Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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10話 : 束の間の

起きたら、今度は喧噪の中だった。武は寝る前のことを思い出そうとして、失敗した。だが、機体を整備する音が反響しているからには、ここはハンガーなのだろう。

 

「お、起きたか英雄さんよ」

 

声は整備班長のものだった。からかうような声。そこで、武は寝る前の状況を思い出した。

 

「確か、デブリーフィングが終わって………?」

 

基地に帰投して、シャワーを浴びて、着替えて、デブリーフィングをして。そして自分の機体のチェックをした後、マハディオの機体のチェックに入った所で寝てしまったのだ。

 

「おはようというには、遅いがな。でもまあ、疲労困憊でもなさそうだ」

 

班長が武の顔を覗き込みながら、言った。武は立ち上がり、軽く背伸びをした後に、答えた。

 

「たかだ数時間の戦闘でへばるほど、柔じゃありません………ああ、もしかして邪魔になっちゃったとか?」

 

「邪魔になる所で寝てるなら、速攻で追い出してたさ」

 

 

皺の目立つ整備班長は、かかか、と笑いながら皺を更に深くした。

 

「それにしてもまあ、こんな煩い所で寝れるたあな。図太いっつーか。ひょっとしてお前さんの特技ってやつなのか? どこでも寝られるってのは」

 

砂糖入りの合成コーヒー缶を投げて渡す整備班長。武はそれを受け取った後、蓋を開けながらなんでもないように返した。

 

「慣れ、ですかね………いつもより、かなり煩いのは確かだけど」

 

「この音に慣れる、ねえ」

 

言われた武は、ですが慣れるもんですよ、と実感を込めて答えた。どんなに辛い状況でも、慣れてしまうこともあると。夜目に慣れれば、見えてくるものもある。その一方で、いい思い出は輝いて見えるものだと。

 

先ほどの夢のことも。武は遠く、東南アジアで戦った日々のことを思い出していた。

出撃前に見た、空の光景は良い物で。今にみた授業は―――果たしてどっちだったのだろうと。

 

「………どうした? 顔色が良くねえみたいだが」

 

「いや、ちょっと」

 

昔のことを思い出して、と武は瞬きをした。

 

「後催眠の悪影響か何かか?」

 

「とっくに卒業しましたよ。ではなくて、ちょっと記憶がね」

 

武はそれきり、言葉を濁した。時折、記憶が飛ぶことがあると。そういった後は、昔のことを上手く思い出せなくなる。かと思えば、今の夢のように唐突に頭の中に沸き上がってくることも。

 

それを聞いた整備班長は、じっと武の表情を観察しながら、言った。

 

「泣きそうな顔をしてるぜ、お前さん」

 

勘違いじゃなさそうだ、と。武はそれを聞いてはっとなった後、自分の顔を叩いた。

そして、顔をひきしめなおしながら懇願した。

 

「………見なかったことに、してもらえないっすか。少なくとも、部隊の誰にも言わないで下さい」

 

特に同じ隊員には、と武は強く念押しした。悪い影響しか与えないから、と。

整備班長はその武のお願いに対し、特に質問をしないままに頷いた。彼にしても、最前線に行ったことはないが、それでも物を知らない年ではない。

 

この少年が周囲に与えている影響のこと、そして弱気な顔を晒すということの影響も承知していた。

 

「だから泣けない、か」

 

「勝手に俺がそう思ってるだけかも、しれないです、だけど―――」

 

一人でも、泣くことは許されないと。武はじっと戦術機を見上げたまま、自嘲した。

 

「なんてことはないです。ほら、慣れてしまえば、楽なもんですよ。きつい訓練でも、慣れてしまえばなんてことはない」

 

「………そうか」

 

班長はそのまま、黙り込んだ。何も言わなかった。それほど顔をあわせたことのない少年が、いつになく饒舌になっていること、そして。

 

(矛盾だぜ。慣れているなら、辛くないんならよ。何でお前はさっき、ガキみたいに泣きそうになってたんだ)

 

喉元にまででかかっていた言葉は、音にはならなかった。どこか、指摘するにはまずい感じがしたからだ。そのまま班長はふっと顔を逸らし、騒ぐ声が大きい方を見た。そこには、先の戦闘のことを話しているのか、BETAの野郎が、大したことのない、と騒いでいる衛士がいた。危なかった所を助けてもらった、との声も聞こえる。

 

「………ほら、あそこ。あの騒ぎに参加してきちゃどうだ?」

 

