Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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本当の最終。

最終エピローグでございます。


最終エピローグ(3/3) 白銀武とサーシャ・クズネツォワ

 

白銀武は絶望の闇に落とされた。

 

顔から血の気が失せ、後悔の念が瞳を淀ませていく。白銀武は今までに経験が無いかもしれないぐらい、深く、暗く、辛く。

 

―――娘のアーシャから「おじさん誰?」という顔を向けられたからだ。

 

復興した横浜の街にある一軒家の中での出来事だった。隣に居るサーシャは、困惑の瞳を向けてくる愛娘に笑顔でこう答えた。私の夫だと。

 

「それじゃあ―――ぱぱ?」

 

ぱあっと、柔らかい銀色の髪を持つ2歳の女の子は、輝くような笑顔を武に向けた。

 

白銀武は希望の光に包まれた。

 

顔から耳まで歓喜と興奮の赤に染まり、目からは感激の涙が溢れてくる。白銀武は今までに経験が無いかもしれないぐらい、歓喜の渦に包まれた。

 

天使だな。確信と共に頷いた武の後頭部に、ツッコミが入った。

 

「あ、純夏ママ!」

 

「こんにちはー、アーシャちゃん。ほらタケルちゃんもポンコツしてないで、さっさとしゃっきりしたら?」

 

「す、純夏にポンコツって言われた……?!」

 

「……タケルちゃん?あれだけ望んでた、半年ぶりの再会でしょ?」

 

視線だけで促してくる純夏に、武は頷きを返した。だが、何を話せばいいのだろうか。武は人生でトップ10に入るぐらいに悩み始めた。

 

(可愛いな、とか……当たり前だろぶっ殺すぞ。じゃあ、久しぶりだな、とか……仕事を言い訳にしてんじゃねえよぶっ殺すぞ。生で見ると天使が大天使に、とか変態そのものだろいい加減にしろ)

 

混乱が頭の中に溢れ出る。ふと、武は首を傾げているアーシャを見た。自分を心配しているような顔だ。武は、自分でも分からない衝動のままに瞳から涙を流し始めた。

 

「わっ。……ぱぱ、だいじょうぶ? どこかいたいの?」

 

心配に顔を曇らせ、頭を撫でてくる。その小さな掌の感触に、武は更にたまらなくなった。それからしばらく、ヨシヨシという優しい声が繰り返された。苦笑しながらも優しい顔を浮かべている、サーシャと純夏の隣で。

 

10分後、なんとか復活した武は満面の笑顔だった。笑いすぎて顔の造形が崩れるぐらいに。それを見たサーシャと純夏は若干キモイという感想を抱きつつも、新しく発見した武の表情を忘れまいと頷きあった。来週にお忍びで会うことになっている悠陽を煽るために。

 

「でも、予想通りだった」

 

「うん、ラーマさん夫妻と反応が一緒だった」

 

先週にやってきた二人が、同じ反応をしたらしい。武は悔やんだ。その時の写真があれば、仲間内に見せて回れたのに、と。だが、武は気が付かなかった。純夏の背後、死角になる位置にカメラが隠されていたことを。

 

「……じじとばばのこと?」

 

「そう。覚えてて偉いね、アーシャ」

 

「えへへ……」

 

サーシャは照れるアーシャの頬を撫でながら、微笑みかけた。不意打ち気味のその表情に、武は照れるようにそっぽを向いた。

 

「ま、まあなんだ。色々な人が来てるんだな、やっぱり」

 

「うん。ありがたいんだ、本当に」

 

サーシャは深く頷いた。横浜が復興の途上に昇り始めてから、2年ほど。瓦礫は撤去され、ぽつぽつと家が建てられ始めたが、かつてのような規模に届くにはまだまだで、地方都市にも及ばない程度の施設しかない。

 

それでも、街は街だ。機密という観点からも、A-01の大半が横浜基地に守られているこの地域に家を持っている者は多かった。視察という名目で街を歩き、ここ白銀家に来訪する人々も。

