Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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10話 : Reasons_

真実はない。本当に正しいものは存在しない。

 

 

絶対はない。確固たる正義は存在しない。

 

 

信ずれば何をもそれが、正しくなるが故に。

 

 

 

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兵器は道具である。その効果や名前が物騒ではあるが、類するならば道具というより他にない。つまりは、手入れをされていなければ駄目になるものである。そして機構が複雑な戦術機の手入れは、非常に手間がかかる。使われている技術が他の兵器とは一線を画しているためなのもあった。

 

各所の整備にも特別な専門知識が必要であり、とても一人の人間だけで全てをカバーできるものではない。だからといって、手を抜けば衛士が死んでしまうのは明らかだった。鉄火場においてはコンマ数秒の判断が生死を分けることがある。そんな中、例えば頼るべき兵装に不備が起きれば一体どうなるというのか。

 

熟練の衛士ならば問題はないかもしれない。だが、経験の少ない衛士では何事もなくとはいかない。最前線の主力であるからして他の兵種よりも影響が大きい。決して、絶対に、整備に手抜かりがあることは許されないのだ。だから軍は人数を集めた。一つの機体を整備するのに、のべ300人を当たらせた。時間がかかる作業を、人員という物量をもってカバーしたのだ。

 

作業を細分化し、その整備箇所に応じた専門の知識と技術をつけさせる。軍お得意の人海戦術であった。ひとつの機体にちょっとした会社に匹敵する人員をもって当たらせて、戦術機は常時出撃を可能とするレベルに保たれていた。

 

とはいえ、12機一個中隊にのべ3600人の整備兵が必要になるというわけではない。整備兵の大半が、別の機体も並行して見ている。時には、別の部隊の応援に行くこともあった。衛士と同様に人員を遊ばせておくほど、整備員の数にも余裕はなかった。戦術機の整備には相応の知識と経験が必要になるからだ。

 

かくして整備員達は今日も走っていた。その姿はまるで、巨人を守る妖精のようだった。巨大な鉄騎の間を走りまわる女性整備員。

 

――――そう、女性である。男の人員が兵士として引っ張られていくため、今や整備員の大半は女性になっていた。統括する人間には男性が多いが、それを除けば8割は女性であった。そんな彼女達は、いつもぎりぎりか、それより少ない人員で鉄騎の芯を錆びさせないように汗を流していた。空調が効いているが、それでも戦術機の横は他の場所よりも気温が高い。熱に当てられた整備員の額からは汗が流れでている。拭いながら時にはTシャツ一枚になって、作業を続けている。しかしTシャツによっては。特に白い色のものは。濡れれば透けてしまうもの。汗だから一部男性を刺激してしまう格好もしていた。ある意味で天国とも言えた。最前線であるから物理的にも天国に近いのも皮肉と言えた。

 

しかし、当事者には地獄でもあると言えた。いくら透けている肌色があったとしても、それに気を取られている暇などありはしなかった。一つの作業でも、ミスがあれば衛士を殺してしまいかねない。整備の基本であることを、新人の段階から脳髄に叩きこまれているからだ。男性整備員でそんな事に集中力を乱されている者は、例外なく女性整備員のスパナで喝を入れられていた。本当に、冗談ではないのだ。戦死者の中、死因の2割が過労死と報告される部署は戦術機の整備兵以外にない。睡眠時間も衛士ほどには取ることができない。前線に出る兵士とは別方向で忍耐力が試されているといえよう。

 

その中でも特に酷かったのは、かつての亜大陸攻防戦の頃だった。

かつての欧州を思い起こさせる連日の戦闘が続いていた時などは、日に一人は過労か熱中症でぶっ倒れていた。撤退が本決まりになった後など、士気が下降した時はそれが影響してか、自室で自殺した者も少なくない。ハンガーで死なないだけ良心的だな、と呟いてすぐに作業に戻る者も居た。

 

そんな整備兵を、死に逃げた臆病者と謗るものも居る。だけどそんな者たちを弱いと責めるのは酷であることも事実だった。明日もみえない過酷な日々に、昼夜問わずの出撃、そして連日連夜地響きと共にやってくる化物の集団。このままつらい時間が続くならば。あるいは惨たらしく死ぬよりはと思う者が出るのも無理はないと言えた。だが、大抵の整備員は、自分たちよりも命の危険が大きい衛士のために、日夜頑張っている。特にクラッカー中隊の整備員は他の班よりも士気が一段と高かった。目に見えて戦果を上げる衛士達が居るからだ。嫌味のない、率直な賞賛の言葉が、今日も整備兵同士の間でも交わされていた。

 

『お前の所の衛士、また噂になってんぞ』

 

『整備の甲斐があるってもんだよな。ほんとうに羨ましいよ』

 

『意志の疎通が取れてるのか? 作業がはえーよ。うちは整備兵と連携を取ろうっていう衛士が少なくてなあ』

 

言われるのは羨望の言葉が多い。主にはクラッカー中隊の技量の高さについてだ。しかし最近は、作業の速さについても言われることが多かった。それはターラーが発案し、技師でもある白銀影行が進めている企画の影響である。今のクラッカー中隊が本格的な訓練に入る前、ターラーが提案したものは二つある。一つは戦術機動の上達。隊員内で技量の向上に対する意識を可能な限り高めたのだ。互いを競争する相手として、越えるべき壁を連続で、眼を逸らさせないほど近くに出現させる。

 

