Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
避難民のために建設された、仮設住宅の中。建て付けの悪さのせいで隙間風が少し寒いその中で、とある一家プラス1人は正月の用意をしていた。
「あ、これ付けときますか?」
「そうね、お願いするわ」
少年は――――武は椅子を台にして、玄関に正月飾りをつける。
「っと、これでよし………ん、なんだ純夏」
武は椅子の上で、雑巾を差し出してくる幼なじみに疑問の声を上げた。
「えーっと、ちょうどそこ拭こうと思ってたんだけど」
「ああ、貸せよ。ついでに拭いとく」
武は雑巾を受け取ると、玄関の扉の上にあるわずかだが埃が溜まっている場所をさっと拭いた。
引っ越ししてからそれほど経ってないので、埃の数は少ない。
手早く済ませて椅子から降りると、今度は掃除のために一時的に移動させていた家具を持ち上げ、てきぱきと元の場所に戻していく。
「………よ、っと。これで全部かな」
「うん。ありがとう、やっぱり男手があると助かるわ」
夏彦は近所の有志と一緒に、町内の見回りに出ている。昨夜には同じように男衆で拍子木を持ちながら、火の用心を報せまわっていた。
「でも、良かったの?」
「へ、何が………ってああ、あっちの方ですか」
白銀武こと風守武は、斯衛が誇る第十六戦術機甲大隊の衛士である。関東の防衛戦はひと欠片の油断も許されない状況であった。
鑑家にはその辺りの詳しい事情を話してはいないが、それでも何となく察する所があるのだろう。
(とはいっても、口外は出来ないんだけどな)
年末年始にかけての警備体制は、帝国軍を主体として受け持つことになっているのだ。
理由は、先の防衛戦で斯衛の獅子奮迅の活躍を見せられたからという。助けられた衛士は多く、武の耳にも感謝の声が届いてきたほど。
一方で、帝国軍としての面子を気にする輩は素直に喜べないものがあった。
同じく、祖国を守る兵士。とはいえ、一方だけが頼られるのは面白くないという事だろう。
帝国陸軍、本土防衛軍の戦術機甲部隊は休暇返上で警戒体制を。
緊急時には武もすぐに駆けつけられるようにしているが、そのような事態がなければ、今の関東の守りの要は帝国軍が受け持ち続けるということになっていた。
国民の年末年始を守る、勇壮な帝国軍として見られたいという。露骨なポイント稼ぎだと誰かが言っていた。
「まあ、大丈夫ですよ。あっちの方も、22:00頃には戻りますし」
風守の家の事だ。当主代理として、年を越す瞬間に家に居ないというのはよろしくない。
「俺としたら、こっちの方が落ち着くんですけどねー」
「ふふ、嬉しい事を言ってくれるわね。でも………光さんにお願いされたんでしょう?」
「あー、まあ………うん」
お願い、というよりは遠回しに希望を述べるような。それでいて、握りしめた拳が汗ばんでいたのが問題だった。
願いというよりは、懇願のような。どちらかというと、武にとっては風守としての体面よりはそちらの方が重要だった。
それがなければ、今も迷っていたかもしれない程には。
「怪我の方もねえ。快復にはまだかかるんでしょう?」
武はその問いに頷いた。
光の怪我に関して、左手の再生治療はもう済ませているとはいえ、その他の部分も数週間やそこらで治る程には軽くない。
医者が引く程の意気込みでリハビリを続けているらしいが、それでも戦場に戻るまではまだ時間が必要だろう。
「なら………その気持ちはありがたいけど、光さんの方に行ってあげなさい」
「うん………いや、はい」
「ふふふ、そんなに力持ちになったのにね。雰囲気も大人になっちゃったのに、変わらないのね」
武は一部、優柔不断な所がある。そして家族に対しては、意固地になる所があった。
例えば、父親が授業参観に来れなくなった後のことなど。
素直になれない少年を諭すのは、いつも純奈の役目だった。
「私としてもタケルちゃんにはこっちに居てほしいって思ってるけど………今年はおばさんに譲るよ」
「純夏………ありがとう、ごめんな」
「謝らなくていいの! ………もう、調子狂うなあ」
武は頬を赤くしながら怒りのポーズを取る純夏に、どうしてか分からないと首をかしげた。
