Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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12話 : Tragedy 【Ⅱ】_

 

昇るために落ちるのか。

 

 

落ちるために昇るのか。

 

 

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民間人のいる場所へBETAが到達した。

 

それは、戦いが佳境から煉獄へと変換されたことを意味する。そんな惨劇の色が濃い戦場だが、それを止めようという動きがあった。最初に"それ"を確認したのは、日本帝国陸軍の戦術機甲部隊中隊、その中隊長だ。BETAに包囲されてしまった、危地に陥っていた中隊の長である尾花という名前の彼は、それを見てまず自分の視力と正気を疑った。

 

「これは………!?」

 

網膜に映るレーダー。映しだされた戦域の、その南東から青い点が迫ってくる。その数は12――――赤の群れを掻き分けて、こっちにやって来ている。問題は、その速度である。12の青の連なりは、まるで無人の荒野を往くような速度で戦域を移動している。

途中に存在する、数えるにも馬鹿らしいほどに多い赤のマーカーをまるで"在って無い"と言わんばかりに。

 

確かに、BETAは移動中である。その密度は通常より高くないだろう。

しかし、だからと言って高機動を駆使したとしても、抜けられるほどに薄くはないはずだ。

 

「いや、違う?」

 

その戦術機中隊は、BETAをただ避けているのではなかった。

青が前に進む度に、赤のマーカーが消えている。

 

考えている内に、やがて、青の点が中隊と交差した。次の瞬間に行われたのは、奇行である。少なくとも尾花にはそう見えた。なぜならば、正気では成せない業が、そこにはあったから。

 

『い――――き、ます!』

 

『邪魔ぁ、なんだよぉっ!!』

 

通信と共に突撃前衛の2機が現れ、次の瞬間には去っていた。

尾花は、自分の顔がひきつっているのを自覚した。

 

――――まず、速度がおかしい。衛士の正気を疑うほどの、無謀と言われても否定できないほどに。しかし、その前衛は倒れなかった。安全域とされる速度を上回ってなお、着地時にバランスを崩さないで。それどころか、射撃までする余裕があるなど、酒場での与太話の類だ。

 

目の当たりしてしまった尾花などは、自分が妄想の世界に逃げ込んだのではないかと思ってしまってもいた。それでも、死に瀕している自分という意識は嘘ではない。それに、その光景には現実味があった。妄想にしては、機動に特徴がありすぎるしバリエーションも違う。

 

一方の機体は鋭すぎる機動で切り込んだ。もう片方が的確な機動を駆使し、他の機体が動けるスペースを確実に広げ、相手を削りつつ刳りこむように前へと驀進していった。

 

次に現れた強襲前衛も。こちらもまた、尋常でなかった。特筆すべきは射撃の精度だ。高速で前進しつつも、強襲前衛の役割を果たしていた。その役割とは、中衛と後衛の露払い。確実に邪魔となる敵をみつけ、最速で撃破することがベストである。

 

だが、それは―――言うほど簡単なことではない。特に高機動下の状況においてはターゲットの確認も射撃も、その達成難易度は劇的に跳ね上がる。高速で移動している時、衛士は何より自機のバランスに気をつける必要がある。そのため、射撃の精度が落ちることは必然である。ターゲットを確認する時間も、少なくなる。ましてやあの速度である。成せるはずがない、それが常識の範疇である。しかし、強襲前衛の2機は常識を越えていた。

 

異常。そう言えるほどに"きっちり"と露払いは成されていた。

 

そして、中衛と後衛がそれに続く。こちらは、連携の精度がおかしかった。特に目を引いたのは前衛と中衛の間の位置にいる機体である。その機体はジクザグに、だが遅滞ない動きでBETAを蹴散らしつつ、前衛の後を追っていった。間もなく、尾花もその通信の声を聞いた。

 

『11時と10時に5つ! 2時と3時半に4つ!』

 

あまりに端的すぎる指示。傍目には意味不明としか思えないものだったが、直ちに動く機体があった。指示を出されたと思われるその機体は、行き掛けの駄賃とばかりに、邪魔となるBETAだけを血まみれにしていく。戦車級はひき肉に。だが、要撃級に対しては数発の銃弾が撃ちこまれただけで、倒せてはいない。だが、頭部を貫いたそのダメージは小さくない。

