真・恋姫†無双 北郷一刀・商人ルート 天下も金の回りもの   作:MATSUKASA

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28話 決断 俱に天を戴かず

 

 新銭発行から暫くが経った頃、陳留の衛北商会の一室は重苦しい空気に包まれていた。

 

 部屋の正面には商会のトップである衛弘が机の上で手を組みながら座り、その傍には一刀が控える。

 2人の正面には2つの机が並べられている。

 

 向かって右の机には満寵、徐庶、魯粛と商会の各地域を預かる者達が腰を掛け、その反対側には楽進、于禁、李典が並んでいた。

 

 衛弘と一刀を含めてこの場にいる8人は、今や大陸全土にまで広がった商会の幹部と呼べる面々である。商会を立ち上げてから既に数年が経っているがこうして商会の幹部たちが一堂に会することはこれまでもないことであった。

 

 前代未聞の幹部が全員集合しての会議、それも当主自ら緊急の号令を発してまで行われるとあって、居並ぶ面々は自然と顔を強張らせ、さらに室内の空気を張りつめたものとする。

 

「あのー? 私達は本当にここにいてもいいのでしょうか?……」

 

「あっ! それ沙和も思ったのー」

 

 緊張した雰囲気の中、一刀から向かって左の机に座す楽進が恐る恐るといった様子でそう口にした。彼女の言葉に賛同するように于禁も続く。

 

 居心地が悪そうにしている彼女達の正面には、商会を支えている三看板が勢ぞろいしている。あまりにも物々しい空気と居並ぶ顔ぶれに、自分たちが場違いなところにいるのではないかと、楽進には感じられたのである。

 

「文謙、これからする話はうちの商会の行く末を左右する重要な話だ。文謙達にも今後、色々と動いてもらうことになる。だからこの会議には3人共に参加してほしい」

 

「はぁ……。一刀殿がそういうのであれば……」

 

 不安そうな楽進に一刀は真剣な眼差しを向け、その懸念を否定したが当の楽進はいまだにすっきりとしない様子であった。

 

「むー、文謙さん達がいるのはいいのですけど、どうして包の席が末席みたいな位置なんですか? 緊急の呼び出しということで仕事も投げ出して遠路はるばる陳留に来たというのに、この扱いは納得いきません!」

 

「……子敬(魯粛の字)。納得どころか誰が見てもこの席並びは妥当です。この地に来た順も各地域の売上順もあなたの豫洲が最下位ですから」

 

「あっ!! 聞きましたかご当主!? 元直さんは明らかに地域差別をしていますよ! 他州を軽んじるような発言、商会の地域責任者としていけないと包は思います!」

 

「……戯言はそれぐらいにしておきなさい。子許様がこうして全てより優先して私達を集めたのです、その意味が分からないあなたでもないでしょう。こんな下らない口論をしている場合ではありませんよ」

 

 不満そうに席順に拘る魯粛を隣に座る徐庶が正論をぶつける。いまだに不服そうな魯粛ではあるが彼女とて、今この場に自分たちが集められていること、そしてそれが意味するところは理解できていた。

 そして徐庶が言うように口論をするような状況でないということも同様にである。

 

 魯粛が押し黙って席に座り直し、この会議を招集した張本人である衛弘に目を向けたことで、つられて全員の目線が彼女に集まった。

 

 茶番はここまで。ここからが本題である、という空気が室内に広がる。

 そして、その本題を切り出すのは当然、当主たる衛弘しかいない。部屋の中の全員が彼女を見つめながらその時を待った。

 

「……子敬ちゃん、この席の並びに他意はないよ。この場にいるのみんなが商会の責任ある立場として対等だよ。勿論、私と一刀も含めてね。それと元直ちゃんも煽るようなことはしないでほしい。私達は無駄な口論をする暇がないのと同じように身内でいがみあってる暇もないからね」

 

 全員の注目が自分に集まったのを感じ取った衛弘は、組んだ両手に頭を預け、目線を机上に下げたまま、ゆっくりと口を開いた。

 

