真・恋姫†無双 北郷一刀・商人ルート 天下も金の回りもの 作:MATSUKASA
「お待ちしておりました! 劉玄徳様! 話は総裁から伺っております。糧食、軍馬、その他に必要なものがあれば何なりと仰ってください」
衛弘達との契約を終えた後、劉備達は直ぐに兵士たちを統率して、冀州へと南下した。
そして、しばらく行軍をした後にたどり着いた街で彼女たちを待っていたのは熱烈な歓迎であった。
衛弘達が先回りして話をつけておくとは言われたが、街に入った途端に衛北商会の者を名乗る人たちに囲まれ、口々に歓迎の言葉で迎えられた彼女達は困惑した。
いくら、商会の当主が迎え入れたといっても今の劉備達は官位も持たない流浪の義勇軍である。彼らからしてみれば、どこの馬の骨ともわからない劉備達をここまで好意的に迎え入れられるとは思えない。
しかも商会の貴重な資産を無償で渡す相手となれば、支援を受ける際には嫌みの一つくらいは言われることも覚悟していた。
にもかかわらず、この歓迎である。
「ええーっと、あのー。私達、こんなに歓迎してもらってもまだ何かお返しできるようなのものはないんですけど……」
予想外の事態に困惑しながら劉備がそう尋ねると、居並ぶ商会の者の代表の人物は大げさに首を振って応えた。
「何を仰いますか!? 劉玄徳様は黄巾党の発生を嘆き、遠く幽州の地から私共の故郷であるここ冀州の為に馳せ参じていただいた勇士と聞いております。歓迎こそすれ、邪険にするなど有り得ないことでございます!」
「そ、そこまで言われると照れてしまいますよー」
「それに、“劉玄徳様には望む限りの支援をするように”と総裁から直々に言いつかっております。あなた様達をお助けすることは、私共にとっては総裁のご恩に報いることでもあるのです。なので遠慮される必要はございません」
代表の者の言葉はこの場にいる者たちの総意なのだろう。
居並ぶ商会の店員と思しき人たちも彼の言葉に同意するように何度も頷いていた。
一切の邪気のない歓迎を改めて一身に受けた劉備達は若干の申し訳ない気持ちになるが、それでも彼らの助けは彼女たちにとって非常に有り難いものであった。
「何はともあれ、幽州からの行軍でお疲れのことかと思います。ささやかですが兵士の皆様方にも食事をご用意しておりますので、まずは戦の前に十分、体を休ませてください」
ささ、こちらへ。
食事を用意したという所へ促す彼のご厚意に今は甘えようと、劉備達は彼の誘導に従い軍を進めていった。
その際、劉備軍の将の一人は“食事”と聞いたと途端に韋駄天の如く駆けだしていった。
そんな彼女を関羽は諫めようと声を上げていたが、その声には隠せない喜色が溢れていた。
結成以来、各地で賊と戦ってきた劉備達であったが、ここまでの歓迎を受けるのは初めてであったのだ。
自身たちを心から受け入れてくれる人たちを前にして、将を含めた劉備軍の一行は自分たちの戦いが無駄ではないと言われたような気がして、かつてないほどの充実感に包まれていたのである。
しかし、その劉備軍の中にあってただ2人。諸葛亮と龐統の顔だけは苦々しい表情を浮かべていたが、それを指摘するものはその場には居なかった。
「ご飯もうまいし、みんなも優しいし、衛北商会ってのは最高なのだー」
「こら鈴々、行儀が悪いぞ」
劉備軍が歓待を受けて街に入った夜、商会の者が用意してくれた幕舎の床に寝そべって大きく膨れ上がったおなかをさすりながら張飛が声を上げると、関羽がそれを注意した。
しかし注意した関羽の表情も穏やかで、口では注意しながらどこか微笑ましいものを見るように張飛を見つめていた。
「無理もないよ愛紗ちゃん。ここのところは食事も切り詰めてお腹一杯食べるなんてことはできなかったんだからー、今日くらいはゆっくりさせてあげよ?」
