真・恋姫†無双 北郷一刀・商人ルート 天下も金の回りもの 作:MATSUKASA
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「どういうつもりだ?! 趙忠!!」
董卓による新通貨の発行が実行に移されてすぐの頃。その為に必要な宦官達からの資産供出を指揮した趙忠の元に血相を変えた張譲が怒鳴り込むように駆け込んできた。
賈詡に話した通り、手早く自分の為すべきことをし目に見えて疲労の色が窺える様子の趙忠は気だるげに飛び込んできた闖入者に目を向けた。
「はぁ。もう……あんまり大きな声を出さないでくださいよ。こっちは色々と仕事をしたばかりで疲れているんですから」
趙忠は鬱陶しそうに,怒気を露わに睨みつけてくる張譲をあしらう様に答える。
そんな彼女の様子がさらに怒りをあおったように張譲は一際、その額に青筋を浮かべた。
「貴様……、自分が何をしたのか理解しているのか? 俺達の資産を董卓の無謀な政策の為に供出させるとはいったいどういう了見だ!」
張譲は今度は声を張り上げこそしないものの、収まらない怒りを零すように厳しい言葉で趙忠を叱責する。
元々、この権力渦巻く宮中で長年にわたって政争に身を晒し、海千山千の者を蹴落としてきた彼は並大抵のことではここまで怒りを露わにすることはない。冷静さこそ、彼がこの宮中を牛耳るまでに押し上げてきたのである。
しかし、そんな彼がここまで感情を露わにしている原因は、彼の言葉通り、趙忠がした”仕事”にあった。
趙忠は賈詡に協力することを同意してからすぐに、自身の独断で会談で取り決めたように宦官達が持つ莫大な資産を貨幣改鋳の原料として無理やり供出させた。
そもそも宦官達は董卓達のことを体のいい駒のように見下す傾向にあった。そんな中、董卓達が行う暴挙ともいえる政策に自分たちの資産を一旦とは言え差し出すことには当然のごとく反発があった。
しかし、そこは流石というべきか。趙忠はこの宮中においては張譲と肩を並べて比類なき権力を有している。躊躇する宦官達を時には脅し、時には言葉巧みに説き伏せて、彼らが資産の供出に同意するようにさせた。
「ああ、そのことですか。まぁ事前に張譲さんにお伝えしなかったのは申し訳ないとは思いますが、事態は急を要するかと思いましてぇ」
張譲の激しい舌鋒と視線を受けてなお、柳のようにそれを受け流すように応える趙忠。口では申し訳ないとは言っているが、その言葉が建前だけなのは誰の目から見ても明らかであった。
「よくもぬけぬけと……、俺に何の断りもなく勝手に事を進めたことも腹立たしいが、それ以上に! お前はこの策が上手くいくとでも本気で思っているのか?!」
飄々とした趙忠とは対照的に、手のひらから血が出るのではないかというくらいに固くこぶしを握りながら、張譲は自身が抱える怒りをぶつけた。
張譲がここまで猛烈に彼女に詰め寄っている理由は2つあった。
1つは趙忠が言ったように、彼女と同じく宦官の頂点にある自分に一言もないままに行動したことにたいする怒り。そしてもう1つが、彼女がした行為の内容とこの後に董卓達によって行われた政策についてであった。
勿論、前者だけであっても張譲にとっては許容し難いものではあったがそれ以上に、張譲をここまで烈火のごとく怒らせたのは後者の理由である。
「そんなことを言ってもですねぇ。今の洛陽がある商人達によって締め上げられているんですよ。そしてこちらからそれに対抗しようと思ったら、彼女達がもつ金銭という権力の土台を破壊するのは合理的な考えだと思いますよぉ。それに、この現状を招いたのは、”商人如き”と彼女達を見くびった私達にもありますから、これに協力するのは当然じゃないですか?」
