|剣士《The Fencer》だが、それだけじゃない   作:星の空

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緊急事態………………

「後退!」

天之河の号令と共に、前衛組が一気に魔物達から距離を取る。

次の瞬間、完璧なタイミングで後衛六人の攻撃魔法が発動した。

巨大な火球が着弾と同時に大爆発を起こし、真空刃を伴った竜巻が周囲の魔物を巻き上げ切り刻みながら戦場を蹂躙する。足元から猛烈な勢いで射出された石の槍が魔物達を下方から串刺しにし、同時に氷柱の豪雨が上方より魔物の肉体に穴を穿っていく。

自然の猛威がそのまま牙を向いたかのような壮絶な空間では生物が生き残れる道理などありはしない。ほんの数十秒の攻撃。されど、その短い時間で魔物達の九割以上が絶命するか瀕死の重傷を負うことになった。

「よし! いいぞ! 残りを一気に片付ける!」

天之河の掛け声で、前衛組が再び前に飛び出していき、魔法による総攻撃の衝撃から立ち直りきれていない魔物達を一匹一匹確実に各個撃破していった。全ての魔物が殲滅されるのに五分もかからなかった。

戦闘の終了と共に、天之河達は油断なく周囲を索敵しつつ互いの健闘をたたえ合った。

「ふぅ、次で九十層か……この階層の魔物も難なく倒せるようになったし……迷宮での実戦訓練ももう直ぐ終わりだな」

「だからって、気を抜いちゃダメよ。この先にどんな魔物やトラップがあるかわかったものじゃないんだから」

「雫は心配しすぎってぇもんだろ?俺等ぁ、今まで誰も到達したことのない階層で余裕持って戦えてんだぜ?何が来たって蹴散らしてやんよ!それこそ魔人族が来てもな!」

感慨深そうに呟く天之河に雫が注意をすると、脳筋の坂上が豪快に笑いながらそんな事を言う。そして、天之河と拳を付き合わせて不敵な笑みを浮かべ合った。その様子に溜息を吐きながら、雫は眉間の皺を揉みほぐした。これまでも、何かと二人の行き過ぎをフォローして来たので苦労人姿が板に付いてしまっている。まさか、皺が出来たりしてないわよね?と最近鏡を見る機会が微妙に増えてしまった雫。それでも、結局、天之河達に限らず周囲のフォローに動いてしまう辺り、真性のお人好しである。

「檜山君、近藤君、これで治ったと思うけど……どう?」

周囲が先程の戦闘について話し合っている傍らで、香織は己の本分を全うしていた。すなわち、“治癒師”として、先程の戦闘で怪我をした人達を治癒しているのである。一応、迷宮での実戦訓練兼攻略に参加している十五名の中には、もう一人“治癒師”を天職に持つ女の子がいるので、今は、二人で手分けして治療中だ。

「……ああ、もう何ともない。サンキュ、白崎」

「お、おう、平気だぜ。あんがとな」

香織に治療された檜山が、ボーと間近にいる香織の顔を見ながら上の空な感じで返答する。見蕩れているのが丸分かりだ。近藤の方も、耳を赤くしどもりながら礼を言った。前衛職であることから、度々、香織のヒーリングの世話になっている檜山達だが、未だに、香織と接するときは平常心ではいられないらしい。近藤の態度は、ある意味、思春期の子供といった風情だが……檜山の香織を見る目の奥には暗い澱みが溜まっていた。それは日々、色濃くなっているのだが……気がついている者はそう多くはない。

二人にお礼を言われた香織は「どういたしまして」と微笑むと、スっと立ち上がり踵を返した。そして、周囲に治療が必要な人がいないことを確認すると、目立たないように溜息を吐き、奥へと続く薄暗い通路を憂いを帯びた瞳で見つめ始めた。

「…………まだ…………これからなんだよね………ハジメくん」

自身のアーティファクトである白杖を、まるで縋り付くようにギュッと抱きしめる香織の姿を見て、雫はたまらず声をかけようとした。と、雫が行動をおこす前に、ちみっこいムードメイカーが、不安に揺れる香織の姿など知ったことかい! と言わんばかりに駆け寄ると、ピョンとジャンプし香織の背後からムギュッと抱きついた。

「カッオリ~ン!!そんな野郎共じゃなくて、鈴を癒して~!ぬっとりねっとりと癒して~」

「ひゃわ!鈴ちゃん!どこ触ってるの!っていうか、鈴ちゃんは怪我してないでしょ!」

「してるよぉ!鈴のガラスのハートが傷ついてるよぉ!だから甘やかして!具体的には、そのカオリンのおっぱおで!」

「お、おっぱ……ダメだってば!あっ、こら!やんっ!雫ちゃん、助けてぇ!」

「ハァハァ、ええのんか?ここがええのんか?お嬢ちゃん、中々にびんかッへぶ!?」

「……はぁ、いい加減にしなさい、鈴。男子共が立てなくなってるでしょうが……立ってるせいで……」

だたのおっさんと化した谷口が人様にはお見せできない表情でデヘデヘしながら香織の胸をまさぐり、雫から脳天チョップを食らって撃沈した。ついでに谷口と香織の百合百合しい光景を見て一部男子達も撃チンした。頭にタンコブを作ってピクピクと痙攣している谷口を何時ものように中村恵里が苦笑いしながら介抱する。

「うぅ~、ありがとう、雫ちゃん。恥ずかしかったよぉ……」

「よしよし、もう大丈夫。変態は私が退治したからね?」

涙目で自分に縋り付く香織を、雫は優しくナデナデした。最近よく見る光景だったりする。雫は、香織の滑らかな髪を優しく撫でながらこっそり顔色を覗った。しかし、香織は、困った表情で、されど何処か楽しげな表情で中村に介抱される谷口を見つめており、そこには先程の憂いに満ちた表情はなかった。どうやら、一時的にでも気分が紛れたようだ。ある意味、流石クラスのムードメイカー谷口(おっさんバージョン)と、雫は内心で感心する。

「……頑張りましょう、香織」

雫が、香織の肩に置いた手に少々力を込めながら、真っ直ぐな眼差しを香織に向ける。それは、親友が折れないように活を入れる意味合いを含んでいた。香織も、そんな雫の様子に、自分が少し弱気になっていたことを自覚し、両手で頬をパンッと叩くと、強い眼差しで雫を見つめ返した。

「うん。ありがとう、雫ちゃん」

雫の気遣いが、どれだけ自分を支えてくれているか改めて実感し、瞳に込めた力をフッと抜くと目元を和らげて微笑み、感謝の意を伝える香織。雫もまた、目元を和らげると静かに頷いた。……傍から見ると百合の花が咲き誇っているのだが本人たちは気がつかない。天之河達が何だか気まずそう視線を右往左往させているのも雫と香織は気がつかない。だって、二人の世界だから。

「今なら……守れるかな?」

「そうね……きっと守れるわ。あの頃とは違うもの……レベルだって既にメルド団長達を超えているし……でも、ふふ、もしかしたら彼の方が強くなっているかもしれないわね?あの時だって、結局、私達が助けてもらったのだし」

「ふふ、もう……雫ちゃんったら……」

南雲との再開を信じて、今度こそ守れるだろうかと今の自分を見下ろしながら何となく口にした香織に、雫は冗談めかしてそんな事をいう。実は、ずばり的を射ており、後に色んな意味で度肝を抜かれるのだが……そのことを知るのはもう少し先の話だ。

ちなみに、この場にいるのは光輝、龍太郎、雫、香織、鈴、恵里の他、永山重吾を含める五人及び檜山達四人、良公達6人と涼愛を除いた平野達5人の26人であり、メルド団長達は七十層で待機している。実は七十層からのみ起動できる三十層と七十層をつなぐ転移魔法陣が発見され、深層への行き来が楽になったのであるが、流石にメルド達でも七十層より下の階層は能力的に限界だった。もともと、六十層を越えたあたりで、天之河達に付き合える団員はメルドを含めて僅か数人だった。七十層に到達する頃には、彼等は既に天之河達の足を引っ張るようになっていたのである。

メルドも、そのことを自覚しており、迷宮でのノウハウは既に教えきっていたこともあって、自分達は転移陣の周囲で安全地帯の確保に努め、それ以降は天之河達だけで行くことにさせたのだ。

たった四ヶ月ほどで超えられたことにメルドは苦笑い気味だったが、それでも天之河達に付き合う過程で、たとえ七十層でも安全を確保できるほどの実力を自分達もつけられたことに喜んでいた。彼らもまた実力を伸ばしていたのである。

涼愛に至っては、

 

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「なに?雷王の先公に出した任務から雷王の先公が戻って来ないじゃと?彼奴また性懲りも無く寄り道しおって……ちと連れ戻しに行ってくるわ。」

 

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と、雷王の先公を探しに出ていき、今はここにいない。

「そろそろ、出発したいんだけど……いいか?」

天之河が、未だに見つめ合う香織と雫におずおずと声をかける。以前、香織の部屋で香織と雫が抱き合っている姿を目撃して以来時々挙動不審になる天之河の態度に香織はキョトンとしているが、雫はその内心を正確に読み取っているのでジト目を送る。その目は如実に「いつまで妙な勘違いしてんの、このお馬鹿」と物語っていた。

雫の視線に気づかないふりをしながら、天之河はメンバーに号令をかける。既に八十九層のフロアは九割方探索を終えており後は現在通っているルートが最後の探索場所だった。今までのフロアの広さから考えてそろそろ階下への階段が見えてくるはずである。

その予想は当たっており、出発してから十分程で一行は階段を発見した。トラップの有無を確かめながら身長に薄暗い螺旋階段を降りていく。体感で十メートルほど降りた頃、遂に天之河達は九十層に到着した。

一応、節目ではあるので何か起こるのではと警戒していた天之河達。しかし、見た目、今まで探索してきた八十層代と何ら変わらない作りのようだった。さっそくマッピングしながら探索を開始する。迷宮の構造自体は変わらなくても、出現する魔物は強力になっているだろうから油断はしない。

警戒しながら、変わらない構造の通路や部屋を探索してく天之河達。探索は順調だった。だったのだが、やがて、一人また一人と怪訝そうな表情になっていった。

「……どうなってる?」

一行がかなり奥まで探索し大きな広間に出た頃、遂に不可解さが頂点に達し、表情を困惑に歪めて天之河が疑問の声を漏らした。他のメンバーも同じように困惑していたので、天之河の疑問に同調しつつ足を止める。

「……何で、これだけ探索しているのに唯の一体も魔物に遭遇しないんだ?」

既に探索は、細かい分かれ道を除けば半分近く済んでしまっている。今までなら散々強力な魔物に襲われてそう簡単には前に進めなかった。ワンフロアを半分ほど探索するのに平均二日はかかるのが常であったのだ。にもかかわらず、天之河達がこの九十層に降りて探索を開始してから、まだ三時間ほどしか経っていないのに、この進み具合。それは単純な理由だ。未だ一度もこのフロアの魔物と遭遇していないからである。

最初は、魔物達が天之河達の様子を物陰から観察でもしているのかと疑ったが、彼等の感知系スキルや魔法を用いても一切索敵にかからないのだ。魔物の気配すらないというのは、いくら何でもおかしい。明らかな異常事態である。

「………なんつぅか、不気味だな。最初からいなかったのか?」

坂上と同じように、メンバーが口々に可能性を話し合うが答えが見つかるはずもない。困惑は深まるばかりだ。

「……光輝。一度、戻らない?何だか嫌な予感がするわ。メルド団長達なら、こういう事態も何か知っているかもしれないし」

雫が警戒心を強めながら、天之河にそう提案した。天之河も、何となく嫌な予感を感じていたので雫の提案に乗るべきかと考えたが、何らかの障碍があったとしてもいずれにしろ打ち破って進まなければならないし、八十九層でも割りかし余裕のあった自分達なら何が来ても大丈夫ではないかと考えて、答えを逡巡する。

天之河が迷っていると、不意に、辺りを観察していたメンバーの何人かが何かを見つけたようで声を上げた。

「これ……血……だよな?」

「薄暗いし壁の色と同化してるから分かりづらいけど……あちこち付いているよ」

「おいおい……これ……結構な量なんじゃ……」

表情を青ざめさせるメンバーの中から永山が進み出て、血と思しき液体に指を這わせる。そして、指に付着した血をすり合わせたり、匂いを嗅いだりして詳しく確認した。

「天之河……八重樫の提案に従った方がいい……これは魔物の血だ。それも真新しい」

「そりゃあ、魔物の血があるってことは、この辺りの魔物は全て殺されたって事だろうし、それだけ強力な魔物がいるって事だろうけど……いずれにしろ倒さなきゃ前に進めないだろ?」

天之河の反論に、永山は首を振る。永山は、坂上と並ぶクラスの二大巨漢ではあるが、坂上と違って非常に思慮深い性格をしている。その永山が、臨戦態勢になりながら立ち上がると周囲を最大限に警戒しながら、天之河に自分の考えを告げた。

「天之河……魔物は、何もこの部屋だけに出るわけではないだろう。今まで通って来た通路や部屋にも出現したはずだ。にもかかわらず、俺達が発見した痕跡はこの部屋が始めて。それはつまり……」

「……何者かが魔物を襲った痕跡を隠蔽したってことね?」

あとを継いだ雫の言葉に永山が頷く。天之河もその言葉にハッとした表情になると、永山と同じように険しい表情で警戒レベルを最大に引き上げた。

「それだけ知恵の回る魔物がいるという可能性もあるけど……人であると考えたほうが自然ってことか……そして、この部屋だけ痕跡があったのは、隠蔽が間に合わなかったか、あるいは……」

「ここが終着点という事さ」

天之河の言葉を引き継ぎ、突如、聞いたことのない女の声が響き渡った。男口調のハスキーな声音だ。天之河達は、ギョッとなって、咄嗟に戦闘態勢に入りながら声のする方に視線を向けた。

コツコツと足音を響かせながら、広い空間の奥の闇からゆらりと現れたのは燃えるような赤い髪をした妙齢の女。その女の耳は僅かに尖っており、肌は浅黒かった。

天之河達が驚愕したように目を見開く。女のその特徴は、天之河達のよく知るものだったからだ。実際には見たことはないが、イシュタル達から叩き込まれた座学において、何度も出てきた種族の特徴。聖教教会の掲げる神敵にして、人間族の宿敵。そう……

「……魔人族」

魔人族が現れたのだ。

誰かの発した呟きに、魔人族の女は薄らと冷たい笑みを浮かべた。

天之河達の目の前に現れた赤い髪の女魔人族は、冷ややかな笑みを口元に浮かべながら、驚きに目を見開く天之河達を観察するように見返した。

瞳の色は髪と同じ燃えるような赤色で、服装は艶のない黒一色のライダースーツのようなものを纏っている。体にピッタリと吸い付くようなデザインなので彼女の見事なボディラインが薄暗い迷宮の中でも丸分かりだった。しかも、胸元は大きく開いており、見事な双丘がこぼれ落ちそうになっている。また、前に垂れていた髪を、その特徴的な僅かに尖った耳にかける仕草が実に艶かしく、そんな場合ではないと分かっていながら幾人かの男子生徒の頬が赤く染まる。