 

誰もがアーシャの顔を見た後、顔を綻ばせたという。帰路での表情は主に2種類に分かれるらしい。より一層に頑張らねばと軍人の顔になる者。そして、羨ましいという顔になる者と。

 

「気持ちは分かるよねー……あと、みんな母親っぽい顔になるんだよ」

 

総じて、母性を感じさせる者が多いらしい。その中で特に反応が面白かった者として、サーシャは唯依とタリサを挙げた。

 

「あ、分かる。唯依ちゃんは大慌てした後、頭を撫で始めてね。アーシャちゃんが笑ったらもうデレッデレで、隣の上総ちゃんが引いてた。タリサさんは普通に面倒見がよくて、お母さんだったよ。あと、なんか色っぽかった」

 

20を越えてからのまさかの成長をしたタリサは、ターラーとまではいかないが、低身長とはとても呼べない身長になっていた。女性としては平均的な体つきになったこともあって、普通にお母さんっぽかったと純夏は見たままの感想を語った。

 

「他にも大勢。冥夜は感激で泣きそうになるし、委員長はメガネをくいと上げながらアーシャちゃんの柔らかいほっぺを突き始めるし、慧は目を丸くした後にほっぺたをちょっと赤くしてうなずき始めるし、壬姫ちゃんは顔を真っ赤にしながら目を輝かせるし、美琴ちゃんは笑いながら一緒に遊び始めるし」

 

アーシャが笑うだけで、皆が大混乱だったらしい。武はさもありなんと頷いた。だって天使だし。

 

「っと、そういえばおふくろは?」

 

「お義母さんは休憩中。今は純奈さんが楓ちゃんの面倒を見てる。昨日、楓ちゃんの夜泣きがひどかったから」

 

「そうか……でも、あん時はマジで驚いたよ。この年で兄貴になるなんて想像もしてなかった」

 

白銀楓、0歳。半年前に白銀影行と白銀光の間に産まれた第二子で、白銀家長女かつ、白銀武の妹。光にそっくりの娘で、影行が泣いて喜んでいるという話を、武は大陸で何度も聞かされていた。アーシャの話もそうだ。成長していく姿を撮った写真を、何度も見ていた。

 

――苦しい時の、心の支えとして。

 

 

「……食事したら、少し散歩しよっか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……街だよなぁ。車で走ってる時も思ったけど」

 

柊町の中、武は噛みしめるように呟いた。隣を歩くサーシャが、まだまだ横浜基地に頼っている部分が多いけれど、と答えた。

 

「それでも最低限は自分たちで何とか、ね。……大陸では違ったの?」

 

「そうだな……基地の他には“跡地”しかなかった」

 

ユーラシアに残っているハイヴは、もう多くない。戦うことによって多くの空を取り戻すことが出来た。だが、BETAの爪痕は大きく、かつて町があっただなんて信じられない風景を武は何度も目の当たりにした。地図に残る名前だけが、その名残になっているだけの荒野ばかり。

 

気候の変動により、気温も低下していた。中でも辛かったのは、腐敗せずに残っているかつて人間だったものの一部を見た時だった。

 

「……ごめんね。本当は、私も」

 

「謝ることじゃないって。いや、マジでそう思ってるから」

 

大陸派兵という4文字は、帝国軍に重くのしかかっている。多くの兵士を失ったという過去があるからだ。だが、BETA撃滅後のユーラシア――特にアジア方面の復旧は急務と言えた。北米、南米、アフリカに資源その他を頼り切るのは、様々な要素を鑑みると不健全極まりないからだ。

 

日本では帝国軍から斯衛、国連の一部も含めて大規模な編成が進められた。その中に特別遊撃隊として、A-01の一部に派兵の嘆願が出された。大陸での厳しい環境下で戦い抜いた経験がある武やユーリンの協力があれば、人的被害を減らせると判断したからだ。

