クラナガン郊外にある、森の地下に隠された遺法研究所。その最奥にある実験場と思われる大部屋で、唯一生きている存在である男は自身が抱いた苛立ちを隠しもせずに舌打ちした。
蛍光灯のフィラメントが焼かれる音も、霞む視界全体に広がる機械の残骸も、それらにこびり付いている赤黒い液体も、それらが焼かれ発せられる鼻にくる臭いも、その全てが彼の癇に障る。
「――っそ、ヘマ、こいた……」
しかし何より彼が憤っている対象は己自身であった。
研究所へ強襲を掛けることが遅かったことを指しているのではない。確かにもっと早くに情報を掴み、準備を整え動くことが出来たのなら、この場所でこうして費えるしか無かった命達のいくつかは助けられたのかもしれない。だがそれを悔いる程、彼は自身を過大評価していなかった。
確かに彼は余人と比べると、全てにおいて非常に優秀な分類に入る。世間一般があることを一だけ行った時間、彼は千ものことを行うことが出来る程度の能力を有していた。だが、それだけだ。
彼は確かに世間から持て囃されている“人物”である。そう、人なのだ。
どんなに優秀であり、どんなに才能があり、どんなに努力をしていたとしても、結局の所彼も一人の人間でしか無い。
だからこそ彼は、遠くの未来を見据えて自分の最善を尽くしてきた。
いついかなる時でも即座に行動できる様自身を鍛え、自分には無いものを持っている人物と交流を図り、他者の才能を見極め伸ばすよう道を示し、職場の同僚が無事に帰って来られる様スムーズに情報が末端にまで渡る連絡システムを構築した。
それも全て彼が望む未来――弱者が理不尽に甚振られること無く安心して過ごせる未来――を構築し、それが次代以降へも続くように。
勿論今に至るまで様々な障害があった。彼の実力を妬む者、彼の描いた未来が理想論だと蔑む者、自身の地位を追いやられる危険性を感じ、彼を亡き者にしようとする者まで現れた。
しかし彼はそれでも自分の信念を曲げずに突き進んだ。泥まみれになりながら這いつくばって、けれども邪魔する相手にそれを悟らせること無く付け入る隙も見せず、望む未来へと邁進してきた。
そうしている内に同志が出来、賛同者が増え、協力者も得、ここ十数年で同僚の殉職率も下がり、犯罪率も減り、少しずつではあるが人材不足を補える様になってきた。
時代は、彼が望んだ未来へと歩み始めていた。
まだこれからだと言うのに、何て様だ。残る魔力を振り絞ってサーチャーで自身の姿を確認して、彼は乾いた笑みを零す。
全身に大小様々な創傷がある他、左腕は
足を動かそうとしても感覚が無く、実際に動いていない所から、脊髄の神経も損傷しているのだろうと冷静に推測する。そしてこの様な姿になり果ててしまったのは、恐らく気が急いてしまったのだろうと鈍くなっていく思考が答えを弾く。
幼い頃に両親を亡くし天涯孤独の身となってしまった彼に、たった一人の家族が出来た。その小さな命が健やかに成長できる様にと、もっと過ごしやすい環境にしようと仕事に当たっていた結果がこれだ。
どうしようもない自分に対し鼻で笑いながら、彼は唯一動かせる右手で懐を漁り銀色の懐中時計を取り出して現在時間を確認する。
罅が入っていながらも正常に動いているそれは、十二時三分を指していた。
「あーあ、もう日付っ……変わって、じゃねーか……」
今日……否、先日は彼の唯一の家族の誕生日であった。
彼の予定では早々にこの一斉強襲任務を終え、軽く身を整えた後に祝いに行く手筈だったのだ。それが自身の体調管理不足のせいでこの様な失態を犯した揚句間に合うことが出来なかった。
唯一の家族は不貞腐れてしまっただろう、それとも失望してしまっただろうか。個人的には前者であってほしいが、この分だと後者の方が良いのかもしれないと彼は考える。
一応同隊の人達には救護を要請した。だが、自分が生きている間に間に合うかどうかは怪しい。
無論いつも通り意地汚く生き残ってやると思っているが、それでも心の片隅で万が一を考えている自分に、弱くなったなと自嘲した。
「悪ぃ、 ……」
体は段々と冷えていき、目からも耳からも何の情報も得られなくなった彼は、最後にそう呟いた。
* * *
目に入った光の眩しさに、おれは目を覚ます。光の方向を見てみれば、窓の外から太陽がこんにちは。それを見て朝陽が眩しかったんだと納得し、何でカーテンが開いているんだろうと首を傾げる。朝起きたらカーテンを開けて日光を部屋に取り入れ、日が暮れたら閉めることを習慣づけていただけに、不思議に思ってならない。
あれ、昨日はカーテンを閉めるのを忘れるほど疲れる様なことしたっけ? 何か首も妙に痛いし…………そもそもおれは昨日一体何をしていた?