「勇者はあんたでいいんだよね?そこのアホみたいにキラキラした鎧着ているあんたで」

「あ、アホ……う、煩い!魔人族なんかにアホ呼ばわりされるいわれはないぞ!それより、なぜ魔人族がこんな所にいる!」

あまりと言えばあまりな物言いに軽くキレた天之河が、その勢いで驚愕から立ち直って魔人族の女に目的を問いただした。

しかし、魔人族の女は、煩そうに天之河の質問を無視すると心底面倒そうに言葉を続ける。

「はぁ~、こんなの絶対いらないだろうに……まぁ、命令だし仕方ないか……あんた、そう無闇にキラキラしたあんた。一応聞いておく。あたしらの側に来ないかい?」

「な、なに?来ないかって……どう言う意味だ!」

「呑み込みが悪いね。そのまんまの意味だよ。勇者君を勧誘してんの。あたしら魔人族側に来ないかって。色々、優遇するよ?」

 誰かの発した呟きに、魔人族の女は薄らと冷たい笑みを浮かべた。

天之河達としては完全に予想外の言葉だったために、その意味を理解するのに少し時間がかかった。そして、その意味を呑み込むとクラスメイト達は自然と光輝に注目し、天之河は呆けた表情をキッと引き締め直すと魔人族の女を睨みつけた。

「断る!人間族を……仲間達を……王国の人達を……裏切れなんて、よくもそんなことが言えたな!やはり、お前達魔人族は聞いていた通り邪悪な存在だ!わざわざ俺を勧誘しに来たようだが、一人でやって来るなんて愚かだったな!多勢に無勢だ。投降しろ!」

天之河の言葉に、安心した表情をするクラスメイト達。天之河なら即行で断るだろうとは思っていたが、ほんの僅かに不安があったのは否定できない。もっとも、坂上や雫など幼馴染達は、欠片も心配していなかったようだが。

一方の、魔人族の女は、即行で断られたにもかかわらず「あっそ」と呟くのみで大して気にしていないようだ。むしろ、怒鳴り返す天之河の声を煩わしそうにしている。

「一応、お仲間も一緒でいいって上からは言われてるけど?それでも?」

「答えは同じだ!何度言われても、裏切るつもりなんて一切ない!」

お仲間には相談せず代表して、やはり即行で天之河が答える。そんな勧誘を受けること自体が不愉快だとでも言うように、天之河は聖剣を起動させ光を纏わせた。これ以上の問答は無用。投降しないなら力づくでも! という意志を示す。

後ろで、永山や雫が内心で舌打ちしつつ魔人族の女より周囲に最大限の警戒を行う。二人は場合によっては一度嘘をついて魔人族の女に迎合してでも場所を変えるべきだと考えていたのだが、その考えを天之河に伝える前に彼が怒り任せに答えを示してしまったので、仕方なく不測の事態に備えているのだ。

普通に考えて、いくら魔法に優れた魔人族とはいえ、こんな場所に一人で来るなんて考えられない。この階層の魔物を無傷で殲滅し、あまつさえその痕跡すら残さないなどもっと有り得ない。そんなことが出来るくらい魔人族が強いなら、はなから人間族は為すすべなく魔人族に蹂躙されていたはずだ。

それに、この階層に到達できるほどの人間族26人を前にしても魔人族の女は全く焦っていない。戦闘の痕跡を隠蔽したことも考えれば最初に危惧した通り、ここで待ち伏せしていたのだと推測すべきで、だとしたら地の利は彼女の側にあると考えるのが妥当だ。何が起きても不思議ではない。

そんな二人の危機感は、直ぐに正しかったと証明された。

「そう。なら、もう用はないよ。あと、一応、言っておくけど……あんたの勧誘は最優先事項ってわけじゃないから、殺されないなんて甘いことは考えないことだね。ルトス、ハベル、エンキ。餌の時間だよ!」

魔人族の女が三つの名を呼ぶのと、バリンッ!という破砕音と共に、雫と永山が苦悶の声を上げて吹き飛ぶのは同時だった。

「ぐっ!?」

「がっ!?」

二人を吹き飛ばしたものの正体は不明。魔人族の女の号令と共に、突如、天之河達の左右の空間が揺らいだかと思うと、“縮地”もかくやという速度で“何か”が接近し、何の備えもせず光輝と魔人族の女のやり取りを見ていたクラスメイト達に襲いかかったのだ。

最初から、最大限の警戒網を敷いていた雫と永山はその奇襲に辛うじて気がつき、咄嗟に、狙われている生徒をかばって見えない敵に防御態勢を取ったのである。

雫はスピードファイターであるため防御力は低い。そのため揺らぐ空間に対して抜刀した剣と鞘を十字にクロスさせて衝撃の瞬間を見計らい自ら後方に飛ぶことで威力を殺そうとした。しかし、相手の攻撃力が想像の遥か上であったため、防御を崩され腹部を浅く裂かれた上に肺の空気を強制的に排出させられる程強く地面に叩きつけられた。

永山は、“重格闘家”という天職を持っており、格闘系天職の中でも特に防御に適性がある。“身体強化”の派生技能で“身体硬化”という技能とお馴染みの“金剛”を習得しており、両技能を重掛けした場合の耐久力は鋼鉄の盾よりも遥かに上だ。自らの巨体も合わせれば、その人間要塞とも言うべき防御を突破するのは至難と言っていい。

だが、その永山でさえ“何か”の攻撃により防御を突破されて深々と両腕を切り裂かれ血飛沫を撒き散らしながら吹き飛び、たまたま後方にいた檜山達にぶつかって辛うじて地面への激突という追加ダメージを免れるという有様だった。

ガラスが割れるような破砕音は谷口が雫の臨戦態勢に合わせて予め唱えておいた障壁魔法を本能的な危機感に従って咄嗟に張ったものだ。場所はパーティーの後方。そこに“何か”あると感じたわけではなく、何となく雫と永山の位置からして自分は後方に障壁を展開するべきだとこれまた本能的あるいは経験的に悟ったからだ。その行動は極めて正しかった。谷口の障壁がなければ、三つ目の空間の揺らめきは、容赦なく永山のパーティーメンバーを切り裂いていただろう。

だが、味方を見事に守った代償に、障壁破砕の衝撃をモロに浴びて谷口もまた後方へ吹き飛ばされた。運良くすぐ後ろに中村がいたため、受け止めることに成功し事なきを得たが、ほかの雫と永山を切り裂いた二つの揺らめきと同じく、三つ目の揺らめきも直ぐさま追撃に動き出したため危機は未だ終わってはいない。

突然の襲撃に、反応しきれていないクラスメイト達を三つの揺らめきが切り裂かんと迫った、その瞬間、

「光の恩寵と加護をここに! “回天”“周天”“天絶”!」

香織がほとんど無詠唱かと思うほどの詠唱省略で同時に三つの光系魔法を発動した。

一つは、切り裂かれて吹き飛び、地面に叩きつけられた雫と永山を即座に癒す光系中級回復魔法“回天”。複数の離れた場所にいる対象を同時に治癒する魔法だ。痛みに呻きながら何とか起き上がろうともがく二人に淡い白光が降り注ぎ、尋常でない速度で傷が塞がっていく。

次いで、少しでも気を逸らせば直ぐに見失いそうな姿なき揺らめく三つの存在に雫達に降り注いだのと同じ淡い白光が降り注ぎ纏わりつく。すると、その光はふわりと広がって空間に光の輪郭が出現した。

光系の中級回復魔法“周天”。これは、いわゆるオートリジェネだ。回復量は小さいが一定時間ごとに回復魔法が自動で掛かる。この魔法は掛かっている間、魔力光が纏わりつくという特徴がある。香織は、その特性を利用し、回復効果を最小限にして正体不明の敵に使用することで間接的に姿を顕にしたのだ。

白光により現れた姿は、ライオンの頭部に竜のような手足と鋭い爪、蛇の尻尾と、鷲の翼を背中から生やす奇怪な魔物だった。命名するならやはりキメラだ。おそらく、迷彩の固有魔法を持っているのだろう。姿だけでなく気配も消せるのは相当厄介な能力ではあるが、行動中は完全には力を発揮出来ないようで、空間が揺らめいてしまうという欠点があるのは不幸中の幸いだ。

なにせ、クラスメイトの中でもトップクラスの近接戦闘能力を持つ雫と永山を一撃で行動不能に陥れたのだ。恐るべき敵である。この上、完全に姿を消せるとあっては、とても太刀打ち出来ない。今までの階層の魔物と比較すると明らかにこの階層の魔物のレベルを逸脱している。

そのキメラ三体は、纏わりつく光など知ったことかと追撃の爪牙を繰り出した。目標は、雫、永山、谷口の三人だ。だが、その爪牙が三人に届くことはなかった。なぜなら、三人の眼前にそれぞれ三枚ずつ光の盾が出現し、キメラの一撃で粉砕されながらも、微妙に角度をずらして設置していたために攻撃を間一髪のところで逸らしたからである。

光系の中級防御魔法“天絶”。“光絶”という光のシールドを発動する光系の初級防御魔法の上位版で、複数枚を一度に出す魔法だ。“結界師”である谷口などはこの魔法を応用して壊される端から高速でシールドを補充し続け、弱く直ぐに破壊されるが突破に時間がかかる多重障壁という使い方をしたりする。この点香織は、光属性全般に高い適正を持つものの、結界専門の鈴には及ばないためそのような使い方は出来ない。精々設置するシールドの微調整が出来る程度だ。

しかし、今回はそれが役に立った。谷口の強力な障壁が一撃で破壊された瞬間に、香織は、自分の障壁では役に立たないと悟り、攻撃をいなす方法を選択したのだ。もっとも、全く同じ攻撃が、予想通り来るとは限らないので、イチかバチかという賭けの要素が強かった。上手くいったのは幸運である。

攻撃をいなされた三体のキメラは、やや苛立ったように再度攻撃に移ろうとした。稼げた時間は一瞬。問題などないと。しかし、一瞬とはいえ、貴重な時間を稼げた事に変わりはない。その時間を天之河達が逃すはずはなかった。

「雫から離れろぉおお!!」

永山はいいのか?とツッコミを入れてはいけない。天之河は、怒りを多分に含ませた雄叫び上げながら“縮地”で一気に雫の近くにいたキメラに踏み込んだ。天之河の移動速度が焦点速度を超えて背後に残像を生み出す。振りかぶった聖剣が一刀のもとにキメラの首を跳ねんと輝きを増す。

同時に、坂上も永山を襲おうとしていたキメラへと空手の正拳突きの構えを取った。直接踏み込んで攻撃するより、篭手型アーティファクトの能力である衝撃波を飛ばしたほうが早いと判断したからだ。坂上から裂帛の気合が迸り、篭手に魔力が収束していく。

さらに、吹き飛ばされ谷口を受け止めていた中村が片手を突き出し、谷口と同様、危機感から続けていた詠唱を完成させ、強力な炎系魔法を発動させた。“海炎”という名の炎系中級魔法は、文字通り、炎の津波を操る魔法で分類するなら範囲魔法だ。素早い敵でも、そう簡単には避けられはしない。

天之河の聖剣が壮絶な威力と早さをもって大上段から振り下ろされる。坂上の正拳突きが、これ以上ないほど美しいフォームから繰り出され、それにより凄絶な衝撃波が砲弾のごとく突き進む。中村の死を運ぶ紅蓮の津波が目標を呑み込み灰塵にせんと迸った。

だが……

「「ルゥガァアアア!!」」

「グゥルゥオオオ!!」

一体どこに潜んでいたのか。光輝達の攻撃がまさに直撃しようかというその瞬間、三つの影が咆哮を上げながら光輝達へと襲いかかった。

「「ッ!?」」

突然の事態に天之河と坂上の背筋を悪寒が襲う。二体の影は、それぞれ天之河と坂上に猛烈な勢いで突進すると、手に持った金属のメイスを豪速をもって振り抜いた。

咄嗟に、天之河は剣の遠心力を利用して身を捻り、坂上は突き出した右手の代わりに引き絞った左腕をカチ上げて眼前まで迫っていたメイスを弾く。天之河はバランスを崩し地面をゴロゴロと転がり、坂上は、メイスを弾いた後の敵の拳撃による二撃目を受けて吹き飛ばされた。

天之河と坂上に不意を打ったのは体長二メートル半程の見た目はブルタールに近い魔物だった。しかし、いわゆるオークやオーガと言われるRPGの魔物と同様に、ブルタールが豚のような体型であるのに対して、その魔物は随分とスマートな体型だ。まさに、ブルタールの体を極限まで鍛え直し引き絞ったような体型である。実際、先程の不意打ちからしても、膂力・移動速度共にブルタールの比ではなかった。

一方、中村の方は直接攻撃を受けたわけではなかったが、受けた心理的衝撃の度合いはむしろ天之河達よりも強かった。なぜなら、押し寄せる炎の津波を、突如割り込んだ影が大口を開けたかと思うと一気に吸い込み始めたからだ。ヒュオオオ! という音と共に、みるみると広範囲に展開していた炎が一点へと収束し消えていく。その影が全ての炎を吸い込むのに十秒程度しか掛からなかった。

炎と熱気が消えた空間からは、体から六本の足を生やした亀のような魔物が姿を現した。背負う甲羅は、先程まで敵を灰に変えようと荒れ狂っていた炎と同じように真っ赤に染まっている。

と、次の瞬間、多足亀が炎を吸収しきって一度は閉じていた口を再びガパッと大きく開いた。同時に背中の甲羅が激しく輝き、開いた口の奥に赤い輝きが生まれる。まるで、エネルギーを集めて発射寸前のレーザー砲のようだ。

その様子を見た中村が、表情に焦りを浮かべた。魔法を放ったばかりで対応する余裕がないからだ。だが、その焦りは、腕の中の親友がいつも通りの元気な声で吹き飛ばした。

「にゃめんな!守護の光は重なりて 意志ある限り蘇る“天絶”!」

刹那、谷口達の前に十枚の光のシールドが重なるように出現した。そのシールドは全て、斜め四十五度に設置されており、シールドの出現と同時に、多足亀から放たれた超高熱の砲撃はシールドを粉砕しながらも上方へと逸らされていった。

それでも、継続して放たれる砲撃の威力は、先程のキメラの攻撃の上を行く壮絶なもので、一瞬にしてシールドを食い破っていく。谷口は歯を食いしばりながら詠唱の通り次々と新たなシールドを構築していき、“結界師”の面目躍如というべきか、シールドの構築速度と多足亀の砲撃による破壊速度は拮抗し辛うじて逸らし続けることに成功した。

逸らされた砲撃は、激震と共に迷宮の天井に直撃し周囲を粉砕しながら赤熱化した鉱物を雨の如く撒き散らした。

「ちくしょう!何だってんだ!」

「なんなんだよ、この魔物は!」

「くそ、とにかくやるぞ!」

そこまでの事態になってようやく檜山達や永山のパーティーが悪態を付きながらも混乱から抜け出し完全な戦闘態勢を整える。傷を負っていた雫や永山も完全に治癒されて、それぞれ眼前の見えるようになったキメラに攻撃を仕掛け始めた。

雫が、残像すら見えない超高速の世界に入る。風が破裂するような

 

ヴォッ!

