真・恋姫†無双 北郷一刀・商人ルート 天下も金の回りもの   作:MATSUKASA

2 / 35
一刀と衛弘が出会ったのは原作開始の数年前という設定です。


2話 詰問 一寸先は闇

一刀と衛弘の出会いから数年後。

 

 

 

 

「一刀、人にとって最大の発明品は何か知っているかい?」

 

 日も傾き、そろそろ今日の仕事も終わりに差し掛かったころ、洛陽に構えた商会の拠点の執務室にある机の上で各地から送られてきた書簡に目を通しながら、衛弘が聞いてきた。

 

「急にどうしたんだよ。でも”最大の発明”か……」

 

 前後の脈絡も何もない問いかけに一刀は一瞬戸惑うも、衛弘の突拍子もない言動はいつものことである。

 慣れとは怖いもので、一刀はすぐに落ち着きを取り戻すと、彼女の問いを考える。

 

 ”最大の発明”

 一刀が生きていた現代であれば、産業革命を引き起こした”蒸気機関”、生活を激変させた”電気”なんかが候補になりそうだ。あるいは中国3大発明品の”火薬”・”羅針盤”・”活版印刷”もあげられるかもしれない。

 

 しかし、当然だが今の時代にはそれらのものは存在していない。したがって当然、彼女の問いは今の時代にあるものから答えなければいけないだろう。

 

「そうだな、何をもって最大と決めるのか自信はないけど、”鉄”とかじゃないか?」

 

 そこまで考えて、一刀は自分なりの答えを口にした。

 

「おお、”鉄”ね。急な無茶振りにも関わらずなかなかいい答えじゃないか」

 

「燕の無茶振りはいつものことだからな、流石に慣れたよ。だけどその口ぶりだと正解ってわけではないのか?」

 

「いや、一刀の言う”鉄”も十分偉大な発明だし、正解といってもいいぐらいだと思うよ。でもね、私には別の答えがあるんだ」

 

「へぇ、ちなみにそれは?」

 

「えーっとね……おっ! あったあった。これさ!」

 

 衛弘はそう言ってから、自身の上着を探ると、お目当てのものを見つけたらしく、それを一刀のほうに投げ渡してきた。

 急な彼女の投擲にたじろぐ一刀であったが、幸いなことにうまく掴むことができた。

 

 彼女が投げ、今一刀の手のひらにあるのは小さな一枚の小銭であった。

 

「これは、”五銖銭”か?」

 

 ”五銖銭”

 前漢の祖である高祖が発行した半両銭で、この後漢においても貨幣として一般に広く流通しているものだ。

 この時代にきて衛弘と共に商売をするようになってからは手にしない日がないくらいには見慣れたものである。

 

 つまりは、この”五銖銭”が衛弘の言うところの最大の発明品ということであろうか。

 

「そう、五銖銭さ。いや、ここでは”貨幣”といったほうが分かりやすいかな」

 

「つまり、燕は”貨幣こそが人の最大の発明品”と思っているわけか。それで、その心は?」

 

 彼女の言わんとすることを理解して、なるほど、と一刀は一応納得する。

 しかし、普段から金の亡者を自称する彼女だが、決して自分が好きだからという理由でこれを選んだのではないくらいは一刀にも理解できる。

 ゆえに、それなりの理由があるのだろうと考えて、先を促した。

 

「ああ、一説には貨幣の起源は1000年以上も昔の”殷”の時代にまで遡るといわれている。いや、正確には殷のもとになった大邑”商”の時代かな。そしてそれはすなわちこの大陸に初めてできた”王朝”の起源でもある。”商”が数多あるほかの邑たちを従え、初めて天下を手にすることができたのは”貨幣”こそが理由だと思うんだ。もともと、人が誰かを従わせるにはその人を上回る力を示さなければいけない。自分より劣ると思うものに従う人はいないからね」

 