張譲の怒りの理由を彼女も把握しているのだろう。いったん大きく息を吐いてから呆れたように、董卓達が行う新通貨の発行の意味とそれに協力した理由をさも当然のように語って見せた。
「馬鹿なことを言うな! こんな形で無理やり通貨を発行すれば、そもそも通貨自体が価値を持たなくなる! そうすれば例えその商人どもを壊滅させたところで、こちらもただではすまんだろうが!」
一息に捲し立てた張譲の言葉に趙忠は薄ら笑いで返す。
「もう……。このまま何もしなければ時期に董卓さんやこの町は干からびてしまいますよ。それに、後のことはその時になって考えればいいことですよ。現状の危機を打破するほうが何倍も重要ではないですか?」
「詭弁を弄するな! こんな策が上手くいくはずがない。自殺にも等しいではないか?!」
「……自殺とは散々な物言いですねぇ。それでも董卓さん達が倒れれば明日は我が身ですよ。彼女達の武がないと私達の安寧は実現しないのですから、協力するのは当然じゃないですか」
趙忠の言葉を聞いてもまだ食い下がるようにいう張譲に、子供の癇癪をあやすように返す。
実のところ、趙忠とて彼が言うようなこの政策がもたらす弊害は理解していた。
冷めた様子で張譲のことを眺めながらも、趙忠自身も彼が言わんとしていることはよく理解できた。
張譲が言うように貨幣の乱発をすれば、貨幣の信用が急落することは避けようがない。勿論それによって董卓達に敵対している商会にダメージを与えることができるのであるが、それ以上に貨幣というものが成立しなくなることの被害は計り知れないものである。
得られる効果――商会の力を失くし、現状を打開する。対して受ける被害――大陸経済から貨幣という手段を失う。
常識のある者なら、この策がもたらす利益と不利益を天秤にかければ明らかに後者が勝ることは想像に難くない。
それに、張譲が怒りを露わにしている原因はその先にもあった。
「まだ、百歩譲って董卓達が勝手に破滅し、それでこの大陸の経済を壊すのはいいとしてもだ! なぜそんな愚行に俺達が手を貸さねばならん?! わざわざこれまで蓄えた財を使ってまで、董卓達の破滅に付き合ってやる道理などないはずだろうが?!」
張譲は今日一番の最も強い口調でそう言い切った。
これまで張譲は色々と理由を挙げて、董卓達が行う新通貨発行の策の不備を叫んでいたが、彼がこうして顔色を変えている一番の原因はここにあった。
すなわち、“何故、董卓達に自分たちの虎の子である私財を投げうってまで協力しなければならない”、この一点が彼の怒りの本質であった。
張譲はここまで尤もらしい理由で董卓の策がどんな弊害を持つかを訴えかけてきていたが、実のところそれらは彼にとって些末なことであった。
この策で董卓達が自滅しようと、あるいは大陸の経済が滅茶苦茶になろうと、張譲は自分に関係ない話だと考えていた。
そんなことよりも張譲にとって重要なことは自身の地位、そしてそれを支えている権力にあった。とどのつまり、彼は“今回の策が自分にとって不利益である”という一点のみが問題であったのである。
(結局、張譲さんにとっては自分が損するという点だけが気に食わないんでしょう……、天子様も大陸の民も、自分さえよければ彼にとってはどうでもいいということなんでしょうね……)
既に知っていたことではあるが、改めて張譲の言葉から彼の本心を理解した趙忠は軽蔑の視線と共に心の内で小さく息を吐いた。
「はぁ……、さっきも言ったように今、董卓さん達に倒れられては私達としても都合がよくないのですよ。ここで協力しないという選択肢をとることはあり得ません。それに、新通貨の発行はもう決まっています。いまさら言ってもどうしようもありませんから」