 

あの傷であれば、すぐに立ち上がり反撃されることはないだろう。そして中隊は、"それで十分だ"とばかりに、動けない要撃級を無視して、ただ前へと抜けていった。

 

前に、前に。隊の意志は、それだけに思えた。

それはまるで槍のようだ。BETAを貫き、突き進む一陣の白刃だった。

 

武田信玄に曰く、風林火山の風と火。疾きこと風の如く、侵略すること火の如し。そして喩えるならば、突き進むこと火の如しというべきか。

 

一秒でも早く前へ、という意識が隊全体のものとして共有されているようだった。

 

そこには個人の"味"が無い。だけど彼らは、一個の強靭な生物のようにただ一つの意志の下に動いているようだった。バラバラではなく、12機の全てが一つの目的を紐として束ねられている。いわば、中隊という名前の、一振りの槍となっている。機能としての貫徹を定められた、名槍のように。

 

尾花はその愚直なまでの前進を敢行している中隊に、故郷で見た槍術の達人の姿を重ねていた。

一意専心を体現する者のことを。

 

しかし、その途中に、彼は覚えのある野太い声を聞いた。心の芯まで染み込んでくるその声に、彼は聞き覚えがあった。

 

そして、同じく通信を聞いたのであろう。部下からの通信が入った。

 

『隊長、ついてこいとの指示が!』

 

言われるなり、尾花は風が吹いた跡を見る。そこには、倒れているBETAと、抜けられるかもしれないほどのスペースがあった。

 

『………他に、手はないか。全機に告げる! クラッカー中隊に続け、この包囲を抜けるぞ!』

 

槍のような彼らが駆け抜けた跡は、BETAの密度が確実に薄くなっている。

そうして、尾花率いる中隊は、危地を抜けて前へと動き出した。

 

前方――――BETAの進路の先、タンガイルの街がある方向へと。

 

 

 

 

青の列車が荒野を往く。道すがら、壊滅した部隊の残存を拾いながら。

 

『た、助かった! って行くのか? くそ、本気かよ!』

 

『白銀少尉………ありがたい。さっき、ベンジャミン大尉も逝ってしまってな』

 

『………俺もついていこう。残り2機だが、よろしく頼む』

 

青に青が重なる。生き残った衛士達が、蜘蛛の糸を掴むカンダタのように生への活路に殺到しているのだった。いつしか、それは川になっていた。

 

青の識別信号が連なっている。BETAも、なぜか移動を優先していて、攻撃をしかけてこない。状況を把握したターラーは、決心する。

 

そして中隊員に。死相を浮かべている男、マハディオに告げた。

 

『クラッカー8、バドル少尉。ここは任せろ―――あの村に行って来い』

 

『ちゅ、中尉!?』

 

マハディオではなく、樹の焦った声がターラーに向けられた。しかし、ターラーとマハディオ、両者ともに互いの視線を合わすだけだった。続きの言葉は、ターラーのもの。

 

『"生きているかもしれない"。そう思いたい気持ちはあるだろう。だから………せめて、お前の眼で』

 

確認してこい。マハディオは諭すような口調で語られ、一瞬だけ戸惑った。

だけど是非もない。頷き、了解の意を示した。

 

『クラッカー3、4、7。クズネツォワ、紫藤、シェルパもバドルと一緒に行け』

 

『自分も………ですが、この先には!』

 

タンガイルの街の人達がいるのだ。樹は訴えたが、ターラーは黙って首を横に振った。

 

『任せろ。指示を受けた4機は、確認が終わり次第に基地へ帰投。どうせ機体も限界だろう』

 

有無も言わせぬその口調に、4人は反論も出来ない。事実、他の中隊の援護に入った後衛の4機は残弾も少ない。アルフレードだけは違ったが。それに、指示を出された4人は特に気にしている事があった。あの少女がどうなったか、どうなってしまったのか。

 

援護の甲斐なく全滅してしまった、あの中隊と同じように――――と。

 

『ああ………それと』

 

ターラーはじっと、網膜に映る4人の"眼"に向き合い、告げた。

 

生きて帰れよ、と。4人は、ただ黙って敬礼をした後、機体の方向を別に向けた。追随している機体、最早大隊規模になった衛士達はそれを見てわずかに動揺した。ここで戦線を離れる意味が分からない、と。だが、その動揺はすぐに収まった。収めざるを得なかったとも言えるだろう。なぜならば、目的地がすでに目の前にあったからだ。