一人で塞ぎこんでるより建設的だぜ、と。班長とて、昨日の戦闘におけるパリカリ中隊の活躍は聞いていた。特に整備班には、その手の話が広まりやすい。損耗率が特に高かった時に、武達の中隊が火消しに奔走していたことは、基地内の人間の大半が知っていた。そう言われた武は、周囲を見渡す。そして、首を横に振った。

 

「お祭り騒ぎとは、こういう事を言うんでしょうけど」

 

見れば、整備の音の他に、衛士達の話し声も聞こえてきた。

それも大きな声で。武はまだ、手を引かれて歩いていた頃のことを思い出していた。

 

言葉の形にならない、ざわめきにしか聞こえない喧噪に、時折聞こえる笑い声。今回得られた勝利と、自分たち生き残ったことがたまらなく嬉しいのだろう。整備員達もそれは同じらしく、一緒に騒いでいる。別の班の班長らしき人物に怒られてはいるが、それでも笑顔は続いていた。

 

しかし参加するつもりはない。武は迷いなく、はっきり自分の意志を明確にした。

 

「………理由があるから、か?」

 

「はい。嫌われ役は、孤立する必要があるんですよ」

 

新人を助けたこと。素直な人間であれば、よくやったものだと思ってくれるだろう。だけど、どうしようもなくひん曲がった人間はどこにでもいる。武はそれを知っていた。東南アジアで戦っていたあの時でも、最後まで武を子供だからと馬鹿にするものが居たように。

 

そいつらがいたら、こう思うだろう――――光州の時と同じく、義勇軍の連中はまた美味しい所を持っていった、と。そして、そういう類の人間は妙に行動的な奴が多い。嫌がらせには労力を惜しまない、という人間が。むしろ嘲笑を振りまいて回る方がよほど建設的なんだと、武は説明した。

 

「それより、九十九中尉達は?」

 

「それよりっておめえ………まあ、風花の嬢ちゃん、操緒嬢さんと一緒に上に呼び出されてらあ。他のお二人さんはコーヒーを買いに行った」

 

武はそれを聞いて、考えた。日本の3人が呼び出された理由について。思い当たる所は、あった。

 

(そういえば、さっきの戦闘………表向きは隊長である九十九中尉の指示に従って戦う、ってのが方針だったよな)

 

だけどさっきの戦闘では、自分が指示を出して、行き先まで誘導してしまっていた。BETAが半島より入水したとの連絡を受けた際に、隊内で何度も話し合ったはずだ。なのに、昨日の戦闘時には―――いや、始まる前には、すっかり忘れてしまっていた。

 

武はそれを思い出し、自己嫌悪に陥いりそうになった。そこに、班長が口を挟む。

 

「隊内で決めたことを無視したのは頂けねえ。降格も十分にあるようなことだ、が、それで助かった奴もいる。お前さんに礼を言いたいとかいう奴がいるのも確かだ」

 

さっきも来てたぜ、と班長はにやりと笑う。

 

「助かった、ありがとうってさ。まあ、そいつらの前では後悔するような仕草は見せんなよ?」

 

「そう、ですね」

 

助けたとして、それを後悔するのでは何のために。そういった誤解を招くのは、事後になった今ではマイナスにしかならない。

 

「なんて言っていました?」

 

「戦車級に殺される所だったって………ああ、洒落が上手い奴だったぜ。なんでも戦車級が重なってできたタワーによ。お前がぶっこみかまして、そのお陰で取り付かれずにすんだって言ってたが…………冗談だよな?」

 

「ええと、心当たりは………2、いや、3回ぐらいある?」

 

「本当だったのかよ! つーか数えるくらいやったのかよ!」

 

班長のオヤジさんが、驚いたように叫ぶ。彼の常識からは、逸脱した行為だったからだ。

 

「おいおいまだまだ防衛戦の初戦だってのに、無茶が過ぎるんじゃねえか?」

 

「いや、当たっちゃ駄目な所ぐらいは流石に心得てるんで」

 

だから機体がイカれることはない、と武はフォローをした。かなり長い間戦ってきた相棒で、どこに当たれば構造的に不味いことになるのか、分かっていると。

 

班長は、論点がちげえと更につっこんだ。

 

「………戦車級って、機体に取り付く奴だよな? しがみついて、噛み付いてくる、衛士を一番多く食い殺してる」

 

「はあ、まあ、そうですが。でも距離取れば、ただの的に近い雑魚っすね」

 

「でも接近戦だと、危ない奴なんだよな?」

 

「数でよってたかられると、まずアウトですね。重装甲の撃震でも、ざくざくと、こう、目玉焼きみたいに噛み砕かれている所は見たことが」

 

「で、それにお前さんは突っ込んだと」

 

「まあ、一番手っ取り早い方法で。当たる角度に気をつけたら、取り付かれたりはめったに、と……………どうしたんですか、また頭を抱えて」

 