劉備も優しく声をかけた。
「ですが桃香様。これ程の歓待を受けたのですから、我々もそれに見合う働きをしないといけません。いつまでも気を抜いているわけにはいきません」
「確かにそうだけどー、ずっと気を張っていたらいざっていう時に力が出ないからね。休む時はちゃんと休まないと」
「そうなのだ!桃香お姉ちゃんの言う通りなのだ!」
2対1となってはいくら豪傑の関羽とあっても分が悪い。また劉備の言うことにも一理ある。
桃香様がそう仰るのであれば、と彼女は引き下がった。しかし、それでも!と彼女は言葉を続ける。
「今、朱里と雛里が商会の方と必要な物資についての打ち合わせをしておりますし、それが済めばすぐに出立となりますので、桃香様と鈴々もいつでも出立できるようにご用意はお願いします」
生真面目な彼女らしい言葉に劉備と張飛は笑いながら了解を伝えると、今日は遅いということで彼女たちは床に就くことにした。
十分の休息を経た今、彼女達はしっかりとこの先に自身たちがするべきことを見据えていた。
「……雛里ちゃん、今日のことどう感じた?」
劉備達が床に就いた頃、幕舎の別室で劉備軍の軍師の2人は顔を突き合わせて今日起きたことについて話し合っていた。
「うん、いくら子許様が話を通していたといっても、あまりにも丁重すぎる扱いだよね……」
諸葛亮が言わんとしていることを察した龐統が率直に抱いた感想を口にした。
「私達は彼らからすれば他州の人間。なのに彼らは何の疑いもなくこれだけのもてなしをしてくれた……。これって、多分そういうことだよね?」
「篝里ちゃんから聞いていた話も踏まえてもこれが商会の・・・ううん、子許様の影響力の大きさだと思う」
2人はお互いが今日の一連の出来事で感じたことを共有する。
今日、彼女たちが受けたこちらが気後れするくらいの歓迎ぶり。これは偏に商会、そしてその当主である衛弘の求心力がなせるものである。
軍師たちはそう判断した。
見ず知らずの流浪の軍であっても、当主が言うのであれば信頼できる。
物資の供給を受けるにあたって、商会の人と折衝を繰り返す中で彼女達は何度も彼らの商会、そして衛弘に対しての感謝の言葉を耳にした。
曰く、
農民の末子であった自分にこうして立派な仕事をくれて、今では実家に仕送りができるくらいの給金をもらっている。
自分の実家は衛北商家の仕事を引き受けるようになってから、暮らしぶりもよくなり、病弱の母の具合もずいぶん良くなった。
村を焼かれ、もう賊に身を落とすしかなかった自分を子許様は迎えてくれてこうして真っ当な仕事を与えてくれた。
そんな子許様からの直々のご指示なのですから、持てる限りの支援をさせてください・・・
口々にそう語った、商会の人達の顔は清々しいほどに晴れやかで、それを見ていると今が乱世であるということも忘れてしまいそうになる。
彼らとの話を聞く中で、諸葛亮と龐統の胸に浮かんだ感情は恐怖であった。
感謝、もはや忠誠とも呼べるほどの思いが商会、そして衛弘に向けられている。無論、その忠誠は衛弘が彼らに対して与えたものがあって成り立っているのは理解できたが、その手法が諸葛亮たちに恐怖を覚えさせる原因であった。
彼らが商会と衛弘に向けている忠誠心。それは一般に民が領主に向けるものや将が主君に向けるものとは違う。
異質な忠誠ともいえるものであった。
彼らが、商会に対してそれだけの思いを抱くまでになった本質を諸葛亮と龐統は気付いている。
“貨幣”である。
今、この大陸で広く流通している貨幣は“五銖銭”と呼ばれる銭貨である。
前漢の武帝の時代。塩・鉄の専売、政治の安定を目的に国の正式な通貨として制定された五銖銭はそれ以来、この大陸における唯一の貨幣として用いられてきた。
