Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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a話 : 何のために

食堂での安らぎの一時。私は深呼吸をしながら、今日の訓練を思い出していた。今日も今日とて嘔吐感がハッピーカーニバルような、そんな変わらぬ厳しさ。最近になって分かったんだけれど、隊内で一番鬼なのはバドル中尉だったのだ。だってあの人笑ってるけど、どう見ても地獄の獄吏にしか思えないもの。だけど一昨日までとは違って、へこたれてなんかやらないという意志が胸の内から自然と湧いて出てきた。

 

何故かというと、それまでには無かった充実感のようなものがあったから。我ながら、とても現金なことだと思う。成果が見える形で出たからもっと頑張ろうという気持ちになったなんて、生真面目なお姉ちゃんが聞いたらなんて顔をするやら。

 

それでも衝撃的だった。戦力比にして倍、そして数の誤魔化しが出来ようはずもない荒野での模擬戦。しかも相手は、エリート揃いの本土防衛軍所属の衛士中隊だったんだから。絶望的な戦闘のはずだった、のに結果はまるでの予想外に終わった。

模擬戦はこちらの完全勝利という形で終結したのだ。私と操緒ちゃんは撃墜されてしまったけど、こっちの部隊の被害はたったそれだけだった。片や相手の中隊の12機は、その全てが撃墜されていたのだというのだから、半端無いと思う。

 

今でも現実かどうか分からない、まるで夢のような時間だったように思う。未だに信じられないという意味でもね。何より12機撃破の内の2機が、私のスコアだなんて、今になっても。

 

――――それでも感触は覚えていた。あれは相手が回避の行動を取った後のことだった。戦術機の足が地面に着地し、硬直するわずかな時間が隙になることは、衛士にとっての常識である。後衛であれば、そこを積極的に狙うべきである。あるのだけれど、その機を見極め。そして捉えられる者はそう多くない。

どうしても感覚に齟齬が生まれるからだ。機体は人と刀と同じように、自分の肉体ではない、別のものどうしである。そして自分の肉体ではないものは、そうそうイメージした通りに動いてくれるものではない。操縦したとしてもイメージしていた動きと同一になってくれないことが多いのだ。

 

時間のロスもある。操縦し、機体が反応し、というワンクッションおいての反応だからして、どうしてもタイミングにズレが生じる。訓練学校の模擬戦は正にその齟齬やズレに踊らされていた。撃ったはいいけど相手は既に回避行動に入った後だったり、焦り過ぎて全然見当違いの所に着弾したり。

 

思うようになんて、全然いかなかったことの方が多い。だけど、前の模擬戦は違った。狙いすまし、当てようと意識して撃ったわけじゃなかったけど弾は当たった。ただ、負けられなかったから。大和くんの言う通りに気張って、頑張った。勝ってやろうって、その思いを抱え続けながら必死で追い縋るように操縦桿を握りしめていた。敵の牽制射撃を回避しつづけながら機を伺っていて、チャンスだと思ったと同時に身体は動いてくれていた。

 

動い“た”のではなく、動いて“くれていた”というのが正しいと思える。まるで無意識に銃口は的確に動き、気づけば120mmの砲弾は敵のコックピットに直撃していた。その直後のこともそう。動揺した敵機体を確認したと同時に、操縦桿は理想の動きをしてくれていた。まるで自分の身体じゃないかのようだった。驚いた所を狙われ、撃墜されてしまったのは、少しまいったけど。

 

必死だったから、と大和くんは言った。余計なことを考えず、秒の過ぎるに身を任せずただ我武者羅に勝とうとしたこと。だからこそ、一瞬のチャンスを逃さず捉えられたんだと。

 

そして訓練の甲斐があったな、とは王少尉の言葉。その時に聞かされたのけど、今まで与えられていた課題は、到底クリアできないように仕向けていたらしい。

 

