Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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短編集
短編その1 : 親子


「………ここ、は」

 

風守光は、戸惑いと共に呟く。気づけば、見覚えのない天井の下で寝かせられているが、どうして自分はこんな所で寝かせられているのか。

 

それまでの経緯を思い出そうとするが、全く思い出すことができない。光はふ、と腰のあたりに痛みを感じて顔を顰めた。何とはなしに上げた自分の腕には、点滴の針が刺されている。

そしてどうしてか、手首の先の動きが鈍い。

 

「っ!」

 

光はそこまで認識した途端に跳ね起きた。鈍い原因は斬られたからだ。そこから連想される"大元の原因"まで思いついたからには、大人しく寝転んだままではいられなかった。

 

だが、身体までが意志についてこられるとは限らない。

傷められた身体は痛覚を通じて、お前の事情など知らないと怒るが如く光の脳を刺激した。

 

「………っ、く、ぅ」

 

たまらずに漏れでた苦悶の、だけど止まらない。光は邪魔するならばお前さえも殺すと、自分の身体に活を飛ばして立ち上がろうとした。

頭の中にある言葉はたったひとつだけ――――あの子はどこに、無事なのか。

 

あの後にまた刺客でもやって来ていたらひとたまりもない。もしかしたら、の場面が浮かんでは脳内で無理やりに斬り伏せる。

 

(この目で確認しなければ………!)

 

光は立ち上がろうとするが、無茶に激痛が更に強まって意識が遠くなるのを感じていた。

それでも、とベッドの横にあったスリッパに足を下ろそうとする。とたんに、扉の開く音が。

光に向けて、焦った少年の声が飛んだ。

 

「な………ななななにやってんだよ母さん!」

 

部屋に入ってきた少年―――とても見覚えのある人物の、唐突であり全くの予想外であった言葉。

 

湧きでた感情は歓喜、そして安堵。この上ない刺激に、落ちかけていた光の思考はまた意識の裏へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………ごめんなさい」

 

「いや、だから怒ってねーって………いや怒ってるな。なんで起き抜けにあんな無茶してんだよ………ですか?」

 

「それは………」

 

「あー、言い難かったらいいですよ、だよ?」

 

武はぶすっとした表情のまま、メチャクチャな口調だった。敬語もなく普通にしゃべっているが、しまったとばかりに敬語に、その逆も。顔は口調と違い、一貫して光の顔を心配する表情に固定されていた。だけど、その視線は落ち着かない。

 

光に視線を返されれば、ふいっと目を逸らしたり。光の方も落ち着きのない様子で、何かを言おうとしては口を閉じている。どうして、こんな状況で、居心地の悪い状況に。二人はしばらく重い空気の中、内心で右往左往していた。そこに、救世主が現れた。

 

「失礼する」

 

「真壁大尉!」

 

「……どういう状況だ、コレは」

 

真壁介六郎は部屋に入るなりいきなり歓待の声を向けられ、困惑した。

 

彼は既に風守光が目覚め、白銀武と顔をあわせていると聞いていて、そのために到着をわざと遅らせていたのだ。だが、入ってきた途端に待ってましたと言わんばかりの声である。

 

あれだけの事をして守った、母親。決死の覚悟を基に戦った、息子。双方が望んだ通りの再会のはずだ。なのにどうしたことか、この親子は離れた場所から距離を測り合っているように見える。

 

母親の方は昔から、息子の方は最近になって。介六郎は最近になって知るようになった両方の人間を前に、ため息をつきながら椅子に座った。

 

(………重症だな。らしくないぞ、と皮肉を言っても無駄のようだな)

 

思えば、そもそもの背景が複雑過ぎるのだ。単純な所があるこの親子にとっても、今回の再会までのあれこれには大小あわせて様々な事情が絡みすぎていた。

 

母、光の方は過去と現在までにあった色々な面での負い目がありすぎるが故に、申し訳無さが先行しているのだろう。

 

息子、武の方は恐らくは欠片も想定していなかっただろう突然の再会劇であり、裏にはかつての自分を形式上は捨てたに等しい母親の選択がある。

 

しかし、先の光の決死の防衛もあり、決して嫌なはずがないのも分かっている。

 

(面倒くさい………伝えるべきを伝えて、さっさと帰るか)