しかし意外ともいうべきか、この五銖銭はこれほどの長い間貨幣としての歴史を持ちながら、一般の庶人の生活に深く浸透しているものではなかった。
この時代、大陸にすむ民の殆どを占めるのは農民である。彼らは各地の村に住居を構え、麦や米作に励むことで日々の暮らしを成り立たせてきた。そんな彼らの暮らしの基本は自給自足である。
また生活の上で必要なものがあったとしても、自分たちが作った作物等との交換で事足りる程度である。
その為、庶人にとって貨幣とは生活する上で必須というものではなく、税を納めるために使うものという程度の認識であった。
五銖銭は長く大陸の正式な貨幣ではあったものの、それを日常的に使うことができたのは大きな町に住む住人や官吏等、一部の人間に過ぎず、貨幣を用いた生活は農民には縁遠いものである、これがこの大陸の常識であった。
しかし、今やその常識は変わってしまった。数年前、この大陸で急速にその勢力を伸ばした商会が、その常識を変えたのである。
“衛北商会”とその当主“衛弘”、そして商会の急拡大を実質的に支えた“北郷一刀”。
彼らによって、庶人の貨幣に対する認識は180度変化させられたのである。
彼らが行った商売の結果、本来は地方から街に向かっていくだけであった貨幣が逆に街から地方へと還流するようになった。
大都市においての商売で莫大な利益を上げ、その利益を一部は自身が抱える従業員(その殆どが農村出身の次子達)に与え、彼らを通じてその給金は村に送られた。
また、商会は生産を各地の村に委託しその利益を彼らに還元した。
その結果、各地の村には本来は出ていくものでしかなかった貨幣が流入するようになる。自ら使うことのできる貨幣を手にした各地の農民たちは、それを使って生活をするようになる。
あるものは、都のような服を買い求め、あるものはお茶などの嗜好品を買うようになる。そして当然金があるところには物の流れも生まれる。
商会からの給金が流れてきた各地の村には商人が行き交うようになり、その商人から村人は思い思いの商品を購入し、生活を豊かにした。
ここに至って庶人たちの生活にも貨幣は深く深く浸透し、貨幣は単に納税の道具ではなく生きるために必須のものとして認識されるようになった。
そうなれば当然、その貨幣を大量に蓄えて給金という形で自分たちにもたらしてくる存在を彼らは大いに頼るようになる。
商会は貨幣経済というものを各地に広め、そこに住む者たちに貨幣という“頸木”を与えたのである。
商会がわずか数年でもたらした貨幣経済の浸透、そしてその中心にいる彼らは絶大な信頼と影響力を持つようになったのだ。
これこそが、この街で劉備軍が受けた歓迎の本質である。
そう、軍師の2人は考えた。
「さらに恐ろしいのは、ここ冀州は決して商会が本拠地を置いている地域ではないということだよね……」
「うん、冀州ですらこれだけ貨幣経済が浸透し、商会が信頼を集めているというなら……本拠地がある兗州や荊州、豫洲では一体どれくらいのものなのかな・・・想像もつかないね」
「篝里ちゃんから送られてくる手紙では、今の荊州だと各地の普通の村でも定期的に市が開かれて、商人の行き来も盛んになっていて、しかもその商人の殆どは商会の息がかかった人たちらしいからね……」
2人は自身達の学友で、今は荊州における商会の責任者になっている人物からの手紙の内容を思い出して溜め息をついた。
彼女が都に行って商人になると聞いたときは“なんて勿体ないことを“と思った2人であったが、蓋を開けてみればどうだ。
おそらく今の荊州において商会が持つ求心力は太守や州牧にすら匹敵、いや上回ってもおかしくないものになっているだろう。
「でも朱里ちゃん。それに本当に彼らが恐ろしいのはそれだけの求心力を持っていることじゃない……だよね」
