鈴さん勘違う、というお話。
「おはよう、鈴!」
「おはよう、一夏!」
あたしの頬が自然と緩む。
「おはよう、鈴」
「おはよう、変態」
あたしの拳が自然と漲る。
「……お前はいつになったら俺の名前を呼んでくれるんだ」
「アンタがアホな事言わなくなったら「あ、パンツくれよ」それをヤメろって言ってんのよッ!!」
前もって準備していた拳を放つも、簡単に捌かれてしまう。
「フッ……惜しかったな、鈴」
「ぐぬぬ…!」
中国からこの小学校に転校してきたあたしに、最初に声を掛けてきた奴。日本で出来た初めての友達。何やらしたり顔で雑学を披露している物知りな奴。中国人のあたしを思っての事か、最近はもっぱら三国志の話をする気遣いの出来る奴。
……その気遣いを、どうして挨拶でも出来ないのかホント分かんない奴。その名は主車旋焚玖……にくめない、あたしの変な友達だ。
.
...
......
転校なんて初めてなあたしは、柄にもなく緊張していた。
ましてや、同じ中国ではなく外国だなんて、正直当初のあたしからしたらアウェー感ありまくりの場所だった。
教室に入って担任から紹介された時も、ドキドキしっぱなしだったと思う。空いているカドの席へ座るように言われたあたしは、周りの目に少しビクビクしながら座ったんだ。
隣りの席は男子。出来れば女子の方が気楽だったのにな……と思っていたあたしに、ソイツは話しかけてきた。
『ようこーそ、にぽーんへ。かーんげいするーぜ、凰』(中国語)
それは中国語だった。
まさか日本の学校で日本語ではなく、中国語で話しかけられるとは夢にも思わなかったあたしは、目をパチクリさせてソイツを見た。
なんかドヤ顔していた。
「す、すげぇぜ旋焚玖! お前、中国語も話せるのかよ!?」
「……フッ…」
違う男子の言葉を受け、ますますドヤ顔になっていた。
「発音めちゃくちゃよ? あと、普通にあたし日本語話せるから」
「そ、そうか…………そうか…」
見るからにしょんぼり顔になって俯かれてしまった。っていうか、しまったのはあたしの方だ。せっかく気を利かせて声を掛けてくれたのに、しかもわざわざ中国語で話しかけてくれたのに……あ、謝らないと…!
「ご、ごめんなさい、あたし…!」
「気にするな」
謝るあたしを手で制してくる。
なによ、普通にいい奴じゃないの。こんないい奴に無遠慮な事言っちゃうなんて、ホントあたしってバカ…!
「あ、あの、あたしの事は鈴でいいから!」
「分かった鈴。俺の名前は主車旋焚玖。好きに呼んでくれ」
「ええ! せんた「ああ、あとパンツくれ」……は?」
聞き間違いかしら?
聞き間違いよねぇ、ないない、幻聴よ幻聴。
「えっと……じゃあ、あたしはアンタの事はせん「パンツくれ!」早口で言っても聞こえてんのよッ!!」
「ほぐぅッ!!」
あたしの拳がコイツの頬にめり込んだ。
あ……またやっちゃった。けど、あたし悪くないわよね? ね?
「お、おい旋焚玖!? 大丈夫か!?」
もう一人の男子が心配そうに駆け寄る。
あたしもあたしで、拳を引っ込めるタイミングを見失ってしまった。
「……こにょかぎりゃれた条件下で放ったパンちゅ……こうまで体重をにょせるとはにゃかにゃか…」
「はぁ?」
めり込ませたまま、なんか言ってる。
しかも今度はパンツじゃなくてパンちゅって言ったわよね? なにこの変態、どれだけパンツ好きなのよ、引くわー。
「そ、そうか…! 分かったぜ、旋焚玖!」
え?
この変態が何言ってたか分かったの?
