後、避難した方がいいか、と呟き武達を見た。

 

「テロの予告は無かった筈だけど、万が一がある。私達は急ぎ避難するけれど……あなた達は?」

 

「こっちはこっちで避難する。この時期に余計な諍いの原因を作るのも、な」

 

予想外の事態について、ベルナデットやイルフリーデ達には心当たりがないかもしれないがこちらは売る程ある。暗に示した武をベルナデットは睨みつけた後、エレンとジョゼットの方に振り返った。

 

「避難するわ―――じゃあ、リヨンでまた」

 

「そっちこそ」

 

軽い口調で別れの挨拶を交わすと、ベルナデット達は去っていった。そのやり取りを見ていたルナテレジアは、複雑そうな顔を浮かべていた。

 

だが、事態はそれどころではない。ハイヴ攻略を控えている現状、負傷さえ論外だ。全員が弁えていたため、避難を優先した。

 

周囲を警戒しながら、駅の方へと歩を進めていく。その途中で武は周囲の味方だけに聞こえるように舌打ちをした。

 

「……おい、まさか」

 

「尾行されてる。それも複数……このまま進めば囲まれるな」

 

樹の質問に、武は険しい顔で答えた。人通りが多い道だが、工作員らしき者の気配に気づいていたからだ。

 

―――武は平行世界で工作員として利用されていた“自分”の記憶を忘れていない。こちらの世界でも、これからは必要になるだろうと、シルヴィオとレンツォに知識と技術を叩き込まれていた。美琴ほどの勘の鋭さはないが、衛士に特化している他の面々よりもそれなり以上の心得を持っている。

 

その感覚が危機を叫んでいた。駅に向かうこちらを捕捉した上で、包囲しようとしている。狙いは誰かの身柄か、命か。どちらであっても、包囲されれば一巻の終わりだ。拳銃程度でどうにかなる相手ではない場合、全滅もあり得る。

 

そう判断した武は迷った末に、路地裏へ入ることを選択した。後続の者たちが慌てて続くのを確認すると、警戒しながら奥へ奥へと進んでいく。

 

やがていくつかの路地を曲がった先で、武達は空き家を見つけた。日の当たらない場所で影が多く奥行きがあるため、隠れるのにはもってこいだ。

 

武は後ろに人影がないことを確認すると中に入り、部屋の奥へと進んだ。空き家になったばかりなのか、埃はそう溜まっていない。それでも湿気が多く、廃屋の中には腐った木の臭いが充満していた。

 

武はブロックサインで樹と響、柚香を2階へと昇らせ、警戒と監視をするように命じた。そしてイルフリーデとヘルガローゼ、ルナテレジアは1階の見つかりにくい場所に隠れるように提案をしたが、3人はその理由を問いただした。

 

このまま隠れているだけでは、埒が明かないからだ。駆けつけてくれる増援のアテでもない限り、逃げているだけではジリ貧になる。その問いかけに、武は増援というか救助のアテはあると答えた。

 

「もっと最悪のケースも想定していたからな……影に腕利きの護衛を潜ませてる。今は一人づつ片している所だと思うぞ」

 

「……もっと最悪の事態、とは?」

 

「欧州の混乱を長引かせるために、って名目で俺の額に風穴を空けたい奴はそこそこ居るからな」

 

日本と大東亜連合の各軍と関係が深い、国連軍所属の衛士を暗殺する。それも欧州のお膝元で。戦争とまではいかないが、関係悪化待ったなしの状況になるのは目に見えていた。アフリカは自国にしか興味がないだろうが、米国は違う。諜報員の中にはまだまだ自国に陶酔している者が居るだろう。過去の一連の事件の()()を返すとして、命を狙ってくる可能性は十分にあった。

 

ベテラン衛士も戦術機を降りたらただの人だ。武は民間人には負けるつもりはないが、スペシャリストを相手に無傷で勝てるほど自惚れてはいなかった。命を使っての賭けはもっと有意義な場所で行うべきだ。嫌そうに告げた武だが、人の気配を感じると「静かに」と無言で指示を出した。

 

石畳を走る足音は徐々に近づいてくる。息を潜めていればまず見つからないだろうと踏んでいた武だが、その予測は甘かった。足音はそのまま廃屋の中へと入ったのだ。

 

