Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
「それでは、事実だと認めるのかね―――鉄大和中尉」
「はい」
直立して堂々と肯定する武に、椅子に座っている帝国陸軍の上級将校は渋い表情になった。背もたれに体重を預け、摩耗した椅子が耳障りに甲高い音を響かせた。
「此度の防衛戦は文句なしの快勝だった。君たちの混成部隊も見事な戦果だというのに………ひょっとしてこれは、迂遠な抗議行動かね」
疲れた声の上級将校―――八神少将は手に持っていた書類をどさりと机の上に投げた。そこに書かれているのは、先の迎撃戦が始まる直前のことに関してだった。武が上官に向けて暴言に近い言葉を吐いた事に対して、帝国の本土防衛軍の一部が問題とすべきだと抗議をしてきている。
「………とはいえ、君にも言い分はあったとの声も上がっている。通信を聞いていた、本土防衛軍の衛士からだな」
「帝国軍の衛士が………?」
武は驚いた。隣にいるマハディオも同様だ。まさか、所詮は根無し草である自分達義勇軍の人間を庇うような事をする者が居るとは思っていなかった。
「そう意外そうな顔をするな。ベトナムではどうだったか知らんが、帝国軍ではやることをきっちりとこなす人間が好かれる………君達には納得できんかもしれんがな」
武は肯定も否定もしないまま、無言を貫いた。少将の顔が苦笑に歪む。
「君がはっきりと認めた以上、無罪放免とはいかなくなった。通常ならば営倉入りになるのだが………」
八神少将は、深い溜息をつき、アホらしいと吐き捨てた。
「この糞忙しい時期だ。徒に人員を遊ばせておくわけにはいかんのでな」
「で、与えられた任務が京都市内の見回りってか」
「巻き込んじまったな………すまん、マハディオ」
「いいさ。別に疲れてもいないしな………王はその限りじゃなかったようだけど」
王紅葉は帰投するなり、倒れこんだ。
医務室送りになったが、どうにも検査を受けたがらないらしい。催眠暗示を受けて、情報を引き出される恐れがある。義勇軍の微妙な立場と、ただの寝不足だと言い張られる王を見た基地側は、無理に検査を受けさせるつもりもなくしたらしい。
普通の働きも出来ているので、特に文句のつけようもない。ただ言い訳の寝不足という言葉は非常に苦しいものがあり、それもあってか2人はセットで京都の見回りを命じられることになった。出撃の直後の炎天下における徒歩での哨戒である。
「少将も、こっちが堪えるとか思ってんだろうけどなあ」
衛士としては屈辱的であろうと思っているかもしれない。だけど武とマハディオはそうした扱いには慣れていた。あの中隊もタンガイルの敗戦の前までは、愚連隊扱いされていたのだ。武としては子供だからというコトで屈辱的な言葉を向けられることもあった。その度に乱闘が起きることもあったが。ともあれ、人間下を知っていれば多少の事は我慢出来るものだった。耐久限界ぎりぎりの第一世代機に乗って民間人が残る市街地戦闘をやらかす事に比べれば、楽とも言えよう。それが2人の感想だった。そうして笑いながら、2人は一組になって京都の街中を歩いていた。背筋を伸ばし、特に怪しい人物などがいないか警戒しながら決められたルートを歩いて行く。目的は、京都の治安維持のためらしい。京都に在住の民間人はほとんどが関東や東北の方に避難したが、自分の意志で残っている者も少なくはなかった。
「しっかし、結構暑いな。湿気で体力をもっていかれるし、日本の夏ってなこんなもんか?」
「こんなもんだ。でも京都は横浜より少し暑いみたいだな。クーラーや冷たい水が無いと、熱中症になる人も多いかも」
色々と熱中症対策をしても、根本となる身体を冷やすために必要なものはある。そのため、電気やガスはまだ通っていた。しかし、そこで問題が生じてしまうのだ。京都は古い建築物が多く、また木造の建物が多い街である。火事になってしまえば、消火するのはかなり手間取るだろう。
幸いにして気合の入った消防士などは有志として今も消防署に残っているらしいので、万が一が起きても最悪の事態は免れる。とはいえ、火事など起こらないにこしたことはない。今現在の京都に残っている民間人は京都を愛している人間だから大丈夫だろうが、いかんせん人通りが少なすぎるのが問題だった。半島より海を渡り避難してきた、元は大陸に住んでいた韓国人や中国人。彼らの多くは東北地方に移動しているが、中には移動中に脱走する者もいる。
そういった倫理の垣根をひょいと越えてしまうような人間が気の迷いの上に、次にどのような行動に出るかなど予測のつくものではない。切羽詰まった人間が取る行動など、およそ普通の認識を持つ人間からすれば理解不能なものだ。とはいえ、彼らも生物である。
明確な目的を持って行動するのならともかく、精神的に疲労している人間であり、かつ理性が働いているのであれば、パトロールをしている人間を目にすれば幾分か血迷った脳の巡りも晴れる。
「未必の事故を未然で済ませるための警邏、か………思ったよりも人が残ってるしな」
ここ京都市は絶対防衛線が敷かれている舞鶴=神戸のラインの、目と鼻の先である。普通、ここまで戦線が後退してくれば街の人間はもっと少なくなっているものだ。そして残っているのは、大抵が死を覚悟した、というよりも諦観に呑まれた人間である。武は10の時よりずっと、途中で再訓練を受けた日々はあろうとも、そのほとんどを最前線で過ごしてきた。
ナグプールをはじめとして、ダッカ、チッタゴン、マンダレー、コックスバザール、ヤンゴン、バンコク、シンガポール。そのほとんどの都市がBETAに壊されて、その滅び行く様と死んでいく人達を映像ではなく、肉の眼で捉えてきた。脳裏に刻まれているのだ。彼らの多くは死を厭わない、まるで半死人のようだった。
――――祖先より自分まで、代々生まれ育ってきた故郷の大地を捨てるならば。
――――どうせ何処に行ったとしてもBETAはやって来るんだ。
――――逃げるのには、もう疲れたんだ。
大小の理由の異なりはあれど、そのほとんどが自分と、立っている土地の死というものを見据えた者ばかりである。