「へ、なんで調子狂うんだ?」
「昔のタケルちゃんなら、もっと、こう………ここで私をからかってたし。“なんだ俺が居なくて寂しいのか~”、とか勝ち誇った顔でさあ」
子供そのものの仕草で、こちらをからかうというか、おちょくるというか。
純夏はそういった過去のイメージがあるので、その頃とはまるで違って少し申し訳無さそうな表情には慣れていなかった。
「まあ、変わったって事だよ。筋肉もついたしなあ」
「そういえば、腹筋とかカチカチだったもんね」
腕の筋肉もそうだ。今は普通の民間人が着るような服を身に纏っているが、中身は同年代でもトップクラスの身体能力を持つ軍人なのである。
「お前は………ちょっと太った?」
武は京都での事を思い出していた。抱き心地を考えると、昔より柔らかくなったような。
純夏はその感想に対し、乙女として譲れない一線を守るために吠えた。
「お、女の子らしくなったの、成長したの! ………まったく、そういう所はぜーんぜん変わってないねタケルちゃんは。むしろ劣化してるよ」
「な、聞き捨てならねえな。劣化してるってどういう所だよ」
「女の子に対してデリカシーの無い所とかだよ!」
武は身に覚えというか耳に覚えのありすぎる言葉に、うっと言葉を詰まらせた。
「し、仕方ねえだろ。ていうかあの人らが女の子ってねーよ。大抵が年上だったし、女の子って柄でもねえし」
「………はあ」
「何で無言でため息ついてんだよ!」
「いや、ドキッとしたのがね。不覚だったなあ、って」
「なんだ、調子でも悪いのか。ひょっとして食い過ぎとか?」
またもやデリカシーの欠片も無い一言に、純夏が胡乱な目つきになった。
体格もそうだし、性格や言動も昔とはかなり違う。それでも変わらない部分に、本当は何も変わっていないんじゃないかという疑問を抱く。
もしかして筋肉もハリボテなんじゃないかと、純夏は自然な仕草で、武の腕を掴む。
力いっぱい強く握りしめるが、武の腕は昔のそれとは別人のように堅く、武も力を入れているので純夏の非力ではぜんぜん凹みもしなかった。
武は家具運ぶのはお前も見てただろ、と呆れた声を出しながら、純夏が何に対して疑問を抱いているのかに気づいた。
そして証明のためにと、ささっと純夏の背後に回ると腰を掴む。
「よ、っと」
「へ、わっ?!」
武はそのままヒョイ、と純夏の身体を持ち上げる。成長したとはいえ16歳の少女の身体は小さく、実戦に訓練に鍛え上げられた武にとっては軽いものだ。
純夏は急な浮遊感に驚き暴れ、バランスを崩し。それを危なげなく武が両の腕で受け止めた。
「お、っと危ねえ」
「わ………へ?」
純夏は驚きの声の後、今の自分の体勢に気づいて硬まった。背中と脚にぬくもり、そしてふと横を見れば武の顔が近い。
いわゆる一つのお姫様抱っこである。
「なんだ、軽いな」
「あ……あ、ああああ当たり前だよ」
顔を赤くしながら、純夏。武はどんなもんだ、という顔をして純夏を立たせた。
傍観者である純奈といえば、にこにこと笑いながら二人の様子を見守っているだけ。
純夏はそんな母の顔を見て更に気恥ずかしくなり、大きな声を出した。
「もう、おかーさん!」
「あらあら、顔が真っ赤よ?」
指摘されて顔が更に赤くなる。そこに、14:00を示す時計が鳴った。
それを聞いた純奈は、あら、と止まり。そして、二人に向けて言った。
「タケルくん、純夏。ちょっと悪いのだけれども、配給を受け取りに行って来てくれない?」
仙台の郊外。中心部よりは少し離れた場所の歩道で、武と純夏は目的地を目指し歩いていた。
「配給車、ねえ。今日はこの時間なんだな」
「夜は暗くて物騒だからって」
警邏をする軍人も人手不足らしい。警察官の数も少ないのだ。いるとしても、身体のあちこちにガタが来ているという中年男性だけ。
身体が丈夫な成人男性であれば、まず軍に吸い上げられているからだ。
先週にも、若い女性が路上で襲われるという事件があった。犯人は中国系の難民で、襲われたのも同じく中国系の難民。
だが、最近では珍しくもない話だ。日本人その他に被害が出ることも多く、治安維持に当たっている担当者も、色々と試行錯誤を繰り返していると聞いていた。
「純夏も気をつけろよ。間違っても1人で出歩かない方が良い」
