Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
「まったく、アイツラと来たら………ッ!」
何度思い出しても腹が立つ。私は宿舎の廊下を歩きながら、何度殴っても飽きたらない奴らに罵倒の声を重ねていた。正面に居る初年度の訓練生が道を譲る気配がしたが、どうでも良かった。何もかもどうでもいいほどに怒りの感情は強くなっている。そのせいで身体がだるいけど、ここに来て『はいそうですか』って流せるはずも、冷静になれるはずもなかった。
だけどこのままでは体力が消耗して、下手をしなくても明日の訓練に障ってしまう。それでは悪循環の繰り返しになってしまうだろう。まずは落ち着きを取り戻した方がいい。そう判断した私は宿舎から出ると少し離れた位置にある"とある場所"を目指し歩くことにした。
私だけが知っている秘密の場所で、一人になれる憩いの場所だ。特別風景が良いということはなく、そこにあるのは申し訳程度に季節の花だけ。それだけで良かった。川に近いお陰か風の通りがよく、じっとしていれば爽やかな風と一緒に花の香りも漂ってくる。湿気の多いこの季節の倦怠感を吹き飛ばしてくれるような。そんな心地の良い爽風が、頬を撫でてくれる場所でもあるから。
何より、誰も知らないというのが良い。特に友達もいない、それどころか周囲が敵だらけである私にとっては十分に居心地のいい場所になるから。そこで寝転びながら見上げる空は、本当に気持ちいいのだ。それでも、雲を見ていると余計な顔や感情が沸いてくるのだけれど。
(落ち着きたいのに……くそっ!)
脳裏に浮かび上がったのは敵の顔だった。特定の誰かではない。なぜなら、周囲のほぼ全てが敵であるからだ。訓練生の中に私の味方となってくれる人間はいない。原因はわかりきっていた。自分が、中国人と台湾人のハーフだからだ。
たったそれだけ。でも罵詈雑言を重ねるには十分な理由だったらしい。教官も同様だった。私に反省すべき点があれば受け入れられたかもしれないけど、それが無いのであれば撥ね退ける以外の事はできない。先ほどの同期生とのやり取りもそんな事で、思い出してしまった私はまた怒気を膨らませることになった。
あまりの怒りに鼓動が早くなり、自分の顔が紅潮していくのが分かる。目元には液体が溜まっているようにも。それでも、ここで騒げばもしかして秘密の場所がばれてしまうかもしれない。
誰が、泣かされてなんかやるもんか。私はあいつらなんかに負けないと自分に言い聞かせて、道すがらに何とか怒気を抑えながらも歩き続け、ようやく到着した。
敵の居ない、私だけの場所。そこで落ち着きながら、心を落ち着かせようとした時だった。
(………誰?)
見えたのは、背中。大きくもないが、小さくもない背中の上に乗っている頭、その髪の色は茶色だ。体格を見るに少年で―――というのは、あまり問題ではなかった。まず見るべきは、憤るべきは誰も知らないはずの私だけの場所に、先客が居ること。
少しだけ同期の誰かがこの憩いの場所を見つけやがっただろうか。そう考えてはみたが、それはあり得ないことだと気づいた。何より訓練が終わり宿舎に戻った後、真っ先にこっちに来たのだ。他の訓練生も、今は基地に残っているはずだ。
もしかして不審者の類だろうか。戦況が不利になってからは、治安の状態は悪化するばかりだ。最悪は命のやりとりになるかもしれない。だけど注意深く観察を続けた後、どうやらそういった人物ではないと判断した。なぜならそいつは、軍服を着ていたからだ。しかしそれは今までに見たことがない色とデザインをしていて、所属がどこなのか分からなかった。
浮かんできた選択肢は二つである。このまま立ち去るか、あるいは。
―――迷うまでもなく、私は後者を選択した。
(お前が、退け)
ここは私の場所だ。逃げる道理なんてなく、むしろそいつを退かせる方が正しいのだ。この一帯は宿舎から離れているので立ち入り禁止な区域ではないが、それでも軍服がうろうろしていい場所じゃない。自殺志願者と言ってもいい、"件の敗北主義者"の例もある。それを武器にすれば、何とかできるだろうと話しかける。
「ちょっとそこの人………アンタ、誰? 一体ここで何やってんの」
「………ん?」
そいつはゆっくりと振り返った。さあてここからどう攻めるべきか―――と考える前に、私は混乱した。そいつが、あまりにも予想外の表情を浮かべていたからだ。その顔からは、どこまでも影を感じさせられた。あるいは今にも泣き出しそうな、どころかすぐにでも自殺してしまいそうな辛気臭い顔をしている。説明されずとも、相当に落ち込んでいることが分かるぐらいに。
推測ではない、確定的だった。話しかけられた言葉にも大した反応を見せず、ただじっとこっちを見続けるだけだから。そのまま、5秒が経った。その間も男の情けない顔と視線に変化は見られなかった。
―――何故か、苛立ちの念が倍増する。
我慢できなくなった私は、怒りの感情と共に言葉を声にした。
「どうでもいいけど、アンタどっか行ってくんない? 私のお気に入りの場所を汚されたくないのよ」
つまりは、ゲット・アウト。見てるだけで嫌な気分になるしみったれた空気をここに振りまかれちゃあ、たまんないから。階級章を見るに―――信じられないことに少尉、つまりは士官らしいが―――我慢できなくなった私は感情のままに言葉をまくし立てた。
強気な発言に、自分でもしまったと思ってはいたが、止められなかった。ここまで言えば何かしらの反論が、あるかもしれない。むしろあって当然だ。階級が下の者にこうまで言われ、黙りこむ軍人はいない。そう思っていたが、そいつはただ頷くだけだった。そしてよろ、よろ、と老人のように去るために歩き出しただけ。
男はまるでこちらを見向きもせずに、私の横をすり抜けていく。姿勢を見るに、こいつは相当に鍛えられた軍人なのが分かった。捲くられた服の袖、そこから見える腕は同期の誰よりも鍛えられていた。筋肉の付き方が、以前にみたエースのそれと同じなのだ。無意識なのか、背筋だけはピンと伸びていた。落ち込んでいるのにそう感じさせる所作を見るに、この男は根っこから自分の身体を苛め、鍛えあげたのだ。だけど背中から漂う空気はガンオイルのように粘つき、苛立たしい黒色をしていた。
目に見えるわけではないが、誰が見ても同じ感想を抱くだろう。それでいてどこか小さい、辛気臭い背中を見送りきった後だ。私は、ある事を思い出していた。
(…………あ、の軍服は。確かベトナムのだったっけ?)
