Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
怖いものは、恐れることは。
本当に手放したくないのは、何なのだろうか。
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衛士とは、何か。それは戦術機を駆る者の名前である。それが故に、今のクラッカー中隊は衛士ではなかった。乗る機体がないからだ。それまでに使っていたF-5は完全に限界を越えていた。むしろ、先の戦闘に耐え切ったことが奇跡だと整備員達は考えている。だが、次に使えば間違いなく壊れてしまうだろう。声も高く主張されたそれに、反対の声は上がるはずもない。間もなく機体の廃棄が決定されることになった。
そして、次の問題である。
敗戦によって、戦術機の総数は著しく減少してしまっている。後方より補充の衛士が送られてはいるが、その総数が足りているとも思えない。そんな中で、11機もの戦術機を用意することは可能であるのか。古くからいわゆる"あらら"と呟いてしまうような機体を使わされていたラーマ、ターラはその事について酷く心配をしていた。今は英雄という位置に立たされている。愚連隊と評されていた頃よりも立場は格段に向上した。
しかし、それまでの不遇の期間が長すぎたのだ。またまた"あちゃちゃ"な機体をあてがわれるのではないだろうか。そんな事を考え出してから、機体の廃棄が決定されてからちょうど一週間後に通達はあった。内容は、クラッカー中隊に支給される次の戦術機について。告げたのはアルシンハ・シェーカル准将である。
彼は壊滅してからは国連軍の指揮下に編入されたインドの国軍の、高級軍人だ。かつての部下の信望の厚さとその有能さゆえに、国連軍の上層部からは危険視されていた。また、シェーカル家はインドでも有数の実力者であり、また国外の権力者との繋がりも強かった。それらが原因で、閑職ともいえる役職に立たされていたのである。だが、此度の敗戦の後に司令官が責任を取ってその立場を辞した後、その位置にはアルシンハ・シェーカルが収まっていた。
基地の軍人の反応は様々であったが、大きな騒ぎにはなっていない。亜大陸での准将の活躍を知っている者が、"自主的に"周囲に触れ回ったからだと、一部のものは考えている。
「どんな手を使ったのかは、想像したくないがな」
通達を受け、ハンガーへと向かう廊下の中でターラーは感想を言う。ラーマもそれに同意する。しかし有能なのは確かで、それが最優先すべきものであるとも考えていた。他の隊員も同様の意見を持っている。勝たせてくれる指揮官なら文句はないと。
「でも性格は悪そうだったな」
さきほど呼び出された司令官の部屋であったやり取りを思い出し、アーサーはぽつりと呟いた。
「"ふむ、何故事前に通達されなかったでしょうか、か――――驚く顔が見たかったからだが"、か。むしろいい性格をしている、と言うべきだろうな。それでもマイナスなイメージにはならないが」
同じ優秀な指揮官でも、生真面目であるよりは変人である方がいいとは彼の持論だ。堅いだけではなく、柔らかくしぶとくどこまでも形を変えられそうな。何事にも余裕をもって臨機応変に対応してくれる方が、自分たちが生き残る確率も高くなるだろうと。
「でも、機体の事を考えると怖いわね。一体どんなものが出てくることやら」
「………せめてF-5/Eは欲しいです。いや、今までの相棒を否定するんじゃないですが」
それでも、これ以上あの第一世代機相当の低スペックな戦術機で戦うのは勘弁だ。樹の正直な言葉に、ほとんどの者が同意していた。ずっと朝から無言であった、サーシャと武でさえも。少し空気が硬くなる中、インファンは新人の二人に話を振った。戦死した二名の穴を埋められる者として中隊に入れられた二人のことである。
女性と男性。前者は葉玉玲、後者はグエン・ヴァン・カーンという。
長身でスタイルの良い黒髪の台湾人と、いかにもマッチョなベトナム人。
並んで歩いてる二人方に向き直り、インファンは言った。
「二人が前に使っていた機体は、F-5/Eだったよね。一緒に廃棄される予定って聞いたけど、それもやっぱり機体が限界だったから?」
「………コックピットをかじられてたから。修復するにも時間がかかると聞いた」
「そういえば、ユーリンの隊は戦車級の群れに襲われたんだっけ」
追撃戦を仕掛けている最中だ。ベンジャミン大尉が率いる第3中隊は、突如こちらに反転してきた要塞級と戦車級とぶつかった。混戦になった後に、残ったのは練度が高かった二機のみ。隊長であるベンジャミン"中佐"は、何とか挽回しようとした一瞬の隙をつかれ、衝角の溶解液と共に液体となった。今頃は大地の養分となっていることだろう。その時の光景を思い出したユーリンが、若干顔色を青くする。
「………統一した方が良い、とも」