必死になって、集中力を切らさないように、精神をすり減らすまで戦いの動きを脳裏に叩きこむためのもので。実戦を経験した後にすれば、効果があるらしい。

 

分からない程度に、徐々にゆるやかに難易度を上げていたとのことだ。クリアすると図に乗るから。それを聞いた私は、思わず大和くんの首を締めてしまった。言ったのは王少尉だけど、だってあの人怖いから。

 

だけど、即座に反撃されてしまった。近接格闘の技量もすごいって、正直卑怯だと思う。本当に、才能の差ってやつは残酷なものだ。前衛で暴れまわる動きを魅せつけられ、その他様々な面を見てきた今だからこそ、そう思わざるをえなかった。出会い頭に最大戦力を撃墜し、その流れで切り込んでいった時は開いた口が塞がらなかった。

 

戦闘の後もケロリとしていた。そして首を締めた後はさっと投げられ、気づけば空を仰いでいた。背中に衝撃が無かったのは、手加減されたからだろう。つまりは余裕があったってことで、私は反応すらできなかったわけで。あれで15歳とか、ちょっと信じられないぐらいに反則だ。

 

「反則、だよね」

 

最初に抱いた感想は、根暗。

そして軍人然としていて、あまり見たことがないけど実戦経験が豊富である歴戦の衛士のような怖い印象を思わせる人。なのに、あの喧嘩の一件からは違って見えた。でも伝わったって、まっすぐに私の目を見据えるその瞳は、それまでとは見違えるように鮮やかだった。感情の色に染まっていたというのだろうか。

 

きっと、怒っていたのだろう。

だから背が高いとも言えないのに、自分より大きい相手に喧嘩を売ってしまって。

 

――――ほんと、どこの英雄譚かって言いたい。

 

やり口が気に食わないって、それだけの理由で怒りを顕にして、隠さずにその対象へと叩きつけた。

そして不利にも程がある勝負を提案した挙句に、完勝してしまった。

たまにだけど見せるようになった、バドル中尉や那智兄ぃとのやり取りの間に垣間見えるやんちゃな少年の姿とか、あれ卑怯だろうと。

 

「あー…………まずいなあ、これ」

 

胸に触れてみる。思った通りに、鼓動が早くなっていた。

気のせいか、頬が赤くなっているような。

 

「い、いやいやいや。落ち着くのよ風花、くーるになるのよくーるに」

 

冷静になれと自分に言い聞かせる。隣にいる合成鯖味噌定食を食べていた衛士らしき人が、椅子を向うに離したようだ。けど、そんなことはどうでもいい。問題はこの持て余した気持ちに関してだ。

 

あの大和くんだけど、正直ハイレベルだ。美形とまではいかないが、精悍な顔立ちをしている。落ち着いていて、あの雰囲気だけ見れば私よりも年上に見えた。だけど、素の彼は割りと少年なんじゃないかって思う時がある。立ち振舞とか、気遣いとか、そのどれもが不器用だから。どうしても感情を抑えられず失敗するタイプのような。それでも理不尽を受け入れられないってスタンスは。それを押し切る意志をもっていて、実力も伴っているのは滅多に見られないことだと思うんだ。くだらない冗談でも割りと付き合ってくれる。たまに視線の“色”というか質が気になるけど。なんていうか、私がトンマなことをしでかした後のお姉ちゃんのことを思い出すというか。

 

でも唯一、ノってくれない話があった。例のあの教本について。

 

「なんでか、話を切り上げようとするんだよね…………」

 

クラッカーズが残したという、私的名称"クラッカーズ・バイブル"。内容について理解できない所があり、歴戦の衛士っぽい大和くんに聞いたのだけど、反応は上手く無かった。私が持っているのは日本語訳のテキストなんだけど、「チビ………そこはノリで書いちゃいかんだろ………」とか、「いやいやこれは訳が違うだろ、もっとアレだったぞ」とか。「そもそも感覚派のリーサの言葉は載せるべきじゃないだろ」とか。確かに私も抽象的な表現が多くて、未だに理解できない部分があるけど。