直接見たことはないが、緑色の特徴的な軍服について誰かが噂していたような。デザインもあまりこの国にそぐわないものだ。少なくとも私が所属している台湾内部の軍の、どれにも当てはまらないことは確かだった。こっちのセンスとは違う。つまり新興の何か、ということもないだろう。
何より、その服飾の種類に関して多少の知識はあった。そして、その軍がどういったものであるかも。まだ訓練生で戦場に出たことはない私でも、噂だけど聞いたことがあった
曰く、再起したベトナムの―――義勇軍ならぬ、"偽"勇軍。なぜそう呼ばれているか、とか詳しい事情は知らない。ただ、そう呼ばれている事だけは知っていた。
「ま、今はどうでもいいか」
あんな情けなそうに見える男なんか覚えていたくもない。実際、基礎訓練の方も大づまりで気にしている暇もないのだ。同期の風当たりもきつくなっていったせいもある。
くだらないにも程がある。台湾と中国、その両国を祖国とする人間の血を引いているだけで、本来果たすべき義務を放棄するなど。罵倒ではなく、訓練のためにエネルギーを消費しろと言いたい。
今更、だけど。私は自嘲した。軍に入る前は本当に多くの人間からそういった視線で見られていたのだが、軍に入ってからは意味不明な差別は、少なくなった。
でも、ほんのすこしだけだ。そして大抵そういう奴は声が大きい。で、声が大きい奴がいれば、それに同調してくる奴も増えるということで。今や同期の過半数が"そっち側"だ。残りの者達は我関せずの態度を貫いている。
もし軍の規律が、許すのであれば、可能であれば本当にまとめて星まで殴り飛ばしてやりたかった。だけど規律も、そして力量的にもそれは無理なのだ。耐える以外の選択肢がない。だから今日も忍耐の文字を心に、風に吹かれながら温度が高くなった心を冷やす作業に入った。そうして、義勇軍所属らしい男の事も、記憶容量の無駄だと、すぐに忘れることにした。
―――忘れたはずだった。その日から半年の後、基礎的な訓練が終わって基地も別の場所に移り、ようやく衛士らしい訓練が始まってからしばらく経った後だった。
その時も私は苛立っていた。個々の技量は目に見えて伸びているけど、いつまでたっても連携が上手くいかなかったからだ。あまつさえは、その原因はお前のせいだと、明言はせずとも視線で責めてくる奴がいるからには平常心を保ってなどいられない。
中隊の全員がそう考えている訳ではない。それでも、チームワークに罅を入れるには十分だった。それは隊全体の戦闘力の低下を意味する。そして教官から出された課題をクリアできないでいる日々の中のある日、同じように一人になれる場所を探していた時にそいつは現れた。
「………あれ? お前、確かあの時の」
話しかけられた時は、一瞬誰だか分からなかった。
説明されて、初めて思い出せた程度だ。
この少尉は、あの時のことを責めに来たのだろうか。前の出会いの後は、隊に苦情は来なかったが、今になって蒸し返すつもりなのか。遠回しに確認したが、反応は虚をつかれたという表情だけ。その意味は何なのか。聞けば、別にどうでもいいとのことだった。
「………怒ってはいないと。そして今の言葉も、どうでもいいと?」
「あー………まあ、そうかもな。でもおっかないやつだな。かなり苛ついているようだけど、いつもそんなにおっかない顔を振りまいてんのかよ」
「好きでやっているわけじゃありません」
「棒読みの敬語だなー………ああ、分かった。つまりは誰かのせいってか。責任転嫁って言葉を知ってるか?」
あっさりとそんな事を言ってのける。その態度に、私は何故か怒りを覚えた。そこからも、軍隊における連携の重要性までわざわざ説いてくれた。
私はその"御"忠告を一つ耳にする度に、怒りのボルテージをが上がっていくのを感じた
「仲良くしようって努力も重要だぜ。ひとりよがりじゃ、仲間なんてできな………おい?」
男は途中で言葉を止めた。こちらの様子を察したのだろう。
その通り、私は我慢の限界だった。
「あんたに、何が…………っ!」
抑えていた何かが、爆発するように。胸の中から喉を通りせり上がってくる感情のままに叫んだ。
「どうしろっていうのよ! 何もしていないのに、あっちから嫌ってくるんだから仕方ないでしょう! 放っておいてくれって言っても………っ!」
入隊してからずっとそうだった。私には、仲良くなるその取っ掛かりさえも与えられていなかった。どうして、と叫びたかった。出自なんかで私を決めて、責めてくる奴らに。
こいつの忠告は、教官から何度も言われたことだった。だけど他国の人間から改めて言われると、諦観以上にジワジワと沸き上がってくる感情があった。
撃発する音が、何かが決壊する音が聞こえた気がした。抑えるつもりもなかった。私は今まで積もり積もって山のようになった怒りを、抑え込んでいた感情と共に全てをぶちまけていた。家のこと。軍に入るまでのこと。誰も私を見ようともせず、両親を裏切り者呼ばわりした挙句に子供である私こそを罪の証と責め立てた。
台湾人は台湾人、中国人は中国人で一丸になる必要があるのだと自慢気に語っていたがそんな事は知ったことか。腹が立った。心配する両親の姿も、心の安息にはなったが根本的な解決には繋がらない。だから軍に入ったというのに、今のこの有り様だ。
意見の主張はするだろう。ぶつかりはしたが、何だかんだいって仲良くなった気のいい同期もいる。
―――だけど私が"そう"だからといって、頭から拒絶する奴らは消えなかった。
そのせいだろう、仲良くなった同期にも一定の距離を取られているように思える。このままでは一体どうなるのか、教官も頭を悩ませていると聞く。だけど、私だってこれ以上は退けないのだ。だけど、このままじゃ気のいい仲間までもが巻き添えになる。それでも、選べない道もある。私が私のままこの場所まで辿りつけたのは、ただ認めたくなかったからだ。
血の元がなんであれと、それを引け目に感じてしまうことは出来ない。意地っ張りではない、自分自身の根元の問題を放り投げてしまえば戦うことさえ出来なくなる。