ちょっと暗い声で答えたのは、もう一人の新しい隊員である。ベトナム出身の25歳。ターラー中尉と同年齢である彼の外見は、ヒゲの濃い強面の大男である。隊で最も身長が高いフランツより、わずかに下。しかし体格はグエンの方が完全に大きい。そして眼光は、鋭い。気の弱い子供が見れば泣き出すほどに。見た目の威圧感もあいまってか、完全にそっち系統のものしか思えないほどだ。これで頬に傷でもあれば、完璧だったろうというのはインファンの感想。実際に、プルティウィに会って泣かれたこともある。年若い衛士なら、直接話すことを避けるぐらいの強面の衛士だった。無口である事が余計に"その筋っぽい人"という雰囲気に拍車がかかっている。
「統一………ああ、中隊の中で統一した方が良いと。准将に言われましたか」
「その通りだ」
頷くグエン。対するインファンは満足そうに頷いた。傍目に見ていた一同は、思った。まるで親娘のように見えると。
そうしているうちに、ハンガーの入り口に到着した。
「うわ暗っ」
リーサが呟いた。ハンガーの中は照明がわずかしか灯されておらず、視界のほとんどが黒に覆われている。今は夜中で、この区画にある他の部隊は整備が止まっていると聞いていた。だが、それにしても暗すぎる。何も見えないというほどではないので歩くことはできるのだが。戸惑っている皆の前に、中肉中背の人物が現れた。
「来られましたか………こちらに」
声は、影行のものだ。皆は戸惑いを持続させながらも、言われた通りについていく。
やがて、いつもの自分たちの機体があった所まで来ただろうか。
「いや、ここは私達のハンガーだな………ほら」
夜目が聞くリーサが指す先。そこには輪郭しかみえないが、確かに戦術機が存在していた。だが、暗くてその機体の種類は判別できない。不審に思ったターラーが、何のつもりであるかを影行に問い正す。それに対して、影行は呆れが混じった声で答えた。准将殿の提案です、と。
「そうか、なら――――」
「ええ」
影行が合図の懐中電灯を一瞬だけ照らす―――――直後に、照明が点火された。隊員の前で、その機体の全容が明らかになる。搬入された機体は、なんであるのか。
まず一番最初に口にしたのは、紫藤であった。
「は、はち………89式戦術歩行戦闘機………!?」
TYPE94《不知火》が登場するまでは、日本帝国軍の主力となっていた機体。
「F-15J、陽炎!?」
それは生粋の対BETA用兵器として生み出された、米国の第二世代戦術機
「いやいや樹クンよぉ。いくらなんでも、そんなバリッバリの第二世代機がこんな所に………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………在るよおいぃ!?」
沈黙することちょうど3分。その機体をたっぷり見た後に、アーサーは叫んだ。F-5とは明らかに違う、全体的にスリムとなった造形。全体的に角張っておらず、どこか人間的な丸みさえ感じさせられる。第一世代機であるF-5の、それも初期タイプである機体よりも明らかに洗練された機体。そこには、人間の知恵による工夫があった。死線を潜ったものだからこそ分かる、戦術機の能力の高さが垣間見える。これは、先人の犠牲の上に培われたもの。何より誰よりBETAに勝つためにと、開発された次世代の機体だ。それを否定することは、誰にもできない。
讃えるべきだ。中隊の中で、拍手と喝采が鳴り響いた―――――が。
(ちょっと、素直に喜べんぞコレ)
ターラーとラーマだけは内心で冷や汗を流していた。常識的に考えて、こんな機体がこんな所に配属されるはずがない。しかも自分たちは日本の軍隊ではない、国連軍だ。日本帝国の陸軍に優先して回される機体であるはず。それなのに12機の陽炎は幻ではありえず、ここに存在している。
一体、裏でどんな取り引きが成されたのだと、戦慄の思いさえも浮かんでいる。
(だが――――文句はないな。申し分ない)
どんな経緯で手に入れようと、戦術機の能力が変わるはずがない。手に入れたというのは事実。今はそれを喜ぶべきだろうと、ポジティヴに考えることにした。ターラーは笑う。何よりようやく、求めていたプランを進められるのだと。多少の裏はあろうが、それだけは事実であるのだから。
「で、冷静になった後はお待ちかねの訓練だ」
シミュレーターの中。機体がF-15Jのそれに設定された中、ターラー中尉は鬼教官としての顔を隊員に見せていた。ほとんどの隊員が身体を震わせる。否、隊長でさえも身体を震わせていた。
例外といえば、事情を知らないユーリンとグエンだけである。
「えっと………武? なんだか背筋に寒気がするんだけど、これから何が始まるの」
「地獄です」
条件反射的に、武は答える。聞いたユーリンは理解できないと首を傾げた。
そこにターラー中尉から通信の声が。
「陣形の右翼と左翼でそれぞれチームを。5対5で対戦、私は審判を務める…………負けた方は不名誉なアダ名とそれを肯定する態度を一ヶ月」
ちなみにここでいうアダ名とは仇なす名前という意味だ。聞くだけで怒りが沸いてくるか、転げまわりたくなる名前。それも過去に類をみない長期間である。わりと心とコンプレックスと過去をいい角度で抉ってくるそれは、敗者の罰ゲームとしては上級のものである。