同じ隊、同じ時に戦っている者。時には背中を預ける戦友だ、無視などできるはずがない。プライドを刺激して燃料に、突っ走ってきた結果が現在の中隊である。もう一つは戦術機動の研究。主な目的は、戦術機への負担を軽くすることだ。どういう機動を取った時に、どういった箇所に負荷がかかるのかを徹底的に突き詰め、そのような機動を取らないように努めた。もともとそういった研究を行なっていた白銀影行がデータを収集した事も大きく、研究は順調に進んだ。

 

今では大半の機動が機体に無理のない、"より良い機動"へと変化している。

 

「しかし、それも限界か」

 

「運用頻度と耐用年数。よくもったと言うべきでしょうな」

 

国連軍のカラーに染められたF-5の前でラーマとターラー、整備主任である影行はそろって渋面を作っていた。原因は隊の機体について。もともとが中古品で、整備を重ねて使ってきたがここにきて限界が見え始めたのだ。

 

「新しく配備された白銀少尉の機体も、状態が良いとは口が裂けてもいえないぐらいの質でしたから」

 

仕事中は息子とはいえ階級で呼ぶ影行。しかし感情は隠せず、息子にあてがわれた機体の酷さに憤りを隠せないでいる。それはラーマとターラーも同感だった。影行は周囲に誰かいないか確認をしながら、それでも言葉を選んで二人にたずねた。

 

「……アルシンハ准将はなんと?」

 

「例の話は行っている。だが、どうにも難航しているようだな」

 

「話が話だからな………とは言っていられないのが現状だ。端的に問おう、どこまでもつ?」

 

もたせられるのか。その問いに、影行は用意していた答えを返した。

 

「もって2ヶ月です。隊員の機動の改善、機体に関する知識も増えて整備の手間も格段に減り、戦術機にも整備員にも負担は減りましたが――――流石に物理法則は越えられなくて」

 

永遠に壊れない道具など存在しない。戦術機もまた同じと、影行は機体を見上げた。

 

「そこから先は賭けになるでしょうな。特に脚部の関節の損耗が酷いです」

 

フレームの歪みはどうしようもない。そして、脚部は戦術機の命である。

横に居たガネーシャ軍曹が、機体の状況についてまとめた資料を読んでいく。

 

「突撃前衛でも、クラッカー12の機体の損傷がまずいですね。いえ、跳躍の回数と機動を考えると、とっくに限界を迎えていてもおかしくないのですが………」

 

それでも、まずい領域にある。その他の報告を聞くと、ラーマは頷き、整備班の方を見る。

 

「それでも、出撃が出来ないという事態は避けたい。特に今は時期がまずい」

 

クラッカー中隊は戦功を上げた。しかしといって、全方位から歓迎されないのがこの世界の通例である。光ある所に影があり。賞賛される者を疎む人間もまた、確実に存在する。

 

「嫌味だけで済んでいるのならばいいがな。出撃できないとなると、それを盾にして後に何を命令されるか分からん」

 

「っ、なら、こっちを優先して機体を回してくれていてもいいじゃないですか!」

 

思わず噛み付いてしまうガネーシャ。すぐにしまったという顔になるが、ラーマはむしろ歓迎するように頷いた。

 

「俺も同感だ。しかし、なんだな………上は俺達のことを毛虫のレベルで疎んでいるようだ」

 

「返ってきた言葉は変わらず、『甘えるな』でしたか――――ええ、言ったお偉方の脳みそに砂糖を突っ込んでシェイクしてやりたい衝動にかられます」

 

高級っぽい脳みそとよく混ざるでしょう。真顔で言い放ったターラーに、3人がひきつった笑いを返した。一転、ターラーはため息をついて表情を暗いものに変えた。

 

「本当に、甘えているのはどっちなのか。人類にもう余裕なんて残されてないというのに」

 

背後に広がるはまだ資源が残っている安全地帯。もし突破され、その資源庫たる東南アジアが蹂躙されれば、いよいよもって人類は窮地に立たされるだろう。推測でもなく、ただの事実である。それを防ぐのは軍人の仕事だが、方針を決める肝心な上層部が腑抜けていた。国連軍、その上役の中にはアメリカ寄りな思想を持つ者が多い。そして何よりも自分の利益を追求するのが人間だ。

 

意識の統一など夢のまた夢に終わり、こうして一つの隊が困ることになったという訳である。

 

「………白銀曹長」

 

「ええ、頼まれました。最善を尽くします―――としか答えられないのが歯がゆいですが」

 

いくら努力しようとも、解決には至らない。それを恥じるのが白銀影行という男だった。

 

「迷惑をかける。かなりの激務になるだろうな………部下の不満もあるだろうに、苦労をかける」

 

ラーマが気遣いの言葉を見せた。整備班の人間の中で、影行のことを高い技術と知識を持つ日本人として尊敬するモノは多い。だが、急な外部からの異動。かつ急な整備班長への就任を快く思わない者も多い。何かにつけて文句を言われることも多く、言い合っている場面も度々衛士達に目撃されている。

 

「仕方ないという言葉は嫌いなのですが、仕方ないですよ。かなり無茶な人事だったのは否めない。だからといって引きはしませんが」

 

認められないならば、認めさせるだけ。その気概で様々なことに挑んだ影行に対し、反感を抱くのは今やほんの数人だけとなった。

 

「今だから言えることですが、当時の4割は曹長に否定的な意見を持っていましたよ」

 

「ならば現在は?」

 

「技術的なことに関しては、5人以下です。ただ別の意味で不満を抱いているものが数人だけいますね」

 

「………別の意味?」

 

「あー、そうだな」

 

ラーマは首を傾げる影行を見ながら、ぽりぽりと頬をかくことしかできなかった。勤勉かつ優しい、しかも近づきがたい程ではない、適度な美形――――まず、整備員の中にはいないだろう。だからこそである。憧れの上司として女心を盗まれた女性整備兵が数人で、その整備員のことが好きだった男子整備兵が数人。