そう、自問自答して、
「――――――――あ」
あのことを思い出した。
一ヶ月前の仕事の任務で、意識不明の重体を負ってしまった父さんのニュースのことを。
「――――っいかなきゃ!!」
父さんの所に行かなきゃいけない! 父さんの所に行って、
焦燥に駆られて布団を蹴飛ばしパーカーを羽織り、右手で何かをひったくってパーカーのポケットに入れ、そのままの勢いで部屋を出る。家の階段を勢い良く駆け降り、玄関を飛び出そうとしたところで、
「待て! 何処に行くワタル!?」
おじさんにパーカーのフード部分を掴まれて止められた。勢いのせいで首が急に絞まり息苦しくなって生理的な涙が浮かぶ。でもそれを拭う時間すら惜しく、おれの邪魔をするおじさんを睨みつけた。
「はなしておじさん! じかんがない!!」
「ええい、落ち着けワタル!!」
「はなして!! とうさんのところ!! とうさんのところにいかなきゃいけないの!!」
「だから落ち着けと言っている!!」
何で邪魔するの!? おれは今すぐ父さんの所に行かなきゃいけないのに!! どうしておれの邪魔をするの!?
焦りが、苛立ちが、おじさんに対する怒りに変わる。体の内側から強い力のうねりが発生し、パーカーのポケットへと流れていくのを感じ取った。
「じゃまを……」
その流れに身を任せ、そのまま言葉に乗せようとした時、
「する――――うわっ!!?」「むお!!?」
もの凄く冷たい水が全身にぶっ掛けられた。パーカー自身は防水加工されてあるからどうってこと無いけど、頭からぶっ掛けられたものだから全てを弾くことは出来ず、水が服の内側に入り込む。更に――どうやら浴びせられた水は氷水だったらしい――首筋の後ろから氷が二、三個ほど入り込み、一気に全身が泡立った。
「つめ、つめたっ!? お。おじさんとっ――や、て、はなして!!」
おじさんの腕を叩いて放してもらった後、着ていた服を即座に脱ぐ。背筋を滑っていた氷は全て床に落ち人心地ついたが、まだ余韻が残っているのか鳥肌は立ったままだ。
「ちょ……何やってるの、お母さん!?」
「何って……冷静になってもらうために、氷水を二人に浴びせただけだけど?」
「だからって特大バケツを使うのはどうかと思うよ!?」
「でも二人とも喧嘩止めたじゃない。それよりほら、このままだと二人とも風邪ひいちゃうから、バスタオルを取ってきてちょうだい」
「お母さんが原因じゃ――~~っ取ってくる!!」
「頼んだわよ~」
アイリスさんの所業に唯一何の被害も被っていない姉さんが色々と言いたげだったが、おれとおじさんを心配してか、或いは言っても無駄だと悟ったのか、パタパタと軽い足音を立ててバスルームへと姿を消した。
「さて、と…………ワタルちゃん、頭は冷えた?」
それを見送ったアイリスさんは、先程のふざけた態度から打って変わっての真面目な表情をおれに向けてきた。その真剣な瞳を見て、起きてからおれがしようとしていた諸々のことを思い出し、決まりが悪くなって顔を俯かせる。
「その様子じゃあ、ちゃんと冷静になれたみたいね」
「…………うん」
「それで、一体どうしてこんな時間から一人で外に出ようとしたのかしら?」
「……とうさんのところに、いかなくちゃっておもった」
父さんが意識不明の重体を負って一ヶ月も経っていたことを知ってしまい、居ても立っても居られなかった。
「そう。なら今日ちゃんとおばさんが連れて行ってあげるから、二人とも着替えてらっしゃい」
「じゃないと風邪ひいちゃうわよ?」というアイリスさんの言葉に頷いて、姉さんが持ってきたバスタオルで髪や体についた水を軽く拭い、おじさんと共に二階へと歩く。
「…………おじさん」
「何だ?」
「にらみつけて、ごめんなさい」
「…………構わん」
そう、口数の少ない言葉を交わして、おれとおじさんはそれぞれの部屋へと戻っていった。
着替えと朝食を終え、アイリスさんに連れられておれは父さんが入院している病院にやって来た。ここミッドチルダでは一番有名な病院らしく、難病・奇病の治療から心臓移植までありとあらゆる難しい手術を執刀できる優秀な医者がいるんだそうだ。父さんの主治医もその人で、名前をジェイル・スヴェルグと言うらしい。
その人の言い分によると、目覚めるのならばもうそろそろ目覚めても良い頃合いだが、目覚めなければ目覚めないで可笑しくは無いとのこと。
正直、これは予想しておくべきことだった。
いくら自他共に認める最強魔導師で、数多くの犯罪者組織を潰し、多くのS級犯罪者を確保し、他者の才能を伸ばすきっかけを作ることで局の地力も上げる等、数々の功績を立てたチートでも、一個人の“人”なのだから、軍属である以上仕事で死ぬ可能性はきちんと頭に入れておくべきだったんだ。
だからこそ、『父さんだから必ず目覚める』なんて甘い考えは捨てる。その上で父さんのお見舞いをしなければ、おれ自身色々駄目になりそうだ。
父さんの病室の前で何度か深呼吸をし、覚悟を決めて病室へと入る。そして包帯まみれで寝ているだろう父さんの姿を見納めるべく顔を上げようとして――――視界の隅に入った物に気付いて思考・行動共に停止した。
――――何でインスタントコーヒーの缶が浮いてんの?