 

BETAに占領された後、未開の地とも言えるほどに荒らされた土地では小回りが効く戦術機による調査も有用となる。とある筋から入ってきた、ソ連の水面下での調査や人員派遣の情報の真偽確認と対応も必要だった。

 

そして、結果は悪い方向に転び続けている。帝国軍を襲ったソ連の戦術機が目撃されてから、ずっと。欧州と南米からも、きな臭いと思える情報が続出していた。BETAをあと一歩で地球上から追い出せるこのタイミングでの話と考えると、とても楽観的ではいられなかった。

 

「そんな場所よりも、サーシャは残った方が良かったと思う」

 

「……どうして?」

 

要らないと、そう言われたような。そんな気分になったサーシャに、武は告げた。

 

「綺麗になったから。ちょっと、見惚れるぐらいに」

 

「……え?」

 

「あと、やっぱりな。サーシャには、ずっと笑ってて欲しいから」

 

クラッカー中隊で共に戦っていた頃、サーシャは表情に乏しいと皆に言われていた。だが、武には分かっていた。サーシャが辛い想いを抱いていることを。厳しい状況下で、一度表情を緩めれば泣いてしまいそうになるから、ずっと無表情でいることを。

 

辛くない人間などいない。だが、“こなくそ”と笑い飛ばせる人間も存在する。かつてのクラッカー中隊の大半の仲間のように。サーシャは違った。衛士としての才能はあったし、頭の回転も早く、戦い抜けるだけの能力を持っていた。

 

それでも、望まれる能力を持っているからと言って、向いているとは限らない。本人が望まないものを持たされた人間は、そこかしこに転がっている。

 

戦場だけが居場所じゃないと大切な人達に伝えて、その場所までたどり着けるように。武がずっと頑張ってきたのは、そういう願いを持っていたからでもあった。

 

「サーシャはどう思う? ……この街は、悪くないか?」

 

「悪くなんて、ない。嘘みたいで、夢みたい……こうして穏やかな世界に生きられるなんて」

 

サーシャは思い出していた。遠い世界の出来事だと、諦めていた昔の自分を。普通に育ってこなかったことが原因で何かが欠落しているサーシャ・クズネツォワという人間は、戦火の中でしか生きられないのではないかと、怯えていた。

 

それでもと、望む自分が中に居たことを。その声に従い、失敗と恐怖を越え続けた先に今がある。奈落の底に落ちていた自分を探し出して、抱きしめてくれた温もりと共に。

 

気がつけば、笑えていた。穏やかな顔で、ずっと。

 

「ああ、でもちょっと困ってることもあるかな。子連れで買い物をしている時なんだけど、よく呼び止められるんだ」

 

話を聞けば、横浜基地の若手の男だった。大抵はアーシャを見ると諦めるようだが、一部にそうではない兵士も居たという。

 

「見回りの人が居たから、逃げなくて済んだけど……タケル?」

 

「ん、ああ。いや、なんでもない」

 

武は昨日、夕呼とまりもから渡された訓練リストの面々を思い出し、納得した。全力でやんなさいと、夕呼がいい笑顔をしていた意味も。

 

(夕呼先生もな……何だかんだと身内に甘いから)

 

霞もそうだが、何年も預かっていたこともあり、夕呼はサーシャも親しい身内としてカウントしているようだった。柊町には、副司令直轄の防諜の人間が何人も居るという。そこからの報告で色々と知っただろう夕呼を、武はグッジョブと褒め称えた。

 

――何も起きなかった可能性の方が高い。実際、何もなかった。あった所でサーシャの白兵の技能は一級品だ。錆びついているのは間違いないが、早々遅れを取ることもないだろう。

 

だが、妻子に粉をかけられて何もしないという選択肢を武は持っていなかった。最終的には泣いたり笑ったり怒ったりできなくなってもらおう。少なくともプライドの4、5本はへし折るべきである。武は、そう誓っていた。

