真・恋姫†無双 北郷一刀・商人ルート 天下も金の回りもの 作:MATSUKASA
一応今回の話で本格的に話が動き出します。
時は一刀が修羅場に立たされている頃から少し遡る。
衛弘が嵐のような勢いで城を飛び出した後。
陳留の自身の居城に残された張邈は大きなため息とともに深く椅子に座りなおした。
「まったく、あの馬鹿は……。一体どれだけ儂に迷惑をかければ気が済むんだ」
先ほどの衛弘の態度を思い返した張邈は呆れたようにそう口にした。
「まったくね……ふふ、本当に私は困った友を持ってしまったわ」
「そう思うなら、お前からもあいつに何か言ってくれ」
彼の呟きに同意を返したもう一人の友人、曹孟徳に対してぶっきらぼうに応える。
「そう思うなら、楽しそうに見てるだけじゃなく加勢してくれ」と言外に先ほどまでは傍観の態度を崩さなかった彼女に不満を含ませながら。
「あら?私が言ってるのは燕のことじゃないわよ。彼女のことをよく思っていない自分の臣下が多いことを気にして、あの子を守るためにここから遠ざけておいて、そのくせにあまり会えないことを寂しがる。そして、いざ顔を合わせたら出て来るのは照れ隠しの小言ばかり。本当に私は困った友人を持ってしまったものね」
「……お前の言いたいことが分からんな」
「もうここにあの子はいないのだから、そんなに強がらなくてもいいのに。あの子が会いに来た時のあなたの顔、鏡があれば見せてあげたかったわ。普段の仏頂面がまさかあんなに緩むなんてね、ふふふ」
「百歩譲って儂の顔に喜色があったとしても、それはあの馬鹿に直に文句をいえることを喜んだに過ぎん……」
どうやら嵐が去っても張邈に安寧の地はないようである。
「あーあ、ほんとに困った友だこと」と、笑う曹操にせめてもの反論を返すがそれすら彼女を楽しませる材料にされてしまうようである。
「それにあの子だってあなたの気遣いには気づいて感謝しているわよ。ことあるごとに「好きなことをさせてくれる孟卓様には感謝だよ!」と嬉しそうに私に話すのよ。それにあの子が成功させた事業でも、真っ先にこの街へ店舗を進出させたのも彼女なりの恩返しだと思うのだけど」
「……儂は阿保の頑固者だからな、直接聞かんと分からん」
口ではそういいつつも張邈も曹操が言わんとしていることは理解できていた。
衛弘はこの兗州の陳留に早い時期から大規模な店を構えて商いをしていた。彼女が兗州の中でもより人口が多い山陽でもなく、そして北の冀州でもなくこの陳留を本拠地の一つとして商売をしているのは少なくない恩を張邈に感じてのことであった。
実際に商会がここ陳留を本拠地に構えたことで、今の陳留は兗州における物と人の流れの中心に位置するようになり、その賑わいは袁家のお膝元の南皮にも劣らないほどである。
「あなたのその頑固で誠実なところは美徳よ。でも願わくばもう少し素直になることをお勧めするわ」
「ふん、あの馬鹿が礼儀を弁えるようになれば儂も礼の一つくらい返してやるつもりだ」
張邈の言葉を聞いた曹操は「あらあら、中々に手強そうなことで」ともう一度小さく笑った。
「そんなことよりもだ、孟徳。お前は今回の変事、如何にみるか?」
これ以上この話を続けても、ただこの天才を楽しませるだけだと悟った張邈。
半ば強引であったが話を切り替え、今後について最も頼りになる曹操の見解を尋ねる。
曹操は張邈の問いを聞くとすぐさま顔を引き締め、覇王と評されるに足る風格を漂わせる。
「燕の時勢を見抜く力はこの大陸でも随一といっても過言ではない。あの子が自ら動き、今後に備えるように動いているということは此度の一件、単なる集会を民達が開いているというわけではなさそうね」
「お前もそう思うか。……あやつの言うとおりにするのは癪だが、儂等も備えておくべきであるか」
「ええ、それがいいと思うわ。私は官位を持つとはいえ、今は宮仕えの身。領土を持たない以上、大きな軍を持つことも叶わないからその備えは任せることになってしまうけど」
「気にするな、儂とお前の仲だ。郡内に指示を出しいざというときに動ける備えは儂が整えておく。そしてその時にはお前にも一軍を率いてもらうことになる」
「そう言ってもらえると助かるわ。私のほうでも報告にあった黄色の集団については調べてさせておくわ」
曹操は今、王朝において”騎都尉”という地位についている。