 目線こそ下げているものの、前後の話はしっかりと聞いていたようで落ち着いた口調で、先ほどまで話していた魯粛と徐庶を宥める様に言う。

 衛弘の言葉に、当人の2人は片や「分かりましたー」と、未だに不満そうに、片や「はっ、失礼しました」と忠犬のように短く返事を返した。そして、再び静寂が室内を覆う。

 

「さて、こうしてみんなに忙しい中集まってもらったのは他でもない。何人かは察しがついているみたいだけど、今私達が直面している、”存亡の危機”について今後の方針を決める為だよ」

 

 沈黙を引き裂くようにゆっくりと面を上げた衛弘は、居並ぶ面々一人一人の顔を見渡しながら単刀直入にこの会議の本題を切り出した。

 

 衛弘が口にした”存亡の危機”という物騒な言葉に、何人かはやはりといった様子で納得し、残りは何のことか分からずに困惑の表情を浮かべる。

 具体的には、衛弘から向かって右側の3人、各地域の責任者達は驚きもなくその言葉を受け止め、他方で左側の3人、楽進達はその言葉の意味を図りかねるといった様子である。

 

「そうだね。文謙ちゃん達もいるし、まずは今、私達の商会が置かれている立場について初めから説明するとしようか」

 

 各人の反応を確認した衛弘はそう口にしてから、洛陽を放棄してからの経緯について、整理するように説明を始めた。

 

「ここにいる全員が知っての通り、商会は先日、洛陽に持っていた店舗を放棄した。これは黄巾の乱以来から懇意にしていた元大将軍の何進殿が権力争いで失墜し、その余波が商会に及ぶ可能性を考慮して私が判断したことだよ」

 

 洛陽で起きた外戚と宦官による政争を掻い摘んで説明しながら、商会が洛陽放棄に至るまでを説明した衛弘。そして、彼女がここまではいいよね、と確認を口にすると今度は全員が大きく頷きで返した。

 

 皆の反応を確認したところで衛弘は話を続ける。

 

「そして、私達が洛陽を放棄してから直ぐ、宦官達、そしてそれに加担した董卓の現王朝は私達が残した洛陽の資産を”反逆者何進の関係者”として強制的に徴収してきた。私たちは確かに何進殿と懇意にして官軍に物資の供給を行ってきたが、反逆に加担したなんてことはないから、これは横暴も甚だしいことだよ」

 

 ぐっと語調を強める衛弘であるが、実のところはそうなるように仕組んだのは彼女であるということを一刀は知っている。

 しかし、今はそれを口にするべきではないということも理解しているので黙って彼女の言葉に耳を傾けた。

 

 それに、いくらそうなるように誘ったとはいえ、朝廷側が理不尽にこちらを手にかけたのは事実である。ここで大事なのはその事実だけ。そこに至るまでの裏側は必要がないことでもあった。

 

「勿論、私達はこんな理不尽を前にして泣き寝入りするようなことはしない。だから、商会は朝廷の横暴に対しての報復措置を秘密裏に行ってきた……それが”洛陽の経済封鎖”だ」

 

 ここまで衛弘が話したところで、参列者の反応は2種類に分かれた。

 

 満寵を始めとした地域責任者の3人はその封鎖に加担している身であり、驚いた様子もなく衛弘の言葉を受け止めた。

 一方で、楽進達3人は初めてこのことを知ったという様子で虚を突かれたような反応である。

 

 朝廷と裏でとはいえ敵対することになるからにはできる限りその意図を知るものは限定しておきたい。何せ相手は腐っても鯛、落ちぶれても朝廷である。

 表立って敵対を宣言すれば広がる動揺は少なくないだろう。求心力を大きく失ったとはいえ200余年に亘ってこの大陸を支配してきた朝廷に対して敬意を抱くものは多い。

 

 それ故に、洛陽の封鎖に当たってはその真意、朝廷への反抗という意図は極力伏せる形で実行してきた。だから、実際にそれを指揮する立場にあった満寵達3人と違い、実際に洛陽への物資を断つよう買い占めなどに当たっていた一般の従業員たちには自分達が朝廷に弓を引いているという意識を持たせてはいない。