しかも"肯定"のオプションがつけられている。これは由々しきことである。
その被害が最も大きかったのは樹である。つけられた仇名は紫藤樹"子"。ふるまいは女らしくしろというもの。生来の生真面目さゆえ、罰だからと今は亡き母の振る舞いを思い出しながら実行した一週間。気づけば、彼に思いを馳せる者は基地の中で10倍になっていた。
実際に男から告白された回数は20回にのぼる。この基地の女性のトップであったリーサを二倍以上引き離す、疑いようのないトップの実績である。ちなみに被害者の次点はアーサーである。つけられた名前はアルトリア。アーサだからアルトリウスであり、女性名はアルトリアにしろということである。フランツあたりは笑死しかねないほどに笑っていた。しかも年下であるサーシャをお姉ちゃんと呼ぶように、と注文をつけられたのだ。身長でいえば大差もない二人だから、違和感も小さくて、だからこそ破壊力も大きかった。
「また、憎しみが憎しみを呼ぶ日が始まる………」
汝、右の頬を打たれれば左の頬を打ち返すべし。人間的な醜さを全開にして始まった仇名合戦は各員に消えない心の傷を負わせたのである。そうして、実戦と変わらないやる気を引き出された訓練が始まった。第二世代機だからして、機体に慣れるのを優先として―――――などという微温湯は用意されていない。死にたくなければ慣れろ。出なければ踏み台になれ。戦場の非情さが満面に出た結果である。
だが、いつもとは様相が違う部分があった。始まってからちょうど5分後である。前衛であるリーサ、アーサー、フランツの眼からより一層の喜びの言葉がこぼれ出た。否、叫びにすらなっている。この機体を考えた開発者になら尻を掘られてもいいと、それほどに歓喜していた。
そこに嘘はなかった。嘘があろうはずがない。
第一世代機とは段違いの反応速度。今までならば背中に冷や汗が流れ、髪質も盛大に傷んでいたであろう心臓も締まる窮地でさえも、鼻歌交じりに乗り越えることができる。外形、フォルムも機動力重視で作られているからであろう、跳躍した後の機体の制御の難度も段違い。風を真正面から受けるだけしかできなかった前の機体とは、レポートにした後で学会で絶叫したいぐらいに違う。
ラーマと、ターラーは涙さえも出ていた。胸の中が感謝の心で一杯になっているからだ。性能なし、保証なし、退路なし。それまでに強いられていた死線を思い返したが故の感涙であった。近接戦闘を主として作られた機体で扱いにくい、という意見は皆無である。
それもそうであろう。激しく動けば動くほど機体の軋みが感じられる、ボロい吊り橋と同等のものであった末期状態のF-5と比べるのが間違いだ。動けば動くほどに機体の状態はレッドゾーンに近づいていく。だけど動かなければ死は免れない。
そんな中で、上手に"やりくり"できた者だけが生き残る。
出来なかった者は――――
『………ターラー教官。この機体があれば、あの二人は死なずに済んだのかな』
通信の声が響く。機体に足を引っ張られずに、今もここにいたかもしれない。
そう呟く武に、ターラーは言った。
『そうかもしれん。だが、代わりに他の誰かが死んでいたかもしれんな。高い性能をもつ機体だからと、前線に駆り出されていただろう。全滅していたかもしれん………もしも、たらればの話だがな。可能性はいくらでもある』
あるいは、もっと訓練に集中していれば。可能性の話を広げていくターラーは、最後に言った。
『だから"今"だ。ただ現在の時に在る自分を思い、そして集中しろ。次に誰かを失う時に後悔しないように。精一杯やれば、悔いも少なくなるかもしれない』
でなければ、負ける。今の勝負でもそうだった。三本先取の勝負だが、武がいるチームはすでに二本を連続して取られている。
『戦場も敗北も経験したお前に、今更口うるさくは言わん。やるべき事も分かるだろう』
『分かります………でも過去を………後ろは振り返るな、ってことですか? 死んだ二人を忘れた方がいいっていうなら、それはできません』
次の戦いのために頑張った方がいいのは分かっている。だけど、そんなに早く忘れることはできないと武は言う。いつものように振る舞うアーサーに、内心で苛ついていたのだ。どうしてそんなに早く忘れることができるのか、と。
慣れているからか。それなら、自分は慣れなくてもいいと武は思っている。
ターラーは、そんな武の主張に対して、黙って首を横に振った。忘れる必要はないと。
『忘れられんさ。私だってそうだ。大切な記憶は覚えていればいいさ。抱え込むのも背負うのも当人の自由だ』
だけど、と告げる。
『あいつらも私も、良くも悪くも慣れている………だけどお前は違う。慣れなくていい部分もあるし、お前には理解し難いであろうことも想像はつく。だけど、誰一人悲しんでないということはないさ。ただ、お前よりも敗北してきた数が多いだけ。その度に立ち直り、理解してきたんだよ』