 

という音を一瞬響かせて姿が消えたかと思えば次の瞬間にはキメラの真後ろに現れて、これまたいつの間にか納刀していた剣を抜刀術の要領で抜き放った。

“無拍子”による予備動作のない移動と斬撃。姿すら見えないのは単純な移動速度というより、急激な緩急のついた動きに認識が追いつかないからだ。さらに、剣術の派生技能により斬撃速度と抜刀速度が重ねて上昇する。鞘走りを利用した素の剣速と合わせれば、普通の生物には認識すら叶わない神速の一閃となる。

嘗て涼愛から教えられた技である。

先程受けた一撃のお返しとばかりに放たれたそれは八重樫流奥義が一“断空”。空間すら断つという名に相応しく、銀色の剣線のみが虚空に走ったかと思えば、次の瞬間には、キメラの蛇尾が半ばから断ち切られた。

「グゥルァアア!!」

怒りの咆哮を上げて振り向きざまに鋭い爪を振るうキメラ。しかし、その攻撃は虚しく空を切る。既に雫は反対側へと回り込んでいたからだ。そして二の太刀を振るい今度はキメラの両翼を切り裂いた。

「くっ!」

速度で翻弄し着実にダメージを与えていく雫。しかし、雫の表情は晴れず、それどころか苦虫を噛み潰したような表情で思わず声を漏らした。それは、思惑が外れたことが原因だった。雫は本当なら最初の一撃でキメラの胴体を両断するつもりだったのだが、寸でのところで蛇尾が割って入り斬撃が届かなかったのだ。二太刀目も胴体を切り裂くつもりが、斬撃が届くより一瞬早く身を屈められて両翼を切り裂くに留まってしまった。

キメラは、雫の速さに付いてこられていない。しかし、全く対応できないというわけでもなかったのだ。姿が消せる上、かろうじてとは言え雫の本気の速さに対応してくる反応速度。本当に難敵である。さっさと倒して他の救援に向かいたい雫としては、厄介なことこの上なかった。

その後も、三太刀目、四太刀目と剣を振るい、キメラの体に無数の傷をつけていくが、どれも浅く致命傷には遠く及ばない。それどころか、キメラは徐々に雫の速度を捉え始めているようだった。雫の表情に焦りが生まれ始める。

さらに、雫にとって、いや、雫達にとって悪いことは続く。

「キュワァアア!!」

突然、部屋にそんな叫びが響いたかと思うと、雫の眼前で両翼と蛇尾を切断されていたキメラが赤黒い光に包まれて、みるみる内に傷を癒していったのだ。香織の“周天”は、ほとんど意味がないほどに効果を落としてあるので、いくら浅い傷といえどそう簡単に治ったりはしない。雫は目を見開き、癒されていくキメラに注意しながら叫び声の方をチラリと見やった。

すると、いつの間にか高みの見物と洒落こんでいた魔人族の女の肩に双頭の白い鴉が止まっており、一方の頭が雫の方を、正確には雫の眼前にいるキメラに向いていたのだ。

「回復役までいるって言うの!?」

難敵にやっとの思いで傷を与えてきたというのにそれを即座に癒される。唯でさえ時間が経てば経つほど順応されて勝機が遠のくというのに、後方には優秀な回復役が待機している。あまりの事態に、思わず雫が悲鳴を上げた。

「うらァ!!!」

双頭の白い鴉に矢が放たれるが、ひょいっと飛んで避ける。

「ち、ちょこまかと!!!!!!!」

平野である。平野が弓で双頭の白い鴉を狙いいたのである。何故鴉を狙ったのかは聞かないでおこう。もしかしたら油断している魔人族の女の頭を穿てたというのに。

見れば、雫だけでなく、他の場所でも同じように悲痛な叫びを上げる仲間達がいた。

天之河の方も、支援を受けつつブルタールモドキと戦っていたようで、ブルタールの胴体には肩から腰にかけて深々と切り裂かれた痕がついていたのだが、その傷も白鴉の一方の頭が見つめながら叫び声を上げることで、まるで逆再生でもしているかのように癒されていく。

坂上や永山の方も同じだ。坂上が相手取っていた二体目のブルタールモドキは腹部が破裂したように抉れていたり片腕が折れていたりしたようだが、雫が相手取っていたキメラを癒していた白鴉の頭が同じように鳴くとみるみる癒されていき、永山の相手だったキメラも陥没した肉体の一部が直ぐさま癒されていった。

「だいぶ厳しいみたいだね。どうする?やっぱり、あたしらの側についとく?今なら未だ考えてもいいけど?」

天之河達の苦戦を、腕を組んで余裕の態度で見物していた魔人族の女が再び勧誘の言葉を光輝達にかけた。もっとも、答えなど分かっているとでも言うようにその表情は冷めたままだったが。そして、その予想は実に正しかった。

「ふざけるな!俺達は脅しには屈しない!俺達は絶対に負けはしない!それを証明してやる!行くぞ“限界突破”!」

魔人族の女の言葉と態度に憤怒の表情を浮かべた天之河は、再びメイスを振り下ろしてきたブルタールモドキの一撃を聖剣で弾き返すと、一瞬の隙をついて“限界突破”を使用した。

神々しい光を纏った天之河は、これで終わらせると気合を入れ直し、魔人族の女に向かって突進した。

 “限界突破”は、一時的に魔力を消費しながら基礎ステータスの三倍の力を得る技能である。ただし、文字通り限界を突破しているので、長時間の使用も常時使用もできないし、使用したあとは、使用時間に比例して弱体化してしまう。酷い倦怠感と本来の力の半分程度しか発揮できなくなるのだ。なので、ここぞという時の切り札として使用する時と場合を考えなければならない。

天之河は、魔物の強力さと回復が可能という事実に、このままでは仲間の士気が下がり押し切られると判断し、“限界突破”を使用して一気に白鴉と魔人族の女を倒そうと考えた。

天之河の“限界突破”の宣言と共に、その体を純白の光が包み込む。同時に、メイスの一撃を弾かれたブルタールモドキが天之河の変化など知ったことではないと、再び襲いかかった。

「刃の如き意志よ光に宿りて敵を切り裂け“光刃”!」

天之河は、ブルタールモドキにより振るわれたメイスを屈んで躱すと、聖剣に光の刃を付加させて下段より一気に切り上げた。

先程も、“光刃”を使って袈裟斬りにしたのだが、その時は、深手を与えるにとどまり戦闘不能にすることはできなかった。しかし、今度は“限界突破”により三倍に引き上げられたステータスと、光の刃の相乗効果もあってか、まるでバターを切り取るようにブルタールモドキの胴体を斜めに両断した。

一拍遅れて、ブルタールモドキの胴体が斜めにずれ、ドシャ! という生々しい音と共に崩れ落ちる。天之河は、踏み込んだ足をそのままに、一気に加速すると猛然と魔人族の女のもとへ突進した。

天之河と魔人族の女を隔てるものは何もない。いくら魔人族が魔法に優れた種族といえど、今更何をしようとも遅い。このまま、白鴉ともども切り裂いて終わりだ。誰もがそう思った。

その瞬間、

「「「「「グゥルァアアア!!!」」」」」

「なっ!?」

空間の揺らめきが五つ。咆哮を上げながら天之河に襲いかかった。四方を囲むように同時攻撃を仕掛けてきたキメラに、天之河は思わず驚愕の声を上げ眼を大きく見開いた。

咄嗟に、急ブレーキをかけつつ身をかがめ正面からの一撃を避けつつ右から襲い来るキメラを聖剣の一撃で切り伏せる。そして、身にまとった聖なる鎧の性能を信じて、背後からの攻撃を胴体部分で受けて死の凶撃を耐え凌ぐ。

だが、出来たのはそこまでだった。左から迫っていたキメラの爪に肩口を抉られ、その衝撃に吹き飛ばされているところへ包囲の外にいた最後の一体が飛びかかり両足の爪を天之河の肩に食い込ませて押し倒した。

「ぐぅう!!」

食いしばる歯の隙間から苦悶の声を漏らしながら、止めとばかりに首筋へ牙を突き立てようとするキメラの顎門を聖剣で辛うじて防ぐ。両肩に食い込む爪が、顎門を支える力を奪っていき限界突破中であるにもかかわらず上手く力を乗せられず、徐々に押されていく。

「光の恩寵よ、癒しと戒めをここに“焦天”!“封縛”!」

天之河のピンチを見た香織が、すかさず、光系の回復魔法を行使した。“焦天”一人用の中級回復魔法だ。先ほど使った複数人用の回復魔法“回天”より高い効果を発揮する。しかし天之河の両肩にはキメラの爪が食い込んでおり、このままでは癒すことができない。

なので同時発動により、光系の中級捕縛魔法“封縛”を行使する。“封縛”は、対象を中心に光の檻を作り出して閉じ込める魔法だ。香織は、その魔法を天之河(・・・)にかけた。天之河を中心に光の檻が瞬時に展開し、のしかかっていたキメラを弾き飛ばす。

両肩から爪が抜けたことにより、“焦天”が効果を十全に発揮して、瞬時に天之河の傷を癒していった。

同時に、谷口達を襲っていたキメラと多足亀の相手をしていた後衛組の何人かが、天之河を襲おうとしているキメラ達に向かって攻撃魔法を放った。ただそれなりに距離があることと香織の“周天”が施されていないために動いていても見えにくい事から狙いは甘く大したダメージは与えられなかった。

それでも、天之河が体勢を立て直す時間は稼げたようで、聖剣を構え直すと、治癒されながら唱えていた詠唱を完成させ反撃に出た。

「“天翔剣四翼”!」

振るわれた聖剣から曲線を描く光の斬撃が揺らめく空間四つに飛翔する。狙われたキメラ達は、“限界突破”により強化された天之河の十八番に危機感を抱いたのか、咄嗟にその場を飛び退いて回避しようとした。

だが、そこで、

「捕らえよ “縛印”!」

香織のほとんど無詠唱と言っていい程の短い詠唱により、光系中級捕縛魔法“縛印”が発動する。回避しようとしたキメラ達の足元から光の鎖が無数に飛び出し、首、足、胴体に絡みついた。キメラの力なら引きちぎることも難しくはないが、一瞬、動きを止められることは避けられない。

結果、四体のキメラは、天之河の“天翔剣”の直撃を受けて血飛沫を撒き散らしながら絶命した。

天之河は、魔人族の女に向き直ると聖剣を突きつけながら睨みつける。

「残念だったな。お前の切り札は俺達には通用しなかった。もう、お前を守るものは何もないぞ!」

天之河の言葉を受けた魔人族の女は、そんな天之河に怪訝そうな、というか呆れたような表情を向けた。内心、「なぜ、今更、そんなこと宣言する必要がある? そのまま、即行で切りかかればいいじゃない」と思っていたからだ。

天之河の方は、追い詰められているはずなのに、余裕の態度を崩さない魔人族の女に苛立っていた。最初のキメラ、次のブルタールモドキ、そして今のキメラ。その全てが奇襲であったことも、天之河を苛立たせる原因だ。「不意打ちばかり仕掛けて正々堂々と戦おうとしない。自分は高みの見物。何て卑怯なやつだ!」と。

「……別に、切り札ってわけじゃないんだけど」

「強がりを!」

「まぁ、強がりかどうかはこいつらを撃退してからにしたら?こっちは、“異教の使徒”とやらの力もある程度確認出来たから、もう用はないしね」

「なにをいっ『きゃぁああ!』ッ!?」

魔人族の女が面倒そうに髪をかき上げながらそんな事をいい、それに対して光輝が問いただそうとしたその時、後方から悲鳴が響き渡った。

思わず振り返った天之河の目に映ったのは、更に五体のブルタールモドキとキメラ、そして見たことのない黒い四つ目の狼、背中から四本の触手を生やした体長六十センチ程の黒猫が、一斉に仲間に襲いかかり、永山のパーティーの一人で彼の親友でもある野村健太郎が黒猫の触手に脇腹を貫かれている光景だった。悲鳴を上げたのは同じく永山のパーティーの一人である吉野真央だ。

「健太郎! くそっ、調子に乗るな!」

「真央、しっかりして! 私が回復するから!」

同じパーティーメンバーである遠藤浩介が、野村を貫く触手をショートソードで切り裂き、怒りの炎を宿した眼で黒猫を睨み斬りかかる。

野村が苦悶の声を上げながら崩れ落ちたことに茫然としている吉野に、やはり同じパーティーの辻綾子が叱咤の声を張り上げながら、直ぐさま治癒魔法を発動した。ちょうど、遠藤が受けた切り傷を癒そうと詠唱を完了していたのは幸いだった。

「なっ、まだあんなに!」

後方を振り返って、いつの間にか現れた新手に天之河が驚愕の声を漏らす。

「キメラの固有魔法“迷彩”は、触れているものにも効果を発揮する。その可能性を考えなかった?ほら、追加いくよ」

「ッ!?」

いきなり現れた大量の魔物に、劣勢を強いられる仲間。それを見て、天之河が急いで引き返そうとする。そんな天之河に、キメラの“迷彩”効果で隠れていただけだとタネ明かしをしながら、更に魔物をけしかける魔人族の女。彼女の背後から、四目狼と黒猫が十頭ずつ天之河目掛けて殺到する。

「くっ、ぉおお!」

黒猫の触手が途轍もない速度で伸長し、四方八方から天之河を襲った。天之河は聖剣を風車のように回転させ襲い来る触手の尽くを切り裂き、接近してきた黒猫の一体目掛けて横凪の一撃を放った。天之河の顔面を狙ったせいか、空中に飛び上がっていた黒猫には避けるすべはないはずだった。天之河も「まず一体!」と魔物の絶命を確信していた。

しかし、次の瞬間にその確信はあっさり覆される。何と黒猫が空中を足場に宙返りし、光輝の一撃を避けたのだ。そして、その体格に似合わない鋭い爪で天之河の首を狙った一撃を放った。

辛うじて頭を振り、ギリギリで回避した天之河だったが、体勢が崩れたため背後からの四つ目狼による強襲に対応できず、鎧の防御力と限界突破の影響で深手は負わなかったものの、勢いよく吹き飛ばされ元いた場所あたりまで戻されてしまった。

それに合わせて、明らかに逸脱した強さを持つ魔物達が追い詰めるように天之河達を包囲していく。全員必死に応戦しているが、一体ですら厄介な敵だというのに、それが一気に増えた上、連携までとってくる。しかも、一撃で絶命させなければ、即座に白鴉が回復させてしまう。

香織と、同じく“治癒師”の天職をもつ辻綾子と香織が二人がかりで味方を治癒し続けているからこそ何とか致命的な戦線の崩壊は避けられているが、状況を打開する決定打を打つことができない。

天之河が“限界突破”の力をもって敵を蹴散らそうとするが、魔物達も天之河に対しては常に五体以上が連携してヒット&アウェイを繰り返し決して無理をしようとしないので攻めきることができない。

雫の“無拍子”による高速移動も、速度に優れた黒猫と“先読”の固有能力をもつ四つ目狼の連携により対応され、手傷は負わせても致命傷を与えるには至らない。

必死に応戦しながらも、次第に、クラスメイト達の表情に絶望の影がちらつき始めた。そして、その感情は、魔人族の女の参戦により更に大きくなる。

「地の底に眠りし金眼の蜥蜴大地が産みし魔眼の主宿るは暗闇見通し射抜く呪いもたらすは永久不変の闇牢獄恐怖も絶望も悲嘆もなくその眼まなこを以て己が敵の全てを閉じる残るは終焉物言わぬ冷たき彫像ならばものみな砕いて大地に還せ!“落牢”!」

その詠唱が完了した直後、魔人族の掲げた手に灰色の渦巻く球体が出来上がり、放物線を描いて天之河達の方へ飛来した。速度は決して早くはない。今の天之河達の中に回避できないものなどいない。一見、何の驚異も感じない攻撃魔法だったが、それを見た先ほど腹を触手で貫かれた野村健太郎が、血を失ったために青ざめている顔に更に焦りの表情を浮かべて叫んだ。

「ッ!?ヤバイッ!谷口ィ!!あれを止めろぉ!バリア系を使え!」

「ふぇ!?りょ、了解!ここは聖域なりて神敵を通さず!“聖絶”!」

切羽詰った野村の指示に谷口が詠唱省略した光系の上級防御魔法を発動する。輝く障壁がドーム状となって天之河達全員を包み込んだ。もっとも、“聖絶”に敵味方の選別機能などないので、ドーム状の障壁の中には多くの魔物も取り込んでしまっている。“聖絶”は強力な魔法なだけあって消費魔力が大きい。なので、普段ならこんな無意味な使い方はしない。しかし、野村の叫びが、魔人族の女から放たれた魔法の危険性をこれでもかと伝えていたので、できる限り強力なバリア系の防御魔法として、咄嗟に“聖絶”を選んだのだ。

