Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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37.5話 : Flashback(end)_

 

じめじめと、湿気が肌に絡みつくような気持ちの悪い部屋だった。そこで自分は、痩躯の男に殴られていた。セルゲイという、自分と彼女を攫った相手だ。猿が人間の世界に、といった訳の分からない言葉と共に、大きく振り上げた拳を一発、二発、三発と。

 

受ける度に視界が揺れて、殴られた箇所が痛む。だけどそれは相手も同じだった。チャンスだったのだ。こんな、スキだらけの殴打を仕掛けてくるような奴じゃない。こんな、殴る度に拳が痛むような殴り方をするような素人ではない。だけど指摘はしない。何発かは額に、堅く丈夫な場所へとヒットポイントをずらして受ける。

 

――――カラカラと、回る音が聞こえる。

 

――――下手すぎず、上手くない。だけど聞いていたくなる、サーシャの歌が聞こえる。

 

左右の拳はぐしゃぐしゃだろう。どうしてこんな、我を忘れる程に怒っているのかは知らないが、利用できるのならばするべきだと。額より流れるわずかな血。だけど一切気にせず、目配せで確認しあう。視線の先には、じっと耐えている銀髪の少女。いつ以来だろう、本来の色に戻した珍しくも美しい髪を持つ彼女、サーシャは頷いた。

 

自分から仕掛けようというのだろう。だが無理だと反論する。身体が弱っているのだ、奇襲の成功は2割程度も期待出来ないだろう。自分とて、あの大反撃作戦のせいで全身の筋肉が限界に至っているのだ。長く激しい防衛戦により積み重なった疲労は、今に来て全身を侵してしまっている。セルゲイを打倒できたとして、もうひとり、リーシャと名乗ったこいつをどうにかできるのは分の悪すぎる賭けになる。せめて手に持っている銃が無ければどうにかできたかもしれない。

 

だから、もう一手。二人共を完全に油断させる手はないかと考えた時だった。

 

彼女が笑う。途端に、全身が逆立った。恐ろしい形相をしていた、ということではない。

むしろ喜びの。だけど透き通ったその顔には神秘的な何かを感じずにはいられなかった。

 

止めろ、と。言葉は声にならず、俺は殴り飛ばされた。偶然にも、飛ばされた先にはサーシャが居て。抱きとめると、苦しそうな声を出した。抱きしめ合う形。自分の頭の横にある口から、声がする。

 

「………ここで死ぬわけには、いかないよね」

 

言葉は、単純だった。不思議なほど、迷いがないと感じて。だからこそ、耳の奥にまで届いた。

近づいてくる足音。そして、時間がないと見たのだろう。ゆっくりと身体が離され、自分の目の前には満面の笑顔があった。

 

出撃の直前。星が美しい夜空の下で見た顔ともまた違う。

例え私がいなくなっても、と言った決意を秘めた顔とは少し違う。

 

「タケルのお陰で、私は私になれた。ありがとう………今度は、私の番だね」

 

サーシャ・クズネツォワは、綺麗な顔で。

 

本当に綺麗な顔で、唇を重ねてきて、笑った。

 

「わたし、貴方に会えて本当に良かった」

 

その後のことは、自分でも思い出したくない。気持ち悪い、やってしまったという感触が全身に走り。サーシャがプロジェクションをしたのだと、脳のどこかが理解し、叫んでいた。

 

走れ、と。何をすべきかは、理解出来ている。セルゲイの横をすり抜けて突進し、よろめているリーシャから銃を取り上げる。

 

優先順位は決まっていた。だけど、銀髪の女が間に割り込んでくる。

 

銃口を額にポイントして。そして、同じ銀色の髪が見えた。これがもし別の色だったら、もっと違った結末になっていたのかもしれない。だけどその時はとても、撃つなんて選択肢は取れなかった。

 

窮地での1秒を捨てる愚者に勝利の女神は微笑まない。必然として、形勢は逆転した。

 

 

――――歯車が軋む。

 

――――歌が、小さくなっていく。

 

 

銃口を向けながらも、殺さない。その行為を、セルゲイもリーシャも屈辱と取ったのだろう。だから腹いせか、あるいは報復だろうか。こちらを絶望のどんぞこに突き落とそうと、畳み掛けるように口を開いた。リーシャ・ザミャーティンはプロジェクション能力に特化しているということ。

 

サブリミナル効果を元とした方法で、映像を人の思考に差し込み操るために利用されているということ。その処置を利用して良樹やアショーク達にある命令を出したと――――どうしてか、かなり悔しそうだったのが印象に残っている。だからだろうか、必要以上に苛ついているように思えた。

 