 

あとは鈍感と嫉妬の単語だけで説明はできるだろうか。ラーマはまたため息をついた。

 

「タケルもな………白銀の一族は化物か」

 

「大尉殿、武が何か?」

 

「なんでもない。ところでガネーシャ軍曹。話が変わるが、プルティウィはどうだ」

 

「いい子ですよ。わがままも言いません。整備兵達にとっては、良い癒しになっています」

 

修羅場まっただ中に降臨した一粒の清涼剤。それが整備兵達にとっての彼女である。

無口であまりしゃべらないけど、仕草や物腰が一々可愛らしいとさんざ撫で回されていた。

 

「そういえば綺麗な髪飾りをつけていましたが、あれは中尉が?」

 

「マハディオだな。似合うからと、プレゼントしたらしい」

 

「あいつが………」

 

ガネーシャが言うなり、はっとなって口を押さえた。

 

「ふむ。もしかして二人は知り合いか?」

 

「………はい、幼馴染です。同じ村に住んでいました。しかし………少尉がプルに贈り物ですか」

 

ターラーの問いに、ガネーシャはそれきり口を閉ざした。

 

「ふむ、一応の保護者として立候補したのもあいつだった。責任感、とはまた別の所に心があるようだったが」

 

ラーマは言うが、いやといって言葉を止めた。変に深く過去を追求するのは避けたかったからだ。

 

「だが、あの娘を守るにも機体が必要だ。頼むぞ、シェーカル准将殿」

 

精神的にも疲労困憊なラーマの視線は、策があると告げたアルシンハ・シェーカルが居る部署の方を向いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――とある一室の中。二人の人間が机越しに向かい合っていた。一人は屈強な男。立派に輝く階級をつけている生粋の軍人だ。何気ない仕草に気品を感じられるそれは、育ちの良さを感じさせられる。一方は小柄な女。一応は士官である階級を、しかし気にした風もない。つけているだけ、といった印象が強いだろう。男の名前はアルシンハ、女の名前はインファンと言った。

 

「それでホアン少尉。例の目星はついたか」

 

「はい、昨日に。機体の方もそろそろ限界でしたし………言いたくはないですが、良いタイミングだったということでしょうか」

 

「これ以上ないほどに、な。思い通りにいかないのは歯がゆいが、こうも順調だと疑ってしまいたくなる気持ちが強くなる」

 

「人間万事塞翁が馬。理解してはいても、その理屈には納得できません。いっそ噛みつきたくなりますね」

 

「ならば人生は歯形だらけということだ。全くもって度し難い」

 

俺もお前も。そしてこの状況も。アルシンハはタバコに火を点けると、横に息を吐き出した。

 

「………チャンスに二度はない。お前ならば言うまでもないことだろうが」

 

「それでも確認してしまう気持ちは分かります。私なんて、これですよ」

 

見せたインファンの手は、小刻みに震えていた。亜熱帯のこの地域で寒いからというのは有り得ない。それは、自分が行うことについて、その恐怖によるものだった。

 

「逃亡させる先は慎重に選んで下さいよ」

 

「誰に言っているつもりだ。いざとなれば副官を向かわせて脅しをつけておくさ」

 

だからお前の方の仕事で、手は抜くな。

告げるアルシンハに、インファンは黙って敬礼を返した。

 

「それで――――今度の任務、生還率はどう見る」

 

「戦死者ですか? 目算でよければ答えます。最低で0人、悪ければ12人ですよ」

 

きっぱりと。インファンは肩をすくめながら、言い切った。

 

「いつもの通りです。一度しか戦場に出たことがない私が言えることじゃありませんが………こればっかりはコントロールもできないでしょう」

 

不遜な態度を取るインファンに、アルシンハは何も言わない。自分でもバカなことを聞いたと思っているからだ。そもそもがコントロールできるような戦場であれば、とっくに人類はBETAを駆逐しているだろうと。

 

「ならば、推定でいいから話を進めよう。欠員が出たとして、代わりと成りうる人材に心当たりはあるか」

 

現場の眼からでいい。

そう告げるアルシンハに、インファンは以前から目をつけていた人物の名前をあげる。

 

「可能性があるのは葉玉玲(イェ・ユーリン)とグエン・ヴァン・カーンの二人だけです。パールヴァティー少佐は………才能はありますが、あの人がクラッカー中隊で戦っている所は想像できません。何より、本人のプライドが許さないでしょうから」

 

「そのあたりは俺も同意見だ。しかし、見込みがあるのが腑抜けのベンジャミンの所の無口コンビだけとは」

 

「それだけ、今の隊員の資質が異常なんですよ。あれについていけるだけの人員なんて………」

 

「隊員からは話を聞いたか」

 

「それとなく話題は振りました。白銀少尉からの情報ですが、葉少尉の才能はかなりのものらしいですね。成長が他の衛士より2段は早いと、そう言っていました」

 

「そうか………しかし、贅沢な話だな。確かに、あれだけの面子は俺でもあまり見たことがない」

 

筆頭にターラー・ホワイト。彼女の衛士としての才能は有名であり、アルシンハも認める所だった。何より苦境を乗り越えてきた数が違った。才能もそうだが、衛士として貴重と言える経験の値も突出しているということだ。勝機を見出す戦術眼と決断力は、並のベテランでは真似できないものがあるだろう。

 

次にリーサ・イアリ・シフ。機動センスもそうだが、瞬間的な戦況判断は他に類をみないものである。荒波を分けるが如くBETAの中を突っ切り、それでも生還できる者はこの基地においては彼女の他にいない。