谷口が“聖絶”を展開した直後、灰色の渦巻く球体が障壁に衝突した。灰色の球体は、障壁を突破しようと見かけによらない凄まじい威力で圧力をかける。谷口は、突破させてなるものかと、自身の魔力がガリガリと削られていく感覚に歯を食いしばりながら必死に耐えた。

と、魔人族の女から命令でも受けたのか、魔物の動きが変化する。複数体が一斉に谷口を狙い始めたのだ。

「鈴!」

「谷口を守れ!」

中村が谷口の名を呼びながら魔法を放って接近するブルタールモドキを妨害する。谷口を中心に中村とは反対側でキメラや四つ目狼と戦っていた斎藤良樹と近藤礼一が、野村の呼びかけに応えて谷口の傍に駆けつけようとする。が、“聖絶”の維持で動けない谷口に、隙間を縫うようにして黒猫が一気に接近した。野村が、咄嗟に地面から石の槍を発動させて串刺しにしようとするが、黒猫は空中でジグザグに跳躍すると、身をひねりながら石の槍を躱し、触手を全本射出した。

「谷口ぃ!」

「あぐぅ!?」

野村が谷口の名を呼んで警告するが時すでに遅し。触手は、咄嗟に身をひねった谷口の腹と太もも、右腕を貫通した。更に捉えたまま横凪に振るって谷口の小柄な体を猛烈な勢いで投げ捨てた。

谷口は、血飛沫を撒き散らしながら、背中から地面に叩きつけられて息を詰まらせる。そして、呼吸を取り戻すと同時に激痛に耐え兼ねて悲鳴を上げた。

「あぁああああ!!」

「鈴ちゃん!」

「鈴!」

その苦悶の声を聞いて香織と中村が、思わず悲鳴じみた声で谷口の名を呼ぶ。直ぐさま、香織が回復魔法を行使しようと精神を集中するが、それより谷口の施した光り輝く結界が消滅する方が早かった。

「全員、あの球体から離れろぉ!」

野村が焦燥感に満ちた声で警告を発する。だが、谷口の鉄壁を誇った“聖絶”と今の今まで拮抗していた魔法だ。今更、その警告は遅すぎた。

結界が消滅し、勢いよく飛び込んできた灰色の渦巻く球体は、そのまま地面に着弾すると音もなく破裂し猛烈な勢いで灰色の煙を周囲に撒き散らした。

傍には、倒れて痛みにもがく谷口と駆けつけようとしていた斎藤と近藤、それに野村。灰色の煙は、一瞬で彼等を包み込む。魔物の影はない。着弾と同時に、一斉に距離をとったからだ。

灰色の煙はなおも広がり、光輝達をも包み込もうとする。

「来たれ風よ!“風爆”!」

天之河が、咄嗟に、突風を放つ風系統の魔法で灰色の煙を部屋の外に押し出す。

魔法で作り出された煙だからか、通常のものと違って簡単に吹き飛びはしなかったが、”限界突破”中の天之河の魔法は威力も上がっているので、僅かな拮抗の末、迷宮の通路へと排出することに成功した。

だが、煙が晴れたその先には……

「そんな、鈴!」

「野村くん!」

「斎藤!近藤!」

完全に石化し物言わぬ彫像となった斎藤と近藤、下半身を石化された谷口、その谷口に覆いかぶさった状態で左半身を石化された野村の姿があった。

斎藤と近藤は、何が起こったのかわからないという様なポカンとした表情のまま固まっている。谷口は、下半身を石化された事で更なる激痛に襲われたようで苦悶の表情を浮かべたまま意識を失っていた。

一方、谷口を庇いながら、それでもなお一番被害が軽微だった野村だが、やはり激痛に襲われているらしく食いしばった歯の奥から痛みに耐えるうめき声が漏れていた。野村の被害が軽かったのは、彼が“土術師”の天職持ちだからだ。土属性に天賦の才を持っており、当然、土系魔法に対する高い耐性も持っている。

魔人族の女が発動した魔法を瞬時に看破したのも、あの魔法が土系統の魔法で野村も勉強していたからだ。土系の上級攻撃魔法“落牢”。石化する灰色の煙を撒き散らす厄介な魔法だ。ほんの僅かでも触れれば、そこから徐々に侵食され完全に石化してしまう魔法で、対処法としては、バリア系の結界で術の効果が終わるまで耐えるか煙を強力な魔法で吹き飛ばすしかない。しかも、バリア系は上級レベルでなければ結界そのものが石化されてしまう上、煙も上級レベルの威力がなければ吹き飛ばすことが出来ないという強力なものだ。

「貴様!よくも!」

天之河が、仲間の惨状に憤怒の表情を浮かべる。天之河を包む“限界突破”の輝きがより一層眩い光を放ち始めた。今にも、魔人族の女に突貫しそうだ。

だが、そんな天之河をストッパーの雫が声を張り上げて諌める。そして、撤退に全力を注げと指示を出した。

「待ちなさい!光輝!撤退するわよ!退路を切り開いて!」

「なっ!?あんなことされて、逃げろっていうのか!」

しかし、仲間を傷つけられた事に激しい怒りを抱く天之河は、キッと雫を睨みつけて反論した。天之河から放たれるプレッシャーが雫にも降り注ぐが、雫は柳に風と受け流し、険しい表情のまま光輝を説得する。

「聞きなさい!香織なら、きっと治せる。でも、それには時間がかかるわ。治療が遅くなれば、手遅れになる可能性もある。一度引いて態勢を立て直す必要があるのよ!それに、三人欠けた上に、今、あんたが飛び出したら、次の攻勢に皆はもう耐えられない!本当に全滅するわよ!」

「ぐっ、だが……」

「それに、“限界突破”もそろそろヤバイでしょ?この状況で、光輝が弱体化したら、本当に終りよ!冷静になりなさい!悔しいのは皆一緒よ!」

理路整然とした幼馴染の言葉に、天之河は、唇を噛んで逡巡するが、雫が唇の端から血を流していることに気がついて、茹だった頭がスッと冷えるのを感じた。雫も悔しいのだ。思わず、唇を噛み切ってしまう程に。大事な仲間をやられて、出来ることなら今すぐ敵をぶっ飛ばしてやりたいのだ。

「わかった!全員、撤退するぞ!雫、龍太郎!少しだけ耐えてくれ!」

「任せなさい!」

「おうよ!」

天之河は、聖剣を天に突き出すように構えると長い詠唱を始めた。今までは、詠唱時間が長い上に状況の打開にならないので使わなかったが、撤退のための道を切り開くにはちょうどいい魔法だ。

ただし、詠唱中は完全に無防備になるので身の守りを雫と坂上に託さねばならない。それは、天之河が引き受けていた魔物も彼等が相手取らなければならないということだ。当然、雫と坂上の二人に対応しきれるはずもなく、必死に応戦しながらもかなりの勢いで傷ついていく。

「撤退なんてさせると思うかい?」

そんなことを呟きながら、魔人族の女が天之河達の背後にある通路にも魔物を回し退路を塞いでいく。そして、何やら詠唱を始めた天之河を標的に自らも魔法を唱えだした。

だが、そこで始めて魔人族の女にとって不測の事態が起こる。

「「「「「ガァアア!!」」」」」

「ッ!?なぜ!」

何と、味方のはずのキメラが五体、魔人族の女を襲ったのである。驚愕に目を見開きながら、咄嗟に、放とうとしていた魔法を詠唱省略して即時発動する。高密度の砂塵が魔人族の女を中心に渦巻き刃となって、襲い来るキメラ二体を切り裂いた。残りのキメラの攻撃は、砂塵に自らを吹き飛ばさせることで何とか回避する。

魔人族の女は、「なぜ、あたしを!?」と動揺しながら襲いかかってきたキメラを凝視する。すると、あることに気がついた。それは、どのキメラも体が損壊しているということだ。あるキメラは頭がなかったし、またあるキメラは胴体に深い傷がついており、今もだらだら血を滴らせている。

「こいつら……」

そう、魔人族の女が気がついたように、彼女を襲ったのは天之河に切り捨てられた五体のキメラだったのだ。絶命したはずのキメラが立ち上がり、生を感じさせない雰囲気で自分を襲ってくるという事態に、魔人族の女はとある魔法を思い出し「まさか……」と呟いた。

「あなたに光輝君の邪魔はさせない!」

そんなことを叫びながら、手をタクトのように振るって死体のキメラに魔人族の女を包囲させたのは中村だった。

「ちっ! 降霊術の使い手か! そんな情報なかったのに!」

魔人族の女は、天之河達を待ち伏せる上で、一応、事前調査を行っていた。その中に、降霊術などと言う超高難度魔法を使う者がいるなどという情報はなかったため、完全に予想外の事態だった。中村が、“降霊術師”という天職を持っていながら、降霊術を苦手として実戦では使っていなかった事が、ここに来ていい方向に働いたのである。

中村は、苦手なんて今、克服する! とでも言うように強い眼差しで魔人族の女を睨むと、実戦で始めて使うとは思えないほど巧みにキメラ達を操り、魔人族の女を倒すというより、時間を稼ぐように立ち回った。

その間に、香織が谷口に向かって“焦点”と“万天”を行使する。メンバーの中で一番危険な状態なのは谷口だったため、まずは谷口に集中して治すことにしたのだ。“万天”は光系の中級回復魔法のうち状態異常を解除する魔法だ。しかし、石化の魔法はかなり強力な魔法のようで、解除は遅々としている。腹と腕に空いた穴は直ぐに塞がったが、流した血の量は既に相当なものだ。今すぐ安静が必要な重体である。石化が解けた瞬間に改めて足の穴も塞がなければならない。

左半身が石化している野村には、辻綾子がついて状態異常の解除に勤しんでいた。辻綾子の回復魔法適性が高い事ともあるが、野村の土系統魔法に対する耐性が高いことも相まって、かなりの速度で解除が進んでいる。既に足の石化は解除出来ていた。

しかし、それでも白杖を振るう香織をチラリと見やって辻綾子は唇を噛んだ。同じ、“治癒師”の天職なのに、術師としての技量は明らかに香織の方が上だった。香織は、野村より遥かに重傷の谷口を魔法の同時行使で治癒しながら、更に、天之河を守って戦う雫や坂上にも時折、回復魔法をかけているのだ。辻には、とても真似できない芸当である。こんな状況で十全に味方を癒せない事に悔しい気持ちが湧き上がると同時に、自分が情けなかった。

そんな辻に、治癒される野村は何か言いたげな表情をしたが、今はそんな場合ではないと思い直し、痛みを堪えながらブツブツと詠唱を続ける。

戦力の減少と天之河の戦闘中断により、相対する魔物が多すぎて満身創痍になりつつある檜山と中野、それに永山達と、中村は二人の治癒師を守りながら、限界が近い事を悟っていた。このまま行けば数分で自分達は力尽きると。

天之河の聖剣に集まる輝きがなければ、今にも泣きそうな中野あたりはパニックになって自殺行為に走っていたかもしれない。メンバーが、今か今かと待っていたその時は……遂に訪れた。

「行くぞ! “天落流雨”!」

天之河の掲げた聖剣から、一条の閃光が打ち上げられたかと思うと、その光は天井付近で破裂するように飛び散り、周囲の魔物達に流星の如く降り注いだ。

この“天落流雨”は、敵の直上からピンポイントで複数同時に攻撃するという光系の攻撃魔法だ。威力は分散しているため威力はそこまで高くはなく、本来は多数の雑魚敵掃討に用いるものだが、それでも“限界突破”中に使えば、五十層クラスの魔物くらいなら十分効果を発揮する爆撃のような魔法である。

ただ、異常な強さをもつ魔人族の魔物達には、さほどダメージにならなかったようで、精々吹き飛ばして仲間達から引き離すくらいの効果しか発揮しなかった。だが、天之河にとっては、それで十分だった。隙を作り、仲間が撤退出来る状況を作ることができれば。魔人族の女の方は、まだ、中村が操るキメラに手間取っている。

天之河はそれを確認すると、馬鹿みたいに詠唱の長いこの魔法の本領を発揮させた。

「“収束”!」

天より降り注ぎ、魔物達を一時的に後退させた光の雨は、天之河の詠唱によって再び聖剣に収束していく。流星が尾を引いて一点に集まる光景は中々に幻想的だった。天之河は、収束させた光を纏って輝く聖剣を、真っ直ぐ退路となる通路とその前に陣取る魔物達に向けて突き出し、裂帛の気合とともに一連の魔法の最後のトリガーを引いた。

「“天爪流雨”!」

直後、突き出された聖剣から無数の流星が砲撃のごとく撃ち放たれる。同じ砲撃でも光輝の切り札である“神威”には遠く及ばない威力であり、当然、退路を塞ぐ魔物達を一掃することなど叶わない。

本来なら、“神威”を使いたいところだが、詠唱が長すぎてとても盾となってくれている雫と坂上がもつとは思えなかったので仕方ない。

しかし、それでも“天爪流雨”は今の状況では最適の手だった。流星となって退路上の魔物達に直進した光の奔流は、着弾と同時に無数の爆発を引き起こした。砲撃を構成する無数の光弾がクラスター爆弾のように破裂したのだ。それによって衝撃が連続して発生し、魔物達は体勢を崩され大きく吹き飛ばされた。

「「「「ルァアアア!!」」」」

魔物達がきつく目を閉じたまま悲鳴を上げる。“天爪流雨”の副次効果、閃光による視覚へのダメージだ。間近で発生した強烈な光によって眼を灼かれたのである。混乱したように目元を手でこすりながら、闇雲に暴れる魔物達。

彼等は既に、退路上にはいない。通路に向かって一直線に道が開かれた。

「今だ!撤退するぞ!」

天之河の号令で、全員が一斉に動き出す。石化している近藤と斎藤は、永山が一人で肩に担ぎ、気絶している谷口は遠藤が背負った。野村は、まだ左腕が石化したままだったが、激痛を堪えながらも自力で立ち上がり、通路に向かって走り始める。

「チッ!逃がすな!一斉にかかりな!」

魔人族の女が残り二体のキメラを相手取りながら、無事な魔物達にそう命令する。魔物達は、その命令に忠実に従い即座に追撃に移った。キメラといい、四つ目狼といい、黒猫といい、足の早い魔物が多く、天之河達が引き離した距離は瞬く間に詰められていく。

と、そこで野村が身を翻し、痛みに顔をしかめながらも不敵な笑みを浮かべて右手を突き出した。

「土系統で負けるわけにゃあ行かねぇんだよ!お返しだ!“落牢”!」

先程の魔人族の女と同じく灰色の渦巻く球体が野村の手より放たれる。石化の煙を孕んだ魔法球が迫り来る魔物達の手前に着弾した。先程の魔人族の“落牢”が放たれたとき、魔人族の女が何も言わなくても、魔物達は、即座に距離をとっていた。なので、野村は、この魔法の危険性を教え込まれているのではないかと考え、撤退時の追撃に備えて詠唱しておいたのだ。

その、野村の推測は正しかった。灰色の球体が放たれた瞬間、突進して来ていた魔物達が一斉に急ブレーキをかけて、その場を飛び退き距離をとり始めたのだ。同時に、煙は煙幕にもなって撤退する天之河達の姿を隠した。

それに合わせて、遠藤が魔力の残滓や臭いなどの痕跡を魔法で消していく。遠藤の天職は“暗殺者”であり、そういった工作系の魔法に天賦の才を持っているので、そうそう追跡は出来ないだろう。

既に後方で小さくなった部屋の入口から、気のせいか悔しそうな魔物達の咆哮が響いた。

天之河達は、ボロボロの体と目を覚まさない仲間に悔しさ半分、生き残った嬉しさ半分の気持ちで口数少なく逃げ続けた。

 

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場所は八十九層の最奥付近の部屋。

その正八角形の大きな部屋には四つの入口があるのだが、実は今、そのうちの二つの入口の間にはもう一つ通路があり、奥には隠し部屋が存在している。入口は、上手くカモフラージュされて閉じられており、隠し部屋は十畳ほどの大きさだ。

