翌日。午後からマリーとの買い物を約束したローナは、オラクル細胞の観察午前中を潰すことにした。
「これがオラクル細胞か……」
しっかりと見るのははじめてである。しかしながらなんというか、すごく。
「アメーバ、だねぇ」
見れば見るほど不定形に動きを変えるただ大きなだけの単細胞生物にしか見えない。その大きさが本来あり得ない大きさである、という点はこの際横に置く。
ともかく、見ただけではこの細胞が捕食に特化しており、現在知られている総ての生物と組成が異なる細胞だとは到底見えなかった。
さて。観察するのは良いが、何か記録を残すとしてもこれでは「オラクル細胞の挙動は不定形に動くのみで秩序だった動きは見せず」である。不定形に動くだけでは面白みも少ない。単細胞生物の不定形な挙動は面白いといえば面白いのだが、退屈だ。
「なんかこう……立方体になったりとかすると面白いんだけど」
まぁ、実際なったら驚くのは確実だけど、と自嘲しながらそんなことを口に出した次の瞬間だった。
不定形に形を変えるだけだったオラクル細胞が痙攣したように動き出したかと思うと、数秒かけて形状を立方体に変えた。
「……」
ローナは口をあんぐり開けたまま固まった。
どういうことだ? 口に出した形にオラクル細胞が変化した。それの意味することとはオラクル細胞が聴覚器官を有し、人の言葉を理解するということだ。
一回だけならば偶然で片付けられてしまうかもしれない。ローナはスマートフォンの録画機能を起動しながら未だ立方体の形を保っているオラクル細胞に指示を出してみた。
「球体」
すると案の定立方体から球体に少し時間をかけながら形体変化した。
やはり偶然ではないようだ。オラクル細胞は知能を持っている可能性が高い。
次はどの程度の知能を持っているか、少し複雑な形を指示してみた。
「偏方二十四面体」
いわゆるトラペゾヘドロン、数学においてはねじれ双角錐と呼ばれるものである。間違っても箱の中でぶら下がっていたり輝いていたりはしない。
流石に偏方二十四面体は形成出来なかったようだ。まぁ、仕方がないだろう。そもそも偏方二十四面体などと指示してみたものの、ローナ自身もそれがどんな形か覚えていない。
スマートフォンのブラウザ機能を用い、インターネットで形を調べたところ、もう少し簡単な形を指示してあげれば良かったという感想を持つ。と、そんな時オラクル細胞が動いているような気がした。見てみるオラクル細胞はとローナがほぼ見た通りの偏方二十四面体を形成しつつあり、数秒の内に形成してしまった。
……万が一にも這い寄る混沌などを喚んでしまったりすると怖い。あまり見つめないようにすると共にとりあえず三角錐の形でもとってもらう。
さて、最初は偏方二十四面体の形をとりあぐねていたオラクル細胞が結局その形をとれたのはなぜか。
オラクル細胞が偏方二十四面体をとれなかったシュチュエーションと、とれたシュチュエーションで異なった要素は何か。時間の経過とローナが偏方二十四面体の形をインターネット上で見たことにより、記憶の上層にその形を認識したことという二つである。そして、この場合時間の経過により形が形成できたとは考えにくい。十中八九、ローナが偏方二十四面体の形を見て、その形を思い浮かべたことが原因だろう。
検証すべきだろう。まずは名前を知っているものの形状を知らないものを思い浮かべる。斜方立方八面体という図形。存在は知っているがそれだけでどんな形状かは全く思い浮かばない。オラクル細胞も八面体らしき形状にはなっているがその状態でうねうねとしている。この時点でほぼ決まりな気もするが、最後までやってみることにする。スマートフォンのブラウザ機能を起動、斜方立方八面体の形状を調べる。トップに貼ってある写真だけではいまいちイメージがしにくかったが、webページをスクロールしていくと解析画像的なものがありどんな立体がどうなれば斜法立方八面体になるのか理解できた。立方体か正八面体を膨張させた立体で、あまり複雑な立体ではない。しっかり特徴を頭に叩き込んでからオラクル細胞を見ると既にオラクル細胞は立方体に変化していた。そしてローナが思い浮かべた立方体を膨張させるという手順もしっかり踏んだ。正八面体を膨張するのではなく、だ。結果、オラクル細胞がローナの思考を汲み取っている可能性が高くなってくる。後々実験や考察が必要にはなるとは思うが。