仲間が死んだからといって、泣いてその場に立ち止まっていいという理由にはならない現実を。
優しさでさえ欠点とされかねない世界で、個人の感情を斟酌しない世界があること。
故に否が応にでも成すべきことがあり、それより優先するべきことがあまりにも少ないのだと、理解させられてきた。
―――だから集中しろ、と。
告げられる言葉に、武は完全に納得できないまでも頷いた。そのまま、勝負は二本連続で武のチームが取り、最後は相打ちの引き分けとなった。
それからはまた訓練の日々が始まった。ダッカの基地において、他の衛士や戦車兵、歩兵や指揮官にまで注目される中、密度の高いシゴキのような訓練が繰り返される。シミュレーターに実機に、一刻も早く元の精度での連携が出来るように。丹念に粗を潰し、都度修正を繰り返す。
また、それまでの第一世代機、しかもスペックでは底辺であったF-5を使っていた時には採用できなかった機動も試し始めた。第一世代機と第二世代機の違いは数あれど、特に異なるのはその運動性だ。乗り換えた者は総じてこういう。"まるで水の中から解放されたようだ"と。それだけに最初はあまりの機体の反応の速さに戸惑うが、それもモノにすればこの上ない武器となる。
それまでは危険すぎて使われなかった機動パターンも、十分に実戦で使えるレベルに持っていけるというもの。
また、
クラッカー中隊は元々が前線でガチガチにやり合う戦術を使っていた。斬り込み斬り拓く役割を主として鍛え上げているゆえ、長刀を扱う技量は他の部隊と一線を画しているといえるぐらいに高い。
剣術に長じているとは言いがたいが、実戦の経験は多い。20回出撃すれば大ベテランと言われるこの世界で、ゆうにそれを越えるぐらいの出撃は経験している。そのほとんどが最前列での斬り込み役だ。否が応でもコツを掴んでしまうというもの。
研究熱心なのもいい方向に作用したと言える。防衛戦の中でも、特に前衛の4人だが、隙あれば日本人部隊の長刀の使い方などを盗み見て、部分的に自分のものとしていた。紫藤に指摘されては修正を繰り返し、戦術の幅を広げていくその熱意は、樹をして寒気がする程のものだった。
何よりも崩れてはならない隊の切っ先として、潰されないように研鑽を重ねようとしているのだ。
それは新しい二人の隊員も同様だ。ユーリンとグエンの二人は、最初の方こそついてこれなかったものの、一週間も経過すれば隊の訓練の内容に慣れるようになっていた。
彼らは最初に入った頃は連携のシビアさに目を丸くしていたが、必要なものであることを理解すると、積極的に意見を交換していくことを選ぶ。幸いにして、二人とも体力には自信があった。普通の隊員ならばその日その日の訓練に振り回されるだけでダウンし、悪態を吐きつつ自室のベッドに転がり込んでいただろう。だが、この二人は訓練の後の意見交換の場に出席できるぐらいの体力があった。そして精神力もである。
この隊の訓練で何が疲れるかというと、訓練の度に何かしら一つの目的を達成することを課せられているからだ。幾度も繰り返される無茶な設定での訓練の中、思考をフル回転させ全力で技量が上がる方法を模索し続けなければならない。幸いにして、アドバイスの声には事欠かない。実践するのに多大な労力と集中力が必要になるので、終わった頃には精根も尽き果てて頭が痛くなるが。
だが、体力がそれをカバーした。二人とも純粋な体力では、同年代でもトップクラスと言えるぐらいのものはもっている。規定の訓練に加え、不足していると感じれば走り込みなども行っていたお陰と言える。そのため、精神は疲れども身体の疲労と連鎖して意識を失うということはなかった。
もう一つ、耐えられた別の理由がある。それは、ユーリンとグエンも、少ないとはいえプルティウィと接していた経験があるということ。そして、タンガイルの街の中であの惨状を見せつけられたことだ。それまでに存在していた少なからぬ自負は、あの惨劇により木っ端微塵に打ち砕かれた。他の衛士も同様だ。多くの衛士が自分の無力を痛感させられ、自分の軍人としての意義を見失ってしまった者すら出る始末。だが、立ち上がる者もいた。自分の胸に刻み付け、忘れないと同時に次の戦闘に挑む気概の糧とする猛者も。
それが、中隊の面々である。多くはぐうの音も出ないぐらいの敗戦を経験している。近年のBETA大戦における欧州戦線とはそういう場所であったし、スワラージでの損耗率は歴史的なものである。
だが、この隊に来てからの敗戦。それも幼子を守れず、民間人が目の前で食い殺されていくというのは、泥に慣れたリーサ達でも胸の奥を揺さぶられるものがあった。そして防衛戦でそれまでにない活躍を重ねたこともあり、"この隊ならば"と思える部分を持っていた。
しかし、負けた。徹底的に、仲間まで失った。
武は昏睡状態にあったので見ることがなかったが、基地に帰投してから翌日までは半ば自失の状態にあった。心を砕かれたといってもいい。しかし、それは同時に心の影にあった慢心を消し去ることにも成功した。