「断崖の果てへ、緩やかに歩いて行く盲人ってか」
「………不謹慎だって、マハディオ」
武は責めるも、否定だけは出来なかった。一部は真実であるからだ。いずれ来るであろう確実な死を前に、それから逃れる方法を模索することを諦めた人間という意味では同じだった。
「この京都に住んでいる人間は、どこか違うけどな」
マハディオは街で見かけた人達の顔を思い出し、呟いた。
「まだ何とかなるって―――いや、違うか。"何とかしてくれる"って信じてるのか。皇帝陛下か、将軍閣下か、斯衛の精鋭か。帝国軍の事もあるんだろうが、自国の戦力に対する信頼が随分と分厚い………羨ましいことだ」
「まーな」
少し自慢気に言ってみせた武の頭を、マハディオはお前に言ってんじゃねーよと軽く叩いた。
武は頭を押さえながら、文句を言おうとして、
「いや、俺もにほん――――げふ」
「往来で迂闊な事を言うな!」
突き出しされた手で、口を強引に閉ざされた。
マハディオは呆れ、気をつけろと言いながら話を続けた。
「俺たちにとっちゃ良いことだけどな。士気に関して心配する必要はなさそうだし………練度も装備も結構なもんだ」
マハディオは先の戦闘について、感心していた。九州からの逃げるようなそれとはまた違う、腰を据えての迎撃戦は観察にも向いている状況だった。その中で見えたことがある。あくまで衛士からの観点ではあるが、上陸してきたBETAへの対応やBETAの減り具合、その感触から艦隊や戦車、そして勿論のこと衛士も。全体の練度は、マハディオが思っていたより高かったのだ。
「それに、後ろには化け物染みた衛士も控えてるようだしな」
「あー………あの胸毛のおっさん」
げふん、と武は咳をした。
「紅蓮大佐な。確かに、間接思考制御の出来が異常だった」
同じ戦場で、動きを見たのはそう多くないが、それだけで分かる程に紅蓮大佐の技量は隔絶していた。絶え間なく変わる状況に、迷いの一端さえも見せない挙動。
抽象的になるが、"何をどうしてどこにどうもっていく"というのを最初から決めている、決められる人間の動きだった。戦闘の中の機動、そして戦術の至るところまで命のやりとりをする人間としての思想が骨格レベルにまで染み込んでいる。日常の習慣以前の、呼吸するレベルで達人の御業を見せられる類の人間だ。
「戦術機じゃない生身でやり合うことにでもなったら………ほんの一瞬で殺されるだろうなぁ」
「ああ、まず見た目で虚をつかれるしな。インパクトでいえば今年最大級だったぜ。男の斯衛にまともな容貌の奴はいない、か――――流石はサムライの国だな」
「マハディオ………お前は今、斯衛の男衛士を敵に回したぜ。あとあれはサムライちがう。いや立場的にはきっと侍なんだろうけど、見た目的な事に関してはぜったいちがう」
武は所々片言になりながらも、退けないラインなんだと主張する。マハディオは分かったと頷きつつも、要検討事項だなと心の中でつぶやいていた。とにかく変人が多いというのが、マハディオの日本人に対する感想だった。
「ともあれ………っと」
武は前方から歩いてきた二人組に気づき、足を止めた。女性が2人で、談笑しながら歩いている。だが、着ているものは制服である。とはいっても、軍服の類には見えなく、どちらかと言えば警官が着ている服に似ていた。武は敬礼をしながら、軽く挨拶をしてみた。日本語で話しかけたことに驚かれたが、女性はそう硬い性格ではないのが幸いした。不審人物についてや特に人が多い地域など、周囲の状況に関する情報を交換しあう。そして事務的な話がひと通り終わった
「それじゃあ、やっぱり?」
「京都が好きな人か、お年寄りが残ってるみたいだ。千年の古都って言われてるし、ここが落ちることなんて考えられないって人が多いだろうな。あとは、お武家様の家族とか」
消防官の女性は複雑な表情で、少し喜んでいるようにも見えた。消防官といえば、地元の街に配属されることが普通だ。こうしてパトロールをしているのも、正式な命令ではなく、上司が街のために自分たちができることはないかという提案に乗っかった結果らしい。
「そっちは? 警官には見えないけど………軍の訓練学校の子かな」
自分たちと同じく、有志で街を見回っていると思ったのだろう。武は曖昧に笑いながら、そろそろ見回りに戻らなきゃまずいと、急いでその場を立ち去ることで誤魔化した。歩きながら、マハディオは武にいいのかと尋ねた。
「どう説明するにも面倒くさい。だけど、良い話が聞けたな」
やはりというべきか、京都に屋敷を構えている武家の人間は多く残っているらしい。つまりは斯衛は最後までここで抗戦するつもりなのだ。日本海に近いこの京都を防衛の拠点とするのは、戦略上から言えばあまり良くないことである。だから武は上の人間がいつ京都を放棄し、後退するのか気が気ではなかった。斯衛が派手な演出を見せたが、それがブラフである可能性もあるのだ。マハディオは、それはないだろうと呆れていたが。
「ここは首都だ。さっきお前も言ったように、日本に疎い俺でも知ってる有名な歴史的建造物が多い、重要な都市だ。放棄して後退命令なんぞ、いよいよもっての最後になるまでは出されねえよ。琵琶湖運河なんて大層なもの造ったのも、京都を守るためだろうが」
「それは………そうだな。首都放棄は流石にありえないか」
「そういうことだ。ああ篁少尉達には言うなよ、睨まれるだけじゃ済まんことになる」
あるいは引っ叩かれる可能性も。武はいくらなんでも分かってるよ、と口を尖らせながら拗ねるように言った。
「祝勝会、付き合ってやれなかったなー。でも怒ってなくて良かったよ」
「どちらかと言えば心配してたけどな………」
疲れた表情を隠しきれていなかった斯衛の新人5人だが、怒るというよりは逆にこちらを心配していた。出撃の後にすぐ京都市内の見回りなんて、と。
体力の事を心配されているのだろうとは思ったが、マハディオは大丈夫だと苦笑して返していた。戦闘とはいっても時間的にはそれほどでもなく、また厳しい局面になったといえる状況はゼロだったのだ。不完全燃焼過ぎて逆に戸惑っていたぐらいだった2人的には、この命令は不満どころか有難いものだった。