 

でも、同じく感覚派の前衛衛士にはよく理解できるらしい。"波の間に揺蕩う船のように"とか、どう見ても暗号っぽいものにしか読み取れないんだけど、感覚に生きている人たちはふんふんと頷いてたり。

 

………話が逸れた。

 

問題は、大和くんがクラッカーズの面々を知っているっぽいことだ。ひょっとして、東南アジアに居た頃に教えを受けていたのかもしれない。今だって、連合軍内ではかの“鉄拳”、ターラー・ホワイト少佐が直々に教練した、アジア圏屈指の精鋭部隊があると聞くし。

 

信憑性はあると思う。あの年で常軌を逸した戦闘力、何かないハズがないのだから。本当、信じられないぐらいに鮮やかだった。私も、そして那智兄ぃも信じられないって顔をしていた。

 

そして、もう一人信じられないという顔をしていた人が居た。

 

―――というか、いい加減に逃避はやめようと思う。

 

私は目の前でじっとグラスの水を見つめて動かない同僚、眼鏡の巨乳少尉に声をかけた。

 

「そんなに落ち込まないでよ、操緒ちゃん」

 

「………みさおちゃん………そうですよね…………私など所詮ちゃんづけが相応しい、ただの童女に過ぎないのです」

 

わがままボディ持ってる巨乳が何か言ってる。私は全世界の貧乳を代表して目の前の女の眼鏡に指紋をべったりつけたくなったが、我慢した。それをしたら自殺しそうだったのだ。打たれ弱いはエリートであると先輩が言っていたが、それは当たっているのかもしれない。

 

だけども義を見てせざるは勇なきなり。私は勇気を振り絞って、励ましの言葉をかけつづけた。

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● 

 

 

 

撃墜ゼロ。被撃墜一。道化芝居一。それが先の模擬戦における私の戦果だった。

大口を叩いておいてただの足手まといに終わったなどと、どこの未熟な新兵なのだろうか。

 

「ほ、ほら操緒ちゃん! 新兵の衛士は大概が偉そうって、バドル中尉も言ってたし! だから大丈夫だって!」

 

「………なにが?」

 

思わず、普通に話してしまう。意味が分からない。というより、思う時があるのだ。

この目の前の娘は、ひょっとして言葉で私を殺したいのだろうかと。

 

フォローをしたいのか罵倒をしたいのか、ここまで日本語の判断に困る日本人は、私の人生の中で初めてだった。気安くするなと言っても構わず、人を名前で呼んだ挙句にちゃんをつける。空気も独特で、正直もてあましている感は否めない。それでもこの先任少尉は光州で実戦を経験したのだ。そして2機撃墜と、確かな戦果を上げている。

 

そう、私よりも上なのだ。2機撃墜のこの子と九十九中尉、3機撃墜の王少尉、そして5機撃墜の鉄少尉。その一方で、私の戦果はゼロ。バドル中尉も同じくゼロだけど、あの人はフォローに走っていたから功績が無いってわけじゃない。何の役にも立たなかった、私とは違う。

 

今までになかった屈辱。同時に、自分に対する情けなさが浮かんでくる。こんな無様で、誰が責務を果たしているといえるのだろうか。私の実家、橘家は名家だ。とはいっても分家の血筋だが、父は高級軍人で、姉は本土防衛軍の大隊長。どちらも武家としての役割は全うしている。それすなわち、日本帝国の守護のために。何よりも危険な状態である今だからこそ、その家の真価が問われるという。

 

とりわけ武家は民より先陣に、常に武勇を見せられる立場や場所に在らなければならない。そのために私は、この隊へ編入されることを志願したのだ。噂で、腕のいい衛士が集まっていると聞いていた。義勇軍という名前から、きっと武勇に秀でて、人格者である衛士が多いのだと。