 

「……ともあれ。そういう時は人を呼んでくれよ、知り合いも多いだろ?」

 

鳴海夫婦などの、柊町出身者の多くがここに住んでいる。車でやってくる雑貨屋や、一箇所だけある食料品販売店でよく顔を合わせるという。誰もが知り合いで、白兵戦まで覚えがある人間だらけだ。A-01のための防諜の人間や、隠れた護衛まで密かに付いている。だから無理はしないでくれと武が頼み込むと、サーシャは嬉しそうに頷きを返した。

 

「良かった。でも、どうして嬉しそうなんだ?」

 

「それは……こういうのも良いなぁ、って」

 

出会った時は、自分の方が年上だった。衛士としての技量は負けても、生身では自分の方が上で、身長も勝っていた。

 

それからマンダレーでの別れまで、守られているという感覚はずっと無かった。我を失った後、戻ってからもそうした感覚は無かった。隣に立つ、というには武は一人で走り回っていたが、あくまで隊員の一部として接し、接されていた。

 

今は違う。隣に立つという意味では変わっていないが、サーシャは自分が守られているという感覚を抱いていた。お前は大切な存在だと、包み込まれるように。

 

「腑抜けになったって、思う時もあるけど……ねえ、タケル。昔の私と今の私、どっちが好き?」

 

「……あー、変わったとは思うけど」

 

唐突にストレートに聞いてくる部分とか、特に。武は不意打ちに照れながらも、想った通りに答えた。

 

「どっちも好きだな。歯を食いしばりながら頑張ってる時のサーシャも、何気ない時間の中でアーシャと一緒に微笑んでるサーシャも。綺麗だし、可愛いし……っていう言葉よりも、ずっと見ていたいっていうのが正しいかな」

 

「……」

 

「ど、どうした?」

 

「……なんにも。ただ、本当に女ったらしだなあと痛感してる所」

 

「正直に答えたのに!?」

 

ショックを受ける武を他所に、サーシャは目を逸らしながらぶつぶつと呟いていた。

 

一方で、武は安堵のため息を吐いていた。

 

(サーシャのあの顔をもう一度見たい―――会いたかったから、世界を越える勇気を振り絞ることが出来た……なんて、こっ恥ずかしくて言えねえし)

 

少なくとも面と向かっては無理だ。そう思う武の横で、サーシャは顔を赤くしていた。

 

心が読めるような能力を、サーシャはもう持っていない。だが、白銀武だけは別だ。その仕草や言葉、口調を見れば色々なものが理解できる。恥ずかしい男の地球代表とも言える武が、とても恥ずかしいことを考えてはいるが、口に出さなかった所まで。

 

(本当に、ずるい。……きっと、大陸での辛い戦いの中でも変わらないんだろうな)

 

命が脅かされる環境で、相手がBETAだけではない人間も居て。死にたくないから殺して、殺されたくないから殺して。そんな応酬の螺旋階段が上に伸びることはない、いつだって地獄の底へと続いている。光さえ薄れるその暗闇の中で、人間は何処をつかめばいいのか分からなくなる。

 

だから、欲するのだ。光がある場所を、光に繋がっている絆を。地獄の底にまで心が落ちないように。その中で、白銀色の光は変わらずそこに在る。当たり前のように輝き、諦めようとする心を引き戻してくれる。

 

サーシャはそれをよく知っていた。自分だけではない、タリサや他の戦友達だって。

 

(でも……可愛くない私達は照らされるだけじゃ嫌だった)

 

バカみたいに輝いている男に。隣を歩くこの人に寄り掛かるだけでは、駄目だと思った。だから、背筋を伸ばそうと決めた。始まりはきっと、そんな所で。

 

「……始まりは、レッドアラートだったけど」

 

「あー、懐かしいな。ブザーが喧しかったのだけは強烈に覚えてる」

 