頭痛がするのか、班長は頭を押さえていた。

 

「………まあ、それは置いとくよ。だけど、身体を張ったんだろう?」

 

報われたいとは思わないのかよ、と。その言葉に武は、どこか自嘲しながら返した。

 

「だからこそ、です。マハディオ達も分かってますよ。下手に混ざって仲良くなると………時と場合によっては、帝国軍の隊内に不和を招くことにもなるから」

 

5年近く軍で戦って。武はその中で学んだことがあった。人間は、3人いれば派閥が生まれるということ。この状況かでいえば、自分たちを責めるもの、反対として庇うもの、中立に立つもの。

 

それは亀裂の一つだと言う。カラスは特に、不和を招きやすいものであるとも。

 

「徹底してるな………しかし、嫌われ役のままか。ここいらでコネを作るってのも、ありっちゃありだとは思うんだがね」

 

あるいは亡命してでも。事情をよく知らないがゆえの班長の提案に、武は首を横に振った。

 

「カラスでいるにも、理由があるんですよ」

 

カラスらしく、時期がくればまた別の餌場に――――最前線にでも移動すると。何でもないように告げるそれに、班長は顔を覆わざるをえなかった。

 

その胸中は穏やかではない色を浮かべていて。鈍い奴でも分かろうというものだ。この少年はあまりにも圧倒的に、戦うことに慣れ過ぎている。

あるいは、この基地の中にいる誰よりも。そして、話に聞いた先の戦闘のこと。

 

「………あの最悪の悪天候の中で、他の人間に注意を割ける。何度戦えば、そんな余裕を持てるんだろうな」

 

帝国軍のベテランにも、そういった衛士がいることは間違いない。だがそれは、10を越える実戦をくぐり抜けた、歴戦と呼べる衛士だけのはず。ましてや突撃前衛の、それも15の少年が。

 

「何度も戦えば。それに、一度は通った道です」

 

武は、それ以上言わない。班長も、そのまま黙り込んだ。周囲の喧噪が二人を包み込む。言葉の無いまま、秒が30を重ねた後だろうか。整備班長は顔を覆ったまま、徐に口を開いた。

 

「………義勇軍。まあ、外国だあな。そこに配属された帝国軍の戦術機である陽炎………それも東南アジア方面ときたもんだ」

 

武が、コーヒーを飲む手を止めた。

 

「海外に出た陽炎の総数は、“12“機のみ―――それを知ってる奴は多くないが、ゼロでもない。だからこの陽炎が“どこでどういった戦いをしてきた”ってのも、まあな」

 

声を濁した班長は、勘違いするな、と言う。追求しようってんじゃない、ただ聞きたいだけだと。

問いの内容は、この国の先行く明日のことだった。

 

「初戦は勝利だ。被害はゼロじゃないが、それは当然のことだ。しかし、損耗率を見れば文句なしの大勝だろうが………この勝ち、お前はどう見る」

 

刺すような口調だった。誤魔化しや冗談といった緩い雰囲気は一切に含まれていない。

 

武は、その問いを受けて、まずは黙りこんだ。

 

硬い空気が流れている。そんな中でコーヒーを飲みながら、周囲に誰もいないことを確認した後、ため息をついた。

 

「先の戦闘でのBETAの総数。その全てが、把握できたわけじゃありません。それでも、侵攻の規模でいえば最小のレベルだったことは」

 

まず間違いないと、断言する。何より戦闘時間が短すぎたと。

告げると、武は立ち上がった。コーヒーありがとうございますと、礼を言う。

 

そして前に三歩進み、班長に表情を見られない位置で立ち止まった。

 

目の前には、ハンガーに並ぶ戦術機たちがある。

 

「………戦術機甲師団の練度は高かった。思っていたよりも、混乱は少なかった。流石は精鋭に名高い、本土防衛軍西部方面部隊だと思いました」

 

武はデブリーフィングで聞いたことを思い出しながら、この基地にいる部隊の練度を褒め称える。先の戦闘で落とされたのは、ほとんどが新兵だけだったらしい。実戦経験のある衛士がいる部隊で、壊滅した部隊はない。旧式と呼べる第一世代機の撃震で、その戦果だ。世界的に見ても、戦闘力が高い部隊であると言えるだろう。

 

「機甲師団の砲撃も、効果的だった。運用は見事で、幸いにして光線級の数も少なかった。砲弾の8割が迎撃されずに着弾したでしょう。効果的な戦術だったと、点数をつける人間がいえば花丸はもらえるほど………でも、その事実を踏まえての感想ですが」

 

