「綺麗だな」
「ああ」
トウガの呟きに、柵に両肘を乗せて寄りかかるロイドが同意する。
彼らの眼前には、雲一つない晴れ晴れとした空模様と大海原が広がっており、降り注ぐ太陽光が海面に反射しキラキラと宝石のように輝いていた。
2人が現在いるのは、合衆国所属の連合王国本土行きの輸送船であった。
「まさか、戦争が続くとはなぁ…」
どうしてこうなったと言わんばかりに項垂れるロイド。
ライン戦線にて共和国主力を撃破した帝国は、首都を占領することに成功した。だが、残存していた共和国軍は抵抗の意思を消さず、態勢を立て直すために南方大陸の植民地へ逃れようとした。
それに対して帝国は――何もしなかった。投降を勧告することはおろか、追撃する素振りすらせず逃れていく残党の背を見送ったのである。
「どうやら帝国の参謀方は勝利の仕方は知っていても、
腕を組んで海原を眺めながら語るトウガの目は冷ややかであった。まるでこの場にいない者達を無能と罵りたいかのようであった。
聞いた話では、帝国の参謀将校らは終戦に向けた交渉すらする前に、こぞって酒宴を設けていたと言うではないか。トウガからしてみれば、何故そのような考えに至ったのか理解に苦しんだ。彼らは自ら捨てたのだ、勝利という最高の形で戦争を終わらせられる機会を永遠に。
「おかげで俺らも戦争に参加だ。やってらんねぇぜ」
深く溜息をつくロイド。帝国の犯した過ちの結果、逃れた共和国残党に協商連合残党も加わり、彼らは『自由共和国』を名乗り祖国を取り戻すため帝国に宣戦を布告した。帝国のこれ以上の拡大を恐れた連合王国上層部は、この動きに同調して対帝国戦への参加を決意、その準備に入る。
そしてトウガとロイドの祖国合衆国は、友好国である連合王国の要請を受け。以前より行っていたレンドリース等の物資の支援だけでなく、義勇兵の派遣も決定し、特派も実戦データの収集として予定通り参加することとなった。
「まぁ、これ以上は何を言ってもどうにもならん。やれることをやるだけだ」
「だな。んじゃ俺はネクストの整備してるわ」
そういって船内に戻っていくロイド。新機軸の技術を多数導入しているネクストは、最近になってどうにか実戦に耐えられる状態となったが、未だ不安定な面が多く細かな調整が必要であった。
本来なら実戦に投入するのはまだ先の筈だったのだが、とある理由で予定より早められることとなったのだ。
「『ラインの悪魔』か」
1人となったトウガはある単語を漏らした。それは帝国のとあるネームドの異名であった。その存在が確認されたのは共和国との先端が開いた初期のライン戦線からであり、単騎で精鋭の航空魔導中隊を壊滅させる等の驚異的戦果を挙げ。確認されて僅かな帰還で五機撃墜すればエースと呼ばれる航空魔導士の世界で、撃墜スコア六十を叩きだし、いつしか帝国の武力の象徴として敵対国家を恐れさせた。
そして、そのラインの悪魔率いる航空魔導部隊によって、協商連合と共和国は甚大な被害を受け。対帝国戦への参加を決めた連合王国は、航空魔導戦力を抑えれば帝国の力を大きく削げると考え、合衆国に義勇兵は航空魔導士を中心として編成するよう要請してきた。
それを受けた合衆国軍部は、対ラインの悪魔用の戦力として、トウガとネクストの早期の投入を決定したのであった。
「(連合王国より提供された資料では、ラインの悪魔は年端のいかない幼子であったが…)」
そう、ラインの悪魔として畏怖の念を抱かれているのは、10代になったばかりと見られる幼女であったのだ。
映像でその姿を見た時は何かの冗談かと信じたかったが、合衆国に亡命してきた協商連合の軍人でラインの悪魔を目撃した者と話した際、彼はこう言っていた――
あれは幼女の皮を被った化け物だ――
怯えきった表情で話す彼を見て、それが真実だと確信したトウガ。それと同時にあんな幼子が戦争に駆り出されている現実の無常さに虚しさも感じていた。
「やはり戦争等するものではないな」
陰鬱になった気分を間際らわせるため、適当にデッキをぶらつくこうと決めるトウガ。なんとなく船の進行方向に合わせて歩くと、少しして船首に辿り着くと不意に足を止めた。
視線の先には本来は長いのであろう後ろ髪を団子状に纏めた金髪の女性がおり、その身は協商連合の軍服で包まれていた。彼女はトウガに気づいた様子はなく、船の侵攻方向を向いジッと立っていた。
日輪照らされたその姿は、まるで神話や伝承に出てくる聖女のような神々しさがあり、彼女のいる船首はまるで聖域のように見えて近づくのが躊躇われた。
「……」