「営倉入りを変更した上官の意図が測りかねるけどな」
「ああ、それについては問題ない。鹿島中尉から聞いたんだけどな。何でも少将が属する派閥と、今回クレームをつけてきた男が属する派閥は、仲というか関係が非常によろしくないらしい」
「ということは………恐らくだけど推測はできるな。こちらにも言い分はあったと証言をした衛士の主張を盾に、のらりくらりと躱すつもりだろう」
「………そういうの、面倒くせーよな」
武も何度か派閥間でのそうした争いを見せられたことがあった。こじれと捻れが極限に達した段階だと、相手の言い分や理屈を完全に無視し、私情だけの行動に出てしまう。抗議があったとして、それを素直に認めて謝罪を返すことなどまずしない。言葉をねじ曲げ、誤魔化し、逆に挑発したり。
「まだ迎撃戦も最序盤だってのに、一体何やってんだろうな」
「勝ち気ムードに浮かれてる………よりは平常運転に思えるな。まあ、どこの国の軍隊だって同じだろう。むしろこうした事が問題になるぐらい、まだまだ平和だってことだな」
マハディオは苦笑しながら頷いた。先の侵攻におけるBETAの戦力は、少ないという部類に入る。
大陸で戦ったそれや防衛戦の最も厳しかったあれを火事とすれば、ボヤと言える程に小さいものだ。
「士気に関しては問題ないだろうけどな………」
武は亜大陸防衛戦の時とは違うと思っていた。首都を守る戦いであるからして、兵士の士気が落ちることはそうそうないだろう。だけど、在日米軍や国連軍、果ては大東亜連合軍が混じっての防衛線であることがまた別の負の要素であるとも考えていた。
物資と士気の消耗や損耗によらず、内輪揉めが発展して戦略に影響してくるかもしれない。それほどに派閥間の争いは泥々としているように見えた。武は久しぶりに帰ってきた自分の国が、実はこういった負の面を抱えているとは思ってもいなかった。
九州に居た頃より陸軍、海軍、本土防衛軍の衛士からそれとなく話を聞いて軍内部の事情や独特の"慣習"などをそれとなく集めていたが、出てくるのは派閥の争いや愚痴に関することばかり。
特に帝国軍と斯衛との関係や、内閣関連の事についてはややこしいの一言だった。マハディオも武もそうした権力争いについて、興味はない。ただ外敵に関して一丸にならない体制に対しては、いざという時に綻びが生じてくる土台になる可能性もあるので、不安に感じない筈がない。
先のような一件、あれは斯衛の実力を見せつける事による権威の拡大であり、そういった方面に疎い武達でさえ政治的な思惑が透けて見えるものだった。
「勿体ぶった挙句に、脇腹を――――隙をとっ突かれてボカン! ってのは嫌だな。アホくさいにも程がある」
さりとて、自分たちに出来る事など皆無である。2人は黙って、京都の町並みを眺めながら歩いて行った。五条通を進み、東大路通に曲がって、松原通に。人の気配が少ない住宅街を抜けると、更に上へと登っていく坂道が見えた。
道なりには、閉店の看板が掲げられている店が見える。武達はそれを横目に流しながら、更に進むと感嘆の声を上げた。5つに重なる屋根がある建物。あれは確か八坂五重塔だったか、と武が呟いた。
そのまま、地図に示されたルートは先に伸びていた。進み、やがて2人は大きな見晴らしのいい場所に出ていた。
「清水の舞台か………飛び降りるか、マハディオ?」
「そうしたい所だがな。でもまあ――――ここは任せて、お前は先に行け!」
「いや行かねーって」
「なら、俺が先に行くわ………トイレに」
マハディオは大の方で、と告げると途中にあったトイレに駆けていった。残された武は聞きたくない事を無視すると、取り敢えずは風景を楽しむことにした。京都といえば、修学旅行のメッカとも言える街である。もう二度とその機会はないだろう事は分かっていた。故に警邏とはいえ、折角だからと舞台の前方に立つ。
そこは街が一望できる場所だった。そして空間が開けているため、風の通り道にもなっていた。
武は頬を撫でる爽やかな風を感じながら、さてどうしようかと考え込む。
―――そこに、声が割り込んできた。
《見晴らしの良くなった所で、俺達がどこに目指すべきか決めようじゃないか》
(いちいち嫌なタイミングで………でもまあ、頃合いか)
戦闘が終わった今は、他の事を考える時間だ。武は提案に乗ると、しかしまだと答えた。
(情報が少なすぎる。オルタネイティヴ計画の事は分かったけど、それを推す勢力と、鍵となる人間についてだ)
どういった選択をするにしても、そのためにどこの勢力に乗っかるべきなのかが皆目見えてこない。武は、迂闊な選択は最悪の事態になりかねないと思っていた。急いては事を仕損じる。軍人らしい懸念に、声はその通りだなと答えた。
《まず、オルタネイティヴ5からいくか。これは米国主導の計画だ。G弾の元となるG元素の保有率が世界一である米国にしか提案できない、豪快過ぎる計画だな。爆弾で全てを吹っ飛ばそうなんていかにも大雑把なヤンキーらしい》
(で、最後は自分たちも爆風に呑まれるのか)
武は洒落になってない上にちっとも面白くないと、険しい顔をした。声は、大げさだなと鼻で笑う。だが武は頷かなかった。逆にこっちとしてはあんな光景を見せられたのならこうもなっちまうわと、心底嫌そうに反論した。夢にまで出るぐらいに、強烈な映像だったのだ。深く考えると、問題とすべき点が多すぎる計画でもある。もし万が一にもバビロン災害が起こらなかった場合も、G弾により発生する重力異常は残るだろうから。
(と、そういえば………G弾についてお前は知ってるようだけど、それが最初に投下された場所は何処なんだ)
《ああ、そういや言っていなかったな――――横浜だよ》
「よ、横浜ぁ!?」
武は素っ頓狂な声を上げた。まさかの土地が、柊町のある横浜だとは思わなかったからだ。だがふと正気に戻ると、誰かに聞かれなかったか周囲を見回した。そして誰も居なかった事を確認すると、声に向けて問いかけた。
(何で、よりによって横浜に………!)