――――数が少なすぎたからこその、大勝です。本気のあいつらの数は、強さは、嫌らしさはあんなもんじゃない。

 

「上も気づいているでしょう。戦闘時間が短いほど、こちらの思惑通りに事は進みます。用意しておいた戦術が上手くはまる。だけど、こちらの思惑を越えて奴らの数は底なしです」

 

時間が長いほど事態は予測を越え、そして対処の方法も限られてくる。

そして気づけば残弾は少なくて。仮にもしも、先の戦闘で相手の数が10倍だったら。

その結果を、武は口には出さなかった。

 

「だからこそ、気になることがあります。帝国軍も、気づいていない者はいないはず。自分も、こうした大規模な海峡向こうからの敵を迎え撃つのは今回が初めてで、そう上手くは説明できないけど………」

 

言い知れぬ不安と、想像したくない未来図がちらついてしまうと、武は口にする。入水したBETAの規模、その全容は把握できていない。総数も然り。艦隊にしても陸側に近づきすぎれば、重光線級に轟沈させられる。偵察の戦術機にしてもそうだ。BETA固有の震動があるので、どれほどの規模の侵攻であるか、全く分からないこともないが具体的な数は把握できていないのだ。

 

全容は把握できていなく、もしかしたら想定の数より少なかったのかもしれない。しかし、自分は最悪をも想定しなければならない。楽観視できるような立場にないことを、どこかで確信していた。何よりも、最悪を想像する作業には慣れていた。

 

だからこそ、武は考えを進めた。先の先を取られて何もできずに死ぬのはダメだ。

 

望みを成すために、先の先までを見通すために。例えば、昨日に殲滅したBETAはほんの一部だったのではないか。半島向こうのハイヴより出発したBETA一団の、1割にも満たない数だったのではないか。台風のこと。海流のこともある。

 

そして何よりも、島国における“入り口”の広さは――――守るべき地点の多さは、沿岸部全体なのである。

 

(そして、九州に上陸しなかった残りのBETAは何処に行った)

 

武は、そのまま結論を口にしないまま、ハンガーを去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミーティングをする部屋に、5人。武を除いた中隊の人間が揃っていた。そこに流れている空気は、一言で表すと息苦しい。特にその空気の発端である二人の周囲からは、まるで目に見えるような厳しいオーラが漂っていた。一人は橘操緒、もう一人は王紅葉だ。

 

最初は、鉄大和―――前衛の暴走と、それに副次して得られた効果のことを話し合っていた。

 

「だから、結果的に問題はなかった。オールオッケー。これでいいだろ?」

 

「どれだけいい加減なんですか、貴方は!」

 

「ちょ、操緒ちゃん落ち着いて~」

 

一方的な勝利であった。全体で見れば大勝であることは間違いない。日本に侵攻してきたBETAを撃退できた、これはいいことである。しかし、反省すべき点があれば見逃してはならないものだ。

 

だから主な議題は、先の戦闘における指揮権についてだった。本来であれば、隊長である九十九那智が指揮を取るべきだった。事前に話し合って、決まっていることだ。義勇軍の3人の方が実戦経験は上だろうが、かといって実際の戦場の中で、好き勝手にやってもらっては困る。

 

西部方面の戦術機甲連隊の長も、そしてマハディオ達もその辺りは口にせずとも分かってはいた。九十九は武達義勇軍の面子に表立って話してはいないが、連隊長である大佐直々に、彼らが暴走しないようにしろとの命を受けている。提案し、3人は受け入れた。

 

が、昨日の戦闘では違った。指揮も指示も隊員に出していたのは鉄大和だったのだ。

想定以上だった台風の悪影響と、そこから来る高まった緊張感のせいか、鉄大和の言う通りに隊を動かしてしまった。それどころか、同意するような意見まで。理由は多々あろうが、それが言い訳になることもない。

 

だが、何処に問題を見出すのか、それが問題となっていた。表向きな結果に、問題はない。否、むしろ暴走に任せるままに走らされたが―――終わってみればルーキーの半数に至るまでに感謝されることになった。

 

結果的に見れば、鉄大和の指揮に問題はなかった。むしろ上出来の部類に入る。あの時に助けた人数、新人限定ではあるがゆうに10人を越える。全体で見ればそう多くはない数字だろうが、未来のベテラン衛士の芽が潰れなかったということは大きい。

 

さりとて、軍において命令違反は絶対的な害悪である。事前に了承していたのだからなおさらだ。

規律を旨とする軍において、あってはならないこと。だが、それが功を奏したのならばどうか。違反に対する厳罰は必要だろう。だが、止めきれず追従した自分たちにも責任があるのでは。勢いにのまれ、同意して、そのままに進んでしまったのは自分たちである。

