Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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7話 : 備える者達_

シミュレーターの駆動音が鳴り響く。そして閉鎖空間の中にいるのは自分だけである。白銀武は第二の故郷とも呼べるべきCPユニットを模したシミュレーターの管制ユニットの中で難しい顔をしていた。

 

「跳躍ユニットは………OK。ん、反動は0.05? またクサイ調整で動かしてる奴がいんなあ」

 

ぶつぶつと呟きながら機体とにらめっこ。つまりはコミュニケーションという奴である。

そう、模擬戦開始を10分後に迎えた今でも、ずっとシミュレーターの調整を続けていたのだった。着座位置やその調整に、機体の動作のずれの確認。シミュレーターは乗り慣れている実機ではなく、その分調整にも手間がかかる。機体特有の癖もまた異なり、それは日毎によってわずかだか異なってくる。ほとんどの者ならば気にならないレベルだ。それでも武は最後まで、眉間に皺をよせたまま勝率を上げようとしていた。

 

『あの、大和君』

 

『………やっぱり、右腕の駆動が………補助腕の動きも違うなあ………でも許容範囲だから………』

 

『大和君!』

 

『……あ? って俺か』

 

武は聞きなれない呼び方にようやっと気づき、ふと顔を上げた。そして声の主を睨みつける。水色のショートカットに、人懐っこい顔。髪と同じ空色の目は垂れていて、不安に揺れているかのようだった。最近になってようやく、口調が同じ階級の者になってきた女衛士。武はそれらをひと通り思い出し、観察した後にため息をついた。

 

『何だよ、碓氷少尉。見ての通り、俺は調整に忙しいんだけど』

 

『いえ………あの、ね?』

 

『言葉で話してくれ。呼びかけただけなら切るぞ』

 

どこぞのイタリアンみたいに、女性の仕草だけで言いたいことを察せられるほど女心に鋭くない。武はそう心のなかで毒づき、また作業に集中しようと視線をシミュレーターの装置の方を向こうとした。しかし視線を移そうとする直前、焦りの混じった声が飛び込んできた。

 

『あの、訓練についてなんだけど! ずっとアレだったけど、本当に良かったのかなって!』

 

『………また、その話かよ』

 

網膜に投影されている碓氷風花の顔は不安に染まっていた。

その理由に関しては、武も理解できている。模擬戦を約束してから、今まで。しかし自分もそしてマハディオ達も、訓練の内容を全く変えなかったのだ。だから風花は、そして新隊員の橘操緒は模擬戦が決まったその翌日の訓練の後に、マハディオに物申したのだった。対人戦の訓練に切り替えた方がいいのではないかと。

 

『その時にマハディオが一喝した通りだ。訓練を変えるつもりはない。むしろ変える方が害になる』

 

『でも、この勝負には勝たなきゃ。じゃなきゃ、那智兄ぃが………!』

 

『大丈夫だから。間違っても、あんなのに負けねーから』

 

むしろここで邪魔された方が良くない。そう言いながら頭をかく武だが、対する風花は納得していないという風に険しい顔のまま。両者緊張した空間に。呆れた、というため息が零れた。

 

『………あのなあ。勝負はもう10分後には始まるんだぞ。それなのに今更話をして、一体何を聞きたいってんだ?』

 

『それは、その………えっと』

 

風花はそこでようやく言葉に詰まった。その様子を見た武が、また頭を抱えた。ようするに、思わず出てしまった言葉なのだ。そして武は、風花が言いたい内容が何となくわかっていた。

 

『確証が欲しいってか。この勝負に勝てるっていう、保証の言葉が欲しいわけだ』

 

『―――それは! えっと、そうかも』

 

ぼそぼそと、風花。武はそんな年上の女性を、昔の幼なじみを見るような眼で見ながら言った。

 

『勝負に保証なんかあるかバカ。だけどいつも通り気張ってやれば勝てる―――――以上だ』

 

関わっていられない、と武は通信を切った。ぷっつりと通信が切れる音がする。そしてまた調整に入ろうと、機体に眼を奔らせた時だった。通信が繋がる音。間もなくして、中隊長の顔が映った。黒髪に黒い瞳。やや突っ張っている前髪が特徴的で、そのまま突きでれば子供の頃に見た不良のようになるだろう。

武はそんな前髪をじっと観察しながら、思った。あれで頭突きを受けたら痛いだろうなあと。

 

『すまんな、鉄少尉。碓氷が迷惑をかける』

 

『―――はい、いいえ問題ありません九十九中尉殿。むしろ緊張してくれていた方が幸いであります』

 

武は軽く、冗談を交えた敬礼を返して答えた。

上官らしい話し方になってきたと、満足しながら。

 