あの時が始まりだった。初陣で何もできなくて、その後に守れなかった街というものを知って。

 

「いきなり、こーんなチビが衛士だとか伝えられて。体力も無いのにどの口で、って思ったよね」

 

「……そっちもチビだっただろ。それに、大人気なく全力出しやがって」

 

「なんて、張り合い続けたから亜大陸撤退戦まで生き残れたんだよね。今思えば」

 

「同感だ。……そういえば、俺のカードの負け分って。いや、なんでもない」

 

「それはきっちり後で取り立てるとして。ハイヴで負けて、亜大陸から逃げて。どっちも夕焼けの空の下だったのは覚えてる」

 

「気がつけば海だったけどな。過労だとか言われたけど身体引きずったまま、パルサ・キャンプで……タリサと出会って、いきなりやらかして」

 

「ボーイだなんて、今のタリサ見てたらとても言えないけどね。でも、海でのことは楽しかった。泳ぐとあんなに眠くなるなんて、初めて知った」

 

「二人で寄っかかってきたな、そういえば……でも、訓練でターラー教官が来たのは嬉しくないサプライズだったよな」

 

「嘘ばっかり。でも、部隊に戻った直後の模擬戦は楽しかった――んだけど、おのれ樹」

 

「未だに恨んでんのかよ。……それで、タンガイルで未熟を思い知らされて。サーシャが泣いたのを見たの、アレが初めてだった」

 

「うるさい。……今になって言えるけど、何人かは武のことを逃がそうとしてたんだよ? 辞めたい、って言えば全員が協力してたと思う」

 

「サーシャも、だろ。お互いに意地っ張りだったよな」

 

「それこそ、タケルに言われたくない。……でも、運が良かったとは思ってる。中隊のみんながみんなで良かった」

 

「ああ。ちょーっと柄が悪いけど……大人で、バカで、いい人達だった。日本から来た部隊も含めて、な」

 

「悪い子供も居たけどね。純朴な巨乳の美人を引っ掛けてくるとか」

 

「……そっちも、体調崩してたのを隠してただろ」

 

「これはやぶ蛇。でも……リーシャって、何をしたかったんだろうね」

 

「それさえ考えられなかったのかもな。ハイヴで死んでいった、あいつらとは違って」

 

「タケルに謝りたかったのもあるし、衛士として……男としての意地とかあったんだと思う。故郷を奪われたBETAに目に物見せないままで死ねない、なんて」

 

「……そうかもな。でも、マンダレーハイヴを攻略できて良かった。失敗してたら、化けて出てきてたぜ、きっと」

 

「そうはならなかったと思う。みんな、死ぬまで退かなかったと思うから」

 

「成功するか、死ぬか、か……その後にあんな罠があるなんて予想できるかよ。どっかの誰かは無茶に無茶を重ねて勝手にどっか行くし」

 

「それはお互い様。義勇軍でどれだけ無茶したのか、マハディオから聞かされた」

 

「自棄になってたなー。正直、あの時期が一番きつかった。心中も戦況も環境も。末期的な大陸で……負けてたまるか、って意地通してた奴も居てな。ちょっと、自分が情けなくなった」

 

「日本に帰ろうって思った切っ掛けになったんでしょ? でも……副司令から聞かされたんだけど、激動の連続過ぎると思う。光州作戦の後、日本に戻ってきてからずっと」

 

「それな。九州で戦って、山陰まで急いで移動したかと思うと、山陽に行くのを余儀なくされて、そこで瀬戸大橋を落として四国を守って、近畿に移動したら五摂家とか」

 

「殿下、お義母さん、唯依に純夏……女性ばっかり」

 

「衝撃の連続だったんだが? 特に母さんとか、青天の霹靂ってレベルじゃなかったし」

 

「頑張ったよね。でも唯依を誑かして光さんを守り守られて純夏を保護して悠陽と交流を深めながら、京都を守る戦いで……」

 