そこでは、天之河達が思い思いに身を投げ出し休息をとっていた。だが、その表情は一様に暗い。深く沈んだ表情で顔を俯かせる者ばかりだ。皆、満身創痍であるが故に苦痛に表情を歪めている者も多い。

いつもなら、そのカリスマを以て皆を鼓舞する天之河も“限界突破”の副作用により全身をひどい倦怠感に襲われており壁に背を預けたまま口を真一文字に結んで黙り込んでいる。

そして、こういう時、いい意味で空気を読まず場を盛り上げてくれるクラス一のムードメイカーは、血の気の引いた青白い顔で、やはり苦痛に眉根を寄せながら荒い息を吐いて眠ったままだった。その事実も、皆が顔を俯かせる理由の一つだろう。

谷口の下半身は膝から下がまだ石化しており、香織が継続して治療にあたっていた。太ももの貫通した痕は既に完治している。後は石化を解除するだけだ。しかし、運悪く、谷口が受けた触手の攻撃は彼女の体から大量の血を失わせた。おそらく、重要な血管を損傷したのだろう。香織だからこそ、治療が間に合ったと言える。

もっとも、いくら香織でも谷口が失った大量の血を直ぐさま補充することは出来ない。精々、異世界製増血薬を飲ませるくらいが限界だ。なので、谷口の体調が直ぐに戻るということはないだろう。安静が必要である。

香織が、谷口にかかりきりになっているため、他の者はまだ治療を受けていない。当然、オブジェの如く置かれている斎藤と近藤の石化した彫像もそのままだ。谷口の治療が終わっても、次は彼等の番なので、自分達が治療を受けられるのは、まだ先であると分かっているメンバーはごく一部を除いて特に文句を言う素振りはない。単に、その気力もないだけかもしれないが。

薄暗い即席の空間に漂う重苦しい空気に、雫が眉間に皺を寄せながら何とか皆を鼓舞しなければと頭を捻る。元来、雫は寡黙な方なので谷口のように場を和ませるのは苦手だ。しかし、天之河が“限界突破”と敗戦の影響で弱体化して使い物にならない以上、自分が何とかしなければならないだろうと、生来の面倒見の良さから考えているのだ。本当に苦労人である。

雫自身、肉体的にも精神的にも限界が近い事も有り、だんだん頭を捻るのも面倒になってきて、もういっそのこと空気を読まずに玉砕覚悟の一発ギャグでもかましてやろうかと、ちょっと壊れ気味なことを考えていると、即席通路の奥から野村と辻が話しをしながら現れた。

「ふぅ、何とか上手くカモフラージュ出来たと思う。流石に、あんな繊細な魔法行使なんてしたことないから疲れたよ……もう限界」

「壁を違和感なく変形させるなんて領分違いだものね……一から魔法陣を構築してやったんだから無理もないよ。お疲れ様」

「そっちこそ、石化を完全に解くのは骨が折れたろ? お疲れ」

二人の会話からわかるように、この空間を作成し、入口を周囲の壁と比べて違和感がないようにカモフラージュしたのは“土術師”の野村健太郎だ。

“土術師”は土系統の魔法に対して高い適性を持つが、土属性の魔法は基本的に地面を直接操る魔法であり、“錬成”のように加工や造形のような繊細な作業は出来ない。例えば、地面を爆ぜさせたり、地中の岩を飛ばしたり、土を集束させて槍状の棘にして飛ばしたり、砂塵を操ったり、上級になれば石化やゴーレム(自立性のない完全な人形)を扱えるようになるが、様々な鉱物を分離したり掛け合わせたりして物を作り出すようなことは出来ないのだ。

なので、手持ち魔法陣で大雑把に壁に穴を開ける事は出来るが、周囲と比べて違和感のない壁を“造形”することは完全に領分外であり、野村は一から魔法陣を構築しなければならなかったのである。

なお、辻綾子が野村について行ったのは、野村の石化を治療するためだ。

「お疲れ様、野村君。これで少しは時間が稼げそうね」

「……だといいんだけど。もう、ここまで来たら回復するまで見つからない事を祈るしかないな。浩介の方は……あっちも祈るしかないか」

「……浩介なら大丈夫だ。影の薄さでは誰にも負けない」

「いや、重吾。それ、聞いてるだけで悲しくなるから口にしてやるなよ……」

隠れ家の安全性が増したという話に、僅かに沈んだ空気が和らいだ気がして、とんだ黒歴史を作りそうになった雫は頬を綻ばせて野村を労った。

それに対して、野村は苦笑いしながら、今はここにいないもう一人の親友の健闘を祈って遠い目をする。

そう、今この場所には仲間が一人いないのである。それは、遠藤浩介。“暗殺者”の天職を持つ永山重吾と野村健太郎の親友である。特に暗いわけでも口下手なわけでもなく、また存在を忘れられるわけでもない。誰とでも気さくに話せるごく普通の男子高校生なのだが、何故か“影が薄い”のだ。気がつけば、皆、彼の姿を見失い「あれ?アイツどこいった?」と周囲を意識して見渡すと、実はすぐ横にいて驚かせるという、本人が全く意図しない神出鬼没さを発揮するのである。もちろん、日本にいた頃の話だ。

本人は、極めて不本意らしいのだが、今は、それが何よりも役に立つ。遠藤は、たった一人、パーティーを離れてメルド達に事の次第を伝えに行ったのである。本来なら、いくら異世界から召喚されたチートの一人でも、八十層代を単独で走破するなど自殺行為だ。天之河達が、少し余裕をもって攻略できたのも十五人という仲間と連携して来たからである。

だが、遠藤なら、“影の薄さでは世界一ぃ!”と胸を晴れそうなあの男なら、隠密系の技能をフル活用して、魔物達に見つからずメルド達のいる七十層にたどり着ける可能性がある。そう考えて、天之河達は遠藤を送り出したのである。

別れるとき、天之河は少し涙目だったが……きっと、仲間を置いて一人撤退することに感じるものがあったに違いない。例え説得として「お前の影の薄さなら鋭敏な感覚をもつ魔物だって気づかない!影の薄さでは誰にも負けないお前だけが、魔物にすら気づかれずに突破できるんだ!」と皆から口々に言われたからではないはずだ。

本当なら、光輝達も直ぐにもっと浅い階層まで撤退したかったのだが、如何せん、それをなすだけの余力がなかった。満身創痍のメンバーに、戦闘不能が三人、弱体化中の光輝、とても八十層代を突破できるとは思えなかったのだ。

もちろん、メルド達が救援に来られるとは思っていない。メルドを含め七十層で拠点を築ける実力を持つのは六人。彼等を中心にして、次ぐ実力をもつ騎士団員やギルドの高ランク冒険者達の助力を得て、安全マージンを考えなければ七十層代の後半くらいまでは行けるだろがそれ以上は無理だ。

仮にそこまで来てくれたとしても、八十層代は天之河達が自力で突破しなければならない。つまり、遠藤を一人行かせたのは救援を呼ぶためではなく、自分達の現状と魔人族が率いる魔物の情報を伝えるためなのだ。

天之河達は、確かに、聖教教会のイシュタル達から魔人族が魔物を多数、それも洗脳など既存の方法ではなく明確な意志を持たせて使役するという話を聞いていたが、あれほど強力な魔物とは聞いていなかった。驚異なのは個体の強さではなく“数”だったはずなのだ。

にもかかわらず、実際、魔人族が率いていたのは前人未到の【オルクス大迷宮】九十層レベルの魔物を苦もなく一掃し、天之河達チート持ちを圧倒出来る魔物達だった。そんな事が、そもそも可能ならもっと早く、人間族は滅ぼされていてもおかしくない。

つまり、イシュタルの情報は、あの時点では間違っていなかったのであり、結論としては魔人族の率いる魔物は“強力になっている”ということだ。“数”に加えて個体の“強さ”も驚異となった。この情報は、何が何でも確実に伝えなければならないと天之河達は判断したのである。

「白崎さん。近藤君と斉藤君の石化解除は任せるね。私じゃ時間がかかりすぎるから。代わりに他の皆の治癒は私がするからさ」

「うん、わかった。無理しないでね、辻さん」

「平気平気。というかそれはこっちのセリフだって……ごめんね。私がもっと出来れば、白崎さんの負担も減らせるのに……」

野村達が話している傍らで、魔力回復薬をゴクゴクと喉を鳴らしながら服用する辻が谷口の治療を続ける香織にそんな事をいった。同じ“治癒師”でありながら、香織と比べると大きく技量の劣る辻は、表面上は何でもないように装っているが、内心では自分への情けなさと香織にばかり負担をかけることへの申し訳なさでいっぱいだった。

「そんな事はない」と言う香織に苦笑いを返しながら、仲間の治療に向かう辻。彼女の治療により癒されていく仲間達の顔からは少しだけ暗さが消えた。そんな辻を、何とも言えない表情で見つめている野村だったが、治療の邪魔になるかと思い声はかけなかった。

「……こんな状況だ。伝えたい事があるなら伝えておけ」

「……うっせぇよ」

永山が、どこか面白がるような表情で野村にそんな事をいうが、本人は不貞腐れたように顔を背けるだけだった。

それから、数十時間。天之河達は、交代で仮眠を取りながら少しずつ体と心を癒していった。

 

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「うっ……」

「鈴ちゃん!」

「鈴!」

うめき声を上げて身じろぎしながらゆっくり目を開けた谷口に、ずっと傍に付いていた香織と中村が声に嬉しさを滲ませながら谷口の名を呼んだ。谷口は、しばらくボーとした様子で目だけをキョロキョロと動かしていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

「し、知らない天井だぁ~」

「鈴、あなたの芸人根性は分かったから、こんな時までネタに走って盛り上げなくていいのよ?」

喉が乾いているのだろう。しわがれ声で、それでも必死にネタに走る谷口に、彼女の声を聞いて駆け付けてきた雫が、呆れと称賛を半分ずつ含ませた表情でツッコミを入れた。そして、傍らの革製の水筒を口元に持っていき水分を取らせる。

ごきゅごきゅと可愛らしく喉を鳴らして水分を補給した谷口は、「生き返ったぜ!文字通り!」と、あまり洒落にならない事を言いながら頑張って身を起こす。香織と恵中村がそれを支える。瀕死から意識を取り戻して即行明るい雰囲気を撒き散らすクラス一のムードメイカーに、今の今まで沈んだ表情だったクラスメイト達も口元に笑みを浮かべた。

しかし、その明るい雰囲気とは裏腹に谷口の顔色は悪い。疲労もあるだろうし、血が足りていないということもあるのだろう。青白い顔で目の下にも薄らクマが出来ており、見せる笑みが少々痛々しい。体を何箇所も貫かれて、それでも起き抜けに笑みを見せられるのは、間違いなく彼女の“強さ”だ。雫も香織も、そんな谷口に尊敬混じりの眼差しを向ける。

「鈴ちゃん。まだ、横になっていた方がいいよ。傷は塞がっても流れた血は取り戻せないから……」

「う~ん、このフラフラする感じはそれでか~。あんにゃろ~、こんなプリティーな鈴を貫いてくれちゃって……“貫かれちゃった♡”ってセリフはベッドの上で言いたかったのに!」

「鈴!お下品だよ!自重して!」

谷口が恨みがましい視線を虚空に向けながらそんな事をいい、中村が頬を染めて谷口を嗜める。周囲で何人かの男子生徒が思わずといった感じで「ぶっ!?」と吹き出していたが、雫がひと睨みするとスっと視線を逸した。

「鈴、目を覚ましてよかった。心配したんだぞ?」

「よぉ、大丈夫かよ。顔、真っ青だぜ?」

起きていきなり騒がしい谷口に、天之河と坂上が近寄ってくる。一時期、“限界突破”の影響で弱体化し、かつ、手痛い敗戦に落ち込んでいた天之河だったが、この即席の隠れ家に逃げ込んでからそれなりの時間が経っているため、どうにか持ち直したようだ。

「おはよー、光輝君、龍太郎君!何とか逃げ切ったみたいだね?えっと、みんな無事……あれっ、一人少ないような……」

「ああ、それは遠藤だろ。あいつだけ、先に逃がしたんだ。あいつの隠形なら一人でも階層を突破出来ると思って……」

天之河と坂上に、笑顔で挨拶すると、谷口は周囲のクラスメイトを見渡し人数が足りないことに気がついた。谷口は戦闘中に意識を喪失していたので、天之河達は彼女の疑問に答えると共に現状の説明も行った。

ちなみに、近藤と斎藤も既に石化は解除されていて鈴より早く目を覚ましており、事情説明は受けている。

「そっか、鈴が気絶してから結構時間が経っているんだね……あ、そうだ。カオリン、ありがとね!カオリンは鈴の命の恩人だね!」

「鈴ちゃん、治療は私の役目だよ。当然のことをしただけだから、恩人なんて大げさだよ」

「くぅ~、ストイックなカオリンも素敵!結婚しよ?」

「鈴……青白い顔で言っても怖いだけだよ。取り敢えずもう少し横になろ?」

香織に絡み、中村に諫められる。行き過ぎれば雫によって物理的に止められる。全くもっていつも通りだった。もう二度と、生きて地上に戻れないんじゃないかとそんなことまで考え出していたクラスメイト達も、敗戦なんて気にしないとでも言うような谷口達のやり取りに次第に心の余裕を取り戻し始めた。

が、そんな明るさを取り戻し始めた空気に、水を差す輩はいつでもどこにでもいるものだ。

「……なに、ヘラヘラ笑ってんの?俺等死にかけたんだぜ?しかも、状況はなんも変わってない!ふざけてる暇があったら、どうしたらいいか考えろよ!」

谷口を睨みながら怒鳴り声を上げたのは近藤礼一だ。声は出していないが、隣の斎藤良樹も非難するような眼を向けている。

「おい、近藤。そんな言い方ないだろ?鈴は、雰囲気を明るくしようと……」

「うっせぇよ!お前が俺に何か言えんのかよ!お前が、お前が負けるから!俺は死にかけたんだぞ!クソが!何が勇者だ!」

近藤の発言を諌めようと天之河が口を出すが、火に油を注いだように近藤は突然激高し、今度は天之河を責め立て始めた。

「てめぇ……誰のおかげで逃げられたと思ってんだ?光輝が道を切り開いたからだろうが!」

「そもそも勝っていれば、逃げる必要もなかっただろうが!大体、明らかにヤバそうだったんだ。魔人族の提案呑むフリして、後で倒せば良かったんだ!勝手に戦い始めやがって!全部、お前のせいだろうが!責任取れよ!」

今度は、そんな近藤に坂上が切れ始める。近藤が立ち上がり、坂上が相対してにらみ合う。近藤に共感しているのか斎藤と中野も立ち上がって坂上と対峙した。

「龍太郎、俺はいいから……近藤、責任は取る。今度こそ負けはしない! もう、魔物の特性は把握しているし、不意打ちは通用しない。今度は絶対に勝てる!」

握りこぶしを握ってそう力説する天之河だったが、斎藤が暗い眼差しでポツリとこぼした。

「……でも、“限界突破”を使っても勝てなかったじゃないか」

「そ、それは……こ、今度は大丈夫だ!」

「なんでそう言えんの?」

「今度は最初から“神威”を女魔人族に撃ち込む。みんなは、それを援護してくれれば……」

「でも、長い詠唱をすれば厄介な攻撃が来るなんてわかりきったことだろ?向こうだって対策してんじゃねぇの?それに、魔物だってあれで全部とは限らないじゃん」

天之河が大丈夫だと言っても、近藤達には、天之河の実力に対する不信感が芽生えているらしく疑わしい眼差しを向けたまま口々に文句を言う。ここで、天之河に責任やら絶対に勝てる保障などを求めても仕方ないのだが、どうやら、死にかけたという事実と相手の有り得ない強さと数に平静さを失っているようだ。

沸点の低い坂上が喧嘩腰で近藤達に反論するのも彼等をヒートアップさせている要因だろう。次第に、彼等の言い争いを止めようと口を出した辻や吉野、野村も含めて険悪なムードが漂い始める。

しまいには、坂上が拳を構え、近藤が槍を構え始めた。場に一気に緊張が走る。天之河が、龍太郎!と叫びながら彼の肩を掴んで制止するが、坂上は、よほど頭にきているのか額に青筋を浮かべたまま近藤を睨むことを止めない。近藤達の方も半ば意地になっているようだ。

「みんな、落ち着きなさい!何を言ったところで、生き残るには光輝に賭けるしかないのよ!光輝の“限界突破”の制限時間内に何としてでも魔人族の女を倒す。彼女に私達を見逃すつもりがないなら、それしかない。わかっているでしょ?」

雫が、両者の間に入って必死に落ち着くように説得するが、やはり効果が薄い。谷口が、フラフラと立ち上がりながら、近藤に謝罪までするが聞く耳を持たないようだ。香織が、いい加減、一度全員を拘束する必要があるかもしれないと、密かに拘束系魔法の準備をし始めたとき……それは聞こえた。

「グゥルルルルル……」

「「「「!?」」」」

唸り声だ。とても聞き覚えのある低く腹の底に響く唸り声。全員の脳裏にキメラや赤い四つ目狼の姿が過ぎり、今までの険悪なムードは一瞬で吹き飛んで全員が硬直した。僅かな息遣いすらも、やたらと響く気がして自然と息が細くなる。視線が、通路の先のカモフラージュした壁に集中する。

ザリッ!ザリッ!フシュー!フシュー!