 

「なるほどなぁ……、流石は大将はん。やられて黙っとるわけはないよなぁ」

 

「やられたらやり返すのー、そんなこと子供でも知っていることなの!」

 

「ええ、朝廷といってもここのところは腐敗し、天子様の権威を笠に着て民を虐げるような政を平然と行ってきた者共です。それに、現に私達にも理不尽な沙汰をしてきたとあらば、それに抗議をする意味で反抗するのは道理ですね……」

 

 

 ここで真意を明らかにした衛弘に対して、それを初めて知った李典、于禁、そして楽進は各々、思い思いの反応をして見せた。

 

 しかし、その反応はどれも一刀や衛弘が懸念したものとは異なり、概ね肯定的なものであった。

 

 知らないうちに朝廷に反抗する片棒を担がされていたと知れば激高するような場合もあるかと一刀は心配していただけに、3人が理解を示してくれたことには安堵した。

 

 3人は商会に入る前、各地を渡りながら徒手空拳で商売をしていたとも聞く。であれば各地の窮状を見て、その原因たる王朝に少なからず思うところがあったのかもしれない。

 一刀はそんなことを考えた。

 

「3人共ありがとう……。君達に隠していたというわけではないけど、事が事だからね。”もしも”の時には、意図を知る幹部達だけで責任を取れるようにしていたんだ。決して、君達を信用していなかったということではないから、気を悪くしないで欲しい」

 

「いえ、ご当主が我らを慮って隠されていたということくらいは私にも分かります」

 

「んー、でも一言くらい言って欲しかったかもなのー」

 

「せやな、大将はんにはごっつう世話になっとるし、それくらいで怒るようなうちらやないで。もう、水臭いなー。商会の従業員はみんなうちらと同じ気持ちやで」

 

 頭を下げるようにして、黙っていたことを詫びる衛弘に対して、例え朝廷に敵対すると知っていても商会そして衛弘への思いは変わらないと言う3人。

 これまで自分達がしてきたことが直接認められているような気がして、一刀は3人のいつもと変わらぬ姿に目頭が熱くなるのを覚えた。

 

 しかし、今日の話はこれが本題ではない。むしろここからが本当の目的なのである。

 一刀は気を引き締めなおした。

 

 なお、衛弘と3人が話している傍らで、元よりこのことを知っていた魯粛と徐庶の間で、

 

「えっ!? 今の話の感じだと、もしかして上手く行かなかった時は包も朝敵として首ちょんぱの未来があったってことですか?」

 

「何を今更……、私達は子許様の指示の下で意図して洛陽の封鎖に加担していたのですから当然ですよ」

 

 といった会話が小声でされていた。

 

「うわ! 包、嵌められました。朝廷と戦うには包の力が必要だって言われたから張り切って働いたのに、処刑台への未来があったなんて……。うぅ、もう包には世の中のすべてが信じられません。あぁ、世界なんて滅びればいいのに……」

 

「子敬、あなたはもう少し色々と考えてから行動することを勧めます」

 

 

 思いがけず自分が危ない橋を渡っていたことをしった魯粛が絶望したように恨み言をいい、徐庶が呆れたようにそれをとりなしていた。

 

 しかし、これも今日の本題には関係ないことである、一刀はそっと目を逸らして、見なかったことにした。

 

 

「さて、ごめんよ。話が逸れちゃったね。というわけでうちの商会は秘密裏に朝廷に対して報復措置として経済封鎖を仕掛けてきたわけだ。そして、封鎖は伯寧(満寵の字)ちゃん達の協力もあって、十全に効果を発揮してきた。このままいけば早晩にも朝廷側は干上がって、董卓達も政権の維持ができなくなる…………はずだったんだ」

 

 楽進達から目線を戻した衛弘は話を戻すようにそう口にし、最後に悲壮な表情を浮かべてから苦々しそうに言葉をつづけた。

 