武はそこで様子がおかしいことに気がついた。躊躇いなく廃屋に入った所から、誰かを探しているのではなく、誰かから逃げているように感じた。

 

それでも、招かれざる客であることには違いない。武は奥へ進んできた人物に物陰から飛びかかった。大事そうに持っていたケースを叩き落とすと同時に右手を引っ掴み、そのまま後ろに。左手も巻き込んだ形で後ろ手に交差させたまま足払いをしてうつ伏せに倒し、そのまま上に乗った。膝で押さえつけることで両腕を拘束しつつ、武は持っていた拳銃を突きつけた。

 

「……よう、運がなかったな?」

 

「な……誰、だ」

 

「所属は? 手早く頼むぜ、男の上に乗る趣味はないんだ」

 

「何を、言っている? いや、貴様達はまさか……!」

 

武は男の反論に対し、銃口で押すことで答えた。冷たい鉄と死の感覚を突きつけるように。だが、男は何も話さなかった。武は内心で舌打ちをした後、どうしたものかと考え始めた。相手の素性が分からない以上、下手に命を奪うのは愚策の極みだからだ。ここにきて人類同士の揉め事など、武は起こすつもりは毛先ほどにもない。

 

だが、仲間も含めて多くの衛士の命がかかっている。敵がテロリストの仲間である場合、油断をすれば殺されるのはこちらだ。せめて所属が分かればやりようも、と考えた武は落ちたアタッシュケースを見た。

 

書類から所属先を割り出そうとしての行動だったが、そこには予想外の光景が。アタッシュケースの金具が壊れていたのか、落ちた拍子に中身がこぼれていたのだ。

 

更に予想外だったのが、転がったアタッシュケースの近くに居たルナテレジアがその書類の一番上の記述を見てしまっていたことだ。

 

顔色は青く、信じられないという内心が出ているように目が見開かれ。武は、その唇が「()()()()()()()」と動くと同時、ぶわっ、と自分の毛が逆だったように感じた。

 

「その資料を見るな!」

 

「ちゅ、中佐!?」

 

大声を出されては、とヘルガローゼが焦った声を出すが、遅かった。外から「こっちだ」というドイツ語が聞こえてきたからだ。武は内心で失策を悟ると、男の首を締めて落とした。そこでルナテレジアを見ると、呆然と中腰の姿勢のまま固まっている。危ないと武は呟き、男を地面に転がすと低姿勢でルナテレジアの元へ走った。

 

「伏せろ!」

 

武はルナテレジアの身体を抱えながら物陰に隠れた。直後、廃屋の中に銃弾が打ち込まれた。イルフリーデの悲鳴と、武の舌打ちが響いた。

 

「どこの所属だ……!」

 

発砲音から、相手の数は5人。武はルナテレジアを庇いながら入り口の方を見て直接確認した。黒服のいかにも怪しい男達は自動小銃こそ持っていないものの、それなりに訓練を受けた様子を伺わせた。

 

数的に不利である状況というのも痛い。2階にいる3人が加われば数の上では上回るが、武はイルフリーデ達を戦力として数えるつもりはなかった。

 

(しかし……敵もお粗末だな。なんで交渉もなしにいきなり撃ったんだ?)

 

町中での銃撃戦から駅までのルート途中での包囲と、軍関係の工作員にしては雑過ぎる。アタッシュケースもそうだが、最重要機密に近い書類を入れたケースが落ちただけで壊れるのは普通に考えてあり得ないことだ。

 

練度が低いのならば、と武は拳銃を置いてシースに入っているナイフに手をやった。危険ではあるが、このままここに居ても事態は好転しないと考えたからだ。

 

飛び出し、死角から一人づつ―――と考え始めた武を置いて、事態は急速に変転した。黒服の襲撃者の背後に現れた銀髪の巨大な男の手によって。

 

物陰から見ていた武はその姿を見て増援かと舌打ちし、直後に目を丸くした。新手の男が横に手を振り切ったあと、襲撃者の内の二人の頭が()()()()()()()からだ。

 

首なしの死体が崩れ落ち、首があった場所から盛大に血が吹き出す。そこで黒服達はようやく自分たちが襲われている事に気づいたか、武達に向けていた銃を男に向けた。

 