《そこにハイヴがあったからさ。もっとも、事情としては少し異なるんだがな》
そうして、武はその時に行われていた作戦の事を聞いた。
――――明星作戦。京都が陥落し、遷都され東京が帝都になった後。帝国軍と国連軍は、眼と鼻の先にある横浜に建設されたハイヴの攻略作戦を敢行したのだという。だが、BETAの総数は多く、戦況は不利に。そこで投じられたのが、米国の切り札と言えるG弾だった。
《桁外れの威力により、敵BETAのほとんどを一掃。だけど、被害は敵側だけじゃなかった》
(それが、重力異常か)
《………そうだ、重力異常だ。半永久的に、横浜は植物が成長しない死の土地になっちまった》
武はあまりの事実に、言葉を失った。まさか故郷がそんな事になるとは、憤りが胸中に巡っていく。
声は話を逸らすように、先を続けた。
《米国のG弾投下、国連軍はハイヴを攻略。そこで、新たに発見されたものがあった》
ハイヴの深奥にあるもの。それが反応炉でない事は、武にも何となく分かっていた。どこにでもある反応炉であれば、発見などという言い方はしない。なら一体何が見つかったんだ――――と武は言おうとした所で、強烈な目眩を感じた。
「ぐ――――ガッ!?」
視界に薄い霧がかかる。襲ってくるのは、圧倒的なノイズだった。刺すような頭痛と共に、視界が闇に染まっていく。だけど武はその中で、誰かの姿を見た。所々は黒で隠されていてよく分からないが、人間である事だけは分かる。だけど、分かったのはそれだけだった。数秒で視界は晴れ、それを見越していたかのように声は告げた。
《………続けるぞ。ともかく、そこで見つかったものは大きな鍵になった―――第四計画側のな》
(こっちの事は無視かよ)
武は毒づきつつも、気になる言葉の方を優先した。
(ちょっと待てよ。G弾を投下した第五計画じゃなくて第四計画の鍵になったって、なんでだ)
《横浜へのG弾投下、あれは第五計画の有用性と第四計画への牽制といった意味が大きかったと思うが、それが全くの逆効果になったんだよ》
米国は国連にG弾のデメリットを、つまりは重力異常や植生破壊といった負の副次的効果を黙っていたらしい。その上で、G弾の威力や効果範囲が想定されていたものより大幅に下回っていた事もあって、G弾への不信が高まった。そもそもがG元素というものはBETA由来の未知の物質である。それに頼った上での不安定かつ制御も不十分な兵器を、人類の最後の矛にできるのか。
国連は実際に放たれた上で直にその目にした後ようやく、G弾が持つ危険性に気づいたのだ。
「間の抜けた話だな………」
《どこもそんなもんさ。で、重要なのはここからだ》
第四計画について。声の言葉に、武は緊張しながら頷いた。
《オルタネイティヴ4が、一人の人間の提唱した理論に基いて認められたのまでは教えたよな》
(ああ)
米国という、いわば世界の支配者とも言える程に大きな勢力に拮抗し得る個人。武はそんな人物が居るという事を聞かされた後、一度も忘れたことなど無かった。きっと、自分など想像もつかない程に優れた人物なのだろう。期待に胸をふくらませていると、声は戸惑ったように呟いた。
《な、なんか複雑な心境になるな………まあいい。その人物の名前を、香月夕呼という》
「香月、夕呼………」
何故か、どうしてかその名前は武の胸にすうっと入っていった。ともすれば生きている人間の中でもトップクラスに頭が良い人間であるのに、その性格でさえ思い浮かべることができるような。
(………曲者って単語が一番に浮かんできたんだけど)
《それで合ってる。ジャストミートだ。一筋縄どころか、何十に縄を用意しても捉えきれない厄介な人だな》
でも凄い人だと、声は自慢するように言った。
《科学者でもあるが、その余計な天才っぷりは政治能力に反映されている。さる方面からは横浜の魔女と呼ばれているそうだ》
(なんか余計って単語が引っかかるんだが………どちらにせよ、相性的に最悪の人だな。俺程度じゃあ、会うことすら難しいか)
《今の時期は不可能だろうな。第四計画はあの人が居なければ絶対に成功しない。日本政府としても、それは分かっているはずだ》
(第五計画からすれば、その香月って人を殺せば“アガリ”。日本側の警戒も最大級だろうな………迂闊に近づけば、簡単に殺されるか)
対面してもいいように使われて殺されそうだけど。
武のひとりごとに、声は複雑そうな口調で返答した。
《そうそう無意味な事はしない。元々の倫理観もしっかりしてるし、腐れた前線の司令官とは比べ物にならないほど真っ当な人だ。ただ、必要になればなんでもやるってだけで》
(それは………言い訳じゃなくてか?)
《比喩じゃなくて世界で屈指の天才で、だからこそプライドも高い。自分に言い訳をするような人じゃない。考えた上で目的の達成に必要だと判断し決断した事であれば、だ――――倫理の壁を躊躇なく壊してくる。時には人の心を利用してまで》
だがと、声は続けた。
《無駄に残酷な行為に情や心をどうにかされる人じゃない。それでいて、自分の才能の証明に………BETAを殲滅する事には誰よりも真面目に、熱心になれる人だ》
(………誰かに似てるな)
その上官の名前は出さず、武はその理想の上司とも呼べるかもしれない人の事を考えた。
「しかし、香月夕呼………女の人か…………うん、コウヅキユウコ?」
武は何処かで聞いた名前だと、確認するように反芻して――――
「う、ァっ!?」
蹲った。頭が上から割れてしまうような頭痛に、声すらも出ない。
そして更にと襲ってきたのは、脳みそを直接ぶん殴られたような異次元の痛みだった。
まるで、気づけといわんばかりに。その中で、微かに滲み出て来る光景があった。
―――廃墟。
―――コウヅキユウコ、極東の猿女が、と怒鳴り散らしている男。
―――掲げられているのは、黒光りする鉄の筒。
―――倒れかかるサー◯ャ。
―――静止する空間。
―――部屋を切り裂くような金切り声。
――――化け物と、慄いている長身の男。
――――倒れている誰か。
――――自らの蟀谷に銃を添える銀髪の少女。
そこで、映像は途切れた。武は気がつくと、自分が仰向けに倒れている事に気がついた。
死んでしまうと思った程の頭痛も、嘘のように収まっている。
(い、まのは………なんだ、あれは)
《過去さ。でも、まだ早いって事だな》