『そうだな。フォローは上官、あるいは先任である俺達の義務か』

 

『……本人には言えませんが、よく耐えてますよ。迷惑なんかありません。昔の自分よりかは、余程優秀です』

 

『ははは、そうかもしれんな』

 

特に初陣の後は迷惑のかけっぱなしだった。笑って言う九十九に、武も笑みを返した。

 

『自分もです。始終、迷惑を……心配かけっぱなしだったかもしれません』

 

あるいは、今も。武は口には出さずに、心の中だけで呟いた。

 

『あの頃は迷惑をかける方。だから次は、俺達が迷惑を受ける番だというわけだな』

 

『ええ。そう考えると、頼りない所は絶対に見せられませんね』

 

『そうだな。しかし、あるいはあの時の上官方も同じことを考えていたのかもな………不安は見せずに恩を返すために、気を張っていたとか』

 

『かも、しれません。あるいは、鶴に倣ったのかもしれないですけど。昔から恩返しは隠してするものですから』

 

『ははは、そうかもな………けど鉄少尉。日系人なのに、よく“鶴の恩返し”とか知っているな』

 

『は、ハハハ! まあ、親父が親日ですから!』

 

武は笑って誤魔化した。そして調整があるから、と通信を切る。だがその直後に、擬似的に目の前に、眼鏡をかけた女性の顔が浮かんでいた。顔つきを見て、まず分かることは気がきついこと。そして、整った容貌であることだ。

 

髪の色は橙色。肩に届くぐらいのそれは、頭の後ろで短く束ねられている。

 

『なんでしょうか、橘少尉』

 

『鉄少尉にお話をしたいことが。前衛のポジションについてです』

 

きっぱり、くっきりという音さえも聞こえてきそうな言葉。それを聞きながら武は、昨日のやり取りを思い出していた。一歩踏み出して、まるでタックルをしようかという距離。

手を少し前に出せばその大きい胸に当たりそうな距離で、武は言葉を叩きつけられていた。

 

『チャンスを下さい。この機会を活かしたいんです』

 

その内容を聞いた瞬間、ため息をついた。やっぱりまたその話か、と。

そして口を開こうとしたその時に、橘とは異なる通信が武のシミュレーター機へと繋がった。

顔を見て、より一層ため息が深くなる。

 

『何のようだ、王』

 

映ったのは義勇軍の同僚。燃えるような赤い髪が特徴的な、最近では少なくなってきた成人の男性衛士である。茶色の瞳は常時、獣のようにギラついている。振る舞いもあって、まるで野犬を思わせる彼のことを武は苦手としていた。人の都合を無視する傾向にあるからだ。現に今だって、急な割り込みで事態が悪い方向へ転がっていた。

 

『何のようもクソもあるか。当事者放っといて言うセリフかよ大和ぉ………まあ、お前は今はいい。問題はほれ、そこの橘ちゃんだよ』

 

『何か、少尉』

 

『ナニもアレもねーよクソ女。お前、まだあんな寝言が叶うとか思ってんの?』

 

『もちろんです。それより黙って下さい、王少尉。貴方には話していませんから』

 

ならなんで俺に話すんだよ。武はそう言いたかったが、何とか飲み込んで腹の底に隠した。

そして武の顔がだんだんと、15歳の少年にはあるまじき疲れた顔になっていく。

 

原因は目の前の罵倒合戦だ。二人の独壇場と言ってもいい。主役は王紅葉と橘操緒。観客はあいも変わらず鉄大和こと白銀武。そんな少年は、もう何度目か分からない二人の口喧嘩を見ながら、二人のことを考えていた。

 

発端である新人少尉、橘操緒。年は18で新任、ピカピカの一年生という奴だ。その過去について、隊員の誰もが知らない。しかし武は九十九から聞いたのだが、彼女は何か名家の出らしい。橘藤原はなんとかかんとか、と記憶していた。そして衛士としての技量の方も新人にしては飛び抜けていて、そのせいか橘操緒は衛士としてのプライドが非常に高かった。性格は一本気、そして実直の一言。納得出来ない事があれば、上官に対しても平気で意見をするほどの筋金入りだった。初日の訓練が終わった後、マハディオと武は部屋へ戻っていく橘の後ろ姿を見て、知らず内に呟いていた。この隊に来た理由が分かった気がする、と。遠い目をしていた二人に、整備員からの甘い合成コーヒーの差し入れがあったのはご愛嬌。しかし上昇志向が強いのも確かだった。それは地獄を思わせる初日の訓練で、最後まで音を上げずについてきたほど。特に前衛に対しての拘りが強く、機会があれば武に具申をしてきた。