「でもそれは、言葉でいうほど単純な話じゃない。力を示すとといっても、相手が1人や2人なら訳なくても、何千何万という人、あるいはあったことない遠方の人すら従わせるのは容易じゃあない。むしろ不可能とも言える。でもねこの”貨幣”がその不可能を可能にかえたんだよ。あまねくすべての人が貨幣を通じて暮らす世の中、”貨幣経済”に暮らすようになれば、彼らはみな、より豊かに生きるために、貨幣を求めるだろう。そんな中に、貨幣を自由に生み出せる存在がいると知れば、彼らはどうするか?」

 

 先生が生徒に物事を教えるような口調で語る衛弘。

 

「簡単な話だよ、貨幣をもらうために臣従するだろうね。労働者が賃金を得るために太守や州牧の命令に従うように、貨幣を生み出せる存在に民衆はみな従う。そして、それが天下になるんだ。”商”は貨幣を作り、それによって人々の暮らしを豊かにした一方で、あらがえない上下関係を生み出したんだ。そして、民衆は貨幣を求めて”商”に従い、それはやがて”殷”という王朝になった。これがこの世に天下が生まれた切っ掛けだ」

 

 普段の気軽な雰囲気ではなく、真剣な表情で一刀を見据えながら、衛弘は自身が考える”貨幣”の意味、そして天下の姿について語る。

 

「だから私は、天下ってものも、貨幣制度によって作られたものでしかないと考えてるんだ」

 

「……儒家思想の人に聞かれれば、首を切られそうな話だな」

 

「彼らは人の欲望の象徴である貨幣を、ひいては商売そのものを忌避するからね。でも、その自称高潔な儒家もお金がなければ食うものにも困り、住む場所にも困り、死んでしまうんだ。いくら口では高尚な理想を述べても、彼らとてこの貨幣の檻、すなわち天下から外れては生きていけないんだよ。人は霞を食っては生きていけないのだから」

 

 彼女の言っていることは極論である。けれどもそれを違うと否定することも一刀にはできない。いやむしろ、彼女の考えを正しいとすら考えていた。

 この世の金をすべて手中に収めれば確かに天下だって統べることができるかもしれない。一刀がいた現代であっても、国家にとって通貨の発行権と監督権は必要不可欠な要素の一つであるのだから。

 

 しかし、ここで一刀に一つの疑問が浮かぶ。

 

「なら燕が商人としてお金を集めるのは、それで天下を取ろうとしているからなのか?」

 

 目の前の少女はその天下の起源である貨幣を大いに集めている。現時点でこの洛陽において彼女以上の金持ちなど片手で数えるくらいのものだろう。

 そうなった今でも彼女は金儲けの手を緩めることはしない、ならばその先にみているのは彼女が先ほど口にした天下を金で掴む、いや買い取ろうとすら考えているのではないかと考えたのである。

 

「ふふ、そこに気づくなんて流石は私の相棒だよ。でもね……私がお金儲けをするのは天下が欲しいからじゃない。ただ、今の権力者たちが嫌いだからだよ。さっきも言ったように金を持つものは力を持つ、でもその力の使い方を誤ってはいけない。金にものを言わせて、弱者からさらに金を巻き上げるなんてもってのほかだよ。誰もが裕福さを追求して自由にお金を追い求める、そして世の中はどんどん豊かになっていくはずなのに、それをさせないなんて、本当に度し難い……。私はねそんな間違った金の使い方をする今この国の貴族たちが許せないんだ。”奴らを地に這いつくばらせて、本当の金の操り方を見せてやりたい”、それが私のしたいことさ。だからこうしてお金を集めて力をつけるんだよ」

 

 真剣な表情で語っていた衛弘はさらに視線を鋭くし、その背には鬼の姿を幻視させるほどの怒気を発しながらも静かにそう語った。

 