 

レーダーにも映っているその場所。情報には街と評されるその中では、赤と青の識別信号が入り乱れている。そして、このタンガイルには避難民がまだ残っているという。その証拠とばかりに、中心部からは、白黒問わずの煙が上がっていた。

 

『さて、と…………中尉殿』

 

アルフレードがターラーに視線を向ける。横目では武の方を見ていた。その眼は問うていた。本当にこのまま、"こいつを連れたまま行くんですか"、と。それに対して、ターラーは考えない。

 

ただ、頷くだけだ。そして言葉を紡いだ。

 

『ここに居るのは軍人だろう。そして、私達がするべき事はなんだ』

 

答えなど決まっていた。例え後で悪夢に出てくる事が確実である、凄惨な光景が待ち構えているとはいえども。そのような甘ったれた理屈を盾にして逃げ帰るなど、軍人として有り得ない行為だった。

 

そして白銀武は、軍人である事を選択した。誰でもない、自分の意志によって。しかも、死んでいった隊員達を背負うことを決意した。それは即ち、彼らの遺志を汲み取ることに他ならない。

 

そうであれば、撤退の二文字はあり得ないと切って捨てるべきもの。亜大陸で散っていった仲間たちは、危機にある民間人を見捨てて自分だけ逃げるような下衆ではないのだから。

 

それを知らない武ではない。それを知らないターラーではない。サーシャも、そしてラーマも。

 

ターラーが言わんとしていることを余さずに理解したラーマが、声を上げた。

 

 

『全機、傾聴(アテンション)!! この通信を聞いている全ての衛士に告げる!』

 

野太い。だが、サーシャをして安心感を覚える声に、追随している部隊を含めた全ての者が耳を奪われた。

 

『見ろ、あの煙を! あの火を! あの場所に人が居る、我々が守るべき民間人が今も残っている! 歩兵の銃声も聞こえるだろう! 今正に友軍が、味方が、人がBETAに抗っている――――』

 

ラーマは叫んでいた。単語の中に、自己の内に渦巻いている有り余る熱量と質量をこめていた。必死と評されるその声には、余裕を見せつける洒落の気はない。気取った声も、格好もついていない。だが、全員が目を離せなかった。積み重なった疲労を忘れ、ただ続く言葉を待っていることしかできなかった。

 

『これ以上は言わん。だが、この場所において命だけは惜しむな! ただ己に課した責務を忘れず、それぞれに全うせよ!』

 

ラーマの言葉に建前は存在しない。彼も今や故国を奪われた男である。インドという国は奪われてしまった。死地に死地を重ねても、届かなかったのだ。だけど、彼は今も戦い続けている。そんな男が望んでいるものは、決して軍人としての"義務"などではなかった。

 

欲しいものは未来。輝かしい未来と―――そこに続くと信じさせてくれる、人間だ。

疑いなき意志が欲しいのだ。背中を許すに足る仲間を欲していた。あの絶望的に強くて多い忌まわしきBETAが相手でも、己の全身からぶつかることができる。

 

例え自分が倒れても、と思わせてくれる戦う者たちを

 

それはクラッカー中隊と同様で。だけど、ラーマは問わなかった。強制せず、命令もしない。

訴えかけるだけだ。そして追随している衛士は、ただの一人も逃げなかった。

 

 

『―――誇り高き戦友達に告げる』

 

 

声には、喜色が浮かんでいた。それを察した衛士達の口も緩んだ。

 

 

『地獄に往くぞ――――俺に続け!』

 

 

苛烈なる中隊の。火のような突撃を誘蛾灯に、青の識別信号の川が街へと流れ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺は、臆病なんだ」

 

とある日のとある訓練の後。サーシャは、ビルヴァール・シェルパが言っていた言葉を覚えていた。

 

「BETAに喰われることを考えると、震えてたまらなくなる。いや、誰でも怖いのは分かっているけど…………俺は、あんな風にはなれない」

 

視線の先にいるのは、武を含む前衛の4人である。あいつらは生き物としてのネジがぶっ壊れていると、ビルヴァールは小さな声でつぶやいた。あの4人とて、死に対する恐怖はあるのだろう。なければとうに死んでいるから、そこは間違いない。