「うん。おとーさんからもそう言われてる」
犯人は難民ばかりとは限らない。これは武しか知らないことだが、地元の住民が犯人になることもあるのだ。
大勢の流民に関する問題は、流れてきた人間と元々そこに居た人間双方から発生するもの。
当然として、環境の変化に不安を覚える者や、不満を抱く者も決して少なくはない。
「タケルちゃんも気をつけてね。ナイフを持って彷徨いてる人達も居るらしいし」
「俺は大丈夫だって。まあ、自動小銃持ちだされたら流石にヤバイけど」
武はしゅっ、と口で言いつつ素早いジャブを繰り出した。
「でも、いざって時がある。そうなったらお前のドリルミルキィで頼むぜ」
「私のパンチってどれだけなの!?」
「大丈夫。ターラー教官を越える逸材になれるさ、お前なら」
武はにっかりと笑って親指を立てる。それほどまでに、仙台で再会した後の一撃は強烈だったと語る。
「あ、あれは………約束を破ったタケルちゃんが悪いんだよ!」
「俺としては守りたかったんだけどなあ」
武は再会を果たした後、そしてこの一日の事を考えていた。斯衛のそれに対して、こうまで心休まるとは思っていなかったのだ。
それを考えれば、斯衛に思う所はある。とはいえ、一部の者に対してだ。
斑鳩崇継も、煌武院悠陽も、風守光も、雨音も。
悪意は決してなく、こうした我侭が許容されていることもあり、今では恨んではいなかった。
「でもまあ、戻ってこれたし。それで良しとしようぜ?」
「………うん。でも今度嘘ついたら、封印してた左だけじゃ済まないからね」
「えっと………もしかして左右の連打ですか?」
にっこりと笑う純夏の顔は、肯定の意しかなかった。武は小さな身体から繰り出される拳の威力を思い出す。
額から、一筋の汗が流れ落ちた。
「守るさ。だからお前も、無茶だけはすんなよ?」
「それこそ、武ちゃんの方が無茶してるじゃん………手紙の事、忘れてないからね」
訓練の厳しさと、実戦の厳しさ。後者に関しては機密もあり多くが添削されたが、それでも純夏には分かることがあった。
今も武が苦しみ、悩んでいることを。
「タケルちゃんは、さ。やっぱり、辛いよね」
「なんだよいきなり」
「なんとなくそう思ったんだ。でも………あってるよね」
大陸に比べれば圧倒的に平和かつ平穏な日本でも、BETAによる脅威や悲劇が全く無いはずがない。
純夏もこの6年の中で、変わっていった人間も、少しではあるが見てきた。
制度としてもそうだ。徴兵年齢が引き下げられること、裏を返せばそれだけ負けて死んだ人が居るのだと、両親が暗い顔でつぶやいていたのを覚えている。
京都での事も、忘れていない。色々と衝撃的な事がありすぎたが、BETAに攻めこまれている京都の町中の異様な空気は、言葉にし難いものがあった。
こうして疎開し、仙台に住居を移さざるを得なかったことも。その中で武が多くの辛酸を味わってきたこともだ。
「………分かるのか」
「全部なんて分からないけど、でも………」
純夏は考える。家族同然のように暮らし、10年。しかしその後、5年も離れていた。そのせいで距離感というか接し方に戸惑いがあるのも確かだ。
部分的には昔の通りに、だけど違う部分がある。
辛い事を経験した後、人間が変わる方向性は2つ。歪むか、あるいは優しくなるか。
父の持論であり、純夏は武が優しくなった事を感じていた。特に自分の身を強く案じるようになった。
変わったのだ。そしてその瞳の中に、誰かを重ねていることにも気づいていた。
「………何もかも忘れて、さ。昔みたいに、バカやって気楽に暮らしたいって気持ちもあるんだよ」
ただの子供のように。遠い目をする武に、純夏は黙って耳を傾けた。
「戦争とか謀略とか、お家騒動とかもさ。何もかも放り出して逃げて、自由になりたいって。でも、それが許されない事もわかってる」
今も頭上にある空は青く、広い。オーストラリアの空は更に広く、鳥も飛んでいた。
考えるだけで暗い気持ちになるような枷の無い、広い空へ。
そうしたいと、できる者を羨ましいと思う時はあった。
武は歩いたまま。つぶやくように、純夏に問いかけた。
「………俺って、ただのガキだよな」
「うん」