「不貞腐れるのを止めただけだ。ずっと助けられてたことにも気が付いて、助けたいという自分を知って――腹をくくった」

 

「それから京都撤退戦、関東防衛戦に明星作戦……歴戦ってレベルじゃないよね」

 

「最前線と共に動く男とか言われてたな、そういえば。なんて不吉な野郎だ、とか、こっち来んな、なんて冗談交じりに言われた時期もあってな」

 

「で、横浜にまでBETAが来て……あ、思い出すの禁止」

 

「え、なんでだ? あのサーシャはサーシャで可愛かったぞ、『やー』って声も可愛くて、って分かった、分かったから関節極めるのはやめろ!」

 

「……賢い判断。で、一人で世界跳躍とかおとぎ話みたいなことするし」

 

「死にかけたけどな。あっちの夕呼先生はマジで人使い荒かったし、ユウヤはヤサグレマックスでヒゲだったし」

 

「それは……ユウヤがクリスカを失ったら、そうなると思うよ。ていうかハイヴ何回攻略してるの?」

 

「数えるのが面倒になったから数えてない。でも、死にかけた数よりは少ないな。その中でも特にやばかったのは……こっちに戻ってくる時か。消えかけたし、マジで」

 

「そこから八面六臂だよね。OS革新させるし、第四計画遂行のための大戦略を副司令と組み立てるし、クーデターのための備えとか、ユーコンとか。前後不覚な私の唇を奪うし」

 

「最後は治療行為だからって、いたっ! 冗談だから。その後にベッドの上で悶絶してたらしいけど、って痛え!」

 

「内緒にってお願いしたのに……これは着せかえ人形の刑だね」

 

「あ、俺も参加させてくれ。でも、それから後は怒涛のようだったな……クーデターも、佐渡島も、帝都・横浜防衛戦も、蒼穹作戦も。最善を尽くせたのか、って何度も思い出すけど」

 

「人間が完璧なら、事故も戦争も起きないよ。そうじゃないから、血のにじむような想いを重ねる。……あれだけ被害が少なかったのは、タケルがそれまでにずっと積み重ねたから。助けたいって、一生懸命に」

 

だから、とサーシャは微笑んだ。

 

――貴方を止めることはしないと、昔のと今が入り混じった表情で。

 

「この時期に、一時的でも帰還が許されたっていうのはそういう意味。分かってたよ、私も」

 

図星を突かれた武が、黙り込む。サーシャは、優しく問いかけた。

 

「――また行くんでしょ? 今度は、人間どうしの戦いになる」

 

「……ああ。欧州で発火寸前だと聞いた。中国、韓国方面も無関係でいられない」

 

「そう……戦うのは、しなくてはいけないから?」

 

「いや、俺の意志だ。選ばされたんじゃなくて、選んだ。助けたいんだ」

 

出来る限り多くの人を助けたい、死なせたくない。昔に腹を括った時から変わっていない想いを、武は告げた。

 

「俺は培った分野で……前線で、多くの人を助けたい。全てを救いたいなんて、理想論だけど」

 

それでも、理想論で終わらせるにはあまりにも輝き過ぎている。蒼穹作戦の日、見下ろした青い星に人を分ける国境など何もないと知ってから、武はずっとそう感じていた。人間どうしが殺し合う必要なんて、どこにも無いんだと。

 

人間はみな違う生き物だ。言葉だけで人が止まらないことは知っている。それでも、だけれどもと自分の想いを形にし続けるために。

 

「願ったことに目を背けて……甘い夢だと思った時に、理想論は戯言になる。でも、そうじゃないのなら」

 

諦めずに努力を重ねようと決めた時。その時に理想か否かを論じる余地は消え、理想は現実へと落とし込める。努力をしてでも目指す価値のある“目標“に変わるのだ。

 