 

そういった意見が出た後、話はこじれ、いつの間にか声が大きい二人の口喧嘩になっていた。

 

「だから、同じ前衛だった王少尉が止めるべきだったって、そう言ってるんです!」

 

「けっ、自分にも出来なかったことを随分とまあ偉そうに」

 

最初はそれなりに理屈らしきものも飛び交っていたが、次第に破綻する理屈ばかり飛び出し、最終的には罵倒の叩きつけあいになっていた。それを見ながら、風花は二人を見回しながらおろおろと、マハディオは処置なしと、九十九は怒声を飛ばしながら。

 

喧嘩する二人を止めようとしているが、効果がある様子はなかった。

 

そしてしばらくして、である。遂に耐え切れなくなったのか、立ち上がるものが居た。慌てるだけだった、碓氷風花である。

 

「もういい加減にして! 過ぎたことをグチグチと女々しく!」

 

「ああ!?」

 

紅葉の極道もかくや、という眼光が飛んだ。

風花は一端ひるむが、拳を握り直してその場に踏みとどまった。

 

「睨むのは私じゃなくて! 考えなきゃいけないのは、次のことでしょう! BETAはまた来るんだから!」

 

力強く、正論でしかない言葉に二人は押し黙った。すかさず、九十九がそこに追従する。

 

「っ、そうだ。先の戦闘は、小規模も小規模。今後、更に多くの数で攻めてこないとも限らない」

 

そのための話し合いだろうとのダメ押しに、二人は引き下がった。片方はどかっと、もう片方はすっと着席する。そこに、マハディオが手を上げた。

 

「その前に、呼び出された件について。原因は、やはり指揮権の問題か?」

 

「はい。大筋ではHQの命令通りに動いていたので、直接的な追求はありませんでしたが」

 

「それでも指揮権がどこにあったかは、司令部も把握していた、ね」

 

つまりは監視でもついていたかもしれない。しかし追求せずに、話を進めた。

 

「で、どうする九十九中尉。表立った戦闘になった今、立場上は俺達から案を出すことはできん」

 

「………それは」

 

実戦が始まる前。模擬戦の中で、義勇軍の3人が好き勝手やったことは、どうとでもなる。

言い逃れできる材料は、いくらでもある。しかし今は、本土防衛戦が始まってしまったのだ。

 

日本人の隊長の元に義勇軍が動いていると、そういう形式を取らなければいらぬ軋轢が生まれてしまう可能性は非常に高い。これからは外の声も大きくなるだろう。実戦を経験した衛士は自信を持つ分、声が大きくなるものだ。そして、その声を防ぎきるものはない。

 

(昔とは、違う)

 

東南アジアのあの部隊に居た頃とは違うのだ。この日本という地で、隊の外に自分たちを守ってくれるものはなにもない。人脈も、なにもない。信頼できる上官もいない。ツテといえば榊首相がいるが、表だってこちらを庇うことはしないだろう。軍内部の人間もそうだ。光州でのことに対し、一応の恩はあるだろうけど、戦況次第ではすぐに消え去ろう。嫌われ役に徹していることもある。

義勇軍に所属してから、そんな状況に慣れてはいたが、それでも同じ隊の隊員達はそれなりに有能で、一部だが信用できるものもいた。

 

だけど、今はどうか。マハディオは武と自分を取り巻く環境の変化と、それに伴って注意すべき事が増えたのは理解していた。彼としては日本にそれほど短絡的な人物がいるとは思いたくない。

 

だが、戦争だ。戦争である。過去の無茶な徴兵もあるし、ここは戦場――――何だって起こるのだ。起きてしまうのだ。

 

故に自問自答を。気を抜けば事態はいつまでも悪化するのみだ。そして人間が、追い込まれれば何だってする事を彼は実地で知っていた。他ならぬ、過去の自分がそうだったのだから。状況によってはここにいる日本人3人が裏切ることも、可能性として考えていた。

その危険性は、王も同じ。マハディオは、王が何かしらの目的で動いていることは、分かっている。

 

そのための言い訳の材料は残しておきたかった。

といっても、奸計を弄するほどの器用さは持っていない。

 

(それは、目の前の男も同じか)

 

マハディオ・バドル。彼は自分の名前を反芻して、その馬鹿な男が辿ってきた人生を振り返った。貧しくも、家族がいた幼年。奪われ、恨みに生きた8年。

再び失ったあの時のことは、今も忘れられない。

 

その後、精神病棟より飛び出して2年と半年。紆余曲折はあったが、かつての戦友の隣に立つことを決めて、2年。死んだと思っていたあの子と再会して、1年と2ヶ月と21日。転機は色々とあり、場所が変わる度にいろいろな人間を見てきた。