 

武はさっき彼女が言おうとしていたことが何であるかは、予想がついていた。

私が王少尉より多く、敵を撃破できたら前衛に入れて下さいというつもりだろう。

 

そしてそれを許さないのが、もう一人。武にとってはマハディオに次いで二番目に付き合いが長い王紅葉。彼は一言でいうと癖者だった。武もマハディオも、王の過去や詳しい経歴、戦歴は知らされていない。義勇軍の暗黙のルールでもあったので、過去は詮索していない。

ただ確かなのは、彼が出会った頃にはすでに現在の能力を持っていたこと。

技量は、並の衛士より少し上といった程度。しかし王紅葉という男は、高くない操縦技量を補うほどの身体能力と反射神経を持っていた。優秀な前衛としてはもってこいの人材だ。しかしそれだけに人一倍プライドも高かった。何よりもBETAを殺すというのが好きな性格。そして何故か、武につっかかる事が多かった。武は今でも忘れられないことがある。

 

出会った当初のこと。目を合わす度に舌打ちをされ、模擬戦を挑まれた毎日。あまりの態度と模擬戦の数に、辟易していたことも覚えていた。

 

そんな彼だが、率直にいって口が悪かった。育ちが悪いもんで、とは本人の弁だがそれを疑わせない程にチンピラ風味な言葉しか吐かない。

 

『っ、から言ってんだろーがよ。処女きってねえ小娘に、この部隊の前衛が務まるかよ』

 

『しょ、処女ってなんですか! 貴方、もっと言葉を選びなさいな!』

 

『はあ? なんでこの俺がてめーみたいな新兵に気ぃ遣わなきゃなんねーんだよ。それに、この程度の事で赤くなってんじゃねーよ。

 

そのでけー胸は飾りか、おぉ?』

 

『む、胸は関係ないでしょう!』

 

いよいよ痴話喧嘩の様相を呈してきた二人。武はすっと手を上げて、ちょっと傾聴、と言った。

 

『ああ!?』

 

『何のようですか!』

 

鬼もかくや、という形相で振り返る二人。武は努めて無表情のまま、告げた。

 

『ヨソでやれ』

 

親指を横に、そして外に向けたまま、ぷちっと通信を切った。罵倒が消えて武の耳に届くのはシミュレーターの音だけになる。嘘のような静寂。武はそんな元通りになった空間の中で、思った。

聞こえるのが、こんなに落ち着く事だったなんて、と。

 

「大体あいつらさぁ………なんでいちいちさあ…………オレ挟んで喧嘩するかなぁ………」

 

さっきもそうだった、と武は疲れた顔をする。あの話があると提案した橘が一転、何のようですかと来たもんだ。

武はどこぞのノッポとチビを思い出しながらも勝負のための調整作業へと戻っていった。そして誓った。いっそ最後まで、細部まで詰めに詰めて、キメにキメて、徹底的にやり抜いてやると。邪魔するものは、と考えた時だった。

三度目である。また通信が入る気配を感じた武は、瞬間的に反応し、取り敢えず恩師である教官直伝のガンつけを決めこんだ。

 

『おわっ!?』

 

『………なんだ、マハディオか』

 

『いきなり睨みつけてその反応!?』

 

投影の倍率がアップした上でのガンつけ、後にがっかりしたかのような顔である。

だが、マハディオは怒ってはいなかった。むしろ逆で、彼の口元は僅かに緩んでいた。

 

『啖呵、格好良かったぜ。最近のフーカちゃんとの会話といい、調子戻ってきたんじゃないか?』

 

『………何のことか分からねーよ。用がないなら切るぞ、調整がまだ残ってる』

 

武は意識して不機嫌な顔を前面に貼りつけた。

それを見たマハディオは、苦笑しながらも話を強引に続けた。

 

『整備兵に新人に中隊長。弱い所を見せない、逆に安心させるようにと強気な言葉をはく。流石は英雄中隊の前衛隊長さんって所か?』

 

『………隊は関係ない。突撃前衛ってのはそういうポジションであるべきだろ』

 

整備兵には強い口を。新人には安心させる言葉を。そうして、隊から不安を取り除くのが隊の最先鋭の仕事である。あるいは戦車兵や歩兵に対しても、と武は主張した。

 

戦争が近いからだ。

武はどこかで確信していた。奴らが海を越えてやって来るのはもう間もなくだと。

 

『わかってるさ。でも、まあそれは置いといて、正直な所どうよ』

 

『正直って、何が』

 

『珍しくも、お前が怒った――――フーカちゃんを泣かされたこと、そんなに腹に据えたか』

 