今の彼らの胸の中に、共通して浮かぶものがある。
それは――――"どの面を下げていい気になってやがったんだ"と、それまでの自分を恥じる言葉であった。
まず、アドバイスの言葉を素直に受け入れるようになった。自分のスタンスもあるから、と受け入れなかった指摘や意見も、聞く前から拒否せずにまずは噛み砕くようになっていた。
それまでの訓練が無駄であったとはいわない。だけど、死んでも向上したいと、何をしてでも向上したいという意志は持っていたか。自分に問い、迷わず"是"と答えられるほどのものではない。必死の念が最大になったのは、街にBETAが迫っているとの報告があった後だ。BETAの群れを蹴散らしながら進んでいた時のことを思い出す。必死になって、前だけを意識して突っ切ったあの時。
――――もっと必死になって技量を伸ばせば。あるいは、もう数人であっても、助けられたのではないか。同じ衛士からすれば、それは高望みだと言うだろう。だが、それだけに彼らの技量は高まっていたのだ。人間は完全ではなく、欠点を言いはじめればキリがない。むしろ英雄的な活躍をしたお前たちが何をいうのか、と呆れるかもしれない。
しかし、彼らの中には悔いるべき部分があった。そして、そこから眼を逸らして誤魔化せるほどに器用な性格はしていない。悔いて、そして恥じた上で結論を出す。昨日のアルフレードの言葉は欧州出身の4人の胸に共通する思いだ。無様なマネを見せた。だからこそ、何でもしなければならないと思っている。
その意識のすり合わせも行われている。新しい機体で実機の訓練を行った後のことだ。ラーマはミーティングルームに皆を集まると、手元にある紙を見せる。そこにはシンボルのような絵が描かれていた。まずは中心に見事な銀色の槍が一つ。切っ先は鋭く、だが余計な装飾は施されていない。その周囲には様々な色の玉が散りばめられている。背景には、青く大きい玉が描かれている。
「大尉、これは?」
「この中隊の部隊章だ」
注文していたのが届いた、とラーマは説明をする。
「………銀色の槍は、まあ納得できるものとして」
槍というのは、先の戦闘でのことだろう。色の意味などは、今更問うこともない。
しかし、他の玉の意味が分からない。首を傾げる一同の中、インファンが手を上げた。
「この玉って、あれですよね。基地の中で噂されている通称から取ったんでしょうか?」
「ああ。無駄に格好が良いシンボルも、俺達らしくないと思ってな」
「………なるほど」
頷いているのは、インファンとユーリン。そして注文したラーマとターラーだけだ。他の者達は通称、と聞いてもピンときていない。ただ、アルフレードは心当たりがあった。
「噂って、アレですよね。この部隊の活躍にちなんでつけられたって名前――――――"ファイアー・クラッカーズ"っていう」
あるいは、フレイム・クラッカーズとか。
意味は分かりませんがとのアルフレードの言葉に答えたのは、インファンだ。
「そのまんまの意味だと、"かんしゃく玉"っていう中国の花火の一種ですよ。とはいっても、空に打ち上げる類のものではなく、ただ火薬を使って大きな音を出すための玩具です」
ただ、私達の隊には転じた意味で使われてるみたいです。
もったいぶった挙句に、インファンは言った。
「種類そのもの。絶望の夜暗を照らす、人の手で創りだされた輝く星――――"花火"として讃えられているとか何とか」
言うなり、インファンは聞いて回った事を整理して説明する。元々が派手な戦闘をすることで有名であったクラッカー中隊。先の戦闘では、BETAの群れの中を突っ切った後、ついてくる部隊と共に街でBETAの多くを蹴散らした。
正しく、夜の中に打ち上げられた挙句に爆発する花火のよう。
光となった、という意味合いもあるらしい。
「前衛の4人はまんま"かんしゃく玉"っぽかったですしね。その影響もあるかと。なんせ、敵の前を派手に飛び回って囮になって引きつける。かつ多くのBETAをなぎ倒す戦いっぷりから、嵐にも例えられてますよ」
曰く、ストーム・バンガードと火のような戦い方を組み合わせて、"ファイア・ストーム"。
それを聞いた4人が顔をしかめた――――なんかダサい、と。
「それでも、二つ名っぽいもので呼ばれるようにはなってます。上のお歴々の意図もあってか、幾分か噂が助長されているようですが」
「士気の回復のためにはなんでもやる、か。好都合ではあるな。准将殿の意見も多分に含まれてはいるだろうが」
それでも、見習わなければならない。否定してはならないと、ターラーは言う。
「
それまでには幾分かあった遊びが、一切消された声。長期間の実戦は人としての格をも向上させることがある。その代表格であるターラー・ホワイトの、威圧感さえ感じさせる言葉を前に、
ラーマ以外の全員が姿勢を正した。
そんな彼らをゆっくり見回した後、徐に口を開く。