 

アーサー・カルヴァートの状況対応力も有名だ。奇抜なもう一人の突撃前衛に対応し、乗っかり、かつ戦果を上げる。運動能力も高く、反射神経も並のそれではない。

 

フランツ・シャルヴェはアーサーには総合力で劣るものの前衛としては申し分ない。近接格闘戦はそこそこの腕だが、格闘戦を行う距離での射撃兵装を工夫した戦術に関することで、周囲から一目置かれている。指揮官の適性もあり、何度か前衛4人が孤立してしまった場合でも生き残って帰還できたのは彼の的確な判断力によるものだった。

 

サーシャ・クズネツォワも。年齡に似つかない戦闘能力を有している。特に長距離での火力支援は隊の中でも随一である。自分の邪魔をせず、確実に邪魔な排除したい敵だけを撃破してくれるとは前衛の4人が統一して持つ感想だ。

 

「隊の中での資質について。単純な戦闘能力だけを見れば、この5人が筆頭に上がりますか」

 

「……ああ、戦況判断や指揮に関しては別か。フランツ・シャルヴェやアルフレード・ヴァレンティーノ、紫藤樹はまた別の部類になると」

 

「はい。あの3人は何でもこなすタイプです。前の4人は一部飛び抜けた能力を持っている面子ですから」

 

「マハディオ、ラムナーヤ、ビルヴァールの3人は?」

 

「その中ではマハディオが一番ですね。今の彼なら、別の部隊ならばエースを名乗れるでしょうが………」

 

「あのキワモノ揃いの中では無理な話だな。しかし、隊長の名前が上がってこないのはなぜだ?」

 

「………分かっているのに聞くなんて、アルシンハ准将殿は意地悪な人ですね。疑い深いところもありますし」

 

「慎重と言え。あと、理解しているくせにわざわざ言うな。楽観的な高級軍人など、保身だけを考える後方軍人と同じだ。クソを拭う紙ほどにも役にたたん」

 

「だから私もついていくと決めたんですけどね………えっと、ラーマ大尉ですか。あの人もなんて言うか………簡単に言葉には表せない、不思議な人ですよねえ」

 

ラーマ・クリシュナが担っている役割は"つなぎ"だ。特殊な精神を持っているものがほとんどのクラッカー中隊で、基盤となる隊の空気を作り上げている。

 

「私が言えたことじゃないですけど、みんな全方位に自分勝手をやるタイプですからねえ。それを放し飼いにしたまま統率だけは取るなんて、他の指揮官じゃ絶対無理ですよ」

 

「ファースト・コンタクトが良かったんだろう。シフとヴァレンティーノは特にな。救援に来たのも大きい、その第一印象に引きずられているとはお前から聞いたことだが?」

 

「その後の、カルヴァート少尉を筆頭とする3人ですよ。こちらも私が入る前ですけど………あの時に異なった解決策を取っていれば、また違った形に収まったんでしょうが」

 

嘘偽りなくぶつかるのではなく、あるいは言葉だけで済ませていたらどうだったろうか。インファンは考えるが、今よりも統率はとれなく、間違いなく隊内の空気は悪くなっていただろうと結論づけた。

 

「人柄もあるんでしょうねえ。私でさえ、あの人を見ているとホッとしますから」

 

「………そうかもしれんな」

 

複雑な表情を浮かべるアルシンハ。それをさらっと無視しながら、今度は反撃に出ることにした。

 

「で、先程からどうも話を逸らしたがっているよう人物。いい加減に時間も時間だから言いますけど――――あの、白銀武ですよ」

 

「……ああ、白銀武。白銀武な」

 

名前を繰り返し呼んで。そして同時に、アルシンハはため息をついた。

 

「俺は真面目な軍人だ。そりゃまあ、ラダビノット准将とは違うしあそこまで高潔にはなれんが、これでも准将だ。冗談みたいな存在であるBETAを相手に戦い、戦ってきた」

 

屍が散乱する戦場を観てきた。現実的な事しか起きない、奇跡なんて皆無なこれ以上ない現実の中で戦ってきた。そうして、"お家"の"コネ"もあっただろうが、准将にまで上り詰めたのだ。決して何も知らない坊ちゃんでもないし、夢想家でもない。

 

そんなアルシンハ・シェーカルは言った。

 

「実はあいつの正体って、ニホンからやってきた妖精とか言わないか?」

 

空気が、3秒止まった。その後、再起動したインファンは笑って言葉を返した。

 

「落ち着いて下さい准将殿。お言葉が乱れています。それに聞いた話ですが、日本に妖精はいません。でもまあ――――ええ、私も。声を大にして、その通りでありますと返事をしたくなります」

 

彼女も現実主義者だ。夢想の世界など、幼少の頃に粉微塵に砕かれている。

現実は彼女に夢物語よりも、明日の食料についてを教えた。倫理を捨てる割り切りも。

 

そんなホアン・インファンは笑顔のまま言った。

 

「私は子鬼説を推します。もしくは欧州らしく小人で。実は戦術機のOSが人になって子供の形をとって戦術機を動かしているんだー、って言われてもぜんぜん驚きませんね」

 

「ああ、その説もありか」

 

「でも父親がいますからねえ。木の股から急に発生したとは言えないから困りますよねえ」

 

「全くだ」

 

はっはっは、と二人は笑いあう。その一瞬だけ、二人は階級のことを忘れあっていた。

しかし、ここが最前線の軍事基地であることを思い出した後、また現実に帰還することになったが。

 