壁越しに、何かをひっかく音と荒い鼻息が聞こえる。誰かがゴクリと喉を鳴らした。臭いなどの痕跡は遠藤が消してくれたはずで、例え強力な魔物でも壁の奥の光輝達を感知出来るはずはない。そうは思っていても、緊張に体は強張り嫌な汗が吹き出る。

完全回復には、今しばらく時間がかかる。谷口などは、とても戦闘が出来る状態ではないし、香織と辻も治癒に魔力を使いすぎて、まだほとんど回復していない。前衛組は、ほぼ完治しているが、魔法主体の後衛組も半分程度しか魔力を回復できていない。回復系の薬もほとんど尽きており、最低でも後数時間は回復を待ちたかった。

特に、回復役の香織と辻、それに結界師の谷口が抜けるのは看過できる穴ではなかった。なので、天之河達は、どうかまだ見つからないでくれと懇願じみた気持ちで外の部屋と隠れ部屋を隔てる壁を見つめた。

しばらく、外を彷徨いていた魔物だが、やがて徐々に気配が遠ざかっていった。そして、再び静寂が戻った。それでも、しばらくの間、誰も微動だにしなかったが、完全に立ち去ったとわかると盛大に息を吐き、何人かはその場に崩れ落ちた。極度の緊張に、滝のような汗が流れる。

「……あのまま騒いでいたら見つかっていたわよ。お願いだから、今は、大人しく回復に努めてちょうだい」

「あ、ああ……」

「そ、そうだな……」

雫が頬を伝う汗をワイルドにピッ!と弾き飛ばしながら拭う。近藤達も、どもりながら返事をして矛を収めた。まさに、冷や水を浴びせかけられたという感じだろう。

取り敢えず、危機を脱したと全員が肩から力を抜いた……その瞬間、

「ルゥガァアアアアア!!!」

 

ドォガアアアン!!

 

凄まじい咆哮と共に隠し部屋と外を隔てる壁が粉微塵に粉砕された。

「うわっ!?」

「きゃぁああ!!」

衝撃によって吹き飛んできた壁の残骸が弾丸となって隠し部屋へと飛来し、直線上にいた近藤と吉野に直撃した。悲鳴を上げて思わず尻餅をつく二人。

次の瞬間、唖然とする天之河達の眼前に、まだ相対したくはなかった空間の揺らめきが飛び込んできた。

「戦闘態勢!」

「ちくしょう!なんで見つかったんだ!」

天之河が、号令をかけながら直ぐさま聖剣を抜いてキメラに斬りかかる。動きを止められては姿を見失ってしまうので距離を取られるわけには行かないからだ。坂上が、悪態を吐きながら、外につながる通路の前に陣取って、これ以上の魔物の侵入を防ごうとする。

しかし、

「オォオオ!!」

「ぐぅう!!」

直後にブルタールモドキがその鋼の如き体を砲弾のように投げ出して体当たりをかました。そして、坂上に猛烈な勢いをもって組み付き、そのまま押し倒した。

その隙に、黒猫が何十匹と一気に侵入を果たし、即座に何十本もの触手を射出する。弾幕のような密度で放たれたそれは、容赦なく口論の時のまま固まった場所にいた近藤達に襲いかかった。咄嗟に、手持ちの武器で迎撃しようとする近藤達だったが、いかんせん触手の数が多い。あわや、そのまま串刺しかと思われたが、

「――“天絶”!」

「――“天絶”!」

十五枚の光り輝くシールドが近藤達の眼前の空間に角度をつけて出現し何とか軌道を逸していった。極々短い詠唱で、それでも何とかシールドを発動した技量には、誰もが舌を巻く程のものだ。十枚のシールドを出した方が谷口であり、五枚出した方が香織である。

ただ、やはり咄嗟に出したものである上に、谷口は体調が絶不調で、香織は魔力が尽きかけている状態だ。その事実は、シールドの強度となって如実に現れた。

 

バリンッ!バリンッ!バリンッ!バリンッ!バリンッ!バリンッ!

角度をつけて衝撃を逸らしているはずなのだが、それでも触手の猛攻に耐え切れず次々と砕かれていく。そして、その内の数本が、ついに角度のついたシールドに逸らされることなく打ち砕き、その向こう側にいた標的、中野と斎藤に襲いかかった。咄嗟に、身をひねる二人だったが、どちらも後衛組であるためにそれほど身体能力は高くなくない。そのため、致命傷は避けられたものの、中野は肩口を、斎藤は太ももを抉られて悲鳴を上げながら地面に叩きつけられた。

「信治!良樹!くそっ!大介、手伝ってくれ!」

「……ああ、もちろんだ」

隠し部屋に逃げ込んでからずっと何かを考え込んでいた檜山に、近藤は気を遣ってあまり話しかけないようにしていたのだが、流石にそうも言っていられない状況なので負傷した中野と斎藤を一緒に谷口の傍に引きずって行く。体調が絶不調とはいえ、魔力残量はそれなりに残っている谷口の傍が一番の安全地帯だからだ。それに傍にいる方が、香織の治療を受けやすい。

「くっ、光輝!“限界突破”を使って外に出て!部屋の奴らは私達で何とかするわ!」

「だが、鈴達が動けないんじゃ……」

「このままじゃ押し切られるわ!お願い!一点突破で魔人族を討って!」

「光輝!こっちは任せろ!絶対、死なせやしねぇ!」

「……わかった! こっちは任せる!“限界突破”!」

雫と龍太郎の言葉に一瞬考えるものの、確かに、状況を打開するにはそれしかないと光輝は決然とした表情をして、今日、二度目の“限界突破”を発動する。“限界突破”の一日も置かない上での連続使用は、かなり体に負担がかかる行為だ。なので、通常、“限界突破”の効力は八分程度であるが、もしかするともっと短くなっているかもしれない。そう予想して、光輝は他の一切を気にせず魔人族の女を倒すことだけに集中し、隠し部屋を飛び出していった。

隠し部屋から、大きな正八角形の部屋に出た天之河の眼に、大量の魔物とその奥で白鴉を肩に止め周囲を魔物で固めた魔人族の女が冷めた眼で佇んでいる姿が映った。天之河は心の内でこのような窮地に追いやった怒りと仲間を救う使命感で滾らせ、魔人族の女を真っ直ぐに睨みつける。

「ふん、手間取らせてくれるね。こっちは他にも重要な任務があるっていうのに……」

「黙れ!お前は俺が必ず倒す!覚悟しろ!」

天之河が、そう宣言し短い詠唱と共に聖剣に魔力を一気に送り込む。本来の“神威”には遠く及ばず魔人族の女には届かないだろうが、それでも道を切り開くくらいは出来るはずだと信じて詠唱省略版“神威”を放とうとした。

が、輝きを増す聖剣を前に魔人族の女は薄らと笑みを浮かべると、自身の周囲に待機させていたブルタールモドキに命じて何かを背後から引きずり出してきた。

訝しげな表情をする天之河だったが、その“何か”の正体を見て愕然とする。思わず、構えた聖剣を降ろし目を大きく見開いて、震える声で彼の名を呼んだ。

「……メ、メルドさん?」

そう、そこには、四肢を砕かれ全身を血で染めた瀕死のメルドがブルタールモドキに首根っこを掴まれた状態でいたのである。一見すれば、全身を弛緩させていることから既に死んでいるようにも見えるが、時折、小さく上がるうめき声が彼等の生存を示していた。

「おま、お前ぇ!メルドさんを放せぇッ!?」

天之河が、メルドの有様に激昂し、我を忘れたように魔人族の女へ突進しようとしたその瞬間、見計らっていたかのような絶妙のタイミングで、突然巨大な影が天之河を覆いつくした。ハッとなって振り返った天之河の目に、壁のごとき巨大な拳が空気を破裂させるような凄まじい勢いで迫ってくる光景が映る。

 

バギャァ!!

 

天之河は、本能的に左腕を掲げてガードするが、その絶大な威力を以て振るわれた拳はガードした左腕をあっさり押し潰し、天之河の体そのものに強烈な衝撃を伝えた。ダンプカーにでも轢かれたように途轍もない速度でぶっ飛び壁に叩きつけられた天之河。背後の壁が、あまりの衝撃に放射状に破砕する。

「ガハッ!」

衝撃で肺から空気が強制的に吐き出され、壁からズルリと滑り落ち、四つん這い状態で無事な右腕を頼りに必死に体を支える天之河。その口から大量の血が吐き出された。どうやら、先の一撃で内臓も傷つけたらしい。“物理耐性”の派生技能[+衝撃緩和]がなければ即死していたかもしれない。

脳震盪も起こしているようで、焦点の定まらない視線が必死に事態を把握しようと辺りを彷徨い、そして、見つけた。先程まで天之河がいた場所で拳を突き出したまま残心する体長三メートルはあろうかという巨大な魔物を。

その魔物は頭部が牙の生えた馬で、筋骨隆々の上半身からは極太の腕が四本生えており、下半身はゴリラの化物だった。血走った眼で光輝を睨んでおり、長い馬面の口からは呼吸の度に蒸気が噴出している。明らかに、今までの魔物とは一線を画す雰囲気を纏っていた。

その馬頭は、突き出した拳を戻すとともに、未だ立ち上がれずにいる天之河に向かって情け容赦なく濃密な殺気を叩きつけながら突進した。天之河がうずくまる場所の少し手前で跳躍した馬頭は、振りかぶった拳を天之河の頭上から猛烈な勢いで突き落とす。天之河は、本能がけたたましく鳴らす警鐘に従ってゴロゴロと地面を転がりながら、必死にその場を離脱した。

 

ドォガガアア!!

 

直後、馬頭の拳が地面に突き刺さり、それと同時に赤黒い波紋が広がったかと思うと轟音と共に地面が爆ぜた。まさに爆砕という表現がぴったりな破壊がもたらされる。これがこの馬頭の固有能力“魔衝波”である。内容は単純で、魔力を衝撃波に変換する能力だ。だが、単純故に凄まじく強力な固有魔法である。

“物理耐性”の派生技能[+治癒力上昇]により、何とか脳震盪からだけは回復しつつある天之河は、必死に立ち上がり聖剣を構えた。その時には、もう、馬頭が眼前まで迫っており再び拳を突き出していた。

天之河は、聖剣を盾にするが左腕が完全に粉砕されており、右腕一本では衝撃を流しきれず再び吹き飛ばされる。その後も、何とか致命傷だけは避けていく天之河だったが、四本の腕から繰り出される“魔衝波”を捌くことで精一杯となり、また最初の一撃によるダメージが思いのほか深刻で動きが鈍く、反撃の糸口がまるで掴めなかった。

「ぐぅう!何だ、こいつの強さは!俺は“限界突破”を使っているのに!」

「ルゥアアアア!!」

苦しそうに表情を歪めながら、“限界突破”発動中の自分を圧倒する馬頭の魔物に焦燥感が募っていく天之河は、このままではジリ貧だと思いダメージ覚悟で反撃に出ようとした。

だが……

 

ガクン

 

「ッ!?」

その決意を実行する前に、遂に、天之河の“限界突破”の時間切れがやって来た。一気に力が抜けていく。短時間に二回も使った弊害か、今までより重い倦怠感に襲われ、踏み込もうとした足に力が入らず、ガクンと膝を折ってしまった。

その隙を馬頭が逃すはずもない。突然、力が抜けてバランスを崩し、死に体となった天之河の腹部に馬頭の拳が

 

ズドン!

 

と衝撃音を響かせながらめり込んだ。

 

「ガハッ!」

血反吐を撒き散らしながら体をくの字に折り曲げて吹き飛び、天之河は再び壁に叩きつけられた。“限界突破”の副作用により弱体化していたこともあり、天之河の意識はたやすく刈り取られ、肉体的にも瀕死の重傷を負い、倒れ込んだままピクリとも動かなくなった。むしろ、即死しなかったことが不思議である。おそらく、死なないように手加減したのだろう。

馬頭が、天之河に近づき首根っこを掴んで持ち上げる。完全に意識を失い脱力している天之河を、馬頭は魔人族の女に掲げるようにして見せた。魔人族の女は、それに満足げに頷くと隠し部屋に突入させた魔物達を引き上げさせる。

暫くすると、警戒心たっぷりに雫達が現れた。そして、見たこともない巨大な馬頭の魔物が、その手に脱力した天之河を持ち上げている姿を見て、表情を絶望に染めた。

「うそ……だろ? 光輝が……負けた?」

「そ、そんな……」

「や、やだ……な、なんで……」

隠し部屋から出てきた仲間達が、吊るされる天之河を見て呆然としながら、意味のない言葉をこぼす。流石の雫や香織、谷口も言葉が出ないようで立ち尽くしている。そんな、戦意を喪失している彼等に、魔人族の女が冷ややかな態度を崩さずに話しかけた。

「ふん、こんな単純な手に引っかかるとはね。色々と……舐めてるガキだと思ったけど、その通りだったようだ」

雫が、青ざめた表情で、それでも気丈に声に力を乗せながら魔人族の女に問いかける。

「……何をしたの?」

「ん? これだよ、これ」

そう言って、魔人族の女は、未だにブルタールモドキに掴まれているメルドへ視線を向ける。その視線をたどり、瀕死のメルドを見た瞬間雫は理解した。メルドは、天之河の気を逸らすために使われたのだと。知り合いが、瀕死で捕まっていれば、天之河は必ず反応するだろう。それも、かなり冷静さを失って。

おそらく、前回の戦いで天之河の直情的な性格を魔人族の女は把握したのだ。そして、キメラの固有能力でも使って、温存していた強力な魔物を潜ませて、天之河が激昂して飛びかかる瞬間を狙ったのだろう。

「……それで?私達に何を望んでいるの?わざわざ生かして、こんな会話にまで応じている以上、何かあるんでしょう?」

「ああ、やっぱり、あんたが一番状況判断出来るようだね。なに、特別な話じゃない。前回のあんた達を見て、もう一度だけ勧誘しておこうかと思ってね。ほら、前回は、勇者君が勝手に全部決めていただろう?中々、あんたらの中にも優秀な者はいるようだし、だから改めてもう一度ね。で? どうだい?」