マハディオは思っていた。怒ると人間は本性が出るということを。

それは素の自分を曝け出す行為に等しく、目の前の少年についても同じで。

 

『………そんなんじゃねえ。そんなんじゃねえよ。ただ、オレは………』

 

武は目をそらしながら、思い出していた。戦友とは異なる、かつての同期のこと。上層部の勝手な思惑で命を使われた、チック小隊。周囲の評価はどうであれ武は彼らが必死だったことを知っていた。そして九十九那智も。戦って散った、同じ隊の衛士たちも。

 

武は低い声で、断言する。

 

『命を賭けて頑張ったんだ。なら、正しく報われるべきだろ………っ』

 

死ぬような思いをしたのに、評価されない。そのような事が、あっていいはずがないと。

ましてや糾弾されるなど、あり得ないと武は断言した。

 

『………そうだな。それは、その通りだ』

 

マハディオは一転して戻った雰囲気に、従わざるをえなくなって。それでも、と話しかけた。

 

『また、別の理由があるかと思ったぜ。例えば誰かを思い出した、とかな』

 

『――――は?』

 

その言葉に、武は反射的に疑問の声で答えた。しかし、数瞬の後にはそういえば、と考えていた。

 

《ま、何となくだけど………純夏に、似てるかもな》

 

不意打ち気味の声に、しかし武は即座に否定した。

 

(黙れ。それに碓氷少尉はあそこまで馬鹿じゃねーよ)

 

《それもそうだ》

 

武は思い出していた。シメジを松茸だと教えられ、それを疑わず素直に信じた馬鹿がいたことを。

あの時のことは、たまに夢に見る。まさか騙せるとも思っていなかったのだろう、純奈母さんは顔を引き攣らせていたことも昨日のように覚えていた。

 

(あれほどの馬鹿、探しても見つかるもんじゃねーだろ)

 

《激しく同意する》

 

同意の言葉に、武はしてやったりの顔を浮かべていた。

実に酷い男であるのだが、本人に自覚はなかった。

 

《で、努力に関しては――――なんだ、まだチック小隊のこと忘れられねーのか》

 

声の言葉に武は心境をがらりと変えた。鉄臭い、物騒なものへと。

 

(忘れられるか、ああ忘れられねーよ。死ぬまで覚えてるさ。死んだ馬鹿司令があいつらにやったことはな)

 

《………厳密には、違うんだがな》

 

(何か言ったか? ………ちっ、都合が悪くなったらだんまりかよ)

 

武は唐突に出てきて勝手に引き込んだ声に、激しく舌打ちをして。

また前に向き直った所に、マハディオの顔を見た。何を言ったらいいのか分からないという、困惑した表情。武は顔を逸らしながら、答えた。

 

『大丈夫だから』

 

『………納得は、しておくぜ。それに勝たなきゃそれも戯言になっちまう。それが分からないお前じゃねーだろうし』

 

口だけの奴は黙っていろ。軍隊という所は、発言力の強弱が時に道理の正誤を歪めてしまう場所でもあるのだ。何か言いたければ強くなれ、あるいは偉くなれ。それが暗黙のルールで、従わない奴は爪弾き者とされる。それに、と武は相手の方を見ながら言った。

 

『実戦経験のない奴らに負けるとか――――恥だろ』

 

背負った重さが、自分に敗北することを許さない。武は、少なくとも相手よりは必死であることを自覚していた。マハディオも、その辺りの機微は理解していた。何よりも、相手方に必死さが不足していることも。

 

『で、どうだ実際。勝算はどのぐらいだ?』

 

『ぶっちゃければ分からねえ。BETAとの戦闘経験は無し、とはいえ対人戦の経験はそれなりにあるんだろうし。でも、この眼で相手の力量を見定めたわけでもない』

 

武はすっぱりと断言した。やってみないと分からないと。先ほどとはまるで言っていることが違い、流石のマハディオの顔も引きつった。そして武は、その顔を見ながらも。

 

いつかのように、笑って言った。

 

『勝算なんか知らんけど、やるからには勝つ。いつも通りに、気張って、頑張って、どうにかする』

 

戦闘が始まったらやることは一つだ。相手が誰であれ、言葉を聞いてくれる存在ならばそもそも殺し合いにはならない。特にBETAを相手にしてきた武である。戦闘に対する覚悟が定まるのは、今の隊にいる誰よりも早かった。

 

『懐かしいな、クラッカー流か。いや、お前ら前衛の四人組は特にそうだったな』

 

まだ問題児集団、爪弾き者が集まった愚連隊と呼ばれていた頃。

それをよく知っているマハディオは、頷きながら思い出していた。

かつての勇。今も語りぐさとなっている中隊の、その中でも際立ってイカれていた前衛小隊。

 