「そうだね、彼らが怖いところはそれだけの信頼を庶人に強制的に与えながら、民に恨まれることなく、いやむしろ感謝を受けながら成し遂げているということだよね」
前述のとおり、衛北商会は貨幣を人々の生活に欠かせないのに変え、貨幣経済という檻に庶人を閉じ込めたのであるが、同時に恨みを抱かせることなくそれをやり遂げたのである。
貨幣を使って生活をしている誰もが気付いていない。自分たちの生活が今や貨幣を前提として、それを求めるために自分が行動させられるようになっていることに。
しかし、それも無理はない。彼らからしてみれば貨幣を求めるのは自分の暮らしをよくするため、すなわち自分の欲望に従っているに過ぎないのだから。
人々は貨幣を求める。そして、自分たちにその貨幣を与えてくれる存在に敬意と信頼を抱くに至ったのだ。
一本の剣すら使わずに、そして何よりも人の欲望をそのままに受け入れて不満なく商会はある種の支配を成し遂げたと言ってもいいだろう。
彼らが成した事を正確に把握できるものが大陸にどれだけいるだろうか。
諸葛亮と龐統の2人とて、実際にここへきて商会の者と直接話をするまでは確信ができなかった。
誰にも気付かれることなく、それでいて強固に人の生活を支配した怪物。
諸葛亮と龐統には今自分たちを助けてくれる存在が恐ろしいものに思えたのである。
しかし、幸いなことに彼らは今のところ劉備軍にとって敵ではない。それどころか協力者という立場にある。もしも敵対するようなことになってしまえば・・・。
最悪の状況を夢想して軍師たちは小さく震えた。
今の自分達にできることは、この怪物と敵対するような事態を何としても回避することである。
「今の状況は私たちにとってまたとない好機でもあるよね。今の大陸で商会の力を正確に理解している人間は、おそらくそんなに多くない……」
「でも私たちはそれを知っている。これは他の諸侯たちに対しても大きな有利だよ、雛里ちゃん。この協力関係を維持していけば、私たちにとって大きな力になる。それに実際にお会いした子許様の為人は、篝里ちゃんが言っていた通りの人みたいだし、十分に私たちと協力できると思う」
期せずして、この大陸の変化に気付くことができた軍師たちは、今後の方針を口にした。恐るべき相手だが、それを利用して自身の主の理想を実現させることが彼女たちの役目であるのだ。
2人はそう考えて、軍師としての凛々しさを取り戻すと、互いに策を練り合わせた。
この先で待ち受ける戦いは絶対に負けられないものである。商会との契約を完璧に履行することこそが、劉備の理想の実現のために最も必要なことなのだ
夜が更ける中、2人の小さな軍師は来るべき黄巾党との戦いに向けてその思考を深めていくのであった。
「ああ、本当に腹立たしいわね! なにが“自分は本陣に控えておく故、敵への攻勢は貴殿に一任する”よ。要するに丸投げということじゃない!」
「華琳さま、ここは官軍の陣内です。どこに朱中郎将の手の者がいるか分かりません。そのような発言はお控えになられたほうがよろしいかと」
「ふん、あの男がそこまで気の回る男であれば、私がこうも苛立つことはないわよ。あの男は所詮、南陽の黄巾党を撃退した皇甫中郎将の活躍を聞いて嫌々ここに来た程度の男よ。仮にもあの男が私の上司というだけでも業腹ものね」
官軍の陣地内、自身の天幕へと戻った曹操は夏侯淵の言葉に、苛立ちを隠そうともせずにそう答えた。
「しかし、そうなるとどうしても今回の黄巾党本隊との戦、我々の負担が増えることになりますね……」
「ええ、とはいえ孟卓から借りてきた陳留兵をこんな些末な戦で消耗させるわけにはいかないわ」
夏侯淵の懸念を受けて、曹操は簡潔に今後の方針を告げた。
今回の官軍は10万に近い規模の軍勢ではあるが、その大半は都でこれまで碌に戦の経験をしたことない兵が占めている。