「昨晩、白銀に伝えたことをもう一度だけ言う。これより我ら中隊はこの基地、いやこの地域においての英雄として扱われるだろう。内外に問わず、だ。それは名誉であるが、同時に――――最も危険な任務に最優先であてがわれるということを意味する」
それは、ボパールで突入部隊として選ばれたエース部隊と同じだ。
最も強いから、最も危険な所で戦う。それは軍における義務でもある。
「そして、普通のエースとも異なる。前線の士気を保つ存在になることを意味する。故に何よりも――――我らの隊が敗北することは"絶対に許されなくなる"」
冗談ではなく、クラッカー中隊の壊滅と前線の士気の崩壊は同義になる。
そうなれば、多くの将兵が死ぬことになるだろう。それは他の兵の命を背負うことを意味する。
「逃げるなら今の内だ、とも言えなくなった。もはや私達に後戻りの道は残されていないようだ」
部隊のシンボルに、最新鋭に近い機体。受け取ったからには、その役割から逃げるのは許されないだろう。それを察している武以外の全員は、つばを呑んだ。
英雄と呼ばれる部隊、その役割についてはある程度の事は理解している。だがこうして言葉にされると、その重みを否が応にでも意識させられるというもの。告げられたと同時に、全員が自分の肩と背中にかかる重力が増えたように感じた。責任と命という名の重圧が、隊員達を襲った瞬間である。それはあまりに重いものである。
命は尊く、容易く失われないもの。目の前で多くの死を見てきた武達にとって、そんな銃後の人権屋が囀る建前を信じることはもはやできない。しかし、命は重いのである。戦死した二人と同様に、様々な環境にあって戦ってきた者達の死は絶対に軽くない。守れなかった民間人もそうだ。プルティウィのような、あるいは子供を差し出しても生きようとした者達も。
それぞれが生きていた。それぞれの理由をもって、それぞれの一所で懸命に生きていた。
考えれば考えるほどに、背負わされる重みは全身が押し潰されるもののように感じられる。
――――だが、その重みは立つ理由にさえなってくれる。新しく入った二人でさえも。膝を揺らすことなく、しっかりと姿勢を崩さずにターラーを見返した。
その眼の光は鈍ってはいない。むしろ、輝きすぎるほどに、輝いている。
絶望せずに、真っ直ぐに前を見ている。
それを見たターラーは、今まさに口にしようとしていた言葉をかき消した。"逃げたいものはいるか"――――との問いは、ターラーのただの苦笑に変わった。
ラーマも、ターラーの内心を察して同意する。むしろ問うことが侮辱に値すると、苦笑を重ねた。
そうした緊迫した空気の中で、それぞれが一歩前に出た。
最初に、アーサーが。
「やってやりますよ。みっともなくても、相応でない立場でも何でも使ってやる。英雄だって持ち上げられた上でも――――上等です。誇れるぐらいの実績を叩きつけてやります。死んだあいつらに届くぐらいに」
次に負けじと、フランツが。
「………チビに同意するのも癪ですが、同じ意見です。これ以上は負けられない。何より、これ以上みっともない姿を見せるなら首を吊った方がマシだ。没落したといえど、血に嘘はつかない――――シャルヴェの名前に誓いますよ」
前衛の最後として、リーサが。
「先にア―サーの馬鹿に言われましたがね。なんとまあ、突撃前衛であるアタシ達が情けないことで………借りを返す意味でも、この先は私が率先して前に出ます。先頭で、全力で、誰もこれ以上は潰させやしない。名誉の挽回も、汚名の返上も、この隊の一番前列でやってやる」
後ろは守りますよ、と紫藤が。
「BETAどもを斬って裂いて踏みつけて乗り越えてやります。敵前にして背中を見せるは士道の不覚悟。いわんや仲間の遺志を継いだ後で逃げるというのなら、それは人間としての失格でしょう……何より、あの敗戦の恥を濯ぐ機会が得られるというのならば、ここで退く道理はない」
新人ですが、とユーリンが。
「一言二言、話しただけですが――――プルティウィはいい娘でした。幼いながらも、いい子だったんです……隊の皆も、あまり積極的に話したことはありませんが、信頼するに足る戦友でした。そしてこれからも、共に戦ってくれる仲間がいるというのならこれ以上のことはない」
同意する、とグエンが。
「子供が死んで、それで良い筈がない。俺のような奴こそ、先に死ぬべきだったが、出来なかった………生き恥は注げないが、これ以上の無様を重ねる事こそ無為。ここで、最前線で自分が戦わない理由はない。噂に聞こえたこの部隊で共に戦えるのなら尚更だ」
私も逃げません、とインファンが。
「逃げるのなんてゴメンです。逃げていいことなんて、一つもない。原因や敵や問題がどうであれ、目の前にあることから逃げた奴の末路なんて一つだけ。何より"あの子"のために………死のうとするバカ達を止めるためでも……その資格があるか分かりませんが、逃げることだけはしません」
ラーマとターラーを含め、9人が決意の言葉と共に一歩だけ前に出る。
残る二人は、まだその場にいた。
沈黙が流れる。だが、誰も振り返ることはしなかった。
誰もが無言になる中。