 

斯衛の一員として、崇継の仮ではあるが傍役である立場の責務として。仲間になり得る可能性が高い二人に現在の状況などを説明するが、後は野となれ山となれ。彼も過去の自分の兄弟との諍いという経験を持っているため、家族間の問題は当人同士が決めることが一番良いと知っていた。必要なのは、最低限のフォローだけ。

 

そう判断して、今の戦況のことを。そして白銀武が、正式に第16大隊に入ったことを伝えた。今では貴重かつ高性能である試製98型を任せられていること。光は一連のことを聞かされ、酷く驚いた。あれは斯衛専用の機体であり、未来の己達の搭乗機となるその雛形であるのだ。

 

客観的に見てぽっと出の少年に与えられる機体ではない。そもそもが、武の今着ている服――――斯衛が着る"赤"のそれに関しても疑問だらけだったのだ。

 

「名目上は………風守光の養子、となっています」

 

白銀武は、16大隊に入る前に"風守武"と名乗らされる事が決定していた。間違いなく生まれるであろう余計な軋轢を出来る限り少なくするためだった。

 

風守武に関してのことは、崇継より同部隊の全員に向けて、風守光が昔に養子に取った男児であり今までは海外で極秘裏に実戦経験を積んでいた、との説明がされていた。五摂家という武家の頂点、その一角たる斑鳩の当主よりの直々の説明である。異論を挟むものなど当然おらず――――と、事が素直に解決するほど、斯衛も一枚岩ではない。

 

風守家は問題が多いことで知られているからだ。特に現時点で問題の筆頭とも言える人物、先代当主の風守遥斗の妻であり光を背後から刺した義理の姉の風守夏菜子は謹慎処分となっていた。

 

表向きには問題とされていないが、実質的には謀反を企んでいた者である御堂賢治。彼が起こした今回の事件で協力的な行動を取った犯罪者、という扱いになる。

 

だが、それを立証するには御堂賢治の、つまりは崇宰側の陣営のことも明るみにしなければならなくなるのだ。光が昏睡状態になってからBETAが侵攻してきた回数は、2度。

 

いずれも被害は並ならぬもので、防衛側としては進退窮まる一歩手前にまで追い詰められている。そんな今に、斯衛の内々で起きた揉め事を表に出すことはあまりに好ましくないことであろう。

 

そう判断した各家は、事が出来る限り穏便に済む方法を取った。一部事実の隠蔽、という形で。

光は、そんな背景よりも気になることがあった。

 

「雨音、様は………」

 

「………申し訳ないって。死にそうな程に、後悔してました」

 

武は出会った時のことを思い出していた。風守雨音は病弱だと聞いていたが、その白い肌が青を通り越して土気色になっていたのだ。自分が風守光の子供ということ、その経緯を聞いた後の反応も、武の予想外のことだった。

 

風守雨音は、ただ後悔していた。白い手を血が滴り落ちるほどに強く握りしめて、けど目は決して閉じずに。悔やんでいた。放っておけば自刃していたかもしれないほどに。申し訳がないを通り越して、合わせる顔もないと。

 

武は悔恨に染まった上に土下座される勢いで素直に謝罪されたことを話した。会う前にはいくらか持っていた敵意を消さざるをえなかったことも。光はそれを聞いた後、二人の間でどういった会話が成されたのか非常に気になっていた。

 

武もそうだが、雨音も光にとっては守るべき存在であり、敬愛していた兄の忘れ形見で、捻くれずに育った可愛い姪である。だが、それとは別に聞かなければならないことがあった。

 

成る程、崇継様と雨音様が認められれば、障害はほぼ無くなるだろう。だが大隊は能力に比例して曲者が多く、その中でも一番に反発しそうな人間がいるのだ。

光は介六郎に視線を向ける。見られた介六郎はその意図を察して、疲れたようにため息をついた。

 

「磐田と吉倉は………大人しいですよ。表面上は、という枕詞が付きますが」

 

磐田朱莉と吉倉藍乃。どちらも20才の女性衛士であり、その才能と努力を認められて16大隊入りした者達。斑鳩家の家臣であり、譜代武家の長女である山吹の斯衛である。プライドが非常に高く、気の強さは隊の中でも随一。そして同部隊の衛士の中で、打倒・風守光を明言していた数少ない人物である。また養子となった光を"似非大名"と面前で呼ぶように、敵意を隠そうともせずに接していて、周囲からは厄介者と浮いた存在として扱われていた。