………そんな事を話しながら、10分は経っただろうか。ようやく落ち着いた後、見えたのはそいつの真面目な顔だった。そして、そいつは言った。
「ごめん。事情も分からず、言い過ぎた」
そいつは深く、頭を下げた。
地面につくぐらいに低く。そのまま、言葉を続けた。
「絶対じゃ、ない。だけどもしかしたら、解決できるかもしれない」
だから頭を上げていいか、なんて。私は上官らしからぬ態度を取ったこいつに、困惑の感情を抱いていた。だけど、少なくとも私を頭ごなしに馬鹿にする奴らとは違う。そう思った私は、許しを出した。
頭を上げる。そして見えたのは、今までとは全く違う、軍人としての男の顔だった。
「ありがとう。じゃあ、聞いて欲しい」
半ば溜まっていたものを吐き出して呆けていた私は、是非の判断もせずに話を聞いた。色々と理屈を並べていたが、要約すると一言であった。
「互いに横の位置だから、こじれる、問題になる………だから上下の関係にしてしまえばいい」
問題となっているのは隊内の意志の統一ができていないことによる、チームワークの欠如だという。まずはそれをどうにかするべきだと主張した。ずれていると思うけど、切っ掛けはそこから掴めばいいらしい。
「名案がある。まずは訓練の密度だな。そいつに余力があるからそんなくだらない横道に逸れんだ―――なら、いい手がある」
と、無表情のまま断言した。それはどこか無機質で、だけど何をも言わさないという迫力に満ちていて。それでも義勇軍の立場なのに、いったい何が出来るのだろうか。そう考え、一部は馬鹿にする思考も芽生えていた翌日だ。
どうしてか、訓練の量が2倍になっていた。
「えっ」
「………分かる。私にも分かるさ。自分の耳か、教官である私の頭を疑いたくなる気持ちは分かるのだが………上の方針でな。
やめろ、そんな目で見るな。これでも私の一存で減らしたんだよ」
「えっ」
もう一度確認して欲しいと懇願したが、間違いではないとのこと。もちろん、いきなりそんな事を告げられたって納得できるものじゃない。上官だからといって、無茶ぶりにも程がある。そんな気持ちを隊の全員が抱いていただろうけど、次の言葉で何も言えなくなった。続けて、用意していたと率直に並べられた、ある報告の内容に。
聞かされたのは――――私達の一期上の衛士達の損耗率のこと。
大陸本土で起こったBETAとの遭遇戦。その初陣が終わり、生き残った者は全体の7割、しかも残る1割は精神病棟行きだという。私達訓練生の目を覚ますには十分な情報だった。だからもう、否が応にでも納得せざるを得なくなった。
その後から始まった訓練は吐く程に厳しかった。まだ民間人の色が濃かった入隊直後、軍の過酷さ肉と骨に染み込まされていた頃を思い出させてくれた。あの頃はよく同期の誰かが夜な夜なすすり泣いていていたものだ。衛士となった今の隊員達は鍛えられているので泣く程ではないらしいが、それでも疲れているのがわかった。
私にとっては分かりやすかった。なぜなら、糾弾の声は全くと言っていいほどに少なくなったから。人を貶めるのもエネルギーが居るらしい。私はその事実に気づいた時、おかしくなって小さく笑った。
訓練の内容が変わったということもある。それまでとは違い、変わった後の訓練はガッチガチの成果主義。用意されたステージ、目を疑いたくなるぐらいに難度の高い勝利条件。3小隊12人全員のチームワークを駆使して何とかクリアできるかどうか、といったレベルだった。そして、早くにクリア出来たからといって一日あたりの訓練量が緩くならないという徹底ぶり。
そんな地獄の訓練が始まってから一ヶ月の後、再会した下手人は笑って言った。
「ほら、上手くいっただろう?」
その笑顔を物理的に凹ませようと殴りかかった私は、同期のあいつらから讃えられるべきだろう。結局は全て防がれたというか、妙に慣れた様子で全部捌かれてしまったのが癪に障ったけど。
「でも、根本的な解決にはなってないわよ」
負け惜しみのように言うと、そいつは仕方ないと頭を押さえた。
「………調味料の違いでも、殴り合いの喧嘩になる人間同士だ。端からそんな方法で解決できるとは思ってない」
歴史も違うだろうと、そいつは言った。確かに、と私は頷いた。他国から見ても分かるぐらいに、中国と台湾の両国の仲はよろしくないのだから。過去に起きた様々な出来事。赤い液体も黒い声も飛び交ったであろう、様々な"モメゴト"は両国の人々の心に消えず残ったまま。どう穏やかに表現してもよろしくないと言える両国の関係だ。それでもBETAの脅威に曝され続けて、変わらざるをえなくなったのは一体いつからなのだろうか。
中国と台湾の軍をまとめて、"統一中華戦線"と呼び始めたのはいつだったか。
原因となったのは、中国本土に存在する地球最初のハイヴ、オリジナルハイヴから。
奴らは何の遠慮も躊躇の欠片も見せず、中国の国土と人を徹底的に荒らし続けた。今や、本土のほぼ全てがBETAの支配域に落ちているといっても過言ではない。
そして台湾は、大陸から海を越えた先にある島国。必然的に関係を変えなければいけなくなったというのは少し考えれば誰でも分かることだ。その上で、民間レベルに収まらず、軍内部でも囁かれつつある、とある政策の存在もある。
台湾総統府が中国の共産党政府を受け入れるという。それは中国の国家機能が台湾の本土に移るということ。共産党政府が中国本土の一時放棄を決定したということを示していた。台湾が中国を受け入れ協力するという体制を、確固たるものにすると。それまでに両国の間で起きた過去の出来事を忘却し、人類共通の敵であるBETAに立ち向かう姿勢を、明確に形にするための政策だった。
お互いを認めるべき隣人として定め、弱点を庇い合い、長所を共有する。そして頼れる仲間として共に強敵を打破しようという政府の判断は、傍目から見ればこれ以上ないほど"良い"選択をしたかに見える。
でも、私達は人間なのだ。どうしたって忘れられないものもあるし、そこまで無私になり公に尽くすなど、できる筈がない。感情による選択を正しいからといって割り切り、飲み込んで忘れることができる人間は本当に少数派なのだ。