 この衛子許という少女は確かに、お金を集めているが決して民から暴利を貪るようなことはせず、常にもらう対価以上の幸せを相手に与える商売をしている。

 一刀自身、商会が大きくなった今なら、独占市場のように濡れ手に粟のように吹っ掛けた商売もできるのではないかと考えたこともあったが、それをしないのはそれこそがこの所の最も嫌う金の使い方だからだろう。

 

「やっぱり燕と一緒にする商売は楽しそうだ。俺なんかじゃ役に立てるかわからないけど、これからも見捨てられないよう精いっぱい頑張らせてもらうよ」

 

「一刀、謙遜も過ぎれば嫌味にしか聞こえないよ。一刀の持つ”天の知識”は大いに役立っているんだ。私がここまで来れたのもあの時一刀に出会えたからなんだ。だから、見捨てるどころかもう一刀が出ていきたいといっても絶対に放してやる気なんかないよ。これからも頼むよ、相棒!」

 

「過分な評価、痛み入ります」

 

 ふと視線を緩めてこちらに微笑みかけてくる衛弘に、一刀は自分の本心がばれないよう、少しおどけて見せてから、そう返した。

 

 彼女は一刀を放さないといったが、それは一刀だって同じ気持ちだ。

 はじめは右も左もわからない地に放り込まれた不安から彼女についていたが、それから数年。彼女とともに行動してきて一刀は、膨大な怒りと突き抜けたやさしさを併せ持つこの小さな大商人の少女に心底惚れている。

 

 たとえ捨てられたとしても出て行ってなんかやるものか、それが他ならぬ一刀の本心であった。

 

 だが、そんな本心を告げるのはどうも負けた気がしてしまい、口に出すのが憚られる。この少女の行く先を一番の特等席、彼女の隣で見る権利を他の奴らにやるなんて、絶対に許容できないのだ。

 

 彼女の思いを聞いた一刀は改めてそう決意した。

 

 

「ところで一刀、ここからが話の本題になるのだけど。貨幣はさっきも言ったようにそれそのものが力だ。だけどね、その力も蔵の奥で眠らせてしまっては、輝きを失ってしまうんだよ。つまり”貨幣”とは使われてこそ意味を持つともいえるんだ。……だからね、今日はこれだけの労働をした私に対しての褒美としてその力の一部を行使することを誰が見咎められようか、とも思うわけだ」

 

「……今日の夕餉は盛大にいきたいということか?」

 

「うむ、物分かりの良い相棒をもって私は幸せだよ。昨日、元直ちゃんから東門のほうにおいしい酒家があると聞いてね。今晩は酒宴といこうじゃないか」

 

「……まさかさっきまでの話も全部それが目的じゃないよな? まぁ普段から燕は無駄遣いもしないしそれくらいいいんじゃないか?」

 

「おお! うちの金庫番のお墨付きがいただけとなれば俄然やる気が出てきたよ! さぁ、一刀もさっさと仕事をすませて、一緒に街に繰り出すとしようじゃないか!」

 

 結局、先ほどまでの壮大な話も今夜飲みに行きたいが為であったのか。

 

 いい話も、台無しな気分であったが、これも彼女なりに自分の気持ちを語ったことの照れ隠しなのだろうと一刀は感じた。

 

 でも彼はそのことを口にする気はない。

 

 別に許可などなくても彼女なら十分に飲みに行くお金を持っているにもかかわらず、こうして一刀に了承を求めてきたことや、何も言わなくても一刀も同伴することを当然とする彼女が愛おしく思えた。

 

 一刀は自分の頬が緩まないように自制心をフルで働かせながら、「なら、急いで終わらせようか」と簡潔に答えて、改めて自分の決裁すべき書簡に向き直った。

 心なしか先ほどまで面倒に思えていた仕事も、今は無性に楽しいものに思えるのを確かに感じながら。

 

 一刀と衛弘が出会って早数年が過ぎ、もうすぐ大陸全土を覆う乱世の始まりである黄巾の乱の発生を控えた頃の一幕であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は遡り、一刀が衛弘と出会って夜が明けた次の日。