 

だが、まともではないと。

 

「俺は、無理だ。前衛なんか務まらない。あんなにBETAに囲まれて、それでも戦い続けるなんて………」

 

ビルヴァールの手は震えていた。それを見たサーシャは、頷いた。

 

(言っていることは、理解できる。だって、あたりまえだ)

 

彼が言いたいのは、死に対する恐怖をどこまで許容できるものなのか、ということだ。寒冷地におけるココアのようなもの。どこまで"温く"なっても笑ってごちそうさまと言えるか、それに似ている。

 

「俺は無理だ。アイスココアなんて出されて、笑っていられるほど懐は深くない」

 

冗談におどけながら、恐怖は隠しきれず。

きっとぶちまけてしまうだろう。誰だって、凍死するのは嫌だからと。

 

「でも、無様を晒したくはないんだ。この中隊を抜けたいってことでもない。俺は、この中隊で鍛えられて良かったと思っている」

 

サーシャは、その言葉が真実のものであると認識した。感情を見て、そしてその眼を見たから。

ビルヴァールは、それでも苦悩の色を見せ続けている。

 

「シェルパ少尉………貴方はいったい、何が言いたいのか」

 

黙っていた紫藤がついに会話に割り込んだ。しかしビルヴァールは、それを待ち構えていたかのように答えを返した。

 

「もし、戦場で俺が戦えなくなったら。その時は………ひと思いに殺して欲しい」

 

「………え?」

 

 

どうして、との問いにビルヴァールは答えなかった。

 

 

その時は、サーシャは特に追求しなかった。冗談の類だろうと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――そして、プルティウィがいた村の中央では、冗談のような現実がおとずれていた。

 

『………脚部関節破損。跳躍ユニットも反応なし。ここまで、だな』

 

村が"在った"場所。ビルヴァールの機体は、その広場の中央で地面に横たわっていた。立ち上がろうとしているが、機体の反応は鈍い。サーシャはそれを見守りながら――――50m後方から、戦車級がこちらに近づいているのを確認した。

 

『戦車級が………シェルパ少尉!』

 

『あいっかわらずお固いな紫藤少尉。ビルって呼び捨てにしろってのに、最後まで守らなかったな』

 

『そんな事を言っている場合じゃ………くっ、応答しろ、バドル少尉! 膝をかかえてうずくまっている場合か!』

 

樹の通信に、しかしマハディオは答えなかった。機体の中で、ただ頭を抱えこんでいるだけで、反応もしない。そんな彼の機体の横には、さきほどまで活動していた要撃級の姿があった。

 

今は沈黙しているが、その腕には戦術機の塗装がこびりついている。

それは、ビルヴァールの機体のものだった。

 

『こ、の――――応答しろと言っているのが分からないのか!』

 

『………無理だろうさ。あんなものを見せられた後じゃあ、な』

 

ビルヴァールは、樹の言葉を遮りながら、機体がとらえたカメラ。その中に、あるものを映していた。崩れた村、その途中にある惨劇が行われた跡。そこから少し離れた場所に"それ"はあった。

 

――――まず、抜けた髪の毛が、散乱したまま置かれているのが見えた。

 

髪の色には覚えがある。茶色いそれは、間違いなく探していた人物のものだった。

 

それが数十本。同じく赤い肉片と共にこびりついていた。

 

 

―――見覚えのある、髪飾りの表面に、べっとりと。

 

 

直後に起こったことは、金切り声のような絶叫と。

そしてサーシャが頭を抱えて、眼を閉じてしまったことだ。

 

同時に、近づく要撃級と、その間に入り込んだビルヴァールの機体と。

片腕に衝撃を受けながら、彼がカウンターで要撃級の首を断ち切ったこと。疲労に耐えかねた機体が、ついに限界を越えてしまってもう、戦術機とも呼べない有様になっている。

 

それを眺めながら、二人は問うた。

 

『シェルパ少尉。貴方は、いやお前は………なぜ、二人を庇ったのだ』

 

『やっと敬語をやめたな紫藤。んで、庇った理由か………そうだな』

 

いや、全くもって分からない。

答えになっていない答えに、サーシャは納得できないと言葉を重ねた。

 