サーシャが、小さく前に踏み出した。
「怖いです。隊のみんなを失うのは、本当に………怖い」
歩幅は小さく、まだ踏み出した先の7人の後ろに埋もれているサーシャ。
だが、更に一歩、大きく前に踏み出した。
「でも何もせずに逃げるのは、もっと怖いんです。死んだあの人達の感情が、全部無駄だったって認めることも怖い。だから……戦います。怖くない方と戦います。怖いものと、一緒に戦ってくれる道を選びます」
真っ直ぐな視線の先には、ラーマの姿が。ゆっくりと眼を閉じた後、開くと同時に頷いた。
最後に残ったのは、白銀武。全ては、この少年から始まったのだ。彼を基点として、様々なことが繋がった。ゆえに、部隊章に描かれた槍の色は"白銀"――――それに異を唱えるものなどいない。
「俺は………」
声に覇気はない。いつもの無邪気さはなかった。
「俺は、英雄なんかじゃない。いつだって、誰も……目の前で死んでいった。守ることができなかった…………肝心な所で踏ん張りきれなかった。大切な人は、いつも俺より先に消えていく」
記憶の端に掠れる想いが言う。
今は存在もしない、だが確かにそこにあった死があったと。
――――◯宮◯◯曹は目の前で兵◯級に。
――――柏◯は、跡形も残らなかったと聞いた。
――――伊◯大尉は粉微塵に砕かれて。
――――涼◯中尉は最後の血痕しか。
――――◯瀬中尉は最後まで見届けられず。
――――た◯は胴より下がなかった。
――――爆音と共に消えた委◯◯と◯峰。
――――隔壁の向こうに消えた美◯。
――――諸共に撃つことしか出来なかった◯夜。
――――そして、純夏。動かなくなっていくあいつと、叫ぶ◯◯。
それ以外にも、多くの戦場があった。数えられないほど多く、死を見てきた。笑い合っていた仲間が俺の目の前で散っていった。うろ覚えだが、どうしてかでかい津波に飲み込まれ、逃げることさえもままならず共に飲まれたこともあった。遠い記憶の彼方。守れなかったのは、あまりにも多すぎた。
本当にひどい話だと思う。どこの誰が、こんな世界にしたのだろうか。厳しい現実しか存在しない、世界の優しさを信じることができないような、希望も糞もない世界に。人間が努力を積み重ねた上に命を賭けようとも、BETAはいとも容易く全てを奪っていった。今回も同じだった。ラムナーヤも、目の前で死んでしまった。ビルヴァールは、あの村で死んでしまった。
プルティウィも、同じ地で肉片となったらしい。自分の片手で両手を覆い隠せる程に小さな手を持つ少女が、あの醜悪な化け物共に。
(許せない)
武は、奪われる度に思い知らされてきた。かつてのように、自分には何も守れないんじゃないかと言われているような気がしていた。戦いに挑んで勝利したとしても、最後には大切な人達すべて消え去ってしまうんじゃないかと。
いずれは、サーシャ達もターラー中尉も、ラーマ大尉も。リーサもアルフも樹もアーサーもフランツも。そしてユーリンもカーン少尉も。全部、BETAに殺され、自分の前から消えてしまうんじゃないかと、武は思ってしまっていた。
だから、怖いと。その死の瞬間が容易に想像される。見えてしまえば、手の震えが止まらなくなると、一歩踏み出すことができないでいた。
誰かが言う。"白銀武"にとって戦場とは、ある意味で自己の無力さ加減を痛感させられる場所でしかないと笑っているような。
(誤魔化さずにいえば――――なんで俺があんな場所に行かなきゃならないんだ、と思う部分もある)
逃げればその場面を見ずに済む。それに、自分は子供だ。戦うのは大人の仕事であることは武も知っていた。だから、大人に任せればいいと。11歳は言い訳になるだろうと。もう十分だって言ってくれれば、俺はどこかに逃げることができるという考えはあった。
そのまま、武はその先の光景を想像してみた。何もかも捨てて逃げた先にある、未来の自分を。子供らしく、何もかもが上手くいくという希望の未来がそこには映っていた。
だが同時に、鍛えられた軍人としての自分は、一つの考えを浮かび上がらせていた。自分が抜けた後のこと。この損害も大きい戦術機部隊において、辛い役所が誰に任されるというのか。この中隊以外に存在しない。そして中隊の皆は、こうして決意している。あの時と同じだ。頼れる女性が多すぎたあの◯ァ◯キ◯◯◯と同じで、誰も課せられた役割から目を逸らしていない。ましてや逃げるだなんて、微塵も考えていないから。
だから、見捨てて逃げるなんて、選べない。そこまで考えた時、武は思い出していた。
以前に迷った時。逃げるかどうかに悩み、そして選択した時のことを。
一つは、初出撃の前。そして、ラダビノット大佐に問われた時。
亜大陸撤退戦の直前と、その直後だ。
(サーシャの前で何を誓った………俺はあの時の朝焼けに、何を)
撤退戦の末期も死があふれていた。戦死する仲間。その度に見上げた空は、人の気持ちも知らずに綺麗に輝く夕焼けで。ラダビノット大佐に誓った時も、夕焼けだった。そして全部を賭けた。そうして俺は軍人になった。軍人として任務を全うすることを選択した。