抽象的な返答だった。武は詳しい説明をと言おうとするが、途中で口を閉ざした。自分は聞きたい筈だ。あれが失われた記憶なら、思い出すのが責務だろう。だが、口は一向に開いてはくれなかった。
思い出そうとする度に、額から汗が吹き出てくる。ふと自分の手を見ると、かたかたと震えていた。
ぎゅっと握りしめ、目を閉じる。そこで背後から足音が聞こえてきた。
「待たせたな………って大丈夫かよ!?」
凄い顔色だぞ、とマハディオは心配そうに武の肩を揺さぶった。武は大丈夫だと、愛想笑いを返す。
「………俺もお前も軍人だ。そうそう弱音は吐けないって事は分かってるが―――こういった時には正直に答えろよ。やせ我慢も結構だが、辛い時には辛いって言え」
「突撃前衛は弱音を吐くな、だろ?」
「ああ、新人たちや帝国軍の前ではそうしろ。だけど、今更俺の前でそんな事を言うな。お前はどうでもいい事は零すけど、本当に大事なことは隠す奴だからな」
マハディオは少し怒りながら、武に告げた。
「抱えている物が重いってのはわかる。だけど、無理に自分一人で抱え込もうとするなよ」
「………そうだな」
武は頷き、笑い、そして心の中で否定した。
(―――無理だ。それは無理なんだよ、マハディオ)
ともすれば狂人の戯言。自分自身でさえ半信半疑な状態で、無責任な情報を受け渡すことはできない。慰めるように、身体の上をそよ風が流れていった。目の前に広がる青い空を眺めながら、武は呟いた。
「そういや、プルティウィから手紙来たんだっけか」
「………タケル」
マハディオはまた複雑な顔をするが、すぐに表情を切り替えると、まあなと答えた。
「元気だったか?」
「色々あったらしいが、みんな元気だとよ」
マハディオがプルティウィと再会したのは、ベトナムの孤児院だった。アルシンハ・シェーカルの案内で、元クラッカーズのグエン・ヴァン・カーンの身内が経営しているという孤児院に行き、そこでマハディオは見つけたのだ。タンガイルの時に死んだはずの、妹によく似た少女の姿を。
「そういや、直接は言ってなかったか………ありがとうよ、タケル」
「ん、何のことだ?」
「精神病棟から実質脱走したに近い俺を、受け入れてくれてよ」
「仲間、だからな。それに、自分を取り戻したのはマハディオの力だ………プルの力でもあるかな」
衛士の間において、一度でも戦場の中でPTSDを刻みつけられたものは忌避される風潮があった。もし再発症すれば、味方を背後から撃ちかねないと。日常生活においても、人間をBETAと見間違えた挙句に殺傷事件に発展した事も何度かあった。マハディオも例外ではなく、精神病棟から抜け出た直後は情緒が酷く不安定になっていた。
武はベトナムで再会した時の事を思い出す。アルシンハ・シェーカルより、義勇軍の最後のメンバーだと紹介されたが、その時のマハディオはまるで別人のようだった。脱走した後の事は知らない。だが、シェーカル元帥閣下がどうにかしたのだろう事は分かっていた。それでも義勇軍の他のメンバーは無茶だと呆れ、それに武が大丈夫だと反論した。
「今になって言うが、あの時は泣きそうだったぜ」
「………敵を討ちたいって気持ちは、分からないでもないから」
どうしてか、武はマハディオの気持ちに強く頷きたい何かの衝動を持っていた。その後、トラブルは数あれど、マハディオは徐々に自分を取り戻していき。更にそれが安定しだしたのは、プルティウィに再会してからだ。タケルは今でも思い出す。孤児院の入り口の前に見える、タンガイルで死んだはずの幼い少女の姿。同時に、隣でひゅっと息が止まる音を聞いた。その後、マハディオは泣きながらプルティウィに抱きついた。
大の大人が、恥も外聞もなく子供のように泣き喚いていた。タケルも喜びともらい泣きで、思わず目を押さえて泣いてしまった。プルティウィは突然に抱きついてきた男に驚いていたようだけど、頬の痩けた男、その声がマハディオであるとすぐに気づくと、背中をぽんぽんと叩いていた。
「その後の事は、よく覚えていないんだけどな」
「お前は………いや、お前も」
マハディオは何かを言おうとして、口を閉ざした。そして言葉を変えて、武に告げた。
「今度は俺の番だな。プルティウィからも、お前の事を頼むって言われてるし」
「はは、このシスコンが。つーか頼むってなあ………プルもすっかり大人になっちまって。いや、まだ子供だよな」
「子供だからこそ、身近な人には死んで欲しくないんだろうよ。もう、これ以上な」
武はその言葉に苦笑しか返すことができなかった。それは無理だろうとは答えたくない。だけどこれ以上死なないさと言えないぐらいには、人の命の軽さを見せつけられてきていた。
初戦における戦死は僅かだった。だけど次には、その次には、更に次には。地平線を埋め尽くすBETAを相手に、「誰も死なないさ」という寝言を唱えられるほど、現実の住人を辞めたつもりもなかった。
脳裏に浮かぶのは、仲間の死に直面した斯衛の新人たちの顔だ。後催眠暗示が切れた戦闘の後。
信じられないという顔がしばらく続き、突発的に悲痛な泣き声がハンガーから聞こえてくる。
(幻だ。だけど、そう遠くない未来に確定している現実でもある)
武は思う。祝勝会に出られないのは逆に良かったかもしれないと。嘘が下手な自分は、素直に祝うことが出来なかっただろうから。ずっと、現実というものが自重しない最前線に立ち続けてきた。英雄が存在しない、人の死が当たり前になった大陸での泥沼の抵抗戦。
それが義勇軍の主戦場だった。何度も抗って、それでも無理だった事は多い。義勇軍のメンバーだって、光州作戦で壊滅する以前にも何人かは死んでいた。
倒す、倒す、倒す、倒す度にBETAは湧いて、湧いて、湧いて、湧いて出てきて。
所詮は個人なのだ、両手で覆える範囲は狭すぎて、気づけば零して、泣き続ける暇もなく戦い続けたこの2年間。武はその記憶を忘れていない。絶望が確固たる壁としてこの日本にも押し寄せている事を、あるいは基地の中の誰よりも知っているかもしれない。だが、それでも武は抵抗を止めるつもりもなかった。
「努力する、としか答えられないのが不甲斐ねえなあ………でも、俺の方こそありがとう。腑抜けてたのに、見捨てないでいてくれてよ」
「どういたしましてだ。でも、お前は放っておいても、諦めずに戦場へ突っ走って行きそうだったけどな………膝を折った俺とは、誰かの手を支えにしなければ立っていられない俺とはまた違う」
