旋焚玖が篠ノ之道場に通いだして1年の月日が流れた。今日も今日とて柳韻さんから、修行という名の拷問を受けていたが、アイツはまるで涼しい顔で、むしろ機械のような表情を保ちつつ黙々と受けていた。
「……やはり私の眼に狂いはなかった」
アイツは初見で私の心を全て見透かした男なんだ。武道が初心者というのは正直驚いたが、それでも……いや、それだからこそ私は旋焚玖という少年を尊敬している。
「どうしたね、千冬くん?」
「あっ、柳韻さん! 旋焚玖はもう帰りましたか?」
「ああ。元気良く走って帰っていったよ。この後の予定を聞いたら『今日の稽古の復習が待っています』だとさ。いやはや、さりげに言ってみせるところが彼らしい」
それは、もうアイツの中で稽古が日常化している事に他ならない。普通の人間なら『練習』や『稽古』といえば気合いを入れるところだ。さぁ、今からやるぞ、と。頭と身体のスイッチを切り替えるものだ。
だがそれは、『稽古』を無意識に非日常的なモノとして扱っているとも言える。わざわざスイッチを切り替えて、頭と身体に熱を滾らせないと出来ないモノだと言っているようなものだ。
旋焚玖は違う。
アイツはいちいち熱するような事はしない。スイッチを切り替えずとも身体が勝手に動くのだろう。それは武術と共生出来ている証拠だ。
「しかし、柳韻さんの修行に1年続きましたか、アイツめ……」
「千冬くんは半年で耐えられなかったのにな」
「うっ……わ、私はいいんです…! それで……実際のところ、柳韻さんから見て旋焚玖はどうですか?」
「……千冬くんとウチの長女がダイヤモンドなら、箒と一夏くんはエメラルドに値する才能を持っている。君たち4人と比較すれば、彼なんて道端にある石っころだな。それほど、技量面においては才能の欠片もない」
旋焚玖には聞かせたくない辛辣な言葉だが、それに関しては私も同意見だと言わざるを得ない。
「実際、彼の習得スピードは凡才だ。千冬くんが1時間でマスター出来るモノでも、彼なら平気で3日は掛かってしまう……が」
ニヤリと柳韻さんが口角を上げる。
その後に続く言葉を、既に予測できた私も釣られて笑みを浮かべた。
「旋焚玖は止まらないのだ。どれだけ時間が掛かろうとも、必ず最後までやり遂げる。千冬くんも知っている事だろうが、武道の鍛錬は地味だ。柔術になると特にな。地味な割に内容は濃く、心身共かなり酷使される」
にもかかわらず、旋焚玖は続けられる。嫌な顔一つせず、文句の一言もなく、淡々とこなしてしまう。これを強さと言わず何と言う?
「技量など後から幾らでも身に付く。ワシが惚れたのは彼の折れない心胆にこそある」
「同感です」
フッ……練習好きのアイツの事だ。
今頃、自宅へと向かいつつも、脳内では稽古の反復でもしているのだろうな。
【もしかしたら足下に埋蔵金が埋まっているかもしれないので、素手でアスファルトを掘ってみる】
【家まで逆立ち歩きで帰る】
「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ッ!!」
.
...
......
「話は変わりますが、束は旋焚玖の事を知っているのでしょうか?」
渋い顔をされた。この様子じゃ、もうずっと会話もしていないのだろう。
篠ノ之家には箒の他にもう1人、長女と呼べる奴がいる。私と同い年で同じIS学園に通う幼馴染だ。自他共に認める天才だが、性格に問題がありすぎて天災と呼ばれてしまっている。
「……知らないだろう。あの子が道場へ顔を出さなくなって何年になるか……いや、その方が良いのかもしれん」
「そうですか? 旋焚玖と会えばアイツの人見知りな性格も、少しはマシになると思ったのですが」
「千冬くんはアレを人見知りと判断するのかね?」
柳韻さんは苦笑いだ。
私も人見知りと表現したが、アイツのアレはそんな範疇にもはや収まっていない。私の幼馴染は天才を自負しているからなのか、興味のないモノには恐ろしい程までに無関心を貫く。それがたとえ、血を分けた親子であっても。
「束と最後に話したのは……それすらもワシは覚えていないのだよ。箒や千冬くんから聞いている限り、楽しそうにやっているらしいが」
寂しそうにフッと笑う。
それほどまでに、2人の関係は冷えてしまっているのだ。
「……で、千冬くんは束に旋焚玖くんを会わせたいと?」
「ええ、まぁ」
「ワシは正直、賛成しかねるな」
「……理由を伺っても?」
「あの子は気に入った相手には一切の壁を無くす。この道場で言えば千冬くんと箒……あとは一夏くんくらいか」
枠を世界に広げてもこの3人だけだろうが、と心の中で訂正しておく。
「柳韻さんは旋焚玖じゃ束の興味は引けないと?」
「さてなぁ……ワシは束じゃないんだ。正直、アレの考えている事は分からんのだよ」
言葉を濁すという事は、柳韻さんも束が旋焚玖に対して、絶対に無関心を決め込むとは思っていないのだろう。
それなら何故?
「いきなりだが、『好き』の反対は本当に『嫌い』で正解かね?」
「……聞いた事はあります。確か『無関心』でしたっけ?」
『好き』の反対は『嫌い』ではなく『無関心』。
何かの雑誌で読んだ記憶がある。
「よく知っておるな。なら『無関心』の反対はどうなる?」
禅門答か…?
柳韻さんが何を言いたいのか、伝わってこない。そもそも『好き』の反対が『無関心』であると表現するのなら『無関心』の反対も『好き』に収まって当然なのでは……?
「本当に『好き』だけか? 対象が人間ならどうなる? 『嫌い』な人間に関心を持たない保証は? もしも悪い印象を持って関心を持ってしまったら?」
「ッ……そういう事ですか…!」
束が旋焚玖に興味を持ったとして、どうしてそこで良い意味に落ち着く? アイツは興味のない人間には冷酷なまでに無関心を貫く。言葉を替えれば、アイツからは何も相手に行動を起こさないという事だ。
だが、悪い意味で興味を持ってしまったら? 旋焚玖に対して、もしも良くない感情を抱いてしまったら? 束は『嫌いな人間』には、一体どんな行動を起こすんだ……? 分からない……分からないからこそ、怖くなってきた。
「柳韻さん……私が浅慮でした。無理に束と旋焚玖を会わす事はヤメておきます」
「ふむ……旋焚玖と束が交わる運命であるなら、ワシらがお膳立てする必要はあるまい。1年も通っているのに、それでも出会っていないという事は、今はまだ2人は出会うべき時ではないのだろう」
出会うべき時ではない…か。
運命の存在など私は信じてはいないが、柳韻さんの言葉には重みがある。納得は出来ないが、理解は出来た。
今はまだその時ではないのだな……。
(……ふーん、ちーちゃんがそこまで買ってる人間かぁ……へぇ…ほぉ~…?)
話し込むあまり、千冬と柳韻は気付く事が出来なかった。
渦中の人物が途中から聞いていた事を。
(洗濯?だっけ……会うだけ会ってみようかなぁ……でも、つまんなかったら…うーん…………あ、洗濯機に流しちゃおう♪)
ウサ耳のカチューシャを揺らし、音もなく消えるのだった。
いい奴だったよなぁ、旋焚玖くんって。