「まだ緊張の解けていない転校生を怒らせた上で、敢えて殴らせる事によってリラックスさせるのが目的だったんだな!?」
「え、そうなの?」
ようやく拳を引っ込めるタイミングが出来た。
「……そうだよ」
「なんか間があったんだけど?」
「気のせいだ」
「ふーん……」
確かに緊張が解れたのは間違いなかった。
これがあたしと旋焚玖との出会い。
.
...
......
あれから早くも数ヶ月が経ち、旋焚玖を含めてクラスの皆とも仲良くなれた。特にその中でも一番気が合ったのは一夏だった。一夏と一緒に居る時が一番楽しい。そう思っていたあたしの中で、1つの転機が訪れた。
それはある日の事。
「おーい、リンリーン、リンリーン!」
「今日はナイト様は居ないのかぁ? ヒヒヒッ!」
「いないアルヨ、今日は織斑は休みアルヨ」
ちっ……嫌な奴らに会っちゃった。
昼休みも終わり、掃除をしていると他のクラスの男子達があたしに声を掛けてきた。と言っても、友好的なノリじゃない。別にイジメとまではいかないけど、普通にからかってくるのだ。
鬱陶しい事この上ない。
外国人ってだけで、まるで物珍しいモノを見る目でコイツらは接してくる。中国人だからって語尾にアルアル付けないわよ、ほんと腹立つわ…!
コイツらも滅多には絡んでこないんだけど、今日は違う。一夏が体調不良で学校を休んでいるんだ。
前に一度、今みたいな場面にたまたま一夏が遭遇して、その時にコイツらに向かって大立ち回りしてからは、なりを潜めていたんだけど……今日は一夏が居ない……コイツらからしたら、あたしをからかう絶好のチャンスって訳だ。
「よぉよぉ、リンリンよぉ!」
「おめぇパンダみてぇな名前してんだし、笹食うんだろ?」
「食うアル。リンリンは笹を食うアルヨ」
うっっっっ…ざいわねぇ!
でも我慢よ。
変に反応したら、それだけコイツらは面白がって騒ぐんだ…!
鈴は自制して反応しない。
だが、その強気とも取れる少女の姿が、少年たちをますます付け上がらせるモノでもあった。1人の少年が鈴の髪を掴もうと手を伸ばす。
「……ッ、ちょっ、や、やめてよ!」
「いやだよ~ん!」
もう少しであたしの髪が掴まれてしまう。
その時だった。
「……オイ、俺の女に何してやがる」
「え?」
現れたのは、いつも飄々とクラスでもおちゃらけて、何かとあたしにセクハラしてくる騒がしい変態……旋焚玖だった。でも、それよりも驚いたのは、あたしをからかっていた3人の反応だった。
「「「 ゲェーッ!! せ、旋焚玖だぁッ!? 」」」
「えぇ?」
な、なにコイツらのこの驚きよう……ううん、なんか…ビビッてる…?
「……って、誰がお前の女よ!?」
「気にするな」
いや気にするでしょ!?
なに真顔で捏造発言してくれてんのよ!?
「……で、お前らまだ懲りてなかったのか?」
ちょっ、無視すんじゃないわ……ッ…な、なに、この……旋焚玖から感じるプレッシャーは…!
「お、お前のダチって知らなかったんだよ!」
「そうだよ!」
「も、もうコイツはからかわないから! なっ、なっ!」
威勢のよかった3人の腰が目に見えて引けている。あたしは何が何やらで、この状況を見守るしかなかった。
そんなアイツらへ、旋焚玖が一歩前に出る。
「ならさっさと立ち去れ…! 早くしろッ! 間に合わなくなってもしらんぞぉッ!!」
「ひぃぃッ……ふぎゃッ!」
走り出した3人のうち1人が躓いてしまった。
「あ、バカ!?」
「何やってんだお前!?」
3人がモタモタしている間に、更に一歩、旋焚玖は歩を進める。そして、悲しそうな表情を浮かべて……拳を振るった。
自分の顔に。
「えぇぇぇッ!? な、何してんのよアンタぁ!? 何で自分を叩いて……ッ、ちょっ、凄い血が出てるじゃない!」
「「「 ひぃぃ、またあんなに血が出てるぅ…」」」
また!?
