「この三人がオラクル細胞研究室の研究員だよ。この三人以外にもいるけど主となって開発を進めるのはこの三人だ」
クッキーの材料買い出しの翌日、つまり月曜日、その放課後。ローナはフェンリル社に招かれ、オラクル細胞研究に携わる人員の説明を受けていた。
リーザから紹介されたのは三人。うち二人が男性で一人は女性で、女性を挟むようにして男性二人が立っている。見た所年配の研究者といった趣ではない。まったく新しいモノを研究するには経験に基づいた固定観念など無い方がいいというダグス社長の配慮か、それとも訳のわからないモノに権威ある研究者を使うことなど出来ないという考えか。
「ではまず私から自己紹介します。アイーシャ・ゴーシュ。この度オラクル細胞総合研究所の所長となりました。よろしくね、ローナちゃん」
褐色気味の肌にメガネと白衣という風貌をした美しい女性だった。ローナの読みでは所長は隣にいる奇怪な服装をした目がとても細い男性かと思ったが違ったようだ。まぁ考えてみれば所長が左席位置にいるというのもおかしな話か。
「彼女は女性の身ながら……などというといけないが、とても優秀な科学者だ」
リーザが補足の説明をしてくれた。女性科学者というのは……正直憧れる。
「では次は私かね? --ヨハネス・フォン・シックザール。専門は建築物理学。ヨハンとでも呼んでくれ。よろしく頼むよ」
次は右席側に立っていた男性が自己紹介をしてくれた。紳士的な印象を覚える男性である。
で、問題となるのが。
「……」
さっきからずっとローナを見つめる奇怪な服装の男性だ。目が細すぎてもはや開いているのかさえ不明だ。
服装が変だっただろうか。もしくは顔に何かついている? などと考えていたら奇怪な服装の男性がいきなり喋り始めた。
「ふむ、実に興味深い」
「え?」
自己紹介が終わるまでは静かにしていようと思っていたがダメだった。別に興味などいくら持ってくれても構わないが、とりあえず名前だけは教えて欲しいものだった。人を見た目で判断してはいけないというが、この男性は見た目通り変人、といった印象を受けた。
「いやはや、実に興味深いね、君は。学問は好きなのかい?」
「え、は、はい。学ぶことは確かに好きです」
「ふむ、珍しいよね、睡眠学習の発展した昨今、わざわざ勉強する人など」
「は、はぁ」
なんの意味がある問答なのだろうか。どう受け答えをしていこうか考えていたところでもう一人の男性、シックザールから助け船が出た。
「ペイラー、彼女が困っているだろう。まずは自己紹介を済ませるべきだろう?」
「ふむ、それもそうだね、質問ならあとでも出来る、今やるべきことは今済ませてしまった方がいい。ペイラー・榊という。よろしくね、フルローズナ・フレス・ディヴァイニスくん」
自己紹介を受けた後でもローナが奇怪な格好の男性、ペイラーに対して抱いた変人という印象は揺るがなかった。悪い人ではないのだろうが。
「彼はフェンリル社創立時のメンバーでもある。私やダグス社長も彼の知識をよく借りるよ」
そう言ってリーザは微笑んだ。ペイラーのことを信頼しているのだろう。
「では各々、何か質問などあったら少しの間自由に行ってくれ」
リーザがパン、と手を叩くと質問タイムが始まる。だが、ローナには言っておかなくてはいけないことが一つあった。
「ではフルローズ-ー」
「その前に」
いきなりペイラーが質問を始めようとするのを失礼を承知で遮る。
「私のことはアイーシャさんが呼んでいたようにローナと呼んでいただいて結構です。あとペイラーさんの質問はあとでゆっくり聞きますので今は少し控えめでお願いします」
「……おやそうかい。それは残念だ」
ペイラーが心底残念といった様子で独り言のように漏らした。それを聞いてシックザールとアイーシャが堪えきれなかったかのように笑みをこぼした。
それからの質問の時間は有意義だったように思う。ローナに質問するだけでなくローナからの質問に対してもしっかりと答えてくれる。若干一名質問したくてウズウズしている様子の人がいたがそれは例外だ。
「さて、各々親交は深められたかい?」