 

 朝日が昇ると同時に一路、都である洛陽に歩を進めた2人は高い城壁と門の前に立っていた。

 ここに来るまでに日はすでに中天に達しており、半日以上も荒野を歩いて来たことで特に体力自慢というわけでもない一刀は息も荒く疲労困憊といった様子だ。

 

「一刀、大丈夫? だから無理せず荷物は私が持つって言ったのに」

 

 そんな一刀に対して衛弘は余裕綽々と言った様子で気遣うように声をかける。

 

「はぁ……いや、流石に世話になって何もしないわけにはいかないから、少しぐらい手伝わせてもらおうと思ったんだけど・・・はぁはぁ、ところで子許はそんなに荷物をもって大丈夫なのか?」

 

「ん、私は平気へっちゃらだよ。これぐらいの荷物なんて持ってるうちに入らないよ」

 

 そういって、くるりとその場で一周回って見せる衛弘の元気さに、一刀はあんぐりと口を開く。

 

 一刀を受け止める際に荷車(4代目子許号というらしい)を失った彼女は運んでいた積荷をそこにおいておくことはできないので、布で包んでその背に負っている。勿論そうなった原因は一刀にもあるので一部を持つと彼女に申し出たことで一刀の背にも同様の包みがある。

 

 しかし、ここで問題になるのは積荷の量である。

 衛弘は荷車にこれでもかというほどの積荷を積んでおり、その量は膨大であり、到底普通の人間2人で運べるような量ではなかった。

 では、積荷の一部を放棄したかといえばそうではない。

 

 ただ単純に衛弘が普通の人間ではなかったのである。

 

 彼女の背にある包みの大きさは、象でも運んでいるのかと思うほどの大きさである。

 冬の夜に煙突から不法侵入を繰り返す赤装束の老人も顔を真っ青にするほどの荷袋を背負ってもなんともない様子の彼女に当初は一刀も驚いたが、それをもって半日歩いても全く疲れた様子のもはや言葉が出ない。

 

 ちなみに一刀が背負っている荷物は彼女の10分の1程度の量である。

 それでも荷物を背負って荒野を歩くという苦行は一刀のなけなしの体力を奪うには十分であったのだ。

 出発の時には荷物はすべて自分が持つと言っていた衛弘に対して、助けてもらった以上少しでも手伝うと半ば意地で荷物を受け取った一刀であるが、彼女のそんな姿を見るともはやその意地も完全になくなり、あの時の自分の申し出を後悔していた。

 

「なぁ、子許。実は子許ってこの国一番の豪傑とかだったりしないのか?」

 

「私は人よりも膂力と足には自信があるから、みんなってことはないと思うよ。でも膂力自慢の将軍とかだと山の大岩を投げ飛ばしたりするらしいから、私が一番の力持ちって訳ではないかな」

 

 古代人恐るべしである。

 一刀は改めてこの時代の人の不興を買うことはしまいと決意した。

 

 

 そんなかんだで洛陽についた一刀たちだが、いざ入城の前に門番らしき兵士の姿を見て、頭に浮かんだ疑問を口にする。

 

「俺って見るからに怪しいけど、門の衛兵にいきなりひっ捕らえられたりしないかな?」

 

「確かに怪しいけど、その点は大丈夫だよ! まぁこの衛子許にどーんと任せなさいな」

 

 だが、衛弘はそんな一刀の当然な不安を一笑に付すと、まるで友達の家に行くような感覚でぐいぐいと門へ進んでいった。

 あっちょっと、と一刀も遅れながらここではぐれるのはまずいと思い、気力を振り絞りその背を追いかけていく。

 

「おお、子許じゃないか、またいつもにも増して大量の積荷だな」

 

「お努めごくろうさまでーす! 隊長さん、最近はどうですか?」

 