大将である朱儁が積極的に動く気はない以上、少なくない負担が曹操にのしかかることになる。
曹操は今回の討伐にあたって、自身の手勢として友人の陳留太守、張邈から2万の兵を借りてきている。彼らはこれまで何度も賊の討伐に従軍したことがある精兵であるが、あくまでも借り物である以上、大きく損耗させるようなことは避けたかった。
そこで黄巾党との戦闘においては都の官軍を盾にしながら、ここぞという場面で精兵を投入し戦果を挙げることを企図していたのだが、ここにきて朱儁のこの態度である。
「官軍の指揮に向かった春蘭からは何と?」
「はっ、敵に向かって戦わせることはできますが、大きく敵を突破するほどの力はない、とのことです」
夏侯淵の報告を聞いた曹操は悩まし気に親指を噛む。官軍の雑兵では盾になれても矛にはなれないということか。
やはり、この戦を勝たせるためにはこちらの精兵を投入するしかないかと考える。
しかし、敵はその殆どが装備もまともに持たないとはいっても10万を超す大軍勢である。いくら精兵を誇る陳留兵であっても、それだけの大軍勢を相手にすれば負けないと言っても少なくない被害を受けることになってしまう。
どうしたものか、と曹操は考える。
あと1万・・・いや5000でもいい。
それだけの精強な軍がいれば、連携しながらいくらでもやりようがあるが・・・。
しかし、無いものねだりをしていても仕方がない。
曹操はそう結論付け、
どうにか今の手持ちでできる策を考える。
「そういえば、秋蘭。待機しておくように伝えた桂花の姿がないようだけど……どこに行ったのかしら?」
ふと、曹操は軍議に向かう前に待機しておくように命じた荀彧の姿がないことに気付き、尋ねた。
「桂花はつい先ほど我が軍の兵士たちが騒いでいるのを聞きつけて、その原因を確認するために陣の方へ出ていきました」
「騒ぎ? いったい何があったというの? まさか黄巾の連中が奇襲でも仕掛けてきたわけでもないでしょうし……」
「はい、それはないかと思いますが。陳留兵がやけに騒いでおりましたので、ただ事ではないかと思いまして、桂花が直接確認に向かいました」
「そう、こんな時に勘弁してほしいわね」
これ以上、夏侯淵に尋ねても詮無きことか、と曹操は見切りをつけると話をそこで終わらせた。
彼女が信頼する荀彧が向かったのであれば、滅多なことにはなるまいと考えたのもそうであるが、今は少しでも時間が惜しかったのである。
そんな時であった、
「か、華琳様! 大変です!」
件の荀彧が常になく慌てた様子で天幕に飛び込んできたのである。
「どうしたの桂花? そんなに慌てて、あなたらしくないじゃない。我が軍で何かあったの?」
彼女の尋常じゃなく慌てた様子に、曹操は訝しみながら事情を尋ねた。
「は、はい。申し訳ございません。所属も知れない官軍旗を掲げた軍勢が華琳様に目通りを求めておりまして……」
「所属も知れない軍勢? それなのに官軍旗を掲げているの? 怪しすぎるわね・・・そんな奴等に私が会う必要もないでしょ。適当に理由をつけて追い返しておきなさい」
どこか要領を得ない荀彧の報告に曹操は“こんな時にかまっている余裕はない”と手を払うような仕草で手短に指示を出した。
「ですが、その軍勢の中に、1人……その……対応に困る人物がいまして……」
言葉を濁しながら報告をする荀彧に曹操はさらに事態が呑み込めないでいた。
彼女がこんな様子でいるなんて珍しい、いったい誰が来たというのだろうか。曹操が聞こうとした瞬間、その答えは天幕の入り口が勢いよく開かれたことで示された。
「それは私だ!! 久しぶりだね、華琳ちゃん!」
「ちょっと、燕様! 外で待つように言ったでしょ! なんで勝手に入ってくるのよ!」
「いやー、気付いたら扉が開いていてね。これはもう入るしかないかと」