強い奴だ、というマハディオの言葉に、武は慌てて否定を被せた。
「俺だって多くの人に助けられてるさ。一人じゃ、ずっと前にBETAに潰されてたよ。マハディオとか、碓氷少尉にだって助けられて………」
「そうだな。でも、そうさせるのはお前が諦めないからだ」
因果だな、とマハディオは苦笑した。
「戦う事は、怖いだろ?」
「ああ………慣れたけど、今でも怖い」
「だけど、逃げてねえ。お前は、腑抜けてばかりじゃなかったさ。逃げたい中でも戦って、戦場の中で自分を取り戻していった。誰かの理不尽に直面する度に、ぼろぼろになりながらも歯を食いしばって、拳を振り上げて。俺は、正直な………そんなの放っておいた方がいいのによって何度も思ってたよ。もっと自分を優先しろって」
「それは………でも、見過ごすなんてできないじゃんか」
「だからこそ、助けようって奴が出てくるんだよ………お前が過去に何を経験したのかは知らない。だけど、それでも人のために戦えるお前は、凄い奴だって思うぜ」
「………違う。本当は嘘をついて、きっとこうすれば勝てるって方法があるのに、うだうだと悩んでる馬鹿な奴かもしれないぜ? そうすれば多くの人間を、プルティウィだって心配させずに………少数の犠牲で、死なせずに、勝てる方法が………」
「嘘には聞こえないけど………そうできない理由があるんだろ。結局の所、お前はこの2年間で一度も逃げなかったからな。お前の腕ならきっと、機会は何度もあったろうに」
マハディオはずっと見てきて分かった事があった。鉄大和と名前を変えていた事に驚いたのは、最初だけだった。お互いに切羽詰まった状態で再会したベトナムの汚い部屋の一室。
そこで見たのはかつての少年ではなかった。まるで別人のような双眸。そこに篭められたものは精神病棟ではよくみる、濁った泥の塊だった。明日に希望を見いだせないのと同時に、何処か自分を責めるような自虐的口調。中隊で戦っていた時のような輝きはなく、そこには傷ついた一人の少年兵が居るだけだった。
だけど、戦場に出て分かった事があった。彼は、結局の所は白銀武だった。鉄大和と名乗るボロボロの兵士は、戦いの中では白銀武に戻っていた。
(………もう習慣になっているからだろうな。戦いの中で、英雄たれとあがき続けてきたあの日々はこいつの中にまだ残っている)
シェーカル元帥から聞かされた言葉だった。あの頃のクラッカー中隊は、失敗や失態など周囲には絶対に見せられない存在だったと。
だからこそ、きっと命令された筈だ。背後に存在する衛士達の、最たる模範たれ。夢を見せ続ける存在であり続けろ。戦況が分からない程に子供ではなく、武もそう自分に言い聞かせてきたに違いなく。そうしなければ仲間が、あるいは背後に控えている民間人が死ぬことを知っていたからだ。
だからこそ戦う前までは悩み苦しみ続けている少年は、コード991が鳴り響けば白銀武に成り、戦術機のコックピットの中にある左右の操縦桿を前のめりに握るのだ。鉄火の中で助ける人達がいれば助け、だけどどうしようもなく無理な人の死があって、それでもと全身全霊で戦術機を動かしてきた。
(だけど、もう…………これで何度目だったか)
マハディオは呟いた。この2年の間に、武が元のように戻る兆しはあったのだ。
戦闘の中での出会い、別れ。それを糧にして、鉄大和が白銀武に戻りそうになることはあった。
だけど、繰り返している。
(京都に来てすぐに、謝罪をされた事、あの言葉は)
本人は忘れているだろうが、マハディオが覚えている限りは、最初ではなかった。
――――この2年間で、三度目。
武の目の光がかつてのものに戻ろうとした直後に、また闇に覆われてしまう。その節目には、必ずとある現象が起きていた。そして直後に、白銀武は“ナニカ”に変貌して――――鉄大和に戻る。
マハディオは何とはないという風を装って、問いかけた。
「………タケル。お前は“凶手”って言葉に聞き覚えはあるか?」
「いや、あるような………しっかりと覚えては無いけど………っ」
マハディオは武が頭を押さえるのを見ると、黙って目を逸らした。そしてじっと空を睨みつけて、武の頭を叩いた。
「すまん、覚えていないのなら無理に思い出さなくていい」
「ごめん、心配ばかりかけてるな」
「いいさ。って、だから辛いなら辛いって言えって!」
マハディオはまた苦笑して、武の肩を荒っぽく叩いた。
そして、武に聞こえないように呟いた。
「今度は――――絶対に止めてみせるから」
基地に戻ると、時間はもう夕食の時間を過ぎていた。だけど武は食堂に行くより前に、まずハンガーに行くことにした。前の戦闘で帰投した直後に各機体のダメージの報告を受けてそれを篁少尉達に渡したのだが、おかしい所がなかったかなど、その感想について聞きたかったからだ。
整備員ならば残っている人間が必ず居るだろうし、何人かは機体の様子を見に行っているらしい。
武は風守少佐からそう説明されると、ちょうどいいと頷いた。
「だが、その………身体の方は大丈夫なのか? 実戦の直後に、この炎天下の中での見回りは流石の中尉でもきつかっただろう」
「いや辛くなかったら罰にはならない気が………まあぶっちゃけると、整理体操みたいなもんですから逆に良かったですけど」
京都の観光も出来ましたしね、と悪戯小僧の顔を浮かべる武に、光は呆れ顔を見せた。
「中尉の体力は底なしだな。私としては少し羨ましい」
「へ、なんでですか? あ、ひょっとして護衛の任務の方でろくに時間が取れないとか」
「いや、鍛錬をサボった覚えはない。必要な時間は頂いている。だけど私は身長が小さいからな。体格の大きな人間と比べると、体力の総量はどうしても劣ってしまう」
「あー………やっぱり、最初のあの一言を根に持ってます?」
困ったなと頭をかく武に、光はきょとんとした表情をした。それもつかの間、途端に顔を緩めて、そういうのではないと言いながら口を押さえておかしそうに笑う。武はそれを見て、孤児院で見た光景を思い出していた。怒られる事をしたんだと勘違いをする子供に、そうじゃないのよと笑いかけるグエンの姉のような。それと同じく、此処に斯衛の風守少佐は居ないように思えた。
武家の精鋭たる赤の衛士ではない、普通の女性のような微笑む顔に、武は何処か懐かしみを覚えていて――――
(って、なんでだよ)
自分自身にツッコミながら、武は話を元に戻した。意味不明の親近感など、抱いている場合ではないのだ。間もなく、光も普通の衛士の顔に戻ると、早く行ってやるといいと答えた。