だが、既にそこは男の間合いだった。瞬時に打たれたのは4手。投石、踏み込み、拳打から、飛び後ろ回し蹴り。一撃一殺が三度繰り返された3秒で、顔面陥没と首がぽっきり折れた死体が3つこさえられた。

 

あまりにもあまりな光景を前に、武は顔をひきつらせると同時に置いていた拳銃を拾った。安全装置を外し、相手との距離を測る。

 

(……恐らく、シルヴィオ達と同じサイブリッド、守りに入っても意味がねえ)

 

機械化歩兵装甲と殴り合えるスペックを持つ相手に防御などなんの意味もなさない。直撃を受けた時点で、黒服と同じ末路を辿るだけだ。ならば、と武は不本意ながらの賭けに出た。

 

斜め前方に走りながら、拳銃を構えて引き金を引く。弾倉を使い切る勢いで放たれた銃弾の内、1発が男の顔に当たる軌跡を描いていた―――が、鉛の弾丸は男の腕によって止められていた。

 

(傷、血が出ていない、確定か、最悪……っ!?)

 

次の瞬間、武は尋常ではない勢いで突進してくる相手を見た。初速からしてふざけている踏み込みは、一瞬で武との間合いをゼロにした。無表情の男は機械染みた動作で、武を捕まえようと無造作に手を伸ばす。武は驚きながらも手をサイドステップで回避し、建物の古ぼけた柱の裏へ。障害物として追撃を防ごうとしたが、直後に破壊音が響いた。

 

男が蹴りで柱をへし折った音だった。武はそれが分かっていたかのように、敵が行動する時間を利用して更に斜め後ろに飛んだ。それで追撃してきた男を闘牛士のように避け、

 

「ラァっ!」

 

叫び、横合いから拳銃のグリップで男の顎を全力で殴りつけた。金属どうしがぶつかる甲高い音と共に、バラケた銃の部品が空中に飛び散っていく。これなら、と武は手応えを感じ。男はよろめき、バランスを崩してそのまま倒れようとして―――直前で体勢を立て直した。

 

カチ、カチ、という駆動音らしきものが鳴り、その無機質な両目が武を捉える。武は慌てて間合いを取ろうとするが、頭のどこかで「間に合わない」と囁く自分が居た。その予感の通り、伸ばされた手は瞬時に武の服へ届いた。そのまま普通の人間には到底出せない力で引っ張られようとした所だった。サイブリッドらしき男の側頭部に銃弾が命中したのは。

 

武は驚き、見た。銃を構えているイルフリーデ達3人の姿を。

 

「中佐、退避を!」

 

「分かっ、って待てもうちょっと狙っ!」

 

武は慌てながら地面に転がり、敵から距離を取った。同時に銃撃の雨が巨躯の男の身体に降り注いだ。

 

「つっ!」

 

跳弾が頬を掠める。痛みを無視し、武は見た。敵の感情がこめられていない、機械のような無機質な目を。自分の顔を庇いながら、妨害してきた3人へ向き直る所を。

 

銃撃が止んだ。リロードか、との認識と同時に武は敵へ踊りかかった。リロードにかかる時間は数秒、それだけあれば間合いを詰められる。サイブリッドの化物を相手に近接の白兵戦では勝ち目はない。3人もれなく一息で殺されることが分かったからには、武は動かない訳にはいかなかった。

 

最速で1歩を踏み込み、武は死角から男の喉元へナイフを滑らせた。だが、サイブリッドの男の動体視力は常識を上回っていた。閃光のようなナイフは、喉に届く前に手に掴まれたのだ。

 

(――分かってたさ)

 

ここだ、と武は一息にナイフを()()()。刀身を掴んだ男の握力が全開になる寸前にあらん限りの力でナイフを引いた。刃物で()()時に一番斬れる。いかんなくその役割を発揮した結果、複数のものが宙を舞った。

 

掴んでいた指が3本に、変色した血液に体液。銀髪の男はそれを見ながらも、動じなかった。ナイフが届く距離ということは、間合いの内ということ。そう言わんばかりに、もう片方の手を突き出した。

 

(その程度で!)