「まったく、あがったりだよ。給金はどんどん下がるし、物価は上がりでお前が来てくれなきゃまともに酒も飲めやしない。そうだ子許、また詰所のほうにきてくれよ。お前の商品を楽しみにしてる奴らも多いからな」

 

「はいはーい、いったん荷物を整理したら伺わせてもらいますよ。今回もいっぱい仕入れてきたから楽しみにしていてくださいね」

 

 にんまりと笑う衛弘に、隊長と呼ばれた兵士もそれは助かるぜ、と返すと積荷の検査もなく入城を許可していた。

 まるで知己の友と語り合うような2人の会話を隣で聞いていた一刀は自分が思っていた門番の様子にただ目を白黒させる。

 

「おい子許。そういえば、そっちのけったいな格好をした兄ちゃんはお前の連れか?」

 

 一刀が呆けている間に隊長は、一刀の存在に気づいたらしく衛弘に尋ねてくる。

 

「ああ、今回は積荷が多かったもんだから、仕入れ先の村で穀潰しをしてたこの子に運ぶのを手伝ってもらっていたんだ」

 

「おお、そうだったのか。兄ちゃんも遠いところからご苦労様だな」

 

 衛弘の説明(内容は一刀にとって若干納得のいかないものである)を聞いた隊長は警戒を解くと、やさしそうに声をかけてきた。

 だが一刀は場の状況が呑み込めずただ、はぁ、と気が抜けた返事をすることしかできない。

 

 そうして一刀が心配していたようなこともなく、拍子抜けするくらいにあっさりと2人は洛陽への入城を果たしたのである。

 

 

 

 

 

 

「なんか俺の思ってた門番とずいぶん違ったけど……この国の衛兵はみんなあんな感じなのか?」

 

 洛陽に入ってからしばらくして、一刀は先ほどのやり取りについて隣を行く衛弘に尋ねてみる。

 

「ん?ああ、その疑問はもっともだね。今は各地の治安もいいとは言えないから、普通はあんなにあっさり入城はできないよ。どこの城市でも外から来る人には積荷をほどいて精査し、身元も念入りに調べるのが普通だろうさ」

 

「ここはこの大陸の都だろ。ならなんで簡単に素通りできたんだ?荷物を調べるどころか出身すら聞かれなかったぞ」

 

 衛弘はあっさりと一刀の疑問を肯定する。

 一刀も自分の考えがおかしくないと確認すると改めて先ほどのことについて聞いてきた。

 

「ああ、それは私と一緒にいたからだよ。ふふふ、こう見えてもこの洛陽で私の顔は広いんだよ」

 

 恐れ入ったかという具合に、その小さな顔を得意げにする衛弘。

 

 曰く、衛弘は司隷や兗州の各地の農村で商品を仕入れ、この洛陽で売るという商売をしているとのことである。その為、必然的に洛陽には何度も足を運んでいる。また、よく門の衛兵たちには仕入れた商品を安い価格で融通してあげていたりもするので、衛弘であれば検査の必要もないといつも顔パス同然で入場できるのであった。

 

「もし一刀が1人で門をくぐろうとしたなら、それはもうお尻の穴の中まで入念に検査されていたんじゃないかな、それはもうネットリと隅々までね」と冗談交じりに言う彼女に、思いがけない貞操の危機を回避できたと知った一刀は深く感謝するのであった。

 

「よし、まだ日も高いことだし、このまま市場に行って幾らかの商品はお金に換えてから休むとしようか」

 

 そんな一刀の安堵を知ってか知らずか、衛弘は進路を市場のほうに向けていった。

 どうやらまだ、しばらくは歩かないといけないようであると知り、すでに限界を迎えようとしていた足腰を何とか奮い立たせて一刀は彼女についていくのであった。

 

 

 

 

 

 