「どういう事ですか?」
「色々と意見を聞きたがっているという事だ。彼女も、父親に似て戦術機に関する知識に関しては相当だからな」
武はああと頷いた。影行から、篁祐唯は戦術機開発に関しては天才的な才能を持っていたらしい。フランク=ハイネマンという、戦術機の設計に関しては世界一かもしれないらしいアメリカ人と、あるいは伍する才能を持っていたとか。その娘である篁少尉も、父に影響を受けて戦術機に関する勉強をしたのだろう。
「整備員からの報告は受けた。戦術機における各部品について、それなりの知識が無いと書けないものらしいが………」
「ああ、自分も、その………親父から叩きこまれましたから」
武としても、中隊に居た頃は何度も戦術機に関する講義を受けていた。何より、あの教本を作成するために必要だったからだ。突撃前衛のハードな機動における各種部品の損耗や理想的な駆動方法や跳躍方法など、整備の人間や研究班だけに任せっきりには出来なかった。
実際に搭乗している衛士の意見も必須だからと、リーサやアーサーやフランツと一緒に、各部門に説明するに足る知識だけは徹底的に叩きこまれていた。武としては身体を動かさないだけでややこしいという嫌な任務の1つであったが、機体に負担をかけない機動を身に付けることができたという点においては、やって間違いがなかったと言えるものでもある。
「そう、か。その、父親とは最近会ってはいないのか?」
「この2年間は戦いっぱなしでしたからね。最後に会ったのは、去年の大晦日ぐらいでしたか」
正月にはまた移動命令が出たんですけどね、と。武が忌々しげに呟くと、光はそうかと何でもないように答えた。
「中尉は、その父上殿に会いたいか?」
「父上って程大層な親父じゃないですけど、会いたくはないとは言えないですね。なんせ俺の唯一の肉親ですし、色々と喧嘩する事はあるけどやっぱり親父は親父だから………」
「言いよどむという事は何かあったのか?」
武は心の更に奥まで踏み込んでくるような光の言葉に対し、少し戸惑いながらもこれならば問題ないかと正直に答えた。
「2年前から、ずっと避けられてるんです。なんというか、申し訳なさそうにしているというか………俺としては細かい事は気にすんなって感じなんですけどね」
だけど実際に顔をあわせると、どうしてかぎくしゃくしてしまう。武の困った風な顔を見た光は、そうかとまた呟いた。
「あの、もう行っていいですか? 篁少尉も部屋に戻ってしまうかもしれないんで」
「あ、ああ………行っていい。訓練に関しては明日から再開するので、そのつもりで」
「了解です。あ、問題点の指摘とかしたいんで、明日の早朝にミーティングをしたいんですけど良いですか?」
「構わない」
武は敬礼をすると、すぐにその場から立ち去った。
そして廊下で一人になった途端に、声がまた話しかけてきた。
《………何か隠し事してたな》
(え、そうなのか? 俺には全然分からなかったけど)
《………俺には分かるんだよ。複雑な事にな。既に分かってる事以外に、何か――――俺には言い難いものを知って、それを隠してる》
きな臭いな、という声の言葉に、武は首を傾げた。だが、無意味に不穏当な嘘をつくような事も有り得ないので、そういうものかと呑み込む事にした。
《それで、どうするんだ。これからの方針はまだ定まってないぞ》
武は声の言葉に、足を止めた。確かに、色々な情報は武にもたらされていた。何も確証はなく、信じる以外にない情報ではあるが、ある程度の説得力はあった。
まず、日本国内における勢力について。声によると、斯衛はオルタネイティヴ4に協力的らしい。帝国軍や日本政府に関しては間違いなく第四計画を推進するだろうが、斯衛に関しては裏事情が複雑過ぎてイマイチ判断がつかなかったのだが、声はその確証に至るものを見たらしい。
京都陥落の後の将軍代替わりの後のことなので上手く説明はできないけど、と声は言っていた。武も、斯衛が他国に、特に米国に覇を譲るのを良しとするはずもない事から、第五計画に傾く者は居ないと判断をしていた。だが、背景が複雑過ぎることもある。当たり前と思っている事が、足元からひっくり返されることもある。
βブリッドが良い例―――というよりも、悪い例だ。武も、直にそれを見せつけられるまで、同じ人間がああいう外道をよしとするとは思ってもいなかった。世界に共通する常識はなく、何事にも例外があるのが世界に共通する常識である。
《情報の整理が終わった所でもう一度質問するぞ。結局の所はどうするんだ? 第四計画を選ぶと――――純夏を見捨てる事を決めたのか》
色々と情報を渡した、その上での結論がそれか。声の問いかけに、武はそうじゃないと答えた。
(………決めてはいない。決められないし、純夏が、あの家族が全員殺されるなんて認められっこない! ………でもそれを除いても、第五計画だけは阻止するべきだろうが)
《もっと認められない作戦であるってか。で、そう決めた理由はあるのか?》
(当たり前だろう、お前が言ったんだろうが。BETAは地球上や火星にいる奴らだけじゃない、他の場所にも多く残ってるって)
植生異常とは、食料が育たないということだ。横浜以上に重力の歪みか何かが大きい場所なら、人体に重い異変をもたらすことだってありうる。更に多くのBETAに地球へ降下された場合、それに対抗するには単純に人員も食料もいるのだ。それなのに人類の生存圏内を狭める作戦など、自殺行為以外の何物でもないと武は考えていた。止めるには、助言が必要だ。そして各方面に関して影響力を持っている人物と、自分が持っている“ツテ”を考えれば、一人しか思い浮かばなかった。
《………斑鳩崇継か。それ以外の選択肢は無いだろうな》
(偽名の事を知ってた。つまりは、俺に関心があるってことだ)
まさか五摂家の人間が、興味のない人間が偽名を名乗っていたとして、わざわざ伝えることはありえないだろう。臣下に命じるか、あるいはこちらに気づいているぞという素振りを一切見せずに、それとなく帝国軍の上の方に密告をして始末をつけると思われる。
(こっちの用意できるカードは?)
《一枚だけだが、超弩級の切り札がある》
それは、と問いかける武に、声はなんでもないように答えた。
《―――まだ現実に無いハイヴの、次なる建設予定場所だ》
(なっ!?)