またって何よ!?
前にもこんな事があったの!?
旋焚玖はあたし達の言葉に意を介さず、ダラダラ血を垂れ流しながら、口をモゴモゴさせ……何かを3人にも見えるようにペッと吐き出した。
地面に吐き出されたソレは…?
「「「 ヒッ!! 」」」
「……これで2本目の奥歯だ、あァ…? すげぇ痛ェんだぞ……ホントのホントに痛いんだぞ、なァ……なァッ!!」
「「「 ひぃぃぃぃッ!! 」」」
旋焚玖の一喝を受け、今度こそ3人は逃げるのだった。
あたしは頭がこんがらがって、身動きが取れずにいた。
「…………………いたい」
「……ハッ…! ちょっ、アンタ、大丈夫なの!?」
「大丈夫だ」
「嘘よ! 痛いって言ってたじゃん!」
「言ってない」
「言ったわよ! ほら、涙目になってるじゃない!」
「涙目のルカ」
「こんな時にまで意味不明な事言ってんじゃないわよ!」
その後はもう、てんわやんわだった。
大急ぎで保健室にコイツを連れて行き、保健の先生に「またお前やったのか!?」とめちゃくちゃ怒られる旋焚玖。ああ、2本目とか言ってたもんね……。
治療が終わった後、あたしはコイツに聞いてみた。どうしてあんな事をしたのか。
「一夏が言ってたわよ? アンタ、実はめちゃくちゃ強いんでしょ?」
「ん、まぁな」
「なら、どうして? どうして自分の顔なんて殴ったのよ?」
「……知らん」
「はぁ?」
「俺にも分からん! 以上ッ!」
「い、以上ってアンタ……」
分かんない訳ないでしょ!
自分でした行動なんだし、絶対コイツには理由があるに違いないわ…! 理由……コイツがわざわざ自分を傷つけてみせた理由……も、もしかして…!
「もしかして……あたしにこれ以上、アイツらの矛先を向けさせない、ため……?」
お、驚いた顔してる……あたしが正解にたどり着かないと思ってたのね…!
「バカにしないでよ? あたしだってそれくらい分かるわ! そうなんでしょ!?」
「……そうだよ」
「なんか間があったんだけど?」
「気のせいだ」
「ふーん……」
何か前にもこんなやり取りしたような……気のせいかしら。それともう1つ、気になっている事がある……それはコイツが言った事。
『俺の女に何してやがる』
こ、これってどういう意味…?
そういう意味って事、なの…?
コイツ、あたしの事が好きだったの…?
そんな素振り今まで全然……ハッ……! 素振り、あった…! コイツ、毎日毎日あたしにパンツくれって言ってくるじゃない! それってやっぱりあたしが好きだからなの!? そう考えるとしっくりきちゃうじゃない!
「おう、鈴、さっさと教室戻ろうぜ」
「え、ええ」
聞くタイミング、逃しちゃった。
あたしはどうしたら良いんだろう……あたしは……。
あたしはこの日から、コイツの事をちゃんと旋焚玖って呼ぶようになった。
.
...
......
旋焚玖があの言葉について触れる事はとうとうなかった。あたしもあたしで、自分から聞いたら負けたような気がして聞かなかった。
旋焚玖とあたしと一夏。
何だかんだ、あたし達は3人でよく居たと思う。それは中学に上がっても同じだった。新しい友達がそこに増えただけ。
旋焚玖がバカやって、一夏がフォローして、あたしも皆も笑って。ずっとそんな日々がこれからも続くと思っていたけど……2年生の終わりに、あたしは中国へ帰る事になった。
「……旋焚玖、話があるの」
中国に帰る前、あたしは旋焚玖を呼び出した。
これは告白ですね、間違いない。(ネタバレ)