今は、とても“クサイ”名前で呼ばれている3人。

 

 “舟歌(バルカロール)”、“突撃砲兵(ストライカー)”、“火の玉小僧(ファイア・ボール)”。

 

――――そして、箝口令が敷かれたとしても、その戦いぶりから、今でも人々の記憶に残っている人物がいる。

それは、導となる星に例えられた突撃前衛の長。

 

『頼んだぜ、“一番星(ノーザン・ライト)”』

 

『………おい』

 

『なんだ、“火の先(ファイアストーム・ワン)”とでも言った方が良かったか』

 

『ちげーよ! 人をその恥ずかしい名前で呼ぶんじゃねえ、頼むから!』

 

 

武は顔を真っ赤にしながら、マハディオに怒鳴りつけた。今言われた少し気取った名前は、武達が東南アジアに居た頃につけられた二つ名である。

 

武で言えば、(ターラー)の一番弟子、初の教え子であるから一番星。また、いつも前に。どの空にあっても変わらない位置に例えられ、北極星とも呼ばれていた。

あるいは炎嵐(ファイアストーム)とも呼ばれた前衛4人の中でも常に一番前で戦っていたから、火の先とも。

 

本人達が考えたはずもない同意さえも求められずいつの間にか決まっていた名前である。そして全員が、まったくもって納得していない仇名だった。

 

マンダレーを落とし、東南アジアの平穏を守ろうと奮闘した英雄中隊。苦境という苦境を乗り越えた彼らだが、その名前で呼ばれることは恥ずかしかったのだ。ハイヴ攻略の前でも、英雄として受け入れなければならなかったのは確かである。しかしそれでも、複雑な事情があるからこそ受け入れがたいものでもあった。武はその上で、と前置いて口を尖らせた。

 

『実際、その名前は何も助けちゃくれなかった』

 

『そりゃそうだろ。人の付けた勇名でBETAが退いてくれる筈もねえし』

 

『ああ。だからいつもの通りに自分の手で、いつもの通りに気張ってやるさ。二人の実力も、ここで見極めておかなきゃな』

 

武は考えていた。今回のやるべきことは二つだと。まずは売られた喧嘩を叩き返してやること。そしてちょうどいい機会だからと、新人達の練度も確認すること。

 

『やれやれと。ほんっと、やることが多くなってきたな』

 

『いよいよもって“近い”からな。準備の期間なんだ、忙しくなるのは当然だろ?』

 

武が実地で学んだことの一つであった。5年に渡り、常に最前線で戦ってきたから分かる。

最前線があって、そしてそれに近づくほど慌ただしくなって、そして軍人のやる事が増えると。

 

『………時間だ』

 

時は開始の30秒前。目の前の倍する敵を前に、武は言った。

 

『取り敢えず全員ぶっ倒す。後ろは任せたぜ―――マハディ』

 

『任せろ。お前はいつものように、前で暴れてくれよ――――シロ』

 

 

歴戦の衛士が、目の前を見据えて。そして漸く、開始のブザーが戦場の幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12機を率いる大尉、名前を巽紀正という男は目の前の光景をただ、鼻で笑った。レーダーに映る機影は半分。自分たちの、1/2である。

 

そしてその敵が選んだフィールドは、この障害物のない荒野だ。

 

(馬鹿なのか。せめて都市跡ならば何とかなったかもしれないものを)

 

開けた場所ではない、建物の残骸が壁となる迷路の中であれば数の有利はさほど大きくなくなる。

それが常識だった。このような場所など、一番数の差が影響するステージのはずだ。

 

(あるいは、負けた時の言い訳にするつもりか………?)

 

巽は舌打ちをした。思いついてしまったのだ。こんな条件だから負けました。それを盾に、帝国軍との不和を生み出すまいと、上手く躱すつもりか。あくまでまともに相手をするつもりはないと、そうするつもりであるのかと。

 

『中隊長! 前衛がそろそろ射程内に!』

 

『落ち着いて迎撃しろ。後衛は前衛の援護を…………なんだ、伊村』

 

巽は動きがいつもより鈍い、女性の衛士を睨みつけた。

 

『そんなに、不満か。俺の手段が気に入らないか』

 

『………いえ。では、前衛の援護に入ります』

 

返事の内容は差し障りの無い。しかし不満がありありと見て取れる顔と声質に、巽は舌打ちをした。

 

(女は、どうも扱いにくい)

 