「……完治してないサーシャを置いていくのは、申し訳ないけど。許されないことだとは思うけど、俺は――」

 

「思ってないよ、そんな事」

 

はっきりと、サーシャは告げた。そして、掌をゆっくりと握りしめながら笑った。

 

「バカだなあ、って考えるよ。でも、嬉しいんだ。それでこそ、なんて勝手に思ったりもするけど」

 

「……でも、快復は無理なんだろ? 長くてもあと5年ぐらいって」

 

「だからこそ、安全な場所で応援するんだよ。タケルが帰りたいって思える場所を守るために」

 

戦場に置いて、余計な足手まといは致命的になる。中途半端な力量で前線に出られるより、安全な場所で平和な生活をしてくれると確信できるだけで、後方の憂いはなくなり、衛士は衛士としての力量を発揮できるから。

 

「それに、家事と育児は頼れる人達がいっぱい居るし。そういう意味だと、タケルは戦力外かな」

 

「……ひどいな」

 

「本心まで言わない方が酷いよ。悪ければ、日本も安全ではいられなくなるんでしょ?」

 

全てを守るために、最前線で奮闘する。座して待つだけでは、本当の危機に対処することはひどく困難になる。それが、子供だった武が横浜からインドへ一人で旅立った時に知った真実だった。

 

「……私も戦うよ。ううん、みんな戦ってる。毎日を必死に、それぞれの想いを胸に抱きながら」

 

誰かに寄り掛かることもある。それでも二本の足で立って、背筋を伸ばしながら。その気持をどう表現すればいいのか、サーシャは光から教わっていた。

 

「真っ直ぐ、顔を上げるの。お天道様に笑われないように……みんなで取り戻した空に向かって、胸を張って精一杯に」

 

最後まで、生き抜くこと。簡単な言葉だが、ひどく難しいそれを胸に抱き、毎日を笑えているとサーシャは微笑んだ。

 

「だから……タケルはタケルの想うままに。『お土産話を作ってくるから待ってろ』ぐらいがちょうどいいの」

 

「……そうだな。帰ってくるなんて約束も、今更か」

 

「うん。だって、言葉だけじゃ味気ないでしょ?」

 

 

あの日、壊れていた自分を引き戻してくれた時のように。

 

 

悪戯に笑う武は、左右を見回した後、ため息をついた。

 

 

そして、二人の唇は徐々に近づいていき―――

 

 

 

 

気がつけば、サーシャは天井を見上げていた。

 

そこで、サーシャは自分が懐かしい夢を見ていたことに気が付いた。

 

ぼんやりとした視界の中に、今年で4歳になる息子の泣き顔が映る。

 

その横では、8歳のお姉さんになったアーシャの姿があった。

 

(……ごめんね。アカシャをよろしくね、アーシャ)

 

出来る限りのことはやった。してくれたし、頑張った。サーシャはそのことを疑っていない。だから、泣かないで。そう呟いたサーシャだが、周囲の人々にとっては逆効果になった。

 

ぼんやりとした意識に、近しい人達の姿が映る。必死な声で呼びかけているし、誰一人として涙を流さずにはいられないようで。

 

だが、サーシャは理解していた。このまま自分が死ぬという現実を。

 

そして、タケルが傍に居ないということまで。

 

(……それが、どうした)

 

サーシャは笑った。にっこりと、生前と同じように。

 

別れは既に交わしている。避けられぬものだと知ってから、ずっと。

 

こういう事態になることを理解しながら、サーシャは武の背中を押した。

 

その理由は、ただ一つ。距離というあやふやなものに関係なく、自分と武は繋がっていることを知っていたから。

 

(この子達が、大切な人と一緒になるのを見届けられないのは、残念だけど)

 

幸せになることを、サーシャは疑っていなかった。素敵な人達が傍に居ることを知っているからだ。何より、武が居る。きっと、ずっと守ってくれるからと、安心させるようにサーシャは二人の我が子に微笑んだ。