『今の行動は、はっきりと矛盾している』

 

サーシャは、いつかの言葉をそのままビルヴァールへと返した。

 

『死ぬのが怖いと貴方はいった。でも、今の行動は矛盾している………死ぬのが怖くなくなった、とも思えない』

 

貴方は恐怖している。サーシャの言葉に、ビルヴァールは頷いた。

 

『いや………怖いさ。今でも、手の震えが止まらねえ』

 

この村と。そして離れの森のあちらこちらに散らばっていた"パーツ"のお仲間になるって考えると、怖くてたまらない。そう言ったビルヴァールの言葉に偽りは含まれていなかった。少なくともサーシャにはそう判断できる材料がある。だけど、それだけではないはずだ。

 

『それならば、何故。どうして貴方はマハディオを庇ったの!』

 

叫ばずにはいられなかった。人は感情に縛られる。それを越えるにしても、あの行動を取るのはおかしいと。規律と道理を越えた所で矛盾する行動を取った男に、サーシャは問うた。

 

マハディオを見捨てれば、生き残ることはできたはずだ。なのにどうして。

その問いにビルヴァールは笑った。

 

『分からねえ。だけど、なんか理屈っつうか――――感情を越えた何かがあったのかもな』

 

その笑顔は、どこか誇らしげで。そして少し、困っているようにも見えた。

 

『マハディオな。こんなんでも同期なんだよ。訓練学校でも、一緒に馬鹿やって苦しんで。不味い合成食料を愚痴りながら食って。一緒に鬼中尉の訓練を越えて………って、昔話をしてる時間も無えよなあ』

 

ビルヴァールはノイズも激しい視界の中、戦車級の姿を見つけた。そして寝転んだまま、腕だけを動かして射撃をする。だが、数秒でそれも動かなくなった。

 

機体の出力が、よりいっそう落ちるのを感じた。

 

『ってなわけで自爆も無理らしい。なら――――紫藤。お前さんの国にゃあ"カイシャク"ってやつがあるんだろ? いっちょそいつをお願いするぜ』

 

それは"介錯"で、切腹をした者が苦しまないように、首を落とす行為のこと。

紫藤は指摘もせず、ただ絶句する。この状況で何故、と言いたいのだ。

 

『詳しくは言わん。ああ、ひどい話だってんだろ? ………だけど、頼むぜ。このままじゃあ、俺は見苦しいことを叫びたくなる。今も隊長達が前線で戦っているってのによ。それだけはできないんだ。無様に泣き叫んで、それを全域の通信に乗せたくなる――――こんな所で死にたくない、ってよ』

 

そうすれば、士気は下がるだろう。そして、クラッカー中隊の名も落ちるかもしれない。

そしてビルヴァール・シェルパという名前が、いざという時に無様を晒す者として、隊の歴史に刻まれるかもしれない。

 

大げさだ、と紫藤は反論するが、ビルヴァールの方は、まさかと否定する。

 

『この隊はきっとすぐに駆け上がるさ。俺の想像もつかない域まで…………でも、俺も、ラムナーヤのやつも、もうついて行けないだろう』

 

『やる前に諦めるのか!? 自分の命だろう! っ、それに………少尉達を、仲間をここで見捨てていけと言うのか!』

 

『おいおい、サムライさんよ。立てないものは置いていけってのは、全世界の戦場、その共通のルールだろうが。そしてここは最前線だ。お前たちまで付き合う必要はない。それに、生きて帰れと言われただろう。あの鬼中尉との約束を破るのはゴメンでね』

 

地獄にまで追っかけてきそうだ。笑っていうビルヴァールに、紫藤はそれでも納得しなかった。できないのだ。紫藤は自分の中にある感情を、持て余していた。かつては、頼ることなど考えもしなかった味方。斯衛軍で受けた屈辱は、樹も忘れてはいない。あの斯衛として、こんなものか。それを知った樹は、この中隊に入った後も、人を頼ることはしなかった。

 

だけど、どうしたことか。こうやって、同じ場所で。同じ隊で。同じ苦難を越えて。

いつしか樹は、決して賢くはない、馬鹿で―――馬鹿だけど、と言いたくなるこの中隊に。

特にターラー中尉とラーマ大尉の姿と、さっきの指示を聞いていた樹は、この隊に、そして何も文句を言わなかった全員に。同じく理屈を越えた何かを感じていた。目の前の人物を馬鹿とはいえない、むしろ―――と思えるぐらいには。