「すぐわかる嘘を言うんじゃないわよ!」
突然の闖入者に荀彧は非難の声を上げるが、当の本人はどこ吹く風といった様子である。
しかしこの場に有り得ない人物を目の前にした曹操は呆然として、暫くの間、衛弘と荀彧がじゃれ合うのをただ見つめるのであった。
時を同じくして黄巾党本隊の陣地。
その中の中心で1人の男がじっと目を閉じていた。
閉ざされた瞼の裏に見えるのは、1本の大きな枯れ木。男にはそれが過日の自分であると感じた。
妻を賊にさらわれ、子を苛政によって奪われた。全てを失った過去の自分はまさしくこの枯れ木と同じであったのだ。
ただ無駄に大きな体を寒風にさらし、特に目的もなく生き永らえ、朽ち果てるのを待つだけの身。
心に抱えた王朝や官吏への憎悪もただ虚しいだけであった。
しかし、と男は目を見開く。
今、自分の前には10万を超す兵が、自身と志を同じくする友が並んでいる。
彼らは一様にこちらに視線を向けて、男の言葉を待っていた。
「諸子に問う!天とは何たるか!」
彼らの視線にこたえるように男は口を開いた。覇気を込めた男の声は驚くほどの響きを持って兵たちの心に届いた。
「ほわぁぁぁぁぁぁぁぁーー」
男の声に呼応して響く兵士たちの歓声。
「そして、諸子は知る!蒼天は光を失ったことを!!」
再び大地を震わす男の言葉に、兵たちも先ほど以上の歓声で応える。
「蒼天已に死す! 黄天當に立つべし! 今や天の光は我らにある!! 我の抱く光と同志諸君が抱く光は同じである!! 今こそ、腐りきった蒼天を討ち果たし、我らの光を天へと押し上げる時である!!!」
一息に言い切った男はその拳を高く天に掲げた。
「蒼天已に死す! 黄天當に立つべし!」
「蒼天已に死す! 黄天當に立つべし!」
男の言葉に続いてすべての兵士が彼らの決意を口にする。
兵士たちの士気が最高潮に高まったところで男は満足そうに頷いて見せてから、天に掲げた拳を前に振り下ろした。
「我らの前には、愚かにも我らが光を害さんとする者共がいる! だが、何も恐れるものはない!! 我らには天が、地が、そして人の全てがついている!! 我らが光を押し上げるのに、なんぞ恐れることがあろうか! 進め、同志よ! 我らが光をこの大陸全てに示すのだ!!」
男の言葉に、全ての兵士は覚悟を決めた顔で一番の歓声を上げた。
男はもはや枯れ木ではなかった。
全てを失ったあの日、男は3人の光に出会ったのだ。
男は狂喜し、そして涙した。嗚呼、彼女達こそこの腐った世の中に差し込んだ光であるのだ。
そして、愛する妻子を失い、戻る場所もなくなった自身が今日まで生き永らえたのは彼女達を天へと押し上げるためであったのだと。
その日以来、男の体にはかつてないほどの気力が満ち溢れた。
何としても、今の腐った王朝をこの手で討ち果たし、この世界を照らす光である彼女達を天に擁くのだと。
男の決意と共に、10万の軍勢はゆっくりと前進を始めた。
向かう場所は決まっている。もうその歩みに迷いはない。
こうして乱世に生まれた黄色い濁流は、洛陽へと進軍を始めたのであった。
「えっ、ちょっとこれどういうことなの? 誰かお姉ちゃんに分かるように説明してーーー」
「波才のやつ、”都を獲る”って言ったけどそう意味じゃないから!!」
「でもこのままだと私達本当に朝廷と敵対してしまうわ……」
「「「もお! どうしてこうなったのーーー!!」」」
彼ら曰く、天の光と呼ばれた3人の少女はその濁流の中、誰にも聞こえない悲鳴を上げたのであった。
オリキャラ紹介
波才 (字 不明) 真名:なし
黄巾党蜂起の首謀者。
アイドルオタクのヤベー奴。
ヤベー奴。
ようやくこの章も終盤に入れました。
この章を終えた後、拠点パート兼次章への伏線を書いて、次に入ります。