過去から現在、かなりの時間が経過した今でも相手国に悪感情を抱いているという人は、心の底から相手を憎んでいるという証拠でもある。そんな人間が中に居るのに、上手くいくはずがない。それでなくても中国人はメンツを大事にする国なのだ。台湾人にしても、上から"恨むな"といって納得できる人間ならば、そもそもそこまで感情を持続させていないだろう。恨むなと言われただけで憎悪を捨てられるのなら、復讐などという単語は生まれない。そういった感情が無い人でも、今は戦時で不景気だからという理由で、中国の難民が流れこんでくる事に対して忌避感を抱いていた。
仕事につけない人間も多い台湾に、これ以上の中国人の難民を受け入れられるだけの体力があるかどうか。結成より今まで勢力と力を伸ばし続けている大東亜連合との仲は悪くない。恩恵も受け取っている。不景気からの転換の時期でもあるらしいが、それでも職に就けない人達は大勢いるのだ。また、別の意味での心配もある。仕事の問題だけではない。あるいは、難民の流入は社会の全てを変えていく事態に発展するかもしれない。
他のどんな国よりも自国との因縁が深い中国から、ある日大量の人間が移住してくる。まず間違いなく、民族による慣習の異なりが原因となるトラブルが多発するだろう。慣習も違うのだ、揉めることなく移民が成功するはずもない。それも、小さいレベルから大きいレベルまでだ。教育の在り方や信じているものまで、欧州や日本ほどではないが、"違い"があるのは事実なのだ。数が多くなり、一つの無視できない声となり。その声が、そこに口出しをしてくるとなればどうだろうか。
答えは簡単だ。台湾に住む誰も彼もが、傍観者でいられなくなる。不利益を被る可能性は、格段に上がってしまうだろう。そもそもが無茶な話なのだ。今でも、中国人の難民は多い。こうして軍部に入ってくる声を無視できないほどに。今の段階でも、国籍の違いが原因となる揉め事、事件に発展するまでのトラブルの数は無視できないほどに増えている。
正式に受け入れたわけでもない、全てではない中国人難民が移動してきただけで。だけど断ることはできない。難民流入を渋っている今でも、中国人の台湾人への悪感情は無視できないレベルにまで来ているという。
また、これは年配の一部の話だが、台湾を自国の属国だと未だに信じ続けている連中も居るという。台湾人は、中国人を受け入れたくない。中国人は、救いの手を渋る台湾人を快く思っていない。だから、私に対する態度はその象徴かつ疑いようのない現実の具現であるのかも。そこまで説明した後、私の視界に映ったのは腕組みをしながら小生意気な表情を浮かべているそいつ。
で、バカは言った。
「うん、そのあたりの事情はさっぱり分からんけど!」
反射的に中段突きをぶちかました私に非はないと断言する。
それもまた、両手で受け止められてしまったのだが。
「功夫が足りんよ、功夫が」
「アンタほんとにちょっと永遠に黙りなさいよ。そんで力いっぱい殴られなさい。てーかあんた中国人じゃないのに、なんで太極拳っぽい動きしてんのよ」
「昔にちょっとな。腹黒団子頭にちょっとっつーか、だいぶっつーか」
よく分からない返答だが、もしかしたらこいつの上官だろうか。というか、何故にあんな訓練をしたら良いと思ったのか、ひょっとしてこいつがそうだったとでもいうのか。
「あー、当たってるけど違う。あれはあくまで下地を揃えるために必要だったこと……ヌルい訓練に不安を覚えたってのもあるけど」
ボソっ、と付け加えられた言葉は聞こえなかった。
「どういうことよ?」
「今の段階じゃ、どうやったって解決できそうにないってのは俺にも分かる。それでまあ………なんだ、実際に行けば分かるさ。そんでこいつは俺の尊敬している教官からの受け売りなんだけど」
男は、影を感じさせる表情で言った。
「戦場ってのは本当に怖い場所だぜ。なんせ、誰も彼もが"ここ"を曝される」
胸を叩いて言う、こいつの言葉の意味は、その時は分からなかった。誤魔化されるような言葉で、納得はしないと返した。そして実戦経験は多い方と言うそいつに、協力というかアドバイスでもしなさいよと、約束を取り付けた。
合同でのシミュレーターの訓練はできないらしい。代わりにと、私のポジションの突撃前衛において必要となる心構えや役割。果ては数えるぐらいだけど、危地に陥った時の有用な機動パターンなんかも聞き出した。
あまり時間は取れないって言うから、決まった日の時間にちょっとした馬鹿な話もした。
「で、調味料の話は誰から聞いたって?」
「………親父と俺の実体験だ。目玉焼きにマヨネーズとソースは正義だろうっていったら、鼻で"子供すぎる"って笑われた。で、醤油で目玉焼きを食せぬは日本の恥であるって。会談は最悪な形で決裂、間を置かずに武力衝突。次の日には冷戦に発展した」
「あー、分かる。うちもビーフンと具材の量をどうするかって家族会議になったわ」
食は大事だ。いくら合成の食料だからといって、馬鹿にできないことはあるし、譲れない部分もある。それでも戦争まではいかないけど。あー、そういえば、日本人は特に食に対してこだわるのって聞いたことがある。
「ってアンタ日本人だったの!?」
「そうだけど………あれ、言ってなかったっけ」
確かに、変なつながりを持たないように――――どっちが言い出したか分からないけど、お前だのアンタだの代名詞で呼ぶようになっていた。この距離が妙に嵌っていたというのもあるけど、それ以上に不思議な奴だった。時折バカを言うけど、笑わせてくれる奴だった。
話している内に、自分が何人であるかを忘れさせてくれるぐらいには。
それでも、子供っぽい所はあったけど。例えば、国籍を聞いた後の話だ。
「でも、国籍ぐらいはねえ。そういうの秘密にしたい年頃? 秘密の男(笑)とか。うん、そうよねえうちの同期の奴もそういうところあるし」
「………さっくりずばっと言うなぁ、お前。つーかもう少し年頃の女の子らしくして下さい」
「ええ、分かったわ――――却下よ」