「はずだった……。でも、朝廷側は、いや董卓は私達の封鎖に気付いて対抗策をだしてきた。そのせいで、私の描いた絵図は根底から覆り、今や私達は生きるか死ぬかの瀬戸際にまで立たされることになっているんだ……」

 

「その対抗策とは一体……」

 

 先程までとは全く違う様子の衛弘に、否が応でもその”対抗策”とやらが最初に彼女の言った”存亡の危機”であるということは察せられた。

 

 息をのんでその内容を聞く楽進に衛弘が答える。

 

「一刀、例のものを皆に」

 

「ああ」

 

 事前に決められていたように、一刀は席を立ちあがると居並ぶ両側の6人の前に、今回の本題となるものを配った。

 

「これは……”五銖銭”……ですか?」

 

 6人全員の前に、その”例のもの”を配り終え、一刀が席に戻ったところで、再び楽進が面前に置かれたものを見つめながらそう口にした。

 

 6人の前に置かれたもの、それは2枚の貨幣であった。

 この場にいるのは皆、商人として活動しているものばかりである。その為、貨幣は普通の人と比べても普段から目にする機会は多い。

 

 しかし、それでもその2枚の貨幣を最初に見たとき、楽進はそれが一瞬何なのか判断できず、自信がなさげにそう口にした。

 

 いや、正確には2枚のうち片方は普段から見慣れている五銖銭であることは間違いないと分かった。しかし、問題はもう1枚の方である。

 

 ぱっと見て、それが五銖銭であると判断ができないような代物。文字は潰れているし、形だって綺麗な円形とは言い難い。それに隣の于禁に配られたその謎の貨幣っぽいものと比べても微妙に厚さや形が異なっている。

 

 偽貨幣としてもあまりにも出来が悪すぎる。

 それが楽進含めて初めてこの新通貨を目にしたものが抱いた感想であった。

 

「なるほどー。これが噂に聞いていた新銭ですか。うーん、聞きしにも勝るひどい出来ですね」

 

「ええ、私も直接見るのは初めてですが、これ程とは……」

 

「流石、子敬ちゃんと元直ちゃんはもう既に知っているようだね。2人の言う通り、片方が従来から流通している五銖銭、そしてもう片方が今回、朝廷が対抗策として発行してきた新通貨だよ。どっちがどっちかは言わなくても分かるよね? 朝廷は今後、その不細工な貨幣を五銖銭に代わる通貨としてこの大陸で流通させようとしている」

 

 楽進の言葉に衛弘が答えるよりも先に、魯粛と徐庶はその出来が悪い通貨を掲げてみながら、それが何かを知っているように口にした。

 

 2人の言葉を肯定するように衛弘が、この不出来な貨幣が今後は大陸で流通することになるものであると説明する。その言葉を聞いて、楽進を始めとした3人は改めて愕然としてから、手に持った貨幣を見た。

 

 手に持てばずっしりと確かな重みを感じられた従来の五銖銭に比して、手にある新通貨はあまりにも軽く、頼りない印象を覚える。

 

「こんなものが新通貨? 本当に流通するんでしょうか?」

 

「あっ! それ包も思いました! 噂に聞いた時はどんなものかと思いましたが、ここまで不出来なものなら五銖銭に代わって市場で流通なんてできないんじゃないですか?」

 

 じっくりと新銭を見つめながら、楽進が思ったことを口にするとそれに続くように魯粛もそれに乗っかった。

 

 2人の疑問は尤もであるともいえた。貨幣は信用が大事な代物である。いくら朝廷が発行したとしてもこんな出来損ないが貨幣として市場で使われるとは思えない。

 

「いや。この貨幣は()()()()()()()()()、放っておけば市場で使われる」

 

 しかし、衛弘はそんな2人の疑問をキッパリと切り捨てた。

 

「そうだね、例えとしてこの筆を文謙ちゃんが買いに来たとしよう。筆の値段は1銭、五銖銭1枚で買えると仮定するよ。そして、文謙ちゃんの手元には従来の五銖銭と新銭が各1枚ある。そして朝廷に従うならその2枚は同じ価値だとする。さぁ、文謙ちゃんはどっちの貨幣を使ってこの筆を買うかな?」