「年上の猛者を従えて指揮してるような奴には見えねーよな」
「う~ん、想像つかないかな。逆に怒られてる印象の方が強いっていうか」
「そうだろ、ただの白銀武だって。風守武ってなにそれ、だよな。斯衛の精鋭って柄じゃねえだろ?」
「うん。私の幼なじみのタケルちゃんだね」
純夏は肯定し続けた。というより、正直に答えただけだった。衛士として戦っている所など、見たことがない。
純夏の中にある印象は、壊れたアンモナイトを持ちながら強く何かを主張している。
そしてクリスマスの日にサンタウサギをプレゼントしてくれた、少し鼻水を垂らしていた幼なじみの姿だけである。
だから、ずっと傍に居て欲しい。純夏は喉元まで出かかった言葉を、必死に押しとどめた。
沈黙が二人の間の流れる。足音だけが鳴り響き、時折通りすがる車の排気音が数度。
その後、武がため息をついた。
「………ありがとよ」
「え?」
「いいから、素直に受け取っとけ」
武は言いながら、純夏の頭をわしわしと荒っぽく撫でた。赤い髪が乱れ、触角が驚きに揺れる。
そうしている内に見えたのは、配給車が止まっている場所だった。
「………俺だけ逃げる、って訳にはいかないよな」
周囲に見える人達の中に、成人男性は皆無だ。男が居るとしても徴兵年齢以下の子供ぐらい。
斯衛の人間が居るはずもない。成人男性で斯衛の者といえば、今は家の事で忙しいに違いないのだから。
だけど、それ以外の人達は顔を上げて胸を張って、重たい物資を担いでいる。
喧騒という程ではなく暗い表情をしている者も居る。だけど、近所の者なのか、和気あいあいと談笑している人達も。
ただの子供で居るのなら、何もできないだろう。1人の衛士として、あるいはそれ以外の兵種でも、軍人として駒の役割を果たすことしかできない。
――――だけど。
「純夏、こっちに来て友達は出来たか?」
「え………うん。知り合いだけど、できたよ」
住居が変わっても、義務が消えた訳ではない。
女性の徴兵年齢が下がるのは時間の問題とされており、次の候補となる少女達にも様々な教育が課され始めているという。
純夏も、その中で何人かと話をするようにはなっていた。
普通の、ただの少女だ。
何もしなければ、数年で死ぬだろう。だけど、自分にはそれを防ぐ方法がある。
完全でなくても、死傷率を大幅に減らす方法がある。
決意に、表情が鋭くなっていく。
その横で少女は、幼なじみの精悍な顔立ちを眺めながら、あることに気づいていた。
(無茶を………何かをするって決めた顔だ)
母・純奈も見抜いていた事だ。武が何か、とてつもなく危険な事に挑もうとしていること。
そして、それに対してまだ不安を抱いていることも。
(………やめてって叫びたい、でも)
恥も外聞もなく、止めたい。純夏は自分の本音を抱き、それを喉元で必死に押しとどめた。
それを言えば、武はきっと困った顔をすることを、それとなく察していたからだ。
だから、別の言葉を口に出した。
「私………衛士になるね」
「え?」
「衛士になる。タケルちゃんと同じように」
軍人ではなく、訓練兵にもなっていない。だけどと、純夏は言った。
「だから………その時は」
「その時はって………なんだ、もしかして教官にでもなって欲しいのか」
「う、うん」
同期というのはあり得ないだろう。自分が斯衛に入れるとも思えない。
だから辿々しく自信のない純夏の声に、武はしばし黙り込むと、言った。
「………俺の訓練は厳しいぞ」
「そうなの?」
「そうなんだよ。それでも、俺の訓練を受けたいのか?」
「………うん。何年先になるのか、分からないけど」
だけど、と。じっと正面から見返してくるその瞳には、力があった。
同時に、自分に対する心配の念も。
武は純夏の言葉の裏にあるものを察するとため息をつき、小指を立てた。
「――――約束だ。その時になるまで、俺は絶対に死なないから」
「………うん!」
配給に並びながら、二人。
ただの少年と少女は、小指を絡めて約束を交わした。
あとがき
幼なじみ二人のやわらかーい、事件もなにもない普通の短編でした。
今年の更新はこれで終わり。
年始頃に数話だけ短編を更新する予定です。あとは、次章のプロット練りに集中。
それでは皆様、よいお年を~。