「………実のところな。俺は何だかんだ言って、信じて無かった。実際にこの目であいつの機動を見たさ。年の割にはやるなと思ってた。相当訓練をしたんだろうともな。で、だ。俺はターラーの冗談だと、そう思っていたんだよ」

 

普通のアンちゃんっぽい口調になったアルシンハに、インファンは同意を返した。最早威厳もくそもなくなったが、指摘はしなかった。こうでもしないと現実を処理できないだろうという、思いやりがあったからだ。

 

「しかし、ターラー中尉は冗談がうまくないでしょう。嘘も嫌いだと聞いています」

 

「俺もそんな事は知っていたさ。だから、何らかの事情があったと思っていた…………でも、冗談ではないとあいつは言う。裏でもっと訓練させていたか、あるいは元より特殊な訓練を受けているものと考えていた。だが、実際の搭乗時間は………」

 

「はい。あの――――冗談みたいに短い搭乗時間、ですか」

 

例外なく、新人の練度は搭乗時間にほぼ比例する。才能の差はあれど、その速さは想定できるものだ。しかし、白銀武の成長スピードはそれに当てはまらないものだった。

ターラーが報告として上げた、白銀武の訓練期間。それは正規の衛士に比べ、有り得ないほど少ないものだったのだ。

 

「ここだけの話。今見返してみるとな。あの時に上がった少年兵の促成栽培については、半ばヤケクソ的な方策だったんだ。理由は分かるだろう。骨格も安定していない少年兵が、そんなに短期間で最前線で戦えるレベルに? ―――ああ、なれるわけがないと」

 

議論するまでもなく、そうだ。可能性がどうという訳ではない。鍛えに鍛えた人間でも、100mを5秒では走れないという、そんなレベル。白銀武はその常識を覆した。それどころか、それなりに活躍できるレベルにまで達していたのだ。

 

「………肉体的な限界とは違う。戦術機のアレはいわば感覚的な部分が多い。だから特異な才能があるのだな、とその時は納得した。だけど、それだけじゃ説明がつかない事がある」

 

「ターラー中尉が提唱した"アレ"ですね」

 

「ああ。題は"戦術機動の進化について"――――冗談だと、思っていたんだがな」

 

ターラーが提言したものはこうだ。"今ある戦術機動を研究し、その先にある一つ上のレベルの機動概念を見出し、それを全ての衛士に広め、一般化すること"20年前より今まで、発展してきた戦術機の機動の概念、それを更に優れた形に発展させようというのだ。

 

進化の加速とでも言うべきか。しかし、これはターラーにしてもオブラートに包んだ案である。その詳細は、もっと別で異質なものだ。その内容をターラーに聞かされていたインファンは、口の中だけどつぶやいた。

 

(曰く、白銀の頭の中にある"三歩進んだ戦術機動概念"を搾り出すこと。聞いた当初は荒唐無稽な話だって思ったけど――――)

 

かつての時。1976年。全く新しい概念を持つ兵器である戦術機、それに乗って戦った衛士達が見つけた答えは色々なものがある。正しい戦術を模索してきたのだ。今では大体の形に纏められていて、それを戦術機動概念と言う。基本的には、本当に基本的なことが多い。

 

例えば"どういった時にどういった行動を取ればいいのか"と。それは古き衛士達が仲間の屍の中で学び、取捨選択し、編纂してきたものだ。今では普通に運用されている戦術機だが、昔は何をするにも苦労をしたと聞かされている。新世代の戦術機にも活かされている。BETAを相手にする場合、装甲よりは機動を優先したほうがいいという事も経験を重ねてきたから分かることなのだ。

 

その先に今の衛士達が居る。これから先も、戦術機動の概念はより良い形に変わっていくだろう。

経験と反省を繰り返して。他の技術と同じで、時間と血を捧げて進化させていくものだ。それこそが常識で―――故に、インファンをして、今でも思い出す度に寒気が走ることがあった。

 

白銀武のレポートを見た時のことだ。ターラーが出した、"こういった窮地の時、あるいは状況においてどういった機動をするのが正しいか"という題に対して、白銀武は的確過ぎる答えを返してきた。それは常識の範囲での答えだ。しかし、その考え方は今ある戦術機動概念の、更に進んだ所を見ていない限りは出せない答えだった。

 

(有り得ないことだ。それを、ターラー中尉は飲み込んだ。得体は知らなかろうが使えると、それが自分の役目だろうと)

 

疑わずに、飲み干した彼女は剛毅だと思う。目の前の准将は違うようだが。

 

(理由を探している。なければ不安なんでしょう。サーシャちゃんを見て、何事か考えているようだったけど)

 

彼女も、何か得体のしれない部分がある。かつての裏路地の奥で見てきた、色彩豊かな人間達。反吐よりも汚いものをたくさん見てきた彼女は、それでも人間を観察することはやめない。生き延びるために人を観て、言葉を交わすことだろう。自分が生きていくために。そんな彼女をして、サーシャ・クズネツォワには普通ではない"何か"があることを半ばに確信していた。

 

しかし、それ以上に信頼している部分もあった。

 

("それ"を彼女は嫌っている。使いたくないと苦悩している)

 

人見知りはするようだ。人間が好きじゃないのも自分と同じ。それでいて、他人から離れられない所も。同類相憐れんでいるとも思ったが、それもまた違う。彼女の事は理屈抜きで信頼できる何かがあると思っていた。その点でいえば、白銀武もまた同じだ。

 

(うん、はっきり言おうか。白銀武の裏事情、恐らくはサーシャちゃんの抱えているものより、ずっと異質だ。いや、言葉なんかじゃ表すことができない)

 

でも、必死だった。それだけが確かで、嘘はないと断言できる。

そして、それが故にインファンはこの先にあるものを潰させたくはないと考えていた。

 