そして、今度ははっきりと呆れたような様子で趙忠は張譲の詰問を取るに足らないと切り捨てた。それから彼女はいまだに顔を赤くする張譲から目線を外し、“この話はこれまでです”というかのように、退出を促した。
「趙忠……、いくらお前といってもこんな勝手なことをしてただで済むと思うなよ」
「今は身内で争っている場合ではないですから。ああそれと、張譲さんもこの策のために持っている資金はちゃんと供出してくださいよ」
趙忠の様子からこれ以上の会話は無駄であると悟った張譲は吐き捨てるように恨み言を口にしてから、大袈裟に踵を返し部屋を後にした。
その後ろ姿に趙忠は念を押すように声をかけたが、当然のようにその言葉に返事はなく、乱雑に扉は閉められて部屋には彼女だけが残る格好となった。
「全く、誰も彼も天子様よりも自分ばかり優先する連中で困りますよ……」
一人、部屋に残された趙忠は小さく吐き捨てる。
宦官として天子様に尽くす趙忠にとって、最も優先すべきは天子様である。そして、それは自分の同僚達にとっても同じだと思っていたが、どうもそれは違うということが今回の一件で確信できた。
趙忠にとって、天子の権威を脅かそうとする諸侯のような者達は不快な雑音でしかないが同時に、天子を隠れ蓑に私腹を肥やそうとするものも同じく雑音である。
“今回、身を切るような形でも董卓達に協力する判断をしたのは間違いではなかった”
張譲との先ほどまでの会話から趙忠はそんな風に考え、深く背中を椅子に預けた。そして、これから先、自身と董卓達によって実行に移される策について思考を巡らせた。
準備は殆ど整ったからには、遠くないうちに新通貨は発行されることになる。そして、それは途轍もない毒となってこの大陸に広がっていくことになる。
そして、その毒を真っ向から受けることになるのはおそらく……。
「さてさて、“あの“小さな商人さんはこの毒にどう対応してくれますかねぇ」
在りし日に出会った少女を思いつつ、趙忠は小さく呟く。
あの日、宮中で出会った少女が本当に大陸一の商人になっているという確証があるわけではない。それでも彼女はあの時の少女が、今自分たちと対峙している大商人なのではないか、そんな期待めいた予感があった。
「願わくば、彼女がこの煩わしい雑音を消してくれることを……ふふふ」
ここにいない誰かに対して、祈りをささげる敬虔な信徒のように口にしてから、悪戯をする子供のような笑みを浮かべた趙忠の言葉は、誰もいない部屋の空気に溶けて消えっていったのであった。
ところ変わって、陳留にある暫定の衛北商会の本店。その一室で席に座っている当主の衛弘は沈痛な面持ちで、机の上に置かれた物を見つめていた。
そこにあるのは、一通の手紙とそれに沿えて送られてきた“小さな金属の塊”。
普段から陽気な様子の彼女が、常に見ないほどに痛々しい表情を浮かべている原因はこの2つにあった。
「どうして……なんでこんなことを……」
「燕……」
視線を机に落としたまま、絶望したような声色で呻く衛弘に一刀はかける言葉を探したが、今は何を言っても彼女の心を慰めることは出来ないと思い、ぐっと言葉を飲み込んだ。
一刀達の下に、先日届けられた手紙。それが今、衛弘の手元にある。
その手紙は、董卓達の動向を探らせる為に忍ばせておいて商会の手の者からであり、中には董卓達が行った政策について書かれていた。
"董大尉、新通貨を発行"
そして手紙にはその発行された"新通貨"の実物が同封されていた。
そして、その通貨は酷い出来の代物であった。
従来から大陸で流通していた五銖銭と同様に、その貨幣の表面にも"五銖"という文字が刻まれているが、事前にその文字を知っていなければ判別できないほどに潰れた印字となっている。