 

………実態は違った。志願したその翌日に、詳細な情報が届けられたのだ。大東亜連合圏内でのベトナム義勇軍とはつまり、便利屋だった。大東亜連合内部で派閥争いに敗れた衛士、または欧州に帰れなかった衛士。その中でも操縦技量に優れている者たちを集めた、傭兵のような部隊であるとのこと。または誰かの私兵だったという噂まであるらしい。

 

志願してからの情報開示。騙されたと感じ、実際に最初に会った時はそう思った。

けれど、根っこにある部分は変わっていなかった。

 

自ら汚れ役であることを認識し、自分の立場と相手の立場を理解し、それを活かして動いている彼らは軍人であることには間違いなかった。迷いなき意志、そして覚悟を持っている尊敬すべき先達の衛士達だった。

 

だけれどもただ一人、認められない衛士がいた。

 

名前を、王紅葉という。口も悪く野卑で、何よりも礼儀というものがなっていない男だ。場がどうだとか、関係はない。礼儀はあってこしたことがないのだ。チームの和を乱す者は、チームを殺す毒になる。だからこそ、許せなかった。元気は無いけどやるべき事はやる―――――気に入らない発言で印象が変わったけど――――鉄少尉、軍人としての立ち振舞いに隙がないバドル中尉とは、絶対的に違う。

 

ただBETAが殺せればいいという危険な思想で、時には上官であるバドル中尉や九十九中尉にも噛み付く。腕は確かなのだろう。だけど、そこまで隔絶した差があるとは思っていなかった。それよりも、狂犬が部隊の顔である前衛にいることが我慢できなかった。

 

故の提案で。しかし、私は道化であることを知った。何かが懸かった模擬戦、私も今までにはない緊張感を持っていた。そのせいで動きが鈍り、狼狽えている内に狙撃されてしまった。対する王少尉は、戦場のあちこちに跳ねまわる鉄少尉にぴったりとついていき、的確に"仕事"をこなしていた。

 

聞けば、誰も特別な教育は受けていない、民間出身の衛士だという。片や私は幼少の頃から厳しい訓練を受けていて、あの様だった。ちゃん付けもいいところだ。

あれでは義務を全うできるはずもない。何よりも、相手の力量を見定められず大口を叩いてしまったことが忘れられなかった。顔から火が出るほどに恥ずかしいとはこのことか。昨日はそのせいで眠れず、今も寝不足で気分が悪い。かつ、目の前からはフォローという名前の口撃が飛んでくる。

 

そうした拷問の中、声が聞こえた。

 

「奇遇だな、平べったいのと大きいの」

 

「あ、その出会い頭セクハラ発言は王少尉」

 

慣れたのだろう、碓氷少尉は冷静に返していた。私は、許せないけれど。

 

「何のようですか、王少尉………勝負に負けた私を、笑いに来たとでも?」

 

鉄少尉に通信を切られた後、私は彼と口論していた。そして最終的には、撃墜数で勝る方が前衛に相応しいと。王少尉は面倒臭いと断言しながらも頷き、約束は承諾され、そして結果はご覧の通りだった。

 

「完敗です………処分はいかようにでも」

 

先任にあれだけの大口を叩いておいて、あの無様だ。何かしらの制裁を加えられようとも、それは当たり前のことだろう。軍において信賞必罰は成されないことで―――――

 

「ハァ? ………ああ、そんなもんもあったな、そういえば」

 

返ってきた言葉に、感情は含まれていなかった。

 

「どういう、ことですか?」

 

 

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● 

 

 

 

「どういう、ことですか?」

 

くだらない事を聞いてくる小娘の顔色が変わったらしい。それを鼻で笑ってやる。

 

「どうでもいいって言ったさ」

 

 