――――だからこそ、やらなければならないことがあると。

 

「先の話をしましょう………准将殿は、三ヶ月先のあたりと予想されているようですが」

 

「………ああ。防衛線の損耗具合を見るにな。そこで戦況は変わるだろう。いつまでも優勢とばかりにはいかんさ。それに、だからこそ使える手を探るべきだ」

 

言いながら、アルシンハは写真を差し出した。

 

「頼まれていたもの。これで間違いないな?」

 

「―――ええ」

 

インファンは、頷きながら写真を受け取る。

鮮明な写真。背景も黒いそれに映されていたのはひとつ。

 

―――それは、マハディオがプルティウィに送った髪飾りだった。

 

「情報も道具も、肝となるのはその使い方だな。倫理はどうであれ」

 

言うが、アルシンハはいやと首を横に振った。

 

「その案に感心して、かつ納得してしまった俺が言っていい台詞ではないな…………しくじるなよ、ホアン」

 

言葉を選んで、叩きつけて。それを目の前のインファンは、笑って受け入れた。

 

「その時は、そうですね。どうか笑って切り捨てて下さいよ。無能な部下めやっぱりこうなった、と吐き捨てながら」

 

「それはできんよ。俺としては、外面が何より大事なんでな。内心はどうであれ―――泣いて馬謖を斬るさ」

 

「………惜しんで頂ける部下になれるよう、努力邁進しますよ」

 

インファンは自国の故事を言ったアルシンハに敬礼を返しながら、部屋を出る。

そして、ドアに持たれながら虚空を見上げた。

 

「凶報を、お待ちください」

 

その声には、隠しきれない憂鬱な内心が滲むように表に出ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、二ヶ月の後。更に起きた防衛戦は、確実に人類軍の余力を小削ぎとっていった。積み重なる疲労。積まれていたものが減ったものがある。それは弾薬や食料、士気といったものだ。必要なものが少なくなり、不必要なものばかりが多くなっていく。だから、この状況は半ば必然であったのだ。

 

「プルティウィを村に戻した!? どういうことですか、隊長!」

 

その報を受け、まず感情を顕にしたのは彼女の保護者役であったマハディオだ。外での演習が終わり、基地に戻れば彼女の姿はない。それどころか、あの村に戻されたのだという。黙っていられないと走りだした所を抑えつけられて、その一時間後。事情を聞いてきたラーマに、またマハディオは大声を上げた。

 

「………これ以上、余力はないとな。特別扱いもいかんとして、人質扱いであったあの娘を村に戻したらしい」

 

「そんな………ですが、あの事はまだ解決していないはずでは!」

 

「その母親が死んだらしい。村の人間の何人かも、な」

 

死因は自殺だった。そう報告を受けたラーマは、追求はしなかった。事実がどうであれ、"自殺で済まされた"のだ。そして、起こったことの裏の意味を取り違えるラーマではなかった。

 

口には出さない。今もそうだ。だけど、マハディオは違った。

 

「見せしめ、ですか。情報が流れる前に―――――」

 

「それ以上は喋るな」

 

いつにない厳しい声で、ラーマは言った。

 

「憶測でしかものを言えない状況だ………それに、味方を疑うようなことを言うな」

 

「――――しかし!」

 

「お前の気持ちを分かっているとは、口が裂けても言えん。だが、俺も納得できておらん」

 

ラーマはマハディオを真っ直ぐに見返して、言った。

 

「上に掛けあってみるさ。保護役であった俺達に何の説明もなく、というのもな。どうにもおかしい点が多すぎる」

 

だから、この場でこれ以上はまずい。周囲の視線にさらされているマハディオは、そこでようやく冷静さを取り戻した。しかし、落ち着いたからと言って納得できるものとできないものがある。

 

「っ、失礼します!」

 

マハディオは、頷くことはできずにその場から立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

マハディオは飛び出した後、足も早くに基地の通路を歩いていた。目的地は、プルティウィが居た時と変わらない。マハディオは作戦後のデブリーフィングが終わった後には、いつもここに来ていた。隣にはプルティウィを連れて。今日の戦闘について、何があったかを脚色を交えて話していたのだ。血生臭いことは省いて。ただ、理想の戦場を語ることで安心させられると考えていたのだ。

 

何も心配なんかいらないと、プルティウィに言って聞かせていた。

 

(いや、自分に言い聞かせていたのかもしれない)

 

手を見れば、震えている。これこそが証拠だ。深く考えると、自分が情けなくなるような気がしていた。マハディオ自身、実際にそうかもしれないと考えてしまった事もあったからだ。精神の安定にと、プルティウィと話して、汚い部分だけをはがして捨てて口で語っていたことも。

 

マハディオはじっとしながら考えこんだ。そして、しばらくそうしたままいくらかの時が過ぎても、気は一向に収まってはくれない。やがて、抑えきれないあふれた感情は、言葉になった。

 

「………行くしか、ないかもしれない」

 

戦っている。命を賭けて戦っている。だけどそれは、祖国のためなんかじゃない。

マハディオが軍に入った目的は、一つだ。

 

――――復讐。妹が死んで、それを奪ったBETAを殺したかった。しかし、とある少女に出会った後、その理由は変化した。ただあの娘を守るために。好かれているかどうかわからないが、妹の"面影"が残るあの少女を守ることが何よりも大事だと、マハディオは思うようになっていた。

 

奪われた大切な人を、捨てないために。大事だから怒り、そして銃を手にとって。その先で、大切な者をまた見つけた。

 

「言い訳かも、しれないけど」

 