『オラクル細胞は不定形に形を変化させる。変化に一定の規則性は見られなかったものの、人語を解す可能性、もしくは人の思考、意思を読み取ること、もしくは感応が可能な可能性が存在することが判明。実験や考察は継続して行う』
◇◇◇
ローナとマリーはクッキーの材料を買いにいった。
ちょっと特別な物を、というマリーの要望からクッキーに必要な物をリストアップする。チョコレート、ホワイトチョコ、ビスケット、コーンフレーク、クルミである。キッチンを見たところホワイトチョコとクルミが切れていたため買いにいった。クルミについてはピスタチオやアーモンドで代用出来ないのか、とローナがマリーに尋ねたところジトっとした目見られたため素直に買いにいった。もちろん予算はローナが全て持っている。
「一昨日はごめんね、本当に」
「ううん、良いよ。でも二人で買い物なんて久しぶりだねー」
「……そうだね」
マリーの言う通り二人きりでの買い物は約一年ぶりだろう。仲が悪くなったなどということではなく単純な成りゆきからそうなっただけである。お互い意識しない忙しさが積み重なっていたのだ。
家から歩いて15分もしない場所に目的地であるショッピングモールはあった。この前奢ってもらったクレープ実はそこまでおいしくなかっただとか、それは酷い、あれ結構高かったのに、などと雑談をしながら歩けばすぐに着く距離だ。
「……ねぇ、ホワイトチョコ。かなり高いやつだったよね?」
「そうかな?」
少し高級なものを買わされるとは思っていたが価格はローナが予想していた値段の少々斜め上をいっていた。クルミは普通のものである。
しかし、最近構ってあげることも出来なかったから、たまに甘やかすことくらいはいいだろうと自分を納得させる。高かったといえどショッピングモールで買えるホワイトチョコ程度だ。少々の買い食いと本を購入する時くらいしか開かれないローナの財布は金欠病になどかかっていなかった。
「まぁ、これでクッキー焼けるけど、マリーはどんなクッキー焼くつもり?」
ローナが知る普通のクッキーの主な材料は薄力粉、卵、砂糖、バター、牛乳、ベーキングパウダーである。どんなクッキーが出来るのか全く想像出来なかったしそもそもクッキーを焼くのに材料としてビスケットを使うという発想は無かった。
「それは帰ってからのお楽しみ〜♪」
一緒に作るのだから教えてくれた方が円滑にクッキー作りが進むんじゃないかと思うが無駄口は叩かないに限る。機嫌を取っている最中で機嫌を損なうような真似をしてどうするのか。
どこどこのドーナツは真ん中が一番おいしいから今度お姉ちゃんに食べさせてあげるだとかいや、いいよそんなおいしいならローナが食べて、周りは私が頂くから、などといったたわいない話をしているとマリーが突然あ! と声を上げた。
「ん? どしたの?」
「私……明日から三日間テストだった」
それを聞いて思わずローナは吹き出した。
「ちょっと。じゃあクッキー作るのはテスト期間終わったらね」
「う〜、修学旅行終わって次の週にテスト期間入れるような学校なんて無くなっちゃえ!」
「まぁそう言わずに」
端から見れば微笑ましいこの光景を剣呑な眼差しで見つめる男が二人ほどいた。
「あれが……?」
「あぁフルローズナ・フレス・ディヴァイニスだろう」
「じゃあ隣のは?」
「情報にあった妹のマリー・ルロ・ディヴァイニス、だが今は関係ない。私たちが依頼されているのはフルローズナ・フレス・ディヴァイニスの誘拐だけだ」