男の衛士の数は年々減って、今となってはかなりの割合を女性の衛士が占めていた。この隊でも、後衛の伊村と中路と、中衛の羽幌は女だ。その全員が今回のような女を挑発して釣り上げる方法が気に入らなかったらしく、こうして不満を顕にしていた。行動の精度や確度がその時の感情に左右されやすく、安定しているとはとても言えない。前線において男女は平等と、謳われてはいても実際の扱いを男と同じにするわけにもいかないのが現状であった。

 

(それも、後だ)

 

見れば、敵影の赤は間もなく交戦域に入ろうとしていた。馬鹿げた、一直線の機動。かなりの速度で敵前衛がこちらに向かっていた。まるで素人ではないか。呆れ、巽は部下に命令を出した。

 

固まり、相手の様子を見ようとしていたが、それも必要ないらしい。いっそ一思いに弾幕の花を添えてやれと、迎撃の命令を出す。

 

その直後だった。

唐突に衝撃と、視界に赤い光と警報が。巽は故障かと思い、直後にその宣告は成された。

 

撃墜判定。コックピット、管制ユニットに致命的な損傷を確認―――

 

 

『………は?』

 

 

巽は一瞬だけ自失して。そうして見れば、敵前衛は滑腔砲を次の機体に向けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

灯りの消えた部屋の中。その映像は、確かな衝撃を見る者に伝えていた。真正面の進撃からの長距離狙撃。敵指揮官の撃破の後の立ち回りなど、問題点を指摘する部分が見当たらない。対する12人が居たはずの中隊の動きは明らかに鈍っていた。動くにしても戦術的意味の無い行動ばかり。指揮官が急に倒され、どうしていいのか分からないという振る舞いが見て取れるようだった。

 

「………実戦の経験がないのは確か。しかし、ここまで差が出るものか」

 

「通常ならばここまでの事は。しかし義勇軍の中隊も、その辺りの弱点を的確に突いていますから」

 

その隙を見逃すものか。そう言葉が聞こえてきそうなほど、義勇軍側の攻撃は徹底していた。様子見などあり得ないと、鋭角のその更に奥へとえぐり込んで来るような機動で常に前進、そして情け容赦のない果敢な攻撃を続けていた。

 

それは正しく、烈火の文字を体現するかのよう。それでいて乱れず、時には連携して12機を翻弄し続けていた。一端怯みを見せれば即座に反応、途端に踏み込んで食い荒らす。

 

極めつけは、陣形奥深くに切り込んだ最前衛の機体だった。迎撃の36mmを最小限の跳躍でいなし、それと同時に近距離よりの射撃。中衛とはいえ、それなりの手練である2機がまとめて行動不能となったことを見た高級軍人達の大半が、たまらず顔を引き攣らせた。

 

「………凄まじい」

 

誰かが呟いた言葉に、全員が同意した。義勇軍の3人は総じて手練であると断言できるレベルだと、聞いてはいた。それは事実だろう。しかし突撃前衛長であるこの衛士だけは違いすぎた。

 

最初の狙撃も、おかしいのだ。突撃した前衛機の狙いすました一撃に隊長機が撃破された珍事だが、本来ならばあり得ないこと。いくら巽大尉や隊員達が油断していたとはいえ相当に難しい距離だったはずなのだ。それを当ててくる前衛など、一体誰が予想できるのか。中距離での射撃精度も、非常に高かった。時にはロックオンをしない偏差射撃だけで、CPユニットや跳躍ユニットなどといった戦術機の弱点といえる箇所を的確に捉えていた。

 

「だが如何になんでも………!」

 

「いいようにやられすぎだろうが………っ!」

 

将校が怒りを顕にした。それもそのはずで、巽率いる本土防衛軍に所属している中隊は、以前の基地の中では十指に入るほどのものだったのだ。それがベテランが新兵を相手にした時のようなことをされては、平静でいられようはずもなかった。だけど、半ば理解はできていた。誰もが歴戦の勇であり。傍から見ていることもあって、この一方的な敗戦の仕組みが分かっていたのだ。

 

勝負は水物。そして勝敗を決するのは、士気である。いかに技量の高い衛士とはいえ、その技量をいつでも十全に発揮できることはない。つまり、初手の一撃からの徹底的な攻撃により、士気を一気に持っていかれたのであった。初手先制で戦場の主導権を握るのは戦術の基本であり、義勇軍はその基本に忠実に従ったのだった。

 

やがて勝負とも言えない戦いは終わった。

 

12機は全滅、そして義勇軍側は戦歴が浅い二人が撃墜判定。無言になった部屋の中、以上ですと報告を持ってきた士官が映像を切った。

 

「………で、その後のことは」

 