大切なものを守るのが一番大事なんじゃないか。それより他に何かあるのか。マハディオはつぶやき、立ち上がった。視線は―――自分の機体が置かれている場所だ。あれに乗ってプルティウィを連れて、どこか遠くへ。それは言い訳をする時の思考だった。だが、一度甘い方向へと流れだした感情は抑える術をもたない。ついには、足が進み、理由を並べた。

 

「俺は………俺は、必要なんだ」

 

言葉が、引き金となった。決意の言葉は、一歩踏み出す力にもなる。

 

―――しかし走りだすその寸前に、別の方向から言葉が飛んできた。

 

「死んだ妹の代わりが、ってことでしょうか?」

 

「っ、誰だ!」

 

思いもよらぬ言葉。それはまるでナイフのよう。走りだす前の感情がけつまづいたこともあり、マハディオは気づけば怒鳴り返していた。

 

告げられた言葉の意味を問うように。彼の過去を知っている唯一の人物の名前を呼んだ。

 

「………やっぱりお前か、ガネーシャ」

 

「軍曹です少尉殿。話は、聞きましたよ」

 

「なら、俺に嫌味でも言いに来たのか? …………いや、違う。それよりもさっきの言葉はどういう意味だ」

 

「言った通りです。貴方は死んだ妹をあの子に見ていたでしょう…………そうね」

 

似ていたよね、との言葉。上官に使う敬語より崩れたガネーシャの言葉を聞いて、マハディオは思い出していた。それは軍曹の立場ではない、かつての彼女の口調だ。まだ村に居た頃、毎日のように聞いていた少女の口調。普通ならば、規律を重んじる彼女はそういった真似はしない。ただ、思わず崩れてしまうぐらいに、プルティウィは似ていたのだ。今は昔の記憶にしか存在しない、たった一人の妹と。だからか、マハディオもごまかせなくなった。

 

「ああ、似ているさ。プルとあいつは似てる。認めるよ。でも、だからって重ねて見るなんて………」

 

「勘違いしないでください。つい言ってしまいましたが、別に私はそのことについて責めているわけじゃない。あの子と彼女を重ねてみようが、それが不健全だろうがまともじゃない事であろうが、知ったことではありません………事実、プルティウィは貴方に守られていた。そのことに嘘はないでしょうから」

 

「なら、何を言いに来やがった」

 

「短気ですね。会話の中で思い通りにならないと、すぐに怒る。本当に――――重症を通り越してる。直ったと思った悪癖が出てますよ」

 

「話はそれだけか、なら俺は――――」

 

「いえ。失礼ですが、今からのたった1分ほどは、階級を忘れていただいてもよいでしょうか」

 

「………ああ」

 

むしろやってみやがれ、と返すマハディオ。それを聞いて、ガネーシャは笑みをみせた。

 

 

そして、怒声と共に、振りかぶった腕でマハディオの頬に平手を叩きつけた。

鍛えられた衛士とはいえ、整備兵の筋力も馬鹿にはできない。

その強烈な一撃は脳を揺らすには十分な威力を持っており、マハディオは思わずよろめいた。

 

しかし、転倒はするほどではない。マハディオはバランスを戻すと、次に怒りを覚えた。どういったつもりなのか。しかし問い詰める前に、胸ぐらをつかまれた。

 

「勘違いしてんじゃねーぞこの糞馬鹿が!」

 

目の前には、ガネーシャの阿修羅のような。怒り心頭とも言える顔が迫っていた。

 

「なんだ、隊長の説得も聞かずに飛び出してきたって!? いったいどういうつもりだ!」

 

「っ、俺は、あの子を――――必要なんだ! だから………っ」

 

「助けたい、必要だってか! それは否定しねえ、でもだから何をしても許されるってのか! 俺だけは許されるって!? 死んだ妹の代わりを失ったっていう腐れ悲劇の主人公にでもなったつもりか、ああ!?」

 

違う、と言いたい。とっさの反論はあった。しかし、マハディオの中には、その言葉に対して言い返せない部分もあって、だからこそ言葉は声にならなかった

 

「何も言わないってことは肯定と受け取るよ。まったく………前もそうだった。仇を取るんだって一人で飛び出して、軍人になって。あんたの両親がどれだけ心配してたか、想像がつくか?」

 

「オヤジたちは………」

 

「生きてるさ。私からも報告はした。返ってきた手紙には、水滴が落ちた跡があったよ。で、さ………飛び出した後に、色々と見たんだろ?」

 

私と同じでさ、と。告げるガネーシャの言葉に、マハディオは同意した。

 

―――死んだ妹。弟。兄。父。あるいは、家族全て。

 

その仇を。討つべきは、憎むべきBETA。そんな事はそこかしこに転がっている話で、ごく一般的な当たり前の話だったのだ。

 

「別に比べようって話をしてるんじゃないよ。でもアンタなら………この中隊で頑張っているアンタなら、分かってたはずなんじゃないのか」

 

「………っ」

 

マハディオに言葉はない。だが、確かなことがあった。同じような苦しみを持っている者が居た。性質は違うが、苦しみを抱えて戦っている人が居る。

 

「だから一緒にさ。頑張って、頑張って、戦って………苦しみを抱えている人と一緒にあの化物共を殺そうって、そう思ったんじゃないのかい」

 

「……………それ、は」

 