「ちょっとは迷えって! 一応教えを受ける立場だってのにそういった敬うって感情もないし! ああ、容赦の欠片もないよなぁ!」
「私ってそーいうの、知らないから。面倒くさいし。何より心から認めた奴には全力でぶつかれってのがウチの家訓なのよ」
「なんという猪女………いや突風っつーか、暴風っつーか?」
「ふん、つまり私が
「いくらなんでもポジティブすぎるだろお前………つーか会話のキャッチボールをしてくれ、直球でいいからせめて投げ返せ」
「まどろっこしい事をするつもりは無いわ。取れないのは、捕手たるあんたが未熟なだけよ」
「いや、サインを見ろって無茶な暴投を処理するキャッチャーの気持ちが分かるわ! ………ってああ、さては友達とかいなかったせいとか言い訳せんよな」
「………それを口にしたってことは、死ぬ覚悟はできてるんでしょうね!」
「えっ、顔赤くするとかもしかして図星?」
「うっさい、いいからそこ動くな! この、躱すなつってんでしょ! 大人しく殴られろ!」
「そっちこそ冗談じゃねえよ馬鹿力! そんな拳骨に当たってやる義理はねえよ!」
――――うん、まあね。あいつって子供よね。
付き合ってあげるなんて私ってばなんて大人で性格の良い女。
そんな事もあって、色々と喧嘩したこともあったけど私としては予想外のことに。
案外、だけど――――うん、悪くはなかった。
それとは別に、こいつ自身の中に"引っかかる部分"があったのは確かだけど。例えば、ある日のこと。
「………で、ここはまず受け持つ半径内のBETA総数と隣の隊の位置を注視すること。下手すれば取り残される」
「ふん、成程ね。確かに無意味な突撃は逆に隊全体を窮地に立たせてしまうか、行動の妨げにしかならないってこと………ってねえ。あんた、今日は何か………?」
暗いわね、と言いそうになって止めた。大抵は馬鹿に明るい表情を浮かべる馬鹿なのに、時折こうして根暗としか言いようのない性格に変わる。これが、あるいは日々の気持ちの変動によるテンションの上下に見えるのなら、頭でも叩いて気を入れなおしたかもしれない。
だけど、これじゃまるで別人だ。そして、普通ではない何かを証明するようやり取りもあった。決定的だったのは、今の義勇軍に入るようになった原因や、経緯について尋ねた時の事だ。暗い顔のそいつは、言った。
「経緯については、機密だから言えない。そもそもの原因は………分からないんだよ」
そして、後日また聞き直した時のことだ。明るい顔のそいつは、言った。
「必然だった、としか言いようがないな。あるいは誰かの陰謀かもな?」
誤魔化すように、笑いながら。なんでまた同じことを聞き直すのか、とも言わなかった。
だけど、そこから先は追求しなかった。確かに、私はあまり誰かと仲良く話したことは少ない。軍に入るまではゼロだったと言ってもいい。それでも、人には触れてはいけない部分があるということは知っている。
そうした関係は、悪くなくて――――心地よくて。だけど楽しい時間は早く過ぎ去るもの。夢はいつか覚めるのだ。必然として、この中途半端だけど不思議な会話も、いつかは終わる事を知っていた。
「……明日、だって?」
「………そう。いくら人員が足りないからって、急過ぎる。なんて、愚痴ることが馬鹿なことなのは理解してるけど」
訓練生を卒業し、衛士として認められた直後のことだった。中国本土でも今や激戦区となっている所での、初の実戦。編成が間に合わないからと、隊員の10人は新人のみ。二人のベテランがつくらしいが、それでも中隊の12人のうち8割以上が新人なのである。
軍の迷走っぷりが分かるというもの。それでも、命令は命令だった。
「俺も異動になる。これが最後になるだろうな」
「………そうね。だったら、聞いてもいい?」
何を、と尋ねるそいつに兼ねてからの疑問を叩きつけた。
「あの時、なんで私の話を聞いた? ――――何のメリットがあって、そうしたのか聞かせてもらってもいいかしら」
「必要だったからだ。戦場に弱兵は不要だ。特に、戦場に余計なものを持ち込むような馬鹿は存在してほしくなかった」
手で銃の形をつくって、何故か自分の頭を指して笑う。
「お前に言っていなかった事がある。一期前の訓練生だが、本当に足手まといだったよ………うちじゃないけど、義勇軍の別の小隊の隊員が、何人か巻き添えになった」
聞けば、こいつが所属する義勇軍の中隊――――"パリカリ中隊"は小隊4人を1チームとして動いているらしい。その別の小隊の何人かが、私達の一期前の訓練生のせいで死んだのだと。
「新兵だろうと関係がない。軍人にとって"弱い"はこれ以上ない罪だ。それを芽の内に摘むのは先任の義務だ。だから、その解決策として―――」
「もういい」
言葉を遮る。これ以上は、聞きたくはなかったからだ。それもそうだろう。
分かってはいたけど、ね。
「私も、アンタに言っていなかったことがある」
「………何だ?」
「アンタ、嘘をつくときは右の眉が引きつるのよ………」
告げる。すると、こいつはすっと表情を変えて自分の眉を押さえて――――
「………なんてのは、冗談なんだけど。うん、こいつも言ってなかったけど、ここまで来たからには言うしかないでしょう?」
ため息を一つ、間に入れて言った。
「あんた、衛士としての腕は一流に近いかもしれないけど、嘘つくのは下手ね。三流というか、鼻たれの子供以下」
そう告げた時のそいつの表情は、多少のショックを受けたことが聞かなくても分かるその顔は、とても面白く。戦場に挑む景気付けには十分だった。
―――そして、私は戦場にいた。網膜に投影されるのは、どこかしこも同じだ。
死、死、死、そして死である。中国人だろうか。台湾人だろうか。日本人だろうか。あるいは、欧州の取り残され組みだろうか。男だろうか、女だろうかベテランかもしれないあいつのような歳のあるいはそれよりも年下の少年兵かもしれない。
漏れ無く全てが、その命を曝されていた。怪物を前にその強さと運を試されていた。生が数分先まで続いてくれる保証なんて、どこにも存在しなかった。階級の違いはあるだろう、技量の違いによる格差はあるかもしれない。だけどそれでも、その場にいる誰も彼もは等しく、死の舞台の上で踊らされていた。