魔人族の女の言葉に何人かが反応する。それを尻目に、雫は、臆すことなく再度疑問をぶつけた。

「……光輝はどうするつもり?」

「ふふ、聡いね……悪いが、勇者君は生かしておけない。こちら側に来るとは思えないし、説得も無理だろう?彼は、自己完結するタイプだろうからね。なら、こんな危険人物、生かしておく理由はない」

「……それは、私達も一緒でしょう?」

「もちろん。後顧の憂いになるってわかっているのに生かしておくわけないだろう?」

「今だけ迎合して、後で裏切るとは思わないのかしら?」

「それも、もちろん思っている。だから、首輪くらいは付けさせてもらうさ。ああ、安心していい。反逆できないようにするだけで、自律性まで奪うものじゃないから」

「自由度の高い、奴隷って感じかしら。自由意思は認められるけど、主人を害することは出来ないっていう」

「そうそう。理解が早くて助かるね。そして、勇者君と違って会話が成立するのがいい」

雫と魔人族の女の会話を黙って聞いていたクラスメイト達が、不安と恐怖に揺れる瞳で互いに顔を見合わせる。魔人族の提案に乗らなければ、天之河すら歯が立たなかった魔物達に襲われ十中八九殺されることになるだろうし、だからといって、魔人族側につけば首輪をつけられ二度と魔人族とは戦えなくなる。

それはつまり、実質的に“神の使徒”ではなくなるということだ。そうなった時、果たして聖教教会は、何とかして帰ってきたものの役に立たなくなった自分達を保護してくるのか……そして、元の世界に帰ることは出来るのか……

どちらに転んでも碌な未来が見えない。しかし……

「わ、私、あの人の誘いに乗るべきだと思う!」

誰もが言葉を発せない中、意外なことに中村が震えながら必死に言葉を紡いだ。それに、クラスメイト達は驚いたように目を見開き、彼女をマジマジと注目する。そんな中村に坂上が、顔を怒りに染めて怒鳴り返した。

「恵里、てめぇ!光輝を見捨てる気か!」

「ひっ!?」

「龍太郎、落ち着きなさい!恵里、どうしてそう思うの?」

坂上の剣幕に、怯えたように後退る中村だったが、雫が坂上を諌めたことで何とか踏みとどまった。そして、深呼吸するとグッと手を握りしめて心の内を語る。

「わ、私は、ただ……みんなに死んで欲しくなくて……光輝君のことは、私には……どうしたらいいか……うぅ、ぐすっ……」

ポロポロと涙を零しながらも一生懸命言葉を紡ぐ中村。そんな彼女を見て他のメンバーが心を揺らす。すると、一人、中村に賛同する者が現れた。

「俺も中村と同意見だ。もう、俺達の負けは決まったんだ。全滅するか、生き残るか。迷うこともないだろう?」

「檜山……それは、光輝はどうでもいいってことかぁ?あぁ?」

「じゃあ、坂上。お前は、もう戦えない天之河と心中しろっていうのか?俺達全員?」

「そうじゃねぇ!そうじゃねぇが!」

「代案がないなら黙ってろよ。今は、どうすれば一人でも多く生き残れるかだろ」

檜山の発言で、更に誘いに乗るべきだという雰囲気になる。檜山の言う通り、死にたくなければ提案を呑むしかないのだ。

しかし、それでも素直にそれを選べないのは、天之河を見殺しにて、自分達だけ生き残っていいのか? という罪悪感が原因だ。まるで、自分達が天之河を差し出して生き残るようで踏み切れないのである。

そんなクラスメイト達に、絶妙なタイミングで魔人族の女から再度、提案がなされた。

「ふむ、勇者君のことだけが気がかりというなら……生かしてあげようか?もちろん、あんた達にするものとは比べ物にならないほど強力な首輪を付けさせてもらうけどね。その代わり、全員魔人族側についてもらうけど」

雫は、その提案を聞いて内心舌打ちする。魔人族の女は、最初からそう提案するつもりだったのだろうと察したからだ。天之河を殺すことが決定事項なら現時点で生きていることが既におかしい。問答無用に殺しておけばよかったのだ。

それをせずに今も生かしているのは、まさにこの瞬間のためだ、おそらく、魔人族の女は前回の戦いを見て、天之河達が有用な人材であることを認めたのだろう。だが、会話すら成立しなかったことから天之河がなびくことはないと確信した。しかし、他の者はわからない。なので、天之河以外の者を魔人族側に引き込むため策を弄したのだ。

一つが、天之河を現時点では殺さないことで反感を買わないこと、二つ目が、生きるか死ぬかの瀬戸際まで追い詰めて選択肢を狭めること、そして三つ目が“それさえなければ”という思考になるように誘導し、ここぞという時にその問題点を取り除いてやることだ。

現に、天之河を生かすといわれて、それなら生き残れるしと、魔人族側に寝返ることをよしとする雰囲気になり始めている。本当に、天之河が生かされるかについては何の保証もないのに。殺された後に後悔しても、もう魔人族側には逆らえないというのに。

雫は、そのことに気がついていたが、今、この時を生き残るには魔人族側に付くしかないのだと自分に言い聞かせて黙っていることにした。生き残りさえすれば、天之河を救う手立てもあるかもしれないと。

魔人族の女としても、ここで雫達を手に入れることは大きなメリットがあった。一つは、言うまでもなく、人間族側にもたらすであろう衝撃だ。なにせ人間族の希望たる“神の使徒”が、そのまま魔人族側につくのだ。その衝撃……いや、絶望は余りに深いだろう。これは、魔人族側にとって極めて大きなアドバンテージだ。

二つ目が、戦力の補充である。魔人族の女が【オルクス大迷宮】に来た本当の目的、それは迷宮攻略によってもたらされる大きな力だ。ここまでは、手持ちの魔物達で簡単に一掃できるレベルだったが、この先もそうとは限らない。幾分か、魔物の数も天之河達に殺られて減らしてしまったので戦力の補充という意味でも雫達を手に入れるのは都合がよかったということだ。

このままいけば、雫達が手に入る。雰囲気でそれを悟った魔人族の女が微かな笑みを口元に浮かべた。

しかし、それは突然響いた苦しそうな声によって直ぐに消されることになった。

「み、みんな……ダメだ……従うな……」

「光輝!」

「光輝くん!」

「天之河!」

声の主は、宙吊りにされている天之河だった。仲間達の目が一斉に、天之河の方を向く。

「……騙されてる……アランさん達を……殺したんだぞ……信用……するな……人間と戦わされる……奴隷にされるぞ……逃げるんだ……俺はいい……から……一人でも多く……逃げ……」

息も絶え絶えに、取引の危険性を訴え、そんな取引をするくらいなら自分を置いてイチかバチか死に物狂いで逃げろと主張する天之河に、クラスメイト達の心が再び揺れる。

「……こんな状況で、一体何人が生き残れると思ってんだ?いい加減、現実をみろよ!俺達は、もう負けたんだ!騎士達のことは……殺し合いなんだ!仕方ないだろ!一人でも多く生き残りたいなら、従うしかないだろうが!」

檜山の怒声が響く。この期に及んでまだ引こうとしない天之河に怒りを含んだ眼差しを向ける。檜山は、とにかく確実に生き残りたいのだ。最悪、ほかの全員が死んでも香織と自分だけは生き残りたかった。イチかバチかの逃走劇では、その可能性は低いのだ。

魔人族側についても、本気で自分の有用性を示せば重用してもらえる可能性は十分にあるし、そうなれば、香織を手に入れることだって出来るかもしれない。もちろん、首輪をつけて自由意思を制限した状態で。檜山としては、別に彼女に自由意思がなくても一向に構わなかった。とにかく、香織を自分の所有物に出来れば満足なのだ。

檜山の怒声により、より近く確実な未来に心惹かれていく仲間達。

と、その時、また一つ苦しげな、しかし力強い声が部屋に響き渡る。小さな声なのに、何故かよく響く低めの声音。戦場にあって、一体何度その声に励まされて支えられてきたか。どんな状況でも的確に判断し、力強く迷いなく発せられる言葉、大きな背中を見せて手本となる姿のなんと頼りになることか。みなが、兄のように、あるいは父のように慕った男。メルドの声が響き渡る。

「ぐっ……お前達……お前達は生き残る事だけ考えろ!……信じた通りに進め!……私達の戦争に……巻き込んで済まなかった……お前達と過ごす時間が長くなるほど……後悔が深くなった……だから、生きて故郷に帰れ……人間のことは気にするな……最初から…これは私達の戦争だったのだ!」

メルドの言葉は、ハイリヒ王国騎士団団長としての言葉ではなかった。唯の一人の男、メルド・ロギンスの言葉、立場を捨てたメルドの本心。それを晒したのは、これが最後と悟ったからだ。

天之河達が、メルドの名を呟きながらその言葉に目を見開くのと、メルドが全身から光を放ちながらブルタールモドキを振り払い、一気に踏み込んで魔人族の女に組み付いたのは同時だった。

「魔人族……一緒に逝ってもらうぞ!」

「……それは……へぇ、自爆かい?潔いね。嫌いじゃないよ、そう言うの」

「抜かせ!」

メルドを包む光、一見、光輝の“限界突破”のように体から魔力が噴き出しているようにも見えるが、正確には体からではなく、首から下げた宝石のようなものから噴き出しているようだった。

それを見た魔人族の女が、知識にあったのか一瞬で正体を看破し、メルドの行動をいっそ小気味よいと称賛する。

その宝石は、名を“最後の忠誠”といい、魔人族の女が言った通り自爆用の魔道具だ。国や聖教教会の上層の地位にいるものは、当然、それだけ重要な情報も持っている。闇系魔法の中には、ある程度の記憶を読み取るものがあるので、特に、そのような高い地位にあるものが前線に出る場合は、強制的に持たされるのだ。いざという時は、記憶を読み取られないように、敵を巻き込んで自爆しろという意図で。

メルドの、まさに身命を賭した最後の攻撃に、天之河達は悲鳴じみた声音でメルドの名を呼ぶ。しかし、天之河達に反して、自爆に巻き込まれて死ぬかもしれないというのに、魔人族の女は一切余裕を失っていなかった。

そして、メルドの持つ“最後の忠誠”が一層輝きを増し、まさに発動するという直前に、一言呟いた。

「喰らい尽くせ、アブソド」

と、魔人族の女の声が響いた直後、臨界状態だった“最後の忠誠”から溢れ出していた光が猛烈な勢いでその輝きを失っていく。

「なっ!? 何が!」

よく見れば、溢れ出す光はとある方向に次々と流れ込んでいるようだった。メルドが、必死に魔人族の女に組み付きながら視線だけをその方向にやると、そこには六本足の亀型の魔物がいて、大口を開けながらメルドを包む光を片っ端から吸い込んでいた。

六足亀の魔物、名をアブソド。その固有魔法は“魔力貯蔵”。任意の魔力を取り込み、体内でストックする能力だ。同時に複数属性の魔力を取り込んだり、違う魔法に再利用することは出来ない。精々、圧縮して再び口から吐き出すだけの能力だ。だが、その貯蔵量は、上級魔法ですら余さず呑み込めるほど。魔法を主戦力とする者には天敵である。

メルドを包む“最後の忠誠”の輝きが急速に失われ、遂に、ただの宝石となり果てた。最後のあがきを予想外の方法で阻止され呆然とするメルドに、突如、衝撃が襲う。それほど強くない衝撃だ。何だ? とメルドは衝撃が走った場所、自分の腹部を見下ろす。

そこには、赤茶色でザラザラした見た目の刃が生えていた。正確には、メルドの腹部から背中にかけて砂塵で出来た刃が貫いているのだ。背から飛び出している刃にはべっとりと血が付いていて先端からはその雫も滴り落ちている。

「……メルドさん!」

「……メルドさん!」

天之河が、血反吐を吐きながらも気にした素振りも見せず大声でメルドの名を呼ぶ。メルドが、その声に反応して、自分の腹部から天之河に目を転じ、眉を八の字にすると「すまない」と口だけを動かして悔しげな笑みを浮かべた。

直後、砂塵の刃が横凪に振るわれ、メルドが吹き飛ぶ。人形のように力を失って

 

ドシャ!

 

と地面に叩きつけられた。少しずつ血溜りが広がっていく。誰が見ても、致命傷だった。満身創痍の状態で、あれだけ動けただけでも驚異的であったのだが、今度こそ完全に終わりだと誰にでも理解できた。

咄嗟に、間に合わないと分かっていても、香織が遠隔で回復魔法をメルドにかける。僅かに出血量が減ったように見えるが、香織自身、もうほとんど魔力が残っていないので傷口が一向に塞がらない。

「うぅ、お願い! 治って!」

魔力が枯渇しかかっているために、ひどい倦怠感に襲われ膝を付きながらも、必死に回復魔法をかける香織。

「まさか、あの傷で立ち上がって組み付かれるとは思わなかった。流石は、王国の騎士団長。称賛に値するね。だが、今度こそ終わり……これが一つの末路だよ。あんたらはどうする?」

魔人族の女が、赤く染まった砂塵の刃を軽く振りながら天之河達を睥睨する。再び、目の前で近しい人が死ぬ光景を見て、一部の者を除いて、皆が身を震わせた。魔人族の女の提案に乗らなければ、次は自分がああなるのだと嫌でも理解させられる。

檜山が、代表して提案を呑もうと魔人族の女に声を発しかけた。が、その時、

「……るな」

未だ、馬頭に宙吊りにされながら力なく脱力する天之河が、小さな声で何かを呟く。満身創痍で何の驚異にもならないはずなのに、何故か無視できない圧力を感じ、檜山は言葉を呑み込んだ。

「は?何だって?死にぞこない」

魔人族の女も、光輝の呟きに気がついたようで、どうせまた喚くだけだろうと鼻で笑いながら問い返した。光輝は、俯かせていた顔を上げ、真っ直ぐに魔人族の女をその眼光で射抜く。

魔人族の女は、光輝の眼光を見て思わず息を呑んだ。なぜなら、その瞳が白銀色に変わって輝いていたからだ。得体の知れないプレッシャーに思わず後退りながら、本能が鳴らす警鐘に従って、馬頭に命令を下す。雫達の取り込みに対する有利不利など、気にしている場合ではないと本能で悟ったのだ。

「アハトド!殺れ!」

「ルゥオオオ!!」

馬頭、改めアハトドは、魔人族の女の命令を忠実に実行し“魔衝波”を発動させた拳二本で宙吊りにしている天之河を両サイドから押しつぶそうとした。

が、その瞬間、

 

カッ!!

 

光輝から凄まじい光が溢れ出し、それが奔流となって天井へと竜巻のごとく巻き上がった。そして、天之河が自分を掴むアハトドの腕に右手の拳を振るうと、ベギャ!という音を響かせて、いとも簡単に粉砕してしまった。

「ルゥオオオ!!」

先程とは異なる絶叫を上げ、思わず天之河を取り落とすアハトドに、天之河は負傷を感じさせない動きで回し蹴りを叩き込む。

 

ズドォン!!