 

それを切っ掛けに、徐々に意識が途切れていく。

 

その中でサーシャは、今までのことを走馬灯のように思い出していた。

 

あの日、横浜に帰ってきた武と語り合ったことを。

 

出会って初めて自分という存在を認識してからずっと。楽なことばかりではなく、辛いことの方が多く、泣きそうになるほどに厳しい世界で、前を向いて走り始めた日々を。

 

そうして今、この幸せな最後に至るまで続いた、長く困難な(思い出)を。

 

だが、湧き上がってくる想いに黒いものは一切含まれていない。

 

ラーマ、ターラー、リーサ、アルフレード、樹、アーサー、フランツ、ユーリン、グエン、インファン、クリスティーネ、マハディオ、ビルヴァール、ラムナーヤ。

 

それだけではない、長い道の途中で出会った色々な人達を思い出すだけで、胸に暖かい風が流れていく。

 

放り投げられるように捨てられた所から始まった。なのに流れ流れてインド東南アジアの海に日本での日々、戦い。自分から産まれたなんて信じられない愛しい天使で小悪魔で協力して頑張って抱きしめて抱きしめられて。楽しいことばかりじゃなかった、それでも―――それでも。

 

 

(―――楽しかったなぁ)

 

 

最後に、そう呟いて。

 

 

サーシャ・クズネツォワは息を引き取った。

 

 

 

 

 

 

 

―――それから、しばらくの後。

 

 

武は、軌道異相空間転移ゲート(フォーマルハウト)の向こうへと派遣された者達から受け取った報告を、一つの墓前に伝えていた。

 

彼ら(シリコニアン)との和睦は、成ったよ」

 

不幸にも起きた遭遇と、戦い。その中で失われたものはあまりにも多い。それでも、前に向かって進むためにと送った言葉は受け入れられたのだ。

 

BETAとの戦いは、ここに終わった。

 

武は誰よりも先に、サーシャの墓前に向けてその言葉を投げかけていた。

 

「……速かったかな。それとも、遅すぎたのか……あの日の俺のように」

 

別れの日に間に合わなかったこと。あっちに行ったらどやされそうだと、武は苦笑していた。

 

 

「でも……俺も、サーシャと一緒だ。諦めずに、最後まで生き抜くから」

 

 

寂しくて、寂しくて、たまらなくて死にたくなる夜もある。だけど、と武は呟いた。

 

全ての問題が解決した訳ではない。年齢を重ね、力は衰えた。だが、それを解決できる力が無くなった訳ではない。

 

だから、武は静かに流れる涙を拭いながら立ち上がった。

 

ふと、振り返る。武はそこで、遠くからこちらに歩いてくる集団に気が付いた。

 

先頭には、嬉しそうに手を振っている銀髪の女性。いつかと同じように、輝かしい笑顔を隠そうともしていないのを見ればすぐに分かる、アーシャだ。

 

その横には、「うげっ」という表情をしたあとに、照れくさそうに目を逸らした銀髪の男性が。20年越しに、ようやく親子という関係になれたアカシャがそこにいた。

 

共に、伴侶と子どもたちを連れながら。

 

再び泣きそうになった武は、空を見上げた。

 

色々な人達と見上げた、美しく果てない空を。

 

――辛かった。苦く、辛すぎて空を仰ぐことしかできなかった日々の徒然。

 

だけど、それでも、だからこそ。

 

雲と共に、様々な思い出が流れていく。武は小さく笑いながら、背中にあるサーシャの墓に告げた。

 

 

「楽しかったよなぁ」

 

 

味わい深いと思えるようになった、苦楽が混じり合った人としての生の数々。

 

そしてこの先もずっと、先に逝った人達へ、楽しい土産話を増やすために。

 

 

ゆっくりと歩き始めた武を応援するように、爽やかな風が吹き抜けていった。

 

 

 






●あとがき●


最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。

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