また、その形もきれいな円形であった旧来の五銖銭に対してこの通貨は所々に欠けた箇所があり、歪な円形である。
さらに、通貨の厚みもずっしりとした手応えがあった従来の銭に比して、この通貨はあまりにも薄くて軽い。
過去に五銖銭を朝廷の許しもなく鋳造する"私鋳"という犯罪行為によって、質の悪い五銖銭が世に出ることがあったが、それにしてもこれは酷いと言う外ない出来の通貨である。
しかし、手紙によればこの粗悪な銭がこの度は朝廷による正式な通貨として発行されているという。
まさに、悪夢としか言い様のない事態が今、衛弘と一刀には突きつけられていた。
「まさか、董卓殿がここまで早くこんな手段に出てくるとは俺も甘く見ていた、すまない」
一刀も改めて手の中にある新銭の粗末な出来に呆れながら、この状況を予め考慮していなかったことを詫びた。
実を言うと一刀は、歴史としてこの新通貨が発行されるということは知っていた。
しかし、彼の知識ではこの通貨が世に出てくるのはもう少し先、董卓達が洛陽を逐われ、長安へと都を移す頃の事である。こんなにも早く、董卓達が後の世に"董卓銭"と呼ばれる悪貨を出してくるとは、一刀にとっても予想外であった。
しかし、董卓たちがここまで早く通貨発行に踏み切ってきた原因には一刀も心当たりがあった。
彼女達にこの決断をさせたものがあるとすれば、それは他でもない。
一刀達しかありえない。
一刀と衛弘が洛陽を脱出してから行った”洛陽封鎖”。これは洛陽の朝廷を追い詰めるために仕掛けたものであり、確かに一刀達の目論見通り、いやそれ以上の効果を発揮したといえる。
しかし、それが今回は結果として裏目に出てしまった。良くも悪くも一刀達は董卓達を追い詰めすぎてしまったのだ。こんな自滅必死とも言えるような策を彼女達に断行させてしまうほどに。
一刀は改めて手の中にある、歪な銭貨を見つめる。
この粗悪な出来損ないが貨幣として大陸に広がればどんなことが起こるか。この世界に来てから日々、商人として衛弘と行動をともにし、さらには歴史としての知識を有する一刀にはそれがよく理解できた。
以前、衛弘が語ってくれたように、貨幣とは人の信用という脆い土台の上でかろうじて成立しているような儚いものである。そして、人の信用は簡単なことで崩れ去ってしまう。
こんな粗悪な鉄屑が貨幣として世に出回れば、人々は貨幣そのものを全く信用しなくなるだろう。そうなれば、貨幣はそもそも成立しなくなってしまい、大陸の経済は貨幣という交易手段を失うことになる。
さらに話はここでは終わらない。
一度、人々が貨幣というものを信用しなくなれば、再び彼らが貨幣という発明を手にする為にはそれこそ気が遠くなるような年月がかかることになる。信用とは崩れ去るのは一瞬であっても、取り戻すのは途方もない苦労が必要になるのである。
実際に、一刀が知る歴史でもこの”董卓銭”が発行され、大陸が貨幣への信用を失ってから、次に正式な貨幣を手にするまで400年近い月日を要することになる。
貨幣は経済を廻すために欠かせない血液である。その血液を失うということは即ち、数百年に亘って大陸は発展の手段を喪うことになる。そして、貨幣というものがなければそれを媒介として活動する商人も存在できない。
比喩でも誇張でもなく、董卓達が放ってきたこの”董卓銭”という毒薬は、大陸の民が持つ貨幣への信頼を失墜させ、商人である一刀と衛弘を殺すにはこれ以上にないくらいに効果的なものといえる。
勿論、そこには代償と将来のことをすべて無視すれば、という枕詞つくことになるが。
とにかく、この新通貨発行によって、一刀達の対朝廷の戦略は根本から覆されてしまった。