―――それを痛感させてくれたのが、さっさと死んだ自称ベテランの衛士二人だってのが皮肉に過ぎるけれど。
夢の中、落下していくような不安感。それを振り切るために、私は叫んだ。
『右、ウイング5! 無闇矢鱈に突っ込んでんじゃない、いいからここは我慢するのが最善!』
『で、も―――あれは友軍で、助けなきゃいけないんじゃないのか!』
『距離が遠すぎるっつってんでしょうが! それにあっちにはベテラン揃いの第三機甲部隊がいる!』
この場に頼れる者は居ないせいだろう、全員が頼る場所を探して右往左往している。その寝ぼけている奴らを起こすように、大声を叩きつけて説得した。通信から入ってくる、恐怖の叫びや断末魔に負けないようにと。芯まで恐怖に呑まれ、その場に留まってしまえばすぐにでも死ねるだろう。あるいは楽になりたいからと、空を飛んだ挙句に蒸発するかも。
『って、誰がそんな事するかァ!』
負けないように、胸中を這いずりまわる恐怖に呑まれないように、叫びながら。ただ必死に、目の前の要撃級を切り伏せる。血しぶきと共に要撃級は倒れて、地響きが足元から伝わってくる。訓練とは全く異なる感触だった。何もかもが本当で、嘘のようだった。命であるかどうかは知らないが、"確かにそこに在って、自分の意志で動いているように見えるもの"を動かなくするという事実が、心の中の何かを圧迫してくる。そのような感傷に浸っている暇もなかったけど。
だって、死にたくはないから。こんな所でなんか終われないと、生還の道筋を見失わないようにするのが最善だと知っているから。それに、と鼻で笑った。
誰も頼れない。一人で何とかしなければいけない状況なんて、と。
『お生憎様ね――――こんな状況には慣れてるのよ』
子供の頃からずっと。震える声で事実を告げた。窮地など慣れっこで、四面楚歌など日常茶飯事だった。それがおかしかった。私の覆すべき現実が、あの環境が、戦場では有用な武器になるのだから。耐えることには慣れている。そして、最善の道筋を見つける作業は得意だった。
衝動に駆られるまま動くのは、愚策。必要なのはここぞという時が来るまで耐え忍ぶこと。現実に夢の様な解放は存在しない。ならば機を見て敏となって上手く死地より生還すべきだ。
とても優しくない
『教えられなくても、自力で辿りつけたけどね!』
小さく笑いながら、目の前の敵を一体づつ確実に減らしていく。ここは突撃する場面ではない。癪だけど、と教えられた言葉を反芻する。いつも通りに我を失わず、五体に積んだ武器を行使する。
今までに鍛えた自分の技量と、仲間の技量以外になにも頼れるものはない。あまりにも頼りないが、それが現実だ。都合のいい奇跡など、空想上でしか存在しない。地べたを這うことしかできない私達は、自分の足で出来るかぎりのことを成し遂げるしかないから。
そんな時だった。視界の端に、混乱して恐怖に震える仲間が―――出発前まで、私のことを認めなかった奴の機体が見えた。そして背後から近づいてくる、要撃級の姿も。
『――――ぃっ!』
考える前に身体が動いた。距離的だとか、そんな事は考えなかった。ただ最速で機体を駆り、最速で敵を穴だらけにした。倒れ伏した要撃級が、また地面を揺らす。
それに足を取られたのか、そいつの機体が倒れた。
『立って―――早く! いいから、立て!』
叫ぶが、反応は鈍い。
『立ちなさいよ、いいから!』
『お、お前なんかに何が………っそれにベテランの人たちも死んだ! 退路もない!』
『救援部隊も奇襲を………このままっ、ここで死ぬしかないだろうが!』
泣き叫ぶ男ども。確かに、第一波は乗り越えたがあと数分もすれば第二波がやってくるだろう。そうなれば、とまくし立てるように、泣き声を叩きつけてきた。
『お、お前も、俺達ならそうなった方が良いとか思ってんだろ!』
『ああ、怨みなら腐るほどある、もんなぁ! だから俺達を捨て駒にとか………っ!』
『………分かってやってたんかい、アンタ達は』
情けない言葉だ。この場に及んでの本音は頭痛を助長させた。私は何故か、脱力して――――そして、笑えていた。バカバカしくなったのだろうか。
不思議と、嘲ろうとか恨み言を言おうとか、そんな気持ちは湧いてこなかった。
『まあ、ムカついていたのは確かだけど………ここで死んでいいなんて思うほどじゃないわよ』
殴りたいとは思っていた。今でもそう思っている。帰還した後でじっくりと正座させた挙句に嫌味を言ってやろうとも思う。
だけど、そうなのだ。
『一応だけどね! 本当に仮にでも、アンタ達にとっては形だけかもしれなかったけど………私達はあの地獄の訓練を一緒に越えた仲間でしょうが!』
そして、通信から聞こえて来るのは。どこぞの誰かも知らない衛士が出す、獣じみた断末魔だった。食いしばり、無言のまま大刀を構えて更に告げた。
『こんな………っ、あんな風に死ねばいいなんて、思えないわよ! いいからそこの馬鹿のアホ!』
悲鳴に怯える二人に大刀を突きつけて、叫ぶ。
『そういう所もむかつくわ! いいから立って気張って構えろつってんでしょ、臆病コンビ!』
機体で軽く蹴りをいれつつ、叫ぶ。
『死にたくないのは私だって同じよ! でもここは戦場だからもう、立って戦うしかないでしょうが! で、私を信じて戦いぬきなさい! それが最善の選択ってもんよ――――ええ全員、そう思うわよね!?』
強気で押す。崩れれば一気だ、恐怖にのまれて震えたまま喰われるなんて末路はまっぴらだから。だから、私が信じるに足る存在だと力づくで"信じさせる"。失った連携を取り戻す方法で、これ以外に思いつく手段はない。
だから、叫ぶだけ。
『ハイ満場一致! さあ生き残るわよ、返事ははっきりすること!』
最後に語りかける。一種の賭けだったが、これしか方法がなかった。返ってきたのは、でも、はい、という唱和が。どうやら最初の賭けには勝てたらしい。
(なら、やってやろうじゃないの)
震える手は、見せられない。死ぬか、死なない、死んでたまるか、こんな所で。