一体何を勘違いしてやがる、とまでは言わない。名家のエリートさんは軟い奴の代名詞だ。稀に図抜けた技量やタフさを兼ね揃えた化物もいるが、大概がこんな程度。環境に恵まれた家に生まれたってだけで、根本的な“軍人”としての資質を持っていない奴が多い。

だからこそ、癖者にはなりにくい。挑発の言葉には律儀に反応してくれるし、俺ができるような低いレベルでの思考誘導にも引っかかってくれる。

 

「初陣だった。だから、あれはしょうがないってこと………勉強になったろ?」

 

先々月に死んだ、元教官をやっていたマレーシア人の真似をしてやる。普段は怒り、凹んでいる時には褒めろと奴は言っていた。それを真似する。

 

元より、それ以上に何かをしてやる気もない。こいつの役割は、"白銀武"の精神を揺さぶるためだけのもの。アルシンハ・シェーカルに言われた通りにするだけだ。ワザと挑発をして、ワザと喧嘩をして。"揺さぶれる"人材を現地調達しろと言われて困っていたが、まさか向うの方から舞い込んでくるとは。あとはそれなりに資質のある、いざという時の壁として役に立つだろう。

 

"シロガネタケル"を取り戻すために。その任務を達成できるのは、きっと俺だけだ。何より、より多くのBETAを殺すために、あいつの復帰は必須であると元帥殿は断言した。それが俺の価値であると。駒としての役割だと、笑っていた。

 

そして、俺にとってのこいつの価値もそう。何よりも"思い出させる"ことを優先に、"再現"をしろと。作戦の前に、ある程度の情報は与えられていたから助かった。後はこいつが壊れて使いものにならないようにするだけだろう。今から代役を調達するのはほぼ不可能になるかもしれない。だから、凹んでいるこの場においては、表面は優しくしてやらなければならない。軍の常識において言う、立場と道具は上手い具合に使うもの。

 

「元々からの戦歴がだいぶ違うんだ。大丈夫、お前も実戦を経験すればきっと今以上に成長する」

 

だから、今までにあの野郎が並べ立てた言葉を声にして発した。

 

「日が浅いだけだ。次の模擬戦でもいいさ、いつでもかかって――――」

 

次の希望をもたせようと。しかしだけど、その言葉は止められた。

止めたのは、食堂に広がる音――――歯ぎしりの音だ。

 

「操緒、ちゃん?」

 

碓氷が狼狽えている視線の先。そこにいる橘は、今までとは明らかに様子が違っていた。

今までとは同じ、怒ってはいる。しかし、レベルが違った。例えるなら、これは憤怒と言うべきか。

 

 

「お顔を、お貸しください………王紅葉」

 

 

丁寧な敬語で名前を呼ぶその顔は、体裁を整えるという名目で身につけられていた虚飾も無くなり、それなりに見れたものだった。

 

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● 

 

 

 

「ほう、そんな事が」

 

「落ち着いている場合じゃないですよ、バドル中尉!」

 

碓氷は手をばたばたさせていた。そしてあの二人が今にも殴り合いをしそうだったと、焦った様子で訴えてきた。どうでもいいと断言するが。

 

「………どういう意味です?」

 

「言っても聞かん。何より王紅葉は言葉でどうこうできる奴じゃない」

 

付き合いは、それなり。その中で理解できたのは、王紅葉という男が何らかの確信を基幹として動いているということ。詳しい過去は知らない。だけど一度、"そう"動いた時のあいつは見てられないほどに、酷薄な存在になる。その過程で、誰かの心を踏みにじろうとも奴は止まるまい。地雷だからとて、踏んだことにも気づかず、淡々と足を修繕して前に進むだけだ。

 

「どういう、ことですか………私にはわかりません」

 

「あいつには問答し終わった覚悟がある。そういう奴を相手するにはこっちにも相応の覚悟が要る」

 

飾らず言えば、殺さずどうにかできる奴じゃない。そしてそれを見極めることができない今では、対峙したくない存在なのだ。チームワークは大事だろう。しかし時としてそれが望めない相手がいる。