これまでは敵の手が届かない高みから一方的に攻撃する側にあった商会は、ここにきてその土台である貨幣を足元から崩されようとしている。貨幣の信頼がなくなれば、それに基づいて人々の心を掴んできた商会の権威も力も全て喪失する。それは即ち、一刀と衛弘がこれまでしてきた全てが無為に帰すことを意味している。
「燕、それでもこの鐚銭が世に出てしまったのは事実だ。これが広まれば俺達はお仕舞いだ。仲頴殿がどうしてこんな手段に出たのかは俺にもわからない。それでも、ここでそれに頭を悩ませている時間は俺達にはない」
「そんなこと分かっているよ!! こんなものが貨幣になんてなれるはずがない! ……あの子達だってそれくらい分かっているはずなのに……どうして……」
座りながら頭を抱える衛弘に一刀は最悪の未来を避ける為にも動き出さないといけないと、叱咤するように声をかけた。
勿論、一刀が理解していることは彼女も当然に理解しているはずである。それでも、衛弘は一刀の言葉に対して珍しく苛立った様子で怒鳴ると、また同じように頭を抱えてしまった。
彼女は董卓、そしてその軍師である賈詡のことを以前から友人だといっていた。こうして敵対することになった今でもその気持ちには変わりはなかった。
衛弘は敵対している今でも、彼女達は心の底では大陸の行く末を案じる心優しい子達なのだと信じていた。しかし、そんな中でこの事態が起きてしまった。
おそらく一刀が知る限り誰よりも優しい衛弘のことである、全てが終わった後には手を回して董卓達を保護しようとも考えていたのかもしれない。そんな相手が今回、大陸の未来を犠牲にしてまでこちらに刃を向けてきたのである。最初に敵対したのは衛弘ではあるものの、董卓がここまで本気で自分を殺しにくるとはいくら聡明な彼女にとっても想像していなかったはずである。
裏切りという言葉はここでは不適切かもしれないが、それに近い絶望を衛弘は今回のことで受けているのではないか。一刀にも”彼女が常ならぬ様子になるのも無理はない”、そのことは理解できた。
しかし、それでも一刀はそんな傷心の衛弘をさらに叱咤する。
「分かっているならそうしてウジウジと頭を悩ます暇はないはずだ、衛子許!! 洛陽側は既にこうして大陸の経済と俺達を殺すための毒を放ってきている! 俺達は……いや、大陸一の商人にはやらなければいけないことがあるはずだ!!」
「一刀……」
机で頭を抱える衛弘の正面からその小さな肩を抱き、真剣なまなざしで一刀は彼女の目を見据えながら、その責務を問う。
確かに、友人と思っていた者達に裏切られたショックが彼女の心に大きな傷を残した。それでも今、一刀の目の前にいる彼女は董卓達の友人である以前に、この大陸を統べる大商会の当主である。彼女には、自身の下にいる幾千の民の生活を守るという義務がある。
商会がなくなれば何人が食い扶持を失い路頭に迷うことになるか、そしてそうなれば彼らの家族も同じ結末を辿ることとなる。
一刀と衛弘にはそうならないために動く義務がある。そして、今回の通貨発行が齎すものを誰よりも理解し、それを防げる立場にいるのも自分達だけである。
本音を言えば、一刀としても衛弘が落ち着くまでその体を抱きしめて慰めてあげたいところではあるが、自分達の立場はそれをしていてもいいものではない。
一刀は心を鬼にし、衛北商会の副総裁として目の前の彼女に強く問いかけた。
そんな一刀の覚悟が伝わったのか、真っ直ぐな強い意志を秘めた一刀の瞳に見つめられた衛弘も眦を僅かに赤くしながらも少しずつその顔を、衛北商会の総裁としての鋭さを取り戻していった。
そして、2人がしばし誰もいない部屋で互いの息遣いも分かるほどの距離で見つめあった後、バシンと大きな音が部屋に響き渡った。