マハディオの言葉は形にはならなかった。しかし、事実はそうであった。飛び出た先、BETAを殺す術を学ぶ学校の中には、自分と似たような境遇の奴らは多くいた。自分よりも、もっと酷い境遇の奴らも。妹のためにと戦いに身を捧げる決意をした自分は、決して特別ではなく。悲劇はどこにでもあって、同じ苦しみを持つ人が多く、そしてBETAは強くて、多くて、酷いことを多くして。抗う者達が大勢いて。そうして、一人では何もできないと気付かされた。深く考えれば分かることだった。自分と同じか、それ以上に強い奴らが大勢いてもBETAを止めきれなかったのだ。一人でできることは、全体から見ればわずかばかりの、砂粒とも言えるBETAを殺すことだけ。

 

だからこそマハディオは、分かっていたのだ。何が最善かを理解していた。

背中を預けて戦える人と一緒に、あの波濤に、途方も無い化物に挑むより他はないと。

 

「プルティウィだってそうだ。ある意味、BETAに家族を殺されたようなもんさ。不安で夜中にうなされているのはアンタも知ってることだろう? なら、どうやってその悪夢を晴らすんだ」

 

「………原因を、取り除く。完全に、根本から」

 

「やっぱり分かってるんじゃないか―――だからこそ、一丸となってBETAを倒すより他に手はないって」

 

この地球上に安息の地などどこにもないだろう。南米アメリカ大陸とてどうか。マハディオはアメリカ人の余裕しゃくしゃくの面が絶望に染まる顔を、どうしてか想像できていた。自分など取れる手段はあまりにも少ない。逃げたといえど、いつかは軍に捕まるだろう。

 

「ああ、糞みたいな裏の事情もあるさ。軍だって綺麗なことばかりじゃない。だからって、ここで逃げてどうするんだよ。逃げても………BETAはどこまでも追ってくるさ。きっと、地の果てまでも。だから立ち向かうより他はないんじゃないか」

 

ガネーシャの声からは、怒りの色が消えていた。諭すような口調が、マハディオの心に突き刺さる。

 

「同じ苦しみを持つ人もいる。だからこそ仲間で、見殺しにできるわけないじゃんか………それでも手前勝手に自分の都合だけ優先して逃げるってんなら、今ここで言えよ。幼馴染のよしみだ。その頭ぁスパナでかち割って、一緒に責任をとってやる」

 

告げるガネーシャの声は過激で。そして内容に反して、震えていた。マハディオはその理由が分かっていた。整備兵は一般人に比べて強いだろう。だけど、衛士は、自分はその上を行く。

 

例えスパナをもっていようと、本気で抵抗すれば数秒で、決着はつく。ゆえに、冷えた頭の中には、告げられた言葉に裏の意味があることも理解できていた。

 

("行くならばまずアタシを殺していけ"ってか…………)

 

そして、死んでも許さないのだろう。ガネーシャの意図を見たマハディオは、内心で笑った。

嘲りではない。もっと、良い意味でのものだ。

 

(本当に………変わってない、不器用な)

 

物騒にはなった。殺すなどと、冗談でも口に出すような性格じゃなかった。だけど根は全く変わっていない。間違えた方向に走る自分を、力づくでも引っ張って。巻き添えになるかもしれないのに、梃子でも動かない。どこまでも真っ直ぐで、優しい近所の幼馴染の姿が此処にあった。

 

いつかの平和な時の、軍属ではなかった頃の彼女の笑顔を幻視する。それを思い出したマハディオは、もう元に戻っていた。立ち上がって、震える彼女に対して頭を下げた。

 

「………すまん」

 

続くのは、謝罪の言葉だ。どうかしていた、本当に申し訳ないと。

 

しかし、言葉がガネーシャに伝わることはなかった。

 

口から発せられた。声となる、大気を震わせて耳に届く直前に、もっと大きな音波にかき消されたのだ。それは、来訪者を知らせる調べだった。

 

「っ警報!?」

 

「――――BETAか!」

 

けたたましい音が鳴ると同時に、マハディオは走り出していた。

散々訓練を重ねた、衛士としての反射の行動だった。

そしていつもの通りに、足は自然と向かうべき場所へと向いた。

 

――――それは衛士としての意志を取り戻した証拠だ。走りだす前に見た顔も、酷い手形が張り付いてはいるが、それまでにあった不様さはすっかりと消えていた。

 

ガネーシャは、確かめるように叫んだ。

 

「マハディ!」

 

愛称で呼ばれ、マハディオは思わず立ち止まった。手を上げて、言葉に答える。

 

「すまん! 色々とあるけど………戻って来てから、謝るから!」

 

答えも待たず、走りだす。まずは着替えなければならない。

出撃の準備は早ければ早いほどいいのである。

 

(初動が全てなこともある。5秒遅れれば、誰かが死ぬ。軍人であれ、民間人であれ――――彼らを守る衛士として、それは許されないこと)

 

耳にタコができるほどに聞かされたこと。マハディオはその言葉と共に、更に足を早めた。勢い良く、更衣室の扉を開ける。

 

そこには、一緒に戦う味方の姿があった。髪の色も様々だ。国籍だって違う。だけど、意志だけは一緒なのだ。そんな彼らは、マハディオが部屋にはいるなり、異口同音に言った。

 

 

遅えぞバカ、と。

 

それはある意味で罵倒で――――だからこそ、ありがたいものだとマハディオは感じていた。まるで自分を疑っていない。仲間だと信じているがゆえの言葉だ。

 

申し訳なさでいっぱいになったマハディオは、手形がついた顔を隠さずに言った。

 

「すみません…………急ぎます!」

 

「ああ、急げ!」

 

「はい!」

 

最後の声は、わずかばかりの涙が混じっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

かくして、始まることになる。

 

主戦場はダッカより西にある場所、かつてあったジェッソールという街の近郊。

 

 

しかし、この戦いは後にこう呼ばれている。

 

 

 

――――"タンガイルの悲劇"と。

 

 

 


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