引き返すべきかと考えていると、突風が吹いたので被っている軍帽が飛ばされないよう抑える。
「あ!」
だが、船首にいた女性は間に合わず軍帽が飛ばされてしまう。
「よっと」
風向きがトウガの正面からだったため、軍帽がこちらに向かって飛んでいき頭上を越えようとしたので手を伸ばして掴む。
視線を女性に戻すと、軍帽を追いかけようとこちらを向いており視線が合わさる。よく見ればラインの悪魔程ではないが幼さが残る顔立ちをしており、少女と言って差し支えない年齢だと見受けられた。虫も殺せないと言われても不思議でない雰囲気を纏い、教会で祈りを捧げているのが良く似合いそうであり、軍服を纏っているので酷く不釣り合いに見えてしまう。
「……」
そのことに驚愕と困惑で固まっていると、少女の視線が自分も手にある軍帽に向けられる。
「あの、ありがとうございます」
「ああ、海は突風が良く吹く、気をつけた方がいい」
少女に声をかけられハッと、現実に戻されたトウガは、少女に歩み寄り軍帽を手渡す。
「私、自由協商連合第一魔導連隊所属、メアリー・スー訓練生です」
「特別派遣魔導技術部所属、トウガ・オルフェス魔導中尉だ」
たどたどしい口調で名乗りながら、これまたたどたどしい動作で敬礼する少女――メアリーにトウガも返答する。
自由協商連合魔導連隊――協商連合から亡命してきた者達からの、志願者で構成された義勇兵の中核である魔導部隊のことである。
とはいえ。その構成員の大半はついこの間まで民間人として過ごしていた素人であり、彼女もその1人なのだろう。そんな彼女らの訓練は連合王国に到着してから行われるので、メアリーの未熟な動作も仕方のないことであった。
「……」
「あの、何か」
思わずまじましとメアリーの顔を見ていると、彼女は不思議そうに首を傾げる。
「いや、すまない。その失礼なことを聞くが、だいぶ若く見えるが君はいくつになる?」
「今年で15になりました」
15歳――それは義勇兵として参加できる最低年齢ではないか。魔導士になれるのは先天的に素質を持ったものだけなので、必要数を確保するため他の兵科より兵役可能年齢が低くされているのだ。
「…なぜ志願を?その年齢ならやれることはいくらでもあるだろうに」
年齢制限に関しては止むを得ない措置であって、大人の誰もが決して若い世代に戦争してほしいという訳ではなかった。
「志願した時にも良く言われました。でも、私にしかできないことで、お世話になっている合衆国の人達に恩返ししたかったんです。それに、私の力が少しでも早く戦争を終わらせることに役立てられれば、父みたいに犠牲になる人を減らせるかもと思って…」
「父君は軍人だったのかい?」
「はい、航空魔導士でした。でも、半月程前に帝国との戦いで…」
そう言って悲しそうに俯くメアリー。その両の手は強く握りしめられて震えていた。
「母君は反対されたのではないかね?」
「…凄く反対していました。合衆国でお世話になっていた祖母もです」
「…まさか、家出同然で志願したのか?」
「…はい」
俯いたまま弱弱しく答えるメアリーに、思わず天を仰ぐトウガ。できることなら、今すぐにでも親御さんの元に投げ返したい気分だった。
「なんと親不孝な…。夫殿を亡くされたばかりで、傷心されているだろう母君の側にいてあげるのが、君のすべきことだったのではないのかね?」
「それは、悪いことをしたと思っています。帰ったらちゃんと謝らろうって…」
腕を組んで強めの口調で言い聞かせるように語るトウガに、申し訳なさそうに俯くメアリー。
とは言っても、今更引き返すことなどできはしないことも事実なので。大きく深呼吸して心を落ち着かせるトウガ。
「すまないきつく言い過ぎた。君の言っていることも間違いではない、力を持つ者の義務――ノブレスオブリージュという考え方もあるからな」
「それ、父も同じことを言っていました。『魔導士は限られた者にしかなれない、そして自分にはその資格があった。だから国を、愛する人達を守れる軍人になった』って」
どこか懐かしさそうに胸に手を当てるメアリー。父親の言葉を噛みしめているのかもしれない。
「良き父君だな。軍人の鏡だ」
「はい、自慢の父です」
父親を褒められたのが余程嬉しいのか、花の咲いたような笑みを浮かべるメアリー。心から父を愛しているのだろう。
「ならばそんな父君を悲しませないよう。そして、ご家族に謝れるよう生き残らないとな」
彼女の肩に手を置いて言い聞かせるように語るトウガ。未来ある若ものが、大人の犯した罪で死んでほしくなかった。
「はい!」
それにメアリーは力強く答えるのであった。