俺の代わりに死んでいった、ハリーシュとシャールに誓ったのだ。
船の上から見た夕焼けを見ながら、決意をしたはずだ。
だから、選ばなければならない。
誓いを違えて決意を汚すか、あるいは。
「………ターラー中尉」
「なんだ」
「人類に………俺達に勝ち目はあるんでしょうか」
勝算はあるのでしょうか。武の問いに、ターラーは口を閉ざしたまま、答えることはしない。
ただ、告げた。お前はもう知っているだろうと諭すように。
(………そうだった。訓練の最初に教えられたっけ)
訓練生の誰かが問うた時だ。人類に勝ち目はあるんですか、の問いにターラー教官はこう答えた。
「勝算は、探しても見つからない。見つけようなんて、楽しようなんて考えてはならない。勝ちの芽は、負け犬の前では育たない」
どうしても勝ちたいというのであれば。前を向くのが最低限。
そして、そうだ。
「勝算は――――自分の手で作らなければならない、ですね」
戦場に出て、命を賭けて戦って。そこで初めて勝算は"見い出せる"のだ。下を向いて立ち止まっている負け犬に見つけられるものではない。勝つためには、前に進むしかない。勝算は、いつだって前にあるのだから。
武は、一歩前に踏み出した。小さく前に。武の脳裏に、誰かの死がちらつく。踏み出す度死んでいった者達の顔が浮かんでは消えた。忘れずに覚えている証拠だった。これこそが忘れないという意志を証明するものである。
最後に武は、大きく一歩を踏み出した。
背中を見ることになった他の隊員の口が、それぞれの形に釣り上がる。
「守りたい。負けたくない。だから戦います………そう決めました」
「………そうか」
頷き、ターラーはじっと武を見つめながら口を開く。
「一つだけ付け加えておこう。英雄と呼ばれても、やることは変わらない。ただ、戦って勝ちまくればいいだけだ。特別扱いも何もない。名誉がいらなければ紙に丸めて捨てればいい。だが、勝つためにできることが増える」
「死んだ仲間のために、ですね」
「ああ。偉大なる戦友の死に報いるために、だ。他人の評価がどうであれ、自分の在り方を曲げる必要はない。枷だと思って自分の重しにするもよし。勝つために利用するもよし。何より本当の英雄である、今までに散っていった仲間の代わりとして戦うのも良しだ」
「なら、戦います。勝つために………負けて、これ以上失わないために。勝算は、前にしかありませんから」
選択肢はなかったんです、はじめから。告げながら、武は自分の頭をかいた。
「お手数をおかけしました――――ほんと、何度目の決意でしょうか。揺らいでぶれて、弱音ばっかり吐いちまう。自分が情けないです………すみません、いつも世話かけちまって」
「謝る理由はない。人間の決意は時間と共に揺らぐものだ。でも、仲間がいればまた立ち上がる事ができる」
ターラーは笑い、手を差し出した。
「立ち上がれなければ手を貸そう。利用すればいい。それに――――大人なんだ。お前の体重ていど、支えきれないでどうする」
「ありがとうございます。でも、俺はもう立てているつもりですけど」
「なら、これは握手でいいさ」
もう、頭は撫でられないなと苦笑する。重いものを背負わせている自覚はあるが、憐れむのも侮辱だと考えている。子供ではあるが対等の覚悟を持っていると。そう認めたが故にターラーは手を差し出したのだ。
それを、武は迷わずに握り返した。そのまま、無言で見つめ合う事数秒。そのうち互いにおかしくなってしまったのか、口元が緩んだ。喜び、ではある。だがその表情は複雑に過ぎて、含められた感情は言葉で語れるものではなかった。
だが、悪い感情だけがこめられているのではない。その証拠が二人の顔である。
「おいおい、仲間外れはよしてくれよ?」
二人の手の上に。ラーマの手が重ねられた。更にサーシャの、リーサの、アルフレードの、アーサーの、フランツの、紫藤の、グエンの、ユーリンの、インファンの手が重ねられる。
試合前の円陣みたいだな、とアーサーが笑う。死合いには違いないと、紫藤が苦笑する。
だけど死んで済ませるつもりはないと、全員が頷いた。そして視線は武のもとに。
見られた武は集中する11対の意志に少し戸惑ったが、少し深呼吸をした後に言った。
「―――――――勝とう!」
何に、とも言わない武の号令に全員が、応と返した。
ここに結成は成されたのだ。それまではどこかバラバラであった中隊の面々は、一つの形に進化した。共通する思いはあれど、方向性が若干ずれていた皆だが、今ここにあって二つの新しい仲間と共に、同じ目的に向かうことになったのである。
同じ敗戦の中で、同じ恥を自覚して、同じ目的を背負う。同じ汚泥を味わった仲間と呼べる存在。それは、同志といっても過言ではない関係だ。
生まれも国も信念も異なるこの中隊の心は、同じく異なる故郷をもつ仲間の死を経て一つになった。
時は1995年、日本には春がおとずれる月。
武がインドに渡った2年後の出来事であった。