この場において最も階級が高い将官。本土防衛軍の重鎮であり、陸軍の将官とも懇意である万波中将が報告者である士官の顔を見た。士官は、緊張しながらもはっきりとした口調で答えた。

 

「巽大尉が事前の約束通りに発言を撤回。その後、いくらか挑発するようなやり取りがありました」

 

「挑発、か。考え無しの蛮勇なのか、あるいは」

 

本意は今の所分からないが、それによって義勇軍の立場が悪くなったことは避けられないだろう。

 

「巽にはいい薬になると思ったがな………その後のことは?」

 

「不穏当なことを考えていたようですが、隊長補佐の一喝により目を覚ましたようで。今では以前より激しい訓練に挑んでいるようです。再戦の約束も取り付けたようで、次は勝つという発言があったそうで」

 

また巽の部隊ではなく、基地に駐在する本土防衛軍。そして陸軍の衛士中隊が、帝国軍の威信を賭けてと。特に若い部隊が模擬戦を挑んでいるらしいとの報告が成された。

 

「こうして戦闘の映像も保管されていまして。その、一種の、教本映像として役立っているとも聞いています。裏でデータが回り、映像室で上映されて他の兵種の兵士も見に来るなどといったことも」

 

その報告に、将官全員が驚いた。

しかし、納得できるものはあった。特にこの衛士の戦闘は、一度見たら忘れられなくなるだろうと。

 

「………結果的には良い方向に傾いたか」

 

九州は福岡の基地は、今まさに日本の壁となっていた。だからか将官達は、その基地の衛士が俄に活気だつようになったことを、良い誤算だと考えていた。一方で、義勇軍の癖者ぶりが顕著になったこともあるが。

 

「………九州はいい。これ以上の干渉は度を越えてしまうかもしれん」

 

「肝心なのは、四国ですな」

 

海向うの半島と日本帝国本土とで、一番近い位置にあるのが北九州である。

 

BETAはそこより陸に上がり、東進して京都を目指すものと想定されていた。そして九州より京都まで、その間にはいくつかの軍事基地がある。だがそれはあくまで戦力を置くための基地で、弾薬その他補給の要となる兵站基地の大半は四国に存在していた。

 

また中国地方、あるいは近畿の西部が防衛ラインになった場合の、側面支援を行うための基地も四国の瀬戸内海側に点在していた。以上の点より四国地方は、京都防衛の主戦力が集中している近畿圏内の各所と、あるいは同等レベルで重要とされている場所なのだ。

 

「で、どうだ中居大佐。要である瀬戸の大橋は、やはり落とせんか」

 

世界でも有数の橋は、BETAの通行にも耐えうるとされていた。BETAの重量と速度から設計者が計算し、可能であると認めたのだ。まず、壊れてくれるなと期待することなどできないだからBETAが橋を渡り、四国に浸透するという危険性は十分にあり、それは絶対に防ぐべき問題であった。

 

「しかし、今の時点での破壊はまず不可能かと。第一に世論が許さんでしょうな。特に住民側の反発と、四国出身の将官の意見が問題となっとります」

 

「自分も同意見です。BETAが上陸しいよいよ危うくなってからでないと爆破はできんでしょうな」

 

そもそもが国民の血税で建設された、世界でも有数の橋なのである。交戦状態にない現状、危険であるからと破壊するのは色々な面で問題があった。大橋があるのは山口県は岩国の東側である。そこに浸透される可能性があるからと戦争に入る前に爆破するのは、大橋以西に残っている住民の命を守れないと言っているのとほぼ同じであること。また、もしBETAが山口県や広島県にまで浸透した場合のこともある。

 

大橋が破壊されれば、住民が四国に逃げるといった経路が封殺されるということだ。それに対する反発の声は大きい。守れないと喧伝することによって起きる事態は、日本全土にまで波及するだろう。

 

「大陸帰りの衛士の意見は聞いてみたか」

 

「はい。大橋はBETAが上陸する以前に、爆破するべきであるとの意見が多いです。また、九州・中国地方に残っている住民を一刻でも速く東へ避難させるべきとの声もあるようです」

 

「………ようです、か。貴官にしてははっきりせんが、それはどこからの意見だ?」

 

「はい。以前に、榊首相に意見を求められまして」

 

士官はそして告げた。聞かれた内容は、過激なものであったと。

 

「山陰側から上陸された場合のことをおっしゃられていました。その場合、京都までに点在する戦力で対処が可能になるのかと」

 

「………それは、また」

 