 

 そして、ちょうど手元にあった筆を掲げて見せながら唐突に例え話を始めた。

 この新銭が貨幣として使われるか否かを尋ねたにもかかわらず、急に買い物の質問を振られたことに戸惑いつつも楽進は言われた通りの状況を想像する。そして、自分ならどんな判断をするかを考える。

 

「えーっと、もしそういった場合であれば、当然この出来がいい五銖銭は手元に残したいので、こっちの新銭で支払いをします……あっ!!」

 

「どうやら気付いたみたいだね……。今、文謙ちゃんがした判断はとっても合理的だよ。誰でも手元には出来がいい通貨を残しておきたいはずさ。そして、()()()()()()()()市場で使われるのはどっちの通貨になるか分かるよね?」

 

 答えてから何かに気付いたように声を上げた楽進の様子に、衛弘は我が意を得たりと頷いた。楽進だけではなく、他の者たちもこの新銭が流通で使われる場面をはっきりと想像ができたようである。

 

「なるほど、この新銭が世に出回れば、あらゆる取引で使用されるのは不出来な新銭になる。そして、従来の五銖銭は死蔵という形で瞬く間に流通の場から駆逐されるというわけですか……」

 

 衛弘の言うことを理解した徐庶はこの貨幣が広く世に出回り、だれもが先程の楽進と同じように当たり前の判断をした先にある未来を想像して、そう口にした。

 

「その通りだよ、元直ちゃん。”悪貨は良貨を駆逐する”。この新銭は()()()()()()()()、旧来の五銖銭を流通の現場から駆逐してしまうというわけさ。でも……この話はここでは終わらない」

 

「せや! この鉄屑が貨幣に成り代わっていく流れは理解できたけど、どうしてそれがうちらの”存亡の危機”になるんや?」

 

 李典が思い出したように口にした。

 彼女の言う通り、確かに理屈で言えばこの新通貨が市場で使われるようになるのはわかるが、それが最初に衛弘が言った”商会の存亡の危機”になるというのはどういう意味なのか。

 

「曼成ちゃん、簡単な話だよ。朝廷は何の為にこんな出来損ないを貨幣として世にはなってきたと思う?」

 

「ん? そりゃあ、こんだけ薄くて軽い貨幣なら元の五銖銭より簡単に大量に作れて、楽して金を得られるからってことやないん?」

 

「その通りさ。朝廷はおそらく、従来の貨幣を鋳つぶしたりしてこの出来損ないを大陸全土に大量にばら撒いてくる。そうなると、大陸には途方もない量の新銭が出回ることになる。貨幣ってのは不思議なものでね、米や麦みたいにあまりにも沢山の量が出回ってしまえば、それだけ価値が下がってしまうんだ」

 

 李典の疑問に対しても衛弘は丁寧に、先程の楽進へしたように問答を投げかけながらその疑問を解くように話す。

 

「つまり、朝廷が日々大量の貨幣を市場を無視して鋳造し続ければ、それに従って貨幣の価値はどんどんと下がっていく。そうなれば今日は100銭だった商品が明日には200銭、1月後には10000銭ってことになったりするんだよ。さて、そうなったとき、曼成ちゃんだったらどうする?」

 

「そりゃあ、値上がりする前に色々と物を買って、価値が下がっていく貨幣を手放そうとするわ!」

 

「そう、この新銭が出回れば出回るほど、貨幣の価値はどんどんと下がり、その不出来さも相まって人々は次第に貨幣に対して信用を無くしていくことになる。売り手は価値が下がっていく貨幣での支払いを拒絶するようになるし、買い手は一刻も早く価値の下がる貨幣を手放して食べ物などに変えようとする……こうして、貨幣を使った取引は次第に成立しなくなり、ゆくゆくは貨幣なんてそこらのごみの山と同じくらいに無価値なものに成り下がってしまう」

 

 ゆっくりと、生徒に教えを諭すように語り掛ける衛弘の言葉で、この新銭が大量に出回るようになった未来を想像した李典はその光景に戦慄を覚えた。

 

