「でもこれどうするんです? この子ってまさしく今世界中から注目されてる女の子じゃないですか。そんな子がさらわれたりしたら大事件ですよ? 今までこんなあからさまに、俺でも危ないってわかる仕事を兄貴が受けたことなんてなかったじゃないすか」
男が二人『間廊』を歩いており、突然、大きな袋を担いだ男の方が先行する男に尋ねた。
「あぁ、事件だろう。フェンリル社のライバルなんて言ったらヴィーザル社と相場が決まっているし、フェンリル社の人間はこの誘拐がヴィーザル社主動によるものだと気がつくだろう。糾弾されれば私たちのことも話すかもしれん。とても危険だ。だがそれでも構わん」
「そりゃどうしてです?」
「……そういえばお前には報酬の話をしていなかったか?」
そういうと先行していた男が大きな袋を担いだ男に向き直る。
「この仕事の報酬が入れば俺たち二人は残りの一生を遊んで暮らせる。新しい戸籍を作り、高飛びしてなお、だ」
「そ、そんなに……!?」
「あぁ、そうだ。わかったらさっさと歩け。間廊内で迷って危ない細胞を持った女と一緒にお陀仏などごめんだ」
そう言うとまたさっさと歩き出してしまう。
(そんな価値が……)
袋を担いだ男は歩きながら考え込んだ。
この女の子に価値があるのか、はたまた細胞の方に価値があるのか。それは頭の悪い自分が考えても分かりそうにないことだった。
◇◇◇
(もうすぐか)
オーストラリア。今男たちが向かっている先である。間廊を抜ければそこにはヴィーザル社のオーストラリア支社研究所があるはずだった。
ヴィーザル社とはフィンランドに本社を置くフェンリル社に対してスウェーデンに本社を置くこれもまた主に生物工学系の開発を行っている会社である。ヴィーザルとフェンリルで北欧の二大生物工学系会社であるといってしまっていい。異なる点をあえて探せば歴史。それなりに長い歴史を持つフェンリル社に対してヴィーザル社の歴史は浅い。ヴィーザルという名前もフェンリルを意識したものだと言われており、ヴィーザル社はフェンリル社を一方的にライバル視している、というのが男がヴィーザル社に対して下している評価だった。だがそれも非公式的にであるが改めなくてはいけなくなるかもしれない。
今回の男たちの仕事が成功すればヴィーザル社はオラクル細胞とかいうこの細胞と、このディヴァイニスとかいう少女を手にいれる。男としては手に入れた後のことなど知ったことではないが少女を脅すなり少女を盾にして契約を迫るなりするのだろう。
そうすればヴィーザル社の躍進は確実だ。
まぁヴィーザル社が躍進しようがフェンリル社が落ちぶれようがこの仕事を最後に足を洗う男には関係無い。ただ、いざいざなったら切り捨てられるであろうオーストラリア支社の研究者たちを少し哀れに思った。
のちのちこの憐憫の念は自分たちにこそ向けられるものだったことを知るが、今現在においてはそれを知る術などなかった。
◇◇◇
「これで良いだろう?」
袋に入ったローナと持っていたバッグが男の手からスーツ姿の男に手渡される。
「ふむ」
スーツ姿の男は未だに眠っているローナ、そしてカバンの中にあるオラクル細胞を確認すると頷いた。
「じゃあこれで私たちの仕事は終わりということで良いだろうか。報酬金は指定した講座に支払っておいてくれ」
「あぁ、了か−−」
了解した、と言いかけたところで部屋に備え付けられていた電話がなった。スーツ姿の男は露骨に眉をひそめながら電話を取った。
「はい、もしもし」
不快感を隠そうともしない声色だったが電話の相手の声を聞くと態度は一変した。
「あぁ、社長! いえ、申し訳ありません。取引の最中だったもので。−−はい。ふむ。はい、わかりました。そのように伝えます」
20秒するかしないかという長さの通話が終わったところでスーツ姿の男は袋を持ってきた男に向き直った。
「追加の依頼だ。これを受けてくれれば報酬は1.5倍にさせてもらう」
「−−話を聞くだけ聞こうか」
「ありがたい。私が口に出したからもう知っているとは思うが今の電話の相手は我がヴィーザル社の社長だ。よってこの依頼はヴィーザル社社長からの非公式の依頼ということになる。依頼は一つ。この少女の口を割ってオラクル細胞の情報を聞き出し、加えてヴィーザル社の指示を聞くような状態にすること。手段については自我を著しく損なう手段でなければ可、とのことだ」
「−−うすうす予想はしていたがなぜそれを私たちがやらなくてはならない?」
「それこそうすうす予想がつく、などという度合いではなく答えを知っているだろう?」
要するにいつでも厄介払いできる便利屋は使い勝手がいいということである。
「違いない」
自嘲するような笑みを浮かべながら言った。
「良かろう。その仕事引き受けた。最後の仕事だ、アフターケアをするくらい良いだろう。……だがそのために用意して欲しいものが何個かある」
「なんだ?」
「あぁ、それは……」
◇◇◇
「んっ……」
ローナは感じたことのない類の気だるさを感じながら目を覚ました。自分は何をしていたのだろう。犬の声を聞いていた記憶はあるのだが。
フェンリル社を出たところから記憶を順番にたぐっていくとそういえば路地裏から犬だかの声がしてそれを見に行ったら眠ってしまった、というより眠らされてしまったということを思い出した。
ローナの頭に誘拐という言葉が頭に浮かぶ。とりあえず座らされている状態から立ち上がろうとしてみると腕が縛られているようで身動きは取れず、どうしたものかとあたりを見回してみると一人の男がじっとこちらを見ていたことに気がついた。
「目は覚めたか?」
「えぇ」
誘拐、というさきほどローナの頭に浮かんだ言葉が現実味を帯びてくる。現実味を帯びてくると同時に誘拐されないようにはどうすればいいか、ということは小学校やら中学校で耳にタコができるほど聞いたが誘拐されたらどうするかを聞いたことがないことを思い出す。
聞いたことがないなら考えてみよう、とローナは思ったが男の様子を見る限りこちらに暴行を加えようなどといった感情が無さそうであるということに気づく。
ではいざ今どうするべきかと考えてみれば、先んじれば人を制すと言う。だが急いては事を仕損じるとも言う。この場合は急いてことを仕損じる可能性の方が高いとローナは判断した。そもそもローナは今何か行動を起こせる材料を持っていないわけで男から現状の説明をされてからいろいろと考えても遅くはない。
「あなたの目的は?」
「まぁそう急くな。まずはあたりをもう少し観察してみてはどうだ? お前は賢いようだが一つの物事に集中しすぎるきらいがあるようだ。そうでなければ背後からの奇襲にもこれほどまで綺麗にはまることもなかっただろうに」
そう言われてローナはあたりを見回す。すると男が鼻で笑いつつ「素直な奴だ」などと言ってきたから一睨み。
あたりを見回して、部屋の中にあるのは男の座っている椅子、ローナを縛っているもの一式、そして大きめのずた袋だった。それを見てローナは眉間にしわを寄せる。
「あのずた袋が見えるか? あの中には何が入っていると思う?」
何が入っていると思うか、と言われても1メートルほどのずた袋というくらいしか特徴がないではないか。理不尽な問いに嫌そうな表情を浮かべるローナの顔は男の言葉を聞いて凍りつくことになる。
「まぁ、わからないか。まぁそうだろう。話は変わるがお前の妹、なんと言ったか? ラリルレロ? ライラック? あぁいや、そうだ思い出した」
男がわざとらしく手を打った。
「……マリー、とか言ったな。妹は元気か?」