 

武はもちろんのこと、何度か会話をしていて。そして、疲れたようにため息をついた。

 

「あー、あの"赤鬼"に"青鬼"か」

 

「………真壁大尉?」

 

「面と向かって言ってのけました。その時の周囲の反応がまた傑作でしたが」

 

光の引きつった顔に、介六郎は遠い目をして目を逸らしていた。その後の惨状はさぞかし見ものだったのだろう。悪い意味で。だが上手いこと言うと、感心してもいた。

 

磐田朱莉は勝気かつ活発を姿見に映したような者で、赤い髪のポニーテールがより動的な印象をもたせている。戦術機動のセンスに関しては隊内でも5指に入るほどで、修めている小太刀術を活かした高機動格闘戦が得意な生粋の突撃前衛である。

 

吉倉藍乃は青い髪を腰まで伸ばしている、見た目は大人しそうな童顔の少女であり、一見すればとても衛士とは思えないような静かな外見である。だが気の強さで言えば朱莉以上であり、"あいつが怒っている時は近寄るな"が隊内の不文律であった。家は弓術の一つの流派の宗家であり、射撃術に関して言えば隊内でも随一である。

 

努力家であり、最近は近接格闘戦における突撃砲と短刀の両方を併用する運用方法を工夫している。センスで直感的に動く朱莉とは対照的であり、互いに負けず嫌いな二人は水と油とも言えた。

だがどうしてか、二人の仲は傍目から見ても親友と断言できるほどに良い。人間の相性とは不思議であるな、と崇継がふと零すぐらいには。

 

「しかし、あの二人がよく大人しく引き下がったな」

 

「大人しくも、引き下がってもいませんよ。ですが、叩きのめされてなお反論を重ねる程に恥知らずではなかったということです」

 

曰く、その機体を貴様のような子供に使いこなせるのか。それを武は実戦で示してのけた。また瑞鶴同士での直接対決も行われたが、武は1対2という不利な状況においても終始二人を圧倒し続けていた。それも、相手の土俵に乗って真正面から立ち向かった上で。しばらく二人は使いものにならなかったと、介六郎がまた疲れた表情を見せた。

 

光といえば、介六郎に同情しつつも違和感を覚えていた。武と接してまだ数ヶ月程度ではあるが、そんな嫌味な方法を取って相手を粉微塵に打ち砕くようなことをするとは思えなかったのだ。

どうして、そこまで徹底的に潰すような真似をしたのか。不思議に思い尋ねようとするが、どうにも武は答えにくそうに目を逸らしているだけだった。

 

そこに、ふ、という苦笑が。そして介六郎は、皮肉げに告げた。

 

「切っ掛けがあったんですよ。風守少佐をバカにされたことが許せなかったようです」

 

「ちょ、真壁大尉!?」

 

思わずのバラす言葉に、武は気恥ずかしさを感じて、顔を赤くしていた。

光は、今の言葉をじっくりと飲み込み、そして反芻しながら驚いた表情を見せていた。

 

「あとは二人でゆっくりと。崇継様は明日に来られるそうです」

 

介六郎は爆弾のような言葉を投げっぱなしで、ささっと退室していった。止める間もない素早さに武と光は呆然としていたが、やがて再起動を果たすとお互いに顔を向け合っていた。

 

「バカにされた、って」

 

「売り言葉に買い言葉だったけど………任務外で負傷した"似非大名"殿は衛士も失格って」

 

鬼発言の後に、言葉のぶつけあいになったのだろう。落ち着きが足りないあの二人を思えば、分かる話だ。そして光の負傷も、表向きに出来ない理由が多すぎるので極秘扱いとされている。

 

なので今回の事も、たまたま通りがかった光が不審者を相手に一戦して大怪我を負ったと説明せざるを得なかった。

 

あの時期の病院である。国内外に対しての大問題は必至、という犯罪を犯そうとしていた者を未遂に防ぎ、挙句は捕縛した一助になった、というのは十分に讃えられるべき行いだ。

 

だが一部の見方を変えれば斯衛としてはどうなのか、という意見もあることは確かだった。

 