 貨幣が無価値になり、人々は物々交換によって取引をするような未来。貨幣経済の崩壊こそ、この新銭が出回った先にある未来だとはっきりと理解できたのである。

 

 そして、もしそんな世界になれば、商人なんてものは成立しない。それに今、商会が抱えて従業員たちの生活を支えている商売から得た富も、それこそ無価値なごみ山となってしまうということである。

 

 ここに至って、この場にいる全員が今回発行されたこの新通貨の危険性をはっきりと理解した。

 

 この新通貨は、商会を殺す必殺の刃であり、同時に人々の生活に根付いた貨幣を駆逐し、原始の時代にまで文明を退化させるような代物である。

 衛弘は”存亡の危機”と表現したが、それは単に”商会”の”存亡の危機”という意味ではなかったのである。

 

 これまで人々が数多の歴史で紡ぎ、暮らしを豊かにさせてきた”貨幣経済”を存亡の危機にと陥らせる、それがこの新銭の持つ意味であるのだ。

 

 李典は途端に、今自分の手の中にあるこの小さな鉄屑がとてつもなく恐ろしいものであるような錯覚に襲われた。

 

「というわけで、私達は自分たちの生存、そしてそれ以上に先人たちが生み出して少しずつ築き上げてきた”貨幣制度”とそれによる人の営みを守る為にこの新銭を何としても排除しなければいけない……」

 

「つまりは、それが今日の本題ということですね……」

 

 一言一言をかみ締めるように話す衛弘の言葉を聞き、それを補足するような形でこの会議が始まってから、伏目がちに沈黙を守っていた満寵が徐に衛弘の言わんとしていることを口にした。

 彼女は元々、この陳留を含む地域を任された身である。

 そして、洛陽の一件以来は当主の衛弘と一刀と行動を共にしてきた。故に、この場にいる誰よりも今回の新通貨の発行が持つ意味、そして何よりも2人の考えを知る人間であった。

 

 彼女はこの会議が何の為に開かれたのかを熟知しているからこそ、ここまで自分は余計なことを話さずに黙って聞いていたが、会議が本筋に入るところでその重い口を開いたのである。

 

「伯寧ちゃんの言う通り、随分と前置きが長くなってしまったけどここからが今日、みんなに集まってもらった本当の理由だよ。ここまで話してきたとおり、この新通貨の流通を何もしないで許すというのは論外だ。私達は何かしらの方策を持って対処をしないといけない」

 

「同意です。して、ご当主? その方策とやらにお考えがあるかと思いますが、お聞かせ願えますか?」

 

 満寵が発した言葉で、この場の全員がはっきりとこの前代未聞の会議の目的が“新通貨に対して今後商会としてどのような対応を執るのか”ということであるということを認識した。

 その上で、満寵は衛弘がその胸に秘める策を言うよう、先を促した。

 

 皆の注目が自然と衛弘へと集まる。

 

「みんなにここへ集まってもらう間に色々と私で考えたのだけど……、私達がとれる対応策としては2つの方法がある。1つは……いうなれば全面降伏。そもそも向こうが新通貨を発行した目的は商会を倒すためだと思う。であるならば、すぐにこちらが服従の意を示し、私が洛陽に赴いて朝廷に従うと述べて、この首を差し出せば向こうも新通貨を乱発する意味はなくなるという寸法さ。ね? 簡単でしょ?」

 

 自分の首を差し出して許しを乞う。それが衛弘の語って見せた最初の腹案であった。

 

 何でもないように語って見せた衛弘であるが、その目は真剣そのものである。もしこの場でその案をとると決まれば、彼女は本当に自分の首を差し出す覚悟があるようにも見えた。

 

「ご当主、お言葉ですが、それもまた通貨の発行を放置するのと同じく論外です。文謙も先程に申したよう、此度の件、元は朝廷側に非があるのは明白です。それなのに態々、此方から膝を屈する道理はありません。皆に聞くまでもありませんが、もしこの場で本当にその案を採用すべきと思う者がいれば先に申してください。ご当主の首を差し出す前に私がその者の首を切って差し上げましょう」