 

そして、癖者の筆頭であるかの元帥から託された言葉は一つ。それは白銀武を助けろ、ということ。

彼は、大仰な口調で言った。“暁の子が天から落ちるまで、白銀武という少年を絶対に死なせるな”と不可解な命令した。

 

その言葉の意味はさっぱり分からないが、それでも死なせるなという意見には同感だった。

約定が無くとも、マハディオは武を死なせるつもりはなかったからだ。あの馬鹿で不器用で、それでいて誰よりも必死なあの少年が老衰で死ぬまで守りきれば俺の勝ちだろうと。

 

それから必死に戦場を駆けた。死地の中で、色々な経験をした。

その観察眼を以って、彼は目の前の人物達を評した。

 

碓氷風花。少し抜けた所はあるが、芯は弱くない。いざという時の粘り強さは持っているだろう。自分の領分を犯された時は、死しても抗うと見た。一方で、戦術機に対する適正は高くない。元が民間人で、軍人に徹し切れない性質も持っている。今の隊には、貴重な人物と言えるが。あとは、武に惹かれつつあるということ。いつもの通りに、当事者であるあいつは気づいていないのだが。

 

次に、橘操緒。プライドは高く、能力も高い。だが、自分の能力の評価が適正でないように思える。名のある武家の分家筋らしいが、そのあたりが原因か。周囲に指摘するような人物もいなかったようだ。傲慢一歩手前の振る舞いを見せるが、決して間違った所に念を置いていることはない。

今はたった一人だけを注視しているようだ。王が原因を作ったと見ている。あれはあれで、武以外の人間に一切の頓着をしない部分がある。

特級の地雷を踏んだとしても、ああ、やっぱりそうか、と納得できるぐらいだ。そのせいで、こうした事態にもなっているのだが。平時の判断力は悪くないが、感情が高まると途端に視野狭窄になる。

こういうタイプは、あっさりと戦死しやすい。しかし、才能だけでいえば、他の二人よりも高い。死なず、長ずれば化けるかもしれない。

 

で、九十九那智。秀才だが、それ以上に特筆するようなことはない。信念はあろうが、人を押しのけて通す程の我の強さはない。さりとて馬鹿でも、薄情でもない。恩義にはしっかりと報いるタイプと見た。あとは正直者な所も美点といえる。反面、謀事などできなく、また謀への対処もできないだろう。先の騒動が良い証拠だ。帝国軍の民間人がどういった教育を受け、どういった環境で育ってきたかは分からないが、徴兵された、かつ派閥に属していない民間出身の軍人の中ではよく見るタイプだった。実戦経験を積めば分からないが、少なくとも今は未熟より一歩上に出たぐらい。この面子を抑えられるだけのリーダーシップは期待できない。先ほどの騒動もだが、放置した結果があれである。技量も熟達には程遠く、力で抑える方法も取れない。

 

というよりも、この隊の衛士達の我が強すぎるということもあるので、責めるのは少し可哀想か。

 

―――そして。

 

「………何か、小言でも?」

 

「それ以外の事が、山ほどな」

 

王紅葉。マハディオは、目の前の男の事を信頼してもいないし、信用してもいなかった。子供のようで、子供でない。少なくとも橘操緒よりは、格段に癖者だ。そしてこの男は間違いなく、アルシンハ・シェーカルの命令を受けて動いている。これは武にも言っていないが、こいつは鉄大和が白銀武だということは知っているだろう。そもそも、隠そうというつもりもないようだ。最初に武に因縁をつけたあたりから、観察を続けてきたのだ。あれでいて私事には鈍い武は気づいていないだろう、発言と態度からそれを裏付けるようなものがあった。しかし、それが何であるかは判明していない。王の方も、自分がどういった目的で動いているかは知らないと思われる。

 

(バラバラになる要素、満載だな。というか、何故にあいつの周りには変人が集まる? ………ともあれ、チームワークなんて期待できたもんじゃないな)

 

だけれども無い袖は振れないのだ。カードは不十分、コールまでの時間も。

マハディオはそれを理解し、思わず自嘲しながらも、考えた。

 

まずは問題の根幹を。それは何故、いまさらになってこういった揉め事が起きたのかということ。模擬戦の時は上手く出来たのだ、それなのにどうしてか。答えはすぐに出た。あれは、白銀武が先頭に立っていたからだ。陣頭で指揮を取り、九十九中尉も指示は出していたが、あくまで補佐に過ぎなかった。今回の戦闘では、それが崩れた。必要だから仮の頭として九十九中尉を立てた。だが、結果はこうだ。上手く回らなかったこと、王は気にしないだろうが、日本の3人は気にしたらしい。そして、その差異こそが問題であると考えなければならない。