崇継と介六郎からのフォローもあり、本来ならば大きな事件にはならなかったのだが、武の失言というか素直な感想に端を発した騒動の果てに、光を貶すような言葉が出てしまったのだ。

 

その中で上手く動いたのが介六郎だった。磐田と吉倉の両名は問題児ではあるが、若くして隊内でも指折りの衛士に数えられている。

 

その二人を相手に武の力量を見せることで、その頃はあまり固まっていなかった"武が武御雷に乗るに相応しいのか"といった問いに対する明確な解答としたのだ。

 

同時に、実戦で有能さを見せていた二人が少し増長していた点も、前回の防衛戦より挙がっていた問題であった。

 

「今も、二人とは喧嘩している?」

 

「………顔を合わせれば、睨み合うぐらいには。まあ、陰口を叩くとか徹底的に無視するとか、そういった方法に出ないのはありがたいけど」

 

そういった行動は隊内の不和と不安、不満を増幅していく切っ掛けになる。だけど敗北した二人は落ち込んではいても逃げず、復帰してからは敵意を前面に出してはいても対決の姿勢を隠そうともしていなかった。武も、侮辱するような嫌味な戦い方をやってしまったと後悔していた所なので、その態度は有りがたかった。

 

「あとは、さくっと嫌味を言い合うぐらいかな。昨日は、"貴様ごときガキ、近いうちに絶対に追い越してやる"とも」

 

「え………それは、二人とも?」

 

「え、そうだけど」

 

武の返答に、光は驚いていた。磐田の方は性格的には正直者であり、その反面で空気を読めない、時には相手を傷つけるような発言をしていたのだ。悪意の無い言葉が、何よりも深く突き刺さる事がある。それが原因で揉めたこともあり、誤解を説くようにした仲介が大変だったことを光は覚えている。一方で吉倉の方は、良く言えば例え陰でも悪口を言わない。悪くいえば、他人にあまり関心を向けていない。

 

怒った時も睨みつけるだけで、それ以外に悪態をつくのも磐田だけだった。特に偏屈だったその両名が、武に対しては真っ向から嫌味を言い合い、またその力量をはっきりと認めているのだ。

 

介六郎がそれを止めないのも、そうした三人が隊内の良い刺激になっているから。つまりは、悪い関係ではないということだ。

 

「本当に………影行さんにそっくりだな」

 

「え、なにが?」

 

やらかす事も多いが、悪意を元に人を傷つけることはしなく。その上で素直に接し、無自覚に人を――――特に女性を惹きつける。光は当時の整備員だった女性と、影行の同期であった人物から聞いた学校時代での事を思い出し、頭痛がすると頭をおさえていた。

 

「ていうか親父のこと、影行さんって呼ぶんだ」

 

「あ………そ、そうだけど、おかしい? その、そうした普通は分からなくて」

 

光はわずかに顔を赤くした。なんだか気恥ずかしいのだ。

武は、思ってもいなかった言葉に、慌てながら言葉を探した。

 

「えっと、いや………お、俺も分かんねえし。あ、でも純奈母さんに似てるかな。さっきの聞き方も、同じだった」

 

学校で誰かと喧嘩をしたのか。相手だけが悪いと思っていないか。ちゃんと仲直りはしたのか。武は子供の頃に、何度もそうして怒られた事があった。それを告げると、光の顔が更に爆発したかのように赤くなった。武も、ぽりぽりと頬をかきながらも、顔を赤くしていた。

 

二人共が経験したことのない、えもいわれぬ独特の空気の中で、しかし言葉は出てこない。

 

そうした時に聞こえた、ノックの音に二人は盛大に変な声を出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、今の奇妙な声は………やはりお加減が? 出なおした方がよろしいでしょうか」

 

「な、なんでもありません、雨音様!」

 

「はい、何も無かったんです! ただ間が悪かったというか――――」

 

「そうですか。やはり、私は………タイミングも悪く………」

 

「いや違いますって!」

 

親子は落ち込み始めた現風守家当主の風守雨音を前にして、即席のコンビネーションを発揮していた。らしくも辿々しいが、それでも後悔に染まっている雨音には十分であった。

向き直った彼女は、武と光を交互に見ると目を閉じる。

 