しばらくしてリーザがパンパン、と手を叩きながら場を沈めるように質問タイムの終わりを告げた。その様子がまるで小学校の先生のようだとは口に出さないでおく。
「じゃあローナ。報告頼めるかい?」
「報告?」
シックザールが眉をひそめた。ローナとしてはむしろ顔合わせはついでだと思っていたのだが3人は聞かされていなかったのだろうか。
「リーザさん。報告とは?」
シックザールの疑問を引き継ぐようにアイーシャがリーザに対して質問を行った。所長であるアイーシャが疑問に思うということは、やはり聞かされていなかったと見るのが正解か。
「まぁ、聞いていてくれ。じゃあローナ。報告を」
「わかりました。では私の方からオラクル細胞について現在判明していることを説明させていただきます」
「--それについては資料で確認済みだが」
一度理解したことをもう一度説明されることを良しとしないのかシックザールが説明など要らないとばかりの態度を取る。
「まぁ、そう言わずに。別にローナだってもう資料に載っていることをもう一度説明し直したりしないさ。ねぇ?」
「はい。オラクル細胞の基本的性質についてはお持ちの資料をご参照ください。今から説明させていただくのは資料に掲載されていない、昨日午前に判明したことです」
そう言って一度言葉を切り、説明のための文章をもう一度、少しだけ練る。
よし。大丈夫だ。一呼吸置いてから説明を再開する。
「オラクル細胞は人の意思に感応する性質を持つ可能性があります」
「ふむ」
「え?」
「……というと?」
三人が三人とも関心を持ってくれたようだ。もっともペイラーの表情は変わったようには見えなかったが。
「はい、えーっとですね」
そう言ってローナは持ってきていた少し大きめのカバンを漁る。
しばらくすると出てきたのは水に満たされたカプセルが現れる。中に入っているのは言うまでもなくオラクル細胞である。
「ここにオラクル細胞があります。みなさんがこれから研究していくほぼ未知の細胞です。私は昨日の午前中、これの観察を行いました。その際紆余曲折あって立方体の形成を命じると、不定形だったオラクル細胞が立方体の形を取りました。その後偏方二十四面体の形成を命じましたが失敗。しかしインターネットの検索の結果私が偏方二十四面体を認識すると、直後オラクル細胞は偏方二十四面体を形成。斜方立法八面体を用いて実験したところ声に出さずとも同じことが起きました」
「……」
「……」
「……」
三人とも黙って考え込んでしまった。
「それはつまりオラクル細胞が君の思考をなんらかの方法、電気信号などから読み取り、その形を形成する知能を有す、と?」
しばらくの後、シックザールが信じられないといった様子で確認と質問を足して2で割ったような言葉を投げかけてくる。
「なんらかの方法で思考を読み取った、というのは私的な意見ですがその通りだと思います。しかし知能については確定ではないと考えます。思考を読み取ることさえできれば知能、意思、本能のいずれかによって形を形成することができるでしょう」
そう言うとまたローナはカバンの中を漁り始めた。次に取り出したものは紙とペン。それを三人に差し出す。代表して受け取ったアイーシャが疑問を孕んだ目でローナを見つめるがとりあえず無視してローナは話を続けた。
「今ここで公開実験をしましょう。そこに図形か物の名前、物にするのでしたらあまり複雑でないものを、書いて私に見せてください。私がそれを見てオラクル細胞がそれを形成したら信じていただけるでしょう」
「いや、信じていないわけでは--」
「いいじゃないかヨハン」
今の今まで沈黙していたペイラーがシックザールの言葉を遮った。
「ペイラー?」
「やってもらおうじゃないか。ハサミといってハサミの形を、三角形といって三角形の形が取れなくても構わない。私はただこの不定形な物体が定形を取るところを見てみたい」
「私も興味があるわ。見てみたい」
「では実験を始めても良いですか?」
「……私とて、実験に反対していたわけではないのだがね」
若干釈然としないものが残るかのような口調でつぶやいた。
「ではアイーシャさん。その紙に何か図形か物を。なんでも良いです」