いや、缶だけでは無い。他にも湯気が上がっているポット、数ヶ月前の父さんの誕生日にプレゼントしたマグカップ、そしてティースプーンが宙に浮いていて、更にはコーヒーを淹れる動きを取っている。
え、何で? 何これどういうこと? 確か今この病室には父さんとおれ以外いないはず(アイリスさんはおれに遠慮して、同じ階の休憩場所で待機している)。なのに何で「ぷっ」――ん?
「くはっ、ちょ、おまっ……何、まぬけ面晒し、あ、やべ……も、無理……あはははははははははははははははははは!!!!!」
………………えーと、うん。待って、超待って。この声普通に聞き覚えあるんだけど当の本人は気絶しているはずで、仮にタイミング良く起ききれたとしても爆笑できるくらいの体力は無いはずで。
予想外のことが立て続けに起こったせいか、頭の回転が酷く鈍い。これはもう頭で色々と考えるのは無駄だと思い、父さんが寝ているはずのベッドへと顔を向けた。
――――全身包帯まみれの父さんが、唯一無事っぽい右手をバンバンとベッドに叩きつけ、これ以上無く爆笑している姿がそこにはあった。
父さんが意識不明の重体を負ったことを知って、こっちは色々と覚悟を決めてお見舞いに来たというのに当の本人はケロリとしているどころか、予想外の出来事に呆然としているおれの表情を見て大爆笑し、さらには未だに笑いが止まる様子は無い。
混乱していた頭が漸くそのことを認識すると同時に、父さんに対する様々な感情がふつふつと湧き始める。
こっちは意識が回復するかどうかも分からないって聞いてすっごく心配したんだよ? 呼吸器をつけ点滴を受け、包帯まみれで仰向けの状態で寝ている姿を覚悟して来たんだよ? なのに病室に入ってみれば――包帯まみれなのは想像通りだが――意識はきちんと戻っていて、さらにポットとコーヒー缶とマグカップとスプーンにそれぞれデバイス無しで無機物操作魔法をかけてコーヒー淹れてるって何? いや意識がしっかりしていることはとても喜ばしい限りだから別に良いけど、お見舞いにやって来たおれの呆然としているであろう表情を見て大爆笑するってのはどういうことさ。え、何? 心配したこっちが悪いの? 父親が死ぬかもしれないと覚悟して病室に来たおれが悪い訳? そんなに面白かった訳? いやでもそういう風に思ったのは父さんが一ヶ月間も意識が回復しなかったせいだよね? そうだよ原因は父さんじゃねーか、なのになんでその原因に大爆笑されてんだよマジふざけんな。つーか起きんならさっさと起きとけよそれだったらこっちはこんなに悲壮感たっぷりになってなかったっつーのに。てゆーかまだ笑ってるよこのミイラ男本当に重傷負ってんのかってくらい腹捩らせて笑ってるよ。
湧きあがる感情(主に怒り)を抑えることも霧散させることもせず、破裂する直前の風船の様に次第に膨れ上がっていく。
そして、
――――ブツン。
頭の中で、何かが切れる音がした。
「――っざけんなくそおやじ!! 【サモンマテリアル】!!!」
勢いで出た言葉にはたと思考が止まったのも束の間、父さんが体を預けているベッドの天井に光の粉が舞っているのが視界に映る。その光の粉は段々とある物を
「――――いっでぇぇぇえええええええええええええええええええええ!!!?!?!?」
見た感じ2kgはありそうな鉄アレイが父さんの鳩尾辺りに容赦無く落下し、叫び声が病院中に響き渡った。