そして、死なせない。こんな所で死なせてたまるか。
怖い。唇が震えているのが分かる。気を抜けば泣き声に変わりそうだ。それでも、今私が泣き言を零したら士気が崩壊する。だから食いしばり、我慢しながら自信満々に言ってみせた。文句も愚痴もあるが、死体に叩きつけるのは嫌だ。死者に鞭打つのも、趣味じゃない。生き残って、目の前のバカ共を"生き残らせた"後に正面からぶつけてやる。
『作戦は………そうね。右翼は私が指示と指揮を。左翼は、チャンが担当しなさい。いつもどおりの陣形よ。なに、訓練通りにやれば死にはしないから』
『り………了解!』
『うん、いい返事ね! さあ、ベテランが死んだからって私達まで後を追ってやる義務は無い! ―――目標は全員での生還! 反対する意見は全力で却下するからそのつもりで!』
『………分かった!』
『アホコンビ、声が聞こえないけど!?』
『んのっ、アホっていうな蝙蝠女が!』
『へー、聞こえないわねぇ? あらあらそこの図体ばっかりでかい小鳥ちゃん? 声が震えてるせいかな、通信に声が入ってこないわよ』
『くそアマが、上等だって言ってんだ!』
『ふん、やればできるじゃない。はっきり、きっぱりと最初から言いなさいよね。なに、あんたらも技量は低くないんだから、全力でやればきっと生き残れるわよ?』
嘘だった。保証できるような実戦経験もなく、展望もなにもない。だけど、臨時の指揮官としてここは士気を保たなければならないのは理解できている。心が折れれば殺される。恐怖とBETAに食い尽くされる。嫌なら恐怖を飲み込んで、BETAを蹴散らすしかないのだ。
そうしている内に、通信から声が聞こえた。
『……から、各機へ。HQから各機へ。繰り返す、BETAの第二波が接近中。ブラボー中隊他、チャーリー地区にいる部隊は応戦せよ。繰り返す―――』
再開を告げる言葉。私はレーダーで確認しつつ、叫んだ。
『………行くわよ、私に続けっ!』
先陣を切って鼓舞して戦って。
――――だけど、そこから先は完全な泥仕合になってしまった。衛士として、軍人としての戦術行為ではない、生きたいと願う人間が足掻くだけの乱戦という方が正しいか。決戦開始よりいくらかは保たれていた戦線は、瞬く間に決壊した。
まず統一中華戦線と国連軍、日本帝国陸軍と大東亜連合の一部部隊で築かれた防衛の直線は、次第に雲形定規に似た形になって。そしてしばらくしてからの地中からの奇襲により、戦線は線を保てなくなった。崩壊した堤防に似ているだろうか。
今や散らばった部隊がそこかしこで乱戦を繰り広げている事態になっている。一番割をくったのは、私達のような新兵が大半を占める部隊だった。後ろに味方、前に敵だけといった状況ならば、あるいは乗りきれたかもしれない。しかし前後左右に敵がいるという混戦を捌けるほど、私達は実戦を経験していなかった。
初陣の緊張に呑まれ、死の八分を越えた仲間が一人、また一人とやられていく。
残ったのは7人。そして、気づけば私達は要塞級と要撃級に囲まれていた。
『………駄目、かなこれは』
『まだ………諦めるのはまだ速い! 私達は死んでない、まだやれる、いいえ、最後までやってやるのよ!』
漏れた声に反発する。何より、ここまで来て諦められるか。BETAの数は確実に減っている。もう少しすれば相手を撤退に追い込めるとCPからも通信があった。
『でも、残弾が………長刀も折れた、武器がない』
それも、事実だった。後は短刀で乗り切るしかないだろう。しかしそれは、近接での殴り合いをしなければならないということ。
長刀ならばまだしも、短刀での近接戦は高い技量を要求される。何より集中力が限界だ。
最初の接敵で、1機あるいは2機。そこから先は雪崩式だろう。想像したくない結末が見える。
そして、それを振り払い最後の士気を保とうと、息を吸った瞬間だった。
『パリカリ7、目的のポイントに到着、援護に入る』
通信と共に風のように駆け込んできて、一合。
そこから間髪入れずに、流れるような動作で一斉射撃。
『えっ?』
漏れたのは、仲間の声だった。それはただ、疑問という文字を固めたかのような声。
――――それだけに、その小隊の動きは他のどの小隊よりも隔絶した動きを見せていた。最前衛が囮かつ撹乱、しつつも敵をなぎ倒し。その後ろから的確な射撃で確実に、だけど迅速に最小限の弾数で敵を仕留めている。理想ともいえる戦い方がそこにはあった。
あれほどまでに苦しめられていた要塞級が、まるで紙の城のように次々に倒されていく。
『無事ですか少尉!』
『きょ、教官!?』
教官の声がする。それを歓迎する仲間の声も聞こえる。
だけど私は、それよりもただ前の光景に意識を奪われていた。
まるで風のように敵の真っ只中に突っ込み。全方位の敵を斬って潰して穿って、その返り血を浴び続ける機体の動きに。他のあいつらも、教官も同じだった。気づけば棒立ちで、その小隊の戦闘に目を奪われ続けている。ぽつりと、声が聞こえた。
『………あの噂は、本当だったか』
『な、何か知ってるんですか教官』
あいつの事を。聞くと教官は、苦虫を噛み潰したかのような顔になった、そして。
『多くは知らないが、ただこう呼ばれている』
ついには、元の塗装も見えなくなった機体を指して、恐ろしい怪物の名前をなぞるように言った。
『………"凶手"』
聞いたことのない、恐怖の色が混ぜられた教官の声が妙に耳を響かせた。
そして、戦闘の後。立ち去ろうとする機体に、私は通信を入れた。
『ご苦労様、助かったわ………で、アンタは"アンタ"なんでしょう?』
『………誰を指しているのか、分からない。だけど礼は受け取ろう』
『いや怒らない時点で正体分かってるから』
言いながら、相手の顔を映そうとする。予想外に妨害もなく、ただその機体に乗っている衛士の顔が映された。
『やっぱりね。で、聞きたいことがあるんだけど』
問いの内容は昨日と同じだ。何故私の言葉を聞いて、その挙句に手助けをしようとしたのか。
暗い方のそいつは、言った。
『許せなかったから』
『………どういう事が?』
その声は、長く私の中に残ることになった。