そう言われてしばらく思案を走らせたアイーシャだがすぐにペンを走らせる。
「これでいいかしら?」
ローナは渡された紙に目を落とした。三角錐。聞けば誰でも思い浮かべることが出来るようなものを選んだアイーシャの常識とでもいうものにローナは若干感謝した。
「大丈夫です、では私はこの紙に書かれた事物を読み上げません。紙はお返ししますね」
そう言ってアイーシャに紙を渡した。さぁここからが今日の本当の本番だ。
この実験が失敗すれば三人ともオラクル細胞の研究に対するモチベーションが下がっていますだろう。だが逆に成功すればモチベーションの上昇を狙えるかもしれない。失敗しても社会的にお亡くなりなどというわけではないので失敗できない、などという状況ではないができれば失敗したくない状況である。
頼むよー、と念じつつローナは頭の中で三角錐を思い浮かべる。
張り詰めたような緊張のせいか、嫌に形態変化の時間が長く感じる。家で行った時はここまで長くなかったのに。
嫌な想像が頭をよぎる。しかしその想像は張り詰めた緊張と共に、ローナ以外の4人があげた声によってどこかへ飛んで行ってしまった。
目を開けて、オラクル細胞を見てみるとしっかりと三角錐を形成している。大きな心配をしていたわけではないがやはり安心した。
「なるほど、これは……」
ペイラーが絞り出したような声を出しそれっきり黙ってしまい、シックザールは驚愕の声を上げてから無言。リーザも感心したような様子を見せながら無言だった。
「ねぇ」
まともに声を出したのはアイーシャだけだった。
「ローナちゃん。それって私にもできるのかしら」
「アイーシャさんに、ですか。他の人にやってもらったことはないのでわからないです。やってみますか?」
「えぇ」
そういってオラクル細胞のカプセルが置かれている机の前に歩いてきた。
そしてローナが行ったのと同じように目を瞑る。皆緊張の面持ちでそれを見ていた。
オラクル細胞の形は変わらない。
1分、2分、3分、4分、5分経ったところでアイーシャが目を開ける。薄々予想はしていたのだろうか形の変わっていないオラクル細胞を見てため息をついた。
その後シックザール、ペイラー、リーザも試したが、結果はアイーシャと同じだった。
「ローナだけの特異的な何か、なのかなぁ」
最後に試したリーザが顎に手を当てて考え始める。他の3人も同じようなものだった。
「ローナ、今日はこれで十分だからもう帰ってもらっても大丈夫。あとローナさえ良ければ明日の放課後もまた来て身体検査を受けてもらえると嬉しい」
(身体検査、か)
どうやらオラクル細胞を任意で動かせるのは今この場ではローナだけだということがわかり、特異体質か何かを疑われているわけである。とはいえその要因が発覚したとして、それでホルマリン漬けだとかモルモットだとかにされることはないだろう、と判断。了解の意を告げた。
「うん、ありがとう。お父さんはまだやることがあるから済まないけど一人で帰ってね」
◇◇◇
ふぅ、というため息が漏れた。
ローナにとっては学校のスピーチなどとは比べ物にならないほどの人生初の大舞台だった。肩もこれば緊張もする。座り込んだりこそしなかったもののなんというか全身の力が抜けてしまった。
今日はとりあえずシャワーを浴びて寝てしまおう、などと帰宅後の計画を考えつつバス停に向かっていると何かが聞こえた。
……ゥン……
(犬?)
路地裏の方から聞こえる鳴き声のようなものに釣られてローナは力の抜けた体を引きずっていく。
クゥウン……
(犬……だよね、間違いなく)
近くに寄ってみればわかる、犬の声だ、しかも相当弱っている。
少し早足になって路地裏に急ぐローナ。
その後ろを着いていく二人の男にはまったく気がつかなかった。
路地裏を覗き込んでみるとそこにあったのはレコードカード(テレフォンカード大の薄いカード。レコーダーの役目をはたす)だった。
それを見て犬が苦しんでいたわけではないことを知り、ローナが安堵の息をこぼす。
のもつかの間。
ローナは後頭部に強い衝撃を感じた。殴られたと認識したのは数秒後、意識を失う直前のことだった。