 

そんな大砲のような衝撃音を響かせて直撃した蹴りは、アハトドの巨体をくの字に折り曲げて、後方の壁へと途轍もない勢いで吹き飛ばした。轟音と共に壁を粉砕しながらめり込んだアハトドは、衝撃で体が上手く動かないのか、必死に壁から抜け出ようとするが僅かに身動ぎすることしか出来ない。

天之河は、ゆらりと体を揺らして、取り落としていた聖剣を拾い上げると、射殺さんばかりの眼光で魔人族の女を睨みつけた。同時に、竜巻のごとく巻き上がっていた光の奔流が天之河の体へと収束し始める。

“限界突破”終の派生技能[+覇潰]。通常の“限界突破”が基本ステータスの三倍の力を制限時間内だけ発揮するものとすれば、“覇潰”はその上位の技能で、基本ステータスの五倍の力を得ることが出来る。ただし、唯でさえ限界突破しているのに、更に無理やり力を引きずり出すのだ。今の天之河では発動は三十秒が限界。効果が切れたあとの副作用も甚大。

だが、そんな事を意識することもなく、天之河は怒りのままに魔人族の女に向かって突進する。今、天之河の頭にあるのはメルドの仇を討つことだけ。復讐の念だけだ。

魔人族の女が焦った表情を浮かべ、周囲の魔物を天之河にけしかける。キメラが奇襲をかけ、黒猫が触手を射出し、ブルタールモドキがメイスを振るう。しかし、天之河は、そんな魔物達には目もくれない。聖剣のひと振りでなぎ払い、怒声を上げながら一瞬も立ち止まらず、魔人族の女のもとへ踏み込んだ。

「お前ぇー!よくもメルドさんをぉー!!」

「チィ!」

大上段に振りかぶった聖剣を天之河は躊躇いなく振り下ろす。魔人族の女は舌打ちしながら、咄嗟に、砂塵の密度を高めて盾にするが……光の奔流を纏った聖剣はたやすく砂塵の盾を切り裂き、その奥にいる魔人族の女を袈裟斬りにした。

砂塵の盾を作りながら後ろに下がっていたのが幸いして、両断されることこそなかったが、魔人族の女の体は深々と斜めに切り裂かれて、血飛沫を撒き散らしながら後方へと吹き飛んだ。

背後の壁に背中から激突し、砕けた壁を背にズルズルと崩れ落ちた魔人族の女の下へ、天之河が聖剣を振り払いながら歩み寄る。

「まいったね……あの状況で逆転なんて……まるで、三文芝居でも見てる気分だ」

ピンチになれば隠された力が覚醒して逆転するというテンプレな展開に、魔人族の女が諦観を漂わせた瞳で迫り来る天之河を見つめながら、皮肉気に口元を歪めた。

傍にいる白鴉が固有魔法を発動するが、傷は深く直ぐには治らないし、天之河もそんな暇は与えないだろう。完全にチェックメイトだと、魔人族の女は激痛を堪えながら、右手を伸ばし、懐からロケットペンダントを取り出した。

それを見た天之河が、まさかメルドと同じく自爆でもする気かと表情を険しくして、一気に踏み込んだ。魔人族の女だけが死ぬならともかく、その自爆が仲間をも巻き込まないとは限らない。なので、発動する前に倒す!と止めの一撃を振りかぶった。

 だが……

「ごめん……先に逝く……愛してるよ、ミハイル……」

愛しそうな表情で、手に持つロケットペンダンを見つめながら、そんな呟きを漏らす魔人族の女に天之河は思わず聖剣を止めてしまった。覚悟した衝撃が訪れないことに訝しそうに顔を上げて、自分の頭上数ミリの場所で停止している聖剣に気がつく魔人族の女。

天之河の表情は愕然としており、目をこれでもかと見開いて魔人族の女を見下ろしている。その瞳には、何かに気がつき、それに対する恐怖と躊躇いが生まれていた。その天之河の瞳を見た魔人族の女は、何が天之河の剣を止めたのかを正確に悟り、侮蔑の眼差しを返した。その眼差しに天之河は更に動揺する。

「……呆れたね……まさか、今になって漸く気がついたのかい? “人”を殺そうとしていることに」

「ッ!?」

そう、天之河にとって魔人族とはイシュタルに教えられた通り、残忍で卑劣な知恵の回る魔物の上位版、あるいは魔物が進化した存在くらいの認識だったのだ。実際、魔物と共にあり魔物を使役していることがその認識に拍車をかけた。自分達と同じように、誰かを愛し誰かに愛され何かの為に必死に生きている、そんな戦っている“人”だとは思っていなかったのである。あるいは無意識にそう思わないようにしていたのか……

その認識が、魔人族の女の愛しそう表情で愛する人の名を呼ぶ声により覆された。否応なく、自分が今、手にかけようとした相手が魔物などでなく、紛れもなく自分達と同じ“人”だと気がついてしまった。自分のしようとしていることが“人殺し”であると認識してしまったのだ。

「まさか、あたし達を“人”とすら認めていなかったとは……随分と傲慢なことだね」

「ち、ちが……俺は、知らなくて……」

「ハッ、“知ろうとしなかった”の間違いだろ?」

「お、俺は……」

「ほら?どうした?所詮は戦いですらなく唯の“狩り”なのだろ?目の前に死に体の一匹(・・)がいるぞ?さっさと狩ったらどうだい?おまえが今までそうしてきたように……」

「……は、話し合おう……は、話せばきっと……」

天之河が、聖剣を下げてそんな事をいう。そんな天之河に、魔人族の女は心底軽蔑したような目を向けて、返事の代わりに大声で命令を下した。

「アハトド!剣士の女を狙え!全隊、攻撃せよ!」

衝撃から回復していたアハトドが魔人族の女の命令に従って、猛烈な勢いで雫に迫る。天之河達の中で、人を惹きつけるカリスマという点では天之河に及ばないものの、冷静な状況判断力という点では最も優れており、ある意味一番厄介な相手だと感じていたために、真っ先に狙わせたのだ。

他の魔物達も、一斉に雫以外のメンバーを襲い始めた。優秀な人材に首輪をつけて寝返らせるメリットより、天之河を殺す事に利用すべきだと判断したのだ。それだけ、魔人族の女にとって天之河の最後の攻撃は脅威だった。

「な、どうして!」

「自覚のない坊ちゃんだ……私達は“戦争”をしてるんだよ!未熟な精神に巨大な力、あんたは危険過ぎる!何が何でもここで死んでもらう!ほら、お仲間を助けに行かないと、全滅するよ!」

自分の提案を無視した魔人族の女に天之河が叫ぶが当の魔人族の女は取り合わない。

そして、魔人族の女の言葉に天之河が振り返ると、ちょうど雫が吹き飛ばされ地面に叩きつけられているところだった。アハトドは、唯でさえ強力な魔物達ですら及ばない一線を画した化け物だ。不意打ちを受けて負傷していたとは言え“限界突破”発動中の天之河が圧倒された相手なのである。雫が一人で対抗できるはずがなかった。

天之河は青ざめて、“覇潰”の力そのままに一瞬で雫とアハトドの間に入ると、寸でのところで“魔衝波”の一撃を受け止める。そして、お返しとばかりに聖剣を切り返し、腕を一本切り飛した。

しかし、そのまま止めを刺そうと懐に踏み込んだ瞬間、いつかの再現か、ガクンと膝から力が抜けそのまま前のめりに倒れ込んでしまった。

“覇潰”のタイムリミットだ。そして、最悪なことに、無理に無理を重ねた代償は弱体化などという生温いものではなく、体が麻痺したように一切動かないというものだった。

「こ、こんなときに!」

「光輝!」

倒れた天之河を庇って、雫がアハトドの切り飛ばされた腕の傷口を狙って斬撃を繰り出す。流石に傷口を抉られて平然としてはいられなかったようで、アハトドが絶叫を上げながら後退った。その間に、雫は、天之河を掴んで仲間のもとへ放り投げる。

光輝が動けなくなり、仲間は魔物の群れに包囲されて防戦するので精一杯。ならば……自分がやるしかない! と、雫は魔人族の女を睨む。その瞳には間違いなく殺意が宿っていた。

「……へぇ。あんたは、殺し合いの自覚があるようだね。むしろ、あんたの方が勇者と呼ばれるにふさわしいんじゃないかい?」

「……そんな事どうでもいいわ。光輝に自覚がなかったのは私達の落ち度でもある。そのツケは私が払わせてもらうわ!」

魔人族の女は、白鴉の固有魔法で完全に復活したようでフラつく事もなく、しっかりと立ち上がり、雫をそう評した。

雫は、天之河の直情的で思い込みの激しい性格は知っていたはずなのに、本物の対人戦がなかったとはいえ認識の統一、すなわち自分達は人殺しをするのだと自覚する事を今の今まで放置してきた事に責任を感じ歯噛みする。

雫とて、人殺しの経験などない。経験したいなどとは間違っても思わない。だが、戦争をするならいつかこういう日が来ると覚悟はしていた。剣術を習う上で、人を傷つけることの“重さ”も叩き込まれている。

しかし、いざ、その時が来てみれば、覚悟など簡単に揺らぎ、自分のしようとしていることのあまりの重さに恐怖して恥も外聞もなくそのまま泣き出してしまいたくなった。それでも、雫は、唇の端を噛み切りながら歯を食いしばって、その恐怖を必死に押さえつけた。

そして、神速の抜刀術で魔人族の女を斬ろうと“無拍子”を発動しようと構えを取った。が、その瞬間、背筋を悪寒が駆け抜け本能がけたたましく警鐘を鳴らす。咄嗟に、側宙しながらその場を飛び退くと、黒猫の触手がついさっきまで雫のいた場所を貫いていた。

「他の魔物に狙わせないとは言ってない。アハトドと他の魔物を相手にあたしが殺せるかい?」

「くっ」

魔人族の女は「もちろんあたしも殺るからね」と言いながら魔法の詠唱を始めた。“無拍子”による予備動作のない急激な加速と減速を繰り返しながら魔物の波状攻撃を凌ぎつつ、何とか、魔人族の女の懐に踏み込む隙を狙う雫だったが、その表情は次第に絶望に染まっていく。

なにより苦しいのは、アハトドが雫のスピードについて来ていることだ。その鈍重そうな巨体に反して、しっかり雫を眼で捉えており、隙を付いて魔人族の女のもとへ飛び込もうとしても、一瞬で雫に並走して衝撃を伴った爆撃のような拳を振るってくるのである。

雫はスピード特化の剣士職であり、防御力は極めて低い。回避か受け流しが防御の基本なのだ。それ故に、“魔衝波”の余波だけでも少しずつダメージが蓄積していく。完全な回避も、受け流しも出来ないからだ。

そして、とうとう蓄積したダメージが、ほんの僅かに雫の動きを鈍らせた。それは、ギリギリの戦いにおいては致命の隙だ。

 

バギャァ!!

 

「あぐぅう!!」

咄嗟に剣と鞘を盾にしたが、アハトドの拳は、雫の相棒を半ばから粉砕しそのまま雫の肩を捉えた。地面に対して水平に吹き飛び体を強かに打ち付けて地を滑ったあと、力なく横たわる雫。右肩が大きく下がって腕がありえない角度で曲がっている。完全に粉砕さてしまったようだ。体自体にも衝撃が通ったようで、ゲホッゲホッと咳き込むたびに血を吐いている。

「雫ちゃん!」

香織が、焦燥を滲ませた声音で雫の名を呼ぶが、雫は折れた剣の柄を握りながらも、うずくまったまま動かない。

その時、香織の頭からは、仲間との陣形とか魔力が尽きかけているとか、自分が傍に行っても意味はないとか、そんな理屈の一切は綺麗さっぱり消え去っていた。あるのはただ“大切な親友の傍に行かなければ”という思いだけ。

香織は、衝動のままに駆け出す。魔力がほとんど残っていないため、体がフラつき足元がおぼつかない。背後から制止する声が上がるが、香織の耳には届いていなかった。ただ一心不乱に雫を目指して無謀な突貫を試みる。当然、無防備な香織を魔物達が見逃すはずもなく、情け容赦ない攻撃が殺到する。

だが、それらの攻撃は全て光り輝くシールドが受け止めた。しかも、無数のシールドが通路のように並べ立てられ香織と雫を一本の道でつなぐ。

「えへへ。やっぱり、一人は嫌だもんね」

それを成したのは谷口だ。青ざめた表情で右手を真っ直ぐ雫の方へと伸ばし、全てのシールドを香織と雫をつなぐために使う。その表情に淡い笑みが浮かんでいた。

鈴は、内心悟っていたのだ。自分達はもう助からないと。ならば、大好きな友人達を最後の瞬間まで一緒にいさせるために自分の魔法を使おうと、そう思ったのだ。当然、その分、他の仲間の防御が薄くなるわけだが……鈴は内心で「ごめんね」と謝り、それでも香織と雫のためにシールドを張り続けた。

谷口のシールドにより、香織は、多少の手傷を負いつつも雫の下へたどり着いた。そして、うずくまる雫の体をそっと抱きしめ支える。

「か、香織……何をして……早く、戻って。ここにいちゃダメよ」

「ううん。どこでも同じだよ。それなら、雫ちゃんの傍がいいから」

「……ごめんなさい。勝てなかったわ」

「私こそ、これくらいしか出来なくてごめんね。もうほとんど魔力が残ってないの」

雫を支えながら眉を八の字にして微笑む香織は、痛みを和らげる魔法を使う。雫も、無事な左手で自分を支える香織の手を握り締めると困ったような微笑みを返した。

そんな二人の前に影が差す。アハトドだ。血走った眼で、寄り添う香織と雫を見下ろし、「ルゥオオオ!!」と独特の咆哮を上げながら、その極太の腕を振りかぶっていた。

谷口のシールドが、いつの間にか接近を妨げるようにアハトドと香織達の間に張られているが、そんな障壁は気にもならないらしい。己の拳が一度振るわれれば、紙くずのように破壊し、その衝撃波だけで香織達を粉砕できると確信しているのだろう。

今、まさに放たれようとしている死の鉄槌を目の前にして、香織の脳裏に様々な光景が過ぎっていく。

「ああ、これが走馬灯なのかな?」と妙に落ち着いた気持ちで、思い出に浸っていた香織だが、最後に浮かんだ光景に心がざわついた。

それは、月下のお茶会。二人っきりの語らいの思い出。自ら誓いを立てた夜のこと。困ったような笑みを浮かべる今はいない彼。いなくなって始めて“好き”だったのだと自覚した。生存を信じて追いかけた。

だが、それもここで終る。「結局、また、誓いを破ってしまった」そんな思いが、気がつけば香織の頬に涙となって現れた。

再会したら、まずは名前で呼び合いたいと思っていた。その想いのままに、せめて、最後に彼の名を……自然と紡ぐ。

「……ハジメくん」

その時、正史とは異なるイレギュラーが発生した。

 

ピシィッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

「AaaaaalalalalalalalalalalalalalalalalalalalaaaaaaaaaaaaaaaaIii!!!!!!!!!!!!」

聞き覚えのある声の雄叫びと落雷の如き轟音が魔人族の女より後方から響きこちらに向かって来た。

いきなりだったので天之河も香織もクラスメイト達も攻める魔物達も魔人族の女も皆、其方に目を向けて驚愕した。アハトドに勝るとも劣らない体格をした猛牛2頭が棘の生えた車輪を持つチャリオットを引いて此方に向かって来ていた。しかもチャリオットには今まで教会側が出した任務に出ていた雷王先生が乗っていた。

「チィっ!?」

魔人族の女と魔物達は躱したが、既に香織達に攻撃を繰り出していたアハトドは躱せずに体当たりをされて吹っ飛ばされた。

「貴様ら、大丈夫かぁ!!!」

『先生ッ!?!?!?』

「おぉよ!!!未知なる世界に心踊らせ汝らを蔑ろにした馬鹿だ!!!余には教師としての資格はないであろうな!!!!ガハハハハッと笑うべきではないか、すまん。だが、よく持ち堪えた。後は余らに任せい!!!」

宝具遥かなる蹂躙制覇(ヴィア・エクスプグナティオ)を発動させたことによる余波?で未だピリリッと雷を纏いながら豪語した。

 




なんかコピペのし過ぎてすいません!
彼を出すタイミングがなかなか合わず、結局南雲登場をかっさらうこととなりました。
さて、雷王先生こと、イスカンダルが言った「余()」とは一体誰なのでしょう。

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