この”騎都尉”という地位は都における軍、官軍の指揮官という地位に当たる。その為、曹操は漢において一軍の指揮を預かる立場にあるが、その一方で自身の領地を持つ張邈と違い、正式に自分の軍を持つ立場にはない。
そのため今回の変事を聞いても、それに備え独自に軍を揃えることは難しい。
備えるといってもそれは目の前の友人に任せるしかないことを内心では口惜しく思いつつも、彼女は今後に起こることを想定しつつ、今できることを考える。
曹操の見立てでは、今の漢王朝は一定の権威を保っているようだが、その実はボロボロである。他ならぬ官軍の将である彼女がそう思うのだから、それは如実であった。
もし今回の変が既に死に体の王朝にとどめを刺すほどの事態になるのであればその先に待ち受けるのは”乱世”である。
(ならば、そこで私が為すべきことは・・・)
これからのことを考えた曹操ははっきりと自分が行くべき道を見据えていた。
昔、許子将という占い師が曹操のことを”治世の能臣、乱世の奸雄”と評したことがあった。
あの時は何の世迷言をと特に気に掛けることはしなかったが、今は無性に彼の言葉が頭に浮かんできた。
(乱世の奸雄か・・・、なかなかに我が覇道を示すにいい言葉ね)
来るべき未来とそこに臨む自身の姿をはっきりと夢想した曹操は、今はまだ牙を研く時期にあると判断した。
そして張邈に礼を告げると足早に部屋を後にする。
曹操達の見立て通りになればその時が曹操の覇道の第一歩となるはずである。
この先の行く末とそれについての決意を新たにした曹操はゆっくりと、それでいてしっかりとその歩みを進めていた。
向かうは彼女の思い描く覇道の実現のため、そして願わくばその過程で彼女のかけがえのない友人たちが少しは素直になってくれることを期待しながら。
彼女の歩みを止めるものはもう何もなかった。
「ははは、私は怒っているといっても努めて冷静だから安心したまえ。もしこの状況を適切に説明できる理由があるのなら、それを聞くくらいの度量はあるつもりだよ」
「えーっとですね、子許様。これにはいろいろと深い事情がありまして…………それはもう海よりも深ーい事情があったりするんですよ」
時は今に戻って、場所は豫洲の汝南。
魔王もかくや、というべきの衛弘を前にして魯粛は手を体の前で浮かせながらあたふたと言い訳を口にする。
当然だが一刀もこのまま座して死を待つわけにはいかず、なんとか言葉を探そうと必死に頭を巡らせる。
考えれば、今の状況に元々一刀の非はない。
とはいえ、それをそのまま口にしてもこの場がどうこうできるとは思えない。また、目の前の魯粛を平然と売り飛ばすようなことは流石の一刀も気が引けた。
かといって、魯粛に弁明を任せるのはもっと拙い。
彼女は場合によってはこの場を切り抜けるために一刀を売る可能性だってある。よって黙秘するのも却下。
話すも地獄、黙るも地獄の状況である。
そして一刀は考え抜いた結果、1つの結論にたどり着いた。
「すまない! 燕! お前が一生懸命にやっているにも関わらずそれを裏切るような真似をしてしまい! 全ては俺に責任がある、許してくれなんて言うつもりがないが、二度とこんなことがないようにする!」
一刀が出した結論は素直に謝ることであった。
経緯はどうであれ、一刀が衛弘に任された仕事をうまくできていなかったのは事実であり、彼女の信頼に反するような状況になってしまったのは事実だ。
それであれば、今自分がすることは言い訳でも許しを請うことでもなくまずは謝ることだ。
そう考えて一刀は衛弘に向き直ると素直に謝罪を口にしてから、深くその頭を下げたのであった。
「……まったく君は本当にずるい男だな。そんなに素直に謝られたら私はこれ以上君たちを怒れないじゃないか……。もう! 振り上げた私の拳はどうすればいいのさ! ……仕方ないから曼成ちゃんの胸でも揉んで憂さ晴らししようかな」
一刀の判断はこの場において唯一といってもいい正解を引き当てた。
一刀の謝罪を聞いた衛弘は、呆れたようにしてから顔を緩めると、柔和な笑みを浮かべて隣の李典の胸を揉むという奇行にはしった。
いつもの様子でいつものように破天荒な彼女の様子はもう先ほどまでの怒りが霧散したようであり、「あーあ、しらけちゃった」といったものである。
勿論、まさかの矛先を向けられた隣の李典は
「何がどうなったらそうなるねん!!」と抗議の声をあげているが、なすすべもなくその豊満な胸を衛弘にされるがまま揉みしだかれていた。