「お二人共………母が、ご迷惑をおかけしました」

 

会釈程度ではなく、頭を下げて深く謝罪を示す。武は何かを言おうとしたが、光が微動だにしないのを見て、何もせずにじっとする事を決めた。以前より、彼女が後悔していた事は2つ。それは母の行動を止められなかった事と、最近になって判明した武のこと。

 

経緯に関しては介六郎より説明されており、その時の彼女の狼狽ぶりは見たことのないものであると。介六郎も風守家のお手伝いをしていた者も同じ感想を抱いていたという。武はそうした彼女の態度に、先日の事を想起していた。

 

風守雨音は自責の念深く、自分の不甲斐なさに涙さえ流していた。それすらも弱いと、甘えであると断じていた。更に謝罪を重ねるほどに。武は病弱である事を一言も言わず、言い訳にもせずに。武家の人間、家を預かる者として強くあろうとする意志は、とても尊いものだと思えていた。

 

「いえ………こちらこそ、義姉上の異変をもっと深く捉えるべきでした。まさか御堂と結託していたなどと、夢にも思っておりませんでしたから」

 

第三者の介入があったからこそ、雨音の母はあそこまで光に辛く当たっていたという。光は、自分さえ耐えれば済むことだと思いこんでおり、まさか悪意ある何者かが絡んでいたなどと、夢にも思っていなかった。だが、雨音にとってはそれ以上だ。形ばかりとはいえ当主である彼女であり、また実質的な実働者の頂点であり、この家のために命さえ賭けてくれている光に対して、後ろめたい以上の気持ちがあった。

 

私が、いえ私が。そうして自責合戦になった頃だった。武は手を盛大に叩いて、頭を下げ合っていた二人の意識を集めて、言った。

 

「どっちも悪いで良いじゃないですか。最悪のケースにはならなかったんですから」

 

誰も死ななかったと。二人は、そこで口をつぐんだ。それは結果論であり、一つ間違えれば多くの人間に不幸をばら撒くことになりかねなかった大問題である。だが、武である。幼少の頃よりを考えれば最も被害を受けた者の一声に、それ以上を言えるはずもない。

 

落ち着いた二人に、武は笑いながら言った。

 

「これから先が無いわけじゃなし。ちょっとした行き違いで起きた事なら、謝って握手して次が無いように気をつけようと励まし合う。それで万事OKです」

 

あっけらかんと言ってのける。それも、幼くして海外に放り出されたにも等しい少年が、である。

きょとんとしている二人に対し、武は告げた。

 

「それに、あの時にインドに………海外に出てなかったら出会えなかった人がいた。あの中隊のみんなも、それ以外の人たちも出会えなかったかもしれねえ」

 

ターラー教官にも、サーシャにも。偽りなき本心の言葉であり、むしろ感謝さえ示したい程の。

でも、頭を下げるのはまた違う。ごめんなさいと、ありがとう。これで噛み合えばそれで良いと。

 

「くだらない事でこれ以上言い合う方が嫌です。なんで握手して仲直りってことで良いっすか、雨音様」

 

「は…………はい。わ、私はそれで」

 

「オッケーっす」

 

武は差し出された手を取った。白魚のように白く、病人である事が分かる細い指。

 

「………雪のような手ですね」

 

「っ、それは――――」

 

「だけど、言葉は暖かい。嘘を言っていないのが分かります」

 

彼女の過去は聞かされていた。だけど、病気はどうしようもないのだ。ましてや生来のものなら、逃れようがない運命に等しい。それはどこぞの世界よりの記憶と、この世界の運命を、重責を背負わされた自分にも似ていた。

 

それなのに1人、嫌味など数百と浴びせられたのに真っ直ぐに。今でも何とかしようと努力を続けている彼女を、武はどうしても嫌いになれなかった。

 

「………逃げないだけでも、真面目です。力の限り精一杯で………必死だから」

 

自分の情けなさ、不甲斐なさに涙を流せる者は多くない。

抱える問題と真正面から向き合って、逃げず正面から向かい合ってこそ悔しさを感じ、強くあろうと思い続けられる者だけが涙を流せるのだから。

 

「仲直りです。なんでって、俺が仲直りしたいから。それで、えっと………従姉にあたるから姉さんか」

 

