「なっ……マリーに何を!」
「いいや、聞いただけだ。世間話のようなものだよ」
そう言って男は地面に転がるずた袋に視線を向けた。
この行動は一体どういう意味で受け取ればいい? 男の意味深な行動にローナは唇を噛む。あのずた袋の中身は何だ。思わせぶりなその行動はマリーがまるでずた袋の中にいるような態度にしか見えない。その態度を信じていいのか? 素直だなんだとほざいてくれたこの男の言動を素直に信じていいのか?
そう考えるとローナは少し冷静になることが出来た。
「じゃあもう少し世間話をしようか」
「レディを縛るような世間の話はあんまり聞きたくないですよ?」
「まぁそう言うな、少し聞け。……ここに一丁の拳銃がある。何に使うと思う?」
「いきなり拳銃がご登場とは、なかなかダークな世間の話をしてくれますね。そうですね、私を脅してなんやこら、じゃないですか?」
「ほう、そうだな。正解だ。きっとなんやこらの内容もわかっているだろう?」
それはきっと、オラクル細胞についてだろう。オラクル細胞の情報についてはもうすでに世界中に公開されている。それこそ研究したい企業や国家は山ほどいるだろう。しかしここまで早く、かつ強硬な手段に出てくる組織は、と聞かれたらローナはそれなりの自信を持ってその企業の名前を口にすることが出来た。
「世間話、というからにはもちろん私も喋っていいですよね?」
「ふむ、まぁいいだろう」
「ありがとうございます。……あなたは、ヴィーザル社からオラクル細胞を奪ってくるように言われましたね?」
そう聞くと男は少し驚いたように目を大きくした。してやったり、という感情がこんな状況ながらもローナの心中に浮かぶ。
「ほう、なるほどお前は賢いのだな。賢く、素直。容姿も端麗。祭り上げるのには持ってこいの人材なわけだ」
男は心底バカにしたような口調でローナに言った。しかしその口調はこちらを煽ろうとしているのがバレバレすぎて煽る気がないのではないか、とローナは感じる。
「別に私としてはフェンリル社に利用されているつもりはありません。あくまで協力、手助けしていただいているものと思っていますし、もし利用されているだけだったとしても特に何も思うことはありません」
だからこうして毅然とした態度で言い返すことが出来たのである。
「ふむ、それなりの芯も持つ、か。この程度の煽りではヴィーザルになびかん、と」
「誰が
今度はこちらが煽ってやる番だ、と言わんばかりに煽りをぶつける。ローナの推測ではこの男はおそらくただの雇われ。ヴィーザルの悪口を言ったところで効果があるかどうかはわからなかったが、少しくらい煽ってやらないとこちらの気がすまなかった。
「だがその
「あら、そうでしたかしら? 神話はあまり詳しくないものでして」
「ふん、まだまだ子供、だな」
「……」
まだまだ子供であることは事実だし、認めよう。だが収穫もないとはいえない。フェンリルがヴィーザルに敗れる、などというお世辞にもメジャーとはいえない北欧の神話を知っているということはこの男も北欧の人間である可能性が高いと推測できる。北欧でフェンリルと張り合おうとする存在はそれこそヴィーザル社くらいなものだ。だとしたらこの男の背後にはヴィーザル社がいると見てほぼ間違いはないだろう。
「話が途切れてしまったな。さて、では本題に入る前に先ほどの質問の答えを聞こう。私が持っているこの銃の銃口。これは何に向けられるものだと思う?」
そう言って男は扱い慣れた風で銃をクルクルと回す。
「……私、じゃないんですか? まさか自分ということは無いでしょう?」
「当たり前だ。自殺志願者以外で自分に銃を向ける輩などいるわけがない」
その台詞に何故か違和感を少しだけ抱いたがそれは無視。
「じゃあ正解を教えよう。この銃の銃口はこの転がっている袋に向ける。そしてその上で、私はお前と交渉をしたい。フルローナ・フレス・ディヴァイニス」
「私と、ですか。フェンリル社と、ではなく?」
「それについてはおいおいだな。まずはお前とだ」
それは……なんだ? どんな交渉なんだ? 内容の想像がつかない。
ローナはこの誘拐の意図を、自らを誘拐し、オラクル細胞、そしてその研究権利をフェンリル社に対して要求するものだと思っていた。
この誘拐がローナの推測通りだとしたら、ローナとの交渉、という行動を取る必要はない。細胞の発見者は預かったから要求に従えと言ってしまえばそれでフェンリル社との交渉(脅迫と言い換えてもいいが)の席に有利な状態で付くことが出来る、というのに。
「何も言わないなら私の方から要求を言わせてもらうぞ。私の要求はオラクル細胞……といったか。その細胞について現状判明している情報、そしてお前が私のクライアントの指示を聞くようにさせること、だ」
「クライアントの指示を聞くようにさせること……?」
「あぁそうだ。言葉を選ばずに言うのなら、お前を、なんでも言われたとおりに行動する操り人形にでもしろ、という依頼を受けたのさ。そしてこの方法については、自我を著しく傷付ない方法なら何をして良いとも言われている」
「……拷問でもする気ですか?」
「声が震えているぞ」
自我を著しく傷つけない方法なら何をしてもいい。そんな古いサイエンス・フィクションか任侠映画のような単語を実際に、しかも自分が対象になってそんな言葉を聞くことになるとは生まれてこの方想像もしていなかった。
ローナとて考えが少し大人びていたり、頭が少し良かったりするが、それでも普通の14歳の少女である。拷問や、洗脳といった事象は話として聞く程度ならまだしも、自分が受けるかもしれないとなれば、当然のように、率直に言えば怖かった。
「まぁ私とてそんな鬼畜生ではない。だからこそこのずた袋なのだよ。さぁその上でもう一度聞こう。お前の妹は今元気か?」
つまりこの男が言外に言いたいことはこういうことだろう。妹は人質に取った。いつでも妹を撃つ準備はできている。それでいてお前が痛い目を見るかどうかはお前次第だ。さぁヴィーザル社に与するか?
ローナとしては、マリーを犠牲にするという選択肢は絶対に有り得なかった。妹を殺すぐらいなら自分が死ぬ。
とはいえ、自分が拷問を受けてまでオラクル細胞を守りたいかといえば、そんなことをする気概というか、勇気はなかった。そうなれば必然的に取れる行動は一つだ。
「……妹は元気でいてほしいですね。で、それはさておき、さっきの話です。オラクル細胞とその情報、そして私がヴィーザル社の言うことを聞く、という話でしたね? 了承します」
それを聞くと男は意外そうに、ふむ、とつぶやいた。
「もう少し条件やら何やら交渉をすると思っていたのだが意外だな」
なにが交渉だ。ほぼそんな余地などなく一方的な脅迫をしただけではないか。
「まぁ何をするまでもなくこちらの要求を飲んでくれるならこちらとしては何の文句もない」
そう言うと男は立ち上がり、銃を構えた。
ずた袋に向かって。
「なっ……!」
「どうした? このずた袋はもう要らんからただ処分するだけだ。黙ってみていろ」
「やだ! 待って! やめて! ちゃんと言うこと聞くから! 裏切ったり隠し事したりしないから!」
「ん? 何か言ったか?」
何の感情も篭められていないかのような、そんな冷たい言葉をローナにぶつけると同時に、男はずた袋に銃口を向けて平然と引き金を引いた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
銃声とともにローナの悲痛な叫びが響いた。