 

それがあるからこそ、見捨てられない。自覚してからはなおさらだ。過去の自分であれば、黙って頷いていただろう。仕方ないと言葉を発し、士気が落ちるよりはと最善の行動を迷いなくとっていたことだろう。だけど、紫藤は。そしてサーシャも、同様に実行できないでいた。

 

何とかしなければと、そういった思いが胸中に渦巻いている。

 

『まだ時間はある。援軍は、っと、そうだ、こっちに移れ!』

 

『援軍なんてこっちには来ないさ。コックピットを出るのもゴメンだ。だから、頼むよ。このコックピットを俺の棺桶にしてくれ』

 

もし、ビルヴァールが生きていたら、BETAはそれを察して装甲を食いちぎる。

 

『頼むよ。せめて最後なら、この場所で。あいつらの胃袋になんて、収まりたくない』

 

『シェルパ!』

 

『やってくれよ、樹! 男だろ、分かってくれよ――――っ、頼む、頼むよ戦友………っ』

 

懇願する声は、悲痛ではなく必死で。それが最善だと信じている声だった。だからこそ、紫藤は何も言えなくなった。そして、何も言えないからこそ眼を閉じた。

 

見るべきは相手の意志。そして紫藤樹は、見えた答えと、その想いに従った。

 

『………イツキ?』

 

決意の感情を察したサーシャが、彼に正気をたずねた。狂ったのかと。だが紫藤は、何の言葉も返さない。しかし、彼の眼は口よりもはるかに。

 

覚悟を、物語っていた。そこにこめられた言葉は、決意。何かを決めた人間の眼であるそれである。

やるつもりなのだ。それを察したサーシャは樹を止めようとするが、

 

『………っ、な』

 

視界が揺れる。サーシャの鼻から、血が滴り落ちた。

 

『っ、こんな、ところで………っ』

 

その動きは形にならなかった。サーシャは突如襲ってきた言いようのない頭痛を前に、動くことができなくなっていた。それを裏付けるかのうように、彼女の片方の眼は血のように赤くなっている。

 

『今のうちだ………それでいい。それが最善だ、本当にありがたい。マハディオの事は殴ってでもひきずっていってやってくれよな』

 

『任された………ビルヴァール・シェルパ。お前という戦友が居たことを、僕は決して忘れない』

 

『けっ、いちいち当たり前のことを言うんじゃねーよ。最後までお固いやつだったな。だけど――――その女顔も含めてな。お前と一緒に後衛で踏ん張った日々は、悪くなかったぜ戦友よ』

 

『ああ………僕もだ』

 

かみしめるように、言葉を飲み込んで。自分の言葉も返した紫藤は、そのまま長刀を振り上げた。

装甲を貫くにたる、カーボン製の近接武器。その切っ先はコックピットに向けられていた。

 

貫くべきは、苦しませぬポイント。すなわち介錯の言葉通り、首があるポイントである。

樹はそれを見極め、生身で剣を振るう時と同じように、呼吸を絞った。

 

迷いはない。紫藤樹にとって、武器を振りかぶるという行為、それ自体がすでに決意を済ませたということと、同義である。

 

(………振るった結果を背負う気持ちがなければ、刃を担うことなかれ)

 

それは、刃の意義。刀というものが持つ、機能の意味。

 

(抜刀は決断に等しく、構えるは斬る覚悟を示すこと――――"殺す"を行うことを知らしめる事と覚えよ)

 

構えるは、殺す。でなければそもそも抜くなと。それは己に対してと、刃を向ける相手に対してだった。斬らないのであれば、そもそも振り上げるな。それは、子供の頃より叩きこまれている剣士としての心構えであった。

 

(されども、刃にはなるな。斬るならば人を捨てるな。そして人であるからこそ、意を汲むこと忘れるな)

 

剣士は剣士であり、刃ではない。だから応えるは剣を持つ己である。最後に無様を残したくはないと叫ぶ男が居るのだ。それは軍人として、何より男として譲れない一線であること。

 

ましてや、女性の前で見っともない様を晒すなど。同じ男である樹は、サーシャよりもその感情を理解していた。自分に置き換える。相手の事を考える。それは、認めること。相手が意を汲むに足る存在であるからこそ――――斬らなければならない。