『正しい努力は絶対に報われるべきだって、そう思ってるから』
決して、他者の理不尽によって潰されていいものじゃない。そう告げるこいつの声は、今までにないぐらいに―――悲しそうだった。
『………それよりも、時間がない』
『ちょ、ちょっと待って』
はっと我に返る。そして深呼吸をした後、私は指を差しながら言ってやった。もう行くのだろうけど、生憎と素直に逃がしてやるほど大人しくない。
『アンタには借りが出来たでしょうが…………名前、知っておかなきゃ探せないから、返せなくなるじゃない?』
あんな力量を持っていたのに、それを隠していたこともまとめて。感謝の気持ちを、文句と共にのしつけて、また会った時にでも叩きつけてやる。
そう告げると、そいつは。
――――"暗い方"のそいつは、初めて笑顔を見せながら、参ったと手を上げた。
『私の名前は、
『今は、
言葉に、それは偽名であるということを理解した。
『へえ。日本人にしても特徴的な名前に聞こえるけど?』
『あまりかけ離れていると、意味がないらしいってな』
色々とヒントを残しながら、笑い合い。網膜に投影された風景越しに、視線を交わしながら言った
『次は、戦場で――――会った時は借りを返すわ』
『ああ、期待しないで待ってるよ』
『フン、すぐに追い越してやるわよあんた程度の衛士なんて』
『そいつは頼もしいな』
街や基地でなんて再会してやらない。それでも、敵対はちょっと勘弁。できるならば演習の中で、私の事を思い出させてやるから。だから、いつかきっと。
『根暗でも風引くんじゃないわよ………
『………ああ、元気で。またな、戦友』
笑って、律儀に頷いてそのままだった。
それだけを告げて、そいつは振り返りもせずに去っていった。名残惜しいだなんて、思わない。
私は仲間に振り返り、笑いながら言ってやった。
『用事は完了。さ、私達の基地に帰ろうか!』
『………イーフェイ、その』
『何よ、言いたいことは分かってる。文句なら後でいくらでも聞くわよ』
せめて帰投するまでは、って思ってたのに。その後なら、存分に責めてくれていい。全員を生還させられなかったと罵倒してくれても。だけど、そんなことじゃないと返された。
『そんな事、言えねえ。それよりも俺ら、お前に………お前を、勘違いしてて。だから、謝りたくてよ』
そういったアホコンビの"片割れ"は。まるで憑き物が落ちたような顔になっていた。
――――って言われても、何を勘違いしてたんだか、ねえ? 何もかもが今更だ。で、今はもう今なんだからと呆れて。これみよがしにため息を吐きながら、言ってやった。
『気にしてるけどいいわ、許す。二度としないってんならね。ほんとに今更だし。あ、でも帰ったら殴るってのは撤回しないわよ。取り敢えず20発は覚悟しておくように、ね?』
『いや、"ね"じゃなくて! ………ってお前のあの痛い拳を20も受けなきゃならんのか!?』
『何よアンタ、蝙蝠女の拳なんか痛くないーとか言ってたじゃない。それにアンタ一応男でしょ?』
『一応じゃねえよ! ってかお前、自分の力ぐらい把握してろよ! てめ、女のくせに力つえーんだよ!』
『ふん、か弱い乙女に何を戯言を。アンタが虚弱で非力だからってこっちを貶すのは男らしくないわよ?』
―――と嫌味と真実を告げながらも、返ってきた変わった感触に自分の口元が緩むのが分かる。
今までの会話する相手の向こうから漂ってきた、壁のような拒絶感は存在していない。それまでには無かった、欠片だけれども本音で触れ合う何かを感じることもできていた。
『………でも、そーいうのは全部後にするか! まずは基地に帰ることを優先するわよ!』
なぜなら、私達は生き残ったのだ。今日、戦場で死に呑まれてしまった仲間たちとは違って。
『まだBETAが潜んでるかもしれない、油断して死んだら馬鹿らしいでしょ。それに、やらなければいけないこともあるんだから』
今日この戦場で散っていった仲間は、弱いから死んだわけじゃない。
ただ全力を尽くした果てに、前のめりに倒れたのだ。
―――それを生き残った私達が証明するのだ。諦めるのは、死んだ後でもできるのだから。
『………まだ私達は負けたわけじゃない。文句も反省も、出来る時にすればいいから』
『そういうお前もあの機体の衛士と話してたくせに』
『い、いいじゃない。あれは必要なことだったのよ』
予想外のツッコミに狼狽えると、また別の方向から声が上がった。
『も、もしかして、あの衛士にホの字とか言わないよな』
不安そうなチャンの言葉。私はそれを鼻で笑って、全力で否定してやる。
「はん―――まさかもまさかよ。あれよ、あいつは越えるべきライバルってやつ!」
何より、あんな根暗に負けていることは許せないのだ。
隔絶した技量だろうが、知ったこっちゃない。
この崔亦菲は舐められたまま終わるような女じゃないってことを、骨の髄まで思い知らせてやらなきゃ気がすまないんだから。
「でも、その割には顔が赤いような………」
「う、うっさい! いいからさっさと帰るわよ!」
ブーストジャンプで飛び立つ。
そうして見えたのは、前面に投影される視界、そしてその先に見える空。
浮かぶ雲は多く、風に流されている。そして、自分の周囲には僚機がいっぱいいた。
きっとこの先も似たような事が起きるのだろう。本音でぶつかって、助けたかったから助けて、少し壁が取り払われたかもしれない。だけど、これで全て上手くいくなんて思えるはずがない。現実はいつだって温情を与えてはくれない。事実だけが曝される。
だから、この先にも私の出自によることとか、色々な意味で誰かと衝突することはあるだろう。
心の奥底にある感情。他人が少し煩わしいという、私の感情や気持ちの全てが、綺麗に無くなったこともないけれど。
――――それでも、雲に映る嫌な顔は無かった。青い空の海を彩る、綺麗な模様に見えるだけ。
雲の一つが、あの憎らしいあいつの顔に重なったけど。
「絶対に………すぐに追いついて、越えてやる。次にあった時はアタシが上だって思い知らせてやるんだから!」
時の光景を想像しながら、私達は基地への帰路を急いだ。