 

 本気でこの案すら視野に入れている様子の衛弘に対して、満寵はすかさずそれを論外であると断じた。そして、続く言葉でキッと双眸を鋭く薄めて、参列する面々を見渡した。

 

 しかし、幸いというべきか居並ぶ面々は一様に満寵の言葉に強く同意する様にその視線を正面から受け止めた。この場には1人として衛弘が語った案を受け入れようという考える者はいなかった。

 

「伯寧ちゃんがそう言ってくれるのはありがたいことだけど、みんなは無理する必要はないよ。今回、私達がこの状況に陥ったのは私の責任だ。封鎖を行った時点で、こうなることは正直、可能性の1つとして私は認識していた。それなのに私は独りよがりな期待で“流石にこうはならないだろう”と高を括っていたんだ。そんな私の慢心が今日の事態を招いた……私にはその責任がある。この首1つでその責任が取れるかはわからないけれどここにいる皆にはその責任を追及する権利がある」

 

「くどいですよ、ご当主。この場にはご当主に責任を求めるものなどいません」

 

 満寵を筆頭に全員の強い意思を秘めた視線を受けても尚、衛弘は普段からは想像もつかない程に弱弱しい様子で自身にある“責任”を口にした。

 

 彼女が語ったのは紛れもない本心であった。

 

 彼女は常々から、落ちぶれた朝廷が貨幣の供給を担っているという現状を認識し、今日の事態のようなことが現実になりえるのではないかという考えを持っていた。そして、封鎖を行って、洛陽を窮地の底にまで追い込めば猶更その危険が増すということも承知していた。

 

 それでも彼女はここに至るまでその懸念が現実のものになることはないと考えてしまったのだ。

 それは偏に、彼女が独りよがりの期待をしてしまったことにある。

 

“董卓と賈詡がこんな手段に出るはずがない”

そんな期待に基づいた行動の結果がこの始末となった。

 

 彼女は日頃から、期待とは裏切られるもの、それに文句を言うべきではないと自分で言っておきながら自分がその徹を踏んでしまった。

 この新通貨の発行が最初に伝わった時、彼女は自分が裏切られたと考えるよりも先に、激しい自責の念に苛まれたのである。

 

 自分が浅はかな期待をした結果、数万にも及ぶ商会関係者、ひいてはこの大陸の民全ての暮らしを危険に晒す事態を引き起こしてしまったのだ。彼女が真っ先に絶望した原因はここにあった。

 

 衛弘は思う。もしあの時、傍に一刀がいなければ自分はこんなにも早く立ち直れなかったであろう。商会のトップという立場にいながら自分はずるずると自責の念と絶望に押し潰されてこうして、当主としてすべき責務を果たせなかったかもしれない。

 

 ちらりと衛弘は隣に控えるその張本人である一刀の顔を見る。

 一刀は満寵の言葉を聞いても、「俺の気持ちは言わなくてもわかるだろ?」と言わんばかりに毅然とした態度で正面を見据え、衛弘の方を見る気配はない。

 

 そんな彼の姿に衛弘は胸に迫る熱い思いを感じ、もしこの場に自分と一刀しかいない状況であれば遠慮せずに彼の胸に飛びついて、有りっ丈の感謝を伝えたいと思った。

 しかし、それは彼の献身に応える行為ではないことくらいは彼女の残った理性で理解できた。

 

 一刀の思いに応えるならば、今自分がすべきことは商会の当主としての責務を果たすことに他ならない。

 

 衛弘はすぐさま自分の中の激情に蓋をして、顔を引き締めつつその責務を果たすべく「早くもう1つの案を聞かせてほしい」とこちらを注目する面々を見た。

 