武は驚きの声を隠せなかった。BETAの行動は予測不能で、ハイヴが建設される土地についても一切分かっていない。そしてそれは、対BETA戦においての戦略上で言えばトップクラスに有利になる、有益にも程がある情報だった。
(………場所は)
《横浜と佐渡だ。横浜は言うに及ばず、佐渡は新潟の北にある佐渡ヶ島のことな》
(お前………ひょっとして、他のハイヴの建設予定場所も?)
(H-26までならな)
次々と出てくる地名に、武は頷きながらも戸惑った。なんというか、まるで呪文のような地名ばかりで、とても一回では覚えられるとは思えない。
《オリョクミンスクハイヴにハタンガハイヴにヴェルホヤンスクハイヴにエヴェンスクハイヴだ》
(すまん、やっぱり無理だ。後で部屋でメモらせてくれ)
《また阿呆な事を………核地雷級の情報を無造作にメモるのは頼むから止めろ、この馬鹿。下手しなくてもBETAのスパイか狂人か、いずれにせよ情報部に拉致喰らってモルモットになっちまうわ》
武は声の直球な指摘に、うっと言いよどんだ。確かに、ハイヴの正確な建設位置などBETAか、あるいは予知能力に目覚めたとか自称する怪しい詐欺師の他にはいない。しかし武は、ある事に気がつくと、声に対して詰めるように問うた。
(分かってたんなら、どうして今まで言わなかった。そんな情報があるなら、もっと上手く戦いを進められたかもしれないじゃねえか)
《中国方面に関しては、伝えても意味なんて無かったさ。万が一にも信じてもらえたとして、どうなった? 反撃の目はあったか? 絶対に無いさ。知られればあの糞ったれかつ泥沼な戦況が、更にどうしようもなく糞ったれな状況になってただけだ》
(う………言われてみればそうかもしれねえ。だけど中国方面には、ってどういう事だ)
《マンダレーの時になら、然るべき人物に教えたさ。お前も不思議に思ってただろう? ――――あの時のアルシンハ・シェーカルの命令について。何故どうしてあの人はあんな命令を、そしてマンダレー攻略作戦を迅速に組み立てきれたと思う》
(っ、まさか!)
武は当時の事を思い出していた。ミャンマーの防衛線が崩壊した後、東南アジア方面に駐在していた軍隊はシンガポールにある基地へと後退した。だけど、それは半分だった。残りの半分はバンコクに残り、マンダレーとの中継地点にすべく戦力や物資が運び込まれていたのだという。
そしてシンガポールにも、ハイヴ攻略用の装備や各種部隊が揃えられていた。それも、マンダレーにハイヴが建設されて間もなくという異例のスピードでだ。まるで、あそこにハイヴが建設されると分かっていなければできない行動である。実際に、バンコク付近に残っていた部隊の戦力は不十分にも程があった。
BETAがそのまま南下してくれば、ひとたまりもなかった筈だ。一時期はそれを命令したアルシンハ・シェーカルに責任を問う声が殺到していた。しかし、結果を見れば最善に近い行動だった。バンコク付近に残っていた部隊は守りに徹するどころか、小刻みにマンダレー周辺のBETAの数を削っていった。あの行動がなければ、マンダレー攻略の決戦でも中隊はBETAの壁を突破できなかったかもしれないと言われている。
無謀に過ぎると思われた策が、一転して神算鬼謀もかくやというものに変わる。その格差というかまるで劇的な映画を見たようなインパクト、そして狂的な見極めと指揮能力が、当時少将だったアルシンハ・シェーカルを年若くして元帥にまで押し上げた原動力とも言われている。
だが、武は真実らしい話の他に、また別の引っかかるものを感じていた。
(お前の話が正しいとして、腑に落ちない点がある。どうしてアルシンハ・シェーカルは、お前の情報を信じたんだ)
未来の情報など眉唾に過ぎなく、常人ならば信じるはずがない。ほかならぬ声の言葉であるからこそ、納得できないと。その問いかけに、声は少し考えれば分かるだろうと答えた。
《いきなり信じる馬鹿はいない。だけど、時間をかければ別だ》
(時間を………何を、どういう意味だよ)
《言っただろう。俺は、お前が亜大陸で決意した後に生まれた存在だと》
まさか、と武は戦慄した。確かに、聞いた覚えはある。だが、そういえばその当時から“声”が何をしたのかは一度も聞いた事がなかった。
《手始めに兵士級の情報だな。他にも色々あるぜ。例えば、国連でも極秘中の極秘であるβブリッドの研究施設の位置とか》
(なっ――――)
《小さい事の積み重ねだよ。基礎を鍛えるのと一緒だ》
強い口調で告げる声。武は耐え切れず、問いかけた。
(お前は、誰なんだ? どうして、俺の中に居る)
《分かっているだろうに》
笑い、声は言った。
《――――俺はお前さ。お前の決意を核として生まれた、もう一人の白銀武だ》
声は、誤魔化すことなくはっきりと告げた。
《なあ、俺よ。人格ってのはどうして出来るもんだと思う?》
(それは………なんだ?)
《少しは自分で考えろよ―――記憶だよ。思想や思考、行動パターンや原理は記憶を基にして構成される。例えて言うが、“俺の幼馴染である純夏”と“俺の事を全く知らないで育った、ただのクラスメートの純夏”。両親も同じ、遺伝子も同じな2人の純夏が居るとしても、それは全く同じ人格であると言えるか? 前者の純夏でも、急に記憶を失っちまえばどうだ?》
(………なんだよ、その例えは。同じだなんて思いたくねえよ)
武は胸の痛みを感じつつも、同じである筈がないと否定した。例えばそれが逆であっても、同じ人格だとは言えない。遺伝子や肉体や血液や脳、全てが同じ構成をしていたとして、記憶が全く異なればそれはもう別人である。極端に言えば、記憶喪失になった純夏と、記憶を持っている純夏は、人格としては同じではない。
人格は心理面の特性であり、人間としての主体の“絵”ともされる。その中にある線やら色は記憶であるというのが、声の考えだった。
(つまり、お前は)
《――――G弾の実験により生まれたであろう次元の歪より転がり込んで来たもの。虚数空間にばら撒かれていた“白銀武”の記憶の欠片達》
それを主成分として、と声は告げた。
《お前の“自分の全てを賭けてでもBETAに勝ちたい”という想いを切っ掛けにして生まれた、もう一人の白銀武さ》