これからも宜しくお願いします、雨音姉さん。笑いながらのその言葉に、風守雨音はしばし呆然として。言葉の意味を噛み締めた後、確りと武の手を握り返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうしてしばらく、過去の事などで歓談した後、雨音は帰っていった。

 

ぱたん、と扉が閉じられて。すぐ後に光は、武の顔をまじまじと見つめていた。

 

 

「武………その、雨音様のことは」

 

「辛いことだけは分かってますよ。何からも逃げられないってのは」

 

 

自分の身体である以上、何をしても目を背けられない。だけど立ち向かおうとするならばこの上なく苦しいけど、現状に甘んじる心など欠片もなくて、だから余計に辛くて。

 

やる気があるからこそ、悔しいのだろう。だけど生まれ持ったもの、自分ではない何かの要因のせいで何も成せないとは、どれほどの苦悩を感じるのだろうか。

 

武には分からない。だけど、辛いことだけは分かるのだ。敬語を重ねての本心に、光はそれ以上何も言わなかった。自分とほとんど同じ事を思っていたから。

 

ただ一言だけを告げる。

 

「敬語は………敬語は、要らない。タケルが良ければ、だけど」

 

「あ………お、俺も」

 

辿々しくおっかなびっくりであっても、二人は顔を見合わせて言葉を交わした。思いつく話題を、思ったままに口にする。15年、違う場所にあったそれぞれの歩んできた道を少しでも共有するように。

 

「そ………そそそそそその申し出に、影行さんは応えたと?」

 

「断ったって。自分には好きな人が居るからって、シャット・アウトしてた」

 

 

共通の話題、父のこと。その話に光はこの上なく焦ったり、安堵のため息をついたり。

 

 

「あ、でも最後まで諦めてなかったのはいたなぁ」

 

「その女の名前は?」

 

「クリスティーネ・フォルトナー。中隊に居たドイツ人の衛士で、もとは親父が口説いてあの中隊に引っ張ってきたようなもんだから邪険にできなさそうで………」

 

「く、口説いて!?」

 

「ひ、比喩の! ただの例えだから!」

 

自分が想像していたゆうに5倍ほどの衝撃を受けていた母に、武が慌てたり。

 

 

「じゃあ、純夏ちゃんは横浜に?」

 

「横浜が危ないってのは分かってるから、仙台に疎開するのを勧めた。樹が同行しているから、嘘や冗談の類だとは思わないはず。迷惑が大きくなるから心配だけど、最悪は直接電話してでも――――」

 

共通の話題のもう一つ、お隣さんだった鑑家のことを心配していたり。思いつく限りのあらゆる事を話して。

 

 

「赤鬼と青鬼、思いついたのは中隊の頃の癖って?」

 

「うん、みんな必死だった。いかに端的に深く、それでいて致命傷に至らない程度の悪口を思いつくか。でも、腹黒団子頭の領域には誰も至れなかったなぁ」

 

遠い目をする武に、クラッカー中隊の裏の顔というか噂に真っ向から反するくだらなさと、人間の業を思い知ったり。

 

 

「崇継様………罰ゲームは良い案だって、本当に提案したの?」

 

「中隊の話をしたら、やる気を喚起させるいい案だって。模擬戦で負けた者は羽子板の敗者のように墨で"?"を一筆。俺も必死さが上がるから賛成したんだけど、反対していた真壁大尉の無言の圧力に屈してしまって――――」

 

昔から変わってない。真顔でとんでもない事を言い出す崇継、それに賛同する武と戦う、制止役の介六郎の涙の奮闘に光は色々と励ましの便りを出したくなったり。

 

 

少しでも、お互いの間にある15年の溝と空隙を埋めるように。おっかなびっくりでも、母と子として言葉を交わしていた。

 

知らないことは多い。影行のことでさえ、光にとっては夫の姿と、武にとっては父の姿と、二人の持っている思い出と記憶は大きな違いがあった、それでも。

 

 

――――母は、こうして話を出来ることによる奇跡に感謝を示しながら。

 

――――息子は、いずれ訪れる一時の別れの事をどう言おうかと迷いながら。

 

 

全てを分かり合えなくても、諦めず願いを捨てないまま。互いに歩み寄るその一歩を、着実に踏み出していた。

 

 


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