 

それが王紅葉という男だった。詳しい動機や、過去など、背景は分からないといっていいぐらいだ。

だけど知る限りのあいつは、BETAを殺す鬼。BETAを殺すためならば、地獄の苦境を受け入れつつも手を伸ばし続けるだろう障害を排除するためだと、自分の命さえも使いかねない男だ。

 

「どうして、それが分かるんですか?」

 

「俺も同じだからさ」

 

最初に出会った時に感じた。タケルには言えないが、同類であると。あいつは、BETAを殺すために。俺は、プルティウィを守るために。必要となれば、躊躇なく目の前の少女を切り捨てることができるだろう。例え古巣の戦友に罵倒されたとしても、迷わずそれを選択するだろう。

 

それほどまでに、戦場は――――

 

「そうだな、意地悪な質問をしようか………碓氷少尉。君は自分と、君の姉と、九十九中尉の三人が死にそうになっていたら。

 

そして一人しか助けることができないとしたら、誰を助ける?」

 

「え………」

 

「何と何のために戦うか――――つまりは、そういうことだ」

 

何のために戦うか。問われれば、人類の勝利だと誰もが答えるだろう。

 

しかし、"と"を足すと意味合いが変わる。戦争らしい現実感が混ぜられるのだ。何と何とは、即ち選びとることで。つまりは、どの順番を優先し、自分は戦うのかを認識させられる。優先順位をつけるのだ。それに迷い、決断するとは自分にとっての対象の価値を決定すること。

 

命に優劣をつける。これほど、残酷なことはないだろうと思う。それが見知った顔ならば余計に。

しかし、それも自分の意志で行うべきだ。反吐だらけになっても逃げない、あいつのように。

 

今でも忘れられない。グラウンド。暑い大気。汗を雨のように、地面へと落としている少年。

 

何かをしていないと、やり切れなくなると笑っていた。笑わずにはいられないと、まるで泣きじゃくるように。零した言葉は逃さなかった。死んだ誰かを夢の中でまで見るのは嫌なのだと、消え入るような声だった。

 

ついには、体力でさえも勝てなくなった。成人に足りぬ少年が、成人の軍人に勝つという規格外。だけどそれを才能と呼ぶ奴はいない。実情を知った者であれば余計に。

 

それでも少年は誇らなかった。まるでそれが責務であるかのように、自分の身体を苛め抜いた奴が居たのだ。あれでこそだと思う。

 

英雄など。そうでなければ、戦場など。自ら選び、戦場に赴いたその上で最後の選択をするのが――――否、言うまい。だけどふと思う。碓氷少尉にはあるのだろうかと。しかし問うた言葉に返ってきたのは困惑だけだった。

 

「………あります、だけど」

 

想像とは違った、と彼女は言った。

 

「私の実家、田舎なんです。あるのは山と川と緑と、知っている人たちだけっていう、そんな」

 

狭い社会で、だから知っている人たちだらけだと苦笑した。

 

「………おばあちゃんを守りたかった。最初に考えたのはそのことです。ニュースだとか、新聞とかで見ました。毎日毎日、大陸に派兵された人が死んだと」

 

見知っている大人の男達、それよりも屈強であろう兵士の人たちが死んでいく。彼女はそれが不安でならなかったらしい。

 

「おばあちゃんって、洗濯物を持ち上げるにも一苦労なんですよ。いつも、私かおねーちゃんが手伝ってました………だから、戦えるはずもないって。襲われたとしても、逃げられる筈がないって。想像してしまったからには、目を背けられませんでした」

 

だから軍人になった。志願し、訓練でも諦めることなく頑張れることができた。

 

「言いながらも、思い出しました…………実際にこの眼であの化物達を見てしまったからには、尚更です。あの化け物どもを、おばーちゃんのいる群馬にまではたどり着かせられない――――」

 

 