 

『―――っ!』

 

紫藤は理にも意にも胸の内で決着をつけ、長刀を振り下ろした。狙いは違わず、目的の場所へ。

精錬された一撃は、寸分さえも違わなかった。

 

振るった者の意志を通すように刃はその結果を出さんとする――――その直前に。

 

『サーシャちゃんを、頼んだぜ』

 

言葉の後の、くぐもった悲鳴が一つ。

 

無くなった村の大気を震わせ、やがて鉄火場に満ち溢れている震動の中に溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………クラッカー6、シェルパ少尉の信号が途絶しました」

 

外れた村の中の一つの青。それが消えたことを確認したインファンは、CP将校としての役割の一つを果たした。KIA、"Killed in action"――――つまりは、戦死と判断すること。そしてここからの対応も、全てマニュアルに乗っていた。彼女自身、仲間の死は幾度も見てきている。

 

(だけど――――いや、考えない)

 

それよりも自分の役割を果たす。彼女は頭を振って決心したが、そこにまた、畳み掛けるように新たな情報が入ってくる。民間人と入り乱れての、BETAとの市街戦が始まって、すでに30分。考えたくない光景が連続して起きているだろう戦場の中で、とある青の識別信号が一つ消失した。

 

同時に、通信から少年の悲痛な叫び声が聞こえてきた。

 

 

『ラムナーヤァっっ!!』

 

 

――――戦闘は、まだ続いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それを別の場所で見ていた男は。逐一上がっている報告を読んでいた男は、笑っていた。

 

「風が吹いた、というのか。古に聞く元寇の神風とやらも、今ならば信じられるかもしれん」

 

報告書には様々な文字が描かれている。その中で、男――――アルシンハ・シェーカルは、いくつかの文字に着目した。

 

「"若年衛士育成計画の抜本的改善"、"新しい機動概念機動と、その多様化"、"かねてよりの懸案事項であるF-15J・陽炎の実戦データ蓄積"………そして報告に上がってきた、中隊の戦果」

 

これで材料は揃ったと。してやったりの表情で、アルシンハは要らない方の紙を破り捨てた。

 

「………"βブリッド"、"後催眠と特定方法による強制暗示の応用"か。これはもう、使う必要はないな」

 

本当に汚い計画だ、と――――アルシンハは、嘯いてみせた。

前者は、もう使うことも利用することもないだろうが、と。

 

「それもあの中隊が無事に帰ってこれたらの話だな………取らぬ狸の皮算用はごめんだぜ」

 

だから頼んだ、と。アルシンハは、暗い私室の中で、一人呟いていた。

 

「星になれ、ターラー。夜暗に迷う旅人を照らす導として、相応しい壇上に上がれ―――それがお前の責務だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、街での戦闘は終了した。途中に増援としてやってきた部隊を交えての、泥沼としか表せない戦闘は終わったのだ。乱戦に補給に同士討ちに自爆に。夜通し行われた戦争は、凄惨を極めた。

だがその甲斐があって、一定数以下になったBETAは撤退をはじめた。今頃は追撃の部隊に殲滅されていることだろう。その中央で、白銀武は登る朝日を見ていた。

 

そうせざるを得なかったとも表せる。少年の身体は、今や小刻みに痙攣しているだけだ。

極度の疲労と筋肉痛が全身を苛んでいることは想像に難くない。

 

だけど武は、痛みに悶えていなかった。登る朝日を見つめながら、自分の胸と頭を押さえたまま、沈黙を続けていた。

 

『………無事か、白銀』

 

声はターラーのものだ。慎重に、語りかけるような声。武はそれに反応することもできず、ただ黙って背もたれに身を預けていた。

 

『………白銀』

 

ターラーは無視されたことを叱責せず、意識を別の場所へと傾けた。

武の機体がある周辺。そして、自分の機体がある場所の近く。

 

一言で表わせば、こう言えるだろう。何もなかったと。まず、建築物と呼べるものがない。

そこかしこに戦術機の36mmと120mm、機関砲の傷跡が。

 

そして民間人を守っていた機械化歩兵の抗戦の跡が刻まれていた。

 