「私は…………私の存在意義は、人の心を塗り替えること。人の意識を、すり替えること。そのために私は生きている」

 

プロジェクションの事を言っているのだろう。

 

「私には、それしかない、なのに…………いいえ、あなたで証明してみせる」

 

どうしてか、彼女は怖がりながら。だけど、やってみせると一歩づつ近づいてきた。その手順は、最初に言葉で感情の揺らぎを作り、そこに差し込むようにリーディングで微かに読み取った映像を植え付けていくこと。そして、リーシャは一定の期間だが同じように戦っていたこともあり、自分の動揺する言葉を知っていた。

 

「お前は、無力だ。英雄だって呼ばれているのも、ただの幻想………人殺しだ」

 

知っている。だけど、糾弾されることで胸の痛みが増した。

 

「今日もそうだった。4人を捨て駒に………いや、それ以上の多くの衛士を下敷きにした。屍で道を作った。いや、いつもそうだった。お前は誰かを犠牲にしなければ、誰も救えないんだ。だからいつしか、お前は全てを殺す」

 

事実だった。そして、讃えられることがいつしか苦痛になっていった。4人のことも。そして、死んでいく誰かを止められない自分に限界を感じていた――――だから。

 

 

「最後には誰もいない。お前は、誰一人守れないんだよ」

 

 

 

言葉が、胸に突き刺さった。どうしてか、決定的な言葉であるようだった。まるで、何度も繰り返したかのような、味わってきたかのような。その動揺を契機と取ったのだろう、リーシャはプロジェクションを差し込んできた。

 

映像は、仲間が死んでいくものだ。サーシャが、ターラーが、中隊の仲間も、そして父も。

全てが死んでいく。無惨にBETAに貪り尽くされていく。

 

そして、純夏も。それが、いけなかった。

 

「――――ア、a!?」

 

肉体的にも精神的にも限界で、そして暗い方向に思考を誘導された挙句の致命的な言葉は、"壁"を越えてしまった。その後に思い浮かべてしまった"絵"はいうまでもない。そして、向こう側に封じ込められたその映像は極大の矢となって壁を貫き罅を入れた。

 

その後の、数秒間のことは覚えていない。微かに見える視界の中で、リーシャ・ザミャーティンが頭を押さえて絶叫していたのは覚えている。そして、何かから逃げるように手に持った銃を自分の蟀谷に突きつけると、一切の躊躇なく引き金を引いた。

 

だけど、自分にはどうでも良かった。ただ、何かをやらかした感触があって。

 

隣には、倒れたサーシャの身体があった。少し痙攣しているようだった。もしや、彼女にも何かが、と抱き起こす。だけど力が抜けているせいか、いつもより身体は重たかった。

揺さぶっても反応はせず。そして、顔を覗きこんだ時に、見た。

 

目から、血の涙が。両の鼻からは血が静かな川のように流れ。

耳たぶから、ぽたり、ぽたりと血の水滴が落ちて、俺の服に血の点を刻んでいく。

 

放心状態とは、ああいう時のことをいうのだろう。

目ではそれを理解しているが、頭がついてこないのだ。

 

「サー、シャ?」

 

何度も呼んだ名前だった。戦う直前の、あの初陣の日に出会って、基地で再会してからずっと。サーシャ、と呼べば答えてくれる。最初は、慣れていないからか練習のようで。だけど時間が経ってからは、タケルと呼んでこちらの言葉を待っていた。だけど、返ってきた言葉は違った。

 

小さく開いた瞳と、端より血が溢れている唇。

 

それを弱く開けて、彼女は童女のように笑った。

 

 

「あー? あー………う~?」

 

 

歯車が壊れたような音を、聞いたようなした。同時に、どうしようもない致命的な、言いようのない喪失感が全身を駆け巡っていった。脂汗が出るが、気にはしていられない。だけど、もう一度名前を呼んでも、反応は全く同じだった。彼女の目は開かれている、視覚が残っているのは確かだろう。

 

だけど、瞳は何も見ていないような。否、違うのだ。

 

サーシャは俺を、白銀武を見ながらもそれを誰か理解できていなかった。まるで産まれたての赤ん坊のような。言葉もまだ覚えていない、記憶もなにもない、まっさらな状態に戻っているような。

 

全てが壊れ、消えてしまったような。セルゲイの叫びにより、それが事実であると言った。

化物の成り損ないだと。それに対して、武は反論を重ねた。

 

感情や心を読み取ろうが、相手になんだろうが、認識させられると同時、俺の目の前は赤く、そして真っ白に染まっていった。腕だけは正確に、銃口を痩躯のソ連人の額を捉えて。

 

 

――――視界の端で、トレンチコートを着た誰かが見えたような気がした。

 

 

 

 


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