もしかしたら、叱り飛ばして退散させちゃうのかもしれないですけど。

 

碓氷少尉は、笑ってそんな事を言った。

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● 

 

 

 

 

 

「怖い、お婆さんなんですね」

 

「ああ。正直、思い出すだけで震えが止まらない」

 

二人に気付かれず、物陰。隠れながら聞いていた会話の内容に、鉄少尉が反応をした。碓氷の祖母についてだ。俺も、昔はやんちゃをしてよく怒られていたものだった。母親のいない家が多いあの界隈では、絶対に必要な存在だった。間違った時には厳しく叱ってくれて、頑張れば頭を撫でてくれた。

 

「知っているとは思うが、俺もあいつの同郷でね」

 

地元で同級生だった奴も、同年代のツレも、多くが志願して軍に入った。その中の何割が、あの故郷のためにと答えるのかは興味があるがそれももう聞けなくなった。ほとんどが帝国陸軍に。そして確認できるだけでツレの8割が、大陸での戦闘で死んでいった。一体何を考えて、戦って、そして最後を迎えたのだろうか。思い出そうとしても、浮かんでくるのは馬鹿をやった夜だけだ。訓練学校を抜け出すか、あるいは先輩方からの差し入れでアルコールをかっ食らった。

 

増えてきた女衛士の強化服が破廉恥だとか。最高だとか。誰が好きか暴露しあい、時には空想の取り合いで喧嘩になったこともあった。

 

「戦う理由、か」

 

「………九十九中尉の戦う理由も、あのお婆さんの?」

 

「そうだな。だけど、それだけじゃない」

 

答えながらも、明確な回答は出なかった。考えるが―――浮かんでくるのは、死んだ友達なのだ。

そして、光州作戦で死んだ同じ部隊の仲間でのこと。

 

「いい奴らだった、ってのは常套句になるんだろうけどな」

 

命令を曲解する馬鹿もいた。

ふてくされて、軍人らしからぬ返答をしてこちらを苛立たせたこともあった。でも――――ほんとう、いい奴らだった。何より、戦友だったんだ。シゴキの挙句に出た反吐も血も、一緒に見せあった家族だった。そういう意味では、風花と同じかもしれない。

 

「俺もそうさ。故郷に残してきた家族、そして戦場で失った家族のために戦っている。お前ほどの腕は、無いけどな。それなりの覚悟は持っている。例えば風花のためならば。俺はきっと、死んだっていいとさえも思えるんだ」

 

「それは………家族、だから?」

 

「幼なじみだから」

 

あいも変わらず脳天気で。だけど何年かぶりにそれを見た時は、八百万の神様に感謝さえもした。ああ、残っているものはあるんだって。だからこそ、光州作戦の時は肝を冷やした。死んでいく仲間、戦友、顔も知らぬ誰か。

 

――――思い出すだけで吐くことができる。実際、訓練中にあいつらの顔を思い出して、死なせてしまった情けなさに吐いた。屑が。守れなかった駄目野郎が。俺では無い誰かが、俺の声で糾弾をしてくるのだ。最善とかそういうものは関係がなく、ただ死なせてしまった事実が重かった。俺と同じように両親が居たはずだ。友達が居たはずだ。そして、好きな奴がいたはずだ。思いを交わした相手が居たかもしれない。

 

だけど、死んだ。自分が死んだ場合の、自分の家族がどういった顔をするのかって、考えただけでたまらなくなる。そして、憎い。我が物顔で人様の陸地を走り、あまつさえ立ち向かったもの全てを殺すあの化け物たちが。

 

憎くてしようがなくて、吸う息さえも苦くなって。だけど相手の戦力は反則にも近いもので、全力で侵攻されたかと思っただけで気分が悪くなる。だから吐き散らかして。

 

それを見抜いて、さりげなくフォローしてくれたり、訓練の内容を緩くしてくれる義勇軍の二人には頭がさがる思いだけど。

 