倒れている戦術機が、民家を潰している。コックピットには、食い散らかされた跡が残るだけ。そんな光景があちらこちらに見られた。住まうに相応しい場所、その集合をもって街という。

 

――――だが、これはもう街ではない。

 

荒野と同じものだ。そこにある全ては、今回の戦闘で壊されてしまったのだ。あれもこれも分割されて分解されて欠片になっている。原型をとどめているものは一つもなかった。丁寧に、徹底的に壊されている。

 

死んだ人間も同じだった。元は人であったものが分解されて、そこかしこに転がされている。

それだけを見れば、それがなんであったのか全く分からないぐらいに、"各々の部品として分けられていた"。ターラーにとっては、馴染みの光景。だが、とかぶりを振るのもいつもの通りだった。

 

「これだけは………馴れることはないな」

 

馴れてしまえば、もう人間とは呼べなくなるのだろうが、と。

こみあげる吐き気に耐えながら、ターラーは武の機体を見た。

 

武のボロボロになったF-5には、左腕の部分がなかった。かじりとられたような跡が見える。腕には、短刀が一本だけ。近くに突撃銃が転がっていないのを見ると、どこかで捨てたのか。管制ユニットがある周辺の装甲にも、傷があった。戦車級の歯型傷と、そこに重ねられた刀傷のようなもの。

 

『白銀………』

 

『ターラー、中尉………俺………オレは………なにも、人が…………ラムナーヤが………っ!』

 

『いいんだ。今は………いいんだ』

 

ターラーは黙って頷くだけにした。何も言えずに、ただ頷いた。

直後に、通信の向こうからすすり泣く声が聞こえてきた。ターラーは、それを叱責することもない。

 

――――激戦だったのだ。あの時に付いて来た衛士達も、その半数がこの街に散ったと聞いている。ここにたどり着くまでにも、多くの衛士がやられている。無謀といえる突進についてこれなかった部隊、また途中のBETAにやられてしまった衛士は少なくない。

 

それでもターラーは、彼らの死は無駄でなかったと考えている。侵攻を止めたのもそうだが、この街の一部の民間人が、無事後方へと避難できたとの報告が上がっていた。

 

(プルティウィの名前は、無いようだったが)

 

CPからの報告で知らされた内容をかみしめたターラーは、黙った。今はそれ以上の事を言うつもりはなかった。他の中隊員もそうだ。精神的には一番タフであろうアルフレードまで、機体の中で動けないでいた。他の隊員はいわずもがなだろうと判断したのだ。

 

―――完全なる、敗戦。それを噛み締め、だがターラーは頭を垂れない。

 

ただ、空を見た。そこには、眩しいばかりの朝日が登っている。いつもの通りに。だからターラーは、今日もまたいつもと同じように通信を入れた。

 

『基地に帰投する………私達は死んでいない、だから――――帰ろう、武』

 

名前を呼ぶ声は、いつもよりもひどく優しかった。それはまるで、家に帰ろうとささやく母親のよう。それを、武はしっかと耳に収めたのであろう。ターラーは通信の向こうから、泣き声での返事があったことに、笑みを隠せなかった。

 

そして、胸から沸き上がる悔しさに唇を噛んだ。血の水滴が、滴り落ちる。

 

(忘れられないことが、また増えたな)

 

失われた命と、この光景と。

ターラーはそれを胸の奥に刻み付けると、基地への帰投を開始した。

 

 

そうして、部隊が去っていた街の跡には色々なものが残っていた。

 

かつては子供が遊んでいた広場の中央には、紫の体液と肉片が散らかっている。

 

巨体から流れる大量の体液は地面に広がり、強烈な朝日に照らされていた。

その水面が空を写している。

 

いうまでもない、紫の空で――――しかし、そこには血の赤も混じっていた。

 

完全なる紫である場所など、一つもない。それは、BETAに立向い、最後まで戦ったものが居る証拠だった。

 

 

しかし、事実上の敗戦として、この日は歴史に刻まれている。

防衛戦を維持していた戦力、その大半が壊滅した日として。

 

そして数千人の民間人が、BETAに虐殺された忌まわしき日として。

 

だが、こうも記されている。

 

 

後に英雄と謳われた部隊――――かのクラッカー中隊が、初めて他国に知られるほどの活躍を見せた日でもあると。

 

 

 

 


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