 

(そういえば、樹も形というか、形式に拘っていたな)

 

どうやら、日本人はそういった思考形態に偏っているらしい。習慣か、あるいは民族性か。

白銀武はまあ別として、そして白銀影行も外して考えると、納得できた。

尾花とかいう、タンガイルまでは同じ戦線で戦っていた衛士も“形”に拘っていた。

 

(それが悪い結果に繋がらなければいいが………)

 

そして会議の結果はしかるべき所に収まった。指揮権を、武に譲渡しようということに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

廊下に二人の中尉が歩いていた。通路には、騒がしい帝国陸軍の衛士達がいた。

誰も、周囲など見ていない。そんな中で、九十九那智は不安な顔を見せていた。

 

「本人に意見も求めないままで………本当に良かったんでしょうかね」

 

「良かったのさ。あいつはちっと今は消極的だからな」

 

面と向かって話せば、拒否しただろう。マハディオの言葉に九十九は反応した。

 

「彼とは長い付き合いで?」

 

「そうだな………もう何年になるか」

 

答えるが、実際の年数を口にすることはなかった。いくら何でも荒唐無稽にすぎるからだ。

しかし少なくとも、一番長い間背中を預けてきた戦友であることは、否定しなかった。

 

「変な奴だよ。変な奴だ。馬鹿な奴でもあった。だけど見ているだけで、何かその気に―――俺でもやれると、そう思っちまえる」

 

「………それは、分かります」

 

九十九は同意する。助けられたのは感謝している。その技量には、感服している。そして、BETAとの戦闘を知っているのだと思った。しかし九十九も軍人の教育を受けてきた身である、それだけで指揮を任せることはない。

 

「自分もこの一戦が終われば降格か、あるいは………でも指揮権を譲ろうと決めた、決定的な要因はそこです」

 

お世辞にも、チームワークがあるとはいえないこの隊。それでもきっと、何とかなると、そう思わせてくれるような何かを感じたのだった。さりとて根拠のない要素である、だが。

 

そこまで考えた時だった。向こうから歩いてきた衛士が、二人の前で立ち止まる。まだ小さい女性の衛士、見覚えのある顔だ。

 

「君たちは、巽大尉の隊にいた………」

 

「はい! その、ありがとうございました」

 

頭を下げた後、興奮したように二人は言う。あの模擬戦がなければ、もしかしたら生き残れなかったかもしれないと。そのまま言いたいことをいった後、慌てたように去っていった。何がしかの命令を思い出したらしい。その背中を見送りながら、九十九は言った。

 

「―――“下手くそがアホウドリみたいに高く飛ぶな、猪みたいにむやみに突っ込んでくるな、間合いっていう概念を知っているか?”ですか。何度も挑発した甲斐があったようですね」

 

動物の泣き真似を混じえての挑発は効果的すぎるように見えましたが、と苦笑する。

 

「まあ………どれだけ影響があったかは知らんが、少なくともあの二人は死なずに済んだらしい。全体がどうかは知らんがな。それに、そもそもの起案者はあいつだぞ」

 

九十九が言うそれは、台風の脅威を知ったマハディオが武と相談した挙句に決めた言葉だった。気づく切っ掛けになればいいと、反芻した罵倒。先の戦闘で武が言った通り、高く飛べば風に流されやすくなるし、かといって無闇に突っ込んでもどうにもならない。間合いを取って安全圏から一方的に、それこそが戦術機の強みである。だから模擬戦で注意した。下手くそな近接格闘戦をしようとする者には、特に厳しく罵倒した。真っ当に正面からストレートに注意されたとしても、所詮は義勇軍の戯言と、素直に聞き入れない輩も出る。だからこその、苦肉の策。挑発の言葉が吉だと、提案したのはマハディオの方だったが。

 

「まあ、正論かつ的を得た上での的確な罵倒ほど、忘れ難いものはないからな」

 

「かなり実感がこもってますね………しかし、先を見据えて動く、ですか。自分はまだまだそこまで考えられませんよ」

 

「お前さんも、いくつか死線を越えればわかるさ。統率力はないがな。直感と判断力は悪くない」

 

苦笑し、マハディオは言う。

 

「この先は賭けになる。だからこそ、あの選択は間違っちゃいないぜ」

 

「指揮権のことですか………BETAはまだ来ると?」

 

マハディオは当たり前だと頷いた。上も分かってると思うが、と。

 

「やはり、そうですか」

 