「……もう1つの策は、いうなれば徹底抗戦。私達は表立って朝廷の権威と新銭の価値を真っ向から否定する。その上で、この新銭が貨幣として流通することが無いように叩き潰す。……正直、この策を執ったとしてもうまくいく保証はないよ。それに、もし本当に新銭を叩き潰せたとしても私達が新たに得られるものはない。勝ったとして現状維持、そして負ければ文字通り全てを失い、後世の史書に私達は稀代の反逆者としての汚名を残す……これはそんな戦いになる。今日の事態を招いた本人としてこれを皆に強くお願いすることはできない。だからこれは命令ではなく、お願いだ! 貨幣による人々の暮らしを守る為に、どうか皆の力を貸してほしい!」

 

 勝ったとしてもその先に栄光はない、ただ負ければ待つのは絶望の未来。そんな割に合わない戦いなる。

 衛弘はそう前置きをしてから立ち上がって深々と頭を下げると、当主としての“命令”ではなく“お願い”と言う形で協力をお願いした。

 これを断ったとしてもそれを責める気は毛頭ない、そんな彼女の本心からの要請と当主が頭を下げると言う状況に室内は静まり返った。

 

 時間にすればほんの僅かであるが、永遠にも感じられるような間を経て、その静寂は破られた。

 

「その賭け、ウチは乗るで!! ウチの真名は真桜! この真名に誓って、ウチの全てを大将はんに全賭けするで!」

 

「沙和もなの!! 沙和の真名は沙和なの! 服をお金で買えない未来なんてまっぴらごめんなの!!」

 

「ふぅ、まさか先を越されるとは。この徐元直、一生の不覚ですね。私の真名は篝里。この場にいる皆さんにこの真名をお預けします。私もこの真名に誓って、この身の全てを子許ちゃ……ゴホン、商会の未来に差し出します」

 

 静寂を切り裂いた李典に乗っかるように于禁、徐庶も真名と共に決意を口々に叫ぶ。

 

「私も同じです!! 我が真名は凪。この身を賭して大陸の未来のために戦いましょう」

 

「遅ればせながら、私もその無謀な戦に参加させてもらいましょう。我が真名は……その……律无です。どうか律とお呼び下さい」

 

「ふふふ、天才の包は理解しちゃいましたよ。ここは乗っかる場面ですね! そんな形で包がこの商会の当主になっても意味ありませんから。この天才軍師の包もこの真名に誓ってこの戦を勝利に導きますよー」

 

 そして3人の名乗りに続くような形で残った3人も口々に真名と共にその決意を示した。

 

 残されるのは一刀だけとなったが、彼の気持ちは言うまでもないくらいに明らかであった。

 

「一応、俺も言葉にしておいた方がいいかな? 燕が行く道が俺の行く道だ。それがどんな困難であっても俺は付いて行く。あと、俺には皆みたいに真名はないから、預けることはできないけど……」

 

 なんか締まらないな、と自嘲気味に笑いながら衛弘の隣の一刀も簡潔にそれでいてこれ以上にないくらいの決意を言葉にした。

 

「みんな……、本当にありがとう……。みんなの思い、それと真名は確かに預かったよ。それと私の真名は燕。こんな不出来な当主だけど、私もこの真名に誓って、持てる全てをこの戦いに捧げるよ。どうかみんなも付いてきて……ほしい」

 

 7人の決意と真名を一身に受け止めた衛弘は眦に熱いものを感じながら、しっかりと自身の真名と共に続くように固い決意を口にした。

 

 こうして、真名の交換を終えた商会の面々は文字通り一枚岩となって、強大な敵と正面から対峙する事を決議したのであった。

 

 決戦の時はすぐそこにまで迫っていた…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、

 

「へぇー、律无さんってきちっとした見た目のわりには随分と可愛らしい真名なんですね! 意外でしたよ!」

 

「……包。呼ぶときは律という風に呼んでくれとお願いしたと思いますが?」

 

「ええー、いいじゃないですか! 私は可愛い真名だと思いますよ。律无さん♪」

 

「……どうやら言葉を理解できないみたいですねあなたは」

 

 こんな一幕がこの後に繰り広げられたが、ともかく商会は一丸となって未曾有の戦いにその身を投じていくのであった……

 

 

 

 

 

 

 

 




とりあえず、これで貨幣戦争の舞台は整ったと言う感じです。

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