「……ごめん。少し柄にもなく動揺してしまったよ。一刀の言う通り、私がこんなことをしている暇はないか。彼女達の真意を考えたり、恨み言は全てが終わってから……だね。今はこの危急存亡の事態をどう対処するか、それだけを考えよう」
小さな両手で自分の頬を思いっきり叩いた衛弘は、顔つきを一変して商会のトップとして何をすべきか理解した様子で一刀を見つめ返した。
「ああ! 全部終わったら幾らでも愚痴を聞いてやる。今はこの大陸、そしてうちに勤める全ての人の為にすべきことをしよう!」
覇気を取り戻した衛弘の姿に一刀も安心するが、まだ事態がなにか好転したわけではない。一刀もすぐに気を取り直して、身を乗り出して今後のことを考えようとする。
「まず、この通貨発行によって、私達が当初から計画していた、”洛陽を封鎖し徐々に朝廷を締め上げ、最後は華琳ちゃんを中心とした諸侯の軍で朝廷を崩壊させる”というものは根底から崩れた。私達にはもう悠長にしていられる時間はない。もたもたしていたらこの鐚銭が大陸に出回ってしまうからね。それだけは何としても防がないといけない……」
「そうだな。朝廷は倒しました、その代わり経済は滅茶苦茶になりましたじゃ目も当てられない。俺達は、貨幣の乱発に踏み切った朝廷を抑えると同時に、その乱発する貨幣を抑えて、その信用を守りきらないといけない……自分で言って何だけど、可能か?」
「できるできないの問題じゃないよ。はっきりと言えるのは、それをしないと私達はお仕舞いということさ。……私達はこれまで築いてきた貨幣の信頼を何としても守るんだ。文字通り、私達の全てを注ぎ込むことになったとしても……ね」
「分かった、それで具体的にはまず何から始めようか? 発行された新通貨がどれくらい広がっているか調べるか? それとも直ぐにこの通貨をうちの商会は使わないと通達を出すか?」
改まって向き直った2人は現状の共有と、自分達がしなければいけないことを確認しあう。そこには先程までの困惑は毛ほども感じさせず、ただ冷静に何が必要かを見据える2人の商人の姿があった。
「一刀が言うことはどれも必要なことだね。でも、それらよりも先に私達はしないといけないことがある」
「具体的には?」
そして、一刀が思いつく限りに口にした対策案を衛弘は的外れではないと認めつつ、それよりも先にすべき事があると告げた。一刀はそれが何か尋ねる。
「今回は、私達にとって生きるか死ぬかを分ける戦いになった。だから私達は生きるために持てる全てを使って戦わないといけない。その際に、内部で少しでも意見の違いが生じてはいけない……」
グッと覚悟を決めたような顔つきになった衛弘は一刀の顔を見据えながら言葉を続けた。
「商会の経営に関わる全ての者をここに集めよう。今回の新通貨の一件に対しての商会がとる姿勢を統一し、これが持つ危険性を共有する」
一息に言い切った衛弘の言葉に、一刀もそれが絶対に必要なことであると直ぐに理解し、はっきりと頷いた。そして、彼女の言葉を実行へと移すためにすぐさま行動を開始した。
今は一分一秒が惜しい。一刀がこうしている間にも董卓の毒は大陸に広がっていく。
一刀は焦燥に駆られながらも、この先はミスが許されない戦いになるということを強く意識する。
その胸には、あの日した”大陸一の商人となる”という契約をこんな所で終わらせてたまるか、そんな確固とした意思を秘めながら……
かくして、董卓と商会の戦いは貨幣を舞台として次の段階へと突入した。
次なる戦場はこの大陸全土。眠れる虎が文字通り全身全霊を賭けて腰を上げたことで、この史上初めてとなる”貨幣戦争”の幕は静かに切って落とされたのであった……
すみません、作者が凶運と踊ってしまい投稿が遅れました。
しばらく忙しく投稿が遅れることがあるかもしれませんが週一投稿を目標にしながら、ちゃんと書き進めるように精進していきます。