一理ある意見である。

というよりもその状況はこの場にいる将官の全員が最も恐れている事態であった。もしも島根県や鳥取県付近の海より上陸された場合にどう対処するのか、という問題に対する効果的な戦術は未だに出されていないのが認めたくない現状である。しかし、だからといって近畿以西に残っている一千万人以上もの人間に対し疎開を命じられるはずもない。受け入れる土地も見つからないのが現実だった。ゆえにひとまずは上陸したBETAを水際で叩きつつ、福岡県か山口県あたりで止める。

 

艦隊の砲撃を主たる打撃力として、戦術機甲師団や機甲師団で撃ち漏らしを潰す。

そうして時間を稼ぎ、その間に避難を完了させるのが最善であるとされていた。

 

「………特に山間部の多い我が国では、戦術機甲師団の機動力が十全に発揮できませんからな」

 

高度を上げすぎれば、光線級のレーザーに捕まってしまう。そのため高度に注意しながら、狭い山間部を抜ける必要があるのだが、そのせいで移動に時間がかかってしまうのだ。山に視界を塞がれてしまうとBETAがどこからどういった規模でやってくるのかの判断がつきにくくなる。

 

BETA相手では平地の戦場の方が良いとされているのは、このためである。

そして住民が残っている現状、地雷を設置するわけにもいかなかった。

 

「以前にも上がった議題と記憶しております。今になって再度確認するとは、何か外からの提案や意見などがあったのでしょうか」

 

「不安になっただけかもしれん。だが、最近になってS-11の移送命令があったのは確かだ」

 

万が一のためにと、用意しているのだろうか。万波が知っている“榊是親”という男は、ひとたび決意すれば迅速に行動する人物として捉えている。だが、そんな榊にとっても、今回のことは行動が速すぎる。それだけ戦争が近いということか。万波は、改めて対策案を並べ直した。

 

「しかし、やはり海軍の艦隊からの砲撃が重要になるな。戦術機の足止めが鍵となる」

 

「個々の衛士の奮闘に期待するしかないでしょうな。あるいは、戦術機の戦闘能力を上げるための方策を考えるべきかと」

 

また、意見が出された。そして直後に、士官は挙手をした。万波が発言を許し、士官は用意していた書類を取り出した。

 

「その件で、報告があります。例の大東亜連合軍からの技術提供について、技術廠・第壱開発局副部長の巌谷中佐から」

 

詳細は後で報告書にまとめますがと、士官が大きい部分だけ口頭で説明をはじめた。第一に、不知火壱型丙の改修案について。現状にある機体を改造し、継戦能力と操縦性を改善しようとの提案がなされたらしいと。

 

「例の、斯衛軍の最新鋭機についてもいくらか提案があったようです」

 

「………ハイヴを落としたとはいえ、大東亜連合の技術力はそれほどのものだったか?」

 

「ここ数年で跳ね上がったと聞いています。また、我が国の技術者が協力しているとの情報も」

 

「その点に関しては自分から。確定情報ではありませんが、光菱重工の元社員が関係しているらしいです。曙計画にも参加した技術者で、集めた情報によるとかなり優秀な社員であったと。“瑞鶴”の開発にも研究員として参加しており、巌谷中佐とも知己であるらしく」

 

各々が手を上げ、意見を。

すこしでも正確な現状をと、求めるがために様々な情報を統合しようというのだ。

 

「その巌谷中佐だが、今は何処に」

 

「京都です。明日、五摂家の方に面会されるそうで。その…………電磁投射砲の件で」

 

「相談ごとか、あるいは上申する何かがあるか。市ヶ谷にも帰らずに………ふむ」

 

それを聞いた将官のほぼ全員が、顔を微妙なものに変えた。電磁投射砲とは、従来の様に火薬で砲弾を飛ばすのではなく、電磁力によるローレンツ力によって砲弾を射出する新しい兵装であった。弾速はそれまでとは比べ物にならないくらい速く、速度による運動エネルギーが格段に高くなることによって、威力や装甲貫徹力が増幅。理論値では突撃級の硬い装甲でも、真正面から突き破ることが可能となる、次世代の主力兵装となりうる兵器であった。

 

しかし、開発計画はまだまだ未知数であるのは周知の事実。万波も、そして他の将官達も、巌谷が五摂家のどの家に話を持っていくのかは不明だが、研究開発費に関しての変動があるかもしれないと、期待をした。あるいは、国防の要に成りうるかもしれないと。

 

「まあ、それも完成すればという話だがな。絵に書いた餅では人の喉さえ詰まらせることはできん」

 

そして何かに頼るよりは、と万波は言った。

 

 

「他の誰でもない、我々がこの国を守るのだ。そう心に刻め」

 

 

それは――――無念にも軍を去った、彩峰中将のためにも。

 

 

決意の意志がこもった言葉に、全員が敬礼を返した。

 

 

 

 


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