「いやー、なかなかいい取引ができたよ。隊長さんから物価が上がっているとは聞いたけどこれ程とはね。まぁおかげで交渉の必要もなくいい値で売れたね」

 

「子許、いいのか。俺はあんまりこの国の物価には詳しくないけど今日売った穀物や筵はどれも市場で売ってる値段の2割引きくらいで取引していたけど」

 

「すぐに値段の比較ができるなんて、一刀もいい目をしてるね! でも大丈夫だよ。私の仕入れてきた値段はこの市場の値段の半額くらいだからさ。あっ、でも別に私が各地で無理やり買い叩いて集めたわけじゃないからね。この洛陽の市場の値段が高すぎるだけだからさ」

 

 あの後、衛弘は市場に行くとそのまま運んできた積荷を顔なじみだという洛陽の商人たちのもとに持っていき、買取の取引をしていた。

 もちろん一刀は商売の知識などないためそれを隣で見ていただけであるが。

 

 その際、暇であったため市場で売っている様々な商品の価格を見ていたが、その中で衛弘が売っている商品と同じものが売られていたりもしたが、その値段はどれも衛弘が商人に売る価格よりも高額なものであった。

 なんとなく、もったいない気がしてそれとなく聞いてみたのだが、どうもそれができたのは理由があるそうだ。

 

 今、洛陽の物価は各地に比べてかなり高騰している。

 その直接的な原因となっているのは中央の政治が大いに混乱していることにある。今、後漢の政治は皇帝の周りに侍る宦官とそれに反発する官僚たちの対立が続いている。

 そのことは一刀も歴史的事実として知っているし、実際に洛陽に行く道すがら、衛弘の口からも聞いていた。

 

 しかし、そうした政治の乱れの影響が最も顕著に出ているのがこの洛陽の市場であるそうだ。

 元来、洛陽は商業の都である。この大陸でも有数の人口を抱える都市であるが、その人口を十分に養えるほどの物資を自給する力はない。

 そのため、各地から税として集められた資金で各地から物資を集めなければいけないのだが、その機能を担う政治がいまは一時的に麻痺しているせいで洛陽は深刻な品不足が起きているとのことである。

 

 加えて、各地で起きている治安の悪化も洛陽の品不足に拍車をかける。

 各地の領主(この時代は太守や県令)は領内の治安維持の為に、かつてにも増して軍備を進めており、そのために領内の物資を確保しようと躍起になっているのである。そして益々、洛陽に運ばれる物資は減ってしまうことになる。

 

 そうした背景で洛陽では物価はどんどんと高騰し、各地との価格差が大きく広がっているとのことである。

 衛弘はその価格差を利用して、自らの足で各地を回り物資を買い集め、洛陽で売るということを続けている。多少安くても商人に売るのは、今の価格差はじきに解消されるものだから、地道に露店で売るよりもバンバン運んで売るのはここの商人に任せたほうが利益になるとの判断でそうしている。

 

 つまりは、少しの利益よりもこの好機を存分に使うために時間を優先しているとのことである。

 

「まぁこの数年で随分と稼がせてもらったし、中央のほうでも宦官に対抗していた官僚たちはもう虫の息みたいだから、そろそろ政治も落ち着いて、洛陽に物資が集まるように戻るんじゃないかな」というのが衛弘の見立てである。

 

「へぇー、色々と考えて商売してるんだな子許は」

 

「考えるのはいくらやってもタダだからね。いくら考えても考えすぎなんてことはないんだよ」

 

 純粋な感心の言葉をのべる一刀に衛弘はそう返す。

 そして、勿論、それで好機を逸するのは下策だけどね。と付け加えた。

 

 

 そんな話をしているうちに2人は目的の場所に到着した。

 一刀の目の前には、大きな蔵のようなものがあり、どうやら衛弘曰く、ここが洛陽における衛弘の拠点であるそうだ。

 