 

シルヴィオ達に比べれば牽制もなにもない、組み立てから雑に過ぎるし、予備動作も消せていない。分かりやすいにもほどがあると、掴む動作を読んでいた武は男の手を横に弾きながら内へ入り込んだ。そのまま袖を掴み、足を引っ掛けながら勢いのまま体当たりを仕掛けた。

 

前へと押し倒し、関節を取った上で重要部位をナイフで削り取ってトドメを刺すつもりだったのだ。

 

タイミングも威力も完璧な崩しの技―――その全てをサイブリッドの力が覆した。襲撃者の身体は後ろに傾いたが倒れなかった。ブリッジをするかのような姿勢だが、下半身の力だけでそれを成していた。

 

()()る一撃は外した時に無防備になる。ましてや相手が相手だ。武はまずい、と袖を掴んだ手を離して距離を取ろうとしたが、男が武の胸ぐらを掴む方が先だった。そして武は片手だけで簡単に持ち上げられた。

 

「ぐ……っ!」

 

服の襟を撚るようにして持ち上げられているため、首が締まっている。武は酸欠になりながらも、窮地であることを悟った。足場がない空中では何をするにも力が足りなくなるからだ。武は顔を赤くしながらも、必死で状況打破につながるものを探し始めた。

 

「援護は……だめ、近すぎる!」

 

「中佐!」

 

「ヘルガ、援護を! 私が……っ?!」

 

圧迫される気道。武は締め付けられる感覚と共に、イルフリーデ達の悲痛な声さえ遠くなっていくように感じた。それでも、と武は両腕で抵抗するが、サイブリッドの怪力は圧倒的で、びくともしなかった。

 

その間にも酸欠は進み、視界が点滅していく。武は自分の意識が朦朧としていくことを夢見心地で感じた。

 

その中でも武は行動することを諦めなかった。足をばたつかせて、必死に足掻く。すると襟が少しだけだが、横にズレた。武は僅かに出来た隙間活かして、微かな一呼吸を稼ぎ、最後の力を振り絞った。男の腕を両手で掴み、それを軸にして足を大きく後ろに振ると、振り子の反動を活かしながら、男の目に向けて蹴りを放った。

 

「っ、かた……!」

 

武は足の裏の感触で、最後の足掻きが無駄に終わったことを悟った。目を狙ったものの、男は小揺るぎもせず、目を瞬かせもしない。ただ、もがく武をじっと観察するだけ。

 

まるで地獄から伸びてくる手のように、男の腕は折れなかった。武は気合で耐え続けたものの、徐々に全身から力が抜けていくことを感じた。掴んでいる腕や、相手の顔に押し付けたままの足もずれ落ちそうになる。

 

「ここまでか」と、武は呟いた。その両目から徐々に光が失われて行き―――新たに現れた乱入者が、絶対と思われた腕を一撃で蹴り砕いた。

 

暗い廃屋の中に、鈍い破壊音が響く。武は落下した後、何とか受け身を取りながら倒れ込むと、盛大に咳き込んだ。そして、助っ人に対して涙目で文句を言った。

 

「お、そいん……げほっ、だよ……!」

 

「野暮用があってな―――だが、もう大丈夫だ」

 

「……貴様、は」

 

乱入した金髪の男は―――シルヴィオ・オルランディは銀髪の敵に対し、サングラスを押し上げるだけで答えた。そして敵である男を真正面から見据える、トドメを刺すべく動き始めた。

 

武はその横で仰向けになりながら、死にそうな勢いで咳き込んでいた。仰向けの体勢から動けず、酸素が恋しい身体に従って必死に息を吸う。数度繰り返すと、やがてぼやけていた視界も元に戻っていった。

 

(でも、もうだいじょう、ぶ……)

 

安堵した武は戦闘音を聞きながらもため息をつこうとして、止まった。息も、思考でさえも。仰向けで天地が逆になった視界の中央にある人物を見たからだ。

 

恐らくはシルヴィオがつれてきたのだろう眼鏡をかけた妙齢の女性を見るなり、あやふやになっていた意識が覚醒する音を聞いた。

 

 

(な、んで……東、欧州……社会主義同盟の顔役の、一人が……こんな場所に)

 

 

恭順派の指導者(マスター)と繋がりがあるかもしれないとして、コンタクトを取ろうとしていた黒髪の―――東ドイツ陸軍第666戦術機中隊黒の宣告(シュヴァルツェスマーケン)に所属していた女性の名前を、武は呟いた。

 

 

―――グレーテル・イェッケルン、と。

 

 

 

 

 

 


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