「そして、いざ奴らが来ちまった時が問題だ。この国は山間部が多い、起伏が激しい。俺好みの平坦なむ―――地形じゃないのは問題だ」

 

「………まあ個人的な趣味はおいといて。やはりこの国は守りに向いていないと………ああ、言っていましたね。山が多いのは嫌だと」

 

「ああ、“挟まれる”可能性が高い」

 

橘あたりが聞けば非難轟々であった言葉を口にしつつ、マハディオは渋い表情を作った。山がおおければ、南に北に、戦力を移動させるのに時間がかかるのだ。もっとまずい状況も考えられる。山とは迷路だ。そして光線級はその迷路の壁を絶対とするもの。

 

空、あるいは高所を封殺された段階で、日本の平原は狭い通路に変わる。前後に挟まれれば、逃げる所もなくなる。そうなれば、大軍とてひとたまりもなくなるだろう。

 

不安要素はいっぱいあった。その中で話は鉄大和の方に移っていく。賭けた相手のことをより深く知りたいというのは、人間のサガでもある。マハディオは苦笑しながら、知っている限りのことだがな、と説明する。

 

「昔のあいつはなあ………まあ、今もだが、努力家だよ。汗水流して反吐はいて、な」

 

マハディオはそのあたりは疑っていない。王も知っていることだ。実際の目で何度も見てきたからだ。鉄大和は、白銀武であった頃から変わらないことがある。それは、訓練に対して真摯であること。まるで何かを恐れるように、彼は自己に厳しい制限をかけていた。

内容に対し妥協を許さないのは、教官の教えもあろう。しかしそれ以上に、少年は必死だった。

マハディオは知っている。義勇軍に入ってからも、その厳しい訓練を止めないでいることを。戦闘がない日の夜、地面に滴り落ちる程の汗を顔から、肩で息せき切って。そうしないと気が済まない。

 

「眠れないんだとも、言っていたがな」

 

「………それは、やはり度重なる戦闘の影響で?」

 

戦時における心的外傷など珍しくもない。隣人の脳漿を見て正気でいられるものは少ない。

その問いに対し、マハディオは一部だけだが、と答えた。

 

「誰かが死んで、誰かが狂う。まあ、よくある話だがな………」

 

彼も全容は把握していなかった。

 

(再会した時、既にあいつはサーシャのことを忘れていた)

 

戦死したことは聞かされていた。だけど、忘れているとは思わなかった。怪訝に思ったマハディオは、アルシンハに質問したことがあった。事情は何となく察することができたが、それでも聞いた。返ってきた言葉は簡素なものだった。よくある事だと。

大切な人が亡くなった、そんなことは珍しくも。当たり障りのない単語の羅列に不自然な所はなく、故に追求もできず、真相を知らされぬまま釘を差された。これ以上知る必要はないと。そして、真実は宙ぶらりんのままになった。

 

(白銀武が、戦死したサーシャ・クズネツォワのことを忘れている)

 

正式に言葉にすれば、それは重たく冷たい響きをもっていた。昔を知っている者からすればショックなことだろう。信じられないという気持ちがある。それでも、サーシャの死について追求すれば、白銀武は壊れてしまいそうだった。

 

マハディオは思い出す。訊ねた時の元帥も、記憶を掘り返すのは危険なことであると、まるでそれが絶対の真実であるように告げたこと。軍人ならば、その辺りの心の機微は何となく察することはできる。人の心には許容値があり、それを越えれば壊れてしまうことはある。

 

それでも、もしかしたら。マハディオはそう思い、上手くすれば元通りの白銀に戻るかもしれないと試して――――断念した。

 

それとなく名前を出したあとのこと。本人は気づいていないだろう、その表情の変化を観察して。

義勇軍に居た頃から、色々と試した。

 

そして、不可抗力もあるが、とあることをマハディオは悟った。

 

何か、とてつもない“モノ”が、こいつの中には隠されているのだと。極めつけは、戦場の中に現れた“それ”を見て。

 

「………2ヶ月に一度ぐらいの頻度でな。酷い悪夢を、見るんだと」

 

そしてマハディオは深呼吸のあと、疲れたように。何かを恐れるように、たずねた。

 

 

「なあ――――“凶手”って、知ってるか?」

 

 

 

警報が鳴ったのは、その直後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コックピットの中、武は着座調整を進める。

 

そして基地より入った通信を聞いて、吠えながら操縦桿を叩いた。

 

 

「っ、クソがあぁっっっっ!!!」

 

 

コード991。上陸地点は日本帝国の本州の、中国地方。

 

 

日本海沿岸部より先の比じゃない数のBETAが上陸したと、通信機越しの軍人は喚いていた。

 

 

 

 

 


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