「ってどうした、そんな顔で」

 

「………いや、何でも。そうか、幼馴染みだったっけ」

 

見た目通りの中学生の表情になる鉄少尉。だけど、あの気遣いが出来る程度には修羅場をくぐってきたのだ。疑う奴はまず戦っている映像を見ろと言いたい。陸軍の下っ端だけど断言するが、鉄少尉の腕はアジア圏内ではトップクラスだと思う。あるいは斯衛のトップでさえも、凌駕するかもしれない。何よりあれだけの機動で戦える衛士がアジア圏内に何人いるというのか。

 

何よりも隊を引っ張っていく意志力。そして整備兵にさえ心配りができる。戦歴少ないボンボンにはとてもできない真似だろう。名前は鉄らしいが、それこそ"鋼の衛士"と呼ばれてもおかしくはないほど。それでも、地獄の中を耐えてきたからこそだろう。俺はふと、この少年がどのような鉄火場を経て"鋼の衛士"となったのが知りたくなった。

 

何よりも、その切っ掛けを。

 

「………切っ掛け?」

 

「ああ。だって、変だろう」

 

詳細は知らないけど、無理やり徴兵された果てにこうなったとも思えない。鉄少尉の根にあるのは、俺達と同じであるはずなのだ。理由は一つ。他人が傷つけられ、やり口が気に食わないと怒ることができる人間が自分のために銃を取るはずがない。こうして覚悟は持っているようだ。そうでなければ、ここまで生きていられないはず。立ち上がり続ける意志は持っているだろう、しかしそれ以前にである。

 

「まず最初に、何で衛士になろうって思ったんだ?」

 

「俺は―――――」

 

立ち上がるに至った意志は、との問いに返ってきたその答えは、本当に意外なものだった。

 

 

答えはシンプルなもので、誰にも笑えないような内容で。

 

 

しかし、窓の外の雲たちは笑うように稲光を輝かせていた。

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● 

 

 

 

今日も今日とて厳しい訓練が終わった。路面電車で志摩子と別れた後には、日はもう傾いていた。京の空が茜色に染まる。夕暮れの空の色は日によって変わるというけれど、今日は酷く綺麗に見えた。

 

何か得したような気分になって、帰宅するその足にも力が入る。ひょっとして、今日は何か良いことがあるかもしれない。

 

そして、その予想は当たった。

 

「あれは………!」

 

門の前に見覚えのある車が止まっていた。

車の数は多く、そして護衛の人たちの顔は見知ったものだった。

 

 

あの人たちは、確か巌谷のおじさま付きの人たちだ。ひょっとしてと、自然と駆け足になる――――けど、その足は止められた。誰かが走ろうとした私の裾を引っ張ったからだ。

 

「あの…………」

 

不安げな声に振り向く。すると、女の子がいた。

とはいっても年下ではない、私と同い年ぐらいの女の子だ。

 

髪の色は、夕暮れよりも赤い赤。そして小柄な身体を縮こまらせたまま、その子は道を聞いてきた。

 

「えっとすみません………うう、なんだったっけ…………あ、そうだ風守さんっていう家に行きたいんですけど!」

 

――――風守。その名前には聞き覚えがあった。

 

五摂家の斑鳩に近い有力武家、“赤”の風守のことだろう。しかし、どう見ても目の前の子は武家の家の者には見えない。だからひとまず私は、名前を尋ねることにした。

 

 

「私は篁唯依、貴方は一体?」

 

 

「あ、ごめんなさい」

 

 

また慌てたように、言う。

 

 

「私、鑑純夏っていいます! その、横浜から来ました!」

 

 

それは、快活な声だった。

軍人や武家には思えない、だけれども明るく元気づけられるような声だった。

 

 

――――だけど何処か遠い空。

 

 

唯依は血のような茜色の空の向うで、黒い雲が嗤ったように見えた。

 

 

 


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