「ええい! だまらっしゃい! この胸が諸悪の権現なのだ! こんなものこうしてあーしてそうしてくれるわ!」
どうにか無事にこの場を切り抜けることができた一刀はほっと一息をつくが、同時に彼女の期待を裏切るようなことは二度とすまい、と固く決意をするのであった。
理不尽な被害を被った李典のためにも。
(曼成、ほんとうにすまん)
ちなみに、一刀の隣で衛弘の奇行を目にした楽進は顔を赤らめながら自身の胸を手で隠すようにしながら小さく震えていた。
もしかしたら今回のことで最も被害を受けたのは彼女なのかもしれない。
その後はこれまでのことが嘘かのようにこちらの話を聞き入れるようになった魯粛が衛弘に、「ひゃい!必ずやこのパオが子許様の期待に応えて見せます!」と先ほどの震えが抜けないままに応えたことで一応、一刀たちは今回の目的を全て達することだできたのであった。
そして一段落がついたところで衛弘は洛陽でやることがあるから一足先に戻ること、一刀ももうすこし今後のことについて魯粛と話を詰めたら洛陽に戻ることを言い残して、李典を伴って店を後にしようとした。
その時の李典の顔が若干、引き攣っていたのは一刀の見間違えではない。
しかし、そのまま店を出て行くかと思われた衛弘はふと何かを思い出したかのように振り返る。
「ああ、そうだ。子敬ちゃんに伝えておかないといけないことがあるんだった。危うく忘れるところだったよ!」
「え? パオにですか?」
いけないいけないといいながら、魯粛に向かって伝えることがあると告げる衛弘。
当の魯粛本人も心当たりがなく面を食らった様子である。
「うん! 他ならぬ君に大事な話があるんだ!」
怪訝な様子の魯粛に衛弘はいつものような笑みを浮かべたままそう告げた。
しかしその衛弘の笑みを見た瞬間、一刀は先ほど彼女の怒りを目の当たりにした時以上の衝撃、いやその時よりもはるかに身が竦むような感覚に襲われた。
あわてて、周囲の他の人を見るが誰も衛弘の様子に疑問を抱いた様子ではなく、ただ彼女の言葉を魯粛同様に不思議がるだけであり、一刀のように慌てた様子はない。
そんな周囲の状況に一刀は己が感じたものが勘違いだったかと思った時、衛弘は要件とやらを口にするのであった。
「私はね子敬ちゃんの能力をかっているし、それに大いに信頼しているんだ! だからこの地域を任せて、ある程度以上の裁量も認めている。君だったらそれをしてもいいと思っているからね。でも、それは君ならうちの商会をもっとよくしてくれると信じているからだ。その一事を守ってくれるなら、私は子敬ちゃんの心がどこに向いていようと、自由な裁量を振るおうとも許容するつもりさ!だけどね……私は君が商会に不利益をもたらすことにその裁量をふるうことは認めてはいない」
笑顔のままで衛弘は言葉を続ける。
「子敬ちゃんがどこの誰とつながって、肩入れをしたとしても私はそれを咎めない。それは君の自由だからね! でも、それがもし私たちを害するようなことになれば、私は当主として君を許すわけにはいかないんだ……。だから忠告するよ。君のすることは自由だ、だけどそれによって生じる結果まで考えて行動をするんだ。その結果次第では、私は君を罰しなければいけない。君なら私の言っている意味が理解できるよね? くれぐれも私にしたくないことをさせないでくれたまえよ。……私が言いたいのはそれだけさ、じゃあ後のことは頼んだよ!」
終始、満面の笑みのままでそう言い切った衛弘。
言い終えると同時に素早く身を翻して店を後にしていった。
笑顔とは本来、獣にとっては相手を威嚇するときに用いる表情である。
怒りよりも彼女の言葉ははるかに重みと迫力をもって、室内に緊張を残していった。
正直、一刀には彼女の言わんとすることのすべてが理解できたわけだはない。だが彼女が去った後も顔を青くして呆然とその後ろ姿を見つめる魯粛を見る限り、衛弘の言葉は単なる酔狂ではないのだろう。
とはいえ、衛弘は同時に”私は君を咎めない”とも言っていた。
魯粛の抱えるものが何であるのか今の一刀にはわからないが、それが何であれ今は黙認するというのが衛弘の考えである。
であれば、ここで一刀がそれを問い詰める必要もないだろう。
そう判断して一刀は魯粛が平静を取り戻すまでしばらく待つことにした。
そして幾ばくかの時を経てようやく話せるようになった魯粛に対して一刀は先ほどのことを深く追及することはせず、ただ自身がするべきことのため魯粛と今後の方針について考えを共有したのであった。
衛弘達の豫洲訪問からしばらく経ったある日。
魯粛は汝南にある袁術の居城の一室で2人の女性と対面していた。
「なに!? 衛子許に私たちのことが勘付かれただと?!」
「いやー、まだ確信しているという様子ではなかったので雪蓮様や冥琳様のことまでばれているわけではないと思うんですけど……でも、あの人ならそれすらわかってるかもしれないですぅ、はい」
「であるなら、聞き及ぶ以上の人物のようだな。しかし、今の私たちにとって包の助力は非常に助けとなっている。これを失うのは正直なところ困る」
「んー、でも子許様も気づいても今は特に咎めないと言ってましたからすぐに何か手を打ってくるとは思えないです。なんだかんだで優しいのがあの人ですし」
「気付いたうえで見逃すと堂々と言うのは優しさどころか脅迫に近いと私は思うがな。今はまだ私たちが邪魔な存在ではないので好きにしていいが、もし商会に反するようなら容赦はしない、衛子許が言うのはおそらくそういうことだろう」
「ええー! そうなったら真っ先にパオが死んじゃいますぅぅ!」
「包は私たちにとって大事な協力者だ。我々もみすみす包を失うような愚は犯さないつもりだ。今後は商会と敵対することがないよう細心の注意を払うさ。ん? どうした雪蓮? 急に笑ったりして」
「その衛子許って子、中々に面白そうな子だなって思って。自分の商会の資金が他人に使われているのを知っても見逃すなんて面白いじゃない?」
「他人事ではないんだぞ、雪蓮。これは我ら孫呉の再興の為に必要なことなんだ」
「分かってるわよ、冥琳。でもその衛子許って子とはなんだか気が合いそうだし、あんまり心配しなくても大丈夫な気がするの」
「……またいつもの勘か?」
「んー、これは勘というよりも確信に近いかな。とにかく今は孫呉の復興の為に私たちは牙を研ぐだけよ。もちろんそれには包も協力してもらうからね」
「まったくお前は……。だが雪蓮の言うことにも一理あるな。包、この先はこれまで以上に慎重に事を運ぶ必要があるが大丈夫か?」
「パオにお任せください! この難事も、パオにとってすればお茶の子さいさいですよ!」
胸を張ってそう言う魯粛に2人の女性も満足そうに頷く。
この汝南の地においても静かに乱世を待つ英傑たちが着々と飛躍の時に備えるのであった。
「もう、曼成ちゃん。さっきのことは謝ったじゃないか! 私とて場を弁えている女だよ。柄にもなく怒っちゃって雰囲気が悪くなったから、空気を切り替えるために曼成ちゃんの胸をちょっと触っただけだよ。そんな見境なく人を襲う痴女じゃないから安心しなって!」
「ぐすん、どこが”ちょっと”やねん。打算だろうと私怨だろうと、ウチの胸を揉みしだいたのは変わらへんで……」
「まぁそんなにもあるんだし減るもんじゃないさ!」
豫洲を発った衛弘と李典は馬を洛陽に向けて走らせていた。
先ほどの一件以来、妙に衛弘から距離をとってしきりに警戒を隠すことのない李典を慰めるように衛弘は言った。
もー悪かったって、と衛弘は謝るがしばらくあの時の記憶は李典の中から消えそうにはない。
「次やったら、いくら大将はんでも承知せーへんで…………。ところでなんやけど、最後に子敬はんに言ったんはなんやったん?」
「もうしないってば。あーあれかぁ……ここ最近の豫洲での売上の報告を受けているんだけど、どうも一部、他からくる報告に比べて売れた数量と出た利益にズレがあるんだよ。まぁおそらくは利益の一部を何か別のものに充ててるといったところだろうね」
「それ確かなんかい!? もしそうなら子敬はんは店の資金を不正に流用してるっちゅうことやん?!」
涙目になりながらも、話を切り替えるようにして先ほどの件で気になったことを李典は口にした。
彼女の質問に衛弘は何でもないような様子で答えたが、その内容はとんでもないものであった。
虚偽報告とそれによる不正流用。
もしそれが本当であれば、一地域を預かるものとして決してしてはいけない背徳行為である。
しかし、当の本人である衛弘はその事態を告げても、特に慌てた様子もなく淡々としていた。
「まぁ、そうなるね。でも商人をやっている以上少なからず表には出せない金の使い方をしているものさ。領主への根回しや、ほかの商人との関係づくり、直接的には事業にかかわりない費用は必ず出てくる。それに全体にすれば不正といっても微々たる金額だからね」
「ほー、そんなもんかいな」
言われてみればと李典は考える。洛陽において衛弘は確かにいろんなところとの関係づくりに奔走しているし、特に宮中とのつながりを持つためにはそれなりの資金を投じているようであった。
「ただ、元直ちゃんと伯寧ちゃんはそういった活動の費用も律義に報告してくれているから、どんな意図をもって動いているか分かるんだけど、どうも子敬ちゃんはそれが見えてこない。だからカマをかけたというわけさ。反応を見るに、領主の袁術ってことはなさそうだ、だれかほかの人物、それも表立っては支援できないようなところにお金を投じているんだろうね」
「そこまで分かってはるんなら、更迭なり相手を聞き出すなりしてしまえばええんとちゃうか?」
「そこまでのことじゃないさ。あそこでも言ったけど私は子敬ちゃんを信用しているからね。……いい機会だし時間もある。李典ちゃんには私の商人としての矜持を話しておくよ」
李典の疑問を軽く一笑に付した後、衛弘はふと考えるような仕草をした後に話を切り出してきた。
「商人ってのは互いに交わした契約を何よりも重んじる。いやここでは信頼といってもいいかな。商売の基本は互いに信用することから始まるんだ。だから私は誰に対しても信用することから始める……あっ勿論、その前には信用に値する相手かどうか位はしっかり見極めるよ」
「つまり信用ってのは商売をする中では何よりも大切なんだ。信用がないと取引なんてできないからね。だから私は子敬ちゃんを信用する。彼女が多少、私に隠れて何かをしていても信用しているから見逃そうじゃないか。……でもね、この世の中には偶にいるんだよ。人の信用を平気で裏切るやつがね」
それまでは朗らかに自説を語っていた衛弘の顔が一変する。
「契約を履行しない、信用を足蹴にする。そんな奴は商売する資格なんてない、クズだよ。期待を裏切るのは構わない、それはこちらの一方的なお願いだからね。でも契約は違うんだ。私は信用した相手を絶対に裏切らない、そんな忌むべき行為をするつもりはない。そして同時に私は相手が裏切ることも許さない。絶対にね」
小さく、それでいて聞くものすべてに有無を言わさぬ圧迫感を持って迫る彼女の言葉に李典も息を呑む。
「私は子敬ちゃんを信用している。だから今回のことを疑ってもなにか罰しようなんては思ってもいない。信用しているからね。それでも……もし彼女がこの信用を裏切ったとなればその時は……。……まぁ、そうならないといいよね!」
最後はいつもの笑顔で純粋な少女のようにそう言い切った衛弘。
その姿に李典は彼女のただならぬ商人としての心意気と覚悟を見たような気がし、小さく体が震えた。
もし彼女の信用を裏切るものが出てきた場合、それに対してこの大商人がどういった行動をとるのか、それを考えると、李典の体はまた震えるのであった。
少し前を行く衛弘の小さな背中が、今はただ限りなく大きなものに見えた李典は、馬を走らせその隣に並ぶ。
頭上に広がる空は曇りなく澄み切っているのが李典には嫌に印象的に見えた。
こうして様々な紆余曲折を経て、一応は今後の乱世に向けての準備を進めていった衛弘達。
洛陽に戻ってからも一刀と衛弘はできる限りの用意と各地での情報収集に努めた。
そして、ついに時来たる。
ある日、王朝の侍中である何進に火急の要件であると呼び出された衛弘は、彼女の口からそのことを聞き及んだ。
”黄巾党を名乗る賊、豫洲・荊州・冀州の三州において蜂起す”
ついに大陸全土に広がっていた戦乱の種火は1つの大火として現実のものとなった。
漢という時代の終わり、そして乱世の幕開けを告げる鐘の音が大陸全土に響くのを聞いた。
この先に待つのは、激動の時代。王朝の楔から解き放たれた英傑たちが互いに覇を唱えて競い合うことになる。
時、ここに至りて。
1人の少女と彼女の元に降り立った少年は、覚悟をきめてその渦中に踏み出す。
胸に抱くは1つの夢。
後の世に、大陸統一に最も貢献した人物として知られる彼女たちはこうしてその一歩を踏み出すこととなったのである。
「私は人を裏切らない、だからあなたも私を裏切らない」
休みがもらえたので投稿。
なんとか日曜にももう1話上げたい。