夏の境界   作:うさヘル

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境界の向こう側――、八重青常の現実

駅からバスで3時間。信号なんてほとんどないし、一本の道路もそこそこ広く、対向車もまるで見当たらない。けれどそんな好条件にもかかわらず、到着するまでの間に漫画雑誌を一つ舐め回すように読み尽くすだけの時間を移動に要したというのは、疑いようもなく、今自分が向かっている場所が、“ど”のつくほどの田舎である証拠だろう。

 

「ふぅ」

 

バスの少し高めのタラップから足を下ろすと、クーラーの効いたバスの内部と、真夏の太陽が照らし上げる外部との温度差により、生暖かい風呂に足を突っ込んだような感覚を覚えた。そしてため息が出る。

 

――面倒くさい……

 

それはきっと、この如何ともしがたい温度差もさることながら、これから起こる面倒の予測が、そうさせたのだろう。なにせ自分はこれから、祖父の遺産相続について、祖父の息子であり、僕にとっての叔父である存在と、話し合いというなの骨肉の争いをしなければならないのだ。正直に、遺産など要らぬからどうか関わってくれるなと宣言したいほど、叔父は疑り深く、金に汚く、そして口汚い。本音を言えば、今すぐにでも、出発しかけているバスの中に出戻って、携帯で断りの連絡を入れ、家に帰ってしまいたい所なのだが――

 

「お疲れ様」

 

田舎特有の、停留所の証が一本立っているだけのバス停の裸椅子の側にいた、微かに幼い頃の面影を残す、白い日傘をさした少女が僕に声をかけてきてくれた為、そうすることも出来なかった。

 

「ああ、ありがとう」

 

まだ薄い体を白いワンピースに包み込む、彼女の名前は藤村美緒。僕よりも一回りは小さな少女だ。セミロングの髪を自由に流して、夏の暑い日差しの中に溶け込むような姿の彼女は、僕を見た瞬間、僕を指をさして笑った。

 

「すごい格好。見てるだけで暑苦しい」

 

夏も盛りの真っ最中の時期、けれどこれから真面目な話し合いをする為に、自分は夏用の、麻で織られた浅い灰色の三つ揃いスーツを着用してきたのだが、そんな大人の事情はしかしまだ子供の彼女にとっては関係なかったらしくて、彼女は僕の姿を見ると、平然とけなす発言をする。僕は、僕の気遣いに気づかれなかった事が少し悔しくて、大人気なくも、あえて見せつけるように腕を伸ばして、まるで雑誌のモデルのように服の全容を披露した。

 

「そんなに変かな?」

「変。ジーパンにシャツの簡単な格好でいいじゃない」

 

しかしそんな、僕がつくった、僕を気遣うチャンスを、彼女はやはり平然と払いのけると、言い切った。そんな彼女の無邪気は、僕の反骨心を刺激して、僕に反撃の言葉を出させる。

 

「今の美緒ちゃんみたいに?」

「そうよ。これでも暑いくらいなのに……」

 

彼女はコロコロと表情を変えたのち、裸の腕で額滲んだ汗をぬぐいながら、最後に顔をしかめて言い捨てた。僕のちょっとした嗜虐心は彼女に通じていないようだった。

 

――悔しい

 

そんな思いが湧いたので、彼女の挙措のうちにどこか隙はないものか、と、ジロジロと彼女の事を観察していると、やがて僕の舐め回すような視線に気がついた彼女は、悪戯っぽく自分の体をくねらせると、

 

「あら、私の魅力にやられちゃったのかしら?」

 

などと、ほざいた。さて、ここで憎まれ口を返すのは簡単だが、そうしたところで彼女はまた、スルリと僕の真剣から逃げ果せてしまうだろう予感がした。流石にそれの繰り返しは癪にさわるので、ここはひとつ攻める手段を真逆に変えてやろうと思いつく。

 

「そうだね。美緒ちゃんが綺麗になったものだから、つい見惚れてしまった」

 

そして僕はいかにも本心であるかのように、頷く。すると小さな彼女は勝ち気がちだった顔を困惑のものへと変化させると、そのまま、ふい、と自分に背を向けて日傘で自分の視線を遮り、叔父の……藤村家の方向へと歩き出した。

 

――なるほど、慣れてないんだな

 

彼女はきっと、勝ち気であるがゆえに褒められ慣れておらず、真正面からの不意打ちに弱くいのだろう。

 

――おそらく日傘の向こう側では、顔を真っ赤にさせて七変化させているに違いない

 

僕は下劣な想像をしながら、浮き足立ったかのように早足である彼女を追いかけた。

 

 

「ふぅ」

 

藤村家よりあてがわれた部屋に戻ってジャケットとベストを持ってきたハンガーに引っ掛けると、畳の上に雑然と置かれた寝具に体を預ける。疲れた体の求めに応じるがままにそのまま大きく息を吸うと、埃とい草の混じった匂いが胸の中を満たしていった。長年放置されたままであるはずの部屋で、しかし体を預けている寝具からは少しばかり清浄な匂いがする気がする。

 

――きっと自分がやるべき事を全て済ませたからだろう

 

「お疲れ様」

 

そう悦に入っていると、掛け声とともに襖が開いて、両手に持ったお盆の上にコップ二つと透明なプラスチックの水差しを乗せた美緒が現れた。部屋に入ってきた彼女は、おそらく開けた時のようにスルリと伸ばした足で襖を閉めると、畳の上に寝転んでいる僕のすぐ側に腰を下ろして、お盆を畳の上に置いた。

 

――あ

 

太陽が沈みかけて少し暗がりになった埃っぽい部屋が少しばかり明るくなったような気がした。

 

「小さくても花は花、か」

 

そんな気取った事を呟いていた事に言った後で気が付いた僕は、気恥ずかしさから慌てて彼女の方を向くも、美緒はコップに麦茶を注ぐのに気を取られていて僕の言葉が聞こえていないようだった。

 

「……何?」

「いや、なんでも」

 

訝しんだ様子の彼女の視線と言葉が僕に送られる。

 

―――恥ずかしい言葉を繰り返して、自らの傷を抉ることもあるまい

 

判断した僕は、その後、彼女に差し出されたコップを受け取ると、よく冷えた麦茶とともに、その言葉を完全に体の中へと押し返した。僕の臆病を笑うかのように、グラスの中で氷が身をすり合わせる音を響かせた。

 

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