 ここに今日売らなかった積荷はいったん預けて、今日は休むことにすると衛弘は告げたのである。

 ようやく、休めることに歓喜しながら一刀は指示に従いながら手早く蔵の中に積荷を片づけていく。

 日も既に沈みかけていることもあり、明かりもない蔵の中は不気味な暗さに包まれていたがとにかく早く休みたい一刀は手早く作業をしていく。

 

「おっと、一刀。それは蔵の奥のほうに地下室を作ってあるからそこにもっていってくれないかい。ああ、奥は暗いからこの燭台を持っていってくれたまえ」

 

 衛弘の指示に従い、手に持つ小さな包みを指示通りの場所に運ぶため一刀は衛弘に背を向けて蔵の奥へと進んでいく。

 

 この時、暗闇の中を進む一刀には自分の背にいる少女の表情が猛禽のような笑みに変わったことに気づくことはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「このあたりでいいかな」

 

 蔵の奥にすすみ、衛弘が言ったとおりに一段低くなっている地下室に荷物を下ろしたところで一刀は一息つく。

 昨日の今日で体は随分と疲れているが、これで粗方のものは片付け終えたため、ようやく今日も寝床につけるとほっと気を抜いたのだ。

 

 しかしその瞬間、不意に自身の背後に人の気配と背筋に冷たいものを感じて一刀は振り返る。

 だが、その姿を目にしてすぐに警戒を解いた。一刀の後ろにいた人物は当然であるが、先ほどまで一緒にいた衛弘であったのだ。

 

「なんだよ子許か。脅かさないでくれよ」

 

 一刀と一緒に地下室に立つ衛弘は手に明かりも持たず、その顔もはっきりとは見えない。

 自分の持つ燭台の明かりで間違いなく彼女がここまで旅を共にした少女であることはわかるがどうも周りの雰囲気もあって、それが別の誰かにも思えた為、一刀は大げさにその陰に声をかけたのだ。

 

「……ねぇ一刀。この蔵はさ、洛陽の街の外れにあるからほとんど人が来るような場所じゃあない。それに、今は蔵の錠前は内側からかけてあって間違ってもここまで誰かが来るようなことはない。まずはそれを理解してほしいんだ」

 

 暗闇のためそういう彼女の顔を一刀ははっきりと見ることはできないが、耳に届くこの声は一刀がよく知る快活な少女といった衛弘のそれではなく、もっと冷たく、心を直につかむような重さをもっていた。

 

「おいおい、子許。勘弁してくれよ。冗談にしては質が悪いぞ」

 

 そんなただならぬ彼女の様子に一刀の本能が危険を告げてくるが、どうか冗談であってほしいという願望がこの状況でも彼に軽口を言わせる。

 街外れの蔵、そしてその奥にある地下室に追い詰められた自分。そして静かにそれを告げる目の前の相手。彼女にはおそらく一刀が逆立ちしてもかなわないほどの力を持っている。

 普通に考えればこの後に起こりうる事態は楽しいものではないと理解しているが、一刀はどうしてもそれを認めたくなかった。

 

「だから、これから私が聞く質問には言葉を選んで慎重に答えて欲しい。返答次第ではどうなるか……言わなくても一刀ならわかるよね?」

 

「……俺に何が聞きたいんだ?」

 

 ここに至って一刀ははようやく彼女が戯れでも冗談でもなくこうしていることを理解し、端的に衛弘に探りを入れるように聞く。

 

「やっぱり理解が早くて助かるね。では聞かせてもらうよ、一刀。君は……」

 

 

 

 ”一体、ナニモノなのだい?”

 

 

 

 彼女の発した言葉は一刀も薄々予想していたものではあったが、その問いはどんな言葉よりも心臓を鷲掴みにされたような圧迫感を感じさせるものであった。

 

 

 

 

 

 

 




大体1話1万字にしたいので、分割します。
次話で原作開始前の話をいったん片づけて、それから原